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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

色々あってこそ - 2010.02.15(ポケットの窓から)






 

はる 3160

 東京の個展が楽しいのは異邦人になれるところであろうか。日本でありながら異邦人というのは少しおかしいのだけれど、あの街は私にとってある意味異国のようなものだ。生活の場でもなければ、何か人間関係が発生する場でもない。仕事場といえばそうなのかもしれないが、普通の意味の職場ではない。



 かつて一度もそこに住んだことはないので、地下鉄に乗っても、街を歩いても顔見知りに出会うことはほとんどない。多くの人が行き交うけれど、私のことを知る人は誰もいない。無名のただの路傍の石のようなものだ。そこのところが心持いいのだな。



 日常的にそこに住んでしまえば、少なくとも何かしらの人間関係が出来て色々と面倒なことに巻き込まれてゆくのだが、それはそれ人が生きてゆくためには仕方のないことだけれど、高々一週間そこで遊び暮らしている分には、まぁ旅人のような、風来坊のような、旅芸人のような感覚で楽しい、終わりが近づいてくると一抹の寂しさがある。



 どこまでそうやって暮らして行けるのか、どこまで行けるのか分からないけれど、いつの間にかだけれど、まぁこれが望んでいた暮らしに近いような気もする。こうありたいと強く志を持っていたわけではないのでね。何となくだな。



 先日の話につながるのだけれど、白黒はっきり付けるとか、理路整然としているというのは一見正しいし、カッコよくはあるのだけれど、反面それは他を認めないという排他的なところもあるわけだ。我々は今までそれが正しいと教わって暮らしてきたわけだけれど、自然それが身についてきたわけだけれど、まぁそんなにカッコよく生きられないなぁとは最近思う。もっとルーズだし、いい加減だ。



 欧米型の効率を考えるなら、これはもっとも不出来な、出来損ないの言い訳にすぎないのだけれど、あえて色々あってもいいという多様な混沌の選択でもいいかなと思い始めた。そういった方がより大きいというのか、宇宙の理に近いのじゃないかと思う。



 国母選手がいてもいいのだ。

 



comment(2)

 
No title 
 スタイルとか格好というのは明らかに自分の意思がでるもので、高校生の頃「服装の乱れは心の乱れ」などといって注意された覚えがあります。

 自由人への憧れるから今の私はこんな格好をしているのでしょう。普通に目立たない格好をしていればいいものをね。スタイルは意思表明でもあるようにおもいますね。子供じみてはいますが・・。

 国母選手がどこまで考えてあの格好をしていたのか今のところよく分かりませんが、多分そんなに深い考えはなかったのでしょう。

 もし、スタイルがどうのこうのといわれるのであれば辞退すればよかったのかもしれませんね。

 実際、あの記事を書くまで私は例の選手はサッカーの選手だと思っていました。you tubeでみると確かに態度悪いですね。

No title 
確かに生物の多様性という見方からすれば、「国母選手がいてもいい」のでしょうが、彼のことは僕はよくないと思う。
ああいうカッコをするなら、志と強い意志をもって自分のスタイルを貫くべきであって、大人に怒られて不承不承謝ってみせるという態度が僕は気に入らない。こんなこと言うのは野暮でしょうか?

secret


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