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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

青春グラフィティー - 2008.12.12(ポケットの窓から)







はる 2733

 ゆうちょ銀行なるものに口座を開いた。開いたのはいいのだけれど、手続きが終ったと連絡があるまでニ三日かかる。でその後振り込み用紙の印字されたものが来るまでまたに三日かかる。なんでそんなに手間ひまがかかるのか。納得いかない。電信扱いで振り込めば手数料は500円以上かかる。銀行なんかもそうだけれど、利用者は言われたままだ。明治や大正時代でもあるまいに、システムがどうも上手く稼動していない。



 例えばDMを郵送する。10枚でも100枚でも1000枚でも割引がないというのもオカシイ話だ。定型などといってやたら厳しい規格も融通がきかない最たるものだ。民営になってもなかなか改まらない。まぁ郵政の民営化はあまりいいとも思わないけれど、システムをもっと活性化させて欲しいのは間違いない。



 閑話休題

 学生時代の話をしようか。下宿先のアパートは六畳一間に一畳ほどの台所が着いていた。フロはなくてトイレは共同だった。二階建ての六部屋で、聞くところによると古い学校の施設を移築したということで、売りは出窓になっていて一見古い洋館のようにみえる建物だった。家賃は七千円で雑費を入れても一万円でお釣りが来た。当時でも格安の物件だった。



 最初は私だけだったけれど、段々に勧誘して絵を描く住人が増えて最終的には六部屋中五部屋が絵を描く仲間だった。ここでの生活は抱腹絶倒、漫画より面白い話が山とあり、私の遅い青春グラフィティーであることは確かなことだ。



 教育学部の美術科には同級生が10人もいない。一年から四年まであわせても30人ぐらいのクラスだ。まぁ美術科といいながらも幼児教育から高校の専門の先生の養成コースまであるわけで、美大とか芸大の専門家コースを頭に入れてくるとがっかりするだろう。授業は小中高の美術の授業のあらゆる事、絵を描く事はもちろん、染色やら彫刻、版画、デザイン、焼き物や彫金なんでもありで、好きならばこれほど楽しい専門の授業はない。



 当時は卒業論文などなくて絵画を専門に選んだなら、100号クラスの作品を一点描く事で卒業制作ということで評価された。だから四年生までに自分の専門を選ばなくてはならなかった。今はどういうシステムになっているのか知らない。



 私がこの学校に入学したのは25歳になっていた。一度社会に出てやきものの工房で絵付けをしたり、フリーでバイトしながら絵を描いたりしていたもので、こうやって働かずに奨学金もらって絵画描ける環境が嬉しくて仕方なかった。学生のうちは出来るだけバイトもせずに絵を描くことだけに専念したいと思っていた。授業で絵を描く事だけでは勿論不足だと考えていたので、夜は暇だったので仲間を集めてモデルを頼んで出来るだけ人物を描くようにしていた。



 まぁ絵描きというのがどういうものか、はたしてこの学校を卒業して絵描きとしてやってゆけるのか、多くの先輩はこの地方で学校の先生をやりながら絵を描いていたけれど、絵描きになったという人がいるなどと聞いたことがない。普通に考えてまず定職として学校の先生を選ぶ。そのなかで趣味の延長上で絵を描いてゆく。そう考えるわなぁ・・。卒業する頃になると普通に採用試験の勉強をしていた。妥協案としてそれしかなかったからね。絵だけ描いてゆくという勇気もなかった。



 後は何回も書いた。又今度。



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