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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

何が求められているのか - 2010.08.04(ポケットの窓から)






 


 都会のデパートなんかはまだいいと思う。それなりにまだ需要がありそうだ。問題なのはどこの地方にもある老舗のデパートだろう。地方の商店街はもうほとんど死体だな、それを象徴するように地方のデパートは青色吐息だ。色んなカンフル剤を打って生きながらえていいるけれど、あと10年もつのだろうか。これがつぶれたら町中は致命傷だ。ぽっかりと大きな穴があいてしまう。今でもほとんど開店休業状態だけれど、どれだけの危機感をもっているのだろうか。



 多くの百貨店は創業時代は呉服屋だった。時代は着物から洋装になっていつまでも呉服に囚われていたのじゃ乗り遅れるというわけで、大きく方向転換した。物が少ない貧しい時代の大衆の要求だっただったのだろう、全般的にちょっと高級感のある百貨店となってここまでやってきた。いままた時代は大きく変わろうとしている。速い、安い、便利、ならばスーパーやコンビニ、ファミレスに負けてしまう。安いだけじゃ百円ショップもある。高級なら外国の有名ブランドがもっと付加価値をつけて売り込んでいる。百貨店はどっちつかずだな。存在価値が根本的に問われてる。このままではこの後10年はもたないかもしれない。



 大手のデパートはそうとう危機感をもっているだろう。これから百年どうやって生き残ってゆくのか、何を売って行くのか、それはまぁデパートだけの話ではないのだな。言わばこれから百年の日本の有り方、生き方、過ごし方、そんなことにもつながっているのではないかな。そんなふうに思う。



 何が求められているのかな。もっと言えば「人の幸せって何だろうか?」ということだ。



 閑話休題



 以前に書いた事があるけれど、中学校の正教員をやっていた時に気付いたことがある。こうやって色んな校則や規則でがんじがらめにして生徒たちをどうしたいのか、どんな理想をもって子供たちを指導しているのだろうか、最終的に目標としているのはこの国に役に立つ人材を育てるということなのだろうか、義務教育というのは無償であるということはそういうことなんだろうか・・などと疑問に思った。



 国の役に立つ人材を育てると言うのであるならば、まぁ体制が変われば大きく価値変換を強いられることがあるわけだな。当然。しかし、教育というのは基本的に個人のものである気がしている。個人がよりよく、楽しく、充実して生きられるように、教えるのではなく、知ろうという気持ちに火をつけることだと思っている。教えられることは限られたものでしかないけれど、知ろう、」知りたい、学びたい、という気持ちに限界はない。これは国も体制も関係がない、体制が変わっても、国が崩壊しても、関係がない。そういった人を育てるのが教育だと思っている。まぁ結果的にお国のためになることはあっても、決してそれが目的ではない。



 で、話は元に戻るのだけれど、多分これからは「物」を売るのではない気がするんだな。人はもう物では「幸せ」にはならないことに気がついたんだな。




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