あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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無伴奏 - 2015.06.30(作品)

はる 5106
 さて、今日は一日学校だった。アベサンじゃないけれど、学校のある日はおなかの調子が悪くなる。何回もトイレに駆け込む。何とも情けない話だけれど、これが事実だな。もう三十年もやっているので、私は何もしないでも生徒が勝手に気を使って大人しく集中して作業するのだけれど、監督している私は見た目と違っておなかがゴロゴロいっているという何ともちぐはぐな話だ。

 というわけで今日は失礼します。



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ポケットの窓から - 2015.06.29(ポケットの窓から)

はる 5105
 そういえば、子供の頃バナナなど、ほとんど食ったことがなかった。パイナップルは穴があいているものだと思ったし、キウイフルーツなど聞いたこともなかった。果物であったのは林檎とかみかん、イチゴ、スイカとかまくわ瓜などかな。最近はスーパーなどに行けば本当に色々な果物がある。まぁ何だろう、それだけ世界と貿易している。いい悪いは別にして農産物がどんどん入ってきているということだろう。安いから上手いからと世界中から手当たり次第に輸入しまくれば、自国の農業はつぶれてしまうだろう。これもまた難しい問題だな。農業は一度つぶれてしまうと復活するのは難しいからな。

 何でもそうだけれど補助金や奨励金を出したりして手厚く保護すると、一時は活性化したかに見えるけれどその実確実にどこかがおかしくなる。あの昔バブルが華々しかった頃、色んなところにお金をばらまいて施設を作ったり、開発したりしたものはほとんど今は生き残っていない。農業に補助金を出すのは良く考えないと、つぶれてしまうな。特に公が手を出すと大体がおかしくなる。

 我々は曲がりなりにもお上がやることには一理も二理もあって、まして私事でやっているはずがないと思い込まされているところがないか?だから「これは絶対に安全だ」と言われれば「そうなんだ」と暗示にかかってしまう。為政者はそれをいいことに好き勝手に利用していないか。

 車の車検制度や税金もおかしい。ほとんど疑いなくそういうもんだと思っていた。万国共通のルールだと勘違いしていた。しかし、どうもちがうようだ。日本の場合古い車はどんどん税金が高くなる。だからある程度古くなったら買い替える方が利口だという事になって、新車が売れるわけだ。けれどドイツなどは30年以上たった車は工業文化遺産として税金が安くなる、反対に日本は高くなるだからどんどん古いものを壊して新しいものを購入するというシステムになってしまうわけだ。これって官民結託して物を売りつけていないか。

 眠いので寝る。


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今日のアトリエ - 2015.06.28(ポケットの窓から)

はる 5104
 生涯一画家でいいと思う。それ以外の肩書など何もいらない。どこの学校出て、誰に習ったのか、どこそこで賞を取ったとか、○○会の会員とか、みんないらない。丸裸でいいんだ。私という人間を見てもらえればね。本当に自信があればそれで充分だ。自信がないから色んなものをくっつけたがる。ものを言いたがる。説明したがる。言えばいうほどボロが出る。


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ポケットの窓から - 2015.06.27(ポケットの窓から)

はる 5103
 植物はけなげなもので季節になれば迷わずに同じように花を咲かせてくれる。この紫陽花は一昨年の大雪の時にほとんど氷漬けになって枝が大きく根元から折れてしまった。今年はそれでもほとんど変わらずに大きな花をつけた。庭木も栄枯盛衰があって、ここの引っ越してきた頃には大きく茂っていたコデマリなんかはいつの間にかいなくなってしまった。そういうのも不思議なきがするな。大して大きくもない庭なのだが、色んな木々が繁茂して雑木林のようだ。

 私の家は不動産的にはほとんど価値のない腐れ土地だ。たぶん新しく家を建てることができない、よって売買できない、ここにこのまま住んで朽ちて行くしかない、そんな場所だ。まぁそれでも自分の土地には変わりなくせめて後二三十年住めればそれでいいと思っている。自分で好きなように改装して、好きなように住んでいる。誰にも文句は言われないわけだからやっぱりどんなもんでも家は自分のものにした方がいいだろう。借家だとそうはいかない。

 人と同じようにと考えるととても土地など持てない。絵描きだもの、ローンなどなかなか普通には組んでくれない。定職がないというのはそんな時に結構困る。人が嫌がるような土地ならそんなに頑張らなくても買える。その代り何かを捨てなくてはならない。何を捨てるかだ。財産になるというのを捨てた。今楽しく住めればいい。


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美術の窓 - 2015.06.26(ポケットの窓から)


はる 5102
 美術雑誌も色々あるけれど、一番ポピュラーなのが月刊美術とこの美術の窓じゃないかな。私も本屋に行けば立ち読みするのがこの二つだ。昔は美術手帳も定期購読していたこともあるけれど、だんだん現代美術にシフトしていったのでついてゆけなくなった

 この雑誌は唯一団体展の講評を売りにしていて、年間どれほどあるのか分からない団体展の作品をほとんど網羅しているのではないだろうか、一枚一枚写真付きでコメントを付けてくれる。まぁその労力は大したものだ。チンプンカンプンな講評されて疑問に思うこともあるけれど、展覧会に行けない地方に住む愛好家にとっては唯一の情報になるのかもしれない。出来るだけ作品は目に晒される機会が多い方がいいわけだから、私はありがたいことだと思っている。

 団体展に入選してもだれも何も言ってくれない一般出品者だった頃に、この雑誌に取り上げられて飛び上がるほど嬉しかったことを覚えている。あと時々個展の情報も取り上げてくれる時もある。まぁ載ったからと言ってそれでお客さんが来たという事もないのだけれどね。



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ポケットの窓から - 2015.06.25(ポケットの窓から)

はる 5101
 このツタの生命力は凄いものがある。そんなに恵まれた環境とは思えないのだけれど、どんどん増えて行く。最初ほんの一切れをどこからか切ってきて植えた。それが20年経つと凄まじい勢いであらゆるものを覆い尽くすように繁茂した。今は適当に剪定しているのでそこそこコントロールされているが、放っておくととんでもない事になってしまうだろう。しかし、こうやって鬱蒼と繁茂している姿は美しい。

 


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収穫 - 2015.06.24(ポケットの窓から)

はる 5100
 夏野菜の収穫が出来るようになってきた。趣味の園芸程度の菜園だけれど、夏野菜はけっこう収穫できる。苗を買うとこれが結構高いので、元が取れているかどうか怪しい所だけれど、何より朝直接畑からもぎ取ってすぐに食卓にのるのと、完全な無農薬という魅力は代えがたい。都会に住んでいる人にはできない贅沢だろう。

 晴耕雨読のような生活が望みだけれど、なかなかそんな理想的な生き方などできない。反対にそこまでシンプルな生活になると刺激がなくて退屈してしまうかもしれないな。若い頃は寝ないで絵を描くみたいなこともできたけれど、ここまで来てしまうとそんなに無茶なことは出来なくなってしまった。またそこまでやらなくてもいいとも思っている。水木しげるも描いていたけれど、若い時には死に物狂いで頑張って、年取ったら適当にサボっていいと。そこのところだけ見習おう。もうそんなにがむしゃらなのは格好悪い。適当でいい。

 65歳になっても働くなくてはならない。定職についていた期間があまりにも短いのでもらえる年金など微々たるものだ。もともと野垂れ死にするつもりだったので、死ぬまで絵描きやって食ってゆく覚悟はしている。ひとに迷惑をかけないでどこまで突っ張って生きる事ができるだろうかね。見ものだ。


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今日のアトリエ - 2015.06.23(ポケットの窓から)

はる 5099
 五千を カウントしてからもう100回になる。何と早いもんだ。今日は一日学校に居た。疲れたのでもう寝ます。


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- 2015.06.22(未分類)


ゆめのつづき・青
F8
2015
はる 5098
 絵描きは絵だけを描いていればいい。確かに何ほどの知恵も知識もないから知ったかぶりでいい加減な事を書くべきではないのかもしれないが、あれもこれも今の私自身だから嘘は書いていないつもりだ。それもまた面白いだろうと思う。絵は自分自身の表明だからな。

 誰かが面白いことをいってたな。報道というのは権力者が嫌がることを記事にする、それ以外は広報だと 。なかなか上手い事を言う。それからこんなことも言っていた。ジャーナリストはサラリーマンになってはいけない。なるほどそうだ。サラリーマンは一企業人で会社の方針に従わなくてはならない。基本的に会社の儲けにならないことは言えない訳で、それでやがて自由に物が言えないくなる。

 考えてみると、我が国のジャーナリスト(新聞社やテレビ局)はみんなサラリーマンでエリートだ。時の権力者と飲み食いしたと批判されていたけれど、もともと企業人なら儲けが一番だもの、損してまで自分たちの主義主張を通さないわな。

 暮らしの手帳は広告を取らないことで有名な雑誌だった。だから自由に物が書けた。ジャーナリストを目指すなら、一生フリーランスでいるべきだな。またそれを良しとする世論を養わなきゃ。まだまだだな。



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今日のアトリエ - 2015.06.21(ポケットの窓から)

はる 5097
 国立大学から文系を追い出そうと文部科学省がもくろんでいるらしい。文系は私学にゆだねて国立は役に立つ理系を優遇するという方針に出るそうだ。これも又聞きなので本当のところはよくわかないのだがね。もしそれが本当なら由々しきことだな。京都大学の学長は反発しているという。そりゃそうだろう、西田哲学の総本山だものな。

 簡単に言ってしまえばすぐには役に立たないことを命を懸けてやるところが大学で、世の中がどんなふうになっても学園の中は治外法権で学問の自由を保障されているのが学問んの府大学だろう。すぐに役に立つことだけやっていれば大学は企業になる、儲けることが一番になるわけで、専門学校になりさがる。

 その国の学問に対しての理想とか私学なら建学の精神というのがあって、それはまぁ今問題になっている国の憲法のようなものでしょう。そういった一番大事にしなければならない考え方をぶっとばして、役に立つ実利にだけ走るというのは今の憲法を無視して、国の理想を捨てて戦争できる国にするというのとどこか似ているなぁと思う。どこか考え方が短絡的で、このままでは国があらぬ方向へ行ってしまうようで恐ろしい。

 すごくアマちゃんと言われればそうなんだろうけど、やっぱり私はそういった理想とか夢が好きなんだな。昨日の話の続きになるけれど、結局、一方かたで平和を守るためには最強の軍備をと叫ぶ輩がいて、もう一方かたでは平和を守るためにはみんなが武器を捨てればいいという。そういうことだろう。

 寝ます。



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ポケットの窓から - 2015.06.20(ポケットの窓から)
はる 5096
 昔公募展に出品し始めた頃、出品するまでは意気揚々とはしているのだが、審査の日が近づくごとに段々意気消沈して、審査の日が過ぎると落胆に替わる。そんな日々を繰り返していたことを思い出した。コンクールなども同じで新聞の発表というのであれば、早起きして新聞を買いに行ったりした。大体が入選どまりで受賞することなど稀にしかなかったのだけれどね。

 今から考えるとコンクールなどほとんど関係ないように思うな。むろんすごく恵まれた環境でそれが世の中にデビューするきっかけになった人も若干いるにはいるけれど、どんなにその時に注目されたとしてもほとんどの者が跡形もなく消えてしまう運命にある。

 最近も一千万以上の賞金で注目を集めるコンクールの発表があったけれど、大賞取った人には申し訳ないけれど、それは作品の良し悪しとは関係がないのだよ、宝くじに当たったようなものだからパッと使ってしまった方がいいと思う。そのことで人生を見誤ることの方が多いのじゃないだろうか。

 まぁちょっとひがみも入っているかもしれんな。


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表札 - 2015.06.19(ポケットの窓から)



はる 5095
 外は嵐の予感でワイワイと騒いでいるけれど、私の日常は何事もないかのように過ぎて行く。小さな幸せに酔っていることは罪なんだろうかね。今日も一日何事もなし。

 結局、一方かたで平和を守るためには最強の軍備をと叫ぶ輩がいて、もう一方かたでは平和を守るためにはみんなが武器を捨てればいいという。さてあなたはどちらを選ぶかということですね。



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今日のアトリエ - 2015.06.18(ポケットの窓から)

はる 5094
 こうやって日々が過ぎて行く。もう残された時間も想像できるぐらいになってきた。二十年前はまぁ何も考えず目の前の課題、イタリアに行くことだけを考えて色々と動き回っていた。

 後に続く・・


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今日のアトリエ - 2015.06.17(ポケットの窓から)

はる 5093
 FBもやっているけれど、基本的に長い文章を書く場合ここで考えることが多い。こういったネットのツールはどんどん変わって追いかけて行くときりがない。かといって無視するにはもったいない道具だと思う。ただし、ゆっくり物を考える昔ながらの日記タイプはこういったブログが限界かだな。情報としてはあまり有効ではない。

 FBの方は知らない、今旬の情報がどんどん入ってくる。テレビはほとんど見ないのだが、そういった意味で偏向しているかもしれないが、マスではないミニコミ的な情報がどんどん入ってきて面白い。デマも含まれている可能性はあるのだけれどね。取捨選択する必要が大いにあるけれどね。

 今一番の問題は安保だろう。このこと抜きに世の中は通れない。ここから50年ぐらいにかかわる大きな転換期だ。これを語らずして何が表現者だと思う。世の中が今大きく変わろうとしている。原発を含めてこのまま今の政権でいいのか、こんないい加減なおっさんたちにまかせていいのか。お金のために、自分たちの生活だけが大事なのか?もっと真剣に考えんかい!と思うんだ。

 どう考えても世界中でというのか、この地球上でいや他の国の憲法を読んだことはないのだけれど、この国の憲法ほど慈愛に満ちた美しいものはないように思うな。世界中が争いごとなく平和に暮らして行こうと思ったらこの憲法に従うしかないように思うんだな。理想主義的かもしれないけれど、憲法なんてそれでいいのじゃない。


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ポケットの窓から - 2015.06.16(ポケットの窓から)



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ポケットの窓から - 2015.06.15(ポケットの窓から)
はる 5091
 大きな個展が終わった。何となく脱力感がある。絵を描いてきたおかげで自分の半生をこんな形で観ることができた。これって結構幸せなことかもしれないな。普通何気に暮らしていれば記録として何も残らない、記憶は個人の中にある。10年20年はうたかたのようなものだ。後これからどこまで行けるのか、楽しくもあり悲しくもある。がんばりましょう。

 メッセージを少し変えた。
・・・・・・・・・・・
       ~あるがままに~      榎並和春

 昨年の流行語大賞の候補に「あるがままに」がノミネートされたというのを後から人に聞いて、たまにはテレビも観ないと時代に遅れるなとおもった次第。「だめよ、だめだめ」のアケミちゃんなら知っていたのですが・・。
 
 憧れるのは日常生活も含めて、何にもとらわれない自然体でいられることですが、凡人である我々には(あるがまま)というのはなかなか難しいように思います。

 「あそぶ」というのは忘我の境地を言うらしいのですが、確かに何かに没頭している時に一瞬何者でもない空白の時があるように思います。何者でもないその一瞬に世界は凝縮しているのでしょう。

私にとって絵を描くとはそれに触れるための道具だと思います。

 さて、今回も色と形で遊んでみました。愉しんでもらえると幸いです。ご来廊こころよりお待ちしております。



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楽日ロビーコンサート - 2015.06.14(写真)


はる 5090
 今日はスクエア併設榎並和春個展の楽日でした。ちょうどロビーコンサートがありまして、私のチェロの師匠が演奏してくださいました。こんな形で師匠の応援があるなんて思いもよりませんでした。ラッキーなしめくくりでした。ありがとうございました。
 


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ポケットの窓から - 2015.06.13(ポケットの窓から)

はる 5089
 いよいよ明日で終了です。午後4時までです。お間違えのないように。

 憲法学者の違憲発言で、確かに世間の目の色が変わった気がする。それまでの流されている諦めムードが、そうかこのまま放置すればまずいことになるなとはっきり潮目がかわった。世論などという怪物は日和見的なところあってね、あまり信用できないのだけれど、世間を動かすのもまたこの世論だからな、どうしても味方につけなきゃならない。

 政府はあわてている。アメリカに約束した手前、何としても八月までにこの法案を通したい。恥さらしだもの、嘘つきがばれててしまう。下手するとこのまっま一気に強行採決という荒業にでるかもしれん。

 もしこれを止めることができたら、革命的なことだな。何としても止めたい。


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ラス前 - 2015.06.12(ポケットの窓から)


はる 5088
 併設個展もいよいよ後二日になりました。連日美術館に出勤しております。かなり疲れてまいりました。明日は土曜日、ぜひこぞって美術館に来てくださいな。


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25回スクエア展併設・榎並和春個展 - 2015.06.11(you tube)


25回スクエア展併設・榎並和春個展

はる 5087
ただいま併設個展中、半ば折り返しです。連日美術館に詰めています。まぁまぁ好評を得ています。本人を前にくさす人もいないでしょうが、一生のうちでこれだけ変化する時期というのもないわけで、面白いと思いますよ。是非観に来てください。


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ポケットの窓から - 2015.06.10(ポケットの窓から)
はる 5086
 今日は一日美術館。日中は30度をこえたようだが、美術館の中はひんやりと気持ちがいい。明日も一日美術館に居ます。是非いらしてください。


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- 2015.06.09(未分類)


DSC01660s.jpg

DSC01650s.jpg

第25回スクエア展 
併設 榎並和春個展
 卒業制作から
 2015 6/9~6/14
 山梨県立美術館 県民ギャラリーB

はる 5085
 始まりました。私は明日から終日美術館にいます。是非見に来てくださいな。


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ポケットの窓から - 2015.06.09(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2015.06.08(ポケットの窓から)
はる 5084
 いよいよ明日搬入です。スクエア展の併設個展。

 個展などいつもやっていることで、ほぼ日常に近いのですが今回の個展は少し気持ちが違うな。いつもの個展は今現在進行形の今の自分を見てもらっている。だからほぼ等身大の自分自身がいるわけで恥ずかしくはない。けれど過去の作品というのはもうどうしようもない。未熟な作品が並ぶわけで、まるで素っ裸を見られるような恥ずかしさを感じ入る。

 それからたぶんこういった昔の作品を公に晒す機会は最後になるだろうという寂しさだろうか。多くの作家は最終的に自分の作品をどこか公共的な場に寄贈するなり買ってもらうなりして収蔵してほしいと願っている。自分がこの世に居なくなった時に残された作品はどうなるだろうかと考えるからだ。私の場合はどうなんだろう。むろんどこかパブリックな場所に恒久的に飾って欲しいという願望はあるにはあるけれど、まぁ自分がいなくなったと同時に無くなっても仕方ないかなとも思う。無理にどこかに押し付けるのもなぁ、気が引ける。

 それよりもバーチャルだけれど、ここにこうやって資料として半永久的に残っていればいいじゃないかなんて思うのだ。誰かが見たいと思えばいつだってどこでも見ることが出来るわけだし、作家が毎日こうやって日記を晒しているわけだから、これ以上確かな証はない。

 この「あそびべのHARU・ここだけの美術館」 http://enami.sakura.ne.jp を始めたのもそんな気が有ったからだ。


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今日のアトリエ - 2015.06.07(ポケットの窓から)



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ポケットの窓から - 2015.06.06(ポケットの窓から)
はる 5082
 いよいよ夏らしくなって、借りている裏庭が草ぼうぼうになってきた。

 スクエア展のチラシを作った。文章だけ載せてみます。本当のチラシには作品画像がはいります。

・・・・・・・・・・・・・
第25回スクエア展
       併設 榎並和春個展
          卒業制作から
         2015 6/9~6/14
       山梨県立美術館 県民ギャラリーB

1、セザンヌのように
          
 まだ学校に上がる前の話。近所にキリスト教系の日曜学校を開いている家族が住んでいた。信仰心からというより、おやつがもらえるのと、綺麗な聖母子像のカードがもらえるので結構真面目に通っていた。ぼんやりと絵画と聖なるものへの憧れが芽生えた頃でもあった。
 その後、少年時代は遊ぶ事に一生懸命で絵の事など忘れていた。再び絵に興味を持って描き始めたときに真似したのはセザンヌだった。何故セザンヌなのかと言う話はまたの機会に譲るとして、セザンヌのように一つの空間を何かしらの規則にしたがってまとめ上げるということが面白かった。近代絵画への遅れていた意識が目覚め、キュビズムのブラックやピカソの絵画理論が臨場感を持って自分のものになって行くことが嬉しかった、少年が青年期になって自我に目覚めたように、、。


2、人物を風景のように
           
 キュビズムからの脱却。一つの空間を風景と人物、静物というふうに分けるのではなく、一度全てを解体して組み直すということに没頭する。興味の中心が物から人間になって、キュビズムをさらに展開して人物と風景を同じ空間に溶け込むように配置する事に魅力を感じていた。

3、物語絵のように
            
 何故絵を描くのか?花や風景や人物を一枚の絵に描いたとしても、多くの人にとってただの壁の飾りでしかない。音楽や文学や他の表現のように、ひと事でなくもっと人の心を巻き込みたい。観る人にもっと切実にメッセージが伝えられないだろうか。物語性のある絵巻物とか古い教会の壁画などに興味が移ってくる。
 この頃から絵にあったタイトルを考えるようになった。「表現」ということを考えた場合「ことば」の持つ力は大変大きなものがある。詩のように短い「ことば」でイメージを伝える事が出来れば、もっと切実に強いメッセージを伝えることができるのではないかと考えた。

4、祈りのかたち
 
 私は何処から来て、何処へ行くのか、私は何者か?という問いかけは複雑に絡み合った糸を解きほぐすようなものだ。どんどんと下に降りていって、もうこれ以上行けないというところから眺めると分かることもあるかもしれない。私にとって描くことはそのための道具のように思う。
 出来るだけ正直に素直に「あるがまま」の自分を晒す事で私を見つめてみたい。多分それが私にとって絵を描く事であり、多くの人に共感をもって観てもらえる唯一の方法のように思う。
 
 これからどこまで行けるのか、あてのないその日暮しが続きます。この度思いがけず、昔の作品を並べる機会を得て自分の半生を振り返るきっかけになりました。お忙しい中をお出かけ下さりありがとうございました。


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今日のアトリエ - 2015.06.05(ポケットの窓から)

はる 5082
 何だか今日は冷たい雨が降っています。


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ポケットの窓から - 2015.06.04(ポケットの窓から)
はる 5081
 今日は湿度が異様に低くて気持ちのいい天気だった。こんな天気ばかりだと夏もなかなか過ごしやすい。カラッと乾いてモンスーンではないようだ。気候も変わってきたのだろうかね。

 国会の中継を始終聞いているわけではないけれど、時々ユーチューブにアップされたものを観ていると何だか質問する方も答える方も何処か他の国の話をしているようで、まるで臨場感がない。誰も本当の戦争の悲惨さなど知りもしないのに、この場合はあれで、その場合はこれだと言い合っている。一生懸命になればなるほど絵空事のままごと遊びをしているようで、良いお大人が格好悪いなと思ってしまう。申し訳ないけれど、答える方もいい加減にあしらって、お互いに全く違うことを話していて会話になっていない。そのことにお互いに気付いていないかのようだ。案外こんなことで戦争が始まるのだろうか、、。おそろしい。

 暗い闇の中からスッと敵が現れて、うむを言わせない間に殺すか殺されるかどちらかなのだ。それが戦いなんだろう、戦争なんだろう。国が国民を守ってくれるなんて嘘っぱちだ。戦争になれば兵隊など駒に過ぎないと思うな。

 何となく護憲をいうのがはばかられるような非国民扱いされるような雰囲気が出てきたように思えるのは考えすぎかね。空気を読んじゃだめだね。嫌なものははっきりNOというべきだ。この憲法は守らなければならない。


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ポケットの窓から - 2015.06.03(ポケットの窓から)

はる 5080
 我が家の玄関先の様子です。このアイビーは冬でも枯れない常緑種で家のボロ隠しにはうってつけです。ただし放っておくとどんどん勢力を伸ばして家じゅうがアイビーに覆われてしまいます。こまめに剪定して勢力範囲を限定する必要がありますね。

 家は植栽があってはじめて棲家になるように思う。棲という字は樹に鳥が巣をつくって居る形をいうそうだから、まぁ人も動物であるから棲家は樹がなくてはならないように思う。

 何々ハウスなどというどこの国の家だか分からないようなモデルハウスのような家に住んでいる人も多いけれど、家は住む人によってどんどん変化して作り変えてもいいように思う。建てたばかりの家は建築屋さんやハウスメーカーの建物だけれど、住む人がどう作り変えるかによってその人の棲家になってゆくのだろう。

 今日は頼まれ事を断った。二三日前からそのことで随分と悩んでいた。yesというのは随分楽なんだけれど、noというのは気が疲れる。でもやっぱりここは勇気をもってNOと言ってよかったと思う。ごめんなさい。


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存在する事の不安 - 2015.06.01(画集「こたえてください」1)


存在することの不安
S100
1996
最後の油彩
はる 5079
 http://ameblo.jp/e-no4765/entry-12033843956.html
紹介してもらった。

 最後の油彩画になってしまった。これ以降油彩は描いていない。今回久しぶりに引っ張り出してみましたが、油彩でありながら新聞紙をコラージュしてあったり、最後のあがきをしています。油彩の場合他の材料を画面に持ち込むのはかなり難しい。そういったことに適した材料ではないということだ。

 油彩は15世紀の頃ファンアイクによって確立されたとされている。その頃の油彩画というのはまだ完全な油彩だけの画法ではなく、昔からのテンペラ画なんかの併用だったようだ。しっかりした下絵をモノクロームで取ってその上に薄く油彩で着彩するという画法だったようだ。そういった描き方だから一度下絵が出来てしまってからの変更はほとんどできなかった。ある種工芸作品のような職人仕事であったのだろう。

 その後同じフランドルの16世紀の画家ルーベンスの頃には有色下地を利用してかなり自由に描いていたようだ。それでも基本的に油彩画は下地から積み上げて計画的に描き進めるのに適している画材で感覚的に即興的に殴りがきするのに適した画材ではない。

 19世紀になって印象派が出てきて野外でスケッチするように即興的に生乾きの油彩画をひっかけて描くような画法はある意味油彩画の画法にとっては壊れているわけで、水彩画やスケッチなどの画材の方がむいている。

 さて、最後の油彩画になったこの絵について。テーマがそういった意味でかなり深くなってなってきた。それが伝わっているかどうかは別にして、絵で何かを伝えたいという気持ちは伝わってくる。

 例えば「世界平和」を今の私がテーマにしても、確かにそれは正しい事だし、誰も反対はしないだろう。けれどそれは当たり前すぎて誰も聞いてはくれない。自分の生活から滲み出た切実な言葉ではない。そこらあたりの高校生でもそのくらいのことはいう。

 たとえ世界平和を訴えるにしても、「一輪の花」を大事にする心みたいなことから言ってもいいわけだ。出来るだけ身の丈に合った、自分の生活感覚から伝えて行く、どうすれば自分のメッセージを伝えるのか表現するのか、そのことのために一生を捧げるわけだから、そんなことを考えていた。

 この後油絵の具をすべてアトリエから追放した。


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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