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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2018.01.31(ポケットの窓から)


はる 6127
 パス 風邪ひいたかな。

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おぼろ月 - 2018.01.30(ポケットの窓から)


はる 6126
 これも独り言
 絵を描く才能はないな。絵だけのことを考えたらほとんど絵描きが私より描けるだろう。アイディアも私より奇想天外なものを持っている人はそれは星の数ほどいる。私のアイディアなど常識から外れる物ではない。さて私のやっていることはなんだろう?

 見えた物を見えたように表したいとも思っていない。それは単に周りを写した写生にすぎない。そんなものに大した価値はない。私の中にまだ見たことがない、気づいてさえいないものがある。それを絵を描くことで見つけたい、発見したい。どんどん掘り進んで本当の源泉(オリジン)までたどり着きたい。絵を描くとは自分を発見する道具だと思っている。未だにまだ見たこともない自分を見つけて驚きたい、面白がっていたい。面白いから続いている、面白くなくなったらやめる。

 絵は描かれたものだけれど、そこに描かれたピエロや音楽家に大した意味はない。それは私の考える色や形の仮の姿なんだろう。一筆一筆自問する、この形はありますか?この色はありますか?わざとらしくないですか?そういたった問いかけの総体が私の表現のように思う。

 

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生きがい - 2018.01.29(未分類)

はる 6125
 思想家という言葉はあるが思索家という言葉はあまり聞かないな。思索にふける。ぼーとモノを考える。次から次に浮かぶろくでもない事柄をそれなりに納得した言葉に置き換える作業。説明する。

 私は授業中生徒に作業をやらせながら頭の中ではほとんど他の事を考えている。その時に必ずメモを取りながら考えている。本当は言葉を発して独り言でもいいのだけれど、そうするときっと生徒は気持ち悪く思うだろうから、メモを取ることにしている。とても生徒には言えないことだけれど、まぁ毒にも薬にもならない単に思い付きのメモだったり、次のアイディアスケッチだったりするのだけれど、閻魔帳にはさんである。何枚かたまるとシュレッダーにかけてこの世から消えてなくなる。生徒から見ればいつも何か書いている先生はどう見えるのだろうか?

 さてそんなことはどうでもいい。この輪っかの話だな。むかしからこういった領域の話はあった。必要条件とか十分条件ってね。数学の分野だったけ。でも今の話は数学の話ではない。「君たちはどう生きるのか?」というはなしだよ。まぁ昔からの永遠の命題だけれど、今その本が流行って来てるらしいな。この間漫画本になっているのを読んだ。

 なんだろうな、政治がほとんど今だけの事しか考えていなくて自分たちの票を取ること、徒党の数を増やすことそんな見苦しい争いをやっている間に、どんどん国力が落ちて若い人たちが不安にかられている。仕事は不安定でまともに結婚して家庭さえ持てない状態だ。いやそんな中でも雄々しく生きている人はたくさんいるのだけど、全体的にみてやっぱり停滞しているよな。どこかおかしい。

 基本的には個人的な問題なんだけれど、どう生きるのが幸せなのかということをゆっくり考える余裕がなかったんだよな。国も企業もそして個人も。戦後はモノがなくて追いつけ追い越せで闇雲に走ってきた親父たちの世代があって、まぁ戦争も体験した世代だから地獄をみた人たちだから強かったんだな。そのあと生まれた俺たちはそんな親父の姿にやや批判的だったんだけど、結局何も変えられなくて挫折して親父と同じように猛烈に働いて来たんだな。

 この後の世代は俺たちとは違うね。豊かな物の中で育ってきたからね。有って当たり前の人たちだから。働かない結婚しないという選択も有りになってしまった。そうなると自分の存在ってなんだ。という本質的な問いかけがでてくるんだな。動物として生きる事の意味を見失った民族というのは存在が危ないんじゃないかな。たぶん。

 哲学というのか思想というのか宗教でもいいのだけど、人間の本質を本気になって考える時が来たのじゃないかと思うんだ。

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今日のアトリエ - 2018.01.28(ポケットの窓から)


はる 6124
 そうだな今の日本の画壇を形成している団体展などでみられる絵画と世界の美術市場で出回っている絵画とは大きく遊離しているとおもうな。現代絵画が何を意味しているのか私自身よく理解していないのだが、海外のアートフェアなどをみると日本の今の状態は一世紀以上遅れたガラパゴス状態なんだろうな。

 そしてそれ以上に異常なのは今日本の絵画市場で売り買いされているのはほとんどが美人画系列だということだ。最近FBの友だちを増やすために共通の友だちが50人くらいの人に友達申請を送っているのだが、そのほとんどがその系列に入る。男も女もみんな同じような美人画を描く。またそれが売れるからなんだろうけれど、それをどうやって家に飾るのだろうかと不思議に思う。ただ単にコレクションしているだけなんだろうか。

 そういう美人画の作家がいてもいいのだけれど、そんなにみんながみんな美人画を描く必要はないだろう。猫も杓子もという言葉があるけれど、絵描きと言えば美人画を描く人というふうになってきた。これはたぶん日本だけの風潮なんだと思うな。これもガラパゴスだ。世界市場では絶対に通用しない。

 私はあらゆるものがガラパゴスでもいいと思っているんだ。世界標準でなくて結構だ。それが我々の国民性だというならそうだろう。そのうちに淘汰されていなくなる民族だというならそれも仕方ないだろう。

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コエン - 2018.01.27(ポケットの窓から)


はる 6123
 デパートで個展をやるとそこの係りの店員さんは「○○先生」と呼ぶ。まぁこれは慣例でそういう仕来りになっているのだと思われるが、最初は凄く違和感があった。まだ何事か偉大なことを成し遂げたわけでもないので「先生」と呼ばれるほど偉くはない。当分これからも。

 ところで驚いたことに「先生」と呼ばれないと怒る人がいるということだ。そうなるとまるで笑い話のようだな。いったい「先生」というのはどういう意味なんだと疑ってしまう。長い時間一つの事に関わって何かしらの結果を出して、とりあえず人並み以上の人格を備えた人間を先生というなら納得できるのだが、ただの絵描きに先生はないだろう。

 

 

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お迎え - 2018.01.26(ポケットの窓から)


はる 6122
 なんでもない独り言

 青山二郎は「美は発見である」と言った。けだし名言だけれど、その意味するところはこういう事だろうと解釈した。普通日常生活していれば見過ごしてしまう些細な事でも見方を変えればとんでもなく面白い。それが面白いと気付くことが美だと言ったんだな。

 もう少し言えばそれを分かりやすく他人に伝えることが表現だと思うんだ。音楽であれ美術であれ文学であれ表現することの大事な事はそのことのように思う。

 例えばデパートで個展をやるとそこの係りの店員さんは「○○先生」と呼ぶ。まぁこれは慣例でそういう仕来りになっているのだと思われるが、最初は凄く違和感があった。まだ何事か偉大なことを成し遂げたわけでもないので「先生」と呼ばれるほど偉くはない。当分これからも。。

 何かを見て実物と寸分たがわないように描ける技術を持っているとして、それがどんなに優れていても表現とはいわないのではないか。なにか自分が気がついて些細な事であれ自分なりに工夫して「私はこう見えました、こう感じました、こう思います」ということを人様に伝えようとしなければ表現した、するという事にはならないのではないかな。

 絵の上手な人を目の敵にしている訳ではないが、天才的に上手い人が普通に描いて「あぁ上手だな」というのは表現にはならないように思うな。それは天然だもの。一種のアールブリュットみたいなもんじゃないのかな。子供が子供のように描いたとしてもそれは表現でもなんでもない。ただ描いただけだ。

 芸という意味ではそれは強力な売りにはなるだろうけれど、表現者ということにはならない気がする。

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今日のアトリエ - 2018.01.25(ポケットの窓から)


はる 6121
 とにかく猛烈な寒さだな。明日は零下10度くらいの予報だ。温暖化と冬の爆弾低気圧と極寒はペアになっているそうだけど、古い民家は特に足元が冷えるな。

 知り合いの親が亡くなって空き家になった。ガスや水道、電話を止める申請をするのだけれど、これがなかなか思うようにいかないらしい。いくら止めても請求書が来る。で電話するとそれはコンピュータが勝手にやっていることで支払する必要がないという。なんだそれは、わざわざ切って貼って請求書を送ってくるのだからちゃんとわかっるはずだろう。何回か電話もしている。それは怠慢だろう。

 そんなこと聞いてぷろぷり怒っていたら、今度は県の御役人の話を聞いてまたも頭にきた。県産品を何とか売り出そうと民間の力をかりでやっとこさ動き出したら、動きが鈍すぎてとどこってしまった。午後5時にはみんな帰ってしまって連絡が取れなくなってしまうし、土曜日や日曜は確実にオフになってしまう。窓口が一本でなくて話がまとまらない。それに下の方で了承できても上の役職のところでダメ出しが出るともうそれ以上進まない。おまけになんやら儲け仕事をやりたくないらしくて、自分たちに責任が出てくるのが嫌なもんだから、OKが出なくなってしまう。

 役人たち、すべてが悪い訳じゃないだろうけど、基本何もやらなくても給料はでる。反対に何もやらない方が楽なんだな。だから民間を入れて活性化などというお題目はすきだけど、結局何もしない。前例前例で新しいことなどまるで関心ない。五時には終わって家に帰って飯食って晩酌して寝るこれで幸せなんだ。

 大きくすればそのまま今の日本の政府と同じで、一度動き出したプロジェクトは止めることが出来ない。明らかに負の遺産であるにもかかわらず、それを止めることが出来ない。前例を作りたくない。聞く耳を持たない。長いものには巻かれろ。お上が一番。それに反対するものは非国民で反日だということになる。戦前の軍部と同じだ。このまま行けば日本は確実にドツボにはまるな。

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今日のアトリエ - 2018.01.24(ポケットの窓から)


はる 6120
 役人は働かん。


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雪景色 - 2018.01.23(ポケットの窓から)


はる 6119
 今日は疲れたのでもう寝ます。

 デパートに一週間身を置いてみて感じることがけっこうある。最初の頃はその華々しさに目がくらんだものだが、10年も経つと結構色々なものが見えてくる。傲慢な言い方になるかもしれないが、自分の絵はデパートには合わないのではないかとずっと思っていた。間に入っている関係者さんには申し訳ないが、それは今でもあまり変わらない。

 けれど、他では味わえないある種の匂いも感じられることは確かなことだ。それは何だろう、今現在の大衆が何を求めているかというような香りだろうか。ヴィトンやプラダなどのブランドに踊らされているだけではない、根底に流れている大衆の動向、不安、希求しているもの、大きな流れ、それは他ではなかなか見えないものだ。

 今までと少し違うなと感じた。確かに株価はバブル以降最高値を示している。なんとなくバブルの再来を予感させる。けれどみんな知っているんだな、薄々感じているところがある、こんなものは本物じゃない、まぼろしだってね。思いすごしかも知れませんが。。

 時代の転換期のにおいがする。大きく変わるぞ。

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今日のアトリエ - 2018.01.22(ポケットの窓から)


はる 6118
 今日は雪だ。数年前の大雪を思い出す。あんなことにはならないことを祈る。雪国は大変だな。

 長年クロッキーをやっているけど、満足するというのかこれでいいと思ったことがない。本当にいつまでやっても飽くことがない。画材を色々変えてみるけど最初はそれなりに面白いと思うのだが、やっているうちにどこか不満が出てくる。それでまた変えてみたりする。

 ネットでクロッキーの動画があったりするのでたまに見る。他の作家のサイトを見るより面白い。なんだろう作品に関しては凄く自信があってこれが私のスタイルだと思い込んでいるところがあるのだけれど、クロッキーに関しては未だに開発途上で研究熱心なところがある。なんだろうこれは。デッサンに縛られた絵を描いてはいないのにここのところだけ奇妙にまじめなところがあるな。物を観て描くクロッキーと創作する絵と全く違うことを並行してやっている。絵を描く原点のような気もするな。

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2018/01/21裸婦クロッキー - 2018.01.21(裸婦クロッキー)


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はる 6117
 今日はクロッキーだった。今回また木炭に戻ってやってみた。最初は墨でやるつもりで用意していたのだけれど、途中で方向転換した。筆によるにじみやぼかしが面白い効果を生むのだけれど、それに頼ってしまって形や陰影があいまいになる。作品として見た場合、偶然の効果が作為的な線や陰影よりはるかに面白いのだけれど、実際にモデルを見て描く場合何だかもったいないなぁと思ったんだ。何処が?モデルさんが一生懸命ポーズしているのにそれを差し置いて勝手にデフォルメしていることが。

 それと確かに筆の勢いみたいなものは面白いのだけど、もっとこうバリバリと描きたいという気になったんだな。間違えてもいいから委細構わず線を引く、今はまだそんなところじゃないかと思ったんだな。筆と墨というのは画材としてとても面白い材料だけれど、習作というのかデッサンには向かない。

 いつもスタンスは同じだと思う。上手さというのかテクニックで勝負したくない。手業はとても大事な売りなんだけれど、技みたいなものはいくらでも上があると思うんだな。それだけで勝負したらたぶん負けることの方が多いだろう。天才的に上手い人というのはいるからね。そんな人たちにはどうやっても勝てない。

 心がけるのは無作為な線や陰影だな。これは自分にしか分からないかもしれないが、こう没頭して夢中になって我を忘れて集中している時にポッとそんな時があるんだな。そんな時が一番気持ちいい線が引ける。やっていてよかった思う瞬間だ。実際はその時は気付いてはいないのだけれどね。


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今日のアトリエ - 2018.01.20(ポケットの窓から)


はる 6116
 今でもそうだけれど、いくつかのデパートの画廊を巡れば最近の売れ筋というのがどういうものかわかるだろう。これはデパートだけではないのだけれど、物事はすべて需要と供給のバランスで成り立っている。商業主義というのか、資本主義というのか、兎に角お客さんのニーズというものが如実に表れるのが、デパートの店先という事になるだろう。

 たぶんこれは今の政治にもいえるんだろうな。民主主義というのは両刃の剣で人気取りみたいな一時のブームみたいなもので政治が決まって仕舞う。多数決だから、決まったことだから正義だとは限らないのだ。兎に角大きな組織票を持った者が全てにおいて権力を牛耳るようになっている。極力大衆が気がつかないように、上手い事言ってね。気がついた時にはもう二進も三進もいかない。話が違う方向に進んだ。元に戻して。

 デパートのコンセプトにはこれからの物を先験的に取り扱って行こうなどというスタンスはない。有ったとしてもあくまでも近い将来売れるであろうという予測の元でしか仕事をしない。自分達は文化を担ている先端企業だなどという見上げた考えなどない。当たり前だけれど、兎に角今利益を上げることが第一でそれ以外は自分たちのあずかり知らぬことである。故に大衆が今求めている商品が店先に並ぶわけだ。反対に言えばお客さんが今何を求めているのか?というのが最大の関心事であるだろうな。

 だから伊勢丹など今を時めくデパートは美術画廊など一番最初に切ってしまった。同じ売り場面積を持つならば確かにブランドに貸した方が利益があがるのは当然だ。企業戦略として考えるならば至極当然の選択だろう。けれどそうした戦略が長い目で見てデパートの特徴を、デパートそのもののブランド化を妨げているように思うな。昔のデパートは地域の文化の発信地でもあったわけだから、ただ単に利益を上げればいいという発想は自身の首を絞めることになるだろうな。

 話がまた難しいところに入り込んでしまった。そんなことを言いたかった訳じゃないのにな。

 私がお世話になっている松屋さんも10年前までは大きな画廊のスペースを七階に持っていた。ここをレンタルすれば一週間で何百万といわれたものだ。ところがそれだけのスペースを収益の上がらない画廊にしておくよりテナントにした方が利益率を考えればそうなるよな。という事で画廊のスペースは五分の一ぐらいに縮小された。今のスペースはギャラリーというにはちょっと違う多目的な展示スペースだ。私にとってはこのくらいの小さなスペースの方がプレッシャーが少なくていいのだけれどね。

 松屋はオーナー企業で他のデパートとは少し違う。今は華々しくは無くなってしまったけれどある種の特色がある、特に七階は利益だけではない啓蒙的なデザインや小物に先験のコンセプトがあった。憧れの聖地だったんだ。それを無くして欲しくないな。私が松屋さんでいつまで出来るか分かりませんが、少なくとも私より利益が上がる作家はいくらでもいるし、代わりを望むものもいくらでもいるだろうな。それでも明らかに今の絵画の流れとは違う私の絵をこれでいいというF氏の度量の広さには感謝していますね。

 

 

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今日のアトリエ - 2018.01.19(ポケットの窓から)


はる 6115
 正直いえば自分の絵が不特定多数のお客さんに受け入れられるとは到底思えない。いまもその思いは変わらないのだけれど、一人よがりでは、だれも受け入れてくれないのであればやってる意味がない。一人でもいいと言ってくれる人がいて、そして身銭を切って買ってくれるお客さんがいて初めて認めてもらったと思えるんだな。「いい」と言うだけではまだまだだ。

 個展を始めた頃は物珍しさもあって知り合いや親戚筋がけっこう買ってくれた。奨励の意味もかねて、頑張れよというエールなんだろうな。凄くありがたかった。ロケット離陸みたいなもので、ここでこけたらとてもじゃないがやって行けない。立ち上がりは勢いで何とかやってこれた。それも数年だな。それ以上期待しては飽きられてしまう。まぁそこまでに何とか新しいお客さんをつかまえなければたぶん墜落してしまう。

 そうだな私の場合一番最初に銀座で個展を始めたのが1988年、まだバブルがはじける前で銀座あたりは地上げ屋や小金を持った胡散臭い輩が黒塗りの高級車でうろちょろしていた。私は大きなバンを持っていて旅芸人のごとく一切合財積み込んでウイークリーマンションに逗留した。団体展にも所属していなかったのでDMを作っても出すとこもなかったな。会期中はお客さんがほとんど来ないのでよく居眠りしていた。気がつくとお客さんがいた何ていう事もよくあった。そんなのでもいっさい苦にならなかったな。今はまだまだでもこれは必要投資だと思っていた。

 地元と銀座で個展を続けるというのがその頃の私のスタイルだった。何年続けたろうか。その頃に誘われて団体展に出品するようになった。最初はもう個展だけでいいと思っていたんだけれど、何だろうな仲間が欲しかったのかもしれんな。同じ志をもった若い仲間がほしかったのかもしれん。その頃頑張って銀座で個展をやっていた連中が今じゃ中堅作家で活躍している。安井賞作家も何人かいる。絵などほとんど売れなかったな。

 93年と言えばまだバブルがはじける前かな。神戸で大きな絵画コンクールがあってその当時一番高額な賞金を出していた。私はイタリアに一年遊びに出かける軍資金を狙っていた。是が非でも取らなければイタリア行きは夢で終わってしまう。賞金稼ぎに徹することにする。テーマは「神戸を訪れて感じたこと」私にとってはこれ以上ないテーマだ。子供の頃から青春期まで過ごした思い出の倉庫だ。これを逃すてはない。

 まだ書けそうだな。

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水屋箪笥 - 2018.01.18(ポケットの窓から)


はる 6114
 デパートで個展をやり始めて10年経った。最初は本当に自分の絵が大きなデパートで通用するのか、一枚も売れないのではないか、間に入った画商さんに恥をかかせて終わるのではないか、と不安だらけで発進した。まぁ一回だけで終わってもいいかな、そんな経験をしたというだけでもありがたい事だとも思っていた。私でなくともデパートでやりたい人は掃いて捨てるほどいる。

 町中の企画画廊の場合、オーナーの趣味というのか意向というのが全てだ。私はこれこれという作家のこういう所が好きで企画するから見に来てください、出来たらアシストしてくださいというのが画廊のスタンスだな。良くも悪くも分かりやすい。まぁそれ以外はない。

 デパートの画廊の場合はまず場の設定からして違う。絵に興味のある人もない人もその他大勢が一緒くたになってぞろぞろとやってくる。百貨店という大きな市場だ。置かれているのは値段がついた商品だ。落ちぶれたとはいえデパートは大きなブランドなんだな。そんなところに私の絵が並ぶわけだ。それだけでも場違いな感じがするよな。

 絵描きになりたいと思って絵を描かき始めたわけではない。でも絵を描いて生きていきたいとは思っていた。アマちゃんだけれどはっきり言って矛盾しているけれど、それが正直なところだな。今売出し中の具象作家とはこんなところも違うのではないかな。絵画製造販売業ではないんだぞという気概かな。あくまで表現者でいたいということかな。

 もう少し書けそうだな。

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今日のアトリエ - 2018.01.17(ポケットの窓から)


はる 6113
 デパートで木偶の坊のように立ってるといろんなことが見えてくる。ちょうど上の階で有名な刺繍の作家が展覧会をやっていたのでその流れて着物を着たおば様連が多かった。階の構造上直通でエレベーター上がるか、一階下のギャラリーの前のエスカレーターを通って行くしかないようになっている。

 ここだけの話、朝からまるでお宮参りのごとく着物を着たおば様たちがぞろぞろとそろって登って行くさまは少し滑稽にみえた。ひがみかもしれませんが。

 それでも時々私の絵を観て足を止めて「なんだこれは」と不思議そうにそろりそろりと入ってくる人がいる。まったく歯牙にもかけない、存在さえしないかの如く無視する人もいるわけだ。その違いって何なんだろうと思う。単に興味がないというだけなのかね。

 どこかに惹かれる、引っかかりを感じる、それが色なのか、形なのか、絵肌なのか、どこかで観たような色や形だったのか、それとも不快だったのかもしれないな。気持悪いとか。何らかのきっかけで気持ちが動いた訳だ。まったく無視されるより数倍嬉しい。

 絵の中にはその人の欠片が隠れていると思うんだな。それが何だか本人さえ分からない欠片なんだ。それが心を刺激するんだ。チクチクとね。子供の頃にみた夕焼けの色だったかもしれない。土遊びした湿った泥のかんしょくかもしれない。

 絵を観るのはそんなきっかけになればいい。作家が提示したものと同じでなくてもいいんだ。いや同じであるはずがない。生きてきた過程がみんな違うんだもの。そうやって心の中を探って行く道具になればいい。そうでなければ絵や文学や芸術を鑑賞する意味が半分にもならない。

 そんなことを感じながら一日画廊に立っているとけっこう楽しかったな。どうもありがとうございました。

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あずさ - 2018.01.16(ポケットの窓から)

帰宅途中

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最後のにぎわい - 2018.01.16(ポケットの窓から)



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屋上 - 2018.01.16(ポケットの窓から)

いつも屋上で昼寝、今日は暖かく気持ちいい。

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楽日 - 2018.01.16(ポケットの窓から)

今日は5時までです。

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ラスマエ - 2018.01.15(ポケットの窓から)



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個展6日目 - 2018.01.15(ポケットの窓から)

いよいよ後二日です。

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いい天気です。 - 2018.01.14(ポケットの窓から)



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個展5日目 - 2018.01.14(ポケットの窓から)

今日は日曜日です。後残り3日ですよ。

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個展4日目 - 2018.01.13(ポケットの窓から)

少し疲れました。お客様に会うのは楽しいことではありますが。

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個展3日目 - 2018.01.12(ポケットの窓から)



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2日目 - 2018.01.11(ポケットの窓から)

少し寒いですが、気持ちのいい天気です。

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初日 - 2018.01.10(ポケットの窓から)



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1日目 - 2018.01.10(ポケットの窓から)



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前夜 - 2018.01.09(ポケットの窓から)



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dellから - 2018.01.08(作品)

はる 6104
おはようございます。昨日は早く寝てしまった。参考になるかどうか、わかりませんが励みにはなりました。どうもありがとうございます。上手い下手というより大事なのはそれを見分ける眼力でしょうね。これはもう鉄斎じゃありませんが、万里をたびして、万巻の書を読んで、描くしかないでしょうなぁ。。死ぬまで。

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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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