あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2015.11.30(ポケットの窓から)
はる 5357
 絵描きなどという仕事は胡散臭い商売で、まっとうに毎日汗水流して嫌々ながらも働いている人たちには恥ずかしくてまともに顔を合わすことができない。何か生活に役立つ職人仕事なら大手を振って人様と対峙する事ができるのだけれど、何だか自分でやっていて詐欺師のようで居心地が悪い。とにかくそんなに真面目に絵ばかり描いているわけではないからなぁ。。

 実際に志として「絵描き」を目指していたのかどうかもあやふやだ。何となくそんなふうに生きて行けたらなぁ、、ぐらいの気持ちではなかったかな。どこか専門の美大とか芸大を出たわけでもないし、大師匠について修業したわけでもない、自分勝手に無手勝流でやってきただけだから、こうすれば絵描きになれるんどというアドバイスなどできない。

 30歳になった時に学校の先生を辞めた。これが大きいね。いずれ辞めただろうけれどたった一年で正規の公務員である教師を辞めた。どうあってももう仕事には就かないと決めた。そうでなければ学校の先生を辞めた意味がないと思った。絵を描きたいというのは体のいいいいわけだね。本当にその時に絵をやりたかったのかどうか、わからない。とにかくあの憂鬱な日々から逃げたかったというのが正直なところだろう。

 みんなそうなんだろうか?私だけ特別なんだろうか?毎日同じ時間に勤めに出るということがだんだん苦痛になる。たとえて言えば日曜日の午後の憂鬱。それの大きい奴。自分の人生だろう、自分の好きなように生きてもいいのじゃない、憂鬱で暗い顔して毎日暮すよりも、甘いかもしれないが、どれだけ自由に生きられるか分からないけれど、やりたいようにやってみたい。そんなふうに思ったな。

 絵を生業にしているけれど、勘違いしないでほしい。食べるということはこういうことなんだな。例えば年間で100万の稼ぎしかないとする。それならそれで仕方ないわけで、それ以上でも以下でもない生活をすればいい。150万でも200万でも同じことだ。他の人と比べる必要はない。自分の時間と工夫で死なない程度に食べて行ければいい。何を取ってどれを捨てるかだな。みんなと同じようにとはいかない。それはとても楽しいことだ。みんながやっていることをすればシャカリキに時間を惜しんで働かなくてはならない。だから価値観を変えれば好きな事で食べるなど意外に簡単な事ではないだろうか。

 後は根性をくくるだけ。背水の陣をひくことだな。


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ポケットの窓から - 2015.11.29(ポケットの窓から)
はる 5356
 塗装はなかなか難しい。youtubeでやっているのをみると簡単にみえるけれど、それほど簡単ではない。特に素人はやったことがないので、途中の中途半端なまだら状態をみるとほぼ絶望的な気分になる。とにかく少しずつ乾かしながら繰り返して吹き付けてゆくことがコツかな。一度に厚く吹き付けると塗料が垂れて来て悲惨な状態になる。

 ↑の写メではほとんど分からない状態に見えるけれど、実際はそうでもない。近づいてみると違いが分かる。色味も全く同じという訳にはいかないな。ホームセンターに行って車の塗装コーナーに行けばどれだけ多くの種類が出ているのかわかる。赤と言っても実に様々な赤があるわけで、メーカー、車種によっても違う。元々の色がどういう風につけられているのか分からないのだけれど、エアーの吹き付けでラッカー塗装とはかなり違うような気がする。全く同じにはとてもできない。

 しかし、素人が何処まで本物に近づけることが出来るか?もう少しやってみたい。


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ポケットの窓から - 2015.11.28(ポケットの窓から)
はる 5355
 還暦を迎えた時に車を真赤にした。だから今年で三年目になる。この前の車は4wdのでかい車に乗っていた。この車だと多少の段差などもろともせず、乗り越えていった。車止めなど簡単に乗り越えた。しかし、普通の乗用車になって驚いたのは車止めに車の底が当たってしまう事だ。なんでだ。車止めの役目がないではないか。

 というわけで、散々底を擦ってやっと最近注意するようになったと思ったら、今度はバンパーの横の部分をぶつけてへこましてしまった。ぶつけた時はバンパーも車体から外れて半分落ちかけていた。写真を撮っておくべきだったな。もう交換しか手はないかなと思ったんだけれど、ネットで調べると10万ぐらいかかりそうだ。バンパーの部分は底の部分もかなりこすっているから、この際交換するかとも考えたのだけれど、だめもとで自分で何とか修理できないか、これまたネットで調べてみた。

 へこみは5mm以上ある。普通のうす塗パテでは埋まりそうにない。かなりの厚塗りのパテである必要がある。ネットで観たところ自分で出来そうな気がする。やってみるだけの価値がありそうだ。失敗しても元々だし、誰にも迷惑をかけない。DIY魂に火がついた。

 まずはへこんだ部分の塗装を落とす。少しオーバー気味に丸く落とした。下地の強化プラスチックの部分まで落とす。それにパテをこれも少し盛り上げる感じで塗りつけた。ここでパテの説明書を見ると何と鉄以外には使えないと書いてあった。もう後にはひけない。剥落したらまたその時に考えよう。もっと前にしっかり説明書を見るべきだった。ガ~ン。

 水やすりでとぎ出した。今のところ剥落していないけれど、どうなんだろう。明日は塗装に入るけれどだめかもしれんな。


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ポケットの窓から - 2015.11.27(ポケットの窓から)
はる 5354
 私が若い頃は日本もまだ貧しくて、がむしゃらとか一心不乱などという言葉が称賛、褒め言葉として通用していた。私なんかはまだまだアマちゃんで兄貴なんかとくらべると根性が違うなと思うことが多々ある。私が五人兄弟の末っ子というのも大いに関係しているだろう。

 それでも自分の中の生きて行くモチベーションの中に「親からの自立」というのが何となくあった気がする。何としても親掛かりの状態から、自分で稼いで少なくとも自分の口は自分で糊する、というのが大事な生きる動機でもあったわけだ。

 とにかく親から小言を言われないためには、自活するそれが絶対の条件だった。自由と言えば大げさだけれど、未成年の若者にとって親というのは世間なわけで、親からお金を貰っている、食べさせてもらっている限り対等ではない、自由ではないと思っていた。

 そうはいっても私はモラトリアムの学生だった時期が人より長い。三十近くまで親に仕送りしてもらっていたのだから、何も偉そうなことはいえないな。でもな、何とか自立したいという願望は常に持っていた。

 この間の個展の時にちょっと面白い話を聞いた。我々の世代が求めていたのは「何でもできる自由」だと、それも幻想なんだけれど、まぁ自由というのはそんな定義で考えていた訳だ。ところが最近の若者は親掛かりで「なにもしない自由」というのを自由だと解釈しているというのだな。なるほどこれはいいえて妙だ。だからなかなか親から自立できない若者が多くなったというのだな。


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今日のアトリエ - 2015.11.26(ポケットの窓から)
はる 5353
 今年一年の予定が全て終わった。毎年年末は東京で個展を開催していたので、こうやって年末に家に居るのは何年ぶりのことだろう。ないとなると若干寂しいのは貧乏性ということだろう。あわただしく駆けずり回っているのも私のじんせいかもしれんなぁ。

 というわけで、今年の後片付けをしながら来年度の予定をアップした。来年もまた六ヶ所で個展を開催する予定。何でそんなに沢山やるの?と言われるのだけれど、けっして売れっ子なのではない。反対に売れないから、売れ残るから沢山やるのだ。分かる?一か所で済むならその方がずっといいのだよ。

 2016年度の予定
http://enami.sakura.ne.jp/koten/koten.html
 
 私はまぁ一生こうやってドサマワリの旅暮らしでしょう。楽しいかな我が人生!


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今日のアトリエ - 2015.11.25(ポケットの窓から)

はる 5352
 まぁ好事魔多ってわけで、車をこすってしまった。バンパーがおしゃかになってしまった。この雨の中よく見えんかった。まぁ自損だから良しとするか。あぁ~最悪だ。


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今日のアトリエ - 2015.11.24(ポケットの窓から)

はる 5351
 いよいよストーブのきせつだな。個展が終わって腰痛が出てきた。どうも重い荷物を運んだ時にひねったかもしれない。あまり自覚はなかったのだが、腰に力が入らないと何もできないということがよくわかる。という訳でまだ片付けが出来ないでいる。今日は比較的に楽になった。このまま沈静化することを願う。

 昨日だったか、車に乗っていてラジオを聴いていたら、福島から二時間放送という企画をやっていた。地元のNHKの企画もので全国ネットで放送している。昼間のNHKラジオだから真剣に聞いている人も少ないのかもしれないが、めちゃくちゃな内容だった。ネットは風評の垂れ流しで諸悪の根源的な言い方だったな。食べて応援、来て応援、もうほとんど復興が済んでるので多くの人が昔の生活に戻れます。そんなおおらかな内容だった。聴いていてこんなでたらめな放送していいのかと思った。何でやねん、どこが大丈夫やねん。今もばりばりに放射能漏れてるやん。

 この国はどないしたん?まっとうな道理が言えんようになってきたんか。そやなぁ、昔からお上の言いなりだったから、いまさら異を唱えることがはばかられるのかな。なんやオカシイで。他の事はもうしゃあない大目にみよう、そやけど原発だけはあかんで。あんなもんテロにおうたらこの国はもう誰も住めんようになるで。そやのうても、事故起こしてんのに、人がコントロール出来ん機械なんかつこたらあかんで。

 もうあきれて何も言いたくないわ。みんな死んだらええわ。そこまで行かんと気が付かんやろ。アホすぎて。


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今日のアトリエ - 2015.11.23(ポケットの窓から)

はる 5350
 終わって後片付けをやらなきゃと思うのだけれど、まだ何もやっていません。これが結構面倒くさい。来てくれたお客さんのデータを更新する。一年経つと結構引っ越しする人も多いのでDMが返却される。そのデータを削除するなり、分かる人は更新する。

 帰ってきた作品を入れ替える作業。そんなこともある。

 今日は眠いな。ごめん。


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楽日 - 2015.11.22(ポケットの窓から)
はる 5349
 終わりました。充実した疲れです。来ていただいた方、お忙しい中をありがとうございました。また来年同じ頃同じ場所でお会いしましょう。


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個展7日目 - 2015.11.21(ポケットの窓から)
はる 5348
 七日目が終了しました。今年も名古屋から、京都から友達が来てくれました。ありがたい事です。明日は五時までですよ。お間違いのないように。


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個展6日目 - 2015.11.20(ポケットの窓から)
はる 5347
 今年の個展も、いよいよ残り少なくなってきました。今年は毎年開催している年末の銀座の個展がないので、若干寂しい気がしています。なんだろうね。

 連日結構たくさんのお客さんが来てくれます。毎年開催しているにもかかわらず、嬉しい限りですね。

 後二日楽しみます。


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個展5日目 - 2015.11.19(ポケットの窓から)

はる 5346
 さすがに疲れてきました。ごめんなさい、また明日。


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個展4日目 - 2015.11.18(ポケットの窓から)


はる 5345
 個展4日目
 夜は定時制の授業疲れました。よってまた明日。

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今日のアトリエ - 2015.11.17(ポケットの窓から)

はる 5344
 どうもね、昨日から少し腹立たしい思いをしている。人と言うのはとても悲しい動物で、少しばかり権力を持つとそれを使いたがる。それは大は国家権力から小は交通整理の旗振りのおじさんまで、みんな力を持つとどうしても使いたがるものなんだな。

 何人か集まると必ず徒党ができる。その集団が大きくなればなるほどその中での権力争いが激しくなって、勝ったものは負けたものを排除する。まぁ人は社会を作る動物だからと言ってしまえばそうなのかもしれないが、そういった徒党による圧力みたいなものに凄く反発を感じるのだな。

 どんな世界でもそれに似たようなことがある。明らかにわかる序列があって、序列の上のものは下のものを上から目線でみる。下のものはなんとか少しでも高い位置に上りたいとしのぎを削ることになる。何か明らかに分かる物差しがあるなら分かりやすいのだけれど、そういったものは存在しない。だから出来るだけみこがいいように上のものには逆らわないようにするわけだ。それでますます助長することになる。

 力を持った人間が順当な器であるならまぁそれは多少なりとも認めてもいいのだろうけれど、多くの場合そうではない。たまたまそういった機会に恵まれた、コネがあった、お金があった、ある種の才能があったということなんだろうけれど、そのことでその人の人間性が優れているということにはならない。往々にして力を持ったことで満足してしまうのだ。役人とか管理職とか高学歴のエリートさんに多いな。

 


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ポケットの窓から - 2015.11.16(ポケットの窓から)
はる 5343
 個展3日目
 三日目になると少し落ち着い来た気がするね。明日はお休みです。お間違いのないように。

 作品のアドバイスというのはけっこう難しい。何か見本があってそれに近づけるというのであれば正しいとか間違えているというのは客観的にあるのだろうけれど、表現という事になると何が正しくて正しくないかは観る人によって違う。これまた好みとか趣味ということになる。

 アドバイス、指導する、教えるというのは結局のところ指導者の物の見方、感じ方を言葉は悪いけれど押し付けるということになる。まったく偏見のない客観的な指導などということはないのではないか。だから指導者が変われば全く違うということはあり得るわけで、沢山のひとに教えを乞うというのは結局は何も教わらないと同じことだ。

 出来るだけ高い位置からアドバイスできる指導者を選ぶべきだ。でなければ結局足を引っ張ることになるだろうな。

 

 


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個展2日目 - 2015.11.15(ポケットの窓から)

はる 5342
 個展2日目
 昨日のライブの疲れが少し残っていますね。しかし、楽しかったですね。またやりたいな。


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ポケットの窓から - 2015.11.15(ポケットの窓から)

はる 5341
 個展1日目
 オープニングの様子。でも帰ってきたのは午前様でした。疲れました。また明日。


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ポケットの窓から - 2015.11.13(ポケットの窓から)

はる 5340
 個展前夜
 明日から地元甲府の個展が始まります。今年は久しぶりにオープニングパーティをする関係でカミさんが何かかやと画廊の裏に運び込んでおります。それに付き合う私は下僕のようです。パーティが主体なのか個展が主体なのか分からなくなってきます。まぁみんなが楽しければそれでいいというコンセプトで大いに楽しみたいですな。明日は一日冷たい雨のようで、すこし悲しいな。何とか持ってくれるといいのだが。。


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ポケットの窓から - 2015.11.12(ポケットの窓から)

はる 5239
 飾り付けをしてきました。明日は一日お休みをして明後日からです。よろしくお願いします。


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ポケットの窓から - 2015.11.11(ポケットの窓から)

はる 5238
 今日の日日新聞に個展の案内が掲載されました。地方のいいところはこうやって少し活動すれば大きく取り上げてくれるところですね。東京みたいな大都会では多少活動したとしても新聞などで取り上げてくれることはない。まして個展の案内など小さな一般の記事で取り上げてもらえればいいほうだろう。

 ということで、明日搬入します。


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今日のアトリエ - 2015.11.10(ポケットの窓から)

はる 5237
 今日は学校ですね。疲れました。また明日。


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ポケットの窓から - 2015.11.09(ポケットの窓から)

はる 5236
 自分の中の反体制的な心情というのはどこから来ているのかな。よくわかりませんが、それほど表だって活動することはないのだけれど、基本私の中には反体制的な気質があるようだ。反社会というより非社会だとは思うのだけれど、どうにも権力というのが嫌いだな。力を持った者が力ずくで物事を通そうとすることに凄い抵抗を感じる。

 徒党を組むことが嫌いだ。そういった徒党の政治力で物事を自分たちの都合のいいように運ぼうとすることに、凄い反発を感じるな。だから自らも出来うる限り徒党を組みたくない。そうやっていままで生きてきたからいまさらと言う気がする。

 人間がいることろには必ず徒党ができて自然に政治が生まれる。だからそういった組織を動かす人間が必要だということは分かる。すべてが私のような集団を嫌う人間ばかりだったら組織は路頭にまよう。集団の頭になる人は必要なんだな。だからまぁある程度の強制力はしかたないにしても、最近のことを考えるちとやりすぎだと思う。

 このまま大本営発表ばかりを信じると、たぶん日本は近いうちに持たなくなるのじゃないかと危惧するな。


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今日のアトリエ - 2015.11.08(ポケットの窓から)

はる 5235
 今日は一日雨でした。こういう日は何となく憂鬱になるね。

 個展が近いのでそのための準備をする。年に何回も個展をするけれど、地元と他の場所の個展では大きく意味が違う。外から見れば何も変わらないように見えるけれど、大きく違うのだな。

 主催者が違う。他の場所の個展は私は企画される招待作家ということだから、基本的には私は作品だけ揃えれば後はすべて画廊なり、画商さんがDMから作品の搬入、飾り付け、接客、販売、作品の搬出まですべてやってくれる建前になっている。私などは三下の作家なので、そんなに偉そうにふんぞり返っているわけにはいきませんが、建前はそういう事なんだな。

 画家という商売はこういった間に入ってくれる、画廊さんや画商さんとどれだけ本気になって付き合えるか、本気にさせることが出来るか、にかかっているように思います。自分だけでいくら頑張っていても、いずれはやって行けなくなります。私にも生活が有りますが、相方にも生活があるのです。それを無視して自分だけではやって行けないのですな。

 地元の個展は主催者は私です。だからすべて自分でやります。まず一年前ぐらいに画廊を押さえます。展覧会の三か月前くらいにはDMの制作、発注、郵送、額の注文、発注、額入れ。とても大事なのはすべて私のお客さんなので、その顧客管理が大事です。展覧会が始まれば一応画商さんの真似事もしなければなりません。一番自由がききますが、大変な事も事実です。だからコンサートなど企画してちょっとお遊びも兼ねるのです。楽しみもなきゃね。

 という訳で今週の土曜からです。よろしくお願いします。


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今日のアトリエ - 2015.11.07(ポケットの窓から)

はる 5234
 いよいよストーブが必要なきせつになりましたね。


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ビュッフェ美術館 - 2015.11.06(ポケットの窓から)

はる 5233
 静岡の沼津のビュッフェ美術館に行く。素晴らしい天気に恵まれたということもあるけれど、この美術館の建っている環境がまた素晴らしいところで、ここに居るだけでかなり癒される感じだ。

 世界中には自称画家も含めて星の数ほど画家はいるけれど、彼ほど幸運な星の元に生まれた人はいないだろう。バスの中で話したことだが、良くも悪くも表現者は周りの環境や時代に左右される。時代がいいから優れた芸術家が生まれるともかぎらない。案外戦争があったり、一般にとんでもない時代の方が表現者として優れた作家がうまれるように思う。

 そう考えると、後世からみて今の時代ほど日本から優れた表現者が出るときはないようにも思うのだ。

 自分の周りを見ても多くの人が善良で素晴らしく勤勉で真面目で働き者だ。日々の生活を大事に、家族を大切に暮らしている。にもかかわらず時代はどんどん悪くなる一方だ。どうしてだろう。

 99.9%の上記のような人々がこの社会をつくっている。だから見渡せばほとんどの人が「いい人」なんだ。悪い人など周りにはほとんど見かけない。ただ彼らは声を上げない。声高に自己を主張しないことがいいことのように教えられて育ってきた。そういう文化を良しとしてきたんだな。「空気を読む」という自己規制を自然に身に着けてきた。あえて思っていることを声や文章や形にすることを避けてきたところがある。長いものには巻かれろ的な消極的な処世の仕方を良しとしてきた。

 それをいいことに残りの0.1%の人たちが、自分たちに都合のいいようにこの国を動かそうとしている。形を変えようとしてる。事実もう変わってしまったところもある。

 そんな信じられないような悪魔の使いのような人がいるという事が信じられなかった。それは自分の周りに居る人たちとあまりにもかけ離れていたからだ。周りに居る人たちがあまりにも善良で大人しく、真面目だったからだ。だからすべての人たちはそういう人たちなんだろうと思い込んでいた。しかし、実際のところは彼らは悪魔だった。よく観察しないと分からない。同じような姿かたちをしているから始末が悪い。

 彼らは嘘をつくことなどなんとも思っていない。自分たちだけいい目をみようと思っている。あまりにも堂々と嘘をつくので一瞬正しいかと勘違いしてしまう。彼らと自分たちと同じ良心を持っていると考えてはいけない。そう思うところりと騙される。彼らは人間ではないと思った方がいい。くれぐれもその仲間たちを信じてはいけない。

 この悪魔に有効なのがニンニクではなくて護符「憲法の前文」だ。これをみると悪魔たちは見る間に震えが来て吐き気を催すらしい。何とかしてこれを見ないようにしたいと改憲をもくろんでいる。この護符に絶対手をつけさせてはならない。これは天上の言葉が書かれている。先の戦争の唯一の成果だ。どの国もこれを見習わなくてはならない。絶対の平和はこれによって得られる。イマジンと同じ世界観だ。

 もっとも怖い事は、この日本が終わってしまうことではない。誰も責任を取らず、過ちを認めず、過去を清算せず、あったことをなかったことにうやむやにすることで、若い人たちから正義とか夢とか希望というものを奪ってしまうことだ。言い換えれば悪魔が狙っていることはそのことなんだな。

 声を上げなくてはいけない。嫌だと言わなくてはいけない。お前たちの勝手にはさせないぞと言わなくてはいけない。そう思う今日この頃だ。


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ポケットの窓から - 2015.11.05(ポケットの窓から)

はる 5232
 地面に描いた子供の道路いっぱいの落書き。電車の線路か家なのか、分からないけれどすごくいい。癒されるというのかな。一本の線を引くことで内と外の境界ができる。その線の内側は安全な場所でそこから一歩でもはみ出すと人智の及ばない魔界となる。そういう遊びはよくやった。おしくらまんじゅうもそうだし、Sケンもそうだ。自分たちでルールを決めて、真剣に遊ぶそれがルールだ。

 遊ぶというのは忘我の境地をいうらしい。そういえば遊びに夢中になっている時は、どこか自分ではないものになっている。時間さえも超越して感じなくなっている。まぁ子供時代の遊び程楽しい事はなかったな。

 だんだん世知辛くなって、後先考えずに遊び呆けるというようなことが難しくなってきたけれど、まぁ仕事柄夢の中にいることは多いのかしれん。ただぼーとしているだけに見えるとはよく言われるけれど。。

 さて、明日は教室TAOのメンバーと小さな遠足に行ってきます。ではでは。


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ポケットの窓から - 2015.11.04(ポケットの窓から)
はる 5231
 今日は眠いのでパス。おやすみなさい。また明日。


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ポケットの窓から - 2015.11.03(ポケットの窓から)
はる 5230
 今日は綺麗な青空だったな。散歩の時に写した写メです。私はまだスマホではないので、画像は縦長で小さな粗い画面ですね。それでもこうやって写真を即座にアップできるのは画期的な事。

 今日は祝日で朝遅く川沿いを散歩すると、たくさんの人が同じようにゆったりと歩いていた。テニスコートでは中学生ぐらいの子供たちが何人かで遊んでいた。休みの日はウィークデーと違ってなにかしらのんびりした空気が漂っている。それを横目に見ながら散歩する私たちも何となくゆったりとする。あぁ健康で生きているんだな、幸せなこっちゃと、思わずつぶやいた。横で嫁が「何・・」と一聞き返したが。

 また明日でんな。おやすみなさい。


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ポケットの窓から - 2015.11.02(ポケットの窓から)

はる 5229
 昨日のコラムの「いいね」が100を越えた。いままで100を越えたことなどなかったのにね。たぶんに政治的な発言なのでこういうところで言うべきことではないのかもしれませんが、まぁどうしてもこれだけは言いたかったという想いがあったから、多くの人に賛同されたのかもしれん。

 それもあるけれど、やっぱり多くの人は不安に思っているのだとおもうよ。色んな情報が飛び交っているけれど、どれが本当なのかわけがわからん。全く影響ない、全然大丈夫、福島の事故はもう修復が済んでいるというのから、もう日本はだめだろう、取り返しがつかないところまできている。この幅は物凄く大きい。政府寄りの情報はどちらかと言えば安全だという方で、ネットなんかの情報はだめだという方だ。どちらをしんじればいいの?と思っているはず。

 だいたい、事故当時から情報は隠れてきた。日本のマスコミはほとんど役に立たない。本当の事はほとんど発表されず、大本営で政府の言うことをおさらいしているばかりだった。これは昔からかわらんな。ジャーナリストというのか報道と広報の違いが日本にはない。ややもすると政府の、権力を持っている側の広報に成り下がってしまう。独自性というものが育っていないのだな。批判精神というのか、権力に対して嫌な事を言うのがジャーナリストという使命感がない。だからこう、崩れ出すと一気にあらぬ方向に雪崩を打ってしまう。未だにそうだ。ハロウィンでみんなが騒いでいるのとなんら変わらない。全体主義とハロウィンはにている。もうやばいところにきているな。


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今日のアトリエ - 2015.11.01(ポケットの窓から)

はる 5228
 ここでこんなことを書いても仕方ないのかもしれないが、すべての事、例えば安保法制やTPPやマイナンバーも好きにすればいい、と譲ったとしても原発だけは止めないいかん。最近は原発事故さえ終わったことにして、食べて応援とか使って応援とか言って過去の事にしようとしているようだけれど、これを認めたら何だっていいことになる。事故を起こして何の責任も取らないというのも凄い話だけれど、よってたかってなかった事にしようとしている。日本というのはこんなにいい加減な、でたらめな国だったんだというのを証明しているような話だ。

 よくどこまで事実か分からんから、デマ情報に気をつけろ、元の情報に当たらなければ真偽のほどは分からんぞということを言うけれど、原発が事故起こして爆発して放射線を含む塵をまき散らしたことは事実だ。未だにその根本的な事故の解明さえできていないし、中の様子さえ分かっていない。そこからもたらされる情報さえ我々には聞こえてこないし、分からない。分からないことはなかったことではない。我々には分からないもっととんでもない事が起きている可能性さえある。

 どんどん世の中が反動的になって、一部の人たちだけがあらゆることを知って、あらゆる権利を手の中して、他の者を蚊帳の外に置こうとしている。戦争したけりゃかってにやればいい。ボロボロになってもう一度やり直す方がいいかもしれん。国が無くなっても人間が生き残ればなんとかなる。けれどなぁ、放射能だけは無くならないのだよ。千年たっても残るんだよ。これからの子供たちが決定的な影響を受けるんだよ。これは今の我々の究極の使命じゃないかな。

 原発が爆発して、計画停電などという暴挙があっても、これを機会に原発が無くなるのであるなら、これで日本が三流国になったとしても我慢できるとその時はみんな思ったはずだ。日本人全体があの太平洋戦争でボロボロになってもう戦争は嫌だと思って今の憲法をもろ手を挙げて賛成したように、あの時は本当に原発はなくそう、反原発で一致したと思う。あの時の事を思い出してほしい。

 せめて綺麗な空気と水と土を残そう。


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