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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

取りとめもない話 - 2009.06.01(今日のアトリエ)






 

はる 2904

 この間の心の拠り所の続きかな。もう少し考えてみたい。徒然に書くので結論のでる話ではない。



 人はというのか万物はと言っていいかな。我々のような意志をもったものも、また自然や生命をもたない無機物でさえ、ある一定の方向性を持っている。それは物事は一番安定したところに向かうということだろうかね。



 命があることは、ある意味凄く不安定な状態にある。ちょっとしたことで傷ついたり、また病気になったりしてその命そのものは消えてしまう。消えてなくなってまた無機的な状態に戻ってゆく。それがまだ知りえる形では一番安定している状態だからだ。



 時空を短縮したり伸ばしたりを考えに入れれば、物質そのものもそんなに安定したものではない。前に話したように宇宙は猛烈なスピードで膨張しているように見えるわけだから、他の星から見えれば我々も光のスピードでこの宇宙ー空間をぶっ飛んでいることになる。最終的には素粒子になってまさに宇宙の塵となってばら撒かれることになるだろう。千の風どころの話ではない。



 そうは言っても、生命をもったものの第一の使命は「①自己の個体を維持することであり②自己の遺伝子を残す」ことにある。この世に雌雄が存在するのはそういったことを踏まえて、出来るだけ柔らかに変化しながら、自分の遺伝子を残してゆけるからにしぎない。強いものが残るのではない、変化できるものが生き残るという大きな法則があるからだ。それもまた不安定なゆらぎの中で微妙にバランスを取りならが存在している。そんなところがはかなくて美しい。



 そろそろ本題に入ってゆこう。やってはいけないとか、なってはいけないとか、こうなったらどうしようと意識することは、こうありたいとか、こうなりたいと願望することとほとんど変わらない強い力だ。負の力(オーラー)が強い分天秤にかければこちらの方が勝つだろうな。



 人は人間になる前に(自己の意識が芽生える)かなり多くの禁止事項学習する。あれはいけない、これはだめだ、それもこれもだめだめだめ。言葉にはされなくても物心ついた頃はそういった柵の中に閉じ込められている。多分意識はされないかもしれないけどね。あまりこれはいい、こうしよう、と誉められておだてられて育つことはないのだな。親とか家庭と社会とか組織とかいうものはそういったものだろう。私の家はそういった意味ではかなり放任主義ではあったのだけれど、だからこそ反対に目に見えない大いなる力で説き伏せられているような妙な圧迫感があった。



 不安とか心配の大元は自分の心の中にある。それは天が落ちてきたらどうしよう、明日のパンがなくなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、おろおろするだろうか、恥をかかないだろうか、そんなところから出てきているように思う。なんとも暇な話だ。



 とりとめもない話の展開になってきた。今日はここまでかな。

 

 



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