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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2015.09.30(ポケットの窓から)
はる 5196
 この間の受賞の話はけっこうな「いいね」を貰った。いままでで一番多いかもしれんな。これってけっこう励みになるね。あぁ読まれているんだというのが客観的にわかる。ただね、毎回FBにリンクしている訳ではないので、いいねが0だから読まれていないとも思わない。やっぱりFBにリンクした記事は読まれる可能性が大きい。ただ個人的な話などあまりオープンにするのもはばかられる時はリンクしない。

 明日は荷物を取りに来る。いよいよ来週から個展が始まる。


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ポケットの窓から - 2015.09.29(ポケットの窓から)


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はる 5195
 県立美術館で開催されている戸塚さんご夫婦の展覧会をみる。旦那さんの方は私の教室の生徒で今年80歳になる。絵を描き始めたのが10年ほど前だからそんなに長いキャリアがあるわけではない。けれど絵の内容は、ちょっと絵を習いましたというレベルをはるかに越えた100号の絵が10点どんと正面に並んでいる。

 奥さんの人形には反対に長いキャリアがある。堅実な真面目な性格を反映して見ている者をふんわりと包むおおらかさが感じられる。我儘な能天気な旦那さんとしっかり者の奥さんの優雅な二人展、

 理想的な人生のしめくくりだと思います。是非機会を作ってご覧ください。


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ポケットの窓から - 2015.09.28(ポケットの窓から)

はる 5194
 村上春樹のエッセイを読んでいて、賞について書かれている部分があった。彼は芥川賞の候補に二度なっていて結局は取ってはいない。いやも世界的なノーベル文学賞の候補になっていて毎年今年こそはと期待されているくらいだから、国内の新人に与えられる芥川賞などどうでもいい事なんだろうけど、ノーベル賞をとるかどうかを含めてどうでもいいことだという風に考えているようだ。

 まぁどうでもいと言うと多少傲慢に聞こえるけど、確かに誰でも褒められると嬉しいもので、若いうちはそれが励みになったり、きっかけになったりすることは大いにあり得るわけだから、どうでもいいというのではないな、どちらでもいいと言い直すか。たぶんそういったニュアンスだと思う。

 村上春樹と比べるのはおこがましいけれど、ご多分に漏れず若い時は賞が欲しかった。無名の作家が世の中で認められるには手っ取り早くコンクールで受賞する、それもできるだけ上位の賞をとることが絶対条件のように思っていた。

 当時の画壇で最高の賞は安井賞であり、売れ筋の画商のバックがついている賞が日動画廊の主催する昭和会賞だった。その他いろいろ冠のついたコンクールはあったけれどこの二つの賞以上のものはなかった。

 ちょうど時代はバブル景気でなんだか浮き足立っていた。そんな時に身近な知り合いが簡単に二つの賞をかっさらって一躍時代の寵児になるなるのを間近にみて、あわよくば私もと夢を見たのは若気の至りと一概には切り捨てられないだろうな。特に絵で何とか食べて行きたいと思っていた人間にはね。

 今から考えるまるで熱病にかかったかのように遮二無二コンクールに挑戦した。同じような絵を並べて描いて、これはAにそれはBにと出品し続けた。結果を知りたい?いままでどこにも書いたことはないけれどね。安井賞には一度推薦されただけで終わってしまった。昭和会は二度候補になったけれど、それで年齢制限で終了。私の挑戦は終わった。

 村上春樹も書いているけれど、賞というのは一時のものなんだな。確かに無名の人が注目されるきっかけになって一時凄まじく売れるかもしれない、時代の寵児になってもてはやされるかもしれない。でもそれはきっかけに過ぎない。結局作為的に誰かが推薦したり、人間関係で受賞したり、そうでなく純粋に審査されたものであっても、誰か人の手によって選ばれたものには、時代の空気、偶然みたいなものが左右して、恣意的なところに流れて行く、流されてゆく。人為的なものはやがては消えてなくなるのだ。今だからそう思う。

 絵を生業にして食べて行くというのはそういう事とはほとんど関係がない。地道に活動して自分のファンを増やしてゆく、それだけだ。


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ポケットの窓から - 2015.09.27(ポケットの窓から)


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はる 5193
 決定稿
「どこにでもある」          榎並和春
最近の私の絵は絵を描くということから随分離れてしまった。ちょっと不思議な話ですね。特に写真のようにリアルな絵がお望みの方も少し私の話を聞いてください。

例えばものを描くという縛りから離れた絵画はただの造形物、オブジェと呼ぶのでしょうか。その時に「いい、わるい」と決めるのは何でしょう。よく言われるのは「好き嫌い」だろう?趣味の問題だろう?それも可ですね。でもそれだけなのでしょうか?

個性的であるというのが現代の芸術作品の最大限の褒め言葉ですが、他と違うということが「いい」ことだとすると、パソコンを含めてこれだけコピー文化が隆盛を極めている時代に、観たことがない、誰の影響も受けていないということはなかなか難しいでしょうね。誤解を恐れずに言うならば、もともと文化とはコピーされてゆくものだという気がします。

アフリカやオーストラリアの原住民の絵や仮面や生活道具や意匠に惹かれるのは、それが個性的だからでしょうか。たぶん彼らには個性的であろうという認識はないでしょうね。反対に木や水や風と一体になって、自分が消えた時に「いい」となるのではないでしょうか。それは「どこにでもある、だれにでもある」人類の共通の記憶に触れたからだと思います。

 私は「どこにでも、だれにでもある」ものを描きたいと思います。それが「いい」ものだと考えるからです。 さて、御来廊こころよりお待ちしております。



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今日のアトリエ - 2015.09.26(ポケットの窓から)
はる 5192
 村上春樹の新刊「職業としての小説家」がたまたま寄った本屋さんにあったので買った。もともとは奥さんが彼のファンだったので、家には彼のほとんどのハードカバー本がある。私は遅れてきた読書家なので本当のところは彼の良さが分かっていないように思う。一番村上春樹らしくないノルウェイの森あたりが一番好きだったりする。

 彼のエッセイはなかなか面白い。彼にとっては専門外だとは書いているけれど、文学青年でない私なんかにはこの方が分かりやすい。今回の新刊も自分の自叙伝に近いかもな。同郷なもので少しヒイキ目に見る傾向は否めない。

 筆一本で食ってゆくと言ってもその食って行き方にも天と地ほど差があるわけで、とてもとても私なんかは絵で食べているなどと大きな口はたたけないけれどね。まぁ違いすぎるから反対にため口でも許されるだろうと勝手に解釈する。

 「何を書くのか?」というのが面白い。普通作家と言うのはやむにやまれぬ内的欲求があってこれをどうしても書きたいと思って始めるわけだ。まぁ一つや二つ誰でもこれというテーマを持っている。それを書くために小説家になったりする。しかし、そういった強い欲求によって書く時期と言うのはそう長くはない。三つ四つ書けばそれで欲求は尽きてしまう。最初の頃の作品はそれなりに面白いのだけれど、段々に書けなくなってしまう。

 作家でも波乱万丈な日常を面白おかしく書いてゆくそういった作家もたくさんいる。まぁそういった自分の身を削って作品に昇華して行くというタイプは一見わかりやすいし、芸術家っぽく見えるので大衆から支持されやすい。一部の天才的な作家はそれでいいかもしれない。でも職業作家としてはそれは長くは続けられない。

 彼の話で面白かったのはそういった内的欲求では書いていないということだ。わたしにはとりたてて書きたいことがないというところから始めている。すごく逆説的だけれど面白い。とりたてて書きたいことがないにも関わらず、なぜ小説など書くのかということがテーマとなりうるということなんだな。だから書きたいことがなくなるという不安はもともとないわけだ。これはおもしろいな。

 私のテーマなどもそうだけれど、いつもひとつ前に戻って考えることにしている。例えばリンゴを描くとして、なぜリンゴを描くのか、色々なモチーフがあるにも関わらず果物を選んだ、その中でリンゴを選んだのはどうしてか?そうするとセザンヌのリンゴの話が頭のどこかにあって、モチーフを選ぶときに何気なくリンゴを選んだとか、リンゴにはアダムとイブの話もある。リンゴはただのリンゴではなく人類の起源の話にもつながる。などなど。

 そうやってどんどん一つ前に戻って考えると、どうして絵など描き始めたのかという原点まで戻って行くわけだ。いろんな自己表現があるにもかかわらず、どうして絵だったのかとか、反対に絵を描くことでなぜ絵を描くのか考えるみたいな話かな。

 
 手直しせずにそのままアップします。話がピーマンかもしれませんがあしからず。


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ポケットの窓から - 2015.09.25(ポケットの窓から)
はる 5191
 年間かなりの本を読む。と書けばすごく文人的な雰囲気を感じるけれど、実際はとても読書家とは言えない。というのは読む本がほとんどブックオフで買ってくる古い文庫本で読めばさっさとまた売ってしまう。教養のために読む読書ではなく単に暇つぶし的な本ばかりだから。まぁそれでも読書には変わりなく、色んなことを教えてくれる。長い旅に出ると少なくとも二三冊は読んでしまう。読む本がないと何となく心許無い。最近では唯一の趣味といえるものかもしれんな。読書する楽しみをもっと昔に知っていれば違う人生だったかもしれん。


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ポケットの窓から - 2015.09.24(ポケットの窓から)
はる 5190
 今日西宮の個展のDM郵送しました。二三日してつかなければメールで教えてください。至急送ります。

 今日は冷たい雨が降っていましたね。いよいよ物想う秋ですな。


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今日のアトリエ - 2015.09.23(ポケットの窓から)
はる 5189
 よくわからないのだけれど、一昔前ではこんな形でごく一部の人たちの都合で法律を変えて戦争に突っ込んでいったのじゃないだろうか。気が付いた時にはにっちもさっちも行かない状態になっていて、それなりに国民もちょっとした興奮状態になって後先考えずに、勇ましい掛け声に高揚感を煽られて、生きて行くためには仕方ない流れに身を任せる多数派によって戦争に巻き込まれ行ったのではないか。

 戦争をしたいなど誰も思ってない、戦争をしないための防衛のための法整備ということでこの法案を通してしまったのだけれど、どうにもよくわからないところがある。日米安保というのはかなり不利益な軍事同盟関係なんだけれど、今までは憲法九条があったためにおおっぴらに戦争に加担することは勘弁してもらっていた。それを今回の法改正でほぼ全面的にアメリカさんの軍事行動のお手伝いをするということなんでしょ。その見返りはいざという時にはアメリカさんが手を差し伸べて助けてくれるだろうという暗黙の了解というのか、日本側の甘い思惑があるようだけれど、それはたぶん期待できんと思うよ。善良な力もちを演じるなどという気はさらさらない。原爆を落とした国だよ。ベトナムに枯葉剤をばらまいた国だよ、イラク戦争を思い込みで始めた国だよ。もっともっとしたたかに戦略を立てていることはまちがいない。アメリカは自国の利益にならないことなど絶対にやらない。これだけは確かだ。

 国会を牛耳っているあの人たちの神経が分からない。自分たちは選ばれた人間で下々とは違うと考えているのではないか。どんなに嘘をついても許される人間だと思っているのではないか。ひょっとすると日本人のふりをしているだけで、本当はアメリカ人なのではないか。そうでなければこれだけ日本人をないがしろに出来るわけがないと思うのだ。ひがんでいるのではなくてね、何か自分たちはエリートで選ばれた人間だ、他の者とは違うという選民意識が強いな。彼らの家系をみいると何代にもわたって何かしら怨念のような、魅入られたものを感じるな。あのような者たちに日本のかじ取りを任せるのは恐ろしい事だぞ。

 世の中こういったエリート意識、選民意識の輩で牛耳られている。大体こいつらは自分たちの非を認めない。何故なら自分たちは選ばれた人間だからと恥ずかしげもなく言う。間違いは人に押し付ける、徹底して保身にまわる。責任をとらない。まだまだあるな。

 しかし、なんだな、こんなことをうだうだ書けるから昔とは違うということだな。大手のマスコミはのど元過ぎれば報道が縮小される。今はもう安保法制の事など言わない。でもこういったネットの世界はずっと続くだろうな。だから権力者はここ狙ってくるだろうな。シールズをつぶしにかかるだろう。本当の闘いは次の選挙だな。おもしろそう。。


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今日のアトリエ - 2015.09.22(ポケットの窓から)


はる 5188
 「どこにでもある」覚書 編集3

 最近の絵は随分と物を描くということから離れてしまった。ものを描写するという事が絵を描くという事だ とずっと思い込んでいた。リアルに上手に描けるということが、絵を描くことだとい う風に思い込んでいた。ものを描くという縛りから離れた絵画はただの造形物、オブジェということになる。その時に「いい、わるい」と判断する基準はどこにあるのだろう。よく言われるのは「好き嫌い」だろう、趣味の問題だろう?しかし、そんなあやふやな基準で判断しているのだろうか。

  個性的であるというのが近代の絵画、芸術作品の最大限の褒め言葉であったりするのだけれど、他と違うということがそんなに大事なものとは思えない。どこかで観たとか、盗作であるというのが何よりも嫌われ るのだけれど、パソコンを含めてこれだけコピー文化が隆盛を極めている時代で真にオリジナルであるというのは難しいのではないか。どこ かで観たことがある、誰かの作品の影響を受けていないなどということはありえないだろう。もともと文化という物はそんなものだ。

 アフリカやオーストラリアの原住民の絵や仮面や生活道具や意匠に惹かれるのは、それが我々の価値判断と違うところに根差しているからだ。少し違うけれど専門的な美術教育をうけていないアールブリットなどの作品にも同じようなところがある。

 現代の情報から離れた造形を観ると心底魂を揺さぶられのはなぜだろう。たぶん彼らは個性的であろうなどとは微塵も考えてはいな い。他と違う物を作りたいなどとは全く考えていない。そんなところには判断の基準を置いていない。彼らが目指している「いい」というのは何だろうか?何を判断の基準にしているのだろうか。

 市場経済的にみれば、個性的であろうということはとても大事な要素かもしれないが、人が幸せに生きて行くという根本的な原則の中では反対に邪魔になるような気がする。コンセプトとは真逆の全く無個性になる、自然と一体なる、自分が消えた時に「いい」となるのではないかな。無個性になる恍惚があるようにおもう。本物というのか、いいものというのか、変わらないものというのは、そういった個性などという物とは違う気がするな。どちらかと言えば「どこにでもある」といったある種の共通項のようなものがあるものの方が本物に近いのではないかな。

 


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ポケットの窓から - 2015.09.21(ポケットの窓から)
はる 5187
 結果はある程度分かっていた。今まであまり真剣な考えてこなかったから、その報いだろうな。それに気づかせてもらったというのが、唯一の彼のやったいいと ころだ。気が付いてしまうと何と無防備に70年も過ごしてきたのか恐ろしくなる。当然節目節目で大きな運動は起きていたんだろうけど、ここにきての大きな うねりは止められないのじゃないかと思うな。やっと少しは個人で考えられる市民が育ってきたという事じゃないかな。ここからが始まりだろう。


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今日のアトリエ - 2015.09.20(ポケットの窓から)
はる 5186
 これほど国会中継を観たことはなかったな。それも面白いことに国会の中と外をほぼ同時に観るという離れ業が簡単にできた。大手のマスコミではほとんど報道されないようなリアルな画像を臨場感たっぷりに観ることが出来たのはネットという武器が出来たからだろうな。たぶん多くの若い人はスマホでそんなことが出来たのだろう。

 昔の政治的な運動はマスコミの情報に左右されることが多かったのだろう。今でも為政者はマスコミを味方につけようとするけれど、ネットはもっと個人的なミニコミに近いな。だからこのデモの様子も昔とはずいぶん違う。昔は一部の学生や団体が扇動してたようなところがあるけれど、今のデモはもっとこう個人的な感じがするな。しかし、政府を転覆させよう、革命だなどという力は今のデモにはないように思える。まぁ今の日本じゃそれくらいが限度のように思うな。

 日本国憲法好きだよな。特に前文、たぶんに情緒的かもしれないが、戦争でボロ負けしてめちゃくちゃになってもう戦争はこりごりだという気持ちがあふれている。これだけで戦後70年間やってきたのじゃないかな。他人に押し付けられた憲法だというけど、今回の事でも日本人の血になり肉になっていると思うな。多くの人の中に生きて根付いているなと思った。

 日本には銃刀法というのがあって、基本的に一般市民は銃がもてない。それがいい、普通だと考えてきた訳だ。例えば泥棒が侵入してきてそれを銃で迎え撃ったという事件など普通には起こりえない。あまり聞いたこともない。時々ヤクザが喧嘩で銃の打ち合いをすることはあっても日常で銃や刀を見ることはない。

 反対にアメリカは自分の身は自分で守る、銃を持つことは基本的に個人の自由である。だから未だに銃の乱射事件で多くの犠牲がでる。そういう社会なんだろう。だから世界でみたら日本のような平和な国の方が珍しいのかもしれない。

 世界の中で「戦争を放棄します。一切の武器や武装を持ちません」といい、それを実行すればあっという間にどこかの国が攻めてきて、どこかの植民地になってしまうのだろうか?それは今のアメリカの属国でいるのと変わるのだろうか。武力を持たない独立国というのは存在できないのだろうか?今の時代鉄砲や重火器だけで防衛できるとも思えないのだけれど、どうなんだろう。自分の国を守るという気概さえあればいいのではないだろうかね。

 まぁよくわからんな。もう少し考えてみよう。大事なことだ。


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今日のアトリエ - 2015.09.19(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2015.09.18(ポケットの窓から)
はる 5184
 覚書2 「どこにでもある」
 ものを描くという縛りから離れた絵画はただの造形物、オブジェということになる。その時に「いい、わるい」と判断する基準というのは何なんだろう。

 よく言われるのは結局「好き嫌い」だろう?好みの問題だろう?趣味や嗜好だろう?と。まぁ確かにそういった面もなきにしもあらずなのだが、そんなあいまいな基準でもって判断される物というのも悲しいな。自分が一生かけて追及するものがそんなあいまいな、人が変われば、時が変われば180度変わってしまうような基準であるというのが悲しい。

 この間の話の続きみたいになるのだけれど、本物というのか、いいものというのか、変わらないものというのは、そういった個人の好みとか趣味とか嗜好を取り除いたものじゃないだろうか、まぁ言うのは簡単なんだけれどなかなか難しい。

 特に今盛んに言われている作品のオリジナリティとか個性などという物とは違う気がするな。どちらかと言えば「どこにでもある」といったある種の共通項のようなものがあるものの方が本物に近いのではないかな。


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今日のアトリエ - 2015.09.17(ポケットの窓から)
はる 5183
 あぁあ、何だあの採決は。情けないなぁ。


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ポケットの窓から - 2015.09.16(ポケットの窓から)
はる 5182
 いよいよ佳境に入ってきた。安保法案。しかし、国会前のデモの様子がライブで観ることが出来るのはネットならではですね。昔とは違います。

http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4


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今日のアトリエ - 2015.09.15(ポケットの窓から)

はる 5181
 「旅の途中」または「長い旅」覚書

 最近の絵は随分と描写から離れてしまった。ものを描写するという事が絵を描くという事だという呪縛から離れると随分と気楽になる。実に長い間そのことに縛られていた。なぜなんだろうな、リアルに上手に描けるということが、絵を描くことだという風に思い込んでいた。だからそのための練習を随分やってきた。

 アフリカやオーストラリアの原住民の絵や仮面や生活道具や意匠に惹かれるのは、それが物を描写するという考え方がないからだ。少し違うけれど専門的な美術教育をうけていないアールブリットなどの作品にも同じようなところがある。だから感動的ですらある。

 個性的であるというのが近代の絵画、芸術作品の金科玉条で最大限の褒め言葉であったりする。だからどこかで観たとか、盗作であるというのが何よりも嫌われるのだけれど、パソコンを含めてこれだけコピー文化が隆盛を極めている時代で真にオリジナルであるというのは難しいのではないかなどと思ってしまう。どこかで観たことがある、誰かの作品の影響を受けていないなどということはありえないだろう。もともと文化という物はそんなものだ。

 話は戻るけれど、あぁいったある種現代の情報から離れた造形を観ると心底魂を揺さぶられのはなぜだろう。たぶん彼らは個性的であろうなどとは微塵も考えてはいない。他と違う物を作りたいなどとは全く考えていない。彼らが「いい」というのは何だろうか?何を判断の基準にしているのだろうか。

 個性的であろうというコンセプトとは真逆の全く無個性になる、自然と一体なる、自分が消えた時に「いい」となるのではないかな。無個性になる恍惚があるようにおもうな。


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ポケットの窓から - 2015.09.14(ポケットの窓から)
はる 5180
 国政調査の用紙が配布されてきた。前回もあったのかもしれないが、ネットで出来るということで今回はネットで答えることにした。まぁ書きこむ必要がないのでその方が面倒ではないと思ったからだ。

 しかし、これから送られてくるであろうマイナンバーもそうだけれど、セキュリティーのことがどうなのかそれが凄く心配だな。国勢調査ぐらいは盗まれても私は別にかまわないけれど、これがマイナンバーとなると本当に色々な個人の情報が盛り込まれるようだからね。

 今までのことを考えてみても年金の不始末とか情報がじゃじゃ漏れだったじゃない。それか考えるととてもじゃないが安心できないね。身分証明書がわりに住所と年齢、写真ぐらいなら免許書とおなじだからまぁ許すとしても、それ以上のことは今までどうりでいいじゃないの。国になんでもかんでも管理されたくないね。一昔の全体主義国家でもあるまいに。管理しやすいというだけでjこちらにはメリットはない。還付金などいらねーや。


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今日のアトリエ - 2015.09.13(ポケットの窓から)
はる 5179
 かなり仕事は進んできたけれど、これだというものがまだできない。


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収穫祭2015 - 2015.09.12(作品)


「収穫祭」 2015 F10

はる 5178
 こんな作品が出来た。今年の看板にしょうかと思っている。これよりいいものが出来たらまた考えるけれど。


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今日のアトリエ - 2015.09.11(ポケットの窓から)
はる 5177
 今度の台風は雨台風で川が氾濫して凄い被害を出した。我が町も川がすぐ横なので他人ごとではない恐怖を感じる。しかしまぁ川というのは日ごろはとうとうと水が流れ、河川敷を散歩したり多くの若者がテニスに興じていたり、のどかな風景なのだが、いったん牙をむくと人間ではどうしようもない。自然の猛威の元では人などちっぽけなものだ。

 しかしこういった自然災害も必ず時間と共に復旧して行くもので、その時はテレビもラジオそればっかり四六時中報道しているけれど、なんだか人の不幸を高みの見物しているようで能無しだなと思う。こういったマスコミはほとんどすべて視聴率に左右されていて、結局のところ視聴者がそれを見たいと思っているからなんだろう。

 実はこういった大きな災害を四六時中報道することで、本当に大事な報道しなければならないことを覆い隠していいるように思えてしかたない。フクシマの原発のことはほとんど報告されなくなった。本当は花粉情報、紫外線情報のように、今日の原発、放射能は大量に降り注ぐので洗濯物は外に干すのを止めましょうみたいな情報を流すべきだろう。

 安保法制は来週中にも強行採決されそうだ。どうなるのだろうという不安の方が大きい。多くの国民が不安に思っている法律を無理やりとおしてしまうのかな。

 しかし、アベチャンとアソウ君の凸凹コンビは相当因縁深いものがあるね。この家系図を見るとびっくりします。例 の9・11でブッシュさんが「悪の枢軸」という言葉を初めて使ったようだけれど、この人たちの家系を見ると「悪の枢軸」とはこのことだと思うな。ある種ヤ クザの家系のような貴族のような選ばれた特別な人たちだ。この人たちが牛耳っている日本の傀儡政権を弾劾しない限り、日本は真に独立した国にはなれないの ではないか。ttph://matome.naver.jp/odai/2143643224327030301


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今日のアトリエ - 2015.09.10(ポケットの窓から)
はる 5176
 また明日。


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今日のアトリエ - 2015.09.09(ポケットの窓から)
はる 5175
 台風が大雨をもたらした。人の家の雨漏りをわらっていたら、自分ンちも雨漏りしていた。早々に対処する必要があるな。まぁ大雨だったから雨漏りした訳で、少々の雨なら大丈夫だとは思うのだけれど、不安材料は解消しておく必要がある。

 しかしまぁ、古い家には雨漏りがつきものだが、そのメカニズムがわからない。とにかくその周りをすべてパッキングする以外に対処法はない。明日パテを買ってきてすべてパッキングする。それでだめならまた考える。対処法しかない。Mさんやるしかないのですよ。


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ポケットの窓から - 2015.09.08(ポケットの窓から)

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はる 5174
 知り合いに古い帯を貰った。金糸、銀糸で織り込んだもので値段はわからない。私にとってはただの布にすぎない。豚に真珠、猫にこばんかもしれない。まぁボロ布で有価物に出すよりましという程度。絵の周りに貼りこんだら何だか和風のカルタのようで面白い。そのまま使うことにした。

 牛に乗った楽士が琵琶を持ってしゃなりしゃなりと何処かへ向かうところ。お祭りかな?「花祭り」というのはお釈迦様のお祭りらしい、牛というのがいかにも東洋の感じがする。昔は牛も馬も家族のように同じ家屋の中に住んでいて、農作業の時は重要な働き手であった。お祭りの時は花飾りをつけて山車を曳いたりしたのだろう。

 私のペンネーム「あそびべ」というのもそういった祭りびとの一種だったようだ。祝い事や葬送の時にどこからとなく出てきて歌舞や音曲をかなでたらしい。

 宇治の平等院の阿弥陀如来のバックにたくさんの楽器を奏でる菩薩さんが表現されている。これもあまり他では見ないけれど楽器を奏でる仏さんがあるんだと嬉しくなった。


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今日のアトリエ - 2015.09.07(ポケットの窓から)
はる 5173
 駐車場を借りて自分の車を置いている。結構広いスペースに今借りているのは私だけで、専用の駐車場ではないので草ぼうぼうになっている。まぁそれはいいのだけれど、そこに犬を連れておまけにおしっことウンコをさせる奴がいる。わざわざ、まぁそれはいいとしても持って帰れよな。踏んじまったぜ。もう何年にもなるけど、そろそろ限界だ。

 まさかこのブログを見ているともおもえないのだが、そういった訳で看板をたてることにした。どういった内容の文章にするか、これが結構悩む。直接的に「ウンコするな!」というのもいいかもしれないが、こちらは表現者だからな。ちょっとひねって、直接的な表示は避けたい。

 こう書いた。
「 「 ふんづけた、あとあじのわるさ、いぬのふん」
「踏んづけた、後味の悪さ、犬の糞」 最初のふんと最後のふんに韻を踏むように、また「糞付けた、後味の悪さ、犬の糞」ともとれるわけで、なかなかの秀作と自画自賛している。これで相手に伝わらなければ意味ないけどな。


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裸婦クロッキー2015/09/06 - 2015.09.06(裸婦クロッキー)



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はる 5172
 今日はクロッキーだった。久しぶりにやったけれど、手が動かない。まぁ仕方ない。


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- 2015.09.05(未分類)


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作者不詳


はる 5171
 いまの日本の現状をよく表している。風刺画ですね。沈む太陽を必死になって支えている防護服の男たち。思えば1964年のとうきょうオリンピックには老い も若きも、老若男女すべてが待ち焦がれて歓喜した、幸せな時代だった。さて、それにくらべて今回のオリンピックは色んなところでほころびが出てつまずい た。攻めてくるのは隣の国ではなく、止められない利権にからまった政治家であり官僚であり、金の亡者だろう。戦後70年経ってわかったこと、九条と安保は 一対になっているということ、原発もTPPも安保法制も沖縄も基地も特定秘密もマイナンバーもすべてここに集約される。アベチャンは傀儡でしかない。その ことがよくわかった。ここを変えなければ何も変わらない。敵は本能寺にある。さてどうする!


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今日のアトリエ - 2015.09.04(ポケットの窓から)
はる 5170
 自分には才能がなかったのだなと思うことがしばしばある。仮にでも看板あげてここまでやってきたにも関わらずそんなことを感じることがよくある。もう何巡目かしているにもかかわらず形が見えてこない、これだとおもった作品が出来てこないと才能がない、アイディアが枯渇したと何だか焦燥感にさいなまれる。

 これからたくさんの個展をひかえて作品が出来なかったらどうしよう、個人のギャラリーならまだ何とかなるかもしれないが、デパートみたいな大きな場を持っている場合、会場を埋められなかったらどうしよう。売れなかったら迷惑をかけるな、そんな弱気の虫が出てくる。実際には今まで何とかなってきた訳だから、作品が思うように仕上がってこないと不安になるな。

 何かものを観て、スケッチして材料をそろえて組み立てて描くような絵の場合、コンスタントに毎日こつこつとやっていけば自然に深くなって作品も時間と共に仕上がって行くように思える。それは違うよと言われるかもしれないが、まぁ私から見ればそんなふうに感じる。先が読めるように思えるんだ。けっして楽だとは思わないけれど、計画が立てられる。

 私のような描き方は先が全く読めない。出来るときは時間と関係なく、さっとできる。出来ない時はどんなに時間をかけてもできない。全部がだめだと思う時もあるし、ちょっとの事でサーっとよくなる時もある。出来るか出来ないか、好いか悪いかが凄く曖昧で、こんなんでいいのかなぁとすごく不安になる。

 反対にこれはいい!最高だ天才だと思う事も時々ある。そんな時は本当に最高に嬉しい。やっていてよかった、天職だと思うのだけど、それも次の日みるとそうでもなくがっかりすることも多い。還暦過ぎたそこそこキャリアもある爺さん画家でもこんなんだからな。推して知るべし。まぁだけど、もう転職もかなわんしやり通すしかないか。


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今日のアトリエ - 2015.09.03(ポケットの窓から)
はる 5169
 ある映画監督のインタビューをネットでみていた。彼は映画学校で生徒を教えてもいるわけだけれど、こんなことを言っていた。ここからは私の解釈です。

 自分は映画を作る仕事をしている訳だけれど、同時に学生に映画作りのエッセンスを教えている。言ってみればライバルを育てているわけで、最初の頃はちょっとばかり微妙な感じがした。ところがまぁ60過ぎてこれからの事を考え始めて考え方が少しばかり変わってきた。

 まぁ長年かかって蓄えてきたノウハウというのか、映画作りのエッセンスというのは自分にとって宝物みたいなものだ。その宝物というのは最初は時々出して眺めてにやにやして楽しんでいたものだったが、段々とそれだけじゃつまらなく思えてきた。教えることでその喜びが二倍にも三倍にもなることに気が付いた。

 まぁそんなことを述べていた。そうだな、とても共感するのだけれど、私はまだ現役から降りられないな。死ぬまで現役だろう。


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今日のアトリエ - 2015.09.02(ポケットの窓から)
はる 5168
 仕事柄履歴のようなものをよく作ることがある。30代から40,50,60と順番に自分の中で気になる事項を書きいれてみた。ほとんどが絵に関することで時々旅行とか震災とか病気とかが入る。十年などたいした時間ではなく特記事項がほとんどないところもある。過ぎてしまったことはほとんど何も覚えていない。そうやって三十年も過ぎてしまったということだ。

 60,70,80代とこれから迎えるわけだけれど、果たして何が特記事項として書きこまれるのでしょう。出来うるならば何事もなく静かにしずかに消えて行けたらそれが一番いいのかもしれないな。そんなことを考えた。


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9/1 - 2015.09.01(今日のアトリエ)


はる 5167
 九月になった。今日は以一日学校に居たので疲れた。また明日。


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