FC2ブログ

あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

ダイナミックなもの・ある種の力・生命・いのち - 2005.04.17(日記)
闘病記14 完

0509s

「ダイナミックなもの・ある種の力・生命・いのち」

はる 1399
 知り合いの絵描きが南アルプス市の桃源郷美術館で個展をやっているというので、朝からついでに有名な白州の神代桜でも見ながら行ってくるか、と弁当を持って出かけた。

 さすがに桜の盛りのシーズンは終わって、もう葉桜になってはいたけれど、それでも多くの観光客がぞろぞろ歩いていた。それはそうとにわかに観光地になった地元の人や桜本人には、迷惑なだけの話だろうな。二千年も前からそこにいた訳で、何で今ごろ騒いでいるの?ってな感じだな。

 郊外は今とても美しい。桜はもう散ってしまったけれど、それに代わる新緑がモヤモヤと萌えてきて、そのちょうど暖色と寒色が適当に混ざって、快よく感覚を刺激する。

 この間東京の桜並木を観たけれど、自然のなかだけが美しいのではなく、人工のなかのある種の不自然な統一感もまた美しいなとおもった。東京などの大都会になると、結局はどう合理的に住むかということが優先されるわけだから、自然であるということよりも便利であるという選択もあながち<間違いではないだろうな。

 ところがこういった地方の極自然環境の豊かな地域で、例えば古い田舎やの隣にスペインかわらの赤茶けた屋根があると、かなり違和感を覚える。確かに流行で手ごろなのがそういったたてものかもしれないけれど、建物は風景の一部でなくてはならないと思う。

 例えばインテリアや壁の色、屋根の色などなど、最近はどんなものでも選ぶことができるようになった。けれど、問題はそれを選ぶ場合、何を基準に選んでいるかということなんだな。

 それは多分何かの雑誌のグラビアだったり、憧れのどこかの国の町だったりするのかな。てんでに好きなものを選ぶ。例えばカタログを持ってこられて「どれがいいですか?」といわれれば、ほとんどはじめて壁の色を考えた人は戸惑ってしまうだろう。

 各自が好きずきで選んでしまうから、何でもありのでたらめな町が出来てしまうのだ。最近やっと少し街並み、景観についての意識が出てきたけれど、やや遅しだな。もうすでに日本の住宅はあと10年もすればガラクタの展示場のようになるだろう。

 街並みはその国の文化意識、のあらわれだと思う。建築家も含めて、てんでばらばらに考えて自己主張していてはだめだろうな。何か大きな目安、理想、意識することが・・これはまぁ生き方ということにも関わってくるのだろうけれど、必要だと思う。

 それはたぶん、百年前までは親から子へ、子から孫へと自然に伝わっていたものだった。ところが何時の間にかこの国には家族にそういった機能がなくなってしまった。無くなってしまったからそれに代わるものが必要なんだけれど・・。

 何も無い、無国籍である。というのも一つの選択なのかな。どう思う?

 ではまた明日。  

comment(0)

 
secret


カテゴリ
アーカイブ
シンプルアーカイブ
月別アーカイブ
プロフィール

あそびべのはる

Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

リンク
このブログをリンクに追加する
カテゴリ
ポケットの窓から (4075)
未分類 (209)
日記 (942)
ベッドの上の王国 (15)
裸婦クロッキー (166)
作品 (238)
写真 (69)
今日のアトリエ (84)
「家族ごっこ」挿絵 (10)
未選択 (45)
ブログ (58)
you tube (102)
原発 (75)
イタリアスケッチ (21)
画集「こたえてください」1 (24)
「こたえてください」2 (6)
「山峡」挿絵 (7)
動画 (7)
フリーエリア

designed by まて