
はる 6194
山口さんの画廊通信。無断転載します。例によって不許可ならいってください。いつもながら面白いです。
画廊通信 Vol.178 待つ人
榎並さんの個展は、今回でちょうど10回目となる。2009年から毎年の開催で今に到るわけだが、その度にこのお便りも合せて書いて来た事になり、この機会に今までのナンバーにざっと目を通してみたけれど、足りない頭を無理に絞りつつ、よくもまあこれだけの雑文を書き散らして来たものだと、我ながら感心した次第である。手を替え品を替えその都度異なる角度から、作家とその作品を何とか文章に浮び上がらせようと、自分なりに健気な努力はしているのだが、如何せんその出どころは一緒のわけで、よってまとめて読んでみると、どうも同じような事を繰り返しているに過ぎないという、悲しい事実だけが際立つ。もともと「○○論」というようなものをぶち上げる頭も無いし、そもそも研究や論文では把握出来ないものが美術には有るだろうと思っているので、はなから鋭利な論考を披露しようなどという大それた考えは無いのだけれど、それでもこれだけ回を重ねれば「榎並和春論」とまでは言わずとも、それに近いものはおのずと浮上して来る。結局集約してみればそれは至極単純な事で、つまり榎並和春という作家は「待つ人」であるという、その一言に尽きるようだ。制作という能動的な行為において「待つ」という受動的な姿勢は何を意味するのか、それについては各分野の先人が残した興味深い証言があって、この雑文中でも何度か引かせてもらって来たので、この機会に今一度まとめて羅列してみたいと思う。ここから私達が促される認識は、表現=能動・待つ=受動という一般的な図式の転換であり、むしろ強靭な能動でさえあり得る「待つ」という行為の、思いも寄らない深さである。以下は過去の画廊通信から。
絵を描く際に「偶然」は最も重要な側面で、創造力の源泉になっていると思います。例えば無意識でカンヴァスに付けた筆の跡から非常に深みのある示唆を受けて、描きたかったイメージが明確になる事があります。あるいは、作品がありふれたものになってしまい、怒りと絶望から絵をバラバラにしてしまった時、突然そこに直観的なイメージが浮ぶ事もあります。そう考えてみると、私の仕事がうまく行くのは、いったい自分が何をやっているのか、意識のレベルでは分らなくなった瞬間からなのでしょう。だからいい絵が描けた時は、それは自分が描いたものではなく、たまたま「授かった」ものだと、私には思えてしまうのです。(フランシス・ベーコン)
独創的であろうとして躍起になるのは、時間の無駄だし間違った事だ。もし何かを得られたにしても、それは自分の好きな事を繰り返しているだけに過ぎない。更にそれを推し進めるのなら、結局は自分に出来る事しかしないという事になってしまう。アイデアだって単なる出発点だ。頭に浮んだアイデアを、そのまま画面に定着して終る事なんてまれだね。何故なら描き始めるとすぐに別のアイデアがペンの先から生まれて来るからだ、一人の男が浮んで来たらそれを描く、それが女になったらそっちを描くという具合にさ。自分の意志とは関係なく、ペンの先から自ずと生まれ出て来るものの方が、アイデアなんかよりもよほど面白いんだ。(パブロ・ピカソ)
その短篇を書き始めた時、義足を付けた博士号取得者がそこに出て来るなんて、自分でも知りませんでした。まして途中から聖書のセールスマンが登場して、彼がその義足を盗む事になるなんて、その10行前になるまで私にも全く分らなかったのです。でもそれが明らかになった時、私はこう思いました。これこそ、起こるべくして起こった事だったんだと。(フラナリー・オコナー)
初め、このようにして小説が新しい展開を示して終るという構想は、私にまったくなかった。そしてそれを生んだ強い発想は、終りの前の章を書いているうちに、あれとしてやって来たのだった。あれとは、日々小説の文章を書きついでゆく精神と肉体の運動が滑走路を準備して、そこから自分にも思いがけない滑空に向けて走ることになり、それまで地続きに展開していた小説が別の次元に到る、それをもたらす力である。そのようにあれはやって来る。あれがやって来てはじめて、私はわれを忘れて小説を書き進めることになるのだ。(大江健三郎)
始めからこのように描こうと思い、その通りに出来たというのは、図面通りにビルが建ったというだけの話で、それは言うなれば建築家の仕事だ。やってみなければ分からないものをやる、それが芸術家の仕事なのだから、彼らはどういうものが出来るかなんて、たぶん自分でも知ってやしないのだ。だから優れた芸術家ほど、自分の描いたものに驚いているに違いない。(小林秀雄)
画家2人・小説家2人・批評家1人、計5人の言葉を一気に並べてみたが、明らかにこの5人の表現者には、或る共通したスタンスがある。言うまでもなくそれは、自らの意識を超えた所から訪れる、未知なるものとの出会いを模索する姿勢である。むろんその模索が、具体的にどのように為されるかは個々に異なるだろう。ベーコンなら偶然と破壊によって、ピカソなら線描の無意識的な動きに任せて、オコナーならひとえに書き進める事によって、という風に。ただ、それらの行為を貫く底流は「待つ」という姿勢に尽きるように思える。省みれば、5人の誰も「待つ」という言葉は使ってないけれど、思いも寄らない邂逅という一点で、彼らの希求するものは同じなのだろう。ある者は混乱と破壊の中で、ある者は偶発的な自動書記の中で、ある者はとにかくも書きゆくその途上で、思いがけない何かとの出会いを模索している。確かにそれは積極的な能動の行為には違いないが、詰まるところ彼らの行為の意義は「待つ」事以外の何物でもない。表現者にとっての「待つ」とは、時に強力な能動行為に成り得るのである。その末の邂逅を、大江健三郎は「あれがやって来る」と表現し、何がどうやって来るのかは「やってみなければ分からない」と小林秀雄は言った、これは表現を個性の発露と解する通常の見解を、真っ向からくつがえすものだろう、むしろその個性を超える事こそを、彼らは求めているわけだから。所詮「待つ」とは、自らの領域を超える行為に他ならない。
この辺りでそろそろ榎並さんに話を戻せば、榎並さんもまた、上述の作家と同様に「待つ人」である。考えてみれば当店で扱わせてもらっている作家は、多かれ少なかれそのようなスタンスで制作に臨む人が多いのだが、榎並さんが突出しているのは、その「待つ」という行為をそのまま、自らの手法としてしまった点である。よって榎並さんにとって「待つ」とは、単なる姿勢でもなければ在るべきスタンスでもない、「待つ」というその事自体が、制作の手法そのものなのである。それについても以前に記したので、少々の抜粋をお許し願いたい。
榎並さんは長年ブログを続けられていて、面白いので私もよく拝見するのだが、そこに制作途中の映像が折々にアップされる。大小取り混ぜた色とりどりのパネルが所狭しと並んでいる光景だが、そのほとんどは地塗りの顔料が塗られていたり、時には壁土が練り込まれていたり、或いは布地が貼られていたりという段階のもので、未だ作品という形に到っていない。通常は下書きのデッサンがあって、それを徐々に肉付けして行くというのが定番なのだろうが、榎並さんの場合はたいがい弁柄や黄土を塗り込んだり、そのせっかく塗った画面を今度は消し潰したり、はたまたその上から金泥をかけ流したりといった具合で、なかなか「絵」らしきものが見えて来ない。しかし実のところ、それこそが榎並さんにとっての「制作」であり、画家はじっくりと自己との対話を続ける中で何かの端緒が図らずも立ち現れる「時」を、待っているのである。そんな榎並さんの制作方法を見ていると、通常は受動的な意味で用いられる「待つ」という行為が、実は能動的な意味も持ち得るのだという事が分る。画家は支持体上に様々な変容を仕掛け、それによって画面に揺さぶりをかけて、時には大胆な破壊も加えつつ、いつか何かが立ち現れ、あるいは何かが降り立つその瞬間に眼を凝らす。それがつまりは榎並さんにとっての「待つという行為であり、延いては「描く」という行為に他ならない。やがて、幾重にも重なり混じり合った布や絵具や顔料の狭間に、画家の眼はゆくりなくも何かを見出し、そのフォルムは白線でなぞられてあぶり出される。そして私達は、その画面上にいつの間にやって来た、どこの民とも知れぬ人々が浮び上がるさまを、目にする事になるだろう。もちろんそれは、画家の描き出したものである事に違いはないのだが、しかし画家本人の側から見れば、どこからか奇跡のように降り立った客人(まれびと──榎並さんが用いるキーワードの一つで、異界より来訪する存在を言う)」達なのである。
第10回展に臨んで、今までの拙文を総括しつつ、何か気の利いた事でも言えればと思っていたのだが、どうやら安易な抜粋でお茶を濁しただけで終りそうである。 それだけではどうも宜しくないので、少々の蛇足を加えさせてもらえば、以前に読んだシモーヌ・ヴェイユの論文に、こんな一節があった──芸術や学問においてさえも、二流の制作は自己を拡張するけれども、すべて一流の制作である創造の仕事は、自己放棄である──、何も「待つ」事がイコール「自己放棄」とは言わない、しかしどちらかと言えばそれは「自己放棄」に近いだろう。一見「自己拡張」という言葉にも、狭い自我の領域を出るというイメージはあるが、しかし自己をどう拡張してみたところで、それはやはり自我の範囲内に過ぎない。ならばその範囲を破ろうと試みる時、範囲を作り出している自我そのものを捨てなければならない、それが「自己放棄」の原理なのだとすれば、正にヴェイユの主張は正しい、等しく一流の創造とは、自己を超える行為に他ならないのだから。ただ、現実に自己を放棄する事は極めて困難である。良くも悪くも、それまで生きて来たあらゆる総集が自己であるのなら、それを捨てよと言われても、そう簡単に実現出来るものではない。だからこそ芸術家は「待つ」のだろう。自分の中に無いものは、外からの到来を「待つ」他ない。とは言え、実はそれは外からに非ず、自身の深層から来たものではないかと言われればそうかも知れない、そうであったにせよ、自身でさえ意識の出来ない領域からの到来は、ある意味外からの到来に同義ではないか。ある日、思いも寄らず何かが降り立った時、その人は確かに自己を超えたのである。
年を経るごとに榎並さんの画面には、以前の宗教的な題材よりは、ごく日常の風景が描かれる事が多くなって来た。しかしよく作品と付き合えば、時にその日常からにじみ出す「祈り」に気が付く。とすれば、ことさらに宗教的テーマを描かずとも、やはり榎並さんの世界にはある種の宗教性が潜在している。もしやそれは「待つ」事からの帰結なのだろうか、上述したヴェイユのこんな言葉を聞くと、そうも思えて来るのである──待つことの中に、求めることの中に、神はいるのかもしれない。
(18.04.16) 山口雄一郎