
はる 6634
前回の文章を編集しました。
山本太郎さんの新しい政党から女装の教授安富歩さんという人が立候補を表明した。その記者会見をユーチューブで観た。この人の事はまぁ週刊誌的な記事で知ってはいたけれど、ほとんど何の興味も持っていなかったので、あぁ世の中にはそんな趣味の人もいるワイ程度の認識しかなかったね。
もっとも太郎君自身にもそれほど興味を持っていた訳ではないが、確か福一が爆発した時にユーチューブで色々発信していた。タレントにしては真っ向から権力に反抗していた訳で、段々と番組から降ろされて行き場がなくなって、それならばということで政治に直接動き出した。そこら辺の経緯は良く知っている。タレント上がりという事であまり好意的にはみられないで、キワモノあつかいであったことは否めない。
しかし、学歴も出目もけっしてエリートではない、だからこそ一所懸命勉強していくそのひたむきさはとても好感が持てるものだ。彼の演説をユーチューブでよく観るのだけれど、なかなか感動的な演説をする。いまの政治家で彼に対抗できる演説が出来る政治家はいないのではないだろうか。民主政治というのは如何に人を納得させる演説が出来るかということでしょう。まぁ鵜呑みにするのは危険だけれどね。
その彼が今度は自分の政党を立ち上げた。政党名は漫画のようで好きではないが、案外これからはイデオロギー抜きの○○組ぐらいの方が若い人たちにアピールするかもしれないな。単にブームで終わらないことを強く願っている。
ところで先日立候補者を発表した。その安富さんの話を聞いてよくわかったことがある。さすがに頭の切れる人は簡単な言葉で言い表すことができるんだなと感心したしだい。大きな声で恫喝したり、やじったりするのではなく、静かに語りかける姿には共感をもった。反対に誰かさんのように頭の悪い人は持って回った言い方をして「言語明瞭意味不明」の言葉の羅列となるらしい。気を付けなければ。
さてその話を書こうと思うのだが、上手く描けるかどうかわからない。
一つは「政治」は何のためにあるのか?という事を端的に言っていた。「子供たちを守る」そのことだけだというんだね。あらゆる政策がそこにむかっていなければ意味ないという。人類がそれを放棄して「自分だけ金だけ今だけ」をやりとおせば滅亡すると。振り返って考えれば今の政治はすべての点でこの「子供を守る」ということをやっていない。政治は「子供たちを守る」ものだという簡単な言葉に置き換えたのは凄いと思った。
もう一つは「経済」の話だ。何となく経済というと高級そうでとっつきにくい。専門家でないと話が出来ない雰囲気がある。彼は経済学者なんだな。その彼が経済は「暮らし」だというだな。暮らしという事になるとそこら辺のおばさんでも分かるというのか、話題に出来る。「暮らしにくくなった」といえばそれはそのまま日常会話で成り立つわな。
で面白いのは例えば田舎で月3万円で過不足なく幸せに暮らしていた人間が、都会に引っ越しして月20万の収入がないと暮らして行けなくなる。そうでないと幸せに暮らして行けないと感じる。もうここで7倍もの経済発展をしたことになる。これが高度成長なんだな。GDPがなんだかんだというのはこういう事らしい。それを安富さんは「引っ越し経済」といっていた。その生活を維持するためにマイホームを担保に取られて遮二無二働くわけだ。今までの日本はそうやって経済大国になってきた訳だけど、それで人々は幸せになったかどうかなんだな。
所得倍増とかいってわき目もふらず働いて収入を増やして、それでマイホームとか子供の教育に費やす。一生何も考えずに家を担保に取られて、会社命で働かざるを得ないように組み込まれる。そういった経済中心、スクラップ・エンド・ビルドを繰り返して大きな企業はもっと大きくなるし、労働者は自らの命を削りながら働かざるを得ないシステムを作ってしまった。所得を上げることがすなわち幸福になる近道だという幻想に惑わされているんだな。
今の政策はいまだにスクラップ・エンド・ビルドを繰り返している。東京オリンピックが済めば、リニアつくって万博をやろうとしてる。日本がまだ発展途上国ならそれも有りだけれど、これからの事を考えたら有りえない。環境に大きな負担を強いてもう地球がもたない。
結局、環境問題も経済的な正規非正規の問題も、子供たちの貧困も、大人の引きこもりも、少子高齢化も、地方の疲弊も、年金問題も根っこの部分はおなじなんだな。お金をたくさん稼いだ方が優秀であり高級であり豊かに暮らして行けるということが幻想だと気付くことだな。皆が同じ生き方をするのが正しいということが幻想だと気付くことだな。
そのことに気付かされたのが今回の太郎さんの話だ。もしこれに気付く人が多くなればある意味社会革命的な意味がある気がするな。成長するのを止めようという話だから。成長しなくても充分豊かに暮らして行けるんだよという話だから。
これは老子の理想郷「小国寡民」の考えに近いな。