あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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ポケットの窓から - 2016.12.31(ポケットの窓から)


はる 5733
 いよいよ今年も終わりです。色々とお世話になりました。来年もまたよろしくお願いいたします。みなさまよいお年をお迎えください。

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今日のアトリエ - 2016.12.30(ポケットの窓から)


はる 5732
 個展前に虫歯を発見して治療に何回か出かけたことを書いたっけ。東京に滞在中に歯が痛くなると最悪なので何とか先に直しておくことにした。

 この歳になるとかなり歯は痛んでるな。騙しだまし治療しながら使っては来たけれど、ここにきていよいよだめかもしれんな。まぁそれでも治療して東京滞在中も痛むことなく過ごしてきたんだけれど、昨晩布団の中でずきずきと痛みだした。困った。いつもかかっている歯医者さんは年末・年始の休暇に入ってしまった。一番近くて正月明け三日からの診療だ。どうするか?

 そんな時のための救急医療というのがあるのをご存知ですか。歯の痛みというのは大人でもなかなか我慢できないんだよな。だから救急の歯科診療システムというのがあるらしい。そこに電話してみてもらう事にした。

 まぁ本格的な治療はできないけれど、痛みを止める薬を貰ったことで何となく安心した。これ以上は正月開けるまではどうしようもないかな。最悪な事にならないことを祈る。

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ポケットの窓から - 2016.12.29(ポケットの窓から)


はる 5731
 年賀状はもうほとんど卒業です。不義理勘弁してください。もうこれ以上郵便局にお世話になりたくないのでね。年賀状が届かないからと言って具合が悪い訳ではありませんので、そこのところよろしくお願いします。

 年に何回もDM出しているから、音信不通ではないのでそれでいいでしょう。

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今日のアトリエ - 2016.12.28(ポケットの窓から)

はる 5730
 作品を観た感想を時々うかがう。もちろん面と向かってだめだとは言わないだろう。皆優しいからね。それに個展に来るという事は多少なりとも私の作品に興味があるからで、わざわざ面白くもない、さして興味もない個展に来るヒマジンはいないだろう。だからまぁひいきの引き倒しではないけれど、そこら辺りを差しひいて考えなければならんだろうな。

 自分のスタイルについて考える。二三日前に描こうと思って尻切れトンボになってしまったこと。よくエナミさんは自分のスタイルを持っているからいいですね、と言われる。スタイルを作ろうとおもったことはない。多くの作家もたぶんそうだろう。出来上がったスタイルは見ての通りのものだ。何々画と言えるものではない。だから真似しようと思えば誰でもできるし、その技法を隠そうとも思わない。いいなと思えば誰だって真似すればいい。私もそうやって色んな人の作品から盗んできたものだ。

 何にも隠し事はないのだけれど、一つだけ確かなことがある。これは私の描き方だということだ。私の生き方だといってもいいかな。だから反対にいくら真似しても私にはなれないということなんだ。だからこれがだめだと言われても変えようがない。私そのものだからだ。

 基本どんなスタイルでもいいと思うな。その人が興味持って楽しくできるなら、それがその人の好きということで、それを突き詰めると自分のスタイル、ひいては仕事になって行くのではないかな。「好き」の総体が今のスタイルになる。

 今私のような絵の描き方をする人はあまり人気はないのだけれど、かといって他のスタイルで絵を描くつもりは毛頭ない。流行のスタイルは無論あるだろうし、それはそれでいいと思っている。そういう流行作家もいてもいい。そうでなければこういった私のようなスタイルも目立たないだろう。みんながみんな私のようなスタイルになっても困るのだな。ありえないけど。

 具体的に物を描写しているわけではないので一般に言う絵画とは違うかもしれんな。よくこれ一点にどのくらい時間がかかるのですか?ときかれるのだけれど、そんなに一点に集中してこんつめて描いているわけじゃないからな。どうも多くの人にいいように勘違いされているようだ。まぁそのままにしておこう。インスピレーションがぱっと湧いてくるのでもない。そんなに神がかっていればもっと楽なんだろうけど、私はごく普通の常識人だと思う。日々淡々と生きてその中から何か紡いで行ければとおもっている。もうしわけないが、気分がいい。

 

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ポケットの窓から - 2016.12.27(ポケットの窓から)


はる 5729
 

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ほうがいいかな。 - 2016.12.26(ポケットの窓から)


はる 5728
 始めて東京で個展を開催した時は何が何だか分からずに、その時に描ける最大限の作品を持って行って展示した。数ということではなく内容の話だ。クオリティの話だ。

 大作と言われる公募展向けの作品は学生の頃から描いてはいた。もっぱらモチーフを並べてそれを適当にアレンジして自分なりの表現をするという手法だな。多くの画学生は未だにそんなところから始めているのだろう。

 大体絵を描くというのは自然を見てそれをどうにか工夫して平面に写し取るという訓練でしょう。デッサンなんかはもっと極端で自然物から色を抜いて白黒だけで明暗を作って行くわけだ。形もね。三次元空間から二次元に還元するというのは慣れないとなかなか難しい。それをマスターするのに何年もかかる。

 天才的に上手い人がいるね。生まれつき頭と目が絵描きの人というのがいる。何の努力もなくすらすらと簡単に絵が描ける人もいる。そういう人は別にしてまぁ普通は結構努力してデッサン力を身に着ける。

 ところが、学校を卒業して絵を発表して食べて行こうとするとはたと困ってしまう。学校でやってきたことがほとんど役に立たない。学校は職業訓練所ではないので、どうやって小品を描いてゆけばいいのか、自分なにの作品をどうやって描いてゆけばいいのかなどまるっきり教えてはくれない。いや学校の先生自身その点に関しては素人なんだな。気にして生きてはいない。

 そこから延々と自分のスタイルを見つけることに奔走することになる。今だから言えるけれど、スタイルを見つけようとしている間はたぶん自分なりのものは出てこないのじゃないかな。突き詰めて行けば結局は自分自身のなかにすべてがあるんだな。そのことに気づくまでに今までかかったということか。

 個展情報更新しました。
http://enami.sakura.ne.jp/koten/koten.html


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帰宅中 - 2016.12.25(ポケットの窓から)

帰ります。
はる 5727
 帰宅しました。クリスマスに個展を開催するパターンはもう30年近くになる。髭に白くなって本物のサンタのようになっても何となくウキウキする気分は変わらないものだ。子供じみているけれど、こうやって一生終わるのも悪くない。

 


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終わったよ。 - 2016.12.24(ポケットの窓から)



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楽日 - 2016.12.24(ポケットの窓から)

いよいよ今年の展示も最後です。4、30まで


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個展5日目 - 2016.12.23(ポケットの窓から)

明日4、30までです。


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個展4日目 - 2016.12.22(ポケットの窓から)

かなり疲れてきました。


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個展3日目 - 2016.12.21(ポケットの窓から)

3日目です。二日で100人来ました。今日はぴったり客足が止まりました。


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個展2日目 - 2016.12.20(ポケットの窓から)

2日目です。


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個展初日 - 2016.12.19(ポケットの窓から)



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個展前夜 - 2016.12.18(ポケットの窓から)

旅立ちです。


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ポケットの窓から - 2016.12.17(ポケットの窓から)


はる 5719
 明日からまたしばらく私は留守にします。ケイタイがガラ系ゆえに更新は写メだけになります。まぁしばらくはネットから離れた生活になるでしょう。それもまたたまにはいいかな。それでは楽しいクリスマスをお過ごしください。

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- 2016.12.16(ポケットの窓から)


はる 5718
 イタリアから荷物が届いた。前もそうだったけれど住所がほとんど違っている。KOKUBOというのが正確な住所だがKOBUDOとなっている。見た目はよく似ているが日本人の我々にしてみれば全く異なった住所となる。これが漢字だとまるっきり違うので間違えることもないだろう。表音文字と表意文字の違いじゃないだろうか。

 しかし、どうなんだろうか、例えばBOOKと表記した場合、これを一つの塊として見ているわけでつづりを一つ一つ読んでいるわけではないのだろうな。だから我々が本という漢字の形を一つの塊として読んでいるようにBOOKという単語を一つの形、象形として読んでいるのではなかろうか。アルファベットそのものは無意味な形だけれど単語の形はそれなりに意味を持ってくるように思うな。どうだろう。人間の認識機能はそういうふうに出来ているのではないかな。

 もう一つ面白いと思うのは、我々は日本語でモノを考えているわけだ。だから主語もほとんど省いて考えている。わざわざ私はこう考えたなどとはかかない。ところが英語などは主語が明確にある。時制というのもしっかり決められている。ところが日本語は実にあいまいだ。特に時制など過去の出来事でも現在の時制で表記してもおかしくない。反対にすべて・・だった。と過去形にすると妙に違和感が有ったりする。

 だから元々そういった考え方というのが我々には希薄なんだろう。認識できないものはないのと同じなんだな。これをもう少し深めると面白いかもしれない。

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ポケットの窓から - 2016.12.15(ポケットの窓から)


はる 5717
 一緒にやってきた仲間の奥さんが亡くなった。まぁ随分と前から持病があったのだが、身近な人の訃報はけっこうショックだな。これからだんだんとこういった連絡が多くなるのだろう。明日は通夜で明後日告別式だ。

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ポケットの窓から - 2016.12.14(ポケットの窓から)


はる 5716
 今年も終わるな。何だかあっという間だった。毎年そう思う。こんなことを65回繰り返している。もうそんなにと思うな。来年から少しはゆっくりしようかなどと思う。でもまぁやっぱり駈けずりまわって一年終わるんだろうな。

 明日の朝は寒いそうだ。風呂入って寝よ。

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ポケットの窓から - 2016.12.13(ポケットの窓から)


はる 5715
 国の赤字が1000兆を超えたらしい。単純に国民一人当たり800万の借金を抱えていることになるらしい。それで毎年少しでも返済して行くというのじゃ分かるけど、毎年借金は増えているらしい。もう何が何だかわからない。ケセラセラでその日暮でいいのかね。

 素人考えだけど、国は国民の貯蓄をあてにしているのじゃないかな。これを公にするとパニックになるからしないけど、単純に考えて衰えたとはいえまだまだ国民は相当なたくわえを持っている。日本人は貯蓄が好きだからね。特にお年寄りは年金もたくさんもらってなおかつ貯蓄も相当している。それを吐き出させることは普通はできない。老後の資金だからね。そうやたらと吐き出しはしない。ところがそれを吐き出させる上手い方法がある。 個人は国債なんか買わないとしても預けている金融機関が買ったとしたら結局はまわりまわって同じことだ。うわべは関係していなくても同じことだ。いざとなれば破産して付けは国民にまわってくるだろう。預けた資産はただの紙切れになる。だから国は比較的安穏としているのだ。でなければ借金をこれほど積み上げて平然としているはずがない。

 いつも思う事だけれど、我々はお上という発想をする。これは日本独特の物なんだろうか。よくわからない。水戸黄門ではないけれど勧善懲悪の物語が根の部分まで染み込んでいる。反対すればお上にたてつく不届きものとなる。葵の御紋を見せただけで、ドラキュラが十字架を見た時のように畏怖して恐れ入ってしまう。長いものには巻かれろというのが我々の身に沁み込んでいるのだろうかね。

 滅私奉公これが我々の教育の理想とするコンセプトかもしれんな。うじゃうじゃ文句言わんでとにかく無私になって働け、そうすればやがていいこともあるだろうて。。たしかにそれも一理あるからな。個というのをなくして全体の中の一部になってしまう快感というのもある。信仰や宗教もそんなところがあるけれど、無視無欲になって真っ新になると案外楽にはなる。悩みもなくなる。動物みたいなものだかね。

 今の教育の問題はそういった旧態以前の教育の方針と、現代の自由な自我を大切にするという教育とのギャップが出てきているのかなと思う。滅私奉公型の教育は減ってきたとはいえ未だに通奏低音のように教育界に広まっていて、ややもすると鎌首をもたげて自由な教育を邪魔しようとする。

 何が言いたいのか分からんようになってきた。また明日。

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今日のアトリエ - 2016.12.12(ポケットの窓から)


はる 5714
 今日午後に荷物を出した。年末ゆえ少し早めに対処した。後はもう実際に現場でみて飾り付けるだけ。

 88年に初めて銀座で個展を開催してから今年で何回目だろうか。もう30年近く前の事だ。団体展にも出品していなかったのでDMを出すところもなかった。親戚や知り合いに出しても100枚も出せば種が尽きてしまった。個展をやるのは自分のためでもあるのだが、人に観てもらわなくては何の意味もない。最初の二三年はそんなことで終わってしまった。

 それでも無意味ではなくて、今を時めく作家たちもその頃は盛んに銀座で発表していてすごく刺激になったことは確かな事だ。そんな関係から国画会にも出品し始めて、これまた多くの作家と知り合いになった。同じ釜の飯を食うという例えがあるが、同じ頃に頑張って大作を発表していた作家は、美大に行っていない私にとっては得難い仲間だ思っている。まぁそれが何だと言われると分かりませんが。。

 最初の頃から個展は一年間に制作した作品を展示する場と決めていた。・・・・風呂に入ります。

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今日のアトリエ - 2016.12.11(ポケットの窓から)


はる 5713
 「好きな事を突き詰めると仕事になる」ということを言われた。確かにそうだな。半端な好きじゃだめだけれど、それと心中するともりなら何とかなるような気がする。

 これと反対に、若い頃に絵などに一生かけると人生棒に振るよと言われた。これってけっこうボディーブローできいていたな。その人は親切心で忠告してくれたのだろうけれど、先の見えない人間にとっては闇夜に突き落とすような恐怖感がある。同じ忠告するなら、前者の方がどれだけ力になることだろう。

 学校の先生でも、ある程度人生経験して説教しようとする人間に言いたい。何もわからない若い人を不安におとしめることでコントロールしようとするのは止めて欲しい。「○○しないとロクな大人にならない」「○○我慢でないのは人間として失格」

 教育は人間を型にはめて、国や人の役に立つ人間を育てるためにあるのではない。それは結果であり目的ではない。本来教育は個人の幸せを見つけるためにあって、結果として国や人の役に立つものでなければならない。

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ポケットの窓から - 2016.12.10(ポケットの窓から)


はる 5712
 綺麗な青空だったな。ただそれだけで幸せな気分だ。安上がりに出来ている。

 福島の廃炉の費用が20兆円を超えるらしい。最近はやたらと兆という桁が出てくるので若干麻痺してしまったけれど、一兆円という量は一体どれくらいの物なのか、感覚的はつかめないな。という訳でグーグルで検索してみた。一万円の札束にして積み上げて行くと軽く富士山を超えて一万メートルになるらしい。もう人間の感覚ではつかみきれない量だということがわかる。

 ところでこの20兆円だけれど、国家予算の五分の一になるわけで、こんなもの一企業が負担できるわけもない。どうやっても国が動いて国民に負担をお願いするしか解決の方法はないはずだ。それが分かっているのだろうか。簡単に責任取るとか保障するいうけれど、どうやっても責任など取れないのだな。

 今の日本国民を単純に赤ん坊から認知症の年寄りまで含めて一億人としても、一人当たり20万円の負担をしなくてはならない。それもたった一基の原発の廃炉費用だよ。もしこれがこれより増えたらどうやって負担するのか。どう解決してゆくつもりだろう。それで原発が一番電気が安いとどうして言えるのだろう。

 もうこの国のリーダーたちはどこか狂ってしまったとしか考えられないな。

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今日のアトリエ - 2016.12.09(ポケットの窓から)


はる 5711
 午前中歯医者にゆく。この歳になるとけっこ歯は痛んでいる。結構メンテナンスしているつもりなんだけれど、だめだな。面倒だけどこまめにメンテナンスした方が結果は良いようだ。

 年末には中央で属している団体展・国画会の小さなグループ展が多い。銀座のそこらじゅうのギャラリーを借り切ってにぎやかにやっている。春の美術館でやる公募ではほとんど個人がみえないけれど、こうやって小さな団体になると個人が見えてくる。毎年やっているとグループの親睦も深まってなかなか楽しい。

 最近は若い人の公募展離れが言われて久しい。日本独特のピラミッド型の家元制度に似た画壇が嫌われているようだけれど、趣味として長く続けて行く場合、こういった仲間内意識みたいなもが続けるモチベーションになることもあるように思うな。

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ポケットの窓から - 2016.12.08(ポケットの窓から)



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ポケットの窓から - 2016.12.07(ポケットの窓から)


はる 5709
 サボテンの花を描いた。これも最初からサボテンだったわけではない。描いている内にサボテンに見えてきたので花だけを描き加えた。いつものことだけどね。

 「サボテンの花」には思い入れがある。そう私が学生だった頃流行っていたフォークソングのタイトルだった。時々未だに口の端に浮かぶ。何となくセンチメンタルな歌詞が好きだったのだろうか。しかし、サボテンの花を思い浮かべたのはそんなことからなのかな。

 サボテンというと強烈に覚えていることがある。随分と昔になってしまったけれど、イタリアのサルデニアの友だちの家にお世話になった時にサボテンの実がおやつのフルーツに出てきたことだ。ピン分玉くらいの橙色の硬い実でかじると甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がった。中は種がぎっしりと詰まっていて食べることは出来なかった。

 次の日にその摘果の方法を見せてもらった。背丈の倍以上もある立派なウチワサボテンの並木道のような畑があって、三つ又になった物干し竿のような長い棒でサボテンの実を一つ一つもいでゆく。その後近くの草むらにこすり付けてとげを取っていた。取ってすぐ食べてみろと貰ったけれど何だか食えなかった。なんとも豪快な摘果の方法だな。

 サボテンの花を描こうと思ったのは形が面白いからということもあるけれど、日本の在来種でない植物が日本という風土も気候も違う異国でそれなりに順応して雄々しく生きている姿に共鳴したからだ。これって植物だけではないよね。日本の今の多くの文物そのものがありとあらゆるものの寄せ集めみたいなものだな。オリジナルは何だとこだわって行くとらっきょみたいにほとんど何もなくなってしまうかもしれない。油彩画だとか日本画だとかくべつしているけれど、元をただせばどこか他の国から渡来してきたものだ。文化とか文明はそんなものじゃないだろうか。

 タイトルを「渡来花」とすることにした。

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ポケットの窓から - 2016.12.06(ポケットの窓から)


はる 5708
 カミさんがどうしても連れて行けとねだられたのでasacoyaというパン屋さんに出かけた。この看板だけ見るとオシャレな町中にある人気のパン屋さんに見えますね。ところがどっこいどう例えればいいのか、例えようが見つからないのだけれど、北杜市とか長坂とか清春あたりじゃ都会からあえて田舎に移り住んだ別荘族がちらほらいますよね。そうじゃない極普通の誰も振り向かないような、うらさびれた、どうやってもオシャレじゃない田舎道のどん詰まりにバラックのようなこの店があった。これをオシャレとみるか、どうか分かれるところだろうな。究極の選択でこういうふうにしかできなかったというのが本当のところじゃないだろうかね。

 ところが驚いたことにどうやって探したのか開店前にはもうかなりの行列が「出来ているのだな。11:30に開店して午後1:00には売り切れて閉店してしまう。何とも羨ましいような人気なんだな。お客さんはどこから湧いてくるのか若い人ばかり。恐れ入ったな。認識が改まったね。これからはお店は探して行くものなんだな。材料にこだわっていいものを作れば人は何処だって探してやってくる。インターネットや口コミで人は探してやってくるんだな。単にブームで終わらないのなら新しい形の仕事が出来るのじゃないかな。これも地図がない。自分で探せということらしい。。

 パン屋・asa-coya
住所: 〒407-0034 山梨県韮崎市 大草町下條中割242

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ポケットの窓から - 2016.12.05(ポケットの窓から)


はる 5707
 今日東京展のDMを郵送しました。東京方面の方二三日後に着くと思います。今年最後の個展ということで締めくくりですね。まぁしかし地元の郵便局のおばさんともおなじみなってしまいました。毎年凄い量のハガキを出すのでここでは有名人になってしまいました。又来ましたね!なんて感じです。個人で出す範囲ではまぁ横綱級だと思いますね。礼状も年賀はがきもありますからね。でもまぁこれはCMみたいなもんですから、来る来ないにかかわらず出すことに意義があるという気がしています。続けている限り無駄にはならないと考えています。

 今年はたくさん個展をしましたね。それも大体期間中在ろうしてましたから重労働といえば言えると思います。この間ブッラク企業の過労死で自殺が騒ぎになっていたけれど、これも考え方次第だと思いますね。私なんかにしてもやる時は職住一体ですから年中仕事しているみたいなもんだし、年中遊んでいるといえばそんな感じでもあるわけだ。切がないというのかな。でもこう好きならべつに苦にならないわけで、やらされている労働というのはある意味苦役だわな。だから追い込まれて自殺なんてことになる。

 若い頃から仕事についてはよく考えた方だ。仕事がどうしてもやらなくてはならない苦役だというなら出来るだけ簡単で楽な仕事を選ぶべきだな。それで空いた時間で自分の趣味に打ち込めばいい。だけどその考えて行くなら、仕事に面白みはない訳で出来るだけサボる手を抜くという事に自分の能力を掛けるという雇う方も働く方もお互いに人生を無駄に使っているという事にならないか。

 本来は自分のやりたいことをやるというのが一番いいわけで、そんな仕事が見つかれば死ぬまで幸せにいきることができるというわけだな。でここに戻ってくるわけだけれど、それを探すというのが学校の大きな仕事ではないかと思うんだな。どうもいまの教育はそうはなっていない。やたらと生産性、経済だけを金儲けだけを優先して、まるで他の事は邪魔だというような雰囲気だ。

 この国はおかしな方向に行ってるぞ。多数決で政治が決まるのであればファシズムはもう始まってる。

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ポケットの窓から - 2016.12.04(ポケットの窓から)


はる 5706
 小学生の算数考える。面積を求める問題、これが結構難しい。使える道具が限られているのでとても難しい。三平方の定理や方程式など当然使えない。合同や相似の定理もつかえない。使えるのは日常生活で使っている常識みたいなもの、正三角形はすべての辺が等しい三角形だとか、正方形は真っ四角だとか。そんなもんだな。

 しかし、案外大人になって小難しい顔して考え込んでいることも、実は簡単な道具で考えれば分かりやすくなるのかもしれない。専門的な言葉など一切使わなくて、小学生でもわかるような言葉を使って、分かりやすく伝えることはとても大事な事のようにおもうな。

 すべての事に共通することがある。何からでも考えることはできる。ヒントはある。

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ポケットの窓から - 2016.12.03(ポケットの窓から)


はる 5705
 今日は一日額入れをする。この額入れというのも結構面倒くさい。私の額は普通の額のように落とし込むようなタイプではなく、標本箱のようなただの箱なんですね。こういったタイプは最近わりに多く見かけるのですが、一番の難点は作品を固定するのに裏からビス止めするということなんです。

 想像してもらえると分かるのですが、裏蓋のうらから見当をつけてパネルの桟の部分にネジを通さねばなりません。知っている方は分かると思うのですが、パネルの桟幅はほぼ一センチくらいしかなく外れると裏蓋に余計な穴をあけることになります。そうなると商品としての価値は無くなってしまいます。慣れるとほとんど外すことは無くなりますが、ここまではけっこう技術が必要です。

 こういうタイプの額のメリットは、作品の縁が額によって切られないということの他に、作品のサイドも作品として見せることが出来るということですね。ですから作品は平面でありながら横から見れば立体的なオブジェとしても見えるわけです。画用紙のように平面的な絵画ではなく、立体的な物として存在するということですね。これはとても大事な要素だと思います。

 額によって作品の印象は随分と異なります。本来は一つ一つの作品にあった衣装を着せてやるのが一番いいと思うのですが、そうすると額の管理がこれまた大変なことになります。ですから最大公約数てきなどんな作品でも合う黒の箱型という事になるのです。

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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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