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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

裸婦クロッキー3 - 2007.06.26(裸婦クロッキー)

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裸婦クロッキー3

はる 2201
 一日で復活した。ただし今度は私のHP上にあるのでトラブルは少ないと思う。

 デッサンは苦手だ。うまくない。だから裸婦デッサンもこうやって何年も続いてやれるのだと思う。うまい人はすぐにマスターして飽きてしまうのだろう。私などいまだに鉛筆の持ち方はどういった持ち方が一番いいのか、などと研究?しながらやっている。

 何でもそうだけれど、簡単にうまくゆかない方が続けられるということがある。いろいろと工夫するからだろうな。そういうと謙遜にとられるけれど、そうではない。

 字を見るとだいたいその人が器用か不器用かわかる。その人の生来の癖や気性みたいなものが、ぎゅーっと凝縮されているように思う。ペン習字などで矯正したり、意識して書かれた文字からはその人の個性を見つけるのは難しいけれど、素の意識されない文字の中にその人の多くの情報が入っている。

 私の字は小学生の低学年ような字だ。こうやってパソコンで文章が書けるようになってやれやれと思うのは私だけではないだろう。漢字も知らないことが多い。だから基本的に書けない字はここでもひらがなで書くようにしている。だからやたらとひらがなの多い文章になる。

 話は戻ってデッサンについて。

 私は本格的に受験用のデッサンの修行をしたことがない。まぁほんの少しそれらしきことをやったことはあるけれど、幸か不幸か、美大受験のデッサン修行と言われるほどの苦行をしたことがない。

 洋画のデッサンはどちらかといえば立体を如何に平面に表現するかということの方法だ。なぜならこの立体を表現するということに、洋画の伝統のすべてが入っているといっても過言ではないからだ。

 遠近法から始まってその立体の構造とか、面の方向、流れなど徹底的に理論的に組み合わされる。またそれがよく理解できない人には洋画風のデッサンはできない。

 はっきり言って私にはこの立体を把握する力というのが極端に弱いきがするなぁ。だから把握できないものは描けないわけで、洋画には向いていない。何年も裸婦デッサンにかかわっているけれど、いまだにコツが理解できないのはそういった能力が欠落しているということだろう。

 反対にというのか、どこまでも線的、平面的、に解釈しているところがある。絵画というのはセザンヌではないけれど「一定の秩序によって置かれた色の集まり」と考えれば、確かにそうであって結果的には立体に見えるけれど、意識としては「点の集まり、奥行きのない面の集まり」と考えてもいい気がする。

 日本の漫画・アニメーションが世界で評価されるというのも、印象派が日本の版画に影響されたというのも同じ原理だと思う。つまるところ西欧の立体表現というのと、日本の線的、平面的な表現との違いということだろう。

 少し前に書いたけれど、我々がなかなか自分の考えで表現というところまで行けないのは、たぶんに大事な時期に無理やり、西欧型の受験デッサンを押し付けられているからではないかと思う。

 我々のDNAにはないものであって、反対にそういった眼をもった人間は自分たちを異国人の目で見てしまうのではないかな。

 自分の言葉で自分のことを表現しようと思うならば、自らにあったデッサンの方法を獲得する必要があるのではないかと思う。



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