今の私はただの老人です。
自然とは残酷なものです。
老いていくことは自然なこと。
意地悪なことに老いたものを愚かに見せる。
体は砕け、優雅さと活力を失い、かつて心臓があった場所に石があります。
でも、この老いた体の中には青年の心が宿ります。
そして時々、私のボロボロの心臓が膨れ上がります。
私は喜び、痛みを覚えています。
愛することと生きることを再び体験します。
私は人生を振り返ると、あまりに早くて短くて、、、
永遠が無いという厳しい事実を受け入れなければなりません。
だから、あなたたちは目を見開き見て下さい!
風変わりな老人ではない。
見て下さい私を!
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新学期が始まって、生徒の前で新年のあいさつから始めた。しゃべることはかなり慣れたけれど、そんなにうまくない。最初に何も考えないで話し始める。ネタを持って話を始めると最初はそれで何とかなるのだけれど、しゃべっているうちに説教臭くなって何だかつまらなくなる。生徒も聴いているのやら寝ているのやらわからない。
ネタなど持たないで、即興でしゃべった方がつまらないなりに臨場感があって止まってもしまってもまぁそれはそれで聴いているように思うな。国会の中継を聴いていても、原稿をそのまま読んでいるような大臣の答弁は全くつまらん。上手くしゃべれなくとも自分の言葉で納得させるようにしゃべるのがお前たちの仕事だろうが、、。いい演説をして人を泣かせてみろ、政治家ならと思う。少なくとも原稿を読むな。相手を見てしゃべれと思う。
話を戻して。
生徒に話をしていて感じたことは。これは薄々感じていた事なんだけれど、人は年取っても何も変わらん、はあの当時と同じだなということだ。ほんの少し経験を積んできたけれど、気持ちそのものはあの頃と少しも変わっていないなということだ。姿かたちは老人になってしまったけれど、ここに居るのはあの高校生の頃と何も変わらないということだ。
誤解を恐れずに言うならば、姿かたちは醜く変わってしまったけれど、そこに居るのは紛れもない小心者の私自身なのだ。姿かたちに騙されてはいけない。何を言っても傷つかないふてぶてしい心を持った人間ではないのだ。そこのところ勘違いすると結局は自分に跳ね返ってくるのだろう。