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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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聖母と誘惑 - 2007.07.01(ポケットの窓から)
NEC_0057.jpg

写メ 「聖母と誘惑」

はる 2204
 「絵画の平面性」2
 物が確かにそこに「有る」ということは、百万語を労しても証明することはできない。「無い」ということは存外簡単なことなんだがね。それは「神」が有るとか無いとかというのと微妙に似ている気がするがどうだろう。

 物がリアルに存在するということが命題であるならば、触れることができるような、物の三次元的な立体感というのはどうしても必要不可欠なことだ。西欧の絵画が目指したのはあくまでも物のリアリティであって、物そのものが「確かにそこに有る」ということを描きたかったのではないかな。

 それもまぁルネサンス以降の話でね。それ以前の絵画、例えばジョットの壁画なんかをみても、東洋の壁画と差して変わらないような空間の描き方だ。どちらかと言えば平面的で物のリアリティーよりも物語性とか荘厳な感じとか気分とか雰囲気なんかを第一義にしている。まぁ技術的な問題もあるのだけれどね。

 物をリアルに描きたいという欲求は確かにある。見えたままそっくりに描きたいという気分はわからないでもない。それがいわゆる肖像画的な似顔絵的な写真的なリアルさなのか、洋画風なボリュームを持ったリアルさなのか分かれるところなんだけれど、村上隆や奈良よしとも?などのアニメやイラスト、漫画的絵画が世界的なブームになって来たということを考えると、時代の軍配は明らかなように思える。

 話がまたよからぬ方に入り込んできたので戻すと、「なぜ平面性か」ということだ。

 絵画に物のリアリティーが求められなくなった時にその存在意義が問われることになった。時代は市民の時代になって自由を謳歌するような、明らかに一つ前の暗い時代ではなくなっていたことも、芸術家という何も生産しない高踏遊民族を容認する雰囲気も手伝ったように思う。

 絵画の分解が始まって、最初は色彩について印象派の画家たちによって色の点にまで分解させられた。全ての色が対等の価値をもち同等に主張する。音楽でいえばキーのない音楽でラベルとかドビッシーなどの印象派の音楽ということになる。やがては12音階のストラビンスキーなどの現代音楽に行き着く。

 線や面も同様に解体がはじまった。見えた通りそっくりそのままの形が写真機で再現できることが分かった。それを利用すれば難なく誰でもがそっくりな絵を描くことができることが分かった。その方法はこういうことだ。

 与えられた面をジグソーパズルのように全て不定形の色面に分けたとする。最初は二つにそして次には四つにと段々に数を増やして行けばやがては無段階の写真のような画像ができるというわけだ。

 つづく



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