
はる 5948
山口画廊 画廊通信Vol.169
また面白いので無断転載します。山口さんだめなら言ってください。
・・・・・・・・・・・・・・・
画廊通信 Vol.169 甲州八景
榎並さんの個展は、今回で早くも9回目となる。今まで色々と書き散らかして来たので、9回目ともなれば最早書く事がない。ならば、もうやめればいいじゃないかとのご意見ごもっとも、しかし、やめればやめたで何だか手を抜いたように思われそうなので、こうして相も変らず四苦八苦している訳である。だいたいこんな面白くもない雑文を、いったい何人の人が読んでくれているのだろう。たぶんそんな奇特な方は10人に1人も居ないだろうと踏んでいるが、それでもたまに「今回の画廊通信、とっても面白かったです」などとご厚意の言葉を戴くと、「あ、そうでしたか」とごく平生の気にも止めない風をして、その実内心では相好崩して喜んでいるのだ
から、どうにも心根はさもしいようである。それはさておき、知ったような事は既に散々書いて来た事だし、今回は謙虚に身の丈で書きたいと考えていたら、昨日ふと「甲州八景」というタイトルが浮かんだので、それで行く事にした。これは、敬愛する太宰治の「東京八景」に倣ったものだが、要は今までの榎並さんとのお付き合いを、時々の風景に託して書いてみようとの魂胆である。
思い出す最初の風景は病室である。インターネットで榎並さんと知り合い、作品資料を一個口送って頂いた翌日に、私は緊急の入院となってしまった。のっけから甲州とは縁のない景色で恐縮だが、それが榎並さんとの交流を振り返った時、まずは思い浮ぶ風景である。この時は入院が長期に及んだので、画廊に置いたままになっていた資料を持って来て欲しいと頼んだら、翌日「重いのよねえ」とブーブー言いながら、妻が病室まで箱ごと運び込んでくれた。おかげで私は送って頂いた様々なファイル等を、心ゆくまで堪能する事が出来た訳だが、長らく留め置いてしまったその資料を、退院後にやっと返却申し上げたところ、こんなお便りをご本人から頂いた。「お元気になられたようで良かったですね。私の資料が着いて即入院だったので、何かしら見てはいけない物を見たせいかもしれないと、密かに危惧しておりました。でもまあ良くなったようで、ちょっと安心しました」、それから程なく、私は甲府の榎並宅にお伺いした。晩春の陽光を浮べた穏やかな川面を渡り、川沿いの道を折れた細い路地のどん詰まりが、何やら鬱蒼とした緑陰となっていて、その樹下に目指す画家のアトリエは在った。一見して簡素なたたずまい、しかし時代の艶を湛えるかのような古い家具が、諸所にさりげなく置かれている。初めてお会いする画家は、隠遁せる一徹の賢人といった風情、制作途中の作品が幾十も立て掛けられたアトリエを案内して頂いた後、自ら鉄瓶にごとごととお湯を沸かして、香り立つアールグレイを淹れてくれた。開け放った窓から、川面を渡って来た薫風がそよぐ中で、低く流れるバッハのクラヴィーア曲を聴くともなく歓談させて頂きながら、いつしか素敵な時が流れた。緑陰のアトリエと心豊かな茶葉の香り、私の忘れえぬ第二景である。
その年の暮れ、銀座のあるギャラリーで、私は初めて榎並さんの個展を拝見した。ちょうど作家も在廊しておられたので、色々と興味深いお話を聞きながらの鑑賞となったが、この頃の作品は聖書に題材を求めたような、直接的に宗教性を感じさせるものが多かった。どちらかと言えば近年は、殊更に宗教的な題材を描かずとも、ごく日常の風景の中に、何か遥かなものを感じさせるよう
な描き方をされる事が多くなったが、「こたえてください」「おおいなるもの」といったタイトルに象徴されるこの頃の作風も、当時既に流行となっていた美麗な写実表現とは一線を画して、精神の重みを十全に湛えたものであった。「シルクロードの西域に行くと、長年の間に東洋と西洋が融合してしまい、いったいキリストなのか釈迦なのか判然としないような壁画もある。削り取られて一部が残っていたりするんだけれど、それがまたいいんです」、そんなお話を聞きながら拝見する内に、宗派に拘らず人間が本来持つだろう素朴な祈りの形こそ、榎並さんの根幹を成す精神である事を、私は理屈ではなく実感する風であった。折しも来店されていた女性が「ちょうど今頃、クリスマスにぴったりの絵ですね」と声を掛けて来られて、「ええ、それを当て込んでるんですけどね」と、宗派を超えた形而上派は意外と洒脱である。この後しばしの歓談となって、「何のかの言っても、写実派の技術は凄い。どうせならもっと細かく細胞レベルまで描き込んで、よく見たらミトコンドリアまで描いてあったというのはどうだろう」とおっしゃるので、「それじゃあ、展示会場に電子顕微鏡が必要になりますね」と笑った。これも舞台は違うのだけれど、作家の巧まざるユーモアに免じて、私の八景に加えさせて頂きたい。
2009年7月、当店における初個展である。この時買って頂いたお客様は全て、榎並和春という画家を初めて知ったという方々だったが、皆深く共感してお買い上げ頂いた。たとえ初めてであれ、自分の眼を信じ、良きものは良いと認め、大切な私財を一枚の絵に投じる、そんなお客様の芸術的勇気と意気に支えられて、私はここまで来られたようなものだ。この時は、ある年配のご婦人が印象に残った。昨年主人が他界して、まだ仏壇も買ってなかったけれど、考えてみれば古めかしい仏壇にお金を使うよりは、主人の思い出になるような絵を買った方がいい、その方が主人だって喜ぶでしょうと、つい先日、他作家の作品を買って頂いたばかりの方である。猛暑の中を見に来てくれて、数日後には作家にも会いに来てくれたのだが、何しろこの間お買い求め頂いたばかりだったし、安易にお薦めするのも憚られる状況だった。それが最終日にまたひょっこりと見えられて、2点ほどの作品を見比べながら、ウ~ンと思案されている。結局「他に売れてしまうのが嫌だから、これ戴きます」と、「陽気な音楽家」という作品をお買上げ頂く運びとなった。笛を吹くアルルカン、とても洒落た作品である。仮にIさんと呼ばせて頂くが、Iさんは翌年も見えられ、この時はちょうど娘さんに、双子の女の子が出来たとのお話、二人共に花の名前を付けられたそうで、これは初孫にぴったりねという訳で、「野の花をつんで」という作品をご購入頂いた。野の花のブーケを抱く女性、春風のような絵である。後日ご自宅まで取り付けに伺い、ぴったり同サイズだった事もあり、同じ壁に昨年の絵と並べて掛ける事となった。そんな訳で現在Iさん宅には、笛を吹くアルルカンと花を抱く婦人像が、まるで夫婦のように仲良く並んでいる。この後もIさんには榎並作品を贔屓にして頂き、感謝に堪えないのだけれど、思えばこの一年ほどはご尊顔を拝していない、元気にしておられるだろうか。今も私のカメラには「野の花をつんで」を真ん中に両脇で微笑む、作家とIさんの写真が残されている。これもまた私の、大切な心温まる一景である。
「甲州八景」と銘打った割には舞台の違う話ばかりなので、画家の在住する甲府の地について、この辺りで文豪に語ってもらおう。以下は太宰治「新樹の言葉」から。『甲府は盆地である。四辺、皆、山である。大きい大きい沼を搔乾(かいぼし)して、その沼の底に畑を作り家を建てると、それが盆地だ。沼の底、なぞというと、甲府もなんだか陰気なまちのように思われるだろうが、事実は、派手に、小さく、活気のあるまちである。よく人は、甲府を「すり鉢の底」と評しているが、当っていない。甲府はもっとハイカラである。シルクハットをさかさまにして、その帽子の底に小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば間違いない。きれいに文化の、し
みとおっているまちである』、ここまで往年の大家が賞讃するのだから、もしや榎並さんの何処となくハイカラなあの作風も、甲府という町ゆえなのだろうか。やっと話が甲州めいて来たので、再度舞台を榎並宅に戻せば、こんな事があった。他愛もない話なので、いつの事だったか最早定かではないが、奥様に作って頂いた美味しいお料理をたらふく戴いた後、小用にトイレをお借りしたのである。用を終えて立ち上がったら、お尻の辺りが何故か急激に冷たくなった。何だろうと思って振り返り下方を見てみたら、折しも便器の奥からウォシュレットの長いノズルが、ピューピューと勢いよく水を噴き出しながら、ニューッと伸びて来ているではないか。ヤヤッ、何だ何だ、スイッチなんか押してないぞ、と抗議しつつとっさに考えたのだが、もしこの水を避けて身を除ければ、この水鉄砲のような噴射で、トイレは水浸しになるだろう。しかし、このままいたずらに水に打たれていると、私も水浸しになるだろう。さて、どうしたものかと結論が出ないまま中腰でマゴマゴしていたら、ひとしきり噴射して満足したようで、徐々に水の勢いを減衰しつつ、ノズルは元の格納場所へと静やかに縮んで行った。後で思ったのだが、またパンツを脱いで座れば良かったのである。そうすれば私もトイレも、両者共に水害を免れたのだろうが、もう後の祭りである。仕方なくビショビショのパンツのまま客間に戻り、「ウォシュレットに
やられました。トイレ壊れてませんか?」と申し上げたところ、「いや、壊れてない筈だけどねえ」と、榎並さん平然としている。「お尻がビショビショですよ」と嘆いたら、奥様が極めて真面目に「パンツ、お貸ししましょうか」とおっしゃるので、慌てて「いえ、それには及びません」と、お断り申し上げたのだったが、ちょうど猛暑の真っ盛り、何しろ甲府は盆地ゆえ暑さも半端ではなかったので、帰りの車中は臀部がメントール的にほどよく冷えて、却って快適であった。くだらない話で非礼お詫びするが、榎並家の魔のウォシュレット、これも私には忘れ難き一景となった。ちなみに、何ゆえトイレから謂れなき奇襲を受けたのかは、今もって不明である。
要らぬ油を売っている内に、気が付けば紙面も残り少ない。中央高速をひた走り、大月ジャンクションを過ぎて笹子トンネルを抜けると、緩やかな下り坂がしばらく続いて、やがてなだらかな山々に囲まれた甲府の町が、見晴るかす彼方へと眼下に広がる。日が落ちた頃にこの道を通ると、町の明りが本当に綺麗ですよ、と何人かのお客様に聞いたが、さもありなんと思う。正に太宰治が語る通り、それはシルクハットの底の満艦飾を思わせるだろう。しかし無念にもその辺りを走る時刻は、いつも灼熱の白昼である。いつの日か宵のとばりが下りて、町に明りの灯る頃に、この道をゆったりと走る事が出来たなら、それは甲州八景を代表する光景となるだろうに。榎並さんが毎年個展を開くギャラリーは、ちょうどその甲府盆地の端辺りに位置するのだろうか、すぐ背後には緑を豊かにはらんだ丘陵が迫る。同じ敷地内には瀟洒なカレー店も在って、そこで戴くカレーもまた美味しい。この麗しき山里のシチュエーションで一景、ついでだから太宰治にちなんで、帰路の右前方、御坂山系の後方に覗く、富士の高嶺にも一景を投じれば、これで計は七景というところ。残りの一景は、来たるべき今期の第9回展に向けて、楽しみに取っておこう。甲府においてか、あるいはここ千葉の地においてか、それは知らないけれど、必ずやまた新たなる美しい一景が、甲州八景完結のピースとして、参上の機会を待ち兼ねている筈だから。 (17.08.03)