
はる 7087
「上手さを捨てたら何が残るだろうか?」という問いかけを受けた。考えながら書いてみよう。
絵を描き始めた頃はやっぱり上手になりたいというのが大きな動機付けだったよな。いまでも決して上手ではないけれど描写するという事ではそこそこ出来るようににはなった。けれど、あの細密描写の巨匠のようには描写はできないけどね。徹底的な描写にはそれにあった資質が必要なんだ。描写の技術を追求するという方向には私の興味が向かわなかったということか。
もともと職人的な絵描きになりたいとは思っていなかった。画家はそれはそれで素晴らしい仕事だとは思うけれど、例えばパン屋さんとか大工さんとか左官屋さんみたいな職人仕事として絵を描きたいとは思っていなかった。そのことがそれほど魅力的な仕事には思えなかった。それなら覚悟を決めて職人として弟子入りすればいい。昔は画家はそういった職人工房だった。
絵が上手いというのはある意味先天的なものだ。それに出来るならばもっとダイレクトに心を揺さぶりたい。絵が上手であるとかうまいというのは誉め言葉ではあるけれど、極ごく表面的なことのように思えるのだな。人は何故絵を描いてきたのかということにもつながって行くのだけれど、もっともっと心の奥底にあるものを表現したかった。そうするとある意味で潜在意識みたいなところまで下りて行かなければ見つけることができない。
「考えることが好きだ」ということがあるかもしれん。自分の生き方なんだけれど、いつもああでもないこうでもないと考えている。考えることがそのまま絵にならないだろうか。そういった問いかけるスタイルがそのまま絵にならないか。
一番は自分を知りたかったということがある。何故絵など描いているのか?絵を描くことで何を表現したかったのか?絵を観た人に何を伝えたかったのか?絵を描きながら考えたかった。そのこととモノを描写するということがイコールではなかったということかな。描写することの面白さは充分に分かっているつもりだけれどね。上手い絵描きではなく上手い表現者でありたいということか。
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