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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

腕自慢 - 2018.08.31(作品)

はる 6330
 技術は見えない方がいい。技術が見えるようじゃまだまだだ。さらりと見せるのが極意じゃないの。力自慢は野暮の極みですがね。でもまぁそれ一回ぐらいは許される。


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帰宅 - 2018.08.30(作品)

はる 6329
こんな文章を見つけた
 「私が今まで「アート」だと認識していたものは、アートではなく技術力の高いイラストだったのかもしれない。日本で「アート」と呼ばれるものは、海外で「art」と呼ばれないことが多いようだ。Arrそのものの概念自体を取り違えていた。artとして本当に市場に出す必要があるものはそもそも数えるくらいかもしれない。価値は作品だけじゃない、死後はアーティストの「生き方」がアートの価値になる」

これを書いたのはまだ大学生だ。たまたま見つけただけで、これが正しいとか、そういった意味ではない。美大の学生自体が今の日本の美術シーンがオカシイと気がつき始めたのではないかということだ。まぁもともと日本の美術市場は世界には開かれていないからそれでもいいのだけどね。一人の絵描きとしては大きな問題だな。

 誤解を恐れずに言うならば、私からみればほとんどが素人のようにみえる。だいたい二十歳やそこら人が生きざまが何たらかんとか語れるはずもないわけで、技術が高いというだけでなんら意味がない作品ばかりだ。

 ずっと昔から美術品はある種のマネーゲームに利用されてきた。国内だけで通用する仮想通貨として流通していたところもある。今の現代美術もややそれに似ていてアートフェアは投資という博打だな。どだい単に美術品が何億もすること自体おかしいのだ。

 

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今日のアトリエ - 2018.08.29(ポケットの窓から)


はる 6328
今日はお疲れ。またあした。

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今日のアトリエ - 2018.08.28(今日のアトリエ)

はる 6327
 今日は久しぶりの授業だった。約二か月ぶり。非常勤などという仕事はあてにならない暇つぶしみたいなものだな。それでも生徒たちは真面目に取り組んでいた。不真面目なのは私一人だ。はやく時間が過ぎないかと時計ばかりみていた。辞めた方が人の為かもしれんな。

 スタイルは生き様で、形は真似ることはできるけれど、真似てもあまり意味はない。作家が10人いれば10通りのスタイルができるはず。しかし、大事な事はスタイルを作ることではない。スタイルは生き様を反映したもので、結果でしかない。絵描きは絵を売ってるように見えるけれど、実は生き様を売っている。みんながそのことに気付くと私の場所がなくなるので、そっとつぶやいておこう。

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ポケット - 2018.08.27(ポケットの窓から)


はる 6326
 空が秋の空になってきた。

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今日のアトリエ - 2018.08.26(ポケットの窓から)


はる 6325
 今日も一日アトリエに入っていた。暑いのでクーラーのなかにいた。

 いつものようにデッサンして形を見つけ出す仕事。簡単に見つけることが出来る場合と、全く何も出てこないことがある。この差というのは何なのだろう。出てこない時は無理しないでどんどんと飛ばしておくことにする。そのうちに何気なく眺めると気がつくときもある 。

 今回は新しい事に気がついた。どうして今まで同じことをしていて気がつかなかったのだろう。これで一気に作品のバリエーションが増える。こんなことがあるから面白い。やらないと気がつかない。

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ナス - 2018.08.25(ポケットの窓から)


はる 6324
 小品を描くときは大体いつも5,60点ほど並べて一気に描く。仕上がるのが半分くらいで他はもう一度地塗りからやり直すか、上に布を貼ってしまう。だから大体常に50点ぐらいは目の前に未完成の作品が並んでいる。一枚も描きかけの絵がないというのは、反対に落ち着かない。個展で大方の作品を送ってしまった後でも手元には4,50点は描きかけの絵が有るのじゃないかな。こういうスタイルがもう20年ぐらいの間に出来てきた。

 本格的に個展をやり始めたのが97年からだから大体20年という事だな。最初の頃は小さい作品が描けなかった。どういったものを描けばいいのか、花や風景スケッチならいくらでも描けるのだが、プロとして生業としてやってゆくのにそれじゃあまり意味がない。私に求められているのは、綺麗な花や風景ではないはずだ。だったら何をどう描けばいいのか、まったく分からなかったな。いや分かってはいるのだが、表現する技術がなかったということか。

 最初の頃はやはりいろんなものをスケッチしてそれを何とかアレンジして作品にしていたのだが、それも限界があった。やっていて少しも面白くないのだ。一二枚はできたとしても、同じような絵柄がずらりと並ぶというようなことになってしまう。

 今のように人物が主体になってきたのは2007年ころからだな。デパートでやるようになってかなりの作品の数が必要になって、たくさん描いている内にスタイルが決まってきたようだ。やはり10年はかかるという事だな。当時で55歳だから、一人前の芸人になるのは50過ぎてからということになるな。

 ただ今のスタイルも毎回変化して行くわけで、新しいは発見があって面白い。

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ポケット - 2018.08.24(ポケットの窓から)


はる 6323
 今日は一日アトリエにこもっていた。ほとんど全部に手を入れた。まだアイディア段階のものが半分くらいある。本当は八月いっぱいで終わりたかったけれど、今年は6月までに個展が3つも有ったので作品作りに追われていた。というと売れっ子の様だけれど、そうでもない。いつもなら10月に夙川で個展だが、今年は阪急が有ったのでお休みすることにした。毎年続けていたのでちょっと寂しいところもあるけれど、まぁ仕方ないだろう。

 もうすぐ八月も終わる。夏も終わりだな。これまた少しさみしい。

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今日のアトリエ - 2018.08.23(ポケットの窓から)


はる 6322
 台風だな。午後から雨が横なぐり。そんな中、くるまのオイル交換に行ってきた。5万キロ走ったことになった。後五年は乗れるかな。

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ポケット - 2018.08.22(ポケットの窓から)


はる 6321
 デパートの展示会を企画する画商さんは結構たくさんいる。私が最初に出会った画商さんもその一人で、いきなり電話がかかって来てその足で直接家まで絵を取りに来た。あれもこれも適当に10点ぐらいえらんで車に積んでもっていった。何でもいいという感じだったな。特に私の絵が気に入ったというかんじでもなかった。

 後日グループ展の案内が来て、都内のデパートで何時いつ展示会やります、といった簡単なDMに私の名前もあった。隠れて見学に行ったけれど、私を作者だと思わない店員は一生懸命私に売り込んできた。いろいろ適当な売り文句をつけてね。漫画のような本当の話。預けた作品は5年ぐらいのうちに全部売れたようだけど、約束は一年以内だったような気がするな。返す気もなかったような感じだ。それでその画商さんとは縁を切った。デパートの画商さんなどこんなものかとがっくりしたな。

 最初大阪のHさんから話があった時は、またこんな話かとまともには取らなかった。聞けば大阪の阪急、銀座の松屋、福岡の三越で企画展示する、それもすべて個展というとてもまともには聞けないような話だ。私のようなほとんど無名の作家が出来るような場所ではないし、やって元が取れるほど売れる自信もない。話だけでも聞いてくださいということで自宅まで来てくれた。話は面白かったな。デパートはただの箱です。それをどう見せるかは私に任せてくれませんか、売れる売れないは私の仕事です。どうです、一緒にやりませんか。と言われて拒む人はいないだろうな。承諾した大きな理由は、私の絵を心底好きだということだな。それから10年経ったけれど、彼は会場に居る時はいつも私の絵を観ている。まじまじと見ている。彼の情熱のコアな部分はこれなんだとおもった。好きであるから人にも勧められるだな。

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いちじく - 2018.08.21(ポケットの窓から)


はる 6320
 山梨新報の原稿
絵を描く材料

 日本に油彩画が入ってきて約百年とすこしか。当時はあらゆる面で西欧の文化を否応なく真似することに必死だった訳だ。でまぁ百年経って西欧文明ばかり追いかけている自分たちのアイデンティティに疑問をもつ人が現れたわけだ。はっきり言って油彩画は西欧の風土の中から出てきた絵画技術で、モンスーンの日本の風土の中では今一つしっくりこない画材なんだな。で、すこし考えてみようという風潮になってきた。

 材料を疑うといのは何も絵画だけではないね。カレーを作るのに出来合いのルーを買ってきてそれに、チキンを入れたらチキンカレーで、キノコを入れたらきのこカレー、ビーフカレーといくらでもバリエーションは出来るけれど、本質的な違いはない。そこから得
られるものは何もない。何もないから新しい事に気づくこともない、次の展開も出来ない。

 ところが、一つ前の材料に戻ってルーから作るという事になれば、少なくとも5種類ぐらいのスパイス(ターメリック,コリアンダー、クミンなどなど)を組み合わせて練りこまなければならない。そこから数えきれないくらいのバリエーションを得ることが出来る。

 話を絵画の方に戻せば、絵は描かれる物(支持体)と描くものに分けることが出来る。 支持体は紙だったり布だったり板だったりする。描くものは元に戻れば色の粉を何かしらの糊状のもので画面に定着したものだ。

 この糊の成分によって膠だと日本画になるし、植物性の乾性油だと油絵、その中間で両方の性質を持っているのがテンペラ(水でも油でも溶くことが出来る)水性の糊のものは水彩画となる。

 この間のオリジン(源泉)の話と繋がってくるのだが、絵を描く材料に戻って考えると、何々画という概念そのものが疑わしくなってくる。本来表現する行為はもっと身近で素朴な行為だったはずだ。根源的なものは何々画というものでない、今自分が手に入れることが出来る材料で創りだしたもの物、それが今生きる「私の絵画」ではないだろうか。


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今日のアトリエ - 2018.08.20(ポケットの窓から)


はる 6319
  画廊との出会いは一枚の絵の出合いと同じように偶然であることが多い。それでも何かしら活動つづけていれば出会いは必然となるのであろう。山口さんとの出会いは本人の画廊通信に詳しく書かれている。承諾を得て抜粋転載する。
https://www.yamaguchi-gallery.com/
 あれから毎年個展を開催させてもらっている。今年で10回目の個展でした。山口画廊の企画は一人が3週間で一週間お休みというスタイルでほぼ一か月に一人の割合です。貸画廊は一切やりません。ここのところがすごいなぁと感心します。画廊としてのスタンス、根性が座っています。誰でもが出来るわけではありませんが、もう少し山口画廊のような本物の画廊が増えたらいいなと思いますね。
・・・・・・・・・・・
2009/7/6

山口画廊・画廊通信66

許可を取って転載

*****************************

画廊通信 Vol.66 抜粋
          
 ・・・・私は、未だ携帯電話を「電話」という機能だけで使っている様な、到ってアナログ的な人間なのだが、榎並さんとの出会いは極めてデジタル的であった。昨年の初春、何気なくインターネットを覗いた際に、私のホームページに対して、好意的なコメントを寄せられているブログを見つけたのが、そもそもの機縁である。

 アナログ的とは言え、私も世の趨勢には逆らえず、実は簡単なホームページをこそこそと出していて、この時に掲載していたエッセイは、絵の売買を傍観する団体作家のスタンスを、私なりに批判した内容であったが、それに対してこのブログは「絵を売るという事について、言いにくい事をはっきり言っている」と、明確に賛同の意を表してくれていた。

 おかげで幼少よりあまり誉められた事のない私は、すっかり嬉しくなってしまい、一体どんな奇特な方が私なんぞに共感してくれたのかと、早速ブログの主を見てみたところ、なんとその方は画家なのである。ご自身で本格的なホームページを作られていて、どんな絵を描かれているのかと興味津々、掲載されていた作品を拝見させて頂いたら、これがなんとも心惹かれる絵ではないか。

ウェブ上の画像ではある程度までしか分からないにせよ、そこには紛れもなくあの「本物」の気韻がある、これは天が与え給う巡り合わせに違いない、私はそう思った。

 それから一ヶ月近くを経て、私は「榎並和春」という未知の画家へ、こわごわメールを送らせて頂いた。私の勝手な文章をブログに取り上げて頂き、ありがとうございます。あらためて自分の文章を読み返してみると、なんとも生意気でいけ好かない感じですね。実は私、失礼ながら榎並さんの事を、万年勉強不足のゆえ今まで知りませんでした。早速ホームページで作品を見せて頂き、ある種宗教的ともいえる様な深みのある作風に、心惹かれました。もし差し支えなければ画集や個展の資料等、お送り頂けないでしょうか」

 翌日パソコンを開けると、画家より返信が届いていた。ご丁寧なメール、ありがとうございます。どこでどうやって山口画廊さんとつながったのか、まるで覚えてないのですが、確か気になる作家の企画をやられている画廊だと認識していました。今回の『わたなべゆう』さんも好きな作家です。資料、できるだけ揃えてお送りしますから、ちょっと時間下さい。

 私のHPは、ほぼ私の等身大だと思います。本人が運営しているHPですから、確かな事でしょう。この程度の人間で、その程度の事しかやれていません。もしそれでよければ、お付き合い下さい。榎並」

 きっかり一週間後、幾冊もの写真ファイルと作品見本の入ったダンボール箱が、ありがたくも画廊へ届いたのだが、実はその時、私は連日の腹痛で立つ事もままならなくなっていた。翌日、私は緊急入院のハメになり、しばらくは仕事の出来ない成り行きとなった、せっかく送って頂いた沢山の資料を、画廊へ置き去りにしたまま。



「お元気になられたようで良かったですね。私の資料が着いて即入院だったので、何かしら見てはいけない物を見たせいかもしれないと、密かに危惧しておりました。でもまあ良くなったようで、ちょっと安心しました。少しゆっくりしろという暗示ではないでしょうか。またその内にお会いできる事を、楽しみにしています。ではまた、その時にでも。榎並」

 それから一ヶ月半ほど後、私はこんな心温まるお便りをいただいた。借りっ放しだった資料を、退院してやっと返却させて頂いた折の、画家からのメールである。ちなみにお預かりした資料は、妻が画廊から病室まで「重いのよねえ」とブーブー言いながら運んで来てくれて、おかげで私はベッドの上でお茶などすすりながら、その独自の世界を心行くまで堪能する事が出来た。暗い入院生活の中に、静かな希望が灯るのを感じながら。

 メールを頂いてから一週間程を経た午後、私は甲府の榎並宅へ伺わせて頂いた。晩春の陽光を川面に浮かべた穏やかな流れを渡り、川沿いの道を折れて路地を奥まった所に、目指す画家のアトリエはあった。一見して簡素なたたずまい、しかし時代の艶を湛えるかの様な古い家具が、諸処にさりげなく置かれていて、住む人の質の高い生活スタイルがうかがわれる。

 初めてお会いする画家は、隠遁せる一徹の哲学者といった風情、ご挨拶を申し上げてしばし歓談の後、制作途中の大作が立て掛けられたアトリエに案内して頂く。

 榎並さんの制作過程は独特である。麻布や綿布を水張りしたパネルに、ジェッソや壁土・トノコ等を塗り重ねて下地を作り、布等のコラージュを自在に交えながら、墨・弁柄・黄土・金泥・胡粉等々、様々な画材を用いて幾層にも地塗りを重ねる内に、その画面は風化した岩壁の様な独特のマチエールを帯びる。一口に言えば、「アクリルエマルジョンを用いたミクストメディア」とでも呼ぶべきか、しかし画家の制作姿勢そのものが「○○技法」という分類を、そもそも根本的に拒んでいる。たぶん榎並さんにとって「技法」とは、絵を完成させるための手段ではなく、何かに到るための道程に他ならない。

 幾重にも絵具を塗り、滲ませ、かけ流し、たらし込み、消しつぶし、また塗り込むという飽くなき作業の中で、画家は来たるべき「何か」を探し、その何かが見えて来る「時」を待つ。きっとそれが榎並さんの考える、「描く」という行為なのだ。やがて「時」が来る。いつの間に天啓の如く「何か」が画面へと降り立つ。ある時は修道士の姿を取り、ある時は笛を吹く楽士となり、おそらくは作者自身も意識しないままに、それは茫洋と画面にその全容を現わす。

 画家自らに入れて頂いた、香り立つアールグレイをいただきながら、私は「表現」という言葉の持つ両義性を、あらためて思い返していた。「表わす」事と「現れる」事、つまりは「自己の」作用と「自己以外の」作用、その両者が分かち難く一体となった所に、初めて真の「表現」が成立するのではないだろうか。あらためてその制作を省みた時、「自我の表出」という様な狭い範疇を超えた、「表現」という言葉の広範な在り方を、榎並さんはなんと明瞭に体現している事だろう。

 アトリエに立てられていた制作中の大作も、厚く幾重にも塗られた地塗りの中から、まさに今何かが浮かび上がらんとしていた。私にはそれが、何者かを真摯に希求してやまない、画家自身の姿にも思えた。・・・



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スイカ - 2018.08.19(ポケットの窓から)


はる 6318
 昼間何でかすごく渋滞に巻き込まれた。いつも混むところでないのに事故でもあったのか?と思った。ところがしばらく進むと車線変更の合図があって二車線が一車線になった。当然車は混雑する。この暑いのに一生懸命旗を振ってるおじさんがいる。ご苦労さん。

 それはいいのだけれど、一つ疑問がある。街路樹の剪定をしている。終わったところは綺麗に丸坊主になっている訳だが、少しおかしくないか。街路樹が大きく緑の葉っぱを茂らせて目にも優しい木陰をつくっている。運転していてもこの緑は美しいと思う。それなのになぜ一番糞暑い時に、木陰が必要な時に気を丸坊主にするのだ。

 やっている業者は仕事を委託されればそりゃいつでもやるだろう。しかし、あまりにも考えが足らなさすぎ、お役所仕事じゃないか。

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今日のアトリエ - 2018.08.18(ポケットの窓から)


はる 6317
 幸いにも何人かの画廊さんとのお付き合いを得ている。もう20年ぐらいの長いつき合いの画廊もあれば、最近つき合いの始まったがろうもある。ビジネスパートナーだからお互いの信頼関係が大事だなと思っている。私は古いタイプなのでそれなりの仁義を通すやり方を取っている。マイナーな作家だからそれくらいでちょうどいいだろう。

 デパートで始めたのは2007年からだ。自分にとってデパートの絵のイメージがとても悪い。大体が「綺麗、細かく、分かりやすい」の花鳥風月か美人画が多い。それ以前にもグループ展の企画で何回かデパートで展示会に加わったことはあった。その時の画商さんの対応があまりにもひどかったので、ますますデパートでの個展など自分の中では有りえないことだった。

 デパートに限らないのかもしれないが、画廊企画の場合売れないことには赤字になる。商売として画廊をやっている訳だから、毎回赤字だと半年も持たない。どんなにいい企画でも、評判になったとしても売れなければ失敗という事になる。むろん一つ一つの企画の収益は凸凹だろうけれどね。特に町の一等地にあるデパートはシビアだと思う。一度赤字になると次はないだろう。

 今でも不思議なのがなぜ私などに声がかかったのか?ということだな。どう考えてもデパート路線の絵ではないし、収益だけか考えれば私などよりいくらでも稼ぐ作家はいる。その方がお互いの為でしょうね。ここでその企画をするHさんの話をしなければならない。

 最初に声がかかったのが2005年ぐらいだったかな。一度会って話がしたいということだった。デパートで展覧会をするつもりはなかったからいい加減に聞いていた。たぶん物凄く不機嫌な対応をしたと思う。それでも話だけでもしたいので、また連絡しますということだった。それから一年ぐらい経った頃だったかな。もうすでに忘れてしまっていたのだが、今から会えますか?と大阪から電話が連絡があった。えっ今からですか、大阪からわざわざ来てくれるのですか?まぁもうそこで手に落ちたみたいなものだな。

 その後の事はまた。

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今日のアトリエ - 2018.08.17(ポケットの窓から)


はる 6316
 2007年に初めてデパートで個展をした。それから今年までほぼ隔年に開催している。そのことは私にとっては画期的なことだ。たぶん本人でさえデパートで個展をやるとは思っていなかったからな。しかし、日本の絵画市場をみると圧倒的にデパートで絵を買う人が多いのだな。それだけ画廊というスペースが絵を購入するという場というには敷居が高いということなんなんだろうな。もう一つは絵を観るという行為が日常生活から遊離しているということなんだろう。

 もう少しそんな事を書きたい。でも今日は眠い。またあした。


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三沢製麺 - 2018.08.16(ポケットの窓から)


はる 6315
 個展をやろうと思えば誰でもどこでもできる。ただしお金がかかる。画廊には大きく分けて貸画廊と企画画廊があることは何回か書いた。貸画廊で何回個展をやろうと経歴にはなるかもしれないが、ほとんど意味はない。それは趣味ですねという事になる。絵描きという仕事は間に画商さんを挟んで、知らない人に作品を買ってもらって初めてプロとなる。これがなかなか高い壁なんだな。画商さんがいいと思わない作品が売れるわけがない。売れるからいいとも思わないが、反対に売れないのは高級だとも思わないな。

 

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清里 めがね - 2018.08.15(ポケットの窓から)


はる 6314
 イタリアから帰ってきて考えたことは、今までのような山っ気のある一発当ててやろう、みたいな博打のような仕事に頼っていては自分の絵が段々と貧しくなるような気がして来た。自分が描きたいから描くのではなく、まず誰が審査員か調べてその人たちに受けるような絵を描こうとする。これは本末転倒だな。しかし、コンクールや公募展に出品する限り上位入賞がほしい。だんだんとそんなさもしい心根に傾いてゆく自分を発見してがっかりした。という訳できっぱりとコンクールとは縁を切ることにした。

 ならばどうなりたいのか考えた。確かに聞けばだれでもが知っている画家というのは何となく憧れるよな。けれど、もしそうなったとしてそれで満足かな。そうやって高名な画家になりたいのかと問われるとそうじゃないよなと思う。画家なんか知る人ぞ知るでいいだよな。新聞や雑誌で騒がれる、美術館や有名な画廊で企画される高名な画家もいいけどな。それは私ではない。

 マイナーならマイナーな生き方があるだろう。売れないな歌手とかバンドなど、はたまたドサマワリの演歌歌手、村から村へ移動する旅芸人、大衆芝居、サーカスなどなど、芸術家としてではなく一人の大道芸人としてならぴったりとその役割を果たせそうだ。出来るだけ近場にいる一人の作家としてその生きざまを見てもらう。一年間に創作した作品を携えて、いろんな場所に出かけて展覧会をする。観に来てもらって、今年はこんなことを考えました。こんな絵を持ってきましたといって、気に入ったら身近に置いてもらう。そんなスタイルが出来ないモノかと考えた。

 それには一緒にやってくれる、私の絵を好んで企画してくれる画廊がどうしても欲しいんだよな。絵の専門家である画商さんがこの作家と一緒にやりたいと思わない作家など、一般の人に受けるわけない。昔演劇の蜷川さんが「女(女房)ひとり騙せないような役者が、大衆を騙せるはずがない」そんなことを言ってた。その手でいうなら「画商一人騙せない絵描きが、コレクターを騙せるはずがない」あとは一緒にやってくれる画商さんの出現を乞うだけだけだった。

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今日のアトリエ - 2018.08.14(ポケットの窓から)


はる 6313
 1983年歳は31歳だな。この歳に兎に角初めて個展を開催した。当時はまだ美術館などなくて、大きな展示場といえば県民会館の地下展示場しかなかった。学生時代からの大きな作品をまとめて発表した。自分の中では画期的なことだっただったけれど、世間一般ではほとんど誰も相手にはしてくれなかった。当たり前だけどね。その後3年後の86年にも同じ会場で個展をしている。この時は「四季の丘」と題してテーマを決めて卒業してからの抽象的な大作を発表している。絵を描いてゆくとは決めていたけれど、それが実際にどいう事なのか、自分でもわかっていなかった。その年に結婚している。

 88年に一大決心をして東京の銀座で個展をすることにした。それと並行して色んなコンクールに出品している。この頃はまだほとんど小品は描いていない。兎に角、全国区のコンクールで受賞する事、少しでもこの世界で名前を売ることが世に出るきっかけになると固く信じていた。事実周りの知り合いが画壇の登竜門と言われるコンクールで大賞を取って一躍時代の寵児になって行くのを目の当たりにしていた。時代はバブルの絶頂期で各地で冠のっコンクールが盛んに開催されていた。

 90年から全国公募の美術団体国画会に出品するようになった。大作はこの公募展に合わせて描き、小品とともに地元のギャラリーと銀座のギャラリーで発表するという一年のサイクルが出来てきた。それでも作品はほとんど売れることはなかった。たまたま知り合いがカンパのつもりで買ってくれるだけで、そんなものは生活の足しにはならなかった。でも買ってくれる人が少しでもいるということが凄い慰めにはなったな。

 そうこうしているうちに93年にたて続けに大きな賞をもらった。何となく絵描きとしてやって行けるかのかなと、そんな兆しが感じられたころだ。今ならそこがターニングポイントだと分かるのだけど、その時は分からなかった。そんなことにはかまわず、一切を放棄してイタリアに行くことにした。一年間ほとんど旅して遊んで暮らした。帰ってきて油彩画を止めた。

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今日のアトリエ - 2018.08.13(ポケットの窓から)


はる 6312
 午後から夕立になって凄い土砂降りだった。久しぶりに本格的な雨だけれど、集中的に降っても流れるだけだな。それにしても最近の天候は熱帯のようだ。

 

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ポケットの窓から - 2018.08.12(ポケットの窓から)


はる 6311
 こんな子供だましのようなものをつくる。実はこんな風習をここに来るまで知らなかった。いや聞いたことはあるけれど、実家の方ではやらなかったな。迎え火も送り火もやらなった。どうしてだろう。他の家ではやっていたのだろうか。よく知らないなぁ。ここにきてどこの家庭もやることに驚いている。特別に先祖に冷たかったわけでもないだろうにな。

 さて、お盆になると終戦記念日を思い出す。事実は敗戦の日なんだけどね。退却を転進と言ったと同じような言い換えが未だになされている。原爆を落とされた。まぁすでにボロボロに負けていた訳だからあらためて皆殺し、これこそ虐殺だと思うのだけれど原爆を落とすことはなかったよな。よく戦争で捕虜の虐殺云々というけれど、広島長崎はそれこそ虐殺だな。ナチスのホロコースト以上だな。まぁそれが戦争だと言えばお互い様かもしれん。日本人も褒められたことはしていない。戦争というのは普通の人も悪魔に変えてしまう、それが恐ろしいのだな。時代の空気。これが怖い。

 戦後何もかも失って、本当に国民全員が裸になってしまったんだな。右も左もない真っ平なただの人になったわけだ。その時に希求したのがもう二度と戦争したくない。そこら辺の善良なおじさんもおっさんも悪魔のような人間に変えてしまう。でなければ人など殺せない。敵は人じゃないと教えられるわけだ。そんなことは二度としたくない。貧しくても食うや食わずでも戦争のない世界がどれだけ幸せだったか肝に銘じたわけだ。その多くの人の願いが新しい憲法の前文に書かれている。これを読むとひしひしと当時の人の気持ちが伝わってくる。

 これが我々の原点なんだな。何百万人の犠牲の元に得られた貴重な宝だとおもうな。日本だけじゃないな人類の宝といっていいかもしれん。理想というのはそういうモノじゃないかな。裸になって、何もかも失って初めて気づいたこと、その理念がここに結集されている。3・11もそれに近いショックだったけれど、敗戦はそれ以上だな。それにもかかわらずこれを変えようとする輩がいることが信じられない。何か意図的に目指すものがあるからなのか。彼らが目指す日本とはどういうものなのか。恐ろしいな。どんどんキナ臭い方向に行っているようで。

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今日のアトリエ - 2018.08.11(ポケットの窓から)


はる 6310
 

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今日のアトリエ - 2018.08.10(ポケットの窓から)


はる 6309
 今日も暑かった。お盆さんの準備をしなけりゃならんな。面倒だ。結局こういった行事は残こされた人たちのものだな。自分達の墓守などいない訳だし。いずれは無縁仏だ。私自身のことで言えばどこか海にでもまいてもらって、お墓はいらない。ただシンボルとしてのモノあればいいのじゃないかな。小さな仏さんとかマリアさんとか。それも私を知っている人がいる間だけのことでね。いずれは何もかも消えて行くものだ。

 何だか普通にやると決まりごとがあって、やれ新盆だ、お彼岸だ、お花やお菓子やエトセトラ。私のことじゃいらんね。何もいらない。生きている時も自己流だったのだから、死んでまでいろいろ押し付けられたくない。すべて何もかもいらないね。

 このHPが何年あるか。誰かが管理してくれるのか。わからんけどね。10年ぐらいは残しておきたいね。まぁそれも欲か。
 

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鳳凰 - 2018.08.09(写真)

はる 6308
 毎日何かを書いていると、よく書くことが有りますね、と言われる。確かにな、こうやって毎日くだらない事を書き連ねていても結構何か浮かんでくるもんなんだな。あぁこれは今日のブログに書いておこうと思っていても、いざその時になると忘れているんだ。そんなのばっかりだよ。もうこれ以上はアイディアなど浮かばないと思っていても何か書いている内に浮かんでくるから不思議だ。

 でも今日は寝るよ。

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今日のアトリエ - 2018.08.08(ポケットの窓から)


はる 6307
 モノクロームを塗りこんだり、上からさらに原色を薄く重ねたりしています。ここらへんもやり方が決まっている訳ではなく、毎回少しづつ変わっていますね。前回上手くいったからとか、失敗したからとか繰り返すことで段々にやり方も決まってくるのかもしれん。ただ機械的にやっても上手くは行かないだろう。いつも手探りで探して行く方がやっていて面白い。下地のけばけばしいプリント模様がだんだん見えなくなってきた。難しいのは面白い色や形にとらわれすぎるといじけた仕事になってしまう。あくまでこれは下地なんだと心を鬼にして潰してしまう。ところが潰しすぎるとこれまただめなんだな。それをどこで止めるか。もう少しやらないと何も見えてこない。

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今日のアトリエ - 2018.08.07(ポケットの窓から)


はる 6306
 24歳の頃、午前中は近くの八百屋さんでアルバイトをしていた。八百屋といっても近くに大きなマンション群があったので、今でいうショッピングモール街のような形で大変お客さんは多かった。アルバイトも常備10人ぐらいいただろうか。私は午前中しか働かないのでもっぱら裏方で、朝早く市場から競り落としてきた野菜や果物を要りょよく古いものと新しいものを入れ替える、袋詰め、パック詰めする、掃除する片づけるそんな仕事をやっていた。

 昼からは京阪三条まで出てそこから自転車に乗って平安神宮近くの関西美術院という美術研究所でデッサンの勉強をするという日課だった。最初の頃はそれでも充分楽しかった。しかし、絵を描いてゆくとは決めていたけれど、それで将来どうなるのか。本当にそれだけでいいのか。漠然とした不安にさいなまれていたことは確かだな。昼間電車に乗っていても、こんな真昼間学生でもない自分がこんなふうにしていていいんだろうか、誰が見ているわけでもないのに肩身の狭い想いをしていたな。人間とは悲しいものだ。皆と同じでない人生を選択したにもかかわらず、同じでないことが不安になるのだ。

 同じことならもう一度大学に入って一から勉強し直すという考えが浮かんだ。デッサンを勉強している仲間が受験を目指していたからかもしれん。俺ももう一回受験してみようか、学生と言う身分になって周りの目を気にしないで堂々と絵の勉強ができるというのは我ながら名案だおもった。

 しかしながら、もうすでに独立して自活していた私がいける学校などあるのだろうか。それが問題だ。経済的なこともある。受験勉強するとしても昼間今のアルバイトしながらだと長くは無理だな。一年くらいならなんとかがんばれそうだ。ということで作戦をたてた。経済的な事を考えると国公立しか無理だ。当時授業料は年間96000円だった。それでも数年前までは12000円だったからかなりの値上がりだ。国公立の美大となると一年浪人したくらいの実力じゃ受からんだろう。というわけで国立の教育学部の美術科を北海道から九州まで調べた。候補に上がったのは北海道教育大、秋田大の教育、京都教育大、と山梨大。教育学部なら今のデッサン力で充分だけれど学力が到底間に合わない。

 6月頃から本格的に受験勉強することにした。数学と理科と国語はラジオ講座で何とかなるだろう。問題は英語と社会だな。これを何とかしなきゃ国公立には受からない。出来ないもんは仕方ない。出来る事だけ的を絞って徹底的にやった。私の人生の中で一番勉強したのはこの時だな。もう後がない、やるしかない。

 山梨大学は当時は国立二期校。三月の終わり頃かな。片道切符ではないけど、ここに受からなきゃ、もう受験は諦める。そんな晴れ晴れした気もちだった。若い高校生に交じってもうすでにおっさんの受験生だ。まぁ面白かったけどな。まぁたまたまラッキーな事に受験生は3人ぐらいしか居なかったからね。これは受かったとおもった。筆記試験の方も数学以外は割とできた。数学は難しくてみんなできなかったようだから助かった。

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今日のアトリエ - 2018.08.06(ポケットの窓から)


はる 6305
 プリント模様の布のコラージュを一通り終えたところ。なにか違う作家の作品の様だな。この段階では出来るだけけばけばしい有りえないような配色のプリントを選ぶ。使う絵の具のヴァリエーションは少ないけれど、こうやって他人の色を借りて色の幅を持たせている。染色された色は本当に美しい。塗った色と染料の色とはかなり違う。それを利用しないてはない。それから自分が意図した物とは違う配色だったり、形が私の気持ちを刺激する。予定調和にならないようにできるだけアバンギャルドにコラージュ自身を楽しむようにしている。この段階では無論何の形も意識していない。

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シャガール - 2018.08.05(ポケットの窓から)

はる 6304
 今更ですが、シャガールいいな。ここまでデタラメに破綻しつくすと、ある一定の秩序ができるという見本かな。普通の美術教育を受けた感覚ではこうはいかない。もちろんシャガールは美術教育を受けていますが、何処かで踏み外したんだと思うな。絵描きになるというのはそういうことだろう。

 絵を描き始めた頃、シャガールがいいという感覚が理解できなかった。今でもたぶん一部の人はそうだろう。ルオーにしてもシャガールにしてもボナールにしても、けっして上手い作家ではない、しかしこれがいいという人たちがいるから今まで残っている。まともな事やってりゃわからない。人生棒に振る覚悟があるかい?と聞かれてる。

 「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉がある。天のアミはダダ漏れの状態だけれど、大事な事は決して洩らさいよという事らしいが、たぶんどんなに暴れまわっても天の摂理からのがれることはできない。ならば我々の心の片隅にはこんなふうデタラメ(子供の様)でいたいという願望が隠れているんだろうな。


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真夏 - 2018.08.04(ポケットの窓から)


はる 6303
 今日も暑かったな。日傘が必需品になってきた。思い出してみると親父は夏になると白い麻のスーツに白い皮の靴をはいて日傘をさしていた。あの時代の男にしては洒落者だな。それに似合っていた。あんな伊達男の血筋を誰もひいていないのは不思議だな。


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42度 - 2018.08.03(写真)

はる 6302
  今一度この有名な独白を心して聴きたい。哲人政治が理想だと思うんだ。徒党政治は勢力争いと金勘定ばかりでヤクザ集団のようだ。あれが日本の政治家だ、代表だとしたらあまりにも恥ずかしい。

・・・・・・・・・・・・・
チャップリン「独裁者」のスピーチ

申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。 それは私には関わりのないことだ。 誰も支配も征服もしたくない。できれることなら皆を助けたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。 

私たちは皆、助け合いたいのだ。 人間とはそういうものなんだ。 私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。 私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。

この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。 人生の生き方は自由で美しい。 しかし、私たちは生き方を見失ってしまったのだ。 欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。

私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。 ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。

知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。 私たちは考え過ぎで、感じなく過ぎる。 機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。 賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。 そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。

飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。 そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。

今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、絶望した男性達、女性達、子供達、罪のない人達を拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとに届いている。

私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。 私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。 憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。 決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。

兵士たちよ。 獣たちに身を託してはいけない。 君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。

そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。 君たちは機械じゃない。 君たちは家畜じゃない。 君たちは人間だ。 君たちは心に人類愛を持った人間だ。 憎んではいけない。 愛されない者だけが憎むのだ。 愛されず、自然に反する者だけだ。 

兵士よ。 奴隷を作るために闘うな。 自由のために闘え。 『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。 一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。 君たちの中になんだ。

君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。 君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。

だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。 皆でひとつになろう。 新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。

そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らを嘘をつく。 約束を果たさない。 これからも果たしはしないだろう。 独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。 
今こそ、約束を実現させるために闘おう。 世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。 

理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために闘おう。 兵士たちよ。 民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。 
 

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42度 - 2018.08.03(ポケットの窓から)



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