神戸・個展DM
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はる 2559
子供の頃「明石の三吉」という、今から考えると乞食だったのか、浮浪者だったのかよくわからないけれど、確かに歩き方も奇妙だったし、まともに人と会話しているのも聞いたことが無い、そんな奇妙な男がいた。
不思議な事に彼は多くの人に可愛がられていて、何か芸をするわけでもないのに、家々をまわって残り物をもらったり、着る物をもらったりして何とか暮しているようだった。
彼の歩く姿がヒョコヒョコと面白かったので、子供たちが囃したてて真似をして歩いても、本人はまるで気にするようすも無く、かえってまわりの大人たちにたしなめられたりして、面白くなかった。
昨日の木食さんなどを見ていると、この国にはそういったある種の行者というのか、漂泊者みたいなもの、弱いもの、傷ついた者を暖かく見守るというのか、いずれは自分たちも向かうであろう旅の先人と見ているようなところがあったのではないかなぁ。深いところではある種の無常感であり、貧しかったけれどそういった者を許容するゆとりがあったのだろう。
能率とか効率だけを考えた、非常に高度な隙の無い社会ではどこかで人は疲れてしまうのではないかと思う。例えば人生の目的とか、意義とか、意味とかを真剣に考えればかんがえるほど、答えのない問いかけであり、その底なしの沼を覗いてしまうとなかなか抜け出す事ができない。
いつの時代も若者にとって社会はある種の抵抗勢力ではあったのだけれど、今ほど魅力の無い、人生をかけるべきものが見つけにくい時代は無かったように思う。確かにこの国は見かけ以上に病んでいる。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館