
1998「こたえてください」S100 混成技法
第72国展
山梨英和大学蔵
・・・・・・・・
95から96にかけてイタリアを起点にして、ヨーロッパ諸国を一年かけて旅してまわった。そのことが大きなきっかけになって絵を描くスタイルが大きく変わった。それまでのキャンバスに油彩というオーソドックスな油彩画のスタイルから、身の回りにある布とか段ボール、木や土などを画材として画面に持ち込む今のスタイルになった。そのことを少し書こう。・・・
絵を始めた時に何故油絵だったのか?たぶん当時は何も考えずにただ単に油絵がかっこいいからと選んだように思う。日本の油彩画の歴史を考えてみると、油彩画は西欧の優れた科学技術のひとつとして入ってきた。まぁそれだけではなく、仏教や漢字など私たちの感覚として今もそうですが、優れたものは海を越えてやってくるという共通認識がある。舶来物という言葉がそれをよく表している。ジャニーズ問題もそうですが、海外からのメッセージにはことごとく弱いというのは我々のDNAに舶来物はいいものだという誤った認識が埋め込まれているからのように思う。話がそれた。
油彩画は科学だというのが最終的に至った結論だ。ダビンチを上げるまでもなく、西欧のそうそうたる画家たちが目指したものは、印象派が出て来て大きく変わったのだが、如何にリアルに臨場感を表現するかという事だ。反対に言えばそういったリアルな臨場感を表現するには油彩画は非常に適した画材だということだな。印象派以降の生乾きの上に殴り描きする描法は油彩画には適さない。ふり返って私の表現を考えてみる。西欧の伝統的なリアルな空間を表現するのであれば油彩画のメチエを徹底的に研究して発表すればいい。そうでないなら油彩画にこだわることはない。今を生きる我々が今手に入る身近な物を材料にして表現する、それが現代を生きる我々の美術ではないか。
もう一つは何を表現するのかということだな。絵を描くことを一生の仕事として選んでまぁ命を削って描いている。食べるためだけなら他の仕事をした方がいくらもましだろう。それでも絵を描くことを続けるのは表現したいというやむにやまれぬ欲求があるからだな。その表現が自分とは全く関係ない意味もない山や川や美人画を描いても満足しないだろう。切れば血の出るような生の表現をしたい、できるなら多くの人の心に届く、今を生きる我々の言葉を届けたい。巻き込みたい。そう思った。
この「こたえてください」という絵はそんな生の気持ちをダイレクトに表現したものだ。