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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

- 2015.12.31(作品)


2010 「あめあがり(帰り道)」

はる 5388
  こういった祭壇画のような絵が好きだ。特に特定の宗教には帰依していませんが、人が動物から人間になった時にどうしても必要になったのが、人智を超えた存在に対する畏怖とか憧れとか恐怖といったもの、それに対する祈りのようなものではないかな。人種を越えて今の世に残っているのは、絵画にしろ、彫刻にしろ、建築にしろそういう「いのりのかたち」でしかないように思います。

 きょうで今年もお終い。みなさんよいお年を!!

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今日のアトリエ - 2015.12.30(ポケットの窓から)
はる 5387
 ガソリンがどんどん安くなっている。今日見た最低の値段がリッター108円だった。少し前まで125円ぐらいだったのじゃなかったか。それにしてもスタンドによって10円ぐらいの違いがあるのはどうしてなんだ。100mぐらいのところにかなり差のある値段で販売しているのは納得がいかない。どんな義理があって高い所で購入するのだ。

 値段というのが今一つ分からん。百円ショップにゆけばとんでもないものが、堂々と百円で売って居る。これで儲かるわけだから、正規の値段というのはどういうものだ。すべてが偽物という訳ではないだろうに。

 今日はマイナス4度だったらしい。


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- 2015.12.29(未分類)


はる 5386
 もうすぐ今年も終わる。個展がないので比較的にのんびりした年末だったが、浮世の義理でそうもいかなくなってしまった。


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裸婦クロッキー2015/12/27 - 2015.12.28(裸婦クロッキー)
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はる 5385
 昨日のごたごたの続き。その中でも昨日は今年最後のクロッキーに出かける。五分か十分で一枚の絵を仕上げる。ほとんど一発勝負の真剣勝負。だから作家の生の姿がそのまま出るように思う。なかなか思うようにはいかない。今回上手くいったからと言って次回同じように行くかと言えばそうではないところにクロッキーの面白いところ。

 初めて裸婦クロッキーをしたのは大阪の絵画研究所だった。二十歳前のころだな。いったい私は何が出来るのだろうと模索していた。まだ一枚の絵も描いていなかった頃だ。裸の女の人が白日堂々とあっけらかんと目の前に居る。これは今までの人生の中ではなかったわけで、結構ショッキングなできどとだったな。おずおずと鉛筆をもって線をひくわけだけれど、これがなかなか恥ずかしい。思うようにはいかない。後ろの人が気になる。よけいにいじけた線しかひけない。堂々とどうだ俺の絵を観ろと言う風になるには三年はかかるな。

 あれから40年も経った。ヌードの婦人にはなれたけれど、クロッキーはなれない。上手く行くときと全然ダメな時がある。なぜなんだろう。まぁだから面白いとはいえるのだけれどね。もっと上手くなりたい。いつもそう思ってやっている。




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今日のアトリエ - 2015.12.27(ポケットの窓から)
はる 5384
 すこしごたごたがあって、更新できないでいた。それも今日明日には解決する。長年の懸案事項だったので、それはそれは仕方のない事だった。

 新しい100号を始めた。何か面白い形が見えればいいのだけれど、今の私の手法の限界かな。


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ポケットの窓から - 2015.12.26(ポケットの窓から)



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- 2015.12.25(未分類)


はる 5382
さて今年もあと一週間切りました。変に生暖かいのでクリスマスの臨場感がありませんが、このまま冬が終わってしまうということもないでしょうね。来年早々に個展があるので、雪が降ると困るんだよな。前回二年前は大雪ですべてが止まってしまった。そんなことのないように祈るだけだ。

みなさんよいクリスマスでしたか?昨日は久しぶりに夜中までテレビを観た。毎年やっている小田和正のクリスマスソング。いろんなゲストを呼んで昔懐かしい歌を聴かせてくれる。サイモンとガーファンクルがよかったな。オールドフレンドだっけあんな歌詞だったんだね。若い人が自分が70になった時の事をうたっていたんだ。そう、今自分がそれに近づいて来たから、身に染みる。






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ポケットの窓から - 2015.12.24(ポケットの窓から)

はる 5381
 クリスマスの想いではやっぱり子供時代が懐かしい。日本全体が貧乏だったから日常でケーキを食べることなどめったになかった。初めてクリスマスケーキなるものを食った時は、まぁ驚いた。世の中にこんなにうまいものがあるなんて、まったくもって驚いた。普段甘いものと言えばあんこやぜんざいの甘さしか知らなかったものな。チョコレートなんかまったくの貴重品だったからな。シュークリームのカスタードクリームの上手さにも驚いたものだ。

 今じゃソフトクリームなど珍しくもないけど、私が初めて生のソフトクリームを食べたのは小学校の頃だ。近く生活組合のスーパーマーケットが出来てそこで初めて食った。今までは氷菓子だったのが一気に革命的な変化だったな。そうそう、クリスマスケーキにアイスクリーム版ができたのもそのころじゃないかな。

 クリスマスのプレゼントを贈る習慣は私の家にはなかった。可愛そうに思ったのか、叔母が一回だけクリスマスにトラックのおもちゃを買ってくれたことをよく覚えている。何度もない貴重な経験だからよく覚えている。


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- 2015.12.23(未分類)


はる 5380
 さてクリスマスはわれわれの結婚記念日だ。世の中で結婚記念日を忘れて夫婦喧嘩になるカップルはどれだけいるでしょう。私たちは世界中の人がお祝いしている楽しい日を選んだので、これまた一石二鳥ということになる。クリスマスイブの夜、深夜ミサにかくれて式をあげた。これを書くと貧乏くさいと嫁が嫌うのだが、まぁもう時効ということで、勘弁してもらおう。

 世界はいま大きく変わろうとしている。突き詰めるとキリスト教とイスラム教ということになるのだろうけれど、もちろん詳しい事は何も知らないから偉そうなことは書けないのだけれど、軍事衝突がおきて街が瓦礫の山になって、反対にテロが起きてたくさんの罪もない子どもたちがぎせいになっている。あいつが悪い、こいつが悪い、報復だ、やっつけろ、みなごろしだととどまることを知らない。本当に人間は罪深い動物だ。憎悪する歴史でしかない。

 我々は戦後70年まがりなりにも戦わずに、戦争に加わらずに生きて来れた。たぶん前の戦争の悲惨な体験が多くの国民の共通認識として避けてきたということ、アメリカが日本を属国にするために戦争放棄をうたった憲法と日米安保のおかげもあるだろう。しかしなぁ、そのためにかの国の思惑通り自主独立の気概を失ってしまったことは一番の弊害だろうな。

 それは、原発が悪い事は分かっていながらやめられないことと、日米安保がやめられないことに象徴されているだろうな。利権がらみ、金儲け、巨悪がまかり通っている理不尽さ、いかんともしがたい。どうもやっぱりカナダ政府などとは50年もおくれているな。

 平和憲法の理想を持った素晴らしい国だと世界中に胸を張って誇れるようでいたい。


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ポケットの窓から - 2015.12.22(ポケットの窓から)


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祝人(いわいびと) 2015 F20
はる 5379
  祝人と書いて(ほぎびと)転じて(ほいと)乞食となる。字面だけみるとおめでたい人と見えるけれど、なかなか奥が深い。神楽、獅子舞などの縁起者が物乞いも行っていた事から言われるとされる。結局は流れ者の芸能者、旅芸人ということになるか。


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ポケットの窓から - 2015.12.21(ポケットの窓から)
はる 5378
 毎朝散歩する公園、最近はお年寄りのグランドゴルフの会場にもなる場所。困ったことについ最近一緒にどうですか?と誘われた。そろそろ年齢は同じになるのかな。

 冬がれた風景は嫌いじゃない。すべてがすっきりとクリアーに見えて美しい。誰も利用しない滑り台や鉄棒があるのも物悲しくていい。たぶん昔はここらも子供たちがたくさんいて、休みの日などはわぁーわぁーにぎやかだったのではないかと思う。

 アートフェア―の話を書いたら、実際に参加している人からメッセージが届いた。時代は確実にグローバル化してちまちまと個人の画廊で個展をやる時代じゃないよ、ということだった。たぶんそうなんだろう。個人の修業のために絵を描くなどというのは時代錯誤らしい。

 まぁそういわれても今更変えようがない。お呼びがないといわれれば、はいそうですかごめんなさいと引っ込むしかない。ガラパゴス化おおいにけっこうだと思っている。一時代遅れて取り残されれば本望だ。どうぞお先に行ってください。私はわたしのやり方でやるしか方法を知りません。あしからず。


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ポケットの窓から - 2015.12.20(ポケットの窓から)
はる 5377
 今年もあと10日ばかりになった。なんということだ。


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- 2015.12.19(未分類)

1990年「小梅」F6
油彩

はる 5376 
 金箔を使って日本画のような作品を試しています。まだ油彩画ですが、テンペラに近い描写方法をやっています。売れた記憶はないので、どこかにしまってあるか、潰してしまったのでしょう。25年前の試作です。

「古い写真のデータをデジタルにおこしています。少しずつ昔の作品をアップ出来たらなと思っています。ゆっくり楽しみながらやります」
 




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ポケットの窓から - 2015.12.18(ポケットの窓から)
はる 5375
 今日は何だか寒い。早く寝よ。おやすみなさい。


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- 2015.12.17(未分類)


聖母 
2015

はる 5374
 作品の発表の方法として考えられるのは団体展、グループ展、個展、それからそれらを全部たして3で割ったようなアートフェアがある。このアートフェアについては参加したことがないし、呼ばれたこともないので詳しい事はよく知らない。聞いたところによると画廊企画の見本市みたいなもので、各画廊の一押しの推薦作家が個展形式で発表するらしい。だからいちいち画廊を回らなくてもそこに行けば今の現状が分かるということらしい。とにかく集客力が半端ないく、海外ではこういった方法が主流になりつつあるらしいな。

 でもまぁ日本の美術市場を考えるとちょっと違うかなと思うところもあるな。なんだろう、そこに行って催し物としてみいることはあっても絵を買うかな、大体コレクターというのか絵を持つ、買って楽しむという文化が育っていない。教養として絵を観る習慣はあるけれど、絵を買って楽しむという文化が育っていないな。必要としていない。絵を描くことはあっても他人の絵を自分のものとして臨場感を持って鑑賞するすべを教わってはいない。教養として印象派や西欧の名画が来れば並んで観に行くけれど、だからそれが自分の生活の楽しみの一つとして身にはなっていない。

 学校で絵を勉強していた時も思ったことなんだが、人間のたしなみとか教養としての美術というのじゃ弱いんだよな、結局あってもなくてもいいものとして淘汰されてしまう。表現する立場からいってもそんなどうでもいいことに自分の一生かけるのはむなしい。もっと切実に人の感情に訴える物であってほしいと思うわけだ。音楽みたいにね。ダイレクトにゆさぶりたい。

 まぁそう考える結局限られた人をターゲットにするしかないのかなぁ。絵を観ることは自分をみつけることなんだけどな。そこのところを啓蒙して行くしかないか。
 


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今日のアトリエ - 2015.12.16(ポケットの窓から)
 はる 5373
 私が絵を描いているのは、今では生活の糧にというのが大きいのだけれど、糧を得るというだけならばもっと他に効率のいい事をやっていただろう。公務員になるつもりはもともとなかったけれど、何か新しい仕事を考えて起業するというのも面白そうだし、どこかにお店を開いて商売するというのも一つのやり方だと思う。独立心が旺盛なので人に使われるのはたぶん良しとしなかっただろう。

 (まぁそれで前にも書いたけれど。絵を描いて収入を得るなんて随分と優雅な生活だねと勘違いされると困るのでここでもう一度断って置こう。貧乏ですよ。でも選択の問題だと思うんだな。みんなと同じようにはいかない。奥義はあるだけのもので生きるそれだけのことなんだな。それ以上でも以下でもない生活をすればいい。何とか工夫して生活する。生活することを楽しんでしまう。そう考えると好きな事で生きて行くのはそう難しい事ではないように思うがどうでしょう)

 私は絵を描くのは修業だと考えている。絵を描いて生活するというのはもっと後で成り行きでそうなっただけで、結果的には絵で食っているけれど、それが目的ではなかった。目標ではなかった。というのが大きいと思うな。そうでなければこんなに効率の悪い仕事などやらなかっただろう。なんか胡散臭いものな。絵描きなんてね。

 だから、それなりに名前が通っていて一家言持つ作家が、「私が、私が」と言っているのを聞くとがっかりする。そんなことのためにあんたは絵をやっていたのかい?何にも人格が磨かれていないじゃないの、絵が上手いだけ、世渡りが上手いだけじゃ、あえてメンドクサイ絵なんかやる必要ないじゃんなんて思うわけだ。

 違っていたらごめんなさい。今日は悪態をついてしまいました。

 


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ポケットの窓から - 2015.12.15(ポケットの窓から)

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はる 5372
1999年「こたえてください」F30
ミクストメディア
 ミクストメディアについて質問がありましたので、ここでちょっと触れておきます。
 絵を分解すると、描く物と描かれる物に分けられます。描くものとは鉛筆であり、絵の具であり、墨であったりする。描かれる物は紙だったり、キャンバス、絹、板、壁など色々ある。
 基本的に絵は色の粉をノリで描かれるものに定着した物と定義できる。油彩画は顔料をノリとして乾性油を用い、日本画は膠を用いる。
 ミクストメディアはノリとしてアクリルのメジュウムを用いる。 アクリルは水を仲立ちにすることで親水性のあらゆるものが画材になります。たとえば、紙、木、布、土などを同時に絵の具と混ぜることが出来る。粉のものなら何でも絵の具に出来る、たとえば、弁柄、とのこ、黄土、胡粉など。描かれる基底材もほとんど選ばない。木工ボンドも使える。
 少し乱暴に用いても全く斟酌しないところが私のいい加減な性格とマッチしたということです。
 





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ポケットの窓から - 2015.12.14(ポケットの窓から)
はる 5371
 今日はもう寝ます。おやすみなさい。


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ポケットの窓から - 2015.12.13(ポケットの窓から)
はる 5370
 クリスマスのデコレーションです。なんだか子供じみていますが、毎年こんなことをやっています。そういいえばこの布をプレゼントしてくれた彼女ももう何年も前に亡くなってしまった。私もそう遠くはありませんが、もうしばらく遊ばせてもらいます。


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ポケットの窓から - 2015.12.12(ポケットの窓から)
はる 5369
 恩ある大事な人が今日亡くなった。私が若い頃に随分と助けてもらった。この人がいたから今の私が居ると言っても過言ではない。知り合った頃のあの人は本当にすごく輝いていた。怖いものは何もない、そんな感じだったな。それこそ、清濁併せ持つその通りの人だった。

 これで少しは心静かに休むことが出来ますね。どうもありがとうございました。


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ポケットの窓から - 2015.12.11(ポケットの窓から)
はる 5368
 私は下戸だ。ほんの少しのアルコールでも反応する。例えば注射する時にアルコールで消毒するのだけれど、それだけでも皮膚は真赤になる。何か食べに行った時に少しでもアルコールを感じると何となくわかる。昔はそれでも練習すれば少しは飲めるかと努力はしてみたが、結局無駄な努力とわかった。飲めないことがみんなの知ることになると、無理に勧められることもなくなった。まぁ誘われることもなくなった。ちょっと寂しい。。

 というわけで、個展で甘いものを貰うことが多い。それからお花も多いな。十二月は玄関先はお花やさんのようだ。

 ところで写真の花束は貰ったものではない。明日はカミさんの誕生日ということで、そうだな結婚してから毎年バラの花束をプレゼントしている。私の誕生日は春なので満開の桜の枝ものを貰う。これも長年恒例の行事みたいなものだ。


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今日のアトリエ - 2015.12.10(ポケットの窓から)
はる 5367
 生業について考える。場当たり的なのであしからず。

 最近は卒業展に画商が来て若い才能がありそうな作家に唾をつけるそうだ。学生の方も心得ていて自分の作品ファイルをそれとなく置いて自己アピールするのだそうだ。これも就活の一部なんだそうだ。絵描きというのは職業なのかな?どこかの企業に就職つもりでいたのじゃ結局上手く使われて終わってしまうのじゃないだろうか。まぁそれでもいいというのじゃ反対はしないけれど。就職してちゃんと働けるならそちら側の生活を選んだ方がいいように思うな。

 時代小説が好きでよく読むのだけれど、武士というには今で言えば役人だだな。使えている殿様から録を貰うわけで、それが親から子、孫と伝わってゆく。そのシステムから外れると浪人となってたちまち食って行けなくなる。百姓はまぁ定期の収入はないけれど、自給自足に近いわけだからそれでようよう食っている。大百姓でもない限り余裕などないわけで、生きて行くのがやっとだ。商人というのが今の会社みたいなもので、何かしらを商って食っている。そこに奉公に出るわけだ。後は色んな職人だな。

 食べて行く方法は色々あるけれど、家業が百姓だったり、何か商売していたりしているのでなければほとんどの場合どこかに就職するわけだ。サラリーマンの方が定収入があって人生設計が立てやすいからという事もあるけれど、働くこと=就職するというイメージがあるな。まぁそれが実業という訳で、世の中が成り立っているのはそういう人たちが働いてくれるからだ。だからそこで働けるならそうした方がいいと思う。

 しかし、そんなふうな生き方から外れてしまう人もいいる。例えば役者だとか、的屋とか、音楽家、宗教家、芸人、踊り子、作家、医者や弁護士、先生と言われる職業もどちらかと言えばこちらに属するかな。こういうのを虚業という。社会の枠の中では生きられない人たち、アウトサイダーかな。たぶんこれは天性の物だという気がするな。


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ポケットの窓から - 2015.12.09(ポケットの窓から)
はる 5366
 長い旅を終えて帰ってきて、最初の頃は何にも変わらんのだな、あれだけ意を決して何もかも捨て置いて出かけたにもかかわらず、何の変化もないように思われた。確かに一年で何かが変わるほど人生は軽くない。ところが長い目でみるとそれ以前と以後では何かが決定的に違っていることに気付く。

 どうにかして世の中に認知されたいという大きな焦りみたいなものが無くなった。だからその後一切コンクールに出品していない。どうでもよくなったという投げやりなものでもないな。焦っても仕方ない事で、自分の出来ることを淡々とやり通すだけだという根性が座ったということだろうか。

 その後は個展を中心にすえて発表して行くというスタイルにかわった。


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ポケットの窓から - 2015.12.08(ポケットの窓から)
はる 5365
 銀座で個展を始めた頃に、昔から銀座で個展で発表している作家に言われたことがあった。君は上野派、銀座派、デパート派のどちらかね。最初は何の意味かよく分からなかった。今から考えるとまぁそれなりに分かる。

 上野派=団体展に年に一回大作を発表する、主にカルチャーの先生とか学校の先生など教えることで食べるタイプ。銀座派=個展を中心に全国で発表して行く、主に小品が中心の絵描きタイプ。デパート派=一般に大衆受けする売り絵を描いて絵を生業にしている職人タイプ。

 今の私は、団体展にも属していて、銀座を含めた全国で年数回個展をしてまわり、デパートでも時々個展をする。すべて網羅しているので複合タイプだな。だからそれぞれのいいところ悪いところがよくわかる。お互いに他方の事は批判的に語ることが多い。やれ売り絵作家だ、やれ売ることを知らない自己満足だ、趣味の領域でしかない。売ることだけを優先する芸術家の風上にもおけない、、。etc.

 今のところ私はどれも大事な私の一部で、どれか一つだけというと何だか頼りない気がするのだな。昔からどれか特定のグループに所属するというのが嫌だった。色んなグループに入ってどこでも自由に居られる、反対に言えばどっちつかずの優柔不断な場所というのが自分にピッタリという気がする。そんなところをあえて選んできた。だからこれからもこういう位置に甘んじているのだろうなと思う。

 ある種の許容量の問題じゃないかな。悪く言えば優柔不断で判断しにくいということだけれど、よく言えば清濁併せ持つというのか、絵にしても具象系から抽象までかなりの範囲を許容できると思っているつもりだ。

 判断の基準は自分のアンテナで「いいものはいい」それだけだ。

 


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今日のアトリエ - 2015.12.07(ポケットの窓から)
はる 5364
 今日は年賀状を印刷した。年賀状はもう決まった人にしか出さないことにした。どうしても出さなくてはならない義理ある人と昨年度お世話になった人だけです。新しく増やしてゆくと止めどもなく増えてゆくので、もう止めにしました。お返事も出しませんので、不義理をお許しくださいな。家内は来た人だけに返事を書くそうです。それはなかなか上手い方法だ。

 なぜイタリアだったのか未だによくわからない。西欧に遊学すると決めた段階でイタリアに決まっていた。フランスはオシャレで気取ったイメージがあるし、スペインは反対に土臭い田舎のイメージ。その中間をとってイタリアになったのかな。まぁ当たらずとも遠からず、イタリアは堂々とした田舎町だった。どんな生活だったのか、そこらあたりの事は下のイタリア滞在記に詳しく書いてあるのでお暇な時にどうぞ。

http://enami.sakura.ne.jp/gabun/gabun.html
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 その一部を抜粋
 「日本にいれば、様々な情報が入ってくる。いいか悪いか別問題として、かなり影響され る。そういった情報から全く切り離されて、なにも考えずに、風景と対峙して筆を動かし ていると、絵を描くことが好きだったのだと改めて感じた。

 町には観光客もいないし、もちろん日本人などいない。私がその日何処で絵を描いてい たか、家に帰るとマリアが知っているということがよくあった。誰かが見かけて彼女に連 絡したのだろう。

 目立つ存在であることは嫌な面も多い。最初町中を一人で歩くのが憂鬱 だった。日本にいる外人が視線を感じて辛いと聞いたことがあるが、分かる気がする。そ れもしだいに慣れては来るのだが。

 石畳の階段に座って描いていると、何故か近所の猫や犬が集まって来た。同類のものを 感じたのか、不思議なものを感じたのか、聞いてみたこともないのだが。

 昼食時になると処からとなく教会の鐘が聞こえて来る、家の主人がスクーターでパタパ タ帰って来る。ラジオからはパバロッティーの歌声。誰かがそれに合わせて口ずさむ。隣 の家では大声で夫婦喧嘩。猫がミャーと鳴く。急いで片づけて家路についた」
 

 


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今日のアトリエ - 2015.12.06(ポケットの窓から)
はる 5363
 今日は年賀状を考える。また明日。


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ポケットの窓から - 2015.12.05(ポケットの窓から)
はる 5362
 隣の家との境界に植えた梅の木です。今年は暖かいのかまだ少し葉っぱが残っています。昼飯を食いながら何だか異様に明るいなぁと思って窓を開けると隣の家の白壁に午後の光が反射して神々しく輝いておりました。隙間から切り取られたように見える青空が怖いような青色でした。こんなところにも幸せが転がっていました。美も幸せも見える人にはみえるのです。そんなことを感じた秋の午後でした。


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今日のアトリエ - 2015.12.04(ポケットの窓から)
はる 5361
 そうやって個展を主体に活動を始めて五年ぐらい経って大きな転換期がやってきた。その真っ只中にいるときは何も感じなかったのだけれど、今から考えると大きな転換期だったのだと思う。

 80年代終わりから90年代初頭の日本は今の中国のようにバブリーな好景気で浮かれていた。色んなところでお金が余って公共事業にわんさかとつぎ込んで、それが当然のような顔をしていた。株価は三万を超えていたのじゃなかろうか。俄かに絵画ブームなとという博打がまかり通っていて何億などという絵画が日常的に売り買いされていた。私が関係していた画廊でもオーナーが風呂敷に包んだ物故作家の絵を商談に持ち歩いて出かけていたのを思い出す。幻想の経済が実体を凌駕して、これがいつまでも続くと勘違いしていたように思う。

 絵画コンクールも盛んに企画されて企業が冠の尽きたコンクールをやったり、画廊が新人を対象にしたコンクールも随分たくさんあった。地方が町おこしの思惑でコンクールを企画することも多かった。その中で私の出身地である神戸が「1993アーバンリゾートフェアー・印象神戸」などという浮ついたコンクールを打ち出した。条件が神戸を訪れてその印象を絵画にするということだったように思う。詳しい事は覚えていないのだけれど、とにかくその時の大賞の賞金額がいままでのコンクールでは考えられないくらい高額だった。

 個展をやりながら漠然と考えていたのは、イタリアに遊学すること。当時生きて行くことがやっとの状態でどこからそんな夢が出てくるのか今考えてもよくわからないのだけれど、何故かイタリアに行くというのは既成の事実として私の中に出来ていた。今やっている仕事も一年休む、その他諸々準備は整いつつあったのだが、一番の問題は資金がないということ。

 そこにこのコンクール話が舞い込んできた。その時ひらめいた。そうかこれでイタリアに行ける。まだ絵も出来上がらない状態でこれは私のために企画されたコンクールだと思った。そして実際にこれを引き当てたのだ。

 後日談として、その後バブルの終了ということもあるけれど、1995年は阪神淡路大震災で神戸は大打撃をうけコンクールどころではなくなってしまった。それ故にこのコンクールはこの一回で終わってしまった。展覧会をした博物館も無傷ではすまず、市役所は三階部分がぺしゃんこになり、オープニングパーティをしたホテルなどは無残に瓦解してしまった。


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ポケットの窓から - 2015.12.03(ポケットの窓から)
はる 5360
 今日は何だか眠たい。


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ポケットの窓から - 2015.12.02(ポケットの窓から)
はる 5359
 絵描きのスタイルとしてやり方は色々あるように思う。これというやり方はない。私がこうやって来たからすべての人にもこのやり方が該当するかといえばそんなことはない。すべて自分で見つけて行けばいいことなんだ。正解はない。

 ただ求めて一生懸命活動すればチャンスは自ずからやってくるように思うな。どうせやっても無駄だとあきらめるとそこでチャンスは逃げて行く。

 私が銀座で個展を始めたのは1988年からで当時準備できた資金は10万円しかなかった。それで画廊代からDM代、滞在費、搬入出代、すべてをまかなうつもりでいた。当時仕事を辞めてぷー太郎同然で、銀座で個展をやるなどというのは夢の夢でしかなかった。それでもとにかく銀座で個展をやらなければ絵描きとしてとてもやって行けないだろうと勝手に決めていた。必死の覚悟で始めたんだな。むろん搬入などは自分の車に家財道具を積んで旅芸人のごとく出かけた。滞在はウイークリーマンションを借りて経費を浮かせた。結婚して間もなくのことだったので、そんなことも楽しい思い出だ。もう30年も前になってしまった。

 第一回の銀座の個展は多くの知り合いが来てくれた。もちろん神戸から親や兄弟も大挙して駆けつけて来てくれた。ご祝儀やらなんやらで結構な収入になったように思う。これが勘違いの元なんだけれど、なんだかこれでいっぱしの画家になったような気持ちがしたんだな。一年個展の経費をためて何とか銀座で個展を開催するというスタイルを5年ぐらい続けた。

 当時はコンクールで一発当てたいという山っ気もあって大きい絵の発表の場も模索していた。身近で大きなコンクールで受賞して一躍スター街道をばく進して行く人がいたので、あわよくばと考えたのは若気の至りでしょうがない。当時は冠のあるコンクールで受賞するしか画家として食べて行く方法はないと思っていた。

 つづく


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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