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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

フラクタルの法則 - 2008.03.20(今日のアトリエ)
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写メ「今日のアトリエ」

はる 2470
 「永遠の故郷6」
 今日も又吉田の爺さんの話が新聞に載っていた。1930年ごろの学生の頃の話。バッハの「パッサカリアとフガ」のレコードを恩師の蓄音機で聴く。何と一緒にいたのが中原中也だというのだから凄いな。感想を聞かれて「神様がいて何かを指しているようだ」といったとか。ふ~ん・・何か出来すぎだけど、あの94歳の爺さんだから許されるんだな。

 「音楽展望」というタイトルでありながら、もうほとんど小学生が書いたぐらいの簡単な文章になっていて、うつらうつら、あっちにいったりこっちにきたり、語り口は優しくて快い音楽を聴いているようなんだけれど、内容は芸術の本質をずばりと言い当てている。あそこまでになればもう何を言ってもカッコいい、そうなりたいものだ。

 ということで話を戻そうか。どこまでいったのかな、「おおいなる意志」の話からだった。

 絵画というのは一見自由な空間に見えるけれど、これも自分の意識内にあってある種の宇宙の理の範囲の出来事なんだな。神がこの世界を作ったように今度は私が彼に代わって世界を作るというわけだ。

 まぁこれに似た話も幾度となくここに書いたから新しくもないけれどね。でその理というのはいったい何じゃということだな。口で言うのは簡単だけれど、じゃどんなもんじゃ説明してみろといわれると、はたと困ってしまう。それが上手く説明できれば私はノーベル賞でももらえるのじゃないだろうかね。

 もう永い付き合いのお店がある。このお店は最初は四畳半ぐらいの大きさだった。色んなものが所狭しと積み上げられていて、無い物はないというのが自慢であったけれど、いつもどこにあるのか探すところから始めなければならない。長年の夢は店を大きくしてきれいに商品が並べられることだったんだな。

 で、何年か後、念願かなってお店が何倍も大きくなった。倉庫も出来てきれいに商品が並んでいる。けれどそれもさいしょの数ヶ月の話で、やがては最初の四畳半のお店が四つ分広がったかたちになって落ち着いた。まぁ私は気に入っているのでそれでいいのだけれど、話はその事が主ではない。

 自分の将来の姿というのは今の自分の中にある、ということなんだな。見えないかもしれないけれど、未だ眠っているのかもしれないけれど、その多くの場合は今の自分の延長上に将来の私がいる。

 昨日の話とつながるのだけれど、一日というのは自分の一生に似ている。で自分の一生は人類の寿命に似ているし、地球の誕生から終わりまでだし、この宇宙の始まりから終わりまでと似ている。

 で、この話は例のフラクタルの法則に似ていないか。自己相似性というやつ。この法則、簡単に言えば「部分と全体が同じ理でできている」ということなんだな。

 今の統計学なんかもそれを使うんだけれど、そう例えば商品の抜き取り調査でも、全部を調べないでもある程度ランダムにそこそこの数量を調査すれば全体が推量できるというもの。これは全体は部分と同じ確立で出来ているということの応用だな。選挙の当確予想も似たようなものだ。

 で、話は少しずれてしまったけれど、その理論から推測すれば私は小さな宇宙の模型ということになる。

 ということでまた。



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