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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

これさえあれば大丈夫 - 2009.06.02(ポケットの窓から)






MSK

はる 2905

 「心の拠り所3」

 今日もまた徒然に、結論はありません。あしからず。



 「幽霊の正体みたり枯れ尾花」この歌の意味はけっこう真相をついている。幽霊に限らず、お化け、霊、怨念など、こういった類のものは人の作り出した幻にすぎない。「怖い、こわい」と想う心がそういった幻影を生み出すわけだ。



 自分の鬱気質や強迫観念症がどこから来たのか、たぶんに遺伝的なものがあるのだろうけれど、だから仕方ないと考えるのではなく、表面的なものではない深層のところまで降りて意識下に持ってくればコントロールが可能になるように思う。というのかそういったことに興味がある。



 「医者が必要な者が医者になる」という伝でいけば、私には絵が必要だったのか?どうも「絵」ということになるとそうでもないきがするんだな。どちらかと言えばこうやってノートやパソコンに向かって心の中を探りながら文章を書いている方が向いているような気もする。こういうのを何というのかなぁ。私の絵のタイトルで言えば「思索家」だけれど、だからといってこれが文学として鑑賞にたえるものかといえば、全くの×だ。くだらないぼやきみたいなものだ。



 ただ何かしら具体的な「心の拠り所」がほしかった。それは「ことば」でもよかったし、「もの」でもよかった。音楽や文学や絵画でもよかった。何かしら変わらない真実とか真理とか理のようなものが欲しかったんだな。無我夢中で手探りでやって来たけれど、それが今の絵の形になってきたわけで、そういった意味では「絵が必要なものが絵描きになる」というのは意外にあたっているかなと思う。



 恐怖というのは想像のなせるわざだ。想像力のあるものだけがそれにおびえるのだ。具体的に脅かされたり襲われたりしたわけではない。多分その恐怖の種は自分の作り出した幻影なんだ。



 ではその幻影の正体は何かということだな。で話は元に戻ってくる。古今東西、人は安住の地というのをいつも求めている。実際にはこの地上にはエデンの園のような安住の地は存在しない。母親の胎内から滑り落ちた段階から、イバラの道が待っているのだ。けれど少しでも自分にとって居心地がいい環境に居たいと思うのは本能に近いものだろう。



 いつしかその居心地のいい環境が破られて着の身着のまま放り出されるのではないか、楽園を追放されるのではないかというのが潜在的な恐怖の源だ。実際はそんな楽園も安住の地も幻に過ぎないのだな。 



 またまた迷路に入ってしまいました。ではでは。



 



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