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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

黒猫かな - 2017.08.31(作品)

はる 5975
 そろそろ秒読みになってきたよ。6000まで。

 色んな面倒が降ってわいてきて今日一日そんなことで振り回される。まぁ生きているうちはこんなものかな。公の文書というものは何とメンドクサイものか、普段の生活からは考えられないような煩雑さだ。特に私などは本籍が今住んでいる場所ではない神戸においてあるので、何かと公の文書を取り寄せようとすると急いで回しても中四日はかかる。大体本籍など何の意味があるのか、訳が分からん。

 結婚した時に住んでいた場所が狭いアパートだったので、そこを本籍にするわけにもいかず実家のあるところを本籍としたのが間違いだった。何とか片が付いたら本籍を移しておこうと思う。

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今日のアトリエ - 2017.08.29(ポケットの窓から)


はる 5973
 昨日の画像から発展した話。「猫の後ろ姿」さんがブログに書いてくれました。そのまま引用します。あしからず。
 「猫の後ろ姿」
・・・・・・・・・・
「・・ぼくはこれを「ピエタ」を描いた絵だと思ったので、<ピエタですね。厳粛な気持ちがします。>とコメントした。そうしたら、TSUさんが、<これ「遷」ですね。>とコメントして来られた。
 この字の正確な意味を僕は知りません。こんな時は、白川静先生の『常用字解』を開くしかありません。当然ですが、ありました。

 「遷」は、死者の身体を両手で抱えて遷(うつ)す形なのだそうです。
 古代中国では死者をいったん「板屋」(ばんおく。板で囲った家)に収め、風化するのを待って埋葬する事が行われていた。
 「遷」は、屍を板屋にうつすの意味から、すべて「うつす、うつる、かわる」という意味に用いるとのこと。

 TSUさんの仰る通り、この絵はまさしく「遷」ですね。キリストの死を描いた「ピエタ」というよりも、死すべき存在としての人間の死を描いた「遷」の絵と考える方が普遍的な深さが感じられます。

 若い弟子に先に逝かれた孔子が川べりに立ってつぶやいた言葉。
 「行くものはかくの如きか。」を思い出し、人の死を思います。・・・」


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とりあえずここまで - 2017.08.28(作品)
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はる 5972
 とりあえずここまで来たけど、どうもなまだ気に入らないな。このまま見ていてだめならまた壊す。ここまででもかなり絵の具が厚くなってきた。

 絵の具の作り方などをFBにあげるとけっこう質問が来たりする。そんなに珍しい事ではないと私自身は思っているのだが、一般的ではないのかもしれんな。絵を描くと言えばまず画材やに走ってキャンバス買って、絵の具を買って、筆かって、、そこから始まると考えるのが普通だわな。私もそうだった。

 前にも書いたけれど、絵画を分解すると描くものと描かれる物に分けられる。描くものは鉛筆だったり、水彩絵の具だったり油彩だったりする。描かれる物は紙や布やキャンバスということになる。それでもっと細か分けて行くと、結局描くものは鉛筆でさえ細かい粒子(この場合は炭素)を描かれる物(この場合は画用紙)に何らかの形でなすりつけて定着した物と定義できるわけだな。少々理屈っぽいけどね。だから油彩だ水彩だコンテだパステルだなどというのは絵を仮に分類するためだけのもので本質的な違いではないということになるな。

 何でこんな話になるかというと、オリジナルということを突き詰めてゆくと一度は一番原始的な、絵画とは何かという所まで下りて行かないと始まらないような気がしたからだな。絵の具もキャンバスも自作するところから始めることで絵画することの意味が分かるような気がしたからだな。

 前にも書いたけれど、カレーを作るのにルーを買ってきて材料だけ変えて、ビーフカレーだ、木のこカレーだ、山菜だと言ったところでそれほど大きな違いはないし、そこから気づくこともそう多くはない。根本的な違いはないからだな。ところがカレーのルーから作るという事になればその歴史、オリジンも知らなければならないわけだ。何となにを組み合わせることでどんな香りになるのか味になるのか、そこから得られる変化は本質的な物だ。

 しかし、それを誰かに教えてもらってやったのでは得られるものは少ないのだな。必然性がないからだ。・・


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過程 - 2017.08.28(作品)


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過程10 - 2017.08.27(ポケットの窓から)


過程10
はる 5971
 ネットというのは非常に面白い。ちょっと怖いところももちろんある。自分の名前で検索すると様々なことがヒットする。まぁ私などはある程度それを見込んでブログなどで外に向かってメッセージを書いている訳で、今まで知ることがなかった人とも巡り合う可能性もあるわけだから、無名の作家にとってはなおざりには出来ない。

 ところでこんなことを書いたのは、ある人のブログをたまたま見つけて読んだからだ。今やっている千葉の山口画廊の個展をご覧になったいきさつや、その感想が書かれている。ここで勝手に紹介していいのか分からないのでアドレスだけ紹介しておきます。いやとてもありがたい感想だったので、嬉しかったです。直接あったわけではないのですが、非常に励まされました。なんとかこれでしばらくはやって行けそうです。ありがとうございました。

Gre[Kappa Sigure]のつれづれなること。


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つぶした。 - 2017.08.26(ポケットの窓から)



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制作過程 - 2017.08.25(作品)

制作過程まだ途中
 はる 5969
 あと一か月で6000カウントになる。遠い先だと思っていたことも一日一日の積み重ねは大きいな。いつの間にか近づいていてビックリすることが多い。反対に一日延ばしにしているといつの間にか忘れている。

 さて夏休みも今週で終わりだ。来週から授業が始まる。私は週一だけれど、それでも何となく憂鬱だな。長い休みの後は特に嫌いや病がでるな。もう35年もやってるんだけどね。まぁいつまでやれるんだか、辞めてくれと言われたらそこまでだけれどね。生徒との年齢差は50年だからな。まぁ凄い。

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絵の具を作る - 2017.08.23(ポケットの窓から)


はる 5968
 ミクストメディアになった当時は面白がって色々な粉物を絵の具にした。胡粉などはもともと日本画の絵の具なので当たり前すぎて面白くない。弁柄は建材やさんに行けばキロ単位で売っている、それに物凄く安価だ。後はセメントを染める染料とか、木工で使う砥の粉、黄土など。

 ところが天然のものは水を入れると保存がきかない。苦肉の作でアトリエに専用の小さな冷蔵庫を買って保存している。それでも多量に作り置きはできない。やはり日本画のように使うだけの絵の具を溶くというのが本来のやり方のようだ。私のようにずぼらな性格では無理がある。多量に作った絵の具を腐らせてしまって泣く泣く廃棄することになってしまったことが何回かあった。

 それからもう一つはここは大事なんだけれど、粉物は粒子が細かく飛散する。それを吸い込むことで非常に危険なのではないかということだな。組成をよく確認して人体に無害の物を出来るだけ選択しなければならない。天然ものといっても有毒は使えない。だからセメントを染める染料など使う事は止めた。明らかに安全な物しか使わないことにした。

 砥の粉や弁柄、胡粉、黄土などは食ったところで無害であろう。

 それからもう一つ勉強になったのは、絵の具の組成を調べたことだ。絵の具屋さんから直接顔料を取り寄せたのですが、そこで使われている顔料と既成の絵の具が同じ材料だったということが分かった。保存という事を考えると結局はある程度決まった色は既成の絵の具を使った方がいいという事だ。どうしても欲しいものだけ使う分を自作することにした。その一つがこの緑青のようなグリーンだ。

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今日のアトリエ - 2017.08.22(ポケットの窓から)


はる 5966
 個展会場で絵を描くのが好きですか?と聞かれてちょっと困った。どうなんだろうな、私は絵を描くのが好きなんだろうか?絵さえ描きていればご機嫌だなんて少年時代を過ごしてきたわけでもないしなぁ。今でも絵を描くのが楽しいか?と言われるとそうでもないと言ってしまうな。

 そもそも私の作っている物が絵なのかどうかそれも疑問だな。絵を描いていると意識もあまりないし、他の人の絵を観てもあまりピンとこないな。何かみんな私と違うことに一生懸命なっているという違和感があるな。一生懸命何やら写しているけどそんなものに何にも感動しないし、存在意義を感じない。だから最近はあまり人の絵も見ないな。すごく傲慢なんだけれど、どうしてみんな私のように描かないのだろう?作らないのだろうと思ってしまう。彼らのやっていることには作る描くという最も基本的なところに無理がある。

 理想を言えば今生きている時間をそのままパックして表示できれば一番いいのかもしれん。何もほじくり返してことさら特別な事をする必要など全くない。生きてることがそのまま自分の表現になることが理想だな。私は絵を描いてはいない。生きているだけだ。

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帰って来ました。 - 2017.08.21(ポケットの窓から)


はる 5965
 二日しか滞在できませんでしたが、まぁ楽しいひと時を過ごしました。山口さんとの付き合いもそろそろ10年になろうとしている。まぁ毎年同じような話の繰り返しですが、それでも何だかんだ話している内に時間は過ぎて帰るころには何だか後ろ髪ひかれるような気になるのはどうしてでしょうね。

 多くはない私のお客さんでしたが、お会いできて話ができて楽しかったです。また来年同じ頃にお会いしましょう。

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千葉個展2日目 - 2017.08.20(ポケットの窓から)


はる 5964
 楽しかった在ろうも終わってしまった。付き合ってくれた山口さんどうもありがとうございました。

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在千葉1日目 - 2017.08.19(ポケットの窓から)


はる 5963
千葉に来ていてます。今日は午後から、明日は朝から在ろうの予定。如かし、スマホからの配信は面倒です。

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夏の終わり。 - 2017.08.18(ポケットの窓から)


731部隊の真実
~エリート医学者と人体実験~」...


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はる 5962

 我々日本人にとって共通する痛い部分は隠してはいけないのだと思ってシャアしました。誰が悪いこれが悪いという問題ではないのです。戦争とは普通の人の感覚が無くなってしまうという集団催眠なんだということでしょう。今更ですが、最近のNHKスぺは凄みを増したな。これも内部告発みたいなものか。

 ナチスのホロコーストは人類の負の遺産として世界中に認識されています。これは隠してはいけない人類の遺産なんです。繰り返さないための。。
 

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今日のアトリエ - 2017.08.17(ポケットの窓から)


はる 5961
 やはり昨日の画像が遅れて着いたようだ。それにしても今日の画像はすぐに着いたので訳が分からん。気まぐれだ。。

 自分の作った物には愛着がある。当然だけれど凄くいとおしいと思うのだな。まるででたらめに色を置いているように見えるけれど、それなりの理が有るんだな。それを言葉で説明するのはなかなか難しいけれど、やってみよう。

 見たまま描いた絵ではない。見えた物を再現する、描写するということから全く離れている。徹底して描写するその心地よさも理解はできる。それでもクロッキーのような即興的な描写には興味があるけれど、全くそこにある物をあるように描く描写には面白みを感じない。

 この世界は理解できないけれど、たぶんある理で出来ている。。人は死ねば分子レベルに分解されてやがてはこの世の何かの生成物となる。そう考えれば輪廻という考えも科学的には正しいといえるかな。意識があるかどうかを問わないことにすればね。

 末端にも本性があるとはある作家の言葉だ。例えば今日一日はその人の一生に似ている。この一時間の過ごし方をみれば、大体その人の一生が透かして見えるのじゃないかな。もちろん特別な日というのは例外にしてね。。

 だからたぶんこの宇宙というのは自分の中にあると思うんだな。そうでなければ矛盾でひと時も存在できないのじゃないだろうか。今私がここに存在することとこの宇宙が存在する事とは同等なんだな。

 だから、結局私の中の宇宙そのものを描けばいいという結論になる。何のこっちゃ。また明日。

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レッスン - 2017.08.17(ポケットの窓から)



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今日は画像なし - 2017.08.16(未分類)
はる 5960
 どうも画像が一日遅れで着くようだ。どこまで行って帰ってくるのか。光の速度で一日かけるとどこまで行くのだろうか。というわけで今日は画像を省くことにした。明日の夕方には画像も到着しているでしょう。

 アメリカと北朝鮮が意地の張り合いというのか、後に引けなくなっている。チキンレースという言葉があるようにこういった力の見せびらかしや意地の張り合いは子供喧嘩ではよくあることだけれど、一国のそれも大国がやるとこれは戦争になる。危なっかしい綱渡りだな。

 日本などの周辺国はどちらにしてもあたふたと近所迷惑以外の何ものでもない。力を持てば誇示したがるのは人間の性でこれはしかたないかな。やっぱりどうにかしてすべての国が武器を捨てる、恒久の平和を誓うといった日本国憲法の真髄がいよいよ大事になってくる。

 いずれどちらかが手を出せば人類は無傷ではすまない。日本はとばっちりで原発が二三個ばくはつするかもしれん。そうなるともうどこにも住めん。もういい加減馬鹿は止めて気が付いてほしいものだ。

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自作の盆提灯 - 2017.08.15(作品)

はる 5959

 祝6000カウントプレゼント裸婦クロッキーを3点選んで送ります。ご希望者はメールホームに、お名前、ご住所をご記入の上お送りください。メールホーム


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お盆飾り - 2017.08.14(写真)

はる 5958
 また今回もシャメが上手く飛ばない。何日かたってから突然画面に登場したりする。今の画像は一旦自分のパソコンのメールに送ってあらためてブログにあげている。こんなことは普通やらない。なんとも面倒なことだ。

 今日は町内会の夏祭り。お盆さんってわけだ。午前中にお寺さんが線香をあげに来て、しばらくして夏祭りの準備にはいる。昔は祭りと言えば的屋さんの屋台がずらりと並んでそれを冷やかすのが結構な楽しみだったけどな。今はすべて町内が主催する催しものになってしまった。屋台は出るけれどやっているのは的屋のガラの悪いお兄さんではなく、近所の良く知っているおじさんになっている。なんだかそれじゃ面白くないだろうと思うのだけどな。。喧嘩になることはないけど、祭りと喧嘩は対になっているものだろう。あまり礼儀正しいばかりじゃ面白みに欠ける。

 的屋とか香具師というのは字のごとく、どこかヤクザな雰囲気をふくんでいる。マトヤとかいててきや。香具の師とかいてヤシ。なんともおどろしい。

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今日のアトリエ - 2017.08.13(写真)

はる 5957
 スマホになったけれど使っている機能はガラケイとほとんど変わらんね。スマホにした意味ないねこれじゃ。写真が綺麗というだけか。


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かたちをさぐる - 2017.08.12(作品)

はる 5956
 形を探っています。まだまだこれからです。


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祝6000カウントプレゼント - 2017.08.11(裸婦クロッキー)
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はる 5955
祝6000カウントプレゼントに裸婦クロッキーを3点選んで送ります。上の作品もその一つです。大きさはB4サイズ(37x27cm)です。ご希望される方は下のメールホームにお名前、ご住所、明記の上「祝6000カウントプレゼント希望」と書いて送って下さい。期限は6000カウントを打った日までとします。抽選の上3名にお送りします。なお発送をもって発表にかえさせていただきます。

http://form1.fc2.com/form/?id=7f409aaa743b035e

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どう住まうか? - 2017.08.10(写真)

はる 5954
 ある種の人たちにはわからないだろう。例えば少しでもいい学校へ、少しでも名前の通った会社へ、少しでも安定した職場へ、皆と同じように、出来れば誰でもが分かりやすい順番がついている方がいい。偏差値など一番分かりやすい序列だな。次はブランドだな。

 生き方は家を見れば分かる。普通に真っ当に生きてきたら家の一軒ぐらい持つことが出来る。どんな小さな家でもボロイ家でも自分の棲家であることに違いはない。個人が持つ一番大きい買い物も家でしょう。財産家でもない限りローンを組んで20年か30年かけてやっと自分の物になるわけだ。だからその人の一生の想いがそこに現れるのは当然の事じゃない。。

 家は有名なハウスメーカーが建てたのがいいのではない。有名な建築家が設計したから素晴らしい訳じゃない。持ち主がどんな住い方をしているか、しいてはどう生きているのか、生きたいかと同等の意味がるきがするな。

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部分 - 2017.08.09(ポケットの窓から)


 はる 5953
 食べるものが人を作る。病気をした時にそう思った。あぁそうか、食べた物で人は出来ているんだ。反対に言えば食べた物で病気は作られる。遺伝とか流行ものがあるから一概にはいえないけれど、一端の真実はあるよな。日々毎日代謝している訳で、何か月のちにはほとんどの細胞は入れ替わってしまう訳だ。

 人の意識も毎日接するもので出来る。テレビが家庭の中心にあった時はテレビが人の意識の中枢をなしていた。形作っていたわけだ。それも怖いなぁ。知らないうちにテレビに乗っ取られている、世論など簡単に操作されていたわけだ。それが今の国を形造っている。

 色々考えるところが満載だけれど、今日はもう眠い。

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金を塗ってみた。 - 2017.08.08(作品)

はる 5952
 スマホの写真だけれどカメラとほとんど変わらんね。だんだんカメラは高級なモノ以外淘汰されるだろうね。少し前までサイバーショットなどと言われて小さなカメラを持ち歩くのが普通だったけれど、それももう過去の異物になるね。

 栄枯盛衰というのは世の中の常だけれど、こういった時代物というのか寵児になったものというのは同じようなスピードですたれて行くものだな。それと反対にブームにもならずヒットもしないいつまでも変わらないものというのもある。

 最近仕事しながらラジオを聴く機会が多いのだけれ、FMもそうだけれどAMもなかなか面白い。特にほとんど知らない世界のインタビューなど聞いていると結構感動したりする。ラジオは一時衰退したけれど、深夜便という老人相手の番組なんかも結構人気のようだ。テレビは全く見なくなったけれど、ラジオは面白いよ。絵を描く仕事は単純作業も結構多いので、何かしながらできるのもいい。

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更に上から朱をかけた。 - 2017.08.07(ポケットの窓から)
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はる 5952
 造形物として魅力的な存在か?というのが私にとってとても大事な要素だと思っている。人が創った物でありながら人為的なにおいが感じられないのがいい。どこまでその作為を抜くことが出来るかということが肝のように思う。

 スペインの現代作家で今のリアリズム絵画の火付け役のように言われる作家にアントニオ・ロペス・ガルシアがいますが、実際に観るとけっしてスーパーリアリズムではないのですね。かなりラフな仕上がりで、ところどころ塗り残しがあったり、コラージュなんかもしてあったりして。ここがとても大事なんですが絵画というより造形物として魅力的なんですね。

 日本人の作家の最近のスーパーリアリズム絵画にはそういった何と言うのか物としても存在感が希薄なんですね。

 自分が今ここに存在するという最も基本的な「自己確認」というのか「存在の確認」というのはパソコンやスマホじゃだめなんです。結局まぼろしなんですよ。電脳の世界というのは。ここだけに浸っているとやっぱりどこか人間として生物としておかしくなってくるのじゃないかな。遺伝子組み換えの食べ物ばかり食っているとやがては生殖能力が亡くなって生物として絶えて行くのと同じようにね。

 芸術の存在価値というのはそんなところにもあるのじゃないかな。

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作品No1961「飛行訓練」 - 2017.08.06(作品)

2017「飛行訓練」F10部分 No1961 混成技法
山口画廊で展示予定
はる 5951
 自分なりの絵など一朝一夕にはできない。みんな自分の絵を描きたいとは思っているんだな。でも誰かが考えた絵じゃダメなんだ。けれど最初は誰かに習うしかないないわけで、そうこうしている内に段々自分の絵ではなくなって行く。〇〇の描き方などという本を買うわけだ。ならっている内に上手くなってそれが自分の絵だと勘違いする。

 絵だけ自分の絵を描くという訳にはいかない。絵は自分の生き方を表現したものだからだ。生き方そのものを絵にしなければ自分のなりの絵など描けないのだな。みんなそこのところが分かってない。絵だけ習おう、絵だけ真似をしよう、と思ってもそれは結局もの真似に終わってしまう。生き方と絵を描くことを同じにすれば自然に自分だけの絵になって行くように思うな。

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さいわいびと - 2017.08.05(ポケットの窓から)


はる 5950
 今日も暑かったな。ちょっと野暮用で落ち着かない日々を送っていた。それも明日で一応けりがつく。読者は何のことかわかりませんが、まぁそのうちに報告しましょう。

 ある人のブログにこんなことが書かれていた。
笹本正明
「 魚は泳ぎ方を習ったわけではないのに泳ぐことが出来る。
鳥は飛び方を習ったわけではないのに飛ぶことが出来る。

魚は空を飛ぶことが出来ないし、鳥は水の中を泳ぐことが出来ない。

僕には「僕にしか出来ない生き方」があるはずだ。
あなたには「あなたにしか出来ない生き方」があるはずだ。

僕には「あなたと同じ生き方」は出来ない。
あなたには「僕と同じ生き方」は出来ない。

魚に空を飛べ、鳥に泳げと言うようなものだ。

何故、絵を描くのか。
「僕にしか描けない絵」を見つけるためだ。
まだ見つからない。
だから絵を描き続ける。
「僕にしか出来ない生き方」を見つけるためにも」
・・・・・・・・・・・・・・・
そうなんだよな。上手いとか下手くそだとか関係ないんだよな。自分にしかかけない方法で描けばいいわけで、それが自分の生き方なんだと思う。そこに至るまでのじたばたなんだよな。。

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土を塗る。 - 2017.08.04(ポケットの窓から)



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更に麻布を貼る - 2017.08.03(ポケットの窓から)


はる 5948
 山口画廊 画廊通信Vol.169 
 また面白いので無断転載します。山口さんだめなら言ってください。
・・・・・・・・・・・・・・・
画廊通信 Vol.169              甲州八景

 榎並さんの個展は、今回で早くも9回目となる。今まで色々と書き散らかして来たので、9回目ともなれば最早書く事がない。ならば、もうやめればいいじゃないかとのご意見ごもっとも、しかし、やめればやめたで何だか手を抜いたように思われそうなので、こうして相も変らず四苦八苦している訳である。だいたいこんな面白くもない雑文を、いったい何人の人が読んでくれているのだろう。たぶんそんな奇特な方は10人に1人も居ないだろうと踏んでいるが、それでもたまに「今回の画廊通信、とっても面白かったです」などとご厚意の言葉を戴くと、「あ、そうでしたか」とごく平生の気にも止めない風をして、その実内心では相好崩して喜んでいるのだ
から、どうにも心根はさもしいようである。それはさておき、知ったような事は既に散々書いて来た事だし、今回は謙虚に身の丈で書きたいと考えていたら、昨日ふと「甲州八景」というタイトルが浮かんだので、それで行く事にした。これは、敬愛する太宰治の「東京八景」に倣ったものだが、要は今までの榎並さんとのお付き合いを、時々の風景に託して書いてみようとの魂胆である。

 思い出す最初の風景は病室である。インターネットで榎並さんと知り合い、作品資料を一個口送って頂いた翌日に、私は緊急の入院となってしまった。のっけから甲州とは縁のない景色で恐縮だが、それが榎並さんとの交流を振り返った時、まずは思い浮ぶ風景である。この時は入院が長期に及んだので、画廊に置いたままになっていた資料を持って来て欲しいと頼んだら、翌日「重いのよねえ」とブーブー言いながら、妻が病室まで箱ごと運び込んでくれた。おかげで私は送って頂いた様々なファイル等を、心ゆくまで堪能する事が出来た訳だが、長らく留め置いてしまったその資料を、退院後にやっと返却申し上げたところ、こんなお便りをご本人から頂いた。「お元気になられたようで良かったですね。私の資料が着いて即入院だったので、何かしら見てはいけない物を見たせいかもしれないと、密かに危惧しておりました。でもまあ良くなったようで、ちょっと安心しました」、それから程なく、私は甲府の榎並宅にお伺いした。晩春の陽光を浮べた穏やかな川面を渡り、川沿いの道を折れた細い路地のどん詰まりが、何やら鬱蒼とした緑陰となっていて、その樹下に目指す画家のアトリエは在った。一見して簡素なたたずまい、しかし時代の艶を湛えるかのような古い家具が、諸所にさりげなく置かれている。初めてお会いする画家は、隠遁せる一徹の賢人といった風情、制作途中の作品が幾十も立て掛けられたアトリエを案内して頂いた後、自ら鉄瓶にごとごととお湯を沸かして、香り立つアールグレイを淹れてくれた。開け放った窓から、川面を渡って来た薫風がそよぐ中で、低く流れるバッハのクラヴィーア曲を聴くともなく歓談させて頂きながら、いつしか素敵な時が流れた。緑陰のアトリエと心豊かな茶葉の香り、私の忘れえぬ第二景である。

 その年の暮れ、銀座のあるギャラリーで、私は初めて榎並さんの個展を拝見した。ちょうど作家も在廊しておられたので、色々と興味深いお話を聞きながらの鑑賞となったが、この頃の作品は聖書に題材を求めたような、直接的に宗教性を感じさせるものが多かった。どちらかと言えば近年は、殊更に宗教的な題材を描かずとも、ごく日常の風景の中に、何か遥かなものを感じさせるよう
な描き方をされる事が多くなったが、「こたえてください」「おおいなるもの」といったタイトルに象徴されるこの頃の作風も、当時既に流行となっていた美麗な写実表現とは一線を画して、精神の重みを十全に湛えたものであった。「シルクロードの西域に行くと、長年の間に東洋と西洋が融合してしまい、いったいキリストなのか釈迦なのか判然としないような壁画もある。削り取られて一部が残っていたりするんだけれど、それがまたいいんです」、そんなお話を聞きながら拝見する内に、宗派に拘らず人間が本来持つだろう素朴な祈りの形こそ、榎並さんの根幹を成す精神である事を、私は理屈ではなく実感する風であった。折しも来店されていた女性が「ちょうど今頃、クリスマスにぴったりの絵ですね」と声を掛けて来られて、「ええ、それを当て込んでるんですけどね」と、宗派を超えた形而上派は意外と洒脱である。この後しばしの歓談となって、「何のかの言っても、写実派の技術は凄い。どうせならもっと細かく細胞レベルまで描き込んで、よく見たらミトコンドリアまで描いてあったというのはどうだろう」とおっしゃるので、「それじゃあ、展示会場に電子顕微鏡が必要になりますね」と笑った。これも舞台は違うのだけれど、作家の巧まざるユーモアに免じて、私の八景に加えさせて頂きたい。

 2009年7月、当店における初個展である。この時買って頂いたお客様は全て、榎並和春という画家を初めて知ったという方々だったが、皆深く共感してお買い上げ頂いた。たとえ初めてであれ、自分の眼を信じ、良きものは良いと認め、大切な私財を一枚の絵に投じる、そんなお客様の芸術的勇気と意気に支えられて、私はここまで来られたようなものだ。この時は、ある年配のご婦人が印象に残った。昨年主人が他界して、まだ仏壇も買ってなかったけれど、考えてみれば古めかしい仏壇にお金を使うよりは、主人の思い出になるような絵を買った方がいい、その方が主人だって喜ぶでしょうと、つい先日、他作家の作品を買って頂いたばかりの方である。猛暑の中を見に来てくれて、数日後には作家にも会いに来てくれたのだが、何しろこの間お買い求め頂いたばかりだったし、安易にお薦めするのも憚られる状況だった。それが最終日にまたひょっこりと見えられて、2点ほどの作品を見比べながら、ウ~ンと思案されている。結局「他に売れてしまうのが嫌だから、これ戴きます」と、「陽気な音楽家」という作品をお買上げ頂く運びとなった。笛を吹くアルルカン、とても洒落た作品である。仮にIさんと呼ばせて頂くが、Iさんは翌年も見えられ、この時はちょうど娘さんに、双子の女の子が出来たとのお話、二人共に花の名前を付けられたそうで、これは初孫にぴったりねという訳で、「野の花をつんで」という作品をご購入頂いた。野の花のブーケを抱く女性、春風のような絵である。後日ご自宅まで取り付けに伺い、ぴったり同サイズだった事もあり、同じ壁に昨年の絵と並べて掛ける事となった。そんな訳で現在Iさん宅には、笛を吹くアルルカンと花を抱く婦人像が、まるで夫婦のように仲良く並んでいる。この後もIさんには榎並作品を贔屓にして頂き、感謝に堪えないのだけれど、思えばこの一年ほどはご尊顔を拝していない、元気にしておられるだろうか。今も私のカメラには「野の花をつんで」を真ん中に両脇で微笑む、作家とIさんの写真が残されている。これもまた私の、大切な心温まる一景である。

「甲州八景」と銘打った割には舞台の違う話ばかりなので、画家の在住する甲府の地について、この辺りで文豪に語ってもらおう。以下は太宰治「新樹の言葉」から。『甲府は盆地である。四辺、皆、山である。大きい大きい沼を搔乾(かいぼし)して、その沼の底に畑を作り家を建てると、それが盆地だ。沼の底、なぞというと、甲府もなんだか陰気なまちのように思われるだろうが、事実は、派手に、小さく、活気のあるまちである。よく人は、甲府を「すり鉢の底」と評しているが、当っていない。甲府はもっとハイカラである。シルクハットをさかさまにして、その帽子の底に小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば間違いない。きれいに文化の、し
みとおっているまちである』、ここまで往年の大家が賞讃するのだから、もしや榎並さんの何処となくハイカラなあの作風も、甲府という町ゆえなのだろうか。やっと話が甲州めいて来たので、再度舞台を榎並宅に戻せば、こんな事があった。他愛もない話なので、いつの事だったか最早定かではないが、奥様に作って頂いた美味しいお料理をたらふく戴いた後、小用にトイレをお借りしたのである。用を終えて立ち上がったら、お尻の辺りが何故か急激に冷たくなった。何だろうと思って振り返り下方を見てみたら、折しも便器の奥からウォシュレットの長いノズルが、ピューピューと勢いよく水を噴き出しながら、ニューッと伸びて来ているではないか。ヤヤッ、何だ何だ、スイッチなんか押してないぞ、と抗議しつつとっさに考えたのだが、もしこの水を避けて身を除ければ、この水鉄砲のような噴射で、トイレは水浸しになるだろう。しかし、このままいたずらに水に打たれていると、私も水浸しになるだろう。さて、どうしたものかと結論が出ないまま中腰でマゴマゴしていたら、ひとしきり噴射して満足したようで、徐々に水の勢いを減衰しつつ、ノズルは元の格納場所へと静やかに縮んで行った。後で思ったのだが、またパンツを脱いで座れば良かったのである。そうすれば私もトイレも、両者共に水害を免れたのだろうが、もう後の祭りである。仕方なくビショビショのパンツのまま客間に戻り、「ウォシュレットに
やられました。トイレ壊れてませんか?」と申し上げたところ、「いや、壊れてない筈だけどねえ」と、榎並さん平然としている。「お尻がビショビショですよ」と嘆いたら、奥様が極めて真面目に「パンツ、お貸ししましょうか」とおっしゃるので、慌てて「いえ、それには及びません」と、お断り申し上げたのだったが、ちょうど猛暑の真っ盛り、何しろ甲府は盆地ゆえ暑さも半端ではなかったので、帰りの車中は臀部がメントール的にほどよく冷えて、却って快適であった。くだらない話で非礼お詫びするが、榎並家の魔のウォシュレット、これも私には忘れ難き一景となった。ちなみに、何ゆえトイレから謂れなき奇襲を受けたのかは、今もって不明である。

 要らぬ油を売っている内に、気が付けば紙面も残り少ない。中央高速をひた走り、大月ジャンクションを過ぎて笹子トンネルを抜けると、緩やかな下り坂がしばらく続いて、やがてなだらかな山々に囲まれた甲府の町が、見晴るかす彼方へと眼下に広がる。日が落ちた頃にこの道を通ると、町の明りが本当に綺麗ですよ、と何人かのお客様に聞いたが、さもありなんと思う。正に太宰治が語る通り、それはシルクハットの底の満艦飾を思わせるだろう。しかし無念にもその辺りを走る時刻は、いつも灼熱の白昼である。いつの日か宵のとばりが下りて、町に明りの灯る頃に、この道をゆったりと走る事が出来たなら、それは甲州八景を代表する光景となるだろうに。榎並さんが毎年個展を開くギャラリーは、ちょうどその甲府盆地の端辺りに位置するのだろうか、すぐ背後には緑を豊かにはらんだ丘陵が迫る。同じ敷地内には瀟洒なカレー店も在って、そこで戴くカレーもまた美味しい。この麗しき山里のシチュエーションで一景、ついでだから太宰治にちなんで、帰路の右前方、御坂山系の後方に覗く、富士の高嶺にも一景を投じれば、これで計は七景というところ。残りの一景は、来たるべき今期の第9回展に向けて、楽しみに取っておこう。甲府においてか、あるいはここ千葉の地においてか、それは知らないけれど、必ずやまた新たなる美しい一景が、甲州八景完結のピースとして、参上の機会を待ち兼ねている筈だから。                     (17.08.03)


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コラージュ2 - 2017.08.02(ポケットの窓から)



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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