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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

- 2019.12.31(ポケットの窓から)


はる 6816
 おせち料理と年越しそば。
 いよいよ、今年も最後です。みなさんまた来年。お元気でお会いしましょう。



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- 2019.12.30(ポケットの窓から)


はる 6815
 明日で今年も終了です。いろいろありましたが、また来年もよろしくお願いいたします。



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いも - 2019.12.29(ポケットの窓から)


はる 6814
 88年に初めて東京で個展を開催した。もちろん貸し画廊というシステムは知っていたけれど、いったいいくらぐらい費用がかかるのか皆目見当がつかなかった。はっきり言って完全なお上りさん状態だな。前の年の夏に一人で資料をもって銀座の画廊を片っ端から見て回った。噂には聞いていたけれど、本当に100や200ですまないほど画廊が存在するだな。それもビルの3階とか5階とか、ほとんど知らないと誰も来ないようなところに貸し画廊はある。こんなんでやって行けるということはそれだけ需要があるということで、凄いもんだと感心した。

 今から考える、これらの画廊はスペースを貸している箱やさんで、画商ではない。利益はスペースを貸す絵描きから取るわけだから、需要があるのはそれだけ絵を描く人がいるというだけなんだな。趣味で絵を描いてお金を出してスペースを借りて展覧会をするそういった人たちがほとんどだということをその後知った。

 まぁ最初から知らない人にどんどん売れるような絵なら画商さんも商売だから触手を伸ばしてくるだろう。今もそうだけど、私の絵はそういった絵ではない。最初の画廊のオーナーとはその後、食事に行ったり随分と仲良くしてもらって、その後5回ぐらい個展をさせてもらった。もちろん貸し画廊としてだけれど。まぁほとんど身内にしか売れなかったけれどね。

 オーナーが言ってたことを思い出す。自分のファンを増やしてゆくこと。ある程度定期的に発表を繰り返すこと。すぐにファンが着くものはすぐに飽きられる、じっくり自分の絵を描くこと、我慢すること。などなど。今になってその通りだと思う。今もそんなには変わらないけれど、何とか続けてやって行けているのはそこがあったからかな。その画廊は今はない。

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夕陽 - 2019.12.28(ポケットの窓から)


はる 6813
「こたえてください」③
 人は何故絵を描いてきたか?まだ文字を持たなかったころ、絵を描くことで意思の疎通をしただろうし、明日の天気や食べるものが豊作でありますようにとか、子供たちが健やかに育ちますようにとか、そんなことを洞窟の壁だとか家の柱に目印として刻んだかもしれん。人と動物の違いはいくつもあるだろうけれど、決定的に違うのは自分の命に限りがあるということ知っているということだろうか。


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今日のアトリエ - 2019.12.27(ポケットの窓から)


はる 6812
「こたえてください」②
 絵を描き始めてからずっと疑問に思っていたことは、例えば学校では風景写生とか花を並べて静物画を描きます。最初はデッサンとか明暗法とか配色なんて知らないわけだけれど、まぁいろいろ勉強しているうちにそこそこ様になってくる。普通はそこまでだな。

 学校で勉強するといっても基礎的なことは誰がやっても同じことで、それ以上は自分で探すしかない。私が疑問に思っていることが全ての人に共通する疑問ではないからだ。人は自分の度量でしか物事が見えない。特に芸事というのは奥が深くて自分が今いる位置でしか理解できないのだな。何でもそうかもしれんけど。

 私が思っていたことは奇麗な花や風景もいいけれど、もっと切実な表現をしたかった。今自分が直接悩んでいることや、疑問そのもの絵を描くという場に持ち込んでダイレクトに観る人に訴えたかった。またそうでなければ絵に一生をかける意味もない。単に壁の飾りを描く職人仕事で終わりたくなかったんだな。

 しかし、今の風潮のなかで絵画の領域というのはそこまで求められていないわけだ。絵画にはもうそれだけの力がない。まぁそれはそれで仕方ない。私はあくまでも自分なりの表現ということにこだわって行こうと考えた。できるかどうかわからないけれど、分からないことを絵を描くことで探してゆくという方法をとることにした。そうやって一生問いかけるそれでもいいと思った。

 「こたえてください」というのはそういった私の根源的なモチベーションを表しています。このタイトルを思いついたときは震えるくらい興奮した。問題の解決を提示するのではなく、答えを求めるそういう姿そのものが絵を描くということなんだと思った。

 それまでもかなり宗教的なテーマで絵を描いていましたが、まだ自分の言葉ではなかったんですね。どこかから借りてきたよそ行きの言葉を使って気分のことを語っていました。そこそこ絵にはなっても人の心をつかむまでは至らなかったと思います。




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松屋DM - 2019.12.26(ポケットの窓から)

はる 6811

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聖母 - 2019.12.25(ポケットの窓から)


はる 6810
 カミさんの熱もだいぶ引きました。今年の風邪は高熱が続きますね。気を付けてください。
「こたえてください」①
 私はクリスチャンではありません。聖母像とかイコンのような画像を描くことが多いので聞かれることが多いのですが、キリスト教に帰依しているわけではありません。ですが、聖書の逸話から絵にすることも多いのでそう取られても仕方ありませんね。千手観音のような仏画を描くこともあるし、もっと原始的な洞窟の壁画のようなものも絵にします。そこらあたりのことをまとめておく必要もあるかな。

 私のテーマは基本的には一つです「こたえてください」です。それに派生して「おおいなるもの」と「いのりのかたち」というのがあります。イタリアから帰ってきて油彩画をやめて水性の混成画に移行しました。油彩を描いているときにもやや宗教的なテーマを扱っていましたが、もっと自分の足元をみつめた描き方がないものか、テーマがないか探していました。油彩画というのはどうしても西欧の画材であって、例えばフランドル地方のファンアイクが油彩画を始めたといわれていますが、そういった西欧独特のキリスト教的な風土から油彩画が出てきました。その後ルネサンスを経て科学的な遠近法なども取り入れて油彩画は絶頂期を迎えます。

 我々東洋人がこの油彩画に触れたのはやっと150年ぐらい前の明治の初期です。西欧の科学技術の一環として入ってきました。ですから最初の学校は工部美術学校だったのです。彼らは本当に徹底して真面目に西欧の油彩画を学びました。当然本場に留学する人たちが出てきました。黎明期の素晴らしい作家たちが出t来ます。当時の社会的風潮は脱亜入欧でアジアの遅れた文化文明を捨てて西欧の先進的な技術を学ぼうという涙ぐましい努力です。その甲斐あって技術的にはとびぬけた人たちも出てきました。

 ところがその技術を使って何を描くか、ハタと困るわけです。具象的な観音さんを描いた人もいましたが、どうにも様にならないのですね。そこのところは我々も同じだと思いますね。油彩という西欧の道具を使ってどう我々の精神なり文物風土表現するか、まぁ言ってみれば現代にまで続く大きなテーマなんですね。

 続きはまた明日だな。


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チェロ - 2019.12.24(ポケットの窓から)



はる 6809
 音楽は絵を描くよりも好きだったな。今絵は生業になっているのでよくわからないところもあるのだけれど。好き嫌いだけで言うなら音楽の方が好きだ。だからと言って人様に聴かせるだけの腕がある、才があるということではない。いやだから好きな趣味でいられるのかもしれんな。これが飯のタネになるならたぶん苦痛だろう。

 芸の才というのはたぶん一代では花開かないような気がするな。特に音楽など、かなり小さいころの生活環境によるところが大きい。身近にピアノでもあれば別だったかもしれないが、子供のころの環境は長屋にすし詰めで暮らす貧乏役人の家族だった。まぁ旅芸人の越後獅子あたりがいいところだ。親父は浪曲が好きだったからな。

 小学校の高学年の頃に学校に消防団の吹奏楽団がやってきて、マーチングパレードをやった。これがめちゃくちゃにかっこよかった。中学生になったら部活はブラスバンドをやると決めていた。譜面が読めるようになったのもブラバンのおかげだな。部活が楽しくて、中学校は部活をしに行くといっても過言でない状態だったな。夏休みもほぼ毎日行ってたのじゃないだろうか。ところが残念なことに三年の時、熱心だった部活の顧問が転校してしまった。ショックだったな。初めてクラッシックのコンサートにも連れて行ってもらったり、先生の自宅に招待してもらったり随分とよくしてもらった。

 ブラスバンドのコンクールなどにも初めて参加した。インクのにおいのする新しい譜面をもらった時のワクワク感はよく覚えている。これを半年ぐらいかけてゆっくり仕上げて行く、そんなのも楽しかった。何かいっぱしの音楽家になったようでうれしかったね。「マイフェアレディー」とか「ペルシャの市場にて」などいまでもよく覚えているな。

 神戸で初めて個展をしたときにこの中学校のブラバンの連中が来て、うだつの上がらない第二クラニネットの花屋の息子と楽団のマドンナが一緒になっているのを知ってびっくりしたな。うらやましくもあった。みんな遠い昔だ。

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救急 - 2019.12.23(ポケットの窓から)


はる 6808
 カミさんが昨夜から微熱状態。今朝は比較的に小康を保っていたけれど、夜になって熱が上がってきた。インフルエンザが流行ってきているのでちょっと心配になって救急に行くことにした。何年か前に同じような症状で救急にいくと鼻の粘膜に綿棒をいれて検査した結果、めでたくインフルエンザAと判定された。今回も熱が非常に高いので、たぶんインフルじゃないかと危惧した。

 いつも行っている病院が割と近くにあるというのは安心できる。手続きや診察の手順が分かっているだけでも安心だな。これから夜とか日曜日とか普通に休診のときどうするのか、救急車手もあるけれどそれは最後の手段だな。

 以前土日に歯が痛んで休日治療を受けたことがある。これもいざというときどうするか調べておくのも安心材料になる。甲府の場合歯医者は休日でも診てもらえるシステム(武田通の歯科医師会館近く)ができているよ。あと夜間の救急病院というのも利用できる。以前の市立病院(南甲府駅の近く)のあとに出来ている。これはけっこう便利。詳しくは調べてみてください。

 調べた結果インフルエンザではなかったようだ。まずは安堵。


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- 2019.12.22(ポケットの窓から)


はる 6807
 画像飛ぶときには何枚でも飛ぶので困ったものだ。
 ここは小淵沢のとあるレストラン。冬場は閉じてしまうので今日が今年度最後の営業ということで、雪が降るまえに出かけた。今年は二回目ぐらいではなかろうか。

 ロケーションも抜群で、夏場は雑木林の中にある高原のレストランでお客さんも結構遠くからやってくるようだ。何だろうな、今年で23年になるそうだけれど、けっこう初めのころから顔なじみになってよくしてくれる。まぁそれが一つの営業なんだろうけれど、個人のレストランはそういった顧客を大切にすることから始まるんだろうな。それでなければファーストフードとかファミレスに流れてしまう。値段だけならね。サービスというのはそういうことじゃないかな。

 これからは大きく二分化されるだろうね。百円ショップに行けばかなりのものがグレードさえ気にしなければ用意することができる。文具なんかまともに買うのがばかばかしくなる。ユニクロなんかもそうだけれど、かなりのグレードのものを安い値段で購入できる。日常で使うものはけっこうそれで済むんだな。でもそれだけじゃ何か物足りない。

 特別なもの、記念になるもの、心の糧になるものにはうんと贅沢をするとか。
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- 2019.12.22(ポケットの窓から)






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コーヒー - 2019.12.21(ポケットの窓から)






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ブログ - 2019.12.21(ブログ)
はる 6806
 年末に個展がないというのもあわただしくなくていいものだな。半面ややさみしいところもあるけれどね。

 どうも、画像が飛ばなくて間が持たないね。

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- 2019.12.20(ポケットの窓から)






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- 2019.12.19(ポケットの窓から)


はる 6804
 クリスマスのデコレーションは楽しい。もうすぐ70になる爺さんばあさん夫婦だが、いつまでもこういう遊びごごろは持っていたい。飾ってまた仕舞うのが面倒なんだけれど、まぁ仕方ないよな。少しだけど電飾もする。寒い夜空にきらきら光る電飾は子供頃から好きだった。

 こういうクリスマスの飾り物というのは特別だな。クリスチャンであるとかないとかほとんど関係なく、世界中で愛されていると思う。またこれが年末の寒い時期でないと似合わないんだよな。



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- 2019.12.18(ポケットの窓から)


はる 6803
 この写真は二日ほど前に送った写真ですな。なんと時差が二日もあります。電子というのは光と同じと考えると、1秒に約30万km二日は約17万秒だから51000000000km。私のスマホを出発して気の遠くなるような旅をして帰ってきたことになる。おかえりなさい。




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窓辺 - 2019.12.17(作品)

はる 6802
 昔々、今から40年も前になります。六畳一間のアパートに住んでいました。ベットは半分押し入れの中に突っ込んで、そこで無理やり絵を描いていました。古いアパートでしたが、洒落た出窓になっていて、拾ってきた瓶や貰った花がいつの間にか枯れてドライフラワーになったものや、何かしら面白そうなオブジェを飾っているという意識もなく置いてありました。

 午後からの光が逆行になって緩やかな諧調をつけている。いつかここを絵にしてやろうと思っていた。その頃はまだ写生に少し自分のイメージを乗せて描くぐらいしかできなかったので、なんとか見たままではない絵を描けないものかと四苦八苦していたころです。

 見たままを描く写生から、自分なりの絵を描くにはかなりの意識の転換が必要です。写生を続けていれば、やがて自分なりの表現ができるようになるか?といえばなりません。見えたままいくら描いても写生が上手くなるだけで、自分なりの表現にはならないのです。写生と自分なりの表現の間にはかなりのギャップがあると思います。

 自分の表現というのは人に教わるものではありません。ほんの少しアドバイスが参考になるかもしれませんが、基本的に自分んで見つけなければ自分の表現にはならないのです。自分で見つけない事には、何かそれ風に描いたとしてもやがてはメッキが剥げて自分の言葉になってこないのです。たとえ稚拙でも下手くそでも自分で探し出したものには人を納得させるものがあるのですね。

 例えば人にものを教える場合もそうです。どこかで聞きかじったような正論を語ってもなかなか人には伝わりません。自分で見つけ出した言葉には真実があるんですね。言葉を探すのもよく似ています。

 この絵にはそんな想い出がたくさん詰まっています。

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ブログ - 2019.12.16(ブログ)
はる 6801
 この町には組という自治会組織がある。大体15軒から20軒ぐらいが一つの組になる。何かたいそうなことをやる訳ではないが、有価物をあつめたり、河川の清掃をしたり、春には花見をやったり、夏には盆踊りを企画したりする。

 今日は来年度の役員の改選で、今回もまた文化教養部という役をやることになった。まぁ仕方ないか。面倒だけれど。

 私の組には18軒あったのだけれど、だんだんと少なくなってきた。高齢化だな。空き家も増えてきた。大体が私が一番若手であるということ自体すごいことで、推して知るべしだな。周りはジジババばかりで子供はほとんどいない。

 ところがつい最近若い夫婦が引っ越してきた。結婚したばかりで、その夫婦に最近子供ができた。老人ばかりのご近所に子供の声が聞こえるというのは随分久しぶりのことだ。こういうのって異常なことだよな。地域に子供がいない場というは恐ろしい歪な状態だ。

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- 2019.12.14(ポケットの窓から)


はる 6799
 チェロの発表会と自分の版画の作品展を兼ねたコンサートが行われた。といってもほとんど身内の忘年会のようなものです。広く一般に公開したものではありません。

 今年は夏に旅に出ていたということもあって、例年行われる八ヶ岳での教室の発表会に出席できなかった。そう言うこともあるのか年末に忘年会を兼ねたコンサートをやろうということになってその後ろに私の版画を飾ることになった。

 チェロはもう20年ぐらいやっている。一向に上手くはならないが、それでも楽器を触っているのは適度に息抜きになって楽しい。こうやってコンサートなどをやるとよくわかるのだが、普段練習でどれだけうまく弾けたとしても本番ではその実力の三分の一も発揮できない。プロと比べるのはおこがましいけれど、人様に聞かせるには楽器を抱いて寝るくらいやらないとダメ見たい。とてもとても人様には聴かせられないな。

 


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- 2019.12.14(ポケットの窓から)






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はる 6798 - 2019.12.13(ブログ)
はる 6798
 今日も画像が飛ばない。いい加減だな。
私の作品の「平均律」について猫の後ろ姿さんが書いてくれた。なんだか懐かしくてうれしくなった。ありがとうございます。
 
 

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- 2019.12.12(ポケットの窓から)


はる 6797
 今日はカミさんの誕生日でお祝いに簡単な食事に出かける。そのついでに近場のハーブ園によってみる。イルミネーションがなかなか奇麗だった。夕暮れ時のまだ空に色が残っている状態で対比がいいな。





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馬鹿 - 2019.12.11(ブログ)

はる 6796
 なんだ、このお子様ランチのような内閣は。こう決めちゃったもんね。みたいな。恥ずかしくてなくよくこんな下らんことを堂々と発表できるな。


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片付け - 2019.12.10(ポケットの窓から)


はる 6795
 かなりの量のキャンバスを枠から外している。しかし、今日スパッと指を切ってしまった。というわけでとりあえず作業は中止することになった。こういう仕事はけがと隣り合わせで、いつも気を付けてはいるのだが、ちょっとした気のゆるみで怪我をしてしまうのだ。まぁ仕方ない。二三日作業はお休みだな。チェロの練習もあるし、困ったもんだ。

 それにしてもまぁこれだけよく描いたものだ。しかし、駄作ばかりだ。謙遜で言っているわけではない。自分の能力というのか、限界をかんじるね。今までよく絵を続けてこれたものだと思う。どこかで自分を信じていたところがあったのだな。きっと認められる。きっと世の中に出れるとね。無駄な努力とは言わないけれど、がむしゃらにやってきたんだなと思う。いまになって少しは楽に見えるようになってきた気がするのだが、もう遅すぎるきもするね。

 これだけの努力があったから少しは残せるような絵もあるわけだ。と慰める。今回寄贈する作品群は私の40年の画業のベスト15だな。


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まれびと - 2019.12.09(作品)

はる 6794
   95年に一年かけて夫婦でイタリアを中心に西欧を見て回った。優雅な奨学金のひも付きの旅ではなくまったくの自前の旅で、仕事も何もすべて放り投げて帰宅後のことは全く考えない貧乏旅行だった。結果、油彩画はやめてしまった。もっと土俗的なアジアの風土を意識した絵作りをしなければということに気づかされた。そういったことで出てきたのがこの「まれびと」など風土神です。


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- 2019.12.08(ポケットの窓から)



はる 6793
 白川静「回想の九〇年」より  東西南北にはそれぞれを司る神がいて、そこから吹く風にはそれぞれ違った名前がついていた。


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今日のアトリエ - 2019.12.07(ポケットの窓から)


はる 6792
 日本のモノづくりみたいなものはどうなってしまうのだろうと危惧する。子供たちは確実に不器用になっている。カッター一つまともに使えないからな。というのは今回もそうだけれど、額縁をそろえるのに問屋さんに発注するわけだ。普通の大きさでなく、100号以上の大きさを10枚以上依頼することになるだろう。ところがもう国内では生産していないのだな。日本の会社なんだけれど人件費の関係かな、外国で作ったほうが安く上がるらしい。日本人の技術者が現地の人を使って生産しているらしい。

 今はまだいい。やがては完全に現地の人だけで生産されるようになるだろう。日本人に技術は受け継がれない。たかが額一つの話だけれど、これは額だけの話ではないよな。身の回りのあらゆるものが外国生産になっている。食べ物もそうだな。

 いったい我々はどういった国を目指しているのだろうか。何が幸せなんなのか、根本的なことをもう一度考え直さなくてはならないとことに来ている。

 誠実であるというだけが取り柄のこの国柄で、嘘つきがこの国を恥ずかしめている。


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聖なる丘・アッシジ - 2019.12.06(作品)

はる 6791
 この作品は1996年度のものでイタリアから帰ってきて最後に描いた油彩画の一つです。具象絵画です抽象的な絵作りも兼ねた自分の中ではいい感じの作品に仕上がっているように思います。こういった女性をモデルにした作品もいくつか描いていますが、うまくいった作品は少ないな。作品の出来としては代表的な平均律よりこちらのほうが、私なりの想い入れも含めていいように思います。メインテーマである「いのりのかたち」というのが画面の中からしみじみとにじみ出ている。

 その後作画のスタイルがミクストメディアになって油彩画を描かなくなってしまったから、ここら辺の作品は私の中でも貴重な作品だ。何も新しくないごく普通に絵画だけれど、それはそれでいいのじゃないかな。

 今回寄贈する作品の中の一点です。


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画集 - 2019.12.05(ポケットの窓から)


はる 6790
 FBの知り合いから画集が送られてきた。彼は脳腫瘍を患っていて、何回も手術を受けている。今回もその手術の合間に画集を作ったようだ。絵のないようは病気と関係はないのだが、普通にみればとても尋常な意識を持っているようには思われない。障碍者の美術アール・ブリュットのようにも見える。しかし彼は学校の先生をしていたわけだから尋常な精神の持ち主だ。

 私からみて尋常な精神を持った人間がここまで到達できるのは並大抵のことではない。どの絵をみてもきれいに破綻している。凄いなと思う反面、ここまで来てしまうとほとんどの人が理解できないのではないかとも思うな。一部の理解者だけが分かるわけで、そうなると何というのか決してメージャーにはなれんと思うのだな。草間彌生なんかはほぼ精神を病んでいる人間なので、アール・ブリュットのようなものだな。カトさんはそうではない。会ったことはないので正確には分かりませんがね。

 メジャーになるならないで仕事をしているとは思わないけれど、そうなると仕事として成立しないわけでそこのところが難しい。私のような半端な仕事の方が一般の人には理解しやすいのかもしれんな。これもまた難しい。


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庭掃除SM - 2019.12.04(作品)

はる 6789
 画像が飛んだり飛ばなかったり。非常に不安定になってきた。いいのかのブログは。

 毎日が飛ぶように過ぎて行く。年取るわけだ。何気にすごしている日常の中でも時々不思議な感覚に陥ることがある。あぁこの風景はどこかで見たなとか、こんな時間を前にも体験したなとか。そんな時すごく幸せな気分になる。私だけではないとは思うのだが。

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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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