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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

中庭草茫茫 - 2009.09.26(ポケットの窓から)






 

はる 3020

 明日は午前中はクロッキー、午後は野暮用でお江戸に出ます。そんなことで又更新はシャメだけになるかもしれません。何もないとはいえ結構忙しく右往左往しています。ここのところ用事でお江戸に出る機会が多い。疲れやすいのでほとんど他の用事はしない。だからもったいないなぁとは思う。お金はいいけれど、時間は取り戻せないから、尚そう思う。



 徒然に・・

 昨日考えていて、あぁそうだなとあらためて思ったのが、「絵画の平面性」ということだ。当たり前といえばその通りなんだが、ところが西欧絵画の歴史でいえばルネサンスの頃から如何にすれば平面の中に立体的な世界を再現するかというのが大きな命題だった。まだ写真技術というのがなかったので人見たように見えたように描くのはどうすればいいのかを考えた。元はといえば天国とか地獄などを実際に見てきたように描きたいという欲求があったのかもしれないな。でティツィアーノやミケランジェロ、ルーベンス、やカラバチッオでそういった表現のピークをむかえる。



 その後はどんどん絵画の再現性みたいなものは崩れてゆくのだけれど、まぁ教会や王侯貴族が力を失って商人や市民階級がちからを持ってくると、一気に絵画も大衆化してゆく。ちょうど絵の具もチューブ入りみたいなものが開発されて野外でスケッチできるようになったということや、画家そのものが貴族などから自立して自己主張しだした、芸術家という存在が認められてきたと言うことかな。



 印象派の出現は偶然ではない。そういった歴史上の必然から出てきたもので、ちょうど科学技術も発展してカメラや版画、印刷などという大衆的な表現方法も支持されてきた頃でもある。印象派が壊してきたものは多いけれど、大きなものは「絵画は平面にある秩序で置かれた色の点の集合である」ということだろうか。なぜそんな考えが出てきたのかといえば、昨日のモザイクの話が分かりやすい。平面に置かれた点には奥行きも側面も、主役も脇役もない。全てが同等な点でしかない。何故平面かという答えはここにある。この考えの延長上にウォーホールもリキテンシュタイン、今をときめくスパーフラットの村上隆もいる。



 ところで私は何故にクロッキーや人物デッサンにこだわるのかね。日ごろの絵がものを描いていないので反対に出来るだけ物を単純に描きたい。単に趣味みたいなものか。又考えてみたい。



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