
はる 5791
画面をどうして平面化するのか?という質問を受けた。そうだな凄く当たり前にそう信じて絵を描いてきたけれど、あらためて聞かれると上手い具合に答えることが出来なかった。何故なんだろう、考えながら書いてみる。
画面の平面化を意識したのは、学校に入って毎日絵だけを描いていればいいという環境になってからだな。静物を並べてそれをそのまま描いていた。ところが何枚も描いている内に段々飽きてくる。どう描いてもそんなにかわり映えしないからね。受験勉強のようなテクニックだけの絵を描いても仕方ない訳だ。がりがりの具象をやるならそれでもいいのだけれど、そちらの方には興味が向かなかった。
具象でありながらどこか新しい解釈で絵を描く方法がないかと模索しているときにセザンヌと出会う。むろん昔からセザンヌは知っていたけれど、それほど臨場感はなかった。ところがその時にセザンヌの方法が道しるべのように立って私に方向を指し示してくれた。取っ掛かりを与えてくれた。そこから近代の美術史が目の前に開けたような気がして嬉しかったな。ピカソ、ブラック、などのキュピズムの巨匠たちの方法徹底的に真似した。
なぜ平面化なのかという問いだな。ここらあたりにヒントがあるきがするな。絵画の再現性みたいなことだけれど、写真が出来るまではリアルな三次元空間を再現するというのが絵画の一つの大きな役割だったわけだ。ところが写真が発明されて視覚的なリアリティはカメラに負けてしまう。それを追及したところで叶うはずもない。
もう一つは作家の表現ということになるか。職人としてよりも作家として自己の表現ということを第一とするようになってくるわけだ。そうなってくると反対に絵画の再現性みたいなものが反対に邪魔になってくる。そこに縛られていたのでは表現の枠が狭く感じられるようになってきたのではないかな。絵画の本質はそこにはない。作家の表現を第一に考えるならば絵画の再現性という枠から出る方が自由になるという事かな。
セザンヌがやった重要なことは絵画をリアルな再現性というところから解き放ったことだ。時間経過を多視点という方法でとらえてあらためて自分の意思で組み直して構築したという今までの絵画ではまったく考えられなかったことをやったことだ。これで絵画は閉じられた空間の中である一定の理で並び替えられた色と形の集合体であるという理論に行き着くのだな。
何故平面化か?という問いの答えは、絵画を再現性から解き放つことにある。再現性から自由になることでダイレクトに自己の表現に向かえるからだ。そのことのために絵を描くのだからね。