あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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今日のアトリエ - 2017.01.31(ポケットの窓から)


はる 5764
 柱時計の分解掃除。といっても大したことではない。このぐらい大きいと取り外すのは何でもない。

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ポケットの窓から - 2017.01.30(ポケットの窓から)


はる 5763
 この週末はお袋の法事があってまた出かけなくてはならない。そういえばおふくろが亡くなったのも寒い二月だったな。あれから六年経ったということか。末っ子の私がもう還暦過ぎて五年経つのだから、充分と言えばそうだろう。

 今日は比較的に暖かだった。そろそろ春かな。。


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- 2017.01.29(未分類)


2006 「聖母」 流木

はる 5762

 もう10年ほど前になりますが、何点かいたずらで廃材でオブジェを作りました。その中の一点です。似たような作品はすでに手元にはありませんが、これは手放せなくてどこにも出品しておりません。隠れキリシタンのマリア像のごとく神棚に飾っておりました。

 いいか悪いかそんなことはどうでもいいのです。崇高でなくても品格がなくてもまして芸術でなくてもいいのです。それが人の形をしていなくてもいいのです。自分の中で何か祈りの対象としてのモニュメントであればいいのです。ただの石ころでもお札でもいいのです。心の拠り所としてただあればいいのですな。信仰などという崇高なものでない。ただのお守りで充分だ。たまたまできた物が自分にとって心安らぐものだったので取って置いたものだ。ただそれほどのこだわりもないのだけれどね。

 「美は発見である」と誰かが言った。上手い事を言う。一本の廃材から私はこの形を見つけた。他の人が見ればまた違ったものに見えたかもしれないし、そのまま打ち捨てられる運命にあったかもしれない。たまたま私が通りかかって気になってい家に持ち帰って少し手を加えた。 自分の絵の描き方とよく似ている。自分にある物しか出てこないのだな。

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ポケットの窓から - 2017.01.28(ポケットの窓から)


はる 5761
 さて冬枯れた庭です。そろそろ春が待ち遠しいですね。

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ポケットの窓から - 2017.01.27(ポケットの窓から)
DSC02478ts.jpg


2017
「帰宅2」F10
はる 5760
 自分なりの解釈なので間違えているかもしれません。あしからず。
 親鸞の「悪人正機説」というのは有名ですね。善人はいい人なんだから当然救われ手当たり前、そこで終わったんじゃ仏さんも度量が狭いじゃないか、俺たちのような悪人でさえ救われるというのでなきゃ本当の信仰じゃない。まぁ一つの心理だわな。人間なんて間違いを犯す動物なんだから、そんなに聖人のようにはいかんわな。皆がどこかで嘘や方便を垂れ流しているわけで、他人は騙せても自分自身は騙せない。そんなことだろうと解釈している。

 それとキリスト教の「心の貧しいものは幸いである」とか「放蕩息子の帰宅」などとどことなく似ているな。放蕩息子の帰宅ってそれだけじゃ何も意味はない。でもその逸話を読むと何となく理解できる。兄弟が居て親は財産を等分に分けるわけだ。兄は真面目で優秀で親父の跡を継いで仕事を続ける。出来の悪い弟は旅に出て全財産を使い果たしてしまう。それで最後には親父を頼って帰るしかなくなってしまう。そこまでなら「アリとキリギリス」の話みたいだけれど、そうじゃない。親父はその出来の悪い息子をあたたかく迎えるんだな。出来の悪い人間ほど本当は救いが必要なんだ。出来のいい人間は放って置いても何とかなる。そうやって信仰の必要性を語っている。

 昨日の「沈黙」の話もどことなくつながる。人格的に優れた人間とか、正直で真っ当な人間はもちろんこの社会では称賛されるし信頼も厚い。優等生なわけだ。信心で言うなら全く疑いもせず、それ一筋に信じ切るそんな人間の方が人間として優れているとされる。ゆるぎない信仰心は人間としても格が上なわけだ。だけどね、人間てそんなに上等な人ばかりだっけ、もっとこうカッコ悪くて嘘つきでだらしなくてでたらめでいい加減なんかじゃないか。例えばキリスト教徒なら踏み絵を踏めと言われればひょいひょいふんでしまうような、とりあえず嘘をついて言い逃れしてしまうようなそんな弱い人間の方がまともじゃないのか。でもそれでも救ってくれるのが信仰なんじゃないか。というのが大きなテーマだという気がする。弱い人間はけっして美しくもないし、かっこよくもない。そんなことを言ってる気がした。

 それから結局は神は何も言ってはくれない。すべてはその人の心の中にあるのだよということかな。

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今日のアトリエ - 2017.01.26(ポケットの窓から)


はる 5759
 映画「沈黙」を観てきた。遠藤周作の原作を読んでいないので比較はできないのですが、本来は先に原作を読むべきでしょうな。結構鳴り物入りのハリウッド映画だったので期待したのだけど、ご多分にもれずそれほどでもなかったな。まぁこういうのは人それぞれなので、エンターテイメントではないきわめて真面目な映画です。

 沈黙というのは何が沈黙なのかということですが、結局神は何も具体的には言わないのだよ、という意味の沈黙だったんですな。なるほど、そう思えば納得できますね。例えばある仕事に命を賭けるというの行為は美談として語られます。殉教精神も信仰に命を賭ければかけるほど美しく語られます。本人もそんな気になったりします。最近のイスラムの原理主義なんかもそうですが、命がけでやればやるほど輝いて見えます。昔の軍国精神みたいですね。

 でも本当はそれを美しく思うのは本人や周りの人の思い込み何だろうな。神は何も言わないんだよ。死んでくれとは決して言わないだよ。まして殉教してくれなどとは願ってはいない。

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ポケットの窓から - 2017.01.25(ポケットの窓から)


はる 5758
 云々を「でんでん」と読んで色んなところで大笑いされている。そう私も同じぐらいの国語力なので他人ごとではありませんね。責任のない絵描きですから自分の恥で済みますが、一国の首相はそうはいきません。人の書いた原稿をただ単に読んでいるからこんなミスをおかしてしまうのです。今日はラジオで国会中継を聞いていましたが、山本君にぼろくそに叩かれていましたね。あれもなかなか辛辣でしたが、すっきりおやめになった方がいいと思います。ちなみに東電は「とうでん」でいいそうですよ。念のため。

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ポケットの窓から - 2017.01.24(ポケットの窓から)


はる 5757
 自分が高齢者になるというのが全く信じられない。というのも普通に就職して正規の仕事をしているなら退職という明確な期限がある。明日からは会社に来なくてもいいですよ。〇〇会社の社員ではなくなりますよ。〇〇課長ではなく、ただの爺さんですよと言われる日が決められている。ところが私にはありがたいことに定年というのがない。反対に言えば一生現役で働かなければ食べては行けないということでもあるんだな。

 人生は高度な椅子取りゲームだという話を聞いた。学校生活ではいい成績を残して少しでもいいと言われる椅子に座ろうとする。学生時代が終われば今度は就活だ、一生安泰だと言われるブランド企業の椅子取りゲームの始まりだ。会社に入れば同期を出し抜いて少しでも出生コースを目指す椅子取りゲームを始める。結婚も住宅を購入するのも人生ゲームみたいなものだ。買ったか負けたか、すべてが他人との競争だ。

 で定年になって放り出されたら、何者でもない自分に気づかされる。でももうあとの祭り。残されているのはいい墓を作るぐらいか。一生なんてあっけないものだ。なにをあくせく頑張ってきたのだろうか。。その時になってやっと気づくんだな。人生はどう生きてもいいんだと。好きな事に使っていいんだ。どうしてそれを誰も教えてくれなかったのかってね。

 根本的に教育の目的が間違えている。いい学校、いい会社に入るために勉強するんじゃない。いい人生を送るために勉強するんだ。個人が幸せになるために教育があるんだ。まして会社や国のためなんかじゃない。それを教えなくどうする。

 

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ポケットの窓から - 2017.01.23(ポケットの窓から)


はる 5756
 一日料理の撮影に付き合う。つかれた。明日は学校。

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今日のアトリエ - 2017.01.22(ポケットの窓から)


はる 5755
 毎年入試の頃に雪が降る。今年もご多分にもれなく雪が降った。大したことはなかったからよかったのだけれど。

 私の入試の頃はもう40年も前の話になってしまうのだけれど、やっぱり前日が雪だった。当時はセンター試験などないから志望の大学に直接出かけて一発勝負で試験を受ける。私は関西出身なのでここには親戚も知り合いもいない。事前に学校を見てもいない。全くのぶっつけ本番。どんな学校なのかも知らなかった。

 東海道線で名古屋まででて、中央線で塩尻経由で甲府まで来たのだろう。よく覚えていないけれど、それが一番確実で料金も安かったからな。今は知らないけれど当時は地方から出てきて受験する学生のために安い宿が用意されていて、一部屋に5,6人雑魚寝した。前日に初めて学校を見学、自分の試験教室の確認に出かけた。ローカルな小さな大学で当時まだ木造の白い校舎があって、何となくワクワクした覚えがある。こんな地方都市の大学でゆっくり勉強したいなと闘志を燃やした。

 試験そのものはなにも覚えていない。ただ美術専攻の学生は実技試験があるので、次の日同じ旅館に泊まりこんだ。ただ他の学生はもう終わって帰宅しているので広々とした部屋に一人泊は若干取り残された感があった。

 入試というとそんなことを思い出す。

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ポケットの窓から - 2017.01.21(ポケットの窓から)


はる 5754
 南京の虐殺があったかどうか、あるとかないとか右も左も右往左往している。韓国の少女像の件もおなじだな。どんな資料読んでもはっきりしている。我が国は他国を侵略したという事実だ。それまでなかったことには出来ない。どう弁解してもそれははっきり事実として存在しているのだ。

 平和な今の我々の常識ではとても考えられないような精神状態にならなければ人を犯し殺すようなことはできない。戦争とは人間を、そういう異常な精神状態にしてしまう行為なんだろうな。だから何重にも規制をかけて戦争状態にならないように法で縛っているのだ。

 戦争はごく一部の煽る人たちに乗せられて、隣の人が攻めてくるという一言で簡単に洗脳されてしまう。極平和に仲良く暮らしていた隣人同士があっと言う間につかみ合いのけんかになってしまう。不安を煽りたてていったい誰が得するというのだ。

 武器や弾薬を作る会社は製薬会社と似ている。製薬会社は平和で健康で健全であればやがてはつぶれてしまう。世の中が不健康で不潔で不安定で戦争でもあれば活気を呈する。会社的には世の中がもめている方がありがたい。エネルギーの会社もそうだな。省エネになれば儲けは減って行く。どんどん浪費して二酸化炭素排出して世の中を汚した方が儲かるわけだ。

 利権に絡んだ大きな力が戦争を起こす。一般の人は目くらましでただ単に世間の流れに流されているだけだ。何も考えない。その方が楽だから。だまってじっとこらえている。だからまた騙されたなどといい子ぶっている。

 声を上げなければならない。今の生活を犠牲にしても未来の子供たちに負担を強いてはならない。

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ポケットの窓から - 2017.01.20(ポケットの窓から)


はる 5753
 始まりましたTAO展。今日は一日美術館に詰めておりました。雪が降ると脅かされていたせいか、お客さんは少なかったですね。まぁ明日以降たくさんの方が来てくれるでしょう。そんなに心配はしていません。

 教室を始めて今年で13年だそうです。最初の2年はこういった展覧会は開催しませんでした。だから今年で11回目の展覧会です。こういった芸事を教える事は結構難しいですね。教えるというのか、一緒になって勉強していると言った方がいいのかもしれません。今まで自分で良かれと思って手探りでやってきたことを、何となく分かりやすい言葉にして伝えているという気がします。その確認作業ですね。上手く伝えることが出来れば本人も納得するようですが、無理やり押し付けてもだめですね。大人ですから、そこが難しい。

 さて昨日春に開催の京都の個展のDMが出来てきました。まだまだ先の話ですが、ご希望ならメールでお知らせください。
 

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- 2017.01.19(未分類)
TAOs
はる 5752
 明日からTAO展がはじまります。私の教室の発表展になります。お時間が有りましたら是非観てください。



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今日のアトリエ - 2017.01.19(ポケットの窓から)



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はいはい - 2017.01.18(ポケットの窓から)

はる 5751
 冬もそろそろ飽きてきた。人間は贅沢にできている。冬の初めごろ冬物のコートを引っぱりだして何だかこれを着るのが心待ちにしている自分を発見する。春になってこれまた春物を引っぱりだして悦に入っている。こんなことでも幸せになれるんだな。春夏秋冬それぞれに楽しい思い出がある。常夏の国でなくてよかった。

 古いうちに住んでいる。だから隙間風がすごいんだけど、それでもここに住んでいることが楽しくもある。冬になってストーブに火が入って上にのせた薬缶からシューシュー湯気が出ているもの好ましい。西日が差してアトリエを橙色に染め上げる時も好きだな。こんなところにも幸せがあるんだ。

 畑に霜柱がったって、ザクザク踏んでコンポストに葉物の切れ端を捨てに行く。先日の雪がまだ畑に残っていて秋に植えた春菊や菜の花がカチカチに凍っている。もうすぐこんな光景も終わるだろう。春が待ち遠しい。。

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今日のアトリエ - 2017.01.17(ポケットの窓から)


はる 5750
 今日は仕事。

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今日のアトリエ - 2017.01.16(ポケットの窓から)


はる 5749
 今日も寒かった。明日の朝は確実に零下だろう。寒いけれど、少し暖かくなった凍り始めた川沿いを散歩する。こんな時間は暇な犬と老人しかいない。それもまた楽しいと思える時だ。

 仕事というのは突き詰めると日々の糧を得る労働ということだな。それに生きがいとかやりがいなどという価値を付け加えたのは最近の事じゃなかろうか。労働というのものが直接衣食住と関係しない仕事となった時から労働に付加価値がついて来たのだろう。単純に自給自足的な生活なら好きも嫌いもないわけだからな。

 ネットを見ていたらこんな記事が出ていた「昔の人は何故不便な山間に住んでいたのか」まぁ今とは情報も交通手段もまるで違うから簡単に比較はできないのだけれど、例えばよく話に出てくる旅芸人などあえて不自由な暮らしを選んでしているわけだ。山に住むきこりとかサンカ、マタギ、定住しない行商人とか芸人とか山師、修験者などもそうだな。耕す土地が持てなかった、世捨て人だったというだけではないような気がする。

 話が散漫になって何が言いたいのか、この間から模索しているのだけれど、上手くきっかけがつかめないでいる。まぁ毎日書くというのはこんな話にもつきあうということだ。ごめんな。

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ポケットの窓から - 2017.01.15(ポケットの窓から)


はる 5748
 滅茶寒いねん。今年は比較的暖かだったから寒さが身にしみるな。

 若い頃に仕事についてはよく考えた。仕事がどうしても避けられない苦役なら出来るだけ時間も量もい少ない方がいいに決まっている。ではどうやって時間と量を少なくできるか?ということだな。短時間に集中的に稼ぐ、それ以外は好きな事をする。そんな仕事があればいいわけだ。

 しかし、雇われていたんじゃそんな自由はきかないし、自分の稼いだ分の数パーセントしか自分の物にならないわけで、自分が稼いだ分を効率よく自分の物にするには起業するしかない。しかし、商売は働きたくないから、楽をしたいからという志ではたぶん失敗するだろう。何とか一円でも儲けたい、商売が好きだと言うのでなければ上手く行かないと思う。

 サラリーマンになるという気はなかった。反対に学校を卒業する段階になって、皆が慌てふためいて就活に走っていることが何だか不思議だった。卒業イコール就職というイメージがどうも違うような気がしていたんだな。なぜかな。就職する気が全くなかった。学生時代にアルバイトばかりしていた弊害なのか食べるだけじゃどうやっても食って行ける自信があったからな。

 それよりも本当にやりたい仕事、人生をかけてもいい何かを見いつけることの方が先だという風には考えていた。しかし、それはそう簡単に見つかるものではないだろうから、まぁゆっくり探そうとも考えていた。それなのに慌てふためいて何でもいいからどこかに永久就職を見つけるんだという気にはなれなかった。

 風呂に入ってまたあとで。

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ポケットの窓から - 2017.01.14(ポケットの窓から)


はる 5747
 駐車場はご覧のとおり。この間の雪で、びしびしに凍ってます。今日明日は零下5度くらいです。めっちゃ寒いで。

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ポケットの窓から - 2017.01.13(ポケットの窓から)


はる 5746
 絵を描くという行為と表現するという行為の間にはかなりギャップがある。

 絵を描く人は多くの場合子供の頃から絵が上手と言われて育ってきた経験があるのではないか。そのうちに自分でも人より上手いのではないかと勘違いして納得していることが多いな。だから何故絵を描くのか、絵で何が言えるのか、などということはあまり考えてこなかった。何よりも絵を描いていれば人は感心して褒めてくれたものだからね。

 今日はもう寝ます。また明日。

 

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ポケットの窓から - 2017.01.12(ポケットの窓から)


はる 5745
 「こたえてください」というタイトルを思いついた時にこれだと手を打った覚えがある。それまでタイトルはあまり重要とは考えてはいなかった。それ故に例えば「作品1」とかよくてもそのまま「テーブルと椅子」「○○のある静物」のようなモノの説明が多かった。まぁ普通はそれでOKなんだけれどね。タイトルにあまり意味を持たせると絵そのものよりタイトルが独り歩きして良くないと考えられていた。いや自分でそう納得していたのかもしれん。

 それは絵は自分のイメージを表現するものであって、単に偶然そう見えたというだけで画面を作るのは邪道ではないか。あくまで描くということが主体であるわけで、あるものを利用して描かないのは絵を描いているとは言えないのではないか。とかってにダメ出しをしていたのとなんとなく似ている。誰に対してだめなのか?

 観る人はタイトルを含めて絵を鑑賞する。多くの人はまずタイトルを読む。そのイメージで何が描かれているのか理解しようとする。言葉というのはある意味で非常に共通の理解を得やすい。そこからイメージが個人のなかで広がって行く。

 たった一つの文字が言葉が決定的な意味を持つことが多い。絵を描く人は案外そのことに気が付いていない。言葉で表現できないことを絵で描くのだというのはよく言われることだけれど、もちろんそれも大きいのだけれど、例えば短歌とか俳句のように我々は一つの言葉に多重の意味を持たせるのが上手い伝統がある。それを利用しない手はない。そのことで何倍も表現として強くなることを知った。

 案外そうやって言葉を探すことで自分の中を何を表現したかったのか見つけるという仕事にもなっている。一つの言葉が見つかることで絵が今まで以上に強く人々のこころに訴えることを今までの経験で知った。

 例えば「平均律」というタイトルを付けた私の代表作がある。これが普通に「「ピアノソナタ」とか「若いピアニスト」であるならたぶんそれほど評価されなかったのではないか。平均律というのはある意味ピアノ曲のすべて、もっと言えばバッハからはじまって現代音楽も含めた音楽すべてを含んでいるような言葉なんだな。

 最初に描きだした時にはそんなこと考えていた訳ではない。描いている内にどんな音楽もピアノ曲も私が表現したかった音楽でないと思った。描きたかったことは音楽のすべて、旋律、リズム、ハーモニーその他の快い調和みたいなものだ。そのことが私の主題という風に思った。それにはどんなタイトルも合わない。「平均律」と思いついた時にこれだと思った。

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今日のアトリエ - 2017.01.11(ポケットの窓から)


はる 5744
 私の絵には何回となく出てくるテーマがある。一つは「こたえてください」これが一番最初に出てきたのは1997年のミクストメディアの記念すべき大作だ。でたらめに貼りこんだボロ布がちょうど人物が手を差し伸べている姿に見えた、そこからそれをそのまま利用した人物像だ。この時の手法が今のスタイルにつながっている。タイトルも後から付けた。

 始めに何か物語があってそれを絵にするのではなく。何か分からないけど面白い形がそこにあり、そこからなぜこんな形に惹かれたのか、自分の中にこれと共感する何があるのかと問いかけるところから私の仕事が始まってゆく。そうやっていると思いもかけない面白い自分を発見する。あぁ自分は今こんなことを感じていたのか、こんなことが自分の中にあったのかと気付くことが多い。

 この「こたえてください」というタイトルも随分と考えた結果出てきたものだ。今ではこれ以外考えられないというほどピッタリのタイトルとなった。

 絵を描く行為そのものの中に答えがあるみたいなものだな。問いかける姿そのものが答えである。そんな生き方ということかな。

 

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ポケットの窓から - 2017.01.10(ポケットの窓から)


はる 5743
 一昨日の雪がまだ残っている。ここは雪国ではないけれど、年に何度か雪が降って積もる。時に数年前のように1m45cmなどということもあった。

 関西に居た頃は積雪などほとんど経験したことがなかったな。数年に一度くらい数センチ降ればいい方で、十センチも積もれば大喜びで雪だるまなど作って遊んだものだ。それでも冬は結構寒かった記憶がある。家の水道管も時々つららになったり、破裂したりしたな。今ほど暖房器具がしっかりしていなかったからかもしれないな。暖房器具といっても火鉢ぐらいしかなかった。冬場これで家族がどうやって暖まったのだろうか。今のようにテレビもなかったから、余計なことしないでさっさと布団に入って寝たのかもしれない。

 神戸と言っても子供の頃住んでいたところは、西の端明石に近いところで都会とは全く言えない不便なところだった。田んぼこそなかったけれど、まわにはまだ畑が点在していて牛や馬が道路を時々歩いていた。今のように舗装道路ではなかったので、雨が降るとぬかるんでドロドロの泥道になった。はねを上げないで歩くのが難しかった。

 多くの人もそうだろうけれど学校に上がるまでの4,5年の記憶はなまあたたかく自分の中に存在する。その頃の記憶が今の私の想像力の源のように思えてしかたない。すべての事がアンニュイでゆっくりと刻まれている。不安で心細くて頼りないそんな心持でいたことをよく覚えている。

 あれから何年たったのだろう。遠いところに来てしまった。。

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今日のアトリエ - 2017.01.09(ポケットの窓から)
「樹を植える人」

はる 5742
 「木を植える人」の逸話は何処かで聴いていました。実際の話を観るのは初めてでした。結構感動しましたね。根が単純なんでしょう。今の少子化の問題とフランスと日本の政策の違いみたいなものを強く感じました。このままでは必ず行き詰るのに何の手も打たない我が国。今木を植えても遅くはない。

 成人式だったそうだ。ここ最近の祝典のように俄かに馬鹿が騒いでいるようだ。何が面白いのか、あれだけのためにかなりのむりをしているのだろう。まぁ他に楽しい事がなければ分からんでもないか。

 私が二十歳の頃はなにをしたてたのだろうか。成人式のイベントがあることさえ知らなかった。知っていたとしても行く気もなかったけれどね。今の若者とさして変わらない。何をやっていいのか、どうすればいいのか、自分の将来も未来も不安で自分が不甲斐無くて、とりあえずアルバイトばかりしていたような気がする。あのころに戻りたいなどと絶対に思わないな。

 あれから45年も経ってしまった。そうだな今が一番いいかな。やりたいこともあって、それがとても楽しいことで、収入にはあまり結びつかないけれど、それでも何とか生きては行ける。いい感じで暮らしている。健康でさえあればこのまま死ぬまで働ければそれでいいのじゃないかな。末永くお互いの健康を、他にはなにもない。

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ポケットの窓から - 2017.01.08(ポケットの窓から)


はる 5741
 まぁ予報通り午後から雪になった。今回の雪はかなり積もりそうだ。さっそく家の路地を雪かきしてきたけれど、べたべたした重い雪だったな。予報では今夜遅くから雨になるそうだから明日には解けるかもしれん。まぁそれにしても寒い。

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今日のアトリエ - 2017.01.07(ポケットの窓から)


はる 5740
 なにを書くかな。何を書いてもあまり変わり映えしないのですが、、、。明日は予報では午後から雨になってその後遅く雪に変わるらしい。この頃はピンポイントで時間も一時間刻みの予報でかなり正確な事を知ることが出来る。もちろんネットの情報ですが、知りたい時に知りたい情報をほぼ的確に知ることが出来るネットは凄い情報革命だな。

 これと物流を組み合わせたネット販売は商売のやり方を根本から変えたように思うな。例えば書籍などいままで本屋でしか買えなかったものが、ネットで検索すればいくらでも探すことができる。かえってマイナーな本など本屋さんに注文するより手っ取り早く確実にゲットできるんだから本屋さんも形無しだ。今まで持っていた本屋のプライドなどなくなってしまった。お店など持たない方が商売がやりやすい、経費もかからないしね。これでますます売れる本や雑誌しか置かないようになるだろうな。

 本屋さんも立ち位置を替えて行く必要があるだろうね。ある種のセレクトショップのような本屋とかカフェのようなセンスのいいお店。オーナーの趣味や嗜好がうかがい知れるそんな雑貨店のような本屋になって行くのではないかな。京都の恵文社一乗寺店はそんな走りだな。

 絵にしても今までのように公募展やコンクールで受賞して名前を売って何とか箔をつけて個展をしてゆくというやり方じゃだめかもしれんな。本当に実力のある人はどんな形でも誰かが見つけて世の中に押し出してくれるのかもしれないけれど、それはほんの一握りの特化された人たちの話だ。そこそこの人間は誰かが見つけてくれるだろうなんて待っていると消えてしまう。そこまで待てない。

 ネットなどを利用してどんどん積極的に世界に打って出た方が結局ははやいのかもしれんな。まぁ私はやらないけれどね。若い人は考えた方がいいだろうな。今日はここまで。また明日。

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ポケットの窓から - 2017.01.06(ポケットの窓から)


はる 5739
 このブログを見る人はたぶん全国にまたがっているのだろう。誰が読んでいるかは私にはまるっきりわからない。ファイスブックが受けたのは反応が「いいね」を押されることでダイレクトにみることができるからだろう。その点ブログはほとんど反応はみえない。

 私はネットの黎明期からこうやって日記をつけているので、ブログなどもほぼ日常のルーティンになっている。反応が有ろうとなかろうと私は私の記録のために書いているのであって、どうでもいいというと語弊があるけれど、ほぼそれに左右されることはない。

 私の住んでいる所からは富士山が頭の先だけ見える。↑の写真はその様子。朝な夕な富士山はこれもまた当然そこの存在して美しい姿を見せてくれる。たったこれだけでもやっぱり富士山なんだな。全国の諸君羨ましいだろう!

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ポケットの窓から - 2017.01.05(ポケットの窓から)


はる 5738
 武田神社に出かけた。ここは毎年お参りにゆくけれど、三が日は人手が多くてとてもすっと行って帰るという訳にはいかないので、ここのところ四日過ぎに出かけることが多い。神さんにランクがあるとは思えないのでどこでもいいのだが、まぁ毎年参っているからと今年も出かけた。

 神も仏もあるものかとは言うけれど、何とかかんとか言っては神社やお寺に参ることが最近多いな。私などは罰当たりなのかはっきり言ってどうでもいいと思っているたちで、死んでも葬儀もお墓もいらないと思うのだけれど、こればっかりは残された方がやりやすい方法ですればいいと思う。あまり死んでから自己主張したくもない。どちらでもお好きなようにというのが本音だな。

 自分が生きてきた証などというけれど、それもいらんな。思い出に残っているひとは何人かいるわけで、その中で生きていればいい。それでその人たちがいなくなれば自然に消えてもいいかな。いずれ消えて行くのだからね。結局は今だよな。今生きていることが全てなんだな。

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ポケットの窓から - 2017.01.04(ポケットの窓から)


はる 5737
 ニューヨークのコオモ知事という人は凄い人だ。特にこの間トランプさんが次期大統領に選ばれた時に躊躇せず反トランプの声明を発表したのは驚かされた。例えば日本じゃ沖縄の知事や新潟の知事みたいなものだけど、こう立ってる姿勢が違う気がする。それを後押しする市民、大衆の民度が違う気がするな。

 ちょっとかっこよすぎるのが気になるけれど、アメリカという国の自由度というのか包容力、度量の大きさ、そんなものを感じる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わがニューヨーク州には、この国の先進性の源であり続けてきた誇るべき伝統があります。きょうほど、そのことが重要な意味を持つ時はありません。

The state of New York has a proud legacy as the progressive capital of the nation, and that is more important today than ever before.

ニューヨーカーであるわれわれの哲学は、運動のなかでドナルド・トランプが唱えたものとは根本的に異なります。

As New Yorkers, we have fundamentally different philosophies than what Donald Trump laid out in his campaign.

ですからハッキリと述べておきます。是非知っておいてください。あなたが攻撃されていると感じたら、『自由の女神』を戴く港を持つわがニューヨーク州があなたを保護するということを。

So let me be absolutely clear: If anyone feels that they are under attack, I want them to know that the state of New York -- the state that has the Statue of Liberty in its harbor -- is their refuge.

あなたがゲイであるかストレートであるか、イスラム教徒であるかキリスト教徒であるか、富める者か貧しい者であるか、黒人か白人か或いは褐色系かにかかわらず、わがニューヨーク州はあらゆる人びとを尊重し受け容れます。

Whether you are gay or straight, Muslim or Christian, rich or poor, black or white or brown, we respect all people in the state of New York.

これは、われわれの信じること、われわれが何者であるかの核をなすことです。また、ただ言葉でそう主張しているわけではありません。わが州法にその精神を反映しています。国家に何が起ころうと、われわれはそうし続けます。

It's the very core of what we believe and who we are. But it's not just what we say, we passed laws that reflect it, and we will continue to do so, no matter what happens nationally.

移民を迫害する連邦政府がわが州で同様のことを行うことは許しません。

We won’t allow a federal government that attacks immigrants to do so in our state.

われわれは、移民の州です。

We are a state of immigrants.

われわれは、最低賃金を15ドルに押し上げた州です。

We are the state that raised the minimum wage to $15.

われわれは、家族休暇制を導入した州です。

We are the state that passed Paid Family Leave.

われわれは、あらゆる平等な結婚を認めた州です。

We are the state that passed marriage equality.

われわれは、ニューヨークです。われわれは、あなた方のために立ち向かいます。

そして私は、そのためにはけっして妥協をしません。

We are New York, and we will stand up for you. And on that, I will never compromise.

ご安心ください。

Count on it.





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今日のアトリエ - 2017.01.03(ポケットの窓から)


はる 5736
 今年は例年より暖かく過ごしやすい正月でした。初詣も無事済ませて明日から日常に戻ろうかな。。特に決めることもないのだけれどね。

 東京新聞正月のコラムに「不戦を誇るくにであれ」を感動的に読んだ。お花畑であろうと、誰が何と言おうと不戦の理想を掲げる、それを是とする共通認識を育てるべきだと思います。たとえそれでこの国が無くなってしまったとしても、過去にこんな理想を掲げた国があったのだと語り継がれればそれはそれで意義あるように思います。なし崩し的にすべてを失ってしまうよりどれほどいいだろう。私はそう思います。

 以下にリンクを貼っておきます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017010102000121.html

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