あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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- 2016.02.29(作品)


珈琲サイホンのある窓辺 F100 1980年 油彩 No1

はる 5448
 何度もアップした。私が初めて100号の作品を描いて、公募展に応募して受賞した記念すべき第一号。私の画家として世の中に初めて残した足跡という意味で、トータルNoをこれからつけ始めました。今は1800番台です。

 なぜこんな作品を持ち出したかというと。今フェイスブックの方で昔の作品を小品も含めて整理してアップしています。ここにも連動してアップできるといいのですが、ブログは今一つ画像をアップするのが面倒です。ブログはゆっくり文章を考えるには便利なツールですが、どことなく時代遅れになってきましたね。無くなることはないと思いますが、次第に淘汰されてゆくことは確かでしょう。

 フェイスブックの閲覧の仕方。普通は登録しないとみることが出来ないようですが、今登録しないで個人のページを見る方法が載っていました。お試しください。

 グーグルなどで検索する方法。
 (榎並和春 facebook) でいいそうです。やってみてください。



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今日のアトリエ - 2016.02.28(ポケットの窓から)
はる 5447
 何かと問題発言の百田さんの「永遠の0」を読んだ。これに関して色々な話が聞こえてくるけれど、まぁ私はある意味反戦小説のように思った。一見カッコいい神風アタックがいかに馬鹿げた軍のエリートたちの作戦によって遂行さたのか、戦争というのは一度始まってしまうと、個人的な正義とか良し悪しなど全く関係なく津波のように押し寄せて止めることなどできないということ。そんなことが淡々と時間を追って描かれているように思った。反対に何故これだけ反戦的な思想を持った作者が、例の発言をするのかよく理解できないな。ひょっとするこれはゴーストなのかな。

 この軍のエリート将校というものを今の官僚とか大企業の管理職あたりに当てはめると全くいまの日本の状態とすごくかぶるな。彼らは今の官僚たちと同じように凄い倍率の競争を勝ち取ってその地位を得た。現場をよく知ってたたき上げで這い上がってきた訳ではない。彼らの競争相手は同じ選ばれたエリートの中だけなんだな。他は関係がない。見ているのは同僚か自分より上の人間しかみていない。自分より下の人間は歯牙にもかけない。考慮する必要のない人間なんだな。

 こういうエリートたちが一番気にしていることはミスを犯すこと。何事も起きないこと、自己保身それが全てに優先する。それが取りも直さず出世にかかわる一番の関心事なんだな。それと彼らは絶対に責任を取らない。一見矛盾してみえるけれど、彼の集団は始末が悪い。ミスを犯した人間を今度は集団でかばうのだ。そうやって日本は戦争責任を深く追求してこなかった。そのつけが今また出てきたのだと思う。

 日本は今大きく傾き始めている。絶対に安全であるわけない原発が何の反省もなく、誰も責任をとることなく次々と稼働始めている。世界最高水準の安全基準だなどとほざいている。それって昔も言ってなかった。安全なんて誰も言えない。

 ソニーや東芝、シャープ日本の代表する企業が傾き始めている。管理職が従業員の職を保障するというのじゃ分かるけれど、結局自分たちの保身のために外国に売ってしまった。そうやって自分たちの一時しのぎの保身のために会社の創業者たちが血のにじむような思いをして得てきた宝物を手渡してしまった。この人たちには誇りという物がないのだろうか。経済のことはよくわからないのだけれど、人の生き方としてプライドを捨ててただお金を貰う、会社を存続するという方法は最低だと思う。少なくとも責任とって管理職を辞任するくらいの気概をもて。





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今日のアトリエ - 2016.02.27(ポケットの窓から)
はる 5446
 画家を目指しているIくんから質問がありました。どうやって食って行くのかというダイレクトな質問だったので、私もダイレクトにお答えしました。当然固有名詞は省きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「さて、絵を売って生活するのは言うほど簡単ではありませんね。私もけっして余裕があるわけではありません。年収××万ぐらいですから普通のサラリーマンの年収の三分の一ぐらいでしょうか。
 名がある作家ならば一か所で××万ぐらい稼いでしまうのでしょうが、私などは数でこなすしかありません。昨年は5か所で個展をやりました。よくやれますねと言われるけれど、作品を上手く巡廻すれば売れない演歌歌手のように地方のドサマワリを覚悟すればやれないことはありませんね。

 特に地元は貸画廊でやります。これはマージンが有りませんので、効率がいいですね。まず地元のファンをしっかり増やすことです。地元で毎年個展やってファンを増やすことが第一でしょう。それから、同じ地域で重なるのは画廊さんも嫌がりますね。

 次にデパートですが、直接行って受け付けてくれるかどうかわかりません。そういう人も工芸などの場合あるようですが。デパートと取引のある画商さんにコンタクト取るのがいいとおもいます。春にグループ展をやる美岳画廊もそんな画廊の一つです。××にもそういった画商さんがいると思います。ただしデパートは利率が低ですよ。二割とか三割とか言われます。
 美岳画廊HP
http://www.g-mitake.com/category/1437750.html

 いずれにしても画廊さんも商売ですから、赤字になる作家と長く続けてやれません。これはやっぱりシビアだと思います。もちろん「いい絵」であることが第一ですが、「いい絵」=「売れる」とはかぎりませんからね。また「売る」ことを意識すると下品になります。いまさらですが。。画廊にとっては××の会員であろうが無名であろうが関係ありません。

 絵描きとしてやって行けるかどうかは、自分と二人三脚で一緒にやって行ける画商さん(何人か)を見つけられるかどうかにかかっています。これは自分で探す、見つける、邂逅を待つしかないんです。

  色々かきましたが、近道はありません。絵描きは夢を売る仕事です。王道をたゆまなく進むだけです。頑張ってください。」




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ポケットの窓から - 2016.02.26(ポケットの窓から)
はる 5445
 わが母校の卒業制作展を見てきた。まぁ卒業してもう35年も経っているので、我々の頃と違うのは仕方がないことなんだろうけれど、あまりにも気持ちが萎えてしまった。↑は同時に開催されていた障害者の作品。比べるのは間違いかもしれませんが、発見するところが多々あると思いますよ。後輩諸君がんばってください。


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今日のアトリエ - 2016.02.25(ポケットの窓から)
はる 5444
 昨日の続き。
 一つ一つの絵もそうやって探り出しながら作って行くのだけれど、もっと全体的なこの絵の描き方そのものも段々に作ってきたものだ。

 前にも少し書いたけれど、私の今の描き方というものは何処かにあるわけではない。確かにミクストメディアという色んな素材を利用した作品の作り方というのはあるのだけれど、これがミクストメディアだという決まったものがあるわけではない。

 キュビズムのピカソとかブラックが初めたコラージュの手法やパピエコレなどもキャンバスに新聞紙の切り抜きを貼り付けてその上に全く違う絵を描いたりしていた。これも今でいうミクストメディアの走りだと思う。

 ピカソはもっと進んで今でいうガラクタアートみたいなこともやっている。自転車のサドルを動物の顔に見立てたりしている。そんなことを考えると「見立てる」という行為そのものが新しい価値を生んで、重要な位置を占めるようになってきた。デシャンの小便器をひっくり返した「泉」も極端だけれどその一環と言える。今まであった物を違った角度から観ると新しい価値が生まれるという訳だな。価値の変換がキーワードだな。

 この「見立てる」という行為は日本人は昔からやっていて、お茶の世界ではほとんどそれが常識となっている。朝鮮の日常雑器である茶碗を作為のない形で美しいとした話はそんなことをよく表している。

 最近で言えば赤瀬川のトマソンもそうだ。無用の階段とか、扉だとか窓とか影とかシミを名づけたものだが、庭の借景だとか坪庭だとか盆栽なんかも「見立てる」という行為ともいえなくない。

 話が少しずれてしまった。元に戻して、私はミクストメディアをやりたいと思って始めたわけではない。自分が作りたい物をつくったらそれが今でいうミクストメディアというものだったというのが正確な言い方のように思う。

 まず、素材なんだな。絵は支持体と描画材に分けられる。で支持体は紙でも布でも木でもいいわけだ。描画材としてはありとあらゆるものが利用できる。糊さえ変えればなんだって絵の具になる。絵でなくていいという事になると、これは作られた物だな。造形物を作ると考えると素材は何でも自由になる。

 そうやって絵というのか、私なりの造形物(小さくて堅牢でゴテゴテしたもの)を手探りで創っていったら、何となく今の形にだんだんとなってきたという事だ。だからこれはグチャグチャ画であって、断じてミクストメディアなどという高級な絵ではない。


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今日のアトリエ - 2016.02.24(ポケットの窓から)
はる 5443
  何処かで見つけた文章。
「文章は、書いていくうちに見えてくるものがあるから書くのだ。書きたいことがあって書くのではない。「書きたい」という欲望で書くうちに、その完成が見えてくる」

 誰もが不思議に思うことだけれど、書きたいことがあるから書くのでしょう?と。しかし、そうではないことの方が多いのだな。たぶん毎日日記などを書いている人には分かると思う。書くことなど毎日ないのだな。そりゃ、誰に会って、何を食ったかなどということは誰にでも書けるけれど、内容のあるようなことなど毎日書くことなど出来ない。一か月の書きつづければ、もう心の中は真っ白だ。

 それでも何かを書きつづけることで、今度は自分の中から何かをしぼりだすことになる。何か書いているうちに自分は何を探していたのか、段々にはっきりしてくることが多い。いやほとんどがそうやって、自分の中を覗き込んで何か適当なネタを探し出してくるのだな。これって私の絵の描き方とそっくりなんだ。

 何々を描きたいなどと思って取材することなどない。スケッチすることなどない。だから絵ではないのかもしれん。↑の写真のように色々な布を貼ったりコラージュしたり、絵の具を垂らしたりしながら何か物を作っているわけだ。この小さくて堅牢でゴテゴテした物というのが好きなのだと思う。これは何処から来ているのかなぁ、こう例えば子供の頃のお守りとか、御神体とか護符とか、とにかく身近にあって手に持つことで安心するようなもの。

 あぁこうやって書いていて思い出したことがある。子供の頃そうだな小学校に上がるか上がらない頃の話。何か心に決めたことがあってそれを誓う意味で小さな木彫りの人形を作って持っていたことがある。だれでもそんなことない?そうやって自分の心の拠り所としていたんだろうな。

 それから今日はもう一つ書きたいことがあったんだけど明日にしよう。

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ポケットの窓から - 2016.02.23(ポケットの窓から)
はる 5442
 はたして私の作っている物が絵なのかどうか、本当のところわからないな。本当に描くことが好きで好きでたまらなく、一日中でも描いていられるような人をたぶん絵描きというのだろう。ブログなどをみていても本当に描くことが好きな人は年がら年中描いている。

 学校の先生をやりながらでも、ちょっとの時間があれば筆を握っている。忙しいからとか暇がないとか言い訳しない。とにかく好きだから描いているんだ。言い訳して絵を描かないのなら描かなくていいわけで、だれも描いてくれと頼んでいるわけじゃないからね。

 そういう人たちからみれば、私のやっていることは嘘くさいまやかしだな。絵を描くことが好きなわけじゃない。暇があれば絵を描いているようなオタクでもないね。なんだろうね、好きと言えばこうやって何かしら文章を書いている方が好きだね。何かしら思索している方が好きだね。絵を描くのはそういったことの延長上にある気がしている。だからたぶん個展がなきゃ絵など描かないだろう。

 すごく勝手な言いぐさなんだけれど、私は絵を描いているという意識はあまりないな。どちらかといえばオブジェに近い感覚じゃないだろうかね。作り物なんだよ。絵でなきゃという気はさらさらない。だからよく言われるのが、こんなに色々貼り付けちゃだめだよ。もっと絵を描かなきゃと言われるのだけれど、もともと絵を描いているつもりはないからな。たまたま作りたいものをつくったら絵画の範疇に入ったということじゃないか。


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- 2016.02.22(未分類)


はる 5441
 絵を描き始めたのは随分と遅い。まさか自分が絵描きになろうとは考えてもいなかった。

 今日町中を車で走っていて、下校時間の子供たちとすれ違った。今の私から見ると、未来は彼らのものだ。どう生きてもいいんだよと声をかけたくなる。しかし、どの時代もはたから見るほどそんなにノー天気に幸せではなかったと思い出した。

 今の知識と経験を持ってもう一度中学生からやれるとすれば何をどうするかな。そんなことを夢想した。果たして絵描きなどという生き方をえらぶだろうか?サラリーマンや公務員になりたいとは思わないな。少なくとも自分の才覚て何とかなる仕事を選ぶだろうな。起業家になって新しい商売を起こすのも面白いかもしれない。失敗するリスクは高いけれど、安穏と暮すよりは面白そうだ。

 どこかのブログで読んだけれど、起業して成功する人はそれまでに最低二三度会社をつぶしているらしい。それくらいのリスクを背負わないとなかなか成功はしないらしい。何事も背水の陣、身を捨てて立ち向かわないと上手くは行かないということだ。それは芸事も全く同じだな。プロとアマチュアの違いみたいなものだろうか。

 研究者というほど真面目なタイプでもないので、やっぱり芸事、表現者として身を立てる今の生き方と同じようなことをやる可能性が高いな。才能があれば音楽家もいいな。声が良ければ唄って人を感動させてみたい。役者もいいね。死ぬまで出来る名わき役者がいいな。文筆かもいいな。映画監督もいいな、小津安二郎のような映画も撮ってみたい。

 まぁそんなことを考えた幸せな午後でした。


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- 2016.02.21(未分類)


はる 5440
 今日は二か月ぶりのクロッキーだった。先月は個展のため参加できなかった。長年やっているけれど、少しインターバルをおくと腕がついてゆかない。たったこれだけのことなんだけれど、されどものを観て描くエッセンスがすべて詰まっている。

 一本の線が引かれることで、そこに後ろの空間とぎっしり身の入ったものとの境界ができる。それもただの棒ではない、柔らかさを備えた限りなく優しい肉体なのだ。どこかが緊張してどこかが緩んでいるわけだ。それを瞬時に判断しなきゃならない。

 そこが面白いところかな。


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- 2016.02.20(日記)
はる 5439
 今日は写真なし。雨が降っています。

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今日のアトリエ - 2016.02.19(ポケットの窓から)
はる 5438
 人をけなすは簡単だけれど、褒めることは何倍も難しい。芸事は十人いれば十通りの正解があるので、尚難しい。どれも正しくて、どれも間違っている。ということは正解などないということだ。

 しかし、なんだろう。いいか悪いか感覚で分かるんだな。具象、抽象、プロアマ問わず、これは言葉ではなかなか説明しがたいことなんだけれど、やってみるか。

 観た時に宇宙を感じるもの。大いなるものの意思によって導かれたもの。個人の好みを超えた普遍的なもの。人が作った物にかかわらず、人智を超えたもの。

 色々ないいがあってもちろんいいわけだけれど、たぶん↑の定義が全てを含んでいるのじゃないだろうか。まぁ私なりの定義だけれどね。それを物差しに色々アドバイスしたり意見を言ったりするのだけれど、自分の作品についてはよくわからないところがあるな。

 小者ほど自分の価値観を押し付けるようだな。それを絶対と信じて疑わない。最も悪いパターンは相手を傷つけたりおとしめることで、相対的に自分が有利に立とうとする輩だ。

 世に先生と言われる輩は多いけれど、往々にしてエリートは指導者には向かない。やめておいた方がいい。


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ポケットの窓から - 2016.02.18(ポケットの窓から)
はる 5437
 TAO展がオープンしました。私の指導する生徒たちの展覧会です。毎回本当にたくさんの人が来てくれます。待っている人もいます。ありがたいことです。小さなグループですが、質はかなり高いと思います。我田引水ですが、是非観てやってくださいな。

 こういった絵の指導というのは凄く難しい。下手するとすべて自分の感覚の押し付けになってしまうわけで、何処まで助言すればいいのか、何がその本人のためになるのか、すごく悩むところだ。物を見て写生する、スケッチする、描写するというのであれば、それなりのメソッドがあるのだが、そこから離れて自分の絵を見つけるというのは至難の業だ。どんな方法があるのか、王道があるなら私も知りたい。

 大事なことは岡目八目というのかな、いつも一歩下がって大局的な立ち位置から助言することだろう。反対に木を見て森を見ず的な助言をする人が多いのでそうならないように心掛ける必要がある。難しいけどね。


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ポケットの窓から - 2016.02.17(ポケットの窓から)
はる 5436
 神戸市と東京都だけ小学校で図画の専任教師が採用されたらしい。今はどうなのか知らない。確かに私が小学生だった頃は図画の専門の先生がいた。同じ教師でありながら、図画の先生は特別な雰囲気があった。そうだな、私にとっては一種の憧れの対象でもあったな。他の先生の名前など忘れてしまったけれど、図画の先生だけ未だに覚えている、それだけ特別な存在だったのだろう。

 担任の先生が分からなくても図画の先生が分かってくれたというだけで天にも昇る気がした。他のクラスが何をしたか、その情報が入ってくるともう居ても立っても居られない状態で、自分ならこうする、ああするとプランを立てて図画の時間が待ち遠しく手仕方がなかった。あんなにたのしみにした授業は他にはない。それ故に専科の先生が転校して不在になると一気にやる気をなくしたのを覚えている。

 ただし、絵がそんなに得意だったわけじゃない。だから今の仕事と直接関係があるとはあまり思えないな。


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ポケットの窓から - 2016.02.16(ポケットの窓から)
はる 5435
 この幼稚園の想いではけっこうある。それまで我が家では子供向けの物、例えば絵本とか、積木とか、まぁオモチャと言われるようなものは一切なかった。遊園地に家族で出かけたという記憶もないし、旅行に行ったという記憶もない。これは家が貧しかったということもあるけれど、そういった情緒的なものは一切排除して質素倹約、質実剛健というある種の教育方針から来ているのかもしれんな。

 不思議に今の私がこうやってイメージの世界で遊ぶことが仕事になったのは、子供の頃にそうやって何もなかったから空想で遊ぶことに憧れがあったのかもしれないな。存分にオモチャが与えられていたら、自分の想像力で遊ぶことはなかったかもしれない。ただそういうものだと思っていたから、不満があったわけではない。

 幼稚園で観た映画や紙芝居や幻灯機の物語、クリスマス会や学芸会や運動会の催しは初めての事だったのでよく覚えている。

 

 


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- 2016.02.15(作品)


2008年「こえをきく」M100 墨その他

はる 5434
 絵の事でよく覚えていることがある。随分昔の話だけれど、幼稚園の学芸会の時だった。小学校の頃の事はあまり覚えていないのだけれど、何故か幼稚園の事はよく覚えている。器楽演奏の発表会があってその後ろに子供たちの絵を展示するという企画だった。模造紙3枚くらいの大きさの紙に園児がてんでに好きな絵を描くという、まぁよくある企画だな。

 何を描いたのか自分の事はまるっきり覚えていないのだが、一応自分の中では絵は得意だという意識があったのだろうな。みんなが一斉に描きだしても私には余裕があった、自分より上手い奴はいないとね。でいつも活発に発言したり、ピアノを弾いたり、ちょっと体の大きいおませな女の子が隣にいた。絵は私の方がたぶん上手だろうと思っていたんだろうな。

 ちらりと隣を見て驚いた。模造紙いっぱいぐらいのデカい緑色のカマキリを何のためらいもなく一気に描いた。小さな小さなアリンコみたいなものを描いていた、我々男児組は完全にその場を飲まれてしまった。完全に負けたと思った。凄い奴がこの世の中にはいるもんだと、一気に世界が広がったのを覚えている。

 あれから幾星霜、彼女は今頃どうしているだろうか。



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- 2016.02.15(未分類)


はる 5433
 絵のスタイルなどもそうだけれど、最初は誰かの真似をするわけだ。それはまぁ古今東西の名画だったり、まぁ近場の先生だったりする。そうやって真似してどんどん消化して行くわけだ。自分に合ったものは残るし、合わないものはいつの間にか捨てられる。結局決めるのは自分自身で、強制されたものではない。それが徒弟制度などの職人とは大きく違うところだろう。

 勉強して真似して自分の物にしてゆく、そうやって積み上げて行く、学習して行くというスタイルはとても真面目で堅実で分かりやすい。けれどその形を続けていてもどうなんだろう、その延長上に本質があるのだろうか、スタイルの洗練はあるかもしれないが、より大きなものには近づけないような気がする。どこかで飛躍する必要があるな。一旦そういった真面目なこつこつを捨てて、安全な立場を捨てて飛びこまなきゃ分からない境地というのがあるのじゃなかろうか。

 そこに芸術の醍醐味がある。地獄もある。



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今日のアトリエ - 2016.02.13(ポケットの窓から)
ss.jpg 

TAO展のDM
よろしくお願いいたします。

はる 5432
 来週の木曜日から絵画グループTAOの展覧会が始まります。初心者からベテランまで私を含めて9名のグループです。隔年で大作と小品を交互に美術館と街中のギャラリーとで開催します。今年は小品展になります。色んな絵画グループが有りますが、ちょっと他とは違う絵を見ることが出来ると思います。お楽しみに。



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今日のアトリエ - 2016.02.12(ポケットの窓から)
はる 5431
 ロベルト・クートラスという作家のリーフレット。その作家も一目ぼれした。新聞か雑誌で見かけてどうしても本物が見たくて東京の小さなギャラリーに出かけた。もうずいぶん前の話だ。もうその時には作家は存命していませんでしたが、けっこう人気が出てきた頃だったな。

 トランプほどの小さな作品が私にも買えるくらいの値段だったので購入した。今でも自宅の壁に掛けてある。もちろん余裕はないのだけれど、いいと思ったものは値段と相談して買う事もある。いいと思ったものを買わないのであれば反対に自分の作品も誰も買わないのじゃないかと思うからだ。


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今日のアトリエ - 2016.02.11(ポケットの窓から)

はる 5430
 つれづれに

 今から40年ほど前の大学の授業料は年間4万足らず。入学金は5万だったのだ。それが今じゃ15倍の54万だからな、入学金は調べていないけど合わせると百万近くにはなるだろう。そうなると、私のように寄り道をして一度社会に出てからもう一度学びたいと大学に戻ることはなかなか難しくなるのじゃないかな。

 食うや食わずのハングリーな時代では職業の選択権など無きに等しい。考える前に飢えないためには働かなくてはならなかった。社会が豊かになって食べるためだけに働かなくてよくなって、反対に不自由になったのではあまりにも悲しいね。せめてゆっくり考える時間だけでも与えてやりたいとおもうな。それがまぁ先進国というものじゃないのか。

 どう生きたらいいのか?などということは簡単に答えの出ることではないし、そのことは人一生のテーマでもあるわけだ。十代や二十代の若者が考えて間違えていたらやり直せるだけの懐の深さを多くの人の共通の認識にしなきゃね。あまりにも窮屈だ。簡単に言っちまえば、どう生きたっていいんだ。たとえ野垂れ死にしたっていいんだよ。

 哲学、思想、考え方だと思うんだな。それがまぁすべての考え方の根源にあるべきだ。


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今日のアトリエ - 2016.02.10(ポケットの窓から)
はる 5429
 新しい仕事を始めた。


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ポケットの窓から - 2016.02.09(ポケットの窓から)
はる 5428
 例えば大学ならば建学の精神などというものがあって、まぁ理想を高く掲げているものだ。どんな三,四流の大学であっても、ここは学問よりお金を稼ぐことを最大限の目標にしますなどとは言わないだろう、たぶん。商学部だといっても大学は学問の府であるわけだから、商売を教えるところではないはずだ。しかし、このところの大学への締め付けは産学協同などと言いながら明らかに儲ける学問を奨励しているように思えてしかたない。

 大学などというところは、例え私学であったとしても利益の出るものではなく、反対に如何に社会に無益なものでも、正々堂々と命を懸けて守るべき処であると思う。時の権力に反するものであったとしても、それを命がけで守るのが大学の学問の府としての矜持ではないか。そういうことがなし崩し的にどうでもいいようになってしまっているのが残念でならない。

 国というのも哲人政治みたいなものが理想じゃないかな、調べたことはないのだけれど、最近の政治状況を眺めているとどう考えても世界にこれが我々の国を代表する人たちですと恥ずかしくて言えないのだな。嘘つきだし。政治家などというのは有象無象の化け者がやるもんだと言われれば、そうですかと降りるんですが、情けなくて放っておけない状態になってきた。


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ポケットの窓から - 2016.02.08(ポケットの窓から)
はる 5427
 何処かで見つけた文章。
「文章は、書いていくうちに見えてくるものがあるから書くのだ。書きたいことがあって書くのではない。「書きたい」という欲望で書くうちに、その完成が見えてくる」

 書きたいことがあって書きだすこともあるけれど、書きたいことが溜まるまで待っていると書けない。これは文章でも絵のアイデアでも同じだな。特にこうやって毎日何事か書いていると、ネタなど探して書いているとすぐに煮詰まってしまう。書いているうちに何かが見えてくることが多い。たぶんアイデアもそうだと思う。


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ポケットの窓から - 2016.02.07(ポケットの窓から)
はる 5426
 今日は美術協会の搬出。中央の大きな団体と地方の小さな団体に参加している。昔から絵を描いている人は大体この二つに参加していた。最初は地方の団体で認められることに一生懸命になる。そこで受賞して弾みをつけて中央の団体へと進んでゆく。私などはその最後の方の世代かも知れない。今はもうそのどちらにも参加しない人が増えている。いや絵を描いているオジサマやおば様は増えているかもしれませんが。。

 さてそんなことで疲れました。


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ポケットの窓から - 2016.02.06(ポケットの窓から)
はる 5425
 美術館の当番で午後から出かける。隣の文学館で新収蔵展をやっていて、この間の新聞小説の挿絵展示をしていた。もちろん個人が楽しみのためにコレクションしてくれるのは嬉しい事だが、こうやって公の場所に収蔵してもらえるのは管理が行き届くという点ではありがたい、私がいなくなったとしてもここにあるものだけは残るというわけだ。。。

 ところで、本来コレクションというものは個人的に楽しむためのもので、公のものではないような気がする。美術館とか博物館にあるコレクションは本来あるべきところから切り離してそこに展示しているわけで、そうなると公の物にはなるけれど本来の意味を失う。美術館や博物館は死臭がするというのはそういうことを言った言葉だろう。

 綺麗に並べられてケースに入った展示を見て、あぁもうこれは役目を終えたものだという感想を持った。悪く言えば、ただの屍と言っていいかもしれんな。

 デパートの個展の展示で一ついいなと思ったことは、これは今現実に必要とされている生きている作品だということだ。私の作品など投機の対象で購入する人などいない訳で、そうなるとそこに出かけてたまたま偶然に出会って「欲しい」と思ったわけだ。そこのところがとても新鮮で嬉しい事だ。


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今日のアトリエ - 2016.02.05(ポケットの窓から)
はる 5424
 次の個展は半年先の阪急梅田のデパートです。デパートの個展といっても私にとっては通常の個展と変わらず、多少会場が大きいか小さいかの違いがあるくらいで基本的には変わりません。

 と偉そうに書きましたが、毎回次はないつもりでやっています。特にノルマがあるわけではありませんが、デパート側は良い展覧会など望んではいません。結果が全てでしょう。まぁ私のような無名の作家に場を提供しているというだけの器量はあるということでしょうな。でもまぁいつまでそんな甘いことが通用するか分かりません。

 次の個展の準備はもうほとんど終わっているのですが、次の次を準備するつもりで始めました。


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今日のアトリエ - 2016.02.04(ポケットの窓から)
はる 5423
 アートコレクターという雑誌がある。美術の窓の姉妹雑誌だが、どちらかと言えばタイトル通りコレクターのための雑誌と言っていいかな。これと似たものに「××××」というもっと露骨にコレクターをターゲットにしている雑誌がある。値段が堂々と明示してあるのでそれはそれで親切なのかもしれないな。銀座に専門のギャラリーを持っているので、そこから出発作家も多い。企業戦略として自分たちが募集したコンクールで賞を出してランク付けして雑誌で発表して値段を決めて行くというのはある意味分かりやすいというのか、何だかまんまとしてやられたという感じがする。

 大手の××画廊でも少しレベルは違うけれど昭和会賞といって同じような事をやっている。もっと言えば芥川賞や直木賞も自分たちの出版社の賞で、企業のひも付きの賞だ。神がお墨付きを与えた賞ではない。もっともこういった類の賞は現世御利益で一発屋で終わることが多い。何を隠そう若い時にはそのコンクールに選抜されたくて何年も自己推薦で出品し続けたという経緯がある。だからそんなことは批判めいたことは何も言えない。まぁいずれにしろ、人の評価などというものはあてにはならんという事だ。そんなもののために自分の人生を決めたくはないし右往左往したくもない。

 話を元に戻すと、そのアートコレクターのWEBサイトに私の松屋の個展の記事が載っていた。無料で紹介してくれるのありがたいことで、何にしろ作品や展覧会の紹介をしてくれるのは嬉しい事だ。しかし、そこで気づいたことは私以外のほとんど作品は要するに誰でもわかるキレイ画で占められていて、あぁ今の美術市場はこのキレイ画でなければ流通しないんだと認識を新たにしたしだい。キレイ画に対抗する絵として私などの絵を総称してキタナ絵と呼ぶことにしよう。このキタナ絵が主流になる日が来るんだろうか?


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ポケットの窓から - 2016.02.03(ポケットの窓から)
はる 5422
 今日は節分、という訳で恵方巻きなどという巻きずしとイワシとシジミの味噌汁という献立だった。関西の風習という事らしいが私は知らない。こんなもの節分にくったけ?豆まきはもう何年も毎年やっている。こういう物はやり出すと途中で止められないのが、面倒だ。

 何だか少し風邪っぽいので寝ます。


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今日のアトリエ - 2016.02.02(ポケットの窓から)
はる 5421
 また明日。


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今日のアトリエ - 2016.02.01(ポケットの窓から)
はる 5420
 今日は午前中に確定申告に行く。フリーになって一番最初に戸惑ったのがこいつだな。何だ?この確定申告というのは?ホンの少しずつだけど、色んなところから収入があってそんな明細が必要だ。もちろん支出の領収書も取って置かないといけない。

 給料所得は源泉徴収という税金は取られるけれど、それほど目減りすることはない。誤魔化しようがなく公明正大なものだ。しかし、我々の収入などという物は実にやっかいなもので、例えば10万と言ったところでそのままが手元に入る訳ではない。画商さんが間に入った場合もちろんマージンが発生する。もちろんそれだけではない。額代もそうだし、DM制作費に切手代(仮に500枚出せば2万5千円・画廊が負担してくれる場合もある)荷物の輸送費、滞在するならホテル代に滞在費、画材や自分の制作費など考慮しなくてもほとんど残らないのだな。まぁ手前味噌だけれど絵はそんなに高いものではないよ。好きでなきゃバカバカしくてやってられん。

 それでも何とかやれているのは奇跡に近いのではないか。


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