
はる 6343
古いエッセイに手を入れて再掲
はる 2071
多分人の心の奥深くには「おおいなるものの意志」が隠されているのだろう。
このところ考えていることを言葉にしたらこんな風になった。まだ少し違和感があるな、しっくり言い切ったという感じにはならない。まぁだらだらと書いて行くことにする。まとまらないけど付き合って下さいな・・。
というのは「美」ということを考えていた。まずもって人は例えば美しい風景とかきれいな花を見て「きれいだなぁ・・」と感動する。でそれをカメラなり絵なり言葉でもって何とかあらわそうとする。
一元的には「美」は自分より外側にあって、まぁそれを美しく表現するのが、表現者の仕事だと考えられている。その場合できるだけ忠実にそれらを写し取ったものが「よい」ということになっている。
しかし、実際の問題はそんなところにはなくてね、何を「うつくしい」と感じたのか、そこのところを問い掛けることが、一番大事なところなんだな。
実は「美」というのは千差万別、人によって違うのだけれど、その「何に」の部分にその人の人生観やどう生きてきたか、何を是として何を非としてきたか、経験してきたことや、夢や希望、その他諸々が隠されている。
突きつめていうなら、「美」は自分の中にあって、それを解き明かすというのか、捜し求めるというのが我々の仕事であって、単にきれいな風景やお花を描くことではない。
「美は発見である」
で、ここでいう「美」というのは「うつくしい」ということではなくて、「真理」とか「ことわり」といった類のもののようなきがするのだな。
例えば、我々がアフリカの土俗の祝祭の仮面や衣装、ダンスや音楽に心揺さぶられるのは、それは単に「うつくしい」からではない。もっといえば彼らには文明人のいう「美」という意識さえない。
言葉でいうならダイレクトに「おおいなるものの意志」ということにならないかな。