
闘病記11・つぼみはる 1396
昨日国展の搬入だった。ということでアトリエからでかい絵がでて広くなった。まぁまた一ヵ月後にはもどってくるのだけれど、とりあえずおさらばですな。
広くなったアトリエに小さいパネルがトコトコとならぶ。もうすでにかなり地塗りされているもの、古い作品をつぶして上からまた絵の具をたらしてあるものや、もう一枚布を貼りこんだものや、泥絵の具をかけたものなど、色々だ。実はこのあたりが一番楽しいかもしれない。
私の絵のかき方は、普通は寝かせて描く。なぜなら水性のために洋画のように立てかけて描くと流れてしまうからです。そういったところも日本画に似ているかもしれませんね。これといって何を描くのかきまっていません。とにかく自分の中でこれだと思う色や形が出てくるまで待ちます。待ちます。何も出てこないことの方が多い。才能ない。
昨日寝ながら藤沢周平のあとがきを読んでいたらこんな部分があった。
「・・この程度のヒントで書き出す小説だから、書き始めた時点では結末までわかってないことが多い。・・書き手が無責任なことをいうようだが、短編の楽しみは書いていて何が生まれるかはっきりしない、そのへんにある気もする。・・」
読んでいながら、何かうれしかったなぁ。著名な作家とくらべるのはおこがましいけれど、何処か似ているところがあるんちゃうか。
わしらは何処か自分の才能信じてないところがある。いや自分が出すぎるとオモロナイんやな。これやないと思ってしまう。もっと突き放して任せてしまって、ちょっとした拍子にキラッとしたものが見え隠れする。そんなもんがものに出来ればいいやないかなと。一生でけへんかもしれんけどな。まぁええやんか。
芸人は巫女さんみたいなもんで、自分の力やのうてあちらさんの力でかかせてもらうといったことやろか。ようわからんようになってきた。ほなまた明日。さいなら。