あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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今日のアトリエ - 2016.01.31(ポケットの窓から)

はる 5419
 三十になった時にこれからは就職しないで生きて行こうと決めた。たとえ不定期な臨時採用の仕事をやらざるを得なくなったとしても、けっして定職にはつかないでおこうと心の中で決めた。幸いに非常勤の高校の美術の講師の口があって今でも週に昼間は一回、夜は二回行っている。パートタイムの仕事としてはかなり効率のいい仕事ではあるだろうな。でもまぁそんなものはけっして生業にはならない。

 絵で食べるというけれど、これはけっこう誤解がある気がする。だれでもそうだと思うのだが、みんなギリギリの生活をしている。養殖の魚は生けすにあった大きさにしか成長しないそうだ。それは自分の生活にも言えるのじゃないかな、みんな自分の器量にあった生活をしている。年収100万なら100万の生活をしている。たとえ1000万あったとしても生活の質は変わるかもしれないが、気持ちはほとんど変わらないのじゃないだろうか。やったことがないので分かりませんが。。

 大事なのは人と比べないことだろうな。同じようにはできない。そう居直ってしまうと貧乏も全く苦にはならない。そういうもんだ。一生細々と絵を描いて生きて行ければそれでいいじゃないの。必要以上に蓄える必要もないし、誰かがこうだから自分もそうしようとか、大きな権威とか地位とか名誉もいらない。そして働けなくなれば静かに横たわっていよう。いずれはみんなあちらに行ってしまうのだから、何も怖くない。


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今日のアトリエ - 2016.01.30(ポケットの窓から)
はる 5418
 今回の長い滞在は地元甲府の天候というのか、最低気温が異常に低くて留守にするのが少々心配だった。という訳で嫁は出来るだけ遅く来てもらって、出てくるときには元栓を閉めて準備万端で来てもらった。それでも二三日は留守にしたのだけれど、そうすると案じていたようにお風呂場の水道が凍ってつららになっていた。外の配管には熱線が通っているので凍ることはないのだけれど、案外この蛇口のところが鬼門だったようだ。

 家に帰ってきて最初にやった仕事は元栓を開けて、どこか破裂しているところがないか確かめることから始めた。とりあえず凍っていた場合すぐには漏れることはないのだが、とけて開通した時にどっと漏れてくるわけだ。とまぁそんな準備をしていったので水道管の破裂は免れたようだ。

 解けた直後はかなり鉄サビが一緒にでる。高々二三日水道が止まっただけでどこかでサビが出るんだな。ということはやがては腐食されて穴があく可能性があるというわけだな。昔は家の中は微妙な接合が多かったので鉛管が多かった。今から考えるとサビよりも鉛毒の方が怖い。

 さて、風呂場のつまりも解けて順調に回復したのだが、どうした訳か台所の水道の水量が回復しない。台所と風呂場にはボイラーが通っていて熱湯がでるのだが、風呂場のお湯は出るのだが台所は水量が少ないためみボイラーが作動しない。どこかで詰まっている。困った。

 不思議なことにお湯の側の水量と水の側の水量が全く同じだった。そこから考えられるのはどこか水と湯の共通の管が詰まっているということだ。ボイラーから台所まで10mぐらいある。たぶんボイラーの近くの風呂場との分岐点でサビが詰まっているのではないかと推測した。でもすべてを掘り出して調べることは素人には不可能だ。さてどうしたものか思案橋だ。

 丸一日そのままの状態で自然に開通するのを待っていたのだが、回復する見込みがない。このまま使い続けるのか?台所のお湯が使えないのはとても痛い。しかし、どう考えても水と湯の水量が全く同じというのは不自然ではないか????

 蛇口の部分を見ると、浄化装置がついている。この蛇口の先端に浄化機に向かうホースと水道水がそのまま出る分配器がついている。この分配器の元部分の濾過機がサビで詰まっている可能性がある。もっと分かりやすく言うならば、出口が詰まった状態といえばいいのか。分解すると案の定、この濾過機の部分にサビが詰まっていた。というわけでめでたしめでたし、問題は解決したのであった。分かってしまえば簡単な事だが、どういった状態が考えられるのか、図を描いて考えてみたりした。途中が詰まっていればお手上げだったけれど、出口部分なら見えているわけだからなんとでもなる。

 こうやって物事を推測して仮定を立てて実践することは楽しい。これはある意味私の生き方でもある。水道が止まったから修理やさんに電話するというのは正しいようで正しくない。そこからは何事も得られない。私の絵の道もそうやって迷いながら、考えながら進んできたものだ。いい悪いは別にして。。


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ポケットの窓から - 2016.01.29(ポケットの窓から)
はる 5417
 今日は雨で、明日はまた雪かもしれません。暖冬はウソでした。


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サーカスのジンタ - 2016.01.28(作品)


「サーカスのジンタ」F20 2015


はる 5416
 昨日の絵を観るという事のつづき。適当に書くのであしからず。

 例えば同じものを観ていても全く気が付かない人もいるし、そこしか観ていない人もいる。それこそ千差万別でその人の心の中はまるで分らない。それは全く不思議なものだ。前にデッサンの話で、物を見えたとおり描いても表現したという事にはならないのだよという話をした。自分はこう見えました、こう見ました、解釈しましたという報告でなければ表現したということにはならない。それとよく似ているのが、ただ漫然と観るのではなくて何を見たか、ということを意識してみると見方がかなり変わってくる。

 絵を観たとする。普通何気に絵を観ているのだが、本当は何も見えていない、見ていない。意識しては観ていない。ところが百人通りがかったとして十人ぐらいは「おやっ」という顔をして私の絵を見る。「何だこれは?」という顔をする。その色なのか、形なのか、絵肌なのか、とにかくちょっとその人の感覚にコミットするわけだ。

 そこのところが大事だな。そこのところに小さな自分が隠れている。色だとしたら、遠い昔にそんな絵を見たことがあったのかもしれない、小学校の頃そんな絵を描いて先生に褒められたのかもしれない。とにかく自分の感覚に多少なりとも何かが引っかかった訳だ。そうやってそれをきっかけにして自分の心の中に入って行く。絵を見るというのは、作者の提示した世界だけを観たのじゃ片手落ちだな。最も大事なのは、それを仲立ちにして自分の心の中を見るきっかけにすることだ。そうでなければ芸術など意味がない。

 ちょっと手前味噌ですが、 ここに私のHPの言葉を載せます。これは作家側の話ですが、実は鑑賞者側にも同じことがいいえるということでしょう。

「風は姿かたちが見えません。梢が揺れる様子やひゅーひゅー鳴る音を聞いて、人はその存在を知ります。 絵や音楽や言の葉はこの風音に似ています。見えない心のかたちをそのざわめきで見せてくれます。絵を描くとはそのための道具だと思います。
何処まで深く掘ることが出来るか、絵を描く事で探ってみたいと思います」

 美術の時間、図画や工作に明け暮れた。美術とはそんな遊びの延長上にあるものだと思っていた。そう学校の先生もただ上手にものを描くことを奨励していたように思う。けどなぁ、本当は絵を見る鑑賞するのは自分を見る事なんだということが今頃になってわかってきた。なかなかこれは教えることは難しいだろうけれどね。芸術にかぎらないけれど鑑賞教育というのはとても大事だな。

 綴り方ではないけれど、それを文章化する、意識化することでもっと深く自分を見つめることになるようなきがするな。


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ポケットの窓から - 2016.01.27(ポケットの窓から)
はる 5415
 はい、久しぶりです。東京滞在一週間から帰って来ました。ホテルのパソからの更新がままならなくなって出先からは写メだけになりました。まぁそういうのもたまにはいいかと思います。強迫観念のようにこの日記を続けておりますが、皆さん案外読んでいるようですな。今回の個展でも読んでいますと何度か言われました。ありがたい事です。

 デパートの個展は不特定なお客さんも多く、疲れますが面白い。街中の画廊はほとんどの人が絵を観る目的で来る。ところがデパートの画廊の場合、ほとんどの人が買い物に来るわけだ。その時ちらりと目の端に何か異様なものが目に映るわけだ。気にならない人は全くの素通り、何だろう?と気になる人は恐る恐る画廊の中に入ってくる。その時の奇妙な驚き具合が私にとっては面白いと思う。

 取っ掛かりは何でもいい、そうやって興味を持ってもらえることが楽しい。「これは何か?」という興味はとても大事な事じゃないかな。自分の心に何かが引っかかったわけだ。興味のないものには何も引っかからない。そこに何か自分のタネがあるわけだ。自分探しのきっかけになればいい。

 私の絵に興味を持つ人は大体着ている服装でも分かる。まぁ普通の主婦とかおば様オジサマは少ない。何かちょっと一風変わった、こだわりのある人が多いな。全く素人の人も面白い。これは何ですか?絵ですか?レリーフですか?焼き物ですか?絵を描いている人や描いていた人が圧倒的に多い。どうやって描いているのか、素材は何か、絵の具は何か、何画ですか?どうやって描くのですか?どのくらい時間がかかるのですか?

 人間観察なのかな。面白い。


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個展楽日 - 2016.01.26(ポケットの窓から)

お疲れ様


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個展6日目 - 2016.01.25(ポケットの窓から)

あと二日。


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個展5日目 - 2016.01.24(ポケットの窓から)

疲れてきました。お早めに。


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個展4日目 - 2016.01.23(ポケットの窓から)

午後からまた雪みたい。


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個展3日目 - 2016.01.22(ポケットの窓から)

今日も寒い。


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個展2日目 - 2016.01.21(ポケットの窓から)

おはようございます。二日目が始まりました。


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個展1日目 - 2016.01.20(ポケットの窓から)

始まりました。お待ちしています。


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個展前夜 - 2016.01.19(ポケットの窓から)



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ポケットの窓から - 2016.01.18(ポケットの窓から)
はる 5406
 また雪が降った。20cmぐらい積もったかな。

 明日から私は東京です。会期中に雪が降らなくてよかった。まだわからんけどね。とりあえず明日電車が動くことを願います。更新は写メしかできません。様子を写メだけでアップします。楽しんでもらえると嬉しいですな。ということでまた一週間後にお会いしましょう。御用のある方はここのコメント欄にでも書きこんで下さい。


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今日のアトリエ - 2016.01.17(ポケットの窓から)
はる 5405
http://spotlight-media.jp/article/237101993104571974#/
より引用
・・・・
今の私はただの老人です。

自然とは残酷なものです。

老いていくことは自然なこと。

意地悪なことに老いたものを愚かに見せる。

体は砕け、優雅さと活力を失い、かつて心臓があった場所に石があります。

でも、この老いた体の中には青年の心が宿ります。

そして時々、私のボロボロの心臓が膨れ上がります。

私は喜び、痛みを覚えています。

愛することと生きることを再び体験します。

私は人生を振り返ると、あまりに早くて短くて、、、

永遠が無いという厳しい事実を受け入れなければなりません。

だから、あなたたちは目を見開き見て下さい!

風変わりな老人ではない。

見て下さい私を!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 新学期が始まって、生徒の前で新年のあいさつから始めた。しゃべることはかなり慣れたけれど、そんなにうまくない。最初に何も考えないで話し始める。ネタを持って話を始めると最初はそれで何とかなるのだけれど、しゃべっているうちに説教臭くなって何だかつまらなくなる。生徒も聴いているのやら寝ているのやらわからない。

 ネタなど持たないで、即興でしゃべった方がつまらないなりに臨場感があって止まってもしまってもまぁそれはそれで聴いているように思うな。国会の中継を聴いていても、原稿をそのまま読んでいるような大臣の答弁は全くつまらん。上手くしゃべれなくとも自分の言葉で納得させるようにしゃべるのがお前たちの仕事だろうが、、。いい演説をして人を泣かせてみろ、政治家ならと思う。少なくとも原稿を読むな。相手を見てしゃべれと思う。

 話を戻して。
 生徒に話をしていて感じたことは。これは薄々感じていた事なんだけれど、人は年取っても何も変わらん、はあの当時と同じだなということだ。ほんの少し経験を積んできたけれど、気持ちそのものはあの頃と少しも変わっていないなということだ。姿かたちは老人になってしまったけれど、ここに居るのはあの高校生の頃と何も変わらないということだ。

 誤解を恐れずに言うならば、姿かたちは醜く変わってしまったけれど、そこに居るのは紛れもない小心者の私自身なのだ。姿かたちに騙されてはいけない。何を言っても傷つかないふてぶてしい心を持った人間ではないのだ。そこのところ勘違いすると結局は自分に跳ね返ってくるのだろう。

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ポケットの窓から - 2016.01.16(ポケットの窓から)

はる 5404
 まぁ絵描きになろうとしたならば、多くは美大受験を経て美大芸大に行くというのが一応のルートになるのだろうな。私はそういった受験予備校に行っていないので、そこらあたりの競争のし烈さみたいなものは知らない。何となく絵を描きつづけて来て今に至っているというのが正直なところだ。反対に美大まで出てなぜ絵を描きつづけられないのか、そのことの方が不思議だな。別にそれを生業にしなくても、好きなら続けられるのじゃないかな。

 大事なのはあなた自身であることだ。一生かけて貴方自身を見つけることだ。それがすなわちあなたの絵であり、あなたの生き方であり、あなたの表現なんだろう。


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ポケットの窓から - 2016.01.15(ポケットの窓から)
はる 5403
 国会の中継をラジオで時々聴く。何だろうな、とても大事な時なのに、お互いの揚げ足取りに始終している。建設的な議論というより言い訳と自己保身だけだ。互いの政党のダメなところを言い合ってそれだけで終わってしまっている。それでいったいどういった解決方法をとるのか、具体的な話にはならない。野党は与党の政策は絶対認めないし、与党もそうだ。合意するのは国会という公の場でhなく、委員会みたいな公には見えないようなところでこっそりとおこなわれる。それならば国会などという物はいらないのじゃないか。あれはただの見世物、茶番劇にすぎない。子供だましだ。

 よくわからんな。何を考えているのやら。一部の既得権を持っている人たちだけの国づくりをしているように思えて仕方ない。戦争はだいたいそういった力を持っている奴らの都合で起きる。弱い人間は知らない間にそんな波に飲み込まれてしまう。ちょっとずつ、ちょっとずつ分からんように、気づかれないように、自分たちに都合のいいように変えて行ってしまう。気が付いた時にはもうどうにもならない。


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ポケットの窓から - 2016.01.14(ポケットの窓から)
はる 5402
 甲府の中心街だけれど、すごくさびれている。今日はデパートに腕時計の電池の交換に行ったけれど、店員の方が多いのじゃないと思う寂れ方だ。それもまぁデパートの売り子さんは一応花形の職業だったのだけれどね、我々の若い頃は。おば様が悪い訳じゃないけど、なんだか寂しさに輪をかけたような感じ。中心街は駐車場ばかりが目立つようになってしまった。建物は歯抜け状態。どこかで止めなきゃ、この町は死んでしまうだろうな。どこの地方都市も同じような状態だと思うのだけれど、いったいどういう手があるのか、人口の減少というのはこんなところにも影響が出てきている。悪い事ばかりじゃないと思うのだけれど、なんだかなぁ。。先が思いやられる。


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今日のアトリエ - 2016.01.13(ポケットの窓から)
はる 5401
 たまにデッサンについて聞かれる。私は人に語れるほどデッサンをやってこなかったし、美大受験予備校にも行ってないので本当のところはよくわからない。デッサンというのが物を見えたとおりに描くということ技術だというなら私は落第だろう。そうではなくて「こう見えました」という報告だというなら合格点を貰えるように思う。

 ものを描くという行為はあくまでも抽象的な行為で、写真のように何の解釈もなくそっくりそのまま描いても絵らしくはみえるけれど本当の意味での表現にはなっていない。街の似顔絵描きのブロマイドがどんなにそっくり描いてもどうにも気持ち悪いのはそこにその人の解釈が入ってないからだ。表現とは「私はこう見えました、こう解釈しました」という自己報告だと思う。

 誰かが言っていたけれど「デッサンを忘れるほどデッサンする」しかない。

 


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ポケットの窓から - 2016.01.12(ポケットの窓から)

はる 5400
 綺麗なカントになった。五千カウント記念からもう400日たったということだ。月日のたつのは本当に早い。この四月の国展の招待状が届いた。まだ先の話だけれど、もし欲しい方がいれば↓のメールホームにお名前とご住所を書いて送ってください。
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm



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ポケットの窓から - 2016.01.11(ポケットの窓から)
はる 5399
 絵描きであるということは簡単だ。明日から私は画家であると宣言すればすむことだ。けれども絵を描いて生きて行く、それを生業にしてゆくということはとんでもなく難しい。気に入った絵を描いて自宅のアトリエに並べて悦に入っていていても絵を描いている人には違いはないが、だれも絵描きとは認めてくれないだろう。

 最初はたった一人の自分のシンパを持つことから始まる。「あなたの絵が欲しい、自分の物として身近に持っていたい」と言ってくれる人が必ず現れる。それはたぶん私の場合とても細かくてきれいだったとか、テクニックが素晴らしいとか、写真のようだというものではないだろう。私以外の他人が私の絵に何を感じたのか、何に感動したのか、もっと言えば何を求めているのかということを、しっかり確認しておかなくてはならない。そこのところがプロとアマの違いだと思う。もろんそれが私の絵の方向と一致することが望ましいのだけれどね。

 そしてその次は一緒になってやって行こうという相棒を見つけることだ。自分一人でやって行くなくもない。個人商店で看板あげて営業回りもやっている人がいるけれど、作家と画商はなかなか両立は難しいね。違う才能を使う。私なら作家をやめて、画商をやるなら徹底して作家を育ててみたい。自分の見立てがどこまで通用するか賭けてみたい。だから絵を生業にするなら、そんな画商を探すことだ。ただ今の美術の世界はどうにも胡散臭い評論家や画商が右往左往しているのでどこまで本物かを見極めるのは難しいなぁ。。

 20年ぐらい前かな、東京のデパートの企画専門の画商さんから話があって、何だか分からないうちにすぐに車で絵を取りに来た。自分も初めての事だったので、利率も三割ぐらいでそんなもんかなと思って10枚くらい預けたのかな。売れただけのものを毎回振り込んできたから決して詐欺ではないのだけれど、こういった生産者のような仕事をすることが望んでいたことなのか、どうも違うような気がして、すべてが終わった段階で関係をチャラにした。

 その後またデパートの企画屋さんから話が合った。前回の件で懲りていたので速やかにお断りした。どのみち私の絵はデパート向きではないと思っていたので、街の画廊で地道にドサマワリすればいいやと考えていた。

 しばらくしてまた同じ人からコンタクトがあって、大阪から直接話をしに来てくれたHさんはとても面白い人だった。生活全体をコーディネイトするというのかな、絵画だけではなく、工芸品とか家具とかインテリア、雑貨みたいなものをまとめて、自分がいいと思った作家を集めてデパートという空間でプレゼンするというそんな企画者だった。町の小さな画廊も面白いけれど、デパートいう多くの人が集まる空間で一緒にやりませんか、売れる売れないは問いません。と言われればやってみようかなと、ダメもとで飛びついた。まぁそれがいままで続いているから、満更間違えてはいなかったのだろう。

 町の画商(画廊)さんとの邂逅も大切だ。誰かの紹介では上手くいったためしがない。ゆっくり確かに育てて行くことだ。けっして一朝一夕でできるものではない。


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今日のアトリエ - 2016.01.10(ポケットの窓から)
はる 5398
 タイトルをずっと考えていた。何だろう?これを描こうと思ったきっかけを考える。相変わらず画面を見ながら何か出てくるのを待っていた。ところが何回やっても今までに見えたものしか見えてこない。退屈だ。。切実な問いかけがない。もっと大切なメッセージを一つの絵に込めたい。たとえそれが徒労に終わろうと、切実な気持ちは伝わるだろう。

 一つは原発のことがある。こんなことを許していいのか。あれだけの事故をおこしておきながら、一人の逮捕者もでていない。だれもその責任を問われない社会のシステムというのは可笑しいのではないか。確かに電気を止められると生活は出来ないのだけれど、その問題と事故を起こした会社が政府がのうのうと現状維持で未だにのさばっているというのは明らかにおかしい。

 「天知る、地知る、我知る」 よくないことは隠してもいずれ漏れて分かってしまう。「天網恢恢疎にして漏らさず」そうあって欲しいという願望もふまえて。



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ポケットの窓から - 2016.01.09(ポケットの窓から)
はる 5397
 今日は一日いい天気だった。


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ポケットの窓から - 2016.01.08(ポケットの窓から)

はる 5396
 個展前の色々な雑用を片付ける。リストをつくったり、作品の裏に貼りつけるシールを作ったりす。このシールは自分で作ったものだけれど、作品のタイトルはもちろん、展覧会の名前、制作期日、トータルナンバー、材料、それから最後に自筆のサインが入っている。トータルナンバーは在学中の習作を除いて卒業制作あたりからつけている。今のナンバーは1800番台だ。約30年でこんなもんだ。年間60点という計算になる。これが多いのか少ないのか。


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今日のアトリエ - 2016.01.07(ポケットの窓から)
はる 5395
 額入れの続き。

 「日本人はなぜ絵を買わないのか」という記事をよんだ。外国の事は全く知らないので「日本人は」と一般論で言われるとちょっと?なんだけれど、言っていることはまぁそうだなと思った。
http://www1.bbiq.jp/~egapemoh01-21/art21sozo/artmuseum-q-a87-ewokawanai.html

 教養として絵を観る、鑑賞するという習慣はあるけれど、街の画廊に出かけて好きな絵を買って飾って楽しむという習慣はないな。そこにあるのは文明開化の頃から劣等感の裏返しではないかな。文化というものは上から教えていただくもの、優れたものを理解する、身につけることが教養人としてのたしなみであるといった、間違った教育のなせる結果かもしれんな。あくまでお上から、権威のあるものからのお墨付きを頂いたものだけを受け入れるというようなところがあるな。自分で考えて判断するという教育をされてこなかった。これはありとあらゆるところで垣間見える。

 教育は最終的に「個人を目覚めさせる」ことにあるわけで、教えられることは限られている。教育期間を過ぎた人間が自ら問題を見つけて考えてゆく、そんなところが最終目標だろう。なんでもなかんでもただ教えてもらうだけでいい、それが教育だというなら軍隊の訓練みたいなものだ。国がまだ未熟で発展途上であるなら、最大多数の人間を一定の水準に教育しようとするならそういった訓練が有効だけれど、今の日本はそういう時期は過ぎてしまった。

 お上のいう事を鵜呑みする人が多い方が上に立つ人間はやりやすいわけだ。今の日本はいまだに自立した人格を「一番大事なこと」とはされていないようだ。原発の問題も、そんなところか解決できないでいる。とても悲しい話だ。


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今日のアトリエ - 2016.01.06(ポケットの窓から)
はる 5394
 額入れを行った。また明日。


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今日のアトリエ - 2016.01.05(ポケットの窓から)


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三枝茂雄

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須田剋太


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松田正平

はる 5393
 今日二十日からの個展のDMを郵送した。私のスタンスは、目の前の展覧会の絵はもう描かない。いつもひとつ先の展覧会の準備をしている。だから今描いているのは五月の国画のための絵なんだな。どうしても目の前の展覧会の作品を仕上げていると焦ってしまうので、そんなスタイルになった。これも年間に四回以上の個展をする関係上、スケジュールに振り回されないために身に着けた身を守るための方法だな。誰でもが真似できるものではないだろう。

 個人的な回想を書きます。興味がない人は飛ばしてください。山梨の国画の先輩画家に三枝茂雄という鬼才がいた。ご存知の方も多いだろう。彼の晩年の作品はもう油彩ではない。国画に出品し始めた頃は油彩画を描いていたのだが、この人ありと認められるようになったのはどちらかと言えば顔料を用いたにかわ絵だった。晩年頃はもう日本画というのか紙に墨やにかわで溶いた顔料の何とも不思議な絵だった。国画は今は大作主義だけれど、彼の作品などは20号くらいの小さなものだ。今で言えばミクストメディアの走りではなかったか。絵の中に文字もいっぱいに書かれていた。そういったところは須田剋太なんかにも似ているところがある。

 三枝茂雄の間違いでした。すみません。


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今日のアトリエ - 2016.01.04(ポケットの窓から)
はる 5392
 少し今までの描き方とかえた。今までもかなりラフだったけれど、もっとラフに本質を大雑把に捉えるようにした。これで行けるかどうか、さっぱりわからないけれど、今日見た感じでは上手くいったように思う。もう私の絵は油彩とか水彩とか何々画という範疇から離れてしまって、墨にボンドをどっさり混ぜてたらし込んだ。筆というより10cm幅ぐらいの刷毛で小さい所もかまわずに描く。墨は垂れてもそのままにしておいた。井上有一の書を見ると画材は墨+ボンドと書いてあった。それでいいんだ。
 これを描くきっかけは、1998年の「誰も知らない」という100号の作品。たぶんどこにも発表していないだろう。だから当時はほとんど評価されなかった。自分の中でもそんなに大事な作品ではなかったが、それと昨年美術館で古い作品を並べた時に良いなと思った1997「存在することの不安。これはけっこうショックだった。ここを超えていないとおもった。けっこう求心力がある。訴えるものがある。ここら辺の仕事をもう一度見直すべきかなと思った。

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1997「存在することの不安」






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今日のアトリエ - 2016.01.03(ポケットの窓から)
はる 5391
 今年は真面目に正月から仕事しています。

 どうも今までの大作を見ていると最近の作品は見たくない衝動にかられます。約15年前ぐらいの作品の方がいいというのか、観ていて飽きない気がする。ちょうどミクストメディアに替わって試行錯誤していた時で、その頃の方が何か新しい事をやっているんだという喜びがあふれていたように思う。どうも最近の作品にはその喜びがない。

 まぁそれだけではないな。大病をして命を貰って生きているありがたさみたいなものが身に染みて分かったというのかな。もう一度原点に戻る必要があるきがする。どうしても伝えたいこと、もっと切実に、身を切るように吐露しなければ生かせてもらっている意味がないのじゃないかな。

 とそんなことを正月の年頭に際して誓っておきましょう。




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- 2016.01.02(未分類)
2016松屋dm.sjpg

はる 5390
 2016年新春第一弾の個展は二十日からです。DM希望の方は↓のメールホームに住所、氏名を書いて送ってください。
■第79回 榎並和春個展
~どこにでもある~
   2016 1/20(水)~1/26(火)
銀座・松屋 7F遊びのギャラリー
東京都中央区銀座3-6-1
代表・03-3567-1211 
・・・・・・・
メールはこちらです。
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm

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