
はる 6319
画廊との出会いは一枚の絵の出合いと同じように偶然であることが多い。それでも何かしら活動つづけていれば出会いは必然となるのであろう。山口さんとの出会いは本人の画廊通信に詳しく書かれている。承諾を得て抜粋転載する。
https://www.yamaguchi-gallery.com/
あれから毎年個展を開催させてもらっている。今年で10回目の個展でした。山口画廊の企画は一人が3週間で一週間お休みというスタイルでほぼ一か月に一人の割合です。貸画廊は一切やりません。ここのところがすごいなぁと感心します。画廊としてのスタンス、根性が座っています。誰でもが出来るわけではありませんが、もう少し山口画廊のような本物の画廊が増えたらいいなと思いますね。
・・・・・・・・・・・
2009/7/6
山口画廊・画廊通信66
許可を取って転載
*****************************
画廊通信 Vol.66 抜粋
・・・・私は、未だ携帯電話を「電話」という機能だけで使っている様な、到ってアナログ的な人間なのだが、榎並さんとの出会いは極めてデジタル的であった。昨年の初春、何気なくインターネットを覗いた際に、私のホームページに対して、好意的なコメントを寄せられているブログを見つけたのが、そもそもの機縁である。
アナログ的とは言え、私も世の趨勢には逆らえず、実は簡単なホームページをこそこそと出していて、この時に掲載していたエッセイは、絵の売買を傍観する団体作家のスタンスを、私なりに批判した内容であったが、それに対してこのブログは「絵を売るという事について、言いにくい事をはっきり言っている」と、明確に賛同の意を表してくれていた。
おかげで幼少よりあまり誉められた事のない私は、すっかり嬉しくなってしまい、一体どんな奇特な方が私なんぞに共感してくれたのかと、早速ブログの主を見てみたところ、なんとその方は画家なのである。ご自身で本格的なホームページを作られていて、どんな絵を描かれているのかと興味津々、掲載されていた作品を拝見させて頂いたら、これがなんとも心惹かれる絵ではないか。
ウェブ上の画像ではある程度までしか分からないにせよ、そこには紛れもなくあの「本物」の気韻がある、これは天が与え給う巡り合わせに違いない、私はそう思った。
それから一ヶ月近くを経て、私は「榎並和春」という未知の画家へ、こわごわメールを送らせて頂いた。私の勝手な文章をブログに取り上げて頂き、ありがとうございます。あらためて自分の文章を読み返してみると、なんとも生意気でいけ好かない感じですね。実は私、失礼ながら榎並さんの事を、万年勉強不足のゆえ今まで知りませんでした。早速ホームページで作品を見せて頂き、ある種宗教的ともいえる様な深みのある作風に、心惹かれました。もし差し支えなければ画集や個展の資料等、お送り頂けないでしょうか」
翌日パソコンを開けると、画家より返信が届いていた。ご丁寧なメール、ありがとうございます。どこでどうやって山口画廊さんとつながったのか、まるで覚えてないのですが、確か気になる作家の企画をやられている画廊だと認識していました。今回の『わたなべゆう』さんも好きな作家です。資料、できるだけ揃えてお送りしますから、ちょっと時間下さい。
私のHPは、ほぼ私の等身大だと思います。本人が運営しているHPですから、確かな事でしょう。この程度の人間で、その程度の事しかやれていません。もしそれでよければ、お付き合い下さい。榎並」
きっかり一週間後、幾冊もの写真ファイルと作品見本の入ったダンボール箱が、ありがたくも画廊へ届いたのだが、実はその時、私は連日の腹痛で立つ事もままならなくなっていた。翌日、私は緊急入院のハメになり、しばらくは仕事の出来ない成り行きとなった、せっかく送って頂いた沢山の資料を、画廊へ置き去りにしたまま。
「お元気になられたようで良かったですね。私の資料が着いて即入院だったので、何かしら見てはいけない物を見たせいかもしれないと、密かに危惧しておりました。でもまあ良くなったようで、ちょっと安心しました。少しゆっくりしろという暗示ではないでしょうか。またその内にお会いできる事を、楽しみにしています。ではまた、その時にでも。榎並」
それから一ヶ月半ほど後、私はこんな心温まるお便りをいただいた。借りっ放しだった資料を、退院してやっと返却させて頂いた折の、画家からのメールである。ちなみにお預かりした資料は、妻が画廊から病室まで「重いのよねえ」とブーブー言いながら運んで来てくれて、おかげで私はベッドの上でお茶などすすりながら、その独自の世界を心行くまで堪能する事が出来た。暗い入院生活の中に、静かな希望が灯るのを感じながら。
メールを頂いてから一週間程を経た午後、私は甲府の榎並宅へ伺わせて頂いた。晩春の陽光を川面に浮かべた穏やかな流れを渡り、川沿いの道を折れて路地を奥まった所に、目指す画家のアトリエはあった。一見して簡素なたたずまい、しかし時代の艶を湛えるかの様な古い家具が、諸処にさりげなく置かれていて、住む人の質の高い生活スタイルがうかがわれる。
初めてお会いする画家は、隠遁せる一徹の哲学者といった風情、ご挨拶を申し上げてしばし歓談の後、制作途中の大作が立て掛けられたアトリエに案内して頂く。
榎並さんの制作過程は独特である。麻布や綿布を水張りしたパネルに、ジェッソや壁土・トノコ等を塗り重ねて下地を作り、布等のコラージュを自在に交えながら、墨・弁柄・黄土・金泥・胡粉等々、様々な画材を用いて幾層にも地塗りを重ねる内に、その画面は風化した岩壁の様な独特のマチエールを帯びる。一口に言えば、「アクリルエマルジョンを用いたミクストメディア」とでも呼ぶべきか、しかし画家の制作姿勢そのものが「○○技法」という分類を、そもそも根本的に拒んでいる。たぶん榎並さんにとって「技法」とは、絵を完成させるための手段ではなく、何かに到るための道程に他ならない。
幾重にも絵具を塗り、滲ませ、かけ流し、たらし込み、消しつぶし、また塗り込むという飽くなき作業の中で、画家は来たるべき「何か」を探し、その何かが見えて来る「時」を待つ。きっとそれが榎並さんの考える、「描く」という行為なのだ。やがて「時」が来る。いつの間に天啓の如く「何か」が画面へと降り立つ。ある時は修道士の姿を取り、ある時は笛を吹く楽士となり、おそらくは作者自身も意識しないままに、それは茫洋と画面にその全容を現わす。
画家自らに入れて頂いた、香り立つアールグレイをいただきながら、私は「表現」という言葉の持つ両義性を、あらためて思い返していた。「表わす」事と「現れる」事、つまりは「自己の」作用と「自己以外の」作用、その両者が分かち難く一体となった所に、初めて真の「表現」が成立するのではないだろうか。あらためてその制作を省みた時、「自我の表出」という様な狭い範疇を超えた、「表現」という言葉の広範な在り方を、榎並さんはなんと明瞭に体現している事だろう。
アトリエに立てられていた制作中の大作も、厚く幾重にも塗られた地塗りの中から、まさに今何かが浮かび上がらんとしていた。私にはそれが、何者かを真摯に希求してやまない、画家自身の姿にも思えた。・・・