あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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第26回スクエア展 - 2016.05.31(ポケットの窓から)
はる 5530
 スクエア展ももう26回もやっている。若い人は20代の今回の個展の志村さん。おじさんたちの中にはいいても引けを取らない、モノクロの渋い画面。農業をやりながら絵を描くのだと山梨に戻って張り切っている。晴耕雨描、今時珍しいファイトのある女性です。是非ご覧ください。


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2016年 「ヒマジン」 SM No1848 混成技法 未発表  - 2016.05.30(作品)
2016年 「ヒマジン」 SM No1848 混成技法
はる 5529
 今日は一日リストを作ったり、作品の裏に貼るシールを作ったりのパソコン仕事でした。後ブログの中から適当な文章を選んで短いエッセイを会場に置くつもり。こんな文章も私という作家の一端であるわけで、一つの会場演出だろうな。前回もやったけれど意外に好評だったので、今回もやろうかと思っている。これなんかも絵描きは絵だけ描けばいいという人からは邪道と映るだろうな。


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今日のアトリエ - 2016.05.29(ポケットの窓から)
はる 5528
 ↑は個展の出品リスト。こういうのも事前に作って送らなくてはならない。当たり前の事だけれどその前に何を出品するのかセレクトしなくてはならない。出来だけ同じ感じの絵は避ける。展示した時に映えるように色も考えなくてはならない。

 個展会場は一つの舞台で台本を書いて、出演する役者を選んで演出する総監督は私ということになる。絵描きは絵だけ描いていればいいという人からは邪道だと言われるかもしれませんが、これもまた楽しみの一つという訳です。


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2015年「古い手紙」 F4 No1769 混成技法 - 2016.05.28(作品)

2015年「古い手紙」 F4 No1769 混成技法
はる 5527
 たいしておも白くもないので昨日の続きを書くのは止めた。希望があれば書きますが、たぶんないでしょう。

 また明日。



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今日のアトリエ - 2016.05.27(ポケットの窓から)
はる 5526
 そろそろ個展の準備を始める。あまり早すぎても間延びするし、遅いとあせる。自主企画の個展でも画廊の企画でも大体準備することは同じだ。大御所になって画商さんに絵だけ渡すというのであればこんな苦労はしなくて済むのだろうがね。それで楽しいかといいえばそうでもない気がする。絵を描く職人じゃないのでね。

 私の場合で言うならまずその年のサブテーマを考える。これで一年各地を回るわけだから鑑賞に耐えるようなテーマにしたい。大体その時に考えていることを言葉にすることが多い。テーマなどなくてもいいのだけれど、例えば第三者に取材された時にメッセージとしてあった方が取っ掛かりがいいということさ。足掛かりだな。只絵だけを並べても、取りつくしまもない。

 DMを作る。テーマに合わせることはないのだけれど、その年に作った作品の中でも一番見栄えのいい作品を選ぶ。DMはとても大事な武器だと思う。DMだけで充分独立した作品として成立できるクオリティが欲しい。

 DMが出来てきたら、誰の出すのか顧客の整理をしなくてはならない。やたらすべてに出せばいいという訳ではない。大体400~500人までと決めている。前に来てくれた人でも五年こないとリストから外す。この作業がけっこうしんどいな。パソコンがあるので助かる。

 作品を選ぶ。これもなかなか難しい。最後まで決まらない場合もある。

 続きは眠いのでまた明日。


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2014年「うふふ」F3 No1699 混成技法 個人蔵 76 - 2016.05.26(作品)
2014年「うふふ」F3 No1699 混成技法
はる 5525
 絵の中に自分を探すという発想は何処から出てきたのか?そうそれはまぁ何となくそうではないかということは薄々感じてはいた。けれどはっきりとそれを自覚したのはいつごろなんだろうか。これは自分の絵の描き方とオーバーラップすることなので徐々に段々と確実なものになってきたように思う。

 一つは観る人を音楽や演劇などと同じように臨場感を持って巻き込みたいということがある。一つの絵を観て自分の事のように共感を持って観るなどという事はなかなか難しいんだよな。感動とか共感などというのは映像や漫画みたいなストーリのあるものでは可能だけれど、動かない絵画みたいなものではほとんど無理だ。

 学生の頃、キュピズムに凝っていてセザンヌからピカソに至るキュビズムの理論が手に取るよう分かって絵画史をもう一度自分の中でやり直したような感動があった。その時考えたことは絵を描かない人には分からないだろうな。分からなくていい。分かる人だけに分かってもらえばいいんだという至上主義のような傲慢な考え方だった。

 卒業して分かったことは多くの人は絵画にはほとんど何も期待していないという事だった。悪評ならまだましだ、ほとんど存在しないような扱われ方なんだよな。そりゃそうだ、分かる人だけ分かればいい。世の中にはもっと手っ取り早く面白い楽しいことがいっぱいあるのに、絵画だけ自分たちだけで楽しんでいたんじゃ誰も相手にしてくれなくなるだろう。

 何も知らない子供からそれなりの専門家まで唸らせるにはどうすればいいのか?絵画は専門家だけ楽しめばいいのか?そんな傲慢で不遜で面白くないものならだれも見向きもしなくなるのは当然だわな。

 そこで気が付いたのは、私が観ているものと鑑賞者が観ているものが違ってもいいという事なんだな。同じ感動を強要することが間違いなのではないか、生まれてから今までに観てきたことが違うのに同じわけがない。それでいいのだ。

 「風は姿かたちが見えません。

 梢が揺れる様子やひゅーひゅー鳴る音を聞いて、人はその存在を知ります。

 絵や音楽や言の葉はこの風音に似ています。見えない心のかたちをそのざわめきで見せてくれます。

 絵を描くとはそのための道具だと思います。

 何処まで深く掘ることが出来るか、絵を描く事で探ってみたいと思います」

 今から10年ほど前のテーマ「風のおとづれ」に書いた文章です。この「おとづれる」というのは「訪れ」のではなく「音連れる」であるというのは白川静さんの漢字の話から発想したものだ。

 絵を観ることで、そこに何か心のざわめきを起こす。それは人それぞれでいいのだ。絵を媒介にしてそれぞれの自分を見つけて行く、そのための材料であればいいのではないか。そんなことを思った。

 もう少し書くかな。。



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今日のアトリエ - 2016.05.26(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2016.05.24(ポケットの窓から)
はる 5523
 最近の流行のスタイルは週刊誌の袋とじと間違うようなきれいな姉さまが色っぽいポーズで微笑んでいるようなのが多い。あれはあれで需要があるから供給もされるのだろう。まぁいいだろう。

 例えば百科事典の挿絵みたいなものは見た人に内容が分かるように事細かく説明する必要があるので、出来るだけ分かりやすく、細かく誰が見ても理解できるように描く必要がある。ロバが馬に見えてはいけないのだ。牛がカバに見えては意味をなさない。そこに想像の余地があってはいけないわけで、10人が見ても100人が見ても同じように見えて同じ感想をもたねばならない。それが百科事典の挿絵の役目だろう。

 綺麗な姉さまを綺麗に描いてそりゃきれいだわな。それは美人画だけではない。事細かく描くほど鑑賞者の想像の余地がなくなる。作家の技量を鑑賞するというのならそれも一つの方法だろう。けれど絵を観るのは自分の心の中をみるためのものだ。鑑賞とは作家の力を借りて鑑賞者の心の中をみるというのが本来の姿だろう。そうでなければ鑑賞などしてもありがたく作家の意見を拝聴するだけで終わってしまう。それだけだと自分の心の中は豊かにはならないのだ。

 作家側も傲慢じゃないかな。自分の世界をどれだけ説明しても、どんなに素晴らしい世界であったとしても一方通行で終わってしまってはある意味片手落ちなんじゃないだろうか。まぁ例えばモローやルドンなんか観ているとあぁこの世界はこの人だけの世界だなとは思うのだけれどね。ただ決して彼らの世界も見えた世界を説明しているわけじゃないよな。観た人に想像の余地をちゃんと残しているように思うな。そんなところがはっきり違う。


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今日のアトリエ - 2016.05.23(ポケットの窓から)
はる 5522
 料理は素材で八割が決まるそうだ。後の二割が料理人の腕という事になる。さて絵なんかはどうなんだろう。凄く画材にこだわって本物の素材しか使わない、例えば絵の具にしてもこだわれば切がない、基底材にしてもそうだ。紙ひとつとっても本当にピンからキリまである。筆にしても墨にしてもそれこそ三千年の歴史があるからなぁ。。

 そんな意味では私はほとんどこだわりがない。こだわりがなさすぎるのかもしれん。筆なども生徒に配ったあまりものや、忘れ物で充分に代用している。墨なども自分ですったこともこともない。長い間に変色するのではないか?そうかもしれない。ここだけの話だが、作品などは作られた時が一番で徐々に劣化は始まるのだ。その方が自然ではないかな。作品だけ永遠に残ると思っている方がおかしいのではないか。

 問題は高級な材料を使ったか?ではない。今身近にあって手っ取り早く手に入れることができて、使いまわすことが出来るものをどう使ったか?素材を選ぶところから絵作りが始まっているわけで、画材という固定概念から自由になることが私の方法ということが出来る。

 


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2016/5/22 - 2016.05.22(裸婦クロッキー)


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はる 5521
 今日は一日裸婦クロッキーに出かける。

 たかがクロッキーだけれど、これもなかなか奥が深い。基本的には対象をどう見たか?どう解釈したか?を報告するレポートだとおもうのだが、これがなかなか一朝一夕には行かない。私などは出来るだけ簡単なシンプルな表現に還元するのが絵を描くという行為だと解釈しているので、いきおい大雑把なとらえ方をよしとするところがある。細かい所の描写よりどれだけ大きく物事を捉えることが出来るか?というのがクロッキーの醍醐味だと思っている。だから鉛筆も10Bなどという極端に太く濃い物を使う。これだと細かいところが描けない、不自由だ。

 今回はそれを発展させて木炭を使ってみた。さらに細かいところが描けない。だから面白い。


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2016年「さいわいびと」F3 No1855  - 2016.05.21(作品)
2016年「さいわいびと」F3 No1855 混成技法
はる 5520
 こういうのは正直よくわからない。描いている内に偶然に出来てしまったので、いいか悪いか分からない。言えることは、もうこれ以上描けなくなってしまったということだけ。だから描けなくなった時点で終了とした。普通は塗り残しの多い未完成に見えるだろうな。下地に貼りこんだ布地のプリント模様がそのまままだ残っている。ただこれ以上描くと壊れてしまうだろうなということは分かる。私が描いた部分と、偶然に形や色が残った部分が微妙なバランスで調和している。私はこれで完成だと判断した。



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阪急うめだ 個展フライヤー   - 2016.05.20(作品)
阪急うめだ 個展フライヤー
 A4サイズのフライヤーです。ご希望の方はメッセージにお名前とご住所を書いて送ってください。
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm
・・・・・・・
■2016年 6/15(水)~6/21(火) 
  20,21日以外作家在廊
第80回・榎並和春個展
個展タイトル「どこにでもある3」
大阪・梅田阪急本店F7美術画廊
〒530-8350
大阪市北区角田町8-7
Tel. 06-6361-1381
はる 5519
 阪急は我々関西人にとっては懐かしい響きを持っている。阪急のブランドはあのチョコレート色の電車のイメージと宝塚の「すみれのはなさくころ~」と思わず鼻歌が出てくる。南の心斎橋や阿倍野がどんなに幅を利かせても、私の中では阪急梅田なんだな。庶民派の阪神も魅力的ではあるけれど、デパートといえば阪急百貨店なんだよ。

 というわけで、私なんかがお呼びがかかるのが不思議な阪急デパートでもう六回目の個展になります。毎回これが最後と思いながらやっています。基本的には私の絵はデパートで販売する絵ではないと思っています。間にはいいてくれている画商さんの好意でやらせてもらっている。そもそも彼がいなければデパートで個展を開催することもなかった。まぁきっかけは何であろうと、チャンスをいただいたのはありがたいことだと思っていますね。

 彼との邂逅は何度か書いたので今日は書きません。


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2016年「一人芸」SM No1846 混成技法 未発表 - 2016.05.19(作品)
2016年「一人芸」SM No1846 混成技法
はる 5518
 ひとの家に出かけて、玄関口で靴を脱ごうとしたら上手い具合に脱げなくてそのまま上り框に転んでしまった。昔ならとっさに足が出ただろうに、その一歩が出なかった。こんなところで転んでは恰好が悪いと思う。頭を打たなくてよかったと安堵した。こんなところに年を感じる。

 



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今日のアトリエ - 2016.05.19(ポケットの窓から)



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2014年「永遠(とわ)」F3 No1652 混成技法 個人蔵 73 - 2016.05.18(作品)
2014年「永遠(とわ)」F3 No1652 混成技法
はる 5517
 また明日。



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2016年「こしかた」F8 No1867 混成技法 未発表 - 2016.05.17(作品)


2016年「こしかた」F8 No1867 混成技法
はる 5516
 今日はガッコ。まぁ若い人に法螺話するのは楽しいことではあるけれど、けっこう疲れることでもあるな。彼らはこの世に出てきてまだ15,6年しかたっていない。たったそれだけの時間であんなに馬鹿でかい体になるんだな。うそみたい。体はでかいけど、中身がまだ何にもない。戻りたいなどとは思わないけれど、ちょっとうらやましくもある。



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今日のアトリエ - 2016.05.16(ポケットの窓から)
はる 5515
 オリンピック誘致に関しての賄賂がフランスの検察によってあげられて東京オリンピックが出来ない場合ロンドンが候補地として候補に挙がってきたらしい。元々原発のことで世界に大嘘ついて誘致にこぎつけたといういきさつがあるけれど、この間のメインスタジアムの件やエンブレムの件などなど、大きなお金が動くところに集まる有象無象の輩が今の日本の裏で動いているのが見えるようで嫌になる。

 原発の件でも武器の輸出の件なんかでも、そうやって大企業は自分たちの儲けだけを考えている。またそういった企業が時の権力者と組んで既得権を必死で守ろうとしている。知らん顔して大法螺吹いて、知らない人を騙している。

 当たり前の事がどうして通用しないのだろうな。地震のたびに心配しなくてはならない発電機などいらない。今度同じことが起きれば日本は何処にも住めない。それが分かっているにもかかわらず、止めようとしないのは何故なんだ。


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2016年「予言」F6 No1858 混成技法 未発表 - 2016.05.15(作品)
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2016年「予言」F6 No1858 混成技法
はる 5514
 とりあえず、またあとで。



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今日のアトリエ - 2016.05.14(ポケットの窓から)
はる 5513
 これは絵ではありません。さて何でしょうか?網戸の張り替えなんです。しかし、全面たるまずにはることはことはかなりのテクニックを要するな。手わざにかけては自信のある私でも一か所満足のゆかないモノになってしまった。かなり悔しい。


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ピエタ - 2016.05.13(作品)
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2016「ピエタ」 F8 混成技法

はる 5512
 デッサンは出来た方がいい。出来たら他を圧倒するくらいのデッサン力があれば尚いい。でもしかし、デッサン力というものは先天的な能力というのが大きくものを言う領域だという気がする。後天的に学習する部分は少ないのじゃないかな。上手い奴はほとんど努力しないでも上手い。頭の良し悪しに似ているな。小学校の頃、同じ学年に何人か天才的に頭のいい奴がいた。特に努力しているふうでもなかったな。

 では下手くそはどうすればいいのか?下手くそは徹底して努力して下手くそを覚られないところまで努力するしかない。そうやって初めて形は違うが上手と対峙できるところまでくる。けっして通常のデッサンの勝負ではないよ、間違わないように。デッサンを意識しない無意識の領域までデッサンしなくてはならない。デッサン力のないデフォルメはただのイビツにすぎない。下手はデッサンを忘れるためにデッサンするのだな。


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今日のアトリエ - 2016.05.12(ポケットの窓から)
はる 5511
 よく聞かれるのは絵だけで食べているのですか?ということだ。まぁ純粋に毎日アトリエにこもって絵だけを描いてそれで食べている人はどのくらいいるのだろうか。問題はそれではたしてその人は幸せか?ということだな。絵を描くのはけっして目的ではない。絵を描くために私はこの人生を生きているとは思っていない。そんな人生はつまらない。あくまでも絵を描くのは手段だろうな。他にやることもないし、得意にしていることもない、私に人生の中では比較的に好評なのが絵を描くことだったので、たまたま生業の主力を絵描きにしているだけだ。他にもっといい仕事が有ったらそれをしただろう。

 収入のあり方はなんだってかまわないと思っているんだ。どうやったってかまやしない。自分の人生だからオリジナルな生き方をすればいいと思っている。たぶんどうやっても生きて行けるのじゃないかと思っている。おせっかいなことにそうやって自分のやりたいこと、楽しい事だけをやって生きようとすると、そんなに人生甘くないだとか、みんなはこうしているとか、人生棒に振るだとか言って脅しをかけてくる。若いうちは何にも知らないもんだから、そうかそんなものかと思ってやりたくもない仕事に目をつぶって参加する。死ぬほどのローンを組んで自宅を購入する。それが普通だから。

 一歩踏み出せば何も怖くない。どうせ一度は死ぬんだし。どう生きたってたかが知れている。やりたいことをやり通せばそれなりにカッコが着くのじゃないかと思っている。


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ポケットの窓から - 2016.05.11(ポケットの窓から)
はる 5510
 家の片づけをしていて考えたことは、人はゴミの上で生活しているんだなということだ。これといってモノをため込んでいるという意識はないのだが、次第に不要なものが溜まっている。それでそういったモノが段々に生活を圧迫してきてにっちもさっちも行かなくなってドカンと断捨離しなければならないはめに陥る。普段から余計なものを持ち込まない生活を心がけていればそんなことはないのだろうけれどね。

 それはそうなんだけれど、修行者のように何も持たない、何にも依存しないといった生き方に憧れはするけれど、どうなんだろう。例えば私は絵描きだ、いいなと思った絵を身近に持っていたい飾りたい、そんな環境の中で生きていたい。何もいらないという理想はあるけれど、そうは生きられないなと思うのだ。極端に考えれば、それを否定してしまうことは自分自身を否定することになってしまう気がするな。

 まぁ片づけられないことの言い訳じみているけれどね。


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今日のアトリエ - 2016.05.10(ポケットの窓から)
はる 5509
 今日は久しぶりに授業でした。ゴールデンウィークがあったために今頃初めての授業。こんなことは初めてかな。もう五月の半ば、そろそろ一学期も前半が終わってしまう。新入生も新鮮味がなくてかわいげがない。


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ポケットの窓から - 2016.05.09(ポケットの窓から)
はる 5508
 国展の彫刻。作家名は知りませんが、いいなぁと思いました。私が子供の頃はこんな感じでしたね。最近の子供はもっとあか抜けしてオシャレですが、私なんかの頃はまぁもっとクソガキでしたね。ライティングもよかった。夏の日差しを感じさせて。今日で東京の展示が終了して、地方に巡回して行きます。地方展がどんな展示になるのか今まで一度も見たことがないので分かりませんが、終了して返ってくるのは夏ごろになります。まぁ長いドサマワリということでしょう。しかし、絵も作品が溜まって大変ですが、こういった彫刻も大変でしょうね。

 今年審査に参加してちょっといつもと違う感慨を持った。公募団体に属している作家は大なり小なり自分の作家活動と団体展作家としてのありようみたいなものに違和感を持つ時が必ず出てくる。その時に団体を離れるか、そのまま団体に居座るかの選択を迫られるように思う。

 私に限って言えば、そろそろ卒業かなという気もちらほらあった。若い時はそれなりに仲間を作ってワイワイやることが楽しい時もあったのだけれど、これから残された時間を考えるとそうやって遊んでいる時か?というところも無きにしも非ず。ずるずるこのまま付き合って意味あるのかなぁという気分もでてくるわな。

 審査に出た時に他の団体展も見る機会があって今回じっくりと観た。そうやってあらためて自分たちの公募された作品たちを眺めてこの会の真髄みたいなものを観た気がしたんだな。ある種の自由、何でもアリ、許容量の大きさみたいなもの、だからといって素人集団ではない訳で、真剣になって遊んでいる、忘我、混沌、を目指しているように思ったんだな。

 と気付いて、手前味噌だけれど、なかなかいいじゃないかと思ったんだな。時代の風潮ではないんだな。今は綺麗な写真のような絵がもてはやされているでしょう。ところが我々は全く反対の事をやっている。造形遊び的なごてごてだ。

 というわけでここはもう少し付き合ってみようと思ったしだい。

 さて、ちょっと落ち着いて次の準備にかからねばなりませんね。

 


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今日のアトリエ - 2016.05.08(ポケットの窓から)
はる 5507
 やっと私の分担が終了した。丸一週間かかった。最後にちょっとしたアクシデント(梅酒がまるまる入っているビンが親指を直撃)で足の親指を負傷。明日は東京で展覧会の撤去作業があるのだが、ちょっと心配だな。まぁどんなところにも悪魔が潜んでいて、油断すると怪我や自己を引き起こそうと待ち構えているようだ。骨が折れていないようなので、まだ不幸中の幸いかな。

 しかし、こういうことをやり始めるとまるっきり他の事が出来なくなってしまうのが私の性分のようだ。はっきり言って飯を食うのも面倒になるくらい没頭する。そういえば子供の頃からそんな傾向があった。好きではあるが上手ではないところが悲しい。パソコンも似たようなところがあるね。どこか切のつくところまでやりきらないと終われない。

 さて明日は東京。夜には帰って来ます。更新は写メだけかもしれません。あしからず。

 


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- 2016.05.07(未分類)


はる 5506
 やっぱり年取ったのかな、もう一週間片づけに費やしているが、まだ済まない。月曜日はまた東京に出かけるので、明日で一応切にしたい。ここに引っ越して来てから、ほとんど手を付けていなかったからいらない物が次第に溜まって、動脈硬化を起こしていた。それを何とか処分するのにこんだけ手間と暇がかかる。もっと前から処分しておけばよかったのだが、根っからの無精者いだからついつい後回しにしていたということだろう。納戸など、ほとんどいらない物ばかりで、使っていたスペースはごく一部という状態だった。あぁもうみんな捨ててしまいたい。


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今日のアトリエ - 2016.05.06(ポケットの窓から)
はる 5505
 久しぶりの真面目な更新になるかな。やっとアトリエの床が見えるようになった。といってもまだこれからどうなるか分からない。一旦片づけたと言った方がいいかもね。こういったものもやりながら考えるので、最初からプランがあるわけではない。かなりアバウトで目に着いたところから始める。棚を作ったり壊したりそんなことも同時進行でやるので、簡単な掃除というわけではない。やり始めると夢中になってやるので、他の事が全くできなくなってしまう。だからあまりやりたくない。あと二日ほどかかるだろう。個展の準備もしなければならない。試験の前に本を読みだした気分ににている。


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今日のアトリエ - 2016.05.05(ポケットの窓から)







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今日のアトリエ - 2016.05.04(ポケットの窓から)



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ポケットの窓から - 2016.05.03(ポケットの窓から)



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