あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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個展4日目 - 2017.03.31(ポケットの窓から)

後半戦です。


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個展3日目 - 2017.03.30(ポケットの窓から)

今日で折り返しです。お出かけください。


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個展2日目 - 2017.03.29(ポケットの窓から)

今日も少し肌寒いかな。個展日和です。お出かけください。


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個展1日目 - 2017.03.28(ポケットの窓から)

オープンしました。お待ちしています。


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ポケットの窓から - 2017.03.26(ポケットの窓から)

移動中


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ポケットの窓から - 2017.03.25(ポケットの窓から)


はる 5817
 明日からまた更新が写メだけになります。あしからず。

 今日介護保険の保険証なるものが来た。64歳までが被保険者で65歳からは利用しようと思えば申請すれば利用できるらしい。一生利用したくはないが、いずれそんな時がくるかもしれないな。

 忖度などという言葉が頻繁に聞かれるようになった。調べてみると「他人の心をおしはかること」らしい。何だろうここ最近の出来事を象徴する言葉だな。まぁある意味で言えば日本人の優しさをよく表している言葉だし、反対に言えばこれが「空気を読む」という無言の圧力になって、だれも何も言っていないのにいつの間にか事が進んでしまうという、奇々怪々な話となる。

 ポピュラリティというらしい。大衆的な志向というのか、異端を除いてしまう無言の圧力。例えば右翼のような大声を上げて大衆を脅してすかして煽り立てるような行動はよく目立つし分かりやすい。それゆえによっぽどのお調子者でない限りついては行かないだろう。けれどそういった強い力に憧れたりするその他大勢がいて、繰りかえして耳に入ってくることによって段々とそれがあたりまえになって、ある時を境に雪崩を打つように大衆の無言の圧力みたいなものが形成される。

 あぁしろ、こうしろという実際に言葉はかけなかったかもしれない。本当はここにはだれも力をかけなかったのではないかな。官僚組織、役人組織、ある種の力関係のある組織内ではこういったことが自然に起きてしまうのではなかろうか。役人は上の者だけを見ている。上の者の意向を忖度する。だから総理大臣婦人という肩書がつけば下の者は忖度して物事が進んでしまう。

 この忖度する気持ちがようするに日本を戦争まで突き進ませた原因である。結局誰も責任が取れない。なぜなら空気を読んだからだ。大衆は一人一人は非常にナイーブで優しい、良くできた人たちなんだけれど、誰ひとり殺すことなどできない肝っ玉の小さい人間なんだけれど、その優しさが人に良かれとおもう心配りがやがては意見の違う者たちを排除しようとするモンスターに育ってしまうのだな。

 本当は教育は徹底して個人主義を教えなければならないのだ。個人の幸せを教えなければならない。権力者が一番恐れるのはそういった自分の頭で考える人間が育つことだろう。親や兄弟、夫婦仲良く、法律を守って良く働けなどと上から目線で強制されたくはない。あほか!

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今日のアトリエ - 2017.03.24(ポケットの窓から)


はる 5816
 DMを送ったら返事をいただいた。随分昔に買ってもらったおばあさんからだった。ここ最近は体の具合が悪いと聞いていたけれど、いよいよ外出が出来なくなって寝たきりになってしまって個展のご案内をいただいたけれど伺えませんというお返事なんだけれどね。そのあとの文章が少し泣ける。

「・・・いただいた(DM)作品とてもいいですね。好きです。時にふれ今までいただいた葉書大切にしていますが、心休む時間をうれしく思っています。有難いと思っています。・・・・」

 何だかこちらが嬉しくなるような葉書でした。喜んでもらえたらそれだけでもうれしい。小さくてかわいい婆さんだった。お元気でいてください。これからもずっと葉書出しますよ。

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今日のアトリエ - 2017.03.23(ポケットの窓から)


はる 5815
 右ひじが痛い。ここ一か月くらい。という訳で鍼灸師のマッサージをうける。一昨年あたり左ひざが痛んだので診てもらったら、昔スキーで痛めたじん帯が年食ってからまた出てきたという事だった。半信半疑で針とマッサージの施術を受けたら、不思議な事に治ってしまった。東洋医学の不思議だな。という訳で、今回も期待しよう。

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ポケットの窓から - 2017.03.22(ポケットの窓から)


はる 5814
 宅急便屋さんに事前連絡を取って置いて、取りに来てもらう。玄関先まで運び出しておいて用意万端にしておく。こうすれば彼らの仕事もやりやすいだろう。お金出しているんだから当然だとは思わない。よく「お客様は神様です」というけれど、それはお客が自らをさしていう言葉ではない。それは傲慢そのものだ。お客であれば何でも許されるわけじゃない。反対に言えばそんな傲慢な相手はお客様でも何でもないから、縁を切ってもいっこうに構わない。「お客様は神様です」の本意は、私が相手に対して接する態度の戒めとしてあるわけで、逆は必ずしも真ならずというわけだな。

 末端の宅急便の運ちゃんはよくやってくれていると思うな。これだけの荷物を一人でさっさと担いで、てきぱき処理するのだから。それに今まで何年も使っているけど、大きなトラブルは一度もないものな。日本の宅急便は料金も安いし、優れたシステムだと思うな。これがあるからネット販売が可能になったんだから。これとコンビニは商売のやり方を根本から変えたね。

 という訳で、もう私は何もやることがない。後は一週間ほどの滞在だけれど、住人になって京都ライフを楽しみたい。仕事は仕事なんだけれど、それよりもその場所に一定期間滞在してそこの生活を楽しむというのも我々のような定職を持たない移動芸人の特権だね。楽しみだな。。

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今日のアトリエ - 2017.03.21(ポケットの窓から)


はる 5813
 いよいよ明日絵を送り出します。春の陣が始まります。絵を送り出してしまえばもう私は何もできません。あとはすべて天にお任せするしかないのですな。アトリエはすっきりしましたが、廊下はご覧のとおり。人一人がやっと通れるくらい。まぁ楽しんできます。まだ出発しませんよ、もう少し。

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- 2017.03.20(ポケットの窓から)


はる 5812
 また平均寿命が延びたようだな。まぁ平均寿命まで生きたとしてあと15年あるな。いったい何が出来るのか?と考えてしまう。今回の個展で85回目だから確実に100回は越えるだろうな。まぁ回数やればいいという訳じゃないけどね。

 昨日のフランスの作家のライブペイントなど観ていると、現代音楽もこういった場には凄くマッチして見えるな。時々FMで現代音楽の時間をやっているけど、音楽だけ聞いているととてもじゃないがついて行けない。映像というのかこういったパフォーマンスが入るとすんなり見えるから不思議だな。一つ楽しみ方を教わった気がした。

 ところで、フランスで日本の具体美術や書道が受けるのかわかったような気がする。純粋な抽象の下地が我々の感覚にはあるよな。例えば絵の具のシミとか、にじみとか、なにも描かれていない空間とか、陶器の偶然の美、自然の音とかそんなものに美しさを感じる感性というのはフランス人と少し似ているのかもしれん。

 あの女性作家は全くでたらめに描いているように見るるけれど、そうではないのだな。なかなかあんなふうに囚われていないように描くことはできない。ふつう何かしらの知識や技術、教養などを積んでくると何もとらわれないということが出来ないのだな。持ってしまった知識を忘れるという事ほど難しい事はない。子供とか全く美術教育を受けたことがなかったり、未開の人間ならかのうだけれど、普通はできないのだ。普通の人間も一瞬忘我の時があるのだけれどね。それは一瞬でしかない。

 あそこらの自由さに憧れるな。

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- 2017.03.19(未分類)

はる 5811
 偶然ですが、非常に心惹かれる作家の動画を見つけました。スペインのタピエスなどとも共通する作画姿勢ですが、こういった制作の方法というのは一昨日の技法論議と関係するのですが、技法そのものには特にオリジナリティはありません。誰がやっても同じ結果でしょう。違うのは何処に自分が共感したか?美を発見したか?いいと思ったか?という事だと思うんです。そこに自分とのかかわり源泉が含まれていると思うんですね。

 絵画というのは分解して行くと最終的には色んな物(紙だったり布だったり土だったり顔料だったり、オイルやにかわや糊やうるしやアクリル)と人とのかかわり方だでしょう。そこのところにその人ののっぴきならない関係を提示するものなんじゃないかな。

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今日のアトリエ - 2017.03.18(ポケットの窓から)


はる 5810
 こういう感覚が普通だと思うのだけれど、どうして今教育勅語が出てくる感覚が時代錯誤でおそろしい。結局はすべては教育と言う名を借りた洗脳だよ。公共の福祉に名を借りた一部の人たちだけに良い思いさせる独裁だよ。それでいいという神経が信じられない。

稲田「教育勅語・南京虐殺」3/16横路孝弘(民進)の質疑:衆院・安全保障委員会
・・・・・・・・・・・・・・・

「教育勅語はね、治安維持法と一緒に神格化されていったんですよ。学校では御真影と一緒に奉安殿に祀られていたものだ」

「それが戦後の教育基本法に繋がっていく経過を説明しましょう」

「教育はね、国家の奴隷を作るためのものじゃ無いんだ。一人一人の人格を形成するためのもの」

「1948年に'この教育勅語に今もなお囚われている者がいる'として、衆参での決議になった。大臣、あなた、今も囚われていますね。(あなたが評価している)親孝行とかはね、わざわざ教育勅語を引く必要は無いものですよ」

「戦後の70年は日本が世界に誇るべき時間だった。だからこのまま世界に誇れる時間を続けましょうよ。戻ってしまってどうするんですか?」

「自衛隊は、戦前の軍の過ちへの反省の上に成り立っているものです。どこが間違っていたと考えますか?」

「ところがですよ、自民党の改憲案はその過ちを再び繰り返すべく作られている部分がある」

「そうですね、シビリアンコントロール。とても重要ですが、今回の南スーダンの日報問題を見ると、懸念せざるを得ない状態だ」          https://www.youtube.com/watch?v=uB4RDvB7T78

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今日のアトリエ - 2017.03.17(ポケットの窓から)


はる 5809
 昨日の盗作の話は、自分のおじさんが抽象画家としてまぁそれなりに活躍していた。小さい頃からアトリエに遊びに行ったりしてそれに感化されたりしていたそうだ。その後直接教えてもらった訳ではなく、大人になって自分も絵を描きだした時に極自然に描きたいように描いていたらたまたまそれをおじさんが見ていて、自分の真似をしている、一切の発表はまかりならん、と釘を刺されたという事らしい。

 そのおじさんの作品をネットで観たけれど、まぁ確かに一見したところ似ていると言えばにているところもある。しかし、抽象的な仕事というのは自由なようでいて意外に手法は似てくると思うな。どこまでが自分独自な技法なのかというのは分からんな。

 反対に言えば技法などという物に独自性はないのではないか、そこだけが自分の存在意義だとするならば、簡単に人に真似されて自分の存在する意義は無くなってしまう。あくまでも技法は道具みたいなもので、大事なのはそれを使って表現する自分とのかかわりみたいなものではないかな。


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- 2017.03.16(未分類)

はる 5808
 2014「約束2」F6 No1709 混成技法
今回の個展に出品予定
・・・・・・・・・
このモチーフは何度か描いた。どこからこのテーマが出てきたのか発想の源泉をたどって行くとある作品にたどり着く。さて何でしょう?最近作品の盗作が問題になるけれど、大体作家というのは古今東西の作品から何らかの影響を受ける。全くの独創などということは何処か無人島で生きていない限りありえない。
 
 ただ最初っからこの絵を下敷きに描こうと思っていた訳ではない。描いている内にあぁどこかでこの形を見たなぁと探っているとたまたま、偶然見つけたというのが本当のところ。

 潜在意識の中に「いいなぁ」というストックがどれだけあるか、そこのところが大切なように思う。

盗作にいついて書いたコメント
 人は色んなもので出来ています。例えば生まれた時は両親から強い影響を受けます。どこで生まれたのか、育ったのか、時代やその土地の風俗や習慣、風土にも影響されます。それら全部が混然と一体となって今の自分が出来ています。作品も同じですね。作家の一生はどれだけの物を観て感動して真似して消化して吸収してきたか?それにつきるように思います。あなたの潜在意識の中に他の人の作品が入り込んでいたとしても責められることではありません。むしろ私なら影響を与えたことを誇りに思います。単に物作って発表して楽しんでいるというのであればまったく問題ない思います。


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ピカソ 1903 「人生」



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今日のアトリエ - 2017.03.15(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2017.03.14(ポケットの窓から)


はる 5806
 そうだな、大体において私はアウトサイダーなんだな。インサイダー的な発想が不得意だ。そうやって反体制的なポジションで半分以上生きてきた、故にもう今から体制側に着くことはないだろう。結局、人というのは自分の場所でしか考えることが出来ない。体制側の人間は今のポジションを出来るだけキープしようとするし、反体制側の人間は何とか転覆させて自らの位置をより優位な場に持ち込みたいと思っている。まぁ有史以来あらゆる生物がやってきたことだ。

 自分たち民族の優位性を何の根拠もなく認めて褒めたたえていることが気持ちが悪い。そんなわけない。少し前の自分たちの子供の頃を考えてみれば分かることだ。自分の中にもそういった封建的な血が脈々と流れているから良くわかる。何故か知らないが蛮勇を誇る、無頼を誇る、向こう見ずがかっこよく思ったことはなかったか、封建的な規律に一種の憧れを持ってはいなかったか、同期の桜を勇ましいと思ってはいなかったか。国のために命を賭することが美しいとは思っていなかったか。そんな誘惑に駆られることはなかったか。裏腹なんだよな。ややもすればすぐにでもそちらの方に傾いてしまう傾向が私にはある。

 だからあえて反対するのだ。無反省にそれを認めるわけにはいかない。そんなわけないのだ。一発デカい事やるぞという山師的なヤクザ血がやっぱりあるんだな。それを男気があるやる気があるなどと褒めたたえる気風があったんだよ。だから大陸に侵略したんだな。軍部だけのせいじゃない。我々一般の市民にもそれを良しとする時代の空気があったんだよ。市民は犠牲者だなっていうけど、そんなことない。教育で時代の空気でそうなってしまうんだ。バブルの頃をみればわかるだる。みんな血眼になってマネーゲームに走ってたよ。それが悪い事だなんて一部の人が気がついてただけだ。

 お父さんお母さん、夫婦、兄弟を大切にしよう。だなんてそんな当たり前のことを国から言われたくない。誰も反対できないような道徳を持ち出して偉そうに押し付けられたくない。そこに語られている親、子関係というのは国と個人の関係の暗示なんだよ。親子関係を言って様で要するに国と個人の関係を言ってわけだ。要するに個人より全体を大切にしようという封建的な道徳観なんだな。それが分からないとついつい騙されてしまう。親子の情にからめて全く違うことを押し付けている。

 だからそれに封印したんだよ。教育の目的は個人の幸せのためにある。それを気付かせるためにある。けっして全体の役に立つ目的のためにあるのではない。奴隷や戦士を作るために、一部の人たちのために役立つためにあるのではない。

 

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ポケットの窓から - 2017.03.13(ポケットの窓から)


はる 5805
 今日は今回の個展でF100号を展示する予定なのでそれを何とか梱包して送るための準備をする。地元の個展以外ほとんど小品ばかりの展示で大きくても30号までぐらいだったので、100号となると梱包が大変だ。

 随分と昔はコンクールに出品することが多かったので100号の梱包もよくやった。100号と言えば作品自体で縦162cmx横130cm、これに3cmほどの仮の額を付けるので畳一枚より横幅は若干大きい。これを梱包するというのがなかなか至難の業だ。大体それをカバーできる段ボールというのが身近にはない。学生の頃は毛布を蒔いてビニールシートで包んで送るなんてことをやっていたけれど、これ送り返してもらうのがまた一苦労だな。

 今回は昔コンクールに出品した際に業者から送り返してもらった大きな段ボールケースを取って置いてあったのでそれを利用する。180x180cmぐらいの段ボールがあるところにはあるようだ。

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今日のアトリエ - 2017.03.12(ポケットの窓から)


はる 5804
 額入れをする。手順として絵を選ぶことから始める。これがまたなかなか手がかかる。基本的に会場に飾った時にどう見えるかという事を考える。会場を一つに絵だと考えると良くわかる。好きな絵ばかりを並べればいいというものではない。

 私は地塗りと同じように大体赤:黄:青が5:3:2ぐらいになるように作品を選ぶ。これがまぁ自然の摂理にあっているように思える。人によっては風景ばかり並んだり、静物っばかりならんだり、受験勉強のデッサンのようなものばかり並ぶ人もいるけれど、自分が如何に描けるかみたいなこと誇示しても見入る人はうんざりするのかおちだ。そのことが分かっていない人が多いな。素人ならそれもまぁ愛嬌だけれどね。

 私は観る人が出来るだけ飽きないように、楽しいように、もう一回観たいと思うように、また次回も来たいと思ってもらえるように、画廊に居る時間が特別な時間で、行って良かった思ってもらえるような空間にしたいと思っている。ある種のサービス業だよな。

 絵を描く人だけを相手にしているわけでもないしね。絵を描く人は作家の技術を盗もうと必死で質問して来るし、本当に良く見ている。自分が描くときに参考になるように考えているんだな。できるだけ隠すことなく洗いざらいしゃべってしまう。それはそれで同好の志というわけで面白い。

 まぁそんな会場効果なども考えながら額入れ梱包している。まだ明日もつづくのだ。

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ポケットの窓から - 2017.03.11(ポケットの窓から)


はる 5803
3・11もう一度確認しておこう。

忘れてはいけない事
        
 2011 3・11に未曾有の大災害が日本を襲った。原発が爆発して、今まで何気に安全だとされていた事が、嘘だとばれてしまった。日本は国土の何割かは失ってしまった。悔やんでも悔やみきれない。

 しかし、失ったものはあまりにも大きいけれど、反対に大きなショック療法だと考えて、まったく新しい生き方、哲学とか思想とかが国民の共通の認識として出来るなら、それもいいのじゃないかとほのかに期待した。

 にもかかわらず、今やっていることはあったことをない事にして、嘘でも良いから昔のように景気をよくして、まやかしで浮かれて踊ろうということを本気になってこの国のリーダーたちはやっている。絶好のチャンスだったのに、今やもう遅すぎる。機会を逃してしまった

敗戦後、世界の中でもいち早く復興し、高度成長を経験して、それに伴った弊害である、大気汚染や公害、バブルの崩壊、少子高齢化も現在進行形である。

 確かに右肩上がりの成長は期待はできないけれど、地域に根ざした丁寧な生活を進める事で、それはそれで楽しく豊かに暮らしてゆく方法はたくさんあるだろう。

 豊かさ、上質な生活、というのは昔のバブルの戻る事ではない。未来に遺恨を残さないために、今やらなければならないことは、あふれるようなエネルギーを消費する事ではない。物にたよる生活を勧めることではない。

 原発の選択はエネルギー問題ではない。これからの生き方、哲学、思想の問題である。そのことを忘れてはならない。

                    原発は廃絶すべし


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ポケットの窓から - 2017.03.10(ポケットの窓から)


はる 5802
 絵の描き方もこれしかないと決めたくないな。私自身はそんなに多くのやり方をしたいとは思わないのだけれど、色んな人が色んな描き方を工夫すればいい。具象画も嫌いではない、写真を見て描くような絵は好きではないけれど、実際のモチーフを見て描く写生は好きだな。自分以外の描き方は認めないというふうにはなりたくない。

 許容量が大きい方がいいね。なぜなら楽しみが増えるからだ。人それぞれ、自分が一番好きな方法を探して磨くのです。自分は何が好きか、何に惹かれるのか、それを絵を描くことで問うことが自分の芸になるのだと思うのです。

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ポケットの窓から - 2017.03.09(ポケットの窓から)


はる 5801
 昨日の続きをもう少し。 結局問題は最終的な教育の目的ということになるのだろうか。個人の幸せを最終目標にしているのか、役に立つ人間を育てることを目的にしているのかということだろうか。もう少し考えたい。

 絵の話を書こう。これも村上春樹の「騎士団・・」にインスパイアされて。絵の才能も持って生まれた天分というのが絶対ある。この間誰かがかいてあったけど、すごく下世話だけど分かりやすい例え話。昔の映画スターとか女優とか絶世の美男美女、生まれ持って美しい人というのが居るわけで、それは個性的だとか何だかんだっている範疇ではなくて誰もが認める美しい人というのがいるわけだ。これはある種のgift天から与えられた才でもあるわけだな。

 絵もそんなところがあるのじゃないかな。ほとんど努力しなくても天才的に上手い奴がいるわけで、そんな奴が努力すれば鬼に金棒でわれわれ並の才しかない連中にはどうやっても追いつけない。また何年やってもどう頑張っても生まれ持った才能にはかなわない。一度観たものは見なくてもカメラのようにインプットされるとか、その人の特徴を瞬時に捉えることが出来る能力とか、デッサン力なんかもそうだな。下手くそはどうがんばっても生まれつきの美人にはかなわない。

 しかし、そんな下手くそな絵描きでも生きて行ける方法があるから捨てたもんじゃない。反対に美人がすべてに勝てるかというとまたそうでもないからこの世界はおもしろい。下手くそは出来るだけ早くそういう舞台から降りることだな。はり合えばどうやっても不利になる。勝負にならない。どうするか?

 自分の得意とする分野を出来るだけ早く見つけることだ。何が出来るか、結局は自分を出来るだけ掘り進んで一番底の源泉まで下りることだな。そこから出てきたものは不思議な事に誰にでも共通にあることなんだけれど、どれにも真似のできない真にオリジナルなものである可能性がある。

 

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ポケットの窓から - 2017.03.08(ポケットの窓から)


はる 5800
 教育勅語などという物を持ち出す輩がいる。そういう輩は教育というものを誤解している。今その原文の口語訳を読んでみたけれど、結局「そこに書かれている教育の目的は、国のために尽くし奉仕する国民を育てるためにあるとしている。公共の福祉というのは今の憲法でも大事な要素なんだけれど、そればかり強調されると個人というのはどこかに置き忘れられてしまう。今回の共謀罪でもそうだけれど、公共というのを持ち出せばすべて個人の権利を制限できるという考え方が怖い。何でもできてしまう。

 この間のフィンランドの教育という動画があった。それがどこまで真実なのかわからないのだけれど、まぁ半分真実だとしても素晴らしい事を言っていた。基本教育は個人の幸せの追求のためにある。個人が学校を卒業した時にずっと学ぶという姿勢を持ち続けられるように学校はあるんだと言っていた。教師は物事を教えるという部分ももちろんあるのだけれど、それよりも子供たちの好奇心に火をつける、ただそれだけの役割を担っていると言っていた。教えられることなどほんの少ししかない、後は自ら学んでゆくそんな人間を育てるのが教育だと。

 確かにまだ国民の教育的な水準が低かった百年前なら教育水準を上げるという目的である基準にそろえようという教育は一番効果的ではあるけれど、今の日本でそれを持ち出すのは時代錯誤というのか、あまりにも考えが足らんというしかない。ココは独裁国家か?と思ってしまう。

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no title - 2017.03.07(ポケットの窓から)


はる 5799
「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。


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今日のアトリエ - 2017.03.06(ポケットの窓から)


はる 5798
 もともと文学青年でもなかったので、今更文学なんでどうでもいいというと怒られるだろうな。たぶん。今の私にとっては単に暇つぶしみたいなもので、面白ければ何でも手当たり次第読んでしまう。嫁が好きだという村上春樹は家にあるので一応すべて読んでいるな。文学青年でなかった私にはまったく受け付けない世界で、何が面白いの?という感じでまぁそれでも新刊が出ると買ってくるのでみんな読んだ。

 この一番新しい「騎士団・・」もすぐに注文して手に入れたようだ。絵描きの話で今までとは少し違って面白い。まだ読み切っていないので感想は後にしよう。

 一つだけ。日本画の話であぁそうだなと思ったところ。元々我々には日本画という分野はなかった。そう単に絵だったんだな。絵の中には南画があったり、文人画や障壁画や墨絵が有ったりしたわけだ。それを描いている画家には今私は日本画を描いているという自覚はなかった。鎖国が終わって西欧から今までと違う異国画が入ってきた。そこで急きょ西欧画に対抗して今までの絵を日本画という事にした。だから日本画という概念は油彩画が入ってくなければ存在しなかったというところ。なかなか面白いな。

 そういう事ってよくある。自分という存在もはっきり言って見えないし、これが自分だなどと簡単にはいえない。ところが周りをつつくことでこれは好きだ嫌いだ考えている内にうすぼんやりと自分の姿かたちが見えてくる。そんなことを感じたしだい。いずれまた。

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今日のアトリエ - 2017.03.05(ポケットの窓から)


はる 5797
 人は親を選べない。生まれたところが人生の半分以上を決めてしまうな。物ごころがついて他の家と比べて初めて自分ちの異常を知ることになる。

 例えば正月飾り。普通に三宝にお持ちを飾ったり、ミカンを飾ったり、干し柿を飾ったりするのだけれど、元旦に家族そろってオトソをいただく前に各自その三宝に手を合わせてミカンや干し柿を一個ずつ取って行くんだな。だから家族が全員のお参りがすむとお飾りは無残にボロボロになっている。それを我々は何処でもやっている普通の事だと思っていた。

 色々な事を思い出したが、そんなことを書こうと思った訳ではない。でもまぁ今日はここまでにしとこ。

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今日のアトリエ - 2017.03.04(ポケットの窓から)


はる 5796
 もうすぐ65歳になる。60からの五年間はもうすごく早かった。そりゃそうかもしれん。新しい刺激というのが少ないからね。どうしても一か月単位で過ぎて行く。これからの五年はさらに早かろう。

 先日住宅ローンが終了したと銀行から連絡があった。普通、菓子折りでも持って向こうからお礼にやってくるのかと期待していたが、何のことはない手続きに来行してくれという業務連絡だった。何百万も儲けさせてやったのにつれないものだ。ありがたかったけれど、所詮金貸しだ。

 銀行はもっと効率よく仕事しなきゃ、世界のすう勢に勝てないね、日本の銀行は特にだめだな。コンビニで充分対応できるもの。銀行は嫌いだな。俺が嫌いでもほとんど関係ないけどな。。

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今日のアトリエ - 2017.03.03(ポケットの窓から)


繰り返しになりますが、まとめます。
はる 5795
 セザンヌの理論(絵画は閉じられた空間をある一定の理で並び替えられた色と形の集合体である)を発展させると近代の抽象表現まで駆け足で進むことになる。カンデンスキーやモンドリアンは完全に手中にある。

 素材で考えるなら、絵画は分解すると、描く物と描かれる物に分けられる。描くものとは鉛筆であり、絵の具であり、墨であったりする。描かれる物は紙だったり、キャンバス、絹、板、壁など色々ある。

 基本的に絵は色の粉をノリで描かれるものに定着した物と定義できる。油彩画は顔料をノリとして乾性油を用い、日本画は膠を用いる。ミクストメディアはノリとしてアクリルのメジュウムを用いる。

 アクリルは水を仲立ちにすることで親水性のあらゆるものが画材になる。たとえば、紙、木、布、土などを同時に絵の具と混ぜることが出来る。粉のものなら何でも絵の具に出来る、たとえば、弁柄、とのこ、黄土、胡粉など。描かれる基底材もほとんど選ばない。

 カレーを作る時に出来合いのルーを買ってきてただ単に鶏肉を入れたらチキンカレーでキノコを入れたらきのこカレーにはなる。けれどカレーとは何なのかと問いかけることでカレーのルーをターメリックやその他の香辛料を混ぜ合わせることで作ることでより根源的なバリエーションができる。

 表現というのはそういった根底から自分の存在を問いかけるところから出てくるものだと思う。

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ポケットの窓から - 2017.03.02(ポケットの窓から)


はる 5794
 嫁に読めと言われてよんだ新聞の切り抜きがある。朝日の「ひととき」に載ったエッセイだ。「財産は私、花流に生きる」というもの。要約すると、夫が介護付きのホームに入った老後の下流生活。それだけならつらい話だが、週二回バスに乗って夫のところに面会に行く。その間色んなところに目を向けて道中を楽しむ、そんな光景が描かれている。私の財産は私、自分という財産をどう使おうとじゆうでしょ。死ぬまでに私を使い切りたい。なんだかな、これを読んだだけで泣けてくる。さして遠くない自分たちの生活のようでね。

 新聞は読まなくなった。これを読んでいると半日潰してしまう。まぁ大体のニュースはネットで読んでしまうのだが、こういった投稿の記事というのは侮れないな。何気ない市井のじいさんばあさんがいいことをいう。何もひとかどの人物が偉い訳でもなんでもない。多くの無名の人々でこの世界はなりっていいるんだな。

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気をつけて - 2017.03.01(ポケットの窓から)



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