あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2016.09.30(ポケットの窓から)


はる 5641
 明後日から出かけます。ゆえにまた更新が写メだけになります。あしからず。

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ポケットの窓から - 2016.09.29(ポケットの窓から)


はる 5640
 今でもそうだけれど、ほとんど色味のないモノクローム系の絵も大好きだ。15年ほど前の絵を回顧すると、ほとんど褐色系のモノクロームの絵を描いていた時期もあった。モノクロームの絵というのは色味がない分色んなことに惑わされないで一直線に進めるという利点がある。それ故に求道的になるし、求心的に何かを求めるという表現になりやすい。

 2000年というのは私にとって大きなターニングポイントだった。というのは生涯で初めて入院して大きな手術もした。死ぬか生きるかという瀬戸際に立って、それでも絵を描くしかないというぎりぎりのところで生きていた。元々そういう傾向が強かったのでより大きくなったということかな。暗い黒い大きなものに押しつぶされそうな絵を好んで描いていた。

 若い時は誰でも華奢でもろくて危うい。不安で心配で劣等感や焦燥感でいっぱいになっている。誰でもがいっぱしの詩人になり芸術家になってそんな歌を歌う。それがまた多くの人の心を打つ。けれども青い時はいつまでもない。そこに留まっていては本当の表現には至らないことを知っている。

 今の私は華奢でもろくも危うくもない。死ぬか生きるかの瀬戸際に立っているわけでもない。今私が感じていることは何気ない日常の中にある何でもないことがいとおしいといったことなんだな。後残された時間がどのくらいか分かりませんが、出来うるならそんなささやかな発見や喜びを唄って行きたい。たいそうなことはできませんがそんなことなら出来そうな気がするのです。どうかしばらくの間おつきあいくださいな。

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ポケットの窓から - 2016.09.28(ポケットの窓から)


はる 5639
 朝の散歩の道筋にあるポプラ。河の堤防の近くに自生している。何故だかある程度大きくなると切られてしまう運命にある。同じように大きな銀杏が切られてしまった。これがあることで何か不都合があるのだろうか?台風が来た時に根元から倒れることで堤防が崩れるというようなことが言われるけれど、反対に根が絡まることで堤防を固くしているということはないのか。御神木のような大きな欅でも簡単に最近は切ってしまう。交通の邪魔になるとか理由はいくらでもあるのだろうけれど、簡単に大きな樹は切らないでほしい。

 非日常と日常、はれとけ、祭日と平日、
 

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今日のアトリエ - 2016.09.27(ポケットの窓から)


はる 5638
 来年の三月の終わりから四月にかけて京都で二度目の個展を開催します。ちょうどお花見の季節とかさなって、ホテルを取るのが難しいだろうという予測の元に予約を取ることに躍起になっている。京都の町中は住んでみたい場所の一つで、何のしがらみもなくなって可能ならば引っ越ししてもいいかなとさえ考えている。京の町屋に住む、たぶん実現することはないだろうけれどね。

 そんな風だからたとえ一週間でもその町に暮らしてみたいというのは夫婦の淡い願望だ。一昨年ご縁があってギャラリー洛で個展が出来るようになって、今回で二回目になる。前回も同じようホテルに苦労した覚えがある。だから次回は万全の構えで臨みたいとは考えていた。

 同じホテルに同じ条件で連泊一週間というのはなかなか取れない。同じホテル内での移動ならまだいい方で、最悪はホテルを替えなければならないことになる。まぁ京都というのはなかなかそういった意味でも難しい場所だ。

 昨日からちょうど半年前になるので夜中の12時過ぎにまず一日だけの予約を取る。それでも今見るともう一杯になっている。何と熾烈な争いか!世界中からここを狙っているようだ。これから一週間毎日予約を取ることになる。

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ポケットの窓から - 2016.09.26(ポケットの窓から)


はる 5637
 雨が上がったら、夏の日差しだった。そろそろ秋になって欲しい。

 今頃になって正規と非正規の格差なんて大騒ぎしている。非正規などと新しい言葉で言ってるが、何のことはないパートタイム、アルバイトと何の違いがあるのか。アルバイトは学生のように本分があってその合間に片手間にやる臨時仕事というイメージがある。それに比べてパートタイマーは主婦の片手間仕事というニュアンスがあるな。だからこれも身分は主婦であって、それを生業にはしていない。

 派遣社員という肩書ができて、これはアルバイトともパートタイムとも違う身分にある。何が違うかといえば派遣社員というのはそれをもっぱら生業にしている。だからそのほかに何か本分があるわけではない。同じ仕事をしていながら明らかに正社員と身分に違いがある。収入に違いがある。将来に違いがある。

 規制緩和という言葉が流行語になるほど流行った頃、仕事というのはもっと自由に選んでいい(今でいう働き方改革など政府の言う事は信じない方がいい)新卒で一斉に入社しなくても不利にならないとか、資格を取ってからキャリアアップしてからとか、絵に描いた餅みたいなこと言われてその気になった若い人は、今頃一生臨時採用でしかない。ここらは上手い具合に騙されている。大企業が安い労働力を得られやすいように規制緩和した。

 しかし、今だけ、自分たちだけ、という考えで国づくりをしていると、結局のところまわりまわって自分たちの首を絞めることになる。安定した仕事につけなければ家庭を持てない、子育ても安心して出来ない、そして出生率がへる。子供が減る。長いスタンスでものが見えないのだろう。今最も大事なのは軍備じゃないだろう。若い人が普通に安心して暮らして行けるシステムだろう。

 何だか全く真逆の方向に進んでいるようで腹立たしい。

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今日のアトリエ - 2016.09.25(ポケットの窓から)


はる 5636
 来週の日曜日からまた一週間ほど私は出稼ぎの旅に出ます。今回も高速バスのお世話になります。何回も行ったり来たりなのでね、そのたびに新幹線という訳にはいきません。来年は二月におふくろの法事があって帰省してそのあとすぐに京都の個展になります。まぁこれも行ったり来たりで大変です。出来るだけ道中は寝ているのですが、結構疲れると思います。

 今年は雨が多いな。

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2016/9/24 - 2016.09.24(今日のアトリエ)

はる 5635
 アトリエからキッチンを望む。それにしても私の世界は狭いなぁ。。


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今日のアトリエ - 2016.09.23(ポケットの窓から)
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「旅の途中」2009年 F6 混成技法

はる 5634
 今年のテーマ「旅の途中」  
2016/11/12~11/20 甲府ハーパーズ・ミルの個展から
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
旅の途中

 人生を四つの時期に分けて、最後を遊行期としたのは古代のインドの教えだ。人として一通りの役が終わったら、すべてを放り出して旅に出ろということらしい。何だか少し憧れる。

 しかし、還暦過ぎて一人前の役割を終えてきたかと問われると、その返答に困ってしまう。だからまだもう少し浮世で苦労してみろという事だと解釈している。

 いつものように色々な布をコラージュして、絵の具を垂らしたり染み込ませたりしながら、浮き上がってくる画像を拾い集めて何かイメージらしいものを形づける。上手くいったと思う時もあれば、失敗することもある。出たとこ勝負の五分五分は我が人生に似ている。

 こうやって遊びなのか、仕事なのか混然としている状態が好きなんだろうな。気持はガキの頃とあまり変わってはいない。遊行期といえば、生きてるそのものが遊行みたいなものだ。私は生涯「旅の途中」だな。 いつものように淡々と暮らして行く。たぶんそれしかできないのだろう。

 今年も新作を用意してお待ちしております。よろしくお願いいたします。


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ポケットの窓から - 2016.09.22(ポケットの窓から)

はる 5633
 寒くなってきたのでこたつを出した。夕飯を食ってこたつに入ったら、案の定そのまま爆睡してしまった。こたつは禁断の場所だな。何もしないで一日が終わってしまった。申し訳ないってだれに謝ってるんだか。。

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今日のアトリエ - 2016.09.21(ポケットの窓から)


はる 5632
 一党独裁になると与党はやりたいほうだいだな。もんじゅなど遠のむかしに役立たずと分かっていたにもかかわらず今頃になって廃炉だと。何兆円も無駄にしてしまった。それに群がっている利権で儲けていた人はどれだけいるのでしょう。豊洲の移転の件も今頃になって暴露されておたおたしている。オリンピックどころじゃないね。フクシマもそうだけど与党に任せていれば大本営で嫌な事は発表しないぜ。それを暴露するのがマスコミでしょう。政府発表をタナボタ式に繰り返してんじゃマスコミの意味ないじゃん。

 フランスはプラスチックの容器を全面廃止だって。さすがにかっこいい国だ。日本じゃ絶対に出来ない。何故なら企業献金で与党はがんじがらめだからだ。何をするにもお金儲け以外では動かない。これが正しいとおもって理屈で理論で決定してみろ。成り行きで政治してないで。情けない奴らだ。

 強い者だけが生き残る訳じゃない。確かに近視眼的にみれば弱肉強食だけれど、長い目で見れば環境に適したものだけが生き残る。強者だけが生き残るのであればこの世の万物の生命は存在しない。いろんな生命の多様性があるから絶滅せずに生き残っている。弱者を淘汰したら強者も生き残れない。人類は弱者も許容範囲に含めることで全体として生き残れるように特化した生命だ。

 そのことが分かっていない人が多すぎる。みんながみんな強くてたくましくて強大な力を持った国を目指すのはおかしい。もうそんな時代じゃないのだ。


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今日のアトリエ - 2016.09.20(ポケットの窓から)


はる 5631
 台風が来ているようだ。今のところ風は大したことはないが、雨が台風特有の降ったりやんだりだ。このところの雨量ははんぱじゃない。これも温暖化の影響らしいけれど、降ればふったで天の底が抜けたように馬鹿ふりする。今までのデーターが通用しないような、想定がいの雨が降る。まぁ所詮人間の想定などたかが知れたもので自然の前には無垢な子供のようなものだろう。

 だから原発なんて人間の浅はかさをあざ笑っているようなものだ。いずれ人類は滅亡するのだろうけれど、案外日本がその発端になる可能性はあるよな。目先の事だけ、今だけ、自分だけ良けりゃという考えが結局のところ自分も含めたみんなの首を絞めていることにどうして気づかないのだろうかね。今だからこそ、唯一の被爆国として、また福島の原発事故を起こした国の責任として、あらゆる手を使って脱原発を掲げる国、少子高齢化の斜陽の国として、もったいないを国是とする理想的リサイクル国家を提唱すればいい。金儲け、大企業中心の利権国家なんてもう古い、もう成立できない国の形だよ。

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今日のアトリエ - 2016.09.19(ポケットの窓から)


はる 5630
 また台風が来ている。私のような出稼ぎを生業にしていると、その時期の天候が非常に気になる。雨だと決定的にお客さんの入りが悪い。まして大雨や台風はもってのほかだ。時に冬場だと雪が降る。これもまたダメージを受ける。一週間しかない会期にそんな日が二日もあればぼやきたくもなる。誰にも当たれないからよけいに腹が立つ。「土方殺すには刃物はいらぬ、雨の三日もふればいい」こんな歌があったな。似たようなものだ。。

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ポケットの窓から - 2016.09.18(ポケットの窓から)
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はる 5629
 小さな電動ミシンを買った。昔に比べてシンプルな機能だけなら本当にびっくりするほど安い。もちろん色んな機能を持っている機械はこれまたびっくりするほど高いのだがね。

 ミシンは山梨に来る時に実家から送ってもらった。もう50年も前の電動ミシンで、当時は最新式の物だったのだろう。結構な値段したはずだ。裁縫仕事は結構好きだった。といっても簡単なミシン掛け程度の物だったけれど、自分のジーパンのアレンジなどはお袋に頼んでもやってくれないので自分でやった。皮を買ってきてパッチワークにしたり、滅茶苦茶なベルボトムにしたり、まぁ若い頃はその手の馬鹿は通り道だろう。

 ところで、昔ながらの電動ミシンだったけれど、色々これまた不具合が出てきて取説もなくなって簡単な縫い合わせも出来なくなってしまった。新しいミシンが欲しいとは前から思っていたのだが、高価というイメージがあったのでなかなか手が出なかった。近場に電化の量販店ができて見に行った時にミシンを見つけた。私の認識が古いものだったんだな。パソコンなどと比べるとまったくおもちゃのような値段だ。

 個展が近いにもかかわらず、今日はジーパンを一本直した。

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今日のアトリエ - 2016.09.17(ポケットの窓から)


はる 5628
 今日はクロッキー会だったが、どうも上手く筆が動かなかった。というわけで作品のアップはありません。あしからず。

 今、家には一応動くパソコンが三台とアイパッドが一台ある。カミさんはスマホだが私はガラ系の携帯なのでネット環境にはない。そのかろうじて動くパソも二台は時代遅れのXPなのでこれもまたネットにはつなげない。というのかXPが使えないというので急きょ中古のセブンを買って中身を入れ替えたものだ。ちょっと油断すると急激に重くなってフリーズする。最近のネットは動画が多いので重いんだな。まぁだましだまし使っている状態だ。

 古いパソコンXPはカミさんがワープロとして文章を打ったりするのに使っていた。ところが昨日文章の変換がおかしくなったと思ったら、突然動かなくなってしまった。いやもうずいぶん前から奇妙な音がしていたのでそろそろ限界かなとは思っていたのだけれどね。いよいよお釈迦になってしまった。大事な情報は何も入てないから困ることはないのだけれど、こういったIT機器というのは突然壊れる。そして素人にはまったくお手上げ状態になってしまう。

 今使っているこのパソコンも何度か危機的な状態に陥って、そこから何とか再生してきたものだ。まぁメカニックなものは全くの素人なので何も出来ないのだが、見よう見まねでなんとかここまで使っている。まぁだからそれぞれの機器にそれなりの愛着があって簡単に買い替えるというふうにはならない。今回のように最後まで徹底して使い切るというのが、ただの機械ではあるけれど人と道具の関係じゃないかと思うな。まぁただの貧乏性かもしれんけどね。。

 さて、そろそろ個展の準備をしなければ。おやすみなさい。

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ポケットの窓から - 2016.09.16(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2016.09.15(ポケットの窓から)


はる 5626
 今年もまた新しいテーマを考える時期が来た。ほとんど何も変わらないのだけれど、それでも多少なりとも今の自分を考えるきっかけになる。昨年は」「どこにでもある」これで一年各地をまわってきた。テーマについて聞かれたことはほとんどないけれど、まぁテーマなんてものはまじないみたいなもんだな。それを唱えていると何となくそんな気がしてくるから不思議だ。

 ちなみにここ五年は「日々礼賛」「どこか遠く」「いったりきたり」「あるがままに」それで「どこにでもある」になる。一貫性があるようなないようなもんだな。

 そうだな、今年は「旅の途中」とか「こころの旅」とか「旅の夜話」なんてどうかな。そんなに旅好きでもなんですが、人生を旅の例えるとそんな言葉が出てきました。まだもう少し考えて見ましょ。。

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ポケットの窓から - 2016.09.14(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2016.09.13(ポケットの窓から)


はる 5624
 ここだけの話。私の絵は実は絵ではないのです。絵のような姿形をしているので絵と勘違いしますが、実際は絵ではないのです。もっとはっきり言えば絵を描くことを止めてしまったのです。かろうじて絵を描いていたのは油彩画のころまでで、ミクストメディアになってからは絵を描くことを止めてしまった。誤解していた人には申し訳ない。絵ではありません。ですが交換はいたしませんのであしからず。

 絵というのは対象を見て、また見なくとも想像してそれに出来るだけ近づけようと色々な材料を酷使して再現しようとするものです。イメージをメッセージとして再現しようとするものです。例えば裸婦を見てクロッキーします。その時に使う脳と今私がやっている時に使う脳とははっきり違います。クロッキーしている時は出来るだけ頭は使いません。忘我になればなるほどいいクロッキーが描けます。たぶん絵を描くとはそういう事じゃないかと思う。

 ならばここにある物をなんと呼べば適当なんでしょうか。近いのはオブジェかな。一応何か再現された図像はあるけれど、これはリアルな再現性を求めたものではない。ある意味で図柄とか文様とかに近いものじゃないだろうか。ですから出来るだけ何か参考になるような物を見ない方がいいのです。リアルになればなるほどやりたいことからは離れて行きます。肉付けも必要ありません。観る人にある種のシンボルとしてメッセージだけ伝わればいいのです。そのための図です。

 けれど、基本になっているのは原理はセザンヌです。「部分が全体で、全体が部分」世界はこの原理で成り立っている。

 屁理屈です。あしからず。

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今日のアトリエ - 2016.09.12(ポケットの窓から)


はる 5623
 年間に百点ぐらいの小品を描く。まったく新しく下地から作るのが半分ぐらい、あと半分は古い作品をリメイクする。だから基本的には作品は残らない。それでもどうしても壊したくないものが少しずつ残って行く。残った作品は売れ残りではあるけれど、私にとってはすこぶるいい作品であって、手放したくない作品でもある。いつか在庫一掃セールをやるか?

 作品は良くないから残る訳ではけっしてない。反対に売れたからいい作品かといえばそうでもない気がする。そこのところはよくわからない。私などの作品は将来価値が出るとか投機の対象として購入する人はいないわけで、好きだから身近に置いておきたいからという理由だけで買ってもらっている。まぁ凄くありがたい話だ。ここらあたりの話題はあまりしない方がいいのかもしれないが。。

 小品はとても難しい。公募展などの大作は人のことなど考えない訳で、とにかく自分にとっていっぱいいっぱいの絵を描くわけで展覧会が終わればもうほとんど世の中には出てこない。ところが小品は相手がいる。自分だけのためには描いていない。もちろん自分のために描いている部分もあるのだけれどね。

 だからテーマを見つけるのに苦労する。何か物を見て写生するのであれば対象があるわけだからある意味悩むこともすくなかろう。自分の中にないものは描けない。だからと言って自分だけの想いいれをかいても一般性はない。普遍的などこにでもある、誰にでもあるという今回のテーマみたいな話になってしまったけれど、自分を掘り下げてそんなところまで見つめて行かねば鉱脈にはぶつからない。

 私の絵を観てうわべのとっつきやすさや優しく見える上っ面に騙されてはいいけないよ。それはそういう風に装っているだけなんだよ。とこれもあまり話題にしてはファンが減ってしまうかもしれんな。

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ポケットの窓から - 2016.09.11(ポケットの窓から)


はる 5622
 今日はちょっと遠出をしました。久しぶりのドライブです。運転はあまり好きではありませんが。。
 

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ポケットの窓から - 2016.09.10(ポケットの窓から)

甲府・イノセント 今尾栄仁個展 9/12まで
はる 5622
 大学の四年間はあっという間に過ぎてしまった。とにかく絵を描く四年間の自由を貰ったみたいなものだ。それが嬉しくてね。当たり前だけど今度はアルバイトもしないで絵ばかり描いていた。アルバイトする時間がもったいなかった。大学の四年間には特記事項はない。

 絵描きになるつもりはなかった。というのか絵描きを生業にするというのはどういうことなのか、そんなことが可能だとも思えなかったな。ただ絵を描くことで考えを深めて行く、描きながら考えて行く、そんな生活をしてゆきたいそう思っていた。
 

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身の程知らず - 2016.09.09(you tube)
はる 5621
 このCMは今の学校教育をよく表現してるな。インパクトあるメッセージだ。

 黎明⑩
 最初は冗談だった。受験勉強もう一回やるって並大抵の事じゃないよな。普通に考えて。記憶力も現役の頃と比べると数段落ちているだろうしな。それに元々勉強は苦手だったし、その手の能力も高くない。はっきりいって偏差値は限りなく0に近い。それに現役の頃と違うのは自活していたこと。勉強だけしていればだれも文句は言われなかった頃とは違い、午前中は八百屋でバイトして午後からデッサンにでかけて、夜受験勉強する。そんなことができるだろうか。でまぁやるだけやってみる価値はあるだろう。ということでだめもとでそろそろと始めた。

 私立は元々無理(経済的に)だろうから国公立ということになると、美大芸大は今からデッサン始めて到底無理だと思った。何浪もして美大にはいっても卒業したら30超える。今からじゃあまり意味ある選択とは思えない。そこで原点に返って、なぜもう一度大学かと考えた。学校で先生にテクニックを教わるということより、学生という身分になってもう一度最初から徹底して絵の勉強をやり直したかった訳だ。時間が欲しかった訳だ。

 そう考えると学校は何処でもいいわけで、全国の都道府県に必ず一校ある教育学部の美術という選択でいいと思った。教育学部の美術であるなら北は北海道から沖縄までより取り見取り。さっそく全国の教育学部美術入試のリサーチをする。第一志望は北海道教育大の旭川分校だった。第二志望は秋田大学の教育学部美術、第三志望が山梨大学教育学部という訳だ。でなぜ山梨の落ち付いたかと言えば、将来発表する場を考えて東京が近いという立地条件に当てはまったからだな。

 受験勉強の方は現役と違うので出来る事だけやろうとおもった。色々はできない。という訳で当時11:30からやっていた旺文社のラジオ講座だけに絞った。これの予習と復習だけを必ず毎日の日課にする。それでだめなら仕方ない諦めるしかない。まぁ幸運なことに一年で受かったので今の自分がいるわけだけれど、今から考えてもあれは大きな分岐点だったな。



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今日のアトリエ - 2016.09.08(ポケットの窓から)


はる 5620
 二十歳前後の浅はかな我が人生を回顧していますが、大阪の学校を卒業の頃を書いた記事を黎明①としてトータル番号を付けました。お時間がありましたら前に戻って読んでみてくださいな。また気が向いたら続きを書いてゆくつもりでいます。これって結構面白いな。

 ちなみに
 黎明① はる5585 8/4
 黎明② はる5586 8/5
 黎明③ はる5587 8/6
 黎明④ はる5608 8/27
 黎明⑤ はる5609 8/28
 黎明⑥ はる5612 8/31
 黎明⑦ はる5614 9/2
 黎明⑧ はる5615 9/3
 黎明⑨ はる5617 9/5

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今日のアトリエ - 2016.09.07(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2016.09.06(ポケットの窓から)


はる 5618
 どうも今日は遅くなって書けません。おやすみなさい。

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今日のアトリエ - 2016.09.05(今日のアトリエ)

黎明⑨
はる 5617
 京焼の絵付けの仕事を成り行きで辞めて、これで晴れて本当に何にも属さない素浪人になってしまった。まぁとりあえず陽のある内はスケッチに出かけたりしてプラプラと適当に暮らしていた。それはいいのだけれど、何か仕事を探さなくては蓄えも徐々に少なくなって行く。

 何を考えていたのかよく覚えてないのだけれど、午前中だけ仕事して午後からは絵を描こうと思っていたように思うな。それで近くのモール街の八百屋さんで午前中だけ働かしてもらうことにする。それでもまだ、絵描きになるなどとは考えていなかった。一生こうやって適当にアルバイトして絵を描いて食ってゆけりゃいい。大それた大志を抱いていた訳じゃない。

 八百屋は結構朝が早い。市場から大量の荷物を買い込んできてそれをまず今日すぐ必要なものと、そうでないものを仕分けする。すぐに必要でないものはちょっと離れた大きな冷蔵庫にしまい込む。それも出来るだけ古いものを前に出して新しいものを後ろにしまい込む。あとはパック詰めやビニールづめをしてコンテナにきれいに並べてお店のオーダーに答える。そんな裏方の仕事を午前中やっていた。近くに大きな団地があったのでお店は小さかったけれど従業員はたくさんいた。アルバイトだけでも多い時は10人ぐらいいた。

 アルバイトは早い人は一日で長い人でも一か月単位で辞めて行く。だからここでも何か月も働いているとバイトの中でも役が付く。少し自給が良くなるんだな。そりゃそうだろう。私が仕切らなければ裏方はてんでバラバラでアルバイトは右往左往するだけになってしまう。いいか悪いかそうやって仕事をも覚えていった。

 午前中仕事を終えるとゆっくり飯食ってそこからは自由だな。何をしたかというと京都の平安神宮の近くの関西美術院でデッサンの勉強をしにゆく。この美術研究所は大変ながい歴史があって、なんせ開学者はあの明治の巨匠浅井忠というのだから驚いてしまう。さすが京都。受験指導の研究所が多い中でそうではなくて、私のような受験とは関係のない大人のために開かれた学校だった。

 まぁそうやって細々と絵描きの下準備の生活もまわり始めていた。そのままどこにも出品せず、細々と絵を描くだけの生活でもよかったんだけれど、段々ともう一度じっくり絵を勉強したいという気がむらむらと起きてきた。

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裸婦クロッキー 2016/09/04 - 2016.09.04(裸婦クロッキー)
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今日のアトリエ - 2016.09.03(ポケットの窓から)


黎明⑧
はる 5615
 そうそれが言いたかった。私のようないい加減な人間でもコースを外れることにけっこうなプレシャーを感じた。なぜなら多くの人はそこまで普通に学生であって普通に階段を上ってきたわけだから、それ以外のコースを示されていなかったからだ。本当は色んなコースがあっていいわけだけれど、日本の場合一律の決まりきったコース以外は一ランク下に見られてしまう。だから何が何でもみんなが同じ、他人と比べるということが普通になってくるわけだな。

 一旦外れたコースに出てみると何で今までそんなことに一喜一憂していたのか馬鹿らしくなる。大学は高校出てからすぐに行かなくてもいいし、仕事は自分に合うやり方でゆっくり探してもいいわけだ。教育というのは本当は個人的なもので、他人と比べて競争するものじゃない。自分が必要に迫られなければいっこうに身につかない。勉強したいという時に学校に戻って、そしてまた社会に戻る、色んな歳の人間が同じ机を並べても全然かまわない訳だ。そんな自由な雰囲気にどうして作れないのだろうかね。

 今みたいに大量生産式に中身のない社会人を作ってもカッコいいとは思わない。というのかどんどん反対の方向に行っている気がするな。これだけ社会が発展しているのに、国のトップの方の意識は未だに愚民政策をやっていて、ほんの一部の人たちだけの利益を優先している。いい加減に目を覚ませと思うな。国が小さくなるのであればそれに適したような小さな優れたさすがと言われるような理想的な国をつくればいい。大国に対抗して軍備を大きくすることじゃないね。戦争になれば新興国の方が数倍強いし、一気に潰されてしまうだろう。そういう方法は賢くないね。何がいいか良くわからんけど。。
 

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今日のアトリエ - 2016.09.02(ポケットの窓から)


黎明⑦
はる 5614
 親父は県の役人だった。ところがあることがきっかけで役人をやめて自分で小さな事業を始めた。何時ごろの事だったろうか、そこら辺りはうろ覚えだ。まぁ所詮武士の商売みたいなもので、長年役人をやっていた人間は小商売には向いていない。尊大で頭を下げることが嫌いな親父には小さな事業ぐらいしかできなかっただろうと今の私は思う。

 それでも自分が起こした事業には愛着があったのだろう。兄弟の誰かに引き継いで欲しかったようなことを聞いた。実家に帰って親父と顔を合わせるとそんなことを匂わせていた。兄弟の中で私が一番出来が悪かったので仕方なしに私にやらせようと考えていたのかもしれないな。私にとっては自分の意思で自分の人生を歩めると思っていたところだったので、とんでもない話だな。

 という訳でデモストレーションを兼ねて焼き物の工房に入ったようなところがある。だから親父が亡くなっていなかったらそのまま焼き物の絵付職人で一生を終えていたかもしれない。まぁ私の事だから途中で嫌になって辞めていたかな。。

 私のようないい加減な人間でも、いったん決められたコースを外れるのには結構勇気がいる。今でこそ何でもなくなったけれど、学生でも勤労者でもない自分が昼間からブラブラしていると何だか心苦しいような奇妙な気持ちになる。学校を卒業して初めてどこにも属さない一人の人間になった時に物凄い解放感を味わった。それと引き換えにとんでもない事になってしまったという深いどん底感も味わうことになる。たぶんそこでインサイダーとアウトサイダーに分けられるのだと思うな。

 私にとっては長い出来上がったレールの上を歩いてきてやっと一人の人間になれたという解放感がはるかに勝っていた。どこかでいつもそこらの原点に戻って行く。私は何処にも属さないことが性に合っているようだ。

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ポケットの窓から - 2016.09.01(ポケットの窓から)


はる 5613
 学校に行く頃から教育という緩やかな洗脳が始まって徐々に決められたレールの上を走らざるを得ないように仕向けられる。確かに一方では社会性という呼ばれ方で出来るだけ従順な素直に言われたことをきっちりするように教育される。まぁそれはこの社会で生きて行くなら最低限必要なルールなのかもしれない。

 一方、どうしてもそういった既成のシステムになじめない人も少数派ではあるけれど出てくる。そういったマイノリティの人たちとどうやって折り合いをつけるかということでその社会の成熟度が図られる。一種のバロメータでもあるだろうな。小奇麗に一般の社会から隔離して見えなくして存在しないように囲ってしまう社会というのは一見整ってまとまって見えるけれど硬質でもろく危ういまだまだ発展途上の社会だ。障害を持ったり、歳をとったり、何か社会と上手くやって行けないような人たちさえも社会を構成する一員として認められるようなコンセサスがあるような社会は融通無碍で安心できる。人はいつ反対の立場になるか分からないのであるからね。

 話が全く違う方向に行ってしまった。今回は敷かれたレールを外れることの見えない抵抗について書くつもりだったが、またにしよう。眠くなった。

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