あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

- 2017.05.31(未分類)

「ララバイ」F6 2017 新作
はる 5884
 もう限界ちゃうかな。カケさんから一体いくらもろてんねん。ロッキード事件なみの疑獄事件だっせ。逮捕やで。どこが悪いねん?ってあきれるな。

 なんだかとんでもなく可笑しい。「そもそも」の意味や「国連の人権委員からのメッセージ」を一方的だといって「我々は間違っていない」と閣議決定してふんぞり返っている。この国の国会そのものがお子様化している。いい面のおっさんが、「きのこを取れば」共謀の準備になるとか。自分は間違えていない。悪いのはあなた方だ。という発想はお坊ちゃま君そのものだ。お遊びならそれでもいいのだけれど、大真面目に大々的にこの国を自分の思い通りの「美しい国:にしようとしている。自分の知り合いに便宜を図ってどこが悪いと居直る始末だ。そろそろ尾張にしようぜ。


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今日のアトリエ - 2017.05.30(ポケットの窓から)


はる 5883
 「違うものだ」というのは確かな事だ。デッサンというものには切がなくて一番上の方にはダビンチやラファエロやアングルなどがいる。西欧の巨匠たちのデッサンはそれはもう飛び抜けていて我々がどんなに頑張っても太刀打ちできるものではない。しかし、ひょっとすると日本人にも優れた素描家がいて、何あんなものは簡単だという強者が居るかもしれない。それはそれ天分というものだろう。

 しかし、幸いの事に我々の時代は画家であることはすなわち優れた素描家である必要は無くなってしまった。ものをとことん描写できることは画家の一つの要素ではあるけれど、そうでなくても画家でいることができる時代に生きている。もし、ラファエロのような描写力を持たなければ画家と名乗ってはいけないという法律が出来たなら何人の人が名乗れるのだろうか。

 「違うものだ」というのは、そんなところを目指してクロッキーやデッサンをしているのではないということなんだろ。下手は下手なりに、上手には分からないような苦労があって、それが自分なりの表現にたどり着く方法でもあるわけだ。

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今日のアトリエ - 2017.05.29(ポケットの窓から)


はる 5882
 物を観て描く場合と観ないで描く場合では方法がまるで違う。考え方を180度変えなければ観ないで描くなどできないのだな。観ないで描く方法も色々だけれど、アニメーションのようにある程度のスタイルがあってその状態を説明するように作画するというのであれば訓練さえすればそれほど難しいものではない気がする。デッサンなどまるでできなくても模写を繰り返すことで職人のような描写力を身に着けることは可能だと思う。

 私自身のことを言えば、物を描写する力はそこそこしか持ち合わせていない。クロッキーやデッサンをいくらやっていて自分の描いた作品がどうやっても上手いという領域には近づかない。もっと言えば努力すればラファエロやアングルになれるかといえばこれは確信をもって無理だと言える。そこにはどうしようもない限界があって努力ではカバーできないモノがある。ある時に仲間から言われたことは「違っていい」という言葉だ。何気ない言葉だけど、ことりと腑に落ちた。

 持って生まれた天分というものがある。それは芸事には特に大きく左右する。描写力という才能も持って生まれたものがあるのだな。一本の線をひけばそれが分かる。そんなもんだ。

 そこから自分の絵を探すことになる。違っていいのだけれど自分は何が好きなのか、何が出来るのか、そこから始まるのだな。

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今日のアトリエ - 2017.05.28(ポケットの窓から)


はる 5881
 二三日の短い旅に出ていました。個展以外に旅に出ることは少ないのですが、何もしないというある意味優雅な旅をしてきました。どうもありがとう。

 人として知り得た秘密を辞めたからといって暴露するのは好きではない。離婚した相手の悪口を言うようで仁義に反するきがする。しかし、人間的に好きかどうかは別にして、こと政治に関しては権力側にとってゲリラ的に内部からの告発が一番痛い気がする。共謀罪で捕まる前に、続いてどんどん暴露して欲しい。官僚、政治家、原子力行政もあるんじゃないの。。詐欺師籠池、おたくスノーデン、おちこぼれ前川に続け!


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旅3日目 - 2017.05.27(ポケットの窓から)



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no title - 2017.05.26(ポケットの窓から)

旅2日目


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no title - 2017.05.25(ポケットの窓から)

旅1日目


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- 2017.05.24(未分類)

はる 5877
 明日から二三日私は出かけます。故に更新はないかもしれません。あしからず。

 

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今日のアトリエ - 2017.05.23(ポケットの窓から)


はる 5876
 今日は一日パートタイマー疲れたのでまた明日。

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- 2017.05.22(未分類)

はる 5875
 自分にあった画材を探すというのも、結局は自分探しの一環なんですね。この歳になっても新しい?画材と出会うことで新しい自分を発見してワクワクします。螺旋階段のように同じところをぐるぐる回っているだけですが、少しは登っているのでしょうかね。。

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- 2017.05.21(未分類)

はる  5874
 「沈黙」2017 F4
 今日は朝から裸婦くろっき―に出かけました。前回から墨と筆という道具に替えてぼかしやにじみを生かすといったやり方を試しています。試しに一点アップしましょう。残りは明日。
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 なんだろうな。随分昔に筆でクロッキーを試した時にまるで描けなかったのをトラウマのように覚えていてたぶん全く絵にならないのだろうと諦めていたのだが、浮世絵師のように矢立と巻紙ですらすらと線が引けるのは憧れだよな。

 洋画のデッサン道具は木炭にしろコンテやパスや鉛筆にしても硬いものだな。それを画面になすりつけて、もっと言えば削り取ったものを何らかの物で定着させるわけだ。まぁほとんどが粉っぽいものでそのままでは画面に定着すうることは出来ない材料だ。いままで絵を描き始めてずっとほとんど、疑うことなくそういった洋画材で絵を描いてきた。ミクストメディアになってからもそうだな。

 ただミクストになってからは墨を使うことが多くなって、この画材の素晴らしさというのか洋画材にはない懐の深さみたいなものを感じてはいた。どこがと言えば第一にどこまでも水で薄めることが出来て尚且つどんなに薄まってもしっかり色を失わない。濃くすれば本当に真っ黒になる。無段階のグラデーションができる。

 それからもう一つの大きな特徴は染み込むことだ。これは水との相性という事もあるだろうけれど、何よりも画材に直接染み込んで自然に定着する。染み込むことからにじんだりぼかしたりという技法も使える。

 それから筆だ。今回は墨彩画に使うかなり穂先の長い大きめのたっぷりした筆を使っている。なかなか慣れないのだが、意図しないにじみやボケやその扱いづらさが面白い線につながるようにおもうな。

 広い画面の濃淡も鉛筆などと比べると簡単にできる。字を書くように絵を描きたいと思っている。


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- 2017.05.20(未分類)

はる 5873
 大正14年(1926)3月9日の新聞。約90年前。今日の朝刊のようだ。

 日本には権力から独立した機関がない。だから必然的にぶっ倒れるまで突き進むことになる。二次世界大戦がそうだった。戦前のように赤を恐れているわけじゃないよな。まともな活動家など今いないからな。一番恐れているのはモノ言う民だ。結局主権が欲しいのだな。目指しているのは独裁だ。もう少しで完成する


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今日のアトリエ - 2017.05.19(ポケットの窓から)


はる 5872
 テレビで国会中継がやられていないけれど、インターネットでライブ中継をやっている。知らなかった。http://www.shugiintv.go.jp/jp/
 さすがネットの時代だな。共謀罪の強行採決をみていた。もう普通に通ってしまう。違和感なくふつうに。野党などいてもいなくても関係ない。どう反対してもいずれは強行採決で決まって仕舞うというあきらめムードが漂っている。国会の審議など何の意味もない。与党の絶対多数で何でも通る。こんなんでいいのかと腹立たしい想いで見守るしかない。このままで行けば憲法改正もすんなり決まって仕舞いそうだ。

 彼らは何がしたいのか?といえば主権を国に取り戻したいのだ。「眞子さん」でなく「眞子さま」なんて言ってるようじゃマスコミのジャーナリストの資格ないな。

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今日のアトリエ - 2017.05.18(ポケットの窓から)


はる 5871
 もう少し考えてみたい。考えながら書くのであとで修正するかもしれません。あしからず。

 今の日本の憲法は基本はGHQかの指示で当時の内閣が作ったものだ。これだけ民主的な開けた憲法を作くって世の中に通すほど当時の日本は開けていなかった。当時支配していたGHQの力があったから反対にこれだけ民主的な憲法が作くられ公布出来たのではないだろうか。一番考えたのは再び日本が軍備して他国を侵略することがないように徹底的に弱体化する事だった。それには国民を民主的に教育する事、そのことを一番に考えたのではないかな。

 当時の日本人には国民主権という考え方はなかった。基本的人権という考えもなかった。民は国のものであって公が全てに優先した。ゆえに国の最高法規である憲法は公の国が民に従わせる規範として公布した。民もまた真面目に従った。名もない民は一銭五厘でいくらでも替えがきいた。国とって国民を守るなどという考えはなかった。民は鉄砲玉と同じように使い捨てだったわけだ。だから食料の補給も考えないでどんどん海外に送り込むことが出来た。彼らにとって大事なのは今の役人や官僚と同じように目上の人意向であって、それが全てであった。けっして全体を見ている訳ではない。

 幸いなことに戦争にボロ負けして世の中がひっくり返った。自分達で勝ち取った自由ではないけれど、上がひっくり返ったおかげでタナボタ式に得た自由だったが解放感に喜んだ。

 この憲法で一番重要ななのは主権在民だろう。この国は国民が主人公なんだと高らかにうたっていることだ。だから公が民を支配してはならないと言っている。よってある意味民の希望や権利が述べられているわけで、こうしてはならないという規制が掲げられているわけではない。自分達はこうありたい。こんな国を作りたい。だから国はじゃするなというのがこの憲法じゃないか。

 戦争はしない。武器は持たない。戦いたくない。というのは当然の事じゃないか。民の方から戦争してもいいよ。やられたらやり返せなどというのはおかしい。

 国は隙あらば国民の権利を押さえつけようとする。憲法が邪魔で仕方ない。そりゃそうだろう。権力側にとって嫌な事ばかりかいてある。じわじわと無きものにしようとしてくる。

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- 2017.05.17(未分類)

はる 5870
 写真のような絵画が今ブームだ。学校でたてのアマチュアでさえ結構なひきがあるらしい。そんな記事がアップされていたので覗いてみて驚いた。その作家は最近日展でも続いて特選を取っている若手だけれど、恥ずかしげもなくパソコンの画面に大きく美しい女性の写真がアップされていた。写真を見て描くのではなく、最近はパソコンの画面を観て描くのだ。なるほど、そうすればかなりの細部まで拡大することが出来る。毛穴の一つ一つまで描けるわけだ。それで納得した。

 パソコンを使う事を否定はしない。私も資料として画像を参考にすることはある。新しい技法としてパソコンにしか出来ない方法というのもあるかもしれない。でもしかし、パソコンの画面をみてそっくりそのまま描くということにどんな意味があるのだろうか。それならそのまま出力すれば済むことじゃないの。そっくりそのまま描くということに技術以上にどんな特別な意味があるのかさっぱりわからない。それにそれをありがたがるコレクターのおつむの程度も知れるというものだ。


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ポケットの窓から - 2017.05.16(ポケットの窓から)


はる 5869
 憲法について少し調べた。知らなかったことも多いな。間違っていても知らん。

 何気に記憶の底にあったのがイギリスのマグナカルタ(大憲章)1215年っていうから800年前の話。これだけ古いと何だかわからない。日本は鎌倉時代。絶対的な権限を持っていた国王の権限が他の貴族によって制限されたという画期的な出来事だったらしい。

 フランス革命1789年の結果宣言された人権宣言(フランス国民議会が決議した「人と市民の権利の宣言」)これでも200年以上前の話だ。でもここらあたりが市民革命ということで王侯貴族による封建制の崩壊と市民の人権への萌芽期といえるか。日本は徳川のバリバリの封建社会。

 もっと身近で言えば第二次世界大戦の終了後宣言された「世界人権宣言」1948これより先に日本国憲法1947が制定されたわけだけれど、大いに影響し合っているのではないかと思われるな。特に日本の場合人権という発想そのものが希薄だったからな。市民革命を経験していないから、法にしろ理にしろ上から与えられるものであって、自分たちが主人公であったことなど未だかつてなかったわけだ。何々勅諭みたいなものでお上からありがたくいただくものであったわけだ。民は何も考えずただただ文句も言わず従っていれば平和で安泰だという奴隷的な盲目体制だな。今もほとんど変わらない。

 大事な事だけ書いとく。今の日本国憲法は主人公は国民だと言っている。ここのところが一番大事なところだ。だからこの憲法は為政者が国民の権利を損なわないために為政者の権限を制限するものだ。元々為政者とは相いれない法なんだ。改憲草案が勘違いしているのは憲法が国民の守るべき義務を提示しているとしているところだな。上から目線なんだ。そこが根本的に今の憲法と違う。

 だから思うのだ。自分達の理想をいっていいのだ。理想を掲げるべきなんだ。こんな社会を作りたいのだと言い放つのだ。為政者の思惑など気にしないでいいのだ。彼らは隙あらばわれわれの権利を損なおうとする。それを制限するのが憲法なんだ。

 眠たくなった。

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ポケットの窓から - 2017.05.15(ポケットの窓から)


はる 5868
 おれたちの憲法が危ういところにきている。難しい事は分からないし、色々あるんだろうな。何せ一国のことだから。自国の防衛をどうするのか、人任せにして本当にいいのかってね。しかし、いつの時代も国は国民を守ったことなどないよ。いとも簡単に見捨ててしまう。フクシマや沖縄をみればよくわかる。

 簡単に考えりゃ家族が危険に晒されりゃ身をていして守るでしょう。当たり前の事だけどな。でもそりゃ心配すれば切がないよ。やられたらやり返す、一家一丁武器を常備しよう。鉄砲も止もう得ない許可しようってことになる。しかし、まるで西部劇だな。黒澤明のやスターウォーズの世界だ。これだけ人類が進化しているにもかかわらず、未だにそれかい。

 せっかく多大なる犠牲を払って人類史上例のない誇り高い国の理想をうたったのに現実的でないということで理想を諦めちゃうのかい。理想ってそんなに簡単に変えていいのか。考えればきりがないけど。そうだなとりあえずあの人にたちに手を付けて欲しくない。これだけは確かな事だ。

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- 2017.05.14(未分類)

はる 5867
2017年「小さな声」F20 No未定 混成技法 未発表
 多数決が正しい訳ではない。大きな声がまかり通ってはいけない。耳を澄ませ、真実は小さなささやきだ。

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- 2017.05.13(未分類)

はる 5866
 さて今日も一日が終わってしまう。これは私の家にあるアフリカの仮面。たぶんドゴン族の祝祭に実際に使う物だとおもう。一本の樹から掘り出されたもので、結構な重さがある。これを実際にかぶって踊るのは結構ハードなことだろう。これに限らず、どの民族でもお祭りに使う仮面があって、日本の昔の田舎でも手作りの猿面とかヒョットコやお多福があってこれがアフリカの仮面に劣らずいいものだ。ど素人の無作為の仮面など感涙ものだ。これが評判になってテレビなどに取り上げられると一気に低俗になるから不思議だな。

 「そもそも」に「基本的な」という意味があるというのが閣議決定されたそうだ。どこまで馬鹿なんだろう。そもそも、そんなことを決めるために貴方たちが存在するわけではないだろう。子供のけんかのようで情けない。



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今日のアトリエ - 2017.05.12(ポケットの窓から)


はる 5865
 少し前までは蛮勇が奨励されていた。そんな時代の空気を読んで、武勇伝が英雄話として自慢げに話されていた。普通の人間の中に鬼畜が潜んでいることを隠しては、また同じことを繰り返す。「日本人でよかった」根拠のない優越感は強烈な差別意識と同じである。

 今の日本人を見てそんなむごたらしい事をするはずがないというのは違うでしょう。何万人の虐殺があったとかなかったとか人数ばかりが問題になるけれど、残虐な行為は当然あっのだ。侵略する、戦闘行為があったということは、人殺しがあったということで、人を殺しには相手を同じ人間と思っていては殺せないのだな。それこそ丸太とでも思わなければ人は殺せない。自分達だけが優れた人間で他は下等な動物以下の人間だと洗脳されなければ、人殺しなど普通にはできない。

 日本人は真面目だ。空気を読む。上からの目を気にして忖度する。今でもその伝統が脈々といきている。真面目で規則正しい人間は真面目に洗脳される。上からの命令に真面目に従う。だから今やばいのだ。共謀罪が怖いのだ。改憲が恐ろしいのだ。あいつらに任せたくはない。

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今日のアトリエ - 2017.05.11(ポケットの窓から)


はる 5864
 韓国の大統領が弾劾されて左翼系の大統領が選ばれた。昔の朴大統領の時に左翼運動で投獄された経験のある人らしい。隣の国でありながら行ったこともないし歴史も勉強不足で良く知らない。そんな輩が言う事だからと笑ってもらって結構だ。

 私が子供頃、近くに韓国人の住む部落があった。バラックのような掘立小屋に住んでいて、豚が阿鼻叫喚の声をいつもあげていた。当然臭いも凄まじいものがあった。幼稚園に行くにはそこを通って行かなければならないので何となく恐ろしい人たちだ、関わりたくないなぁとは思っていた。だからと言ってそこを通らないと幼稚園には行けないので一目散に走って通り抜けるのが日課になっていた。見ていると当たり前だけれど、彼らにも生活があって陽気に歌など歌いながら仕事をしていた。何も変わらないんだという印象を持った。

 当時何故かは良く知らないのだけれど、韓国人を特別嫌っている人が多かったな。汚いとか日本語がおかしいとかいって強烈に差別していた。今でもそれは表向きは少なくなったけれど、我々日本人の中に脈々と流れている意識だろう。人は自分より恵まれない人々を差別することで優越感をもつ悲しい習性がある。これは今も変わらないな。。いじめが無くならないのはこういった人間の習性なんだろうな。当然私にもある。

 こんなことを書きだしたのは例の慰安婦象の問題があったからだ。パクさんとの話し合いでお金を出すからこの話はもうださないでくれ、大使館前の像も撤去してくれと協定を結んだ。上手く進んだかに見えたこの協定もパクさんが弾劾されたことで白紙に戻ってしまった。今度の大統領はたぶんそんな話を撤回するだろう。

 問題は何だろうか?約束を破った。またお金の無心か、と多くの日本人は怒り心頭だ。まぁそれも日本人として分かる気もするが、根本的な問題の解決にはなっていないということだな。問題は我々の中にある傲慢さ、根拠のない優越感、上から目線なんだと思う。そこのとことがちらつくから相手は許さないのだろう。

 重大な事は我々は一時アジアの国を侵略したという事実だ。何の罪もない人たちを犯して殺したという事実だろう。そのことをない事にしてはいけないのだ。都合の悪い事を無かったことにして、過去は忘れてきれいさっぱり出直すというのが我々のやり方だけれど、やられた方はそうはいかない。

 戦争とは普通の人が人殺しをやってしまう異常な状態だというのは簡単な事だ。けれどそれを許してしまっては忘れてしまってはまた同じことを繰り返してしまうのだな。悲しいけれど今の日本はそちらに傾いている。歴史を真剣に教えてこなかった、しっかり反省してこなかったからだ。

 今また変な優越感が世の中を支配しようとしている。ややもすると流されそうな自分を、そうならないようにしっかり踏ん張るつもりだ。

 

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ポケットの窓から - 2017.05.10(ポケットの窓から)


はる 5863
Papa Feliz 展示に寄せて
「旅の途中」         榎並和春

風は姿かたちが見えません。

 梢が揺れる様子やひゅーひゅー鳴る音を聞いて、人はその存在を知ります。

 絵や音楽や言の葉はこの風に似ています。見えない心のかたちをそのざわめきで見せて

くれます。絵を描くことはそのための道具だと思います。

 絵を観ることも同じです。動いた心の源泉を見つけて下さい。

 何処まで深く掘ることが出来るか、絵を観ることで心の旅を楽しんでもらえれば幸いで

す。

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今日のアトリエ - 2017.05.09(ポケットの窓から)



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- 2017.05.08(未分類)

はる 5861
 「説法」2017 F100
 この間東京に出かけた時に銀座で知り合いが個展をやっていて立ち寄ってみた。ちょっと面白い絵で大きな画面に小さな白い家がぽつんと描かれていて、そこに白い梯子が立てかけられている。そんなポエテックな絵柄だった。好きな絵なんだけれどね。私もよく画面の中に梯子を描きこむ。モチーフとして面白いということもあるのだけれど、何もない空間に梯子を掛けるという行為が人為的で面白いと思う。

 梯子はまぁもちろん人の手が届かない高いところに行くための道具だ。下から上に向かって登るために梯子を使うと普通は考える。だからジャックと豆の樹ではないけれど、どんどん高く繋いでゆけば理論的には天にも登って行けるわけだ。天国に向かうための道具というふうにも考えられる。

 漢字の「限」という字は「阝」と「艮」で出来ている。前にも書いたけれど「阝」は梯子だそうだ。そういえばアフリカのドゴン族の丸太のはしごに似ている。それはさておいて。で、「艮」は目ん玉を持った人間を表しているそうだ。階段を上って行って神さんがもうこれ以上は登ってはいけないとダメ出しを喰らったところが「限界」の意味らしい。なかなかこれは深い。

 で、我々東洋の人間は人智をこえた八百万の神さんの元で生かされていて、自ずからその限界を知るというのか知らされるのじゃないかと思ったわけだ。反対に西欧のというのか絶対神の元で生きている人々というのは神は下って来る。降臨するとか、与えられるというのか、雲間から漏れる光を「ヤコブのはしご」などという。確かにあれは神々しい感じがするな。。やっぱりこう共に生きるというより絶対的に君臨するという感じがするな。そんなところにも東洋と西洋の違いというのがあるなと。

 関係ないけど、あべさんには辞めてもらいたい。


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- 2017.05.07(未分類)


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はる 5860
 一応完成。後日二度塗りの予定。



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- 2017.05.06(未分類)


はる 5859
 国展2017「千の手」F130
 

朝日川柳 
(東京都の上田幸孝さんの作品)
◎改憲を陛下のごとく語りかけ
◎改憲の機は熟したとひとり酔う

川柳もきのこも竹も共謀罪(あそびべのはる)

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- 2017.05.05(未分類)


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はる 5858
 朝の六時から屋根のペンキ塗り。半分完成、暑くなったのであと半分は後日。


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- 2017.05.04(未分類)

はる 5857
 国展二日目 夕方帰宅しました。
 久しぶりに懇親会に出席した。大体こういったパーティには出席しない。出席しないには訳がある。お酒が飲めないからだ。飲んで騒いで発散できるならそれはそれでいいと思うのだがね。

 会員になって10年過ぎた。知り合いも増えてまぁこういった集まりもそこそこ楽しいなと思うようになった。

 第一室に入るとすぐに他の会との違いが分かる。ちょうど審査のついでに他の会をやっていたので毎年覗くのだが、こんなに違うのかといつも思うな。表現のスタンスがまるで違う。いい悪いではなくてね。やっぱり国画には国画の独特なスタイルがある。何でもありという自由さが売りだな。このスタンスが一般入選の最後の部屋までずっと通してある。だからまぁガチャガチャしていて、統一感に欠けるというきらいはあるけどね、疲れると言えばそうなんだけれど、これがこの会のパワーなんだと思うな。これが大人しくなって綺麗に統一されてしまえばこの会の意義は無くなるね。

 年取ったという事かもしれないが、この何でも作ってしまおう、手当たり次第身の回りにある物を使って表現してしまおうという旺盛な人間の創造力というのかな、私には凄く魅力に思えるのだ。人間はそうやって進化してきたのじゃないかなどと思ってしまう。単に物を観てその形をなぞって描写するというのではなく、物を作るという創造の源を感じるのだな。だから私は国画は工作少年のなれの果てだ思うのだな。描写を第一と考えるなら他の会の方があっているように思う。


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国展初日 - 2017.05.03(ポケットの窓から)



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国展前夜 - 2017.05.02(ポケットの窓から)



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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