あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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長い旅立ち - 2015.05.31(画集「こたえてください」1)


「牧歌」
F130
1993
油彩

はる 5077
 暗中模索で始めた絵画生活で、くじけそうになりながらも何とか続けることが出来たのは、時々もらう受賞というご褒美だ。誰が何と言ってもいい、自分がいいと思えばそれでいい事なんだと分かっていても、やはりそれだけで納得することはなかなか難しい。

 県内では結構大きな賞を貰ったことはあったけれど、なかなか全国区の賞を貰ったことがなかった。全国ではやはり通用しないのかと諦めかけていた時にもらったのがこの「牧歌」でもらった国画会の新人賞だった。本当に思いもよらなかった受賞だったので飛び上がるほど嬉しかった。

 絵を描く人生を歩むと決めてもだれも認めてくれないのじゃ自信を無くす。やっぱり誰かに「それでいいのだよ」と言ってほしいのだな。なんとなくこのままやってもいいのだと自信を持った一瞬だった。今でもあの時の興奮を思い出す。私の中では大きなエポックになった作品だ。

 テーマは「方舟」あたりと変わらない。人類の理想郷みたいなことを考えていたんじゃなかな。方舟で向かった新しい場所、普遍的な人類が目指すべき場所、もっと言えば自分は何処に行こうとしているのか、自分は何者かというふうなことをテーマにしている。

 この二年後1995年に阪神大震災があり、そして「私は何者か」という問いを持ってイタリアを中心にした長い旅にでることになる。


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ポケットの窓から - 2015.05.30(ポケットの窓から)

はる 5076
 真夏だな。今日は一休みとしよう。


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方舟 - 2015.05.29(画集「こたえてください」1)


方舟
1992
F130
油彩
はる 5075
 ここらあたりの絵はかなり計画的に進められていて、どの部分にはどういった地塗りをして、仕上がりはどう見せるといったように描かれている。だから下絵がしっかりあって、自画像のデッサンもかなりとったように思う。実物を見ながら少しイラスト的にデフォルメすることが面白かった。女性の顔よりも自画像に方が自分の想いを表現しやすい。

 作画の方法は「若い音楽家」や「平均律」と違わない。しかし、テーマが少し変わってきた。まだまだありきたりだけれど、自分なりに社会的なテーマに取り組み出している。純粋な絵画表現で何かメッセージを込めようとした場合、ややもすれば一昔前の政治的なプロパガンダのような表現になることがある。それを突き詰めると今のコマーシャル写真のようになって絵画表現とはどんどん違って来てしまう。そこのところが難しい。

 言葉で表現した方がいいような絵画などあまり意味がないわけだし。絵の説明になっても面白くない。漫画やイラストのようにもしたくない。そうやって突き詰めて行くとなぜ絵を描いているのか、絵でなければならないかという疑問がどんどん湧いてくる。袋小路に入ってしまう。

 ある意味もっと普遍的な根源的なテーマを見つけたい。自分の存在を問うようなテーマを見つけたいというのが次のステップになる。


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平均律 - 2015.05.28(画集「こたえてください」1)


平均律
F130
1990油彩

はる 5074
 音楽について詳しいわけではない。詳しくはないけれどバッハは好きだな。よくわからないのだけれど宇宙空間にでた時に流れている音楽はバッハの曲ではないかと思う。それほど何の作為もない自然な音楽のように聞こえる。天才モーツアルトでさえ作為的なものを感じるからね。

 平均律という言葉もバッハだから許される気がする。一オクターブを半音ずつ12段階に分けてそれぞれ長短24曲を均等に作曲するなどという芸当はバッハにしかできないだろう。音楽の源泉という海があってそこから必要なものを取り出したような普遍的な音のつながりで美しい曲でありながら練習曲にもなっている。

 タイトルはとても大事な要素になる。たぶん絵を描きだした当初はまだタイトルは決まっていなかったように思う。絵が仕上がってどういうタイトルがこの絵にぴたりと合うのか考えた。「ピアノソナタ」でもよかった、ベートーベンの最後のピアノソナタも好きだったからね。平均律という言葉の響きが何というのか、すべてを均等に踏まえて平等に過不足なく備えている音楽という響きがある。そのことが当時の自分の絵に対する気持ちと一致した。

 単に壁の飾りを描いているのではなく、自分だけの楽しみに描いているのでもなく、ある意味人類の、、とか命の、、といったもっと大きな普遍的な意味が隠されているように感じたからだ。

 この作品は地元の展覧会で大きな賞を貰った記念すべき作品になった。

 


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若い音楽家(チェリスト) - 2015.05.27(画集「こたえてください」1)


「若い音楽家」
F100
1990油彩
はる 5073
 この前の作品から五年ほど経っている。その間見てわかるように有本利夫の影響をもろに受けている。まだこの作品などはその影響が少ない方だ。彼のそのデザイン化されたスタイルと色、壁画のようなマチエール、物語性など未だにその範疇から抜けていないようにも思う。

 それとチラシの方にも書いたけれど、只の壁の飾りを描いているわけではない。音楽や文学、その他の表現のように見た人の心を揺さぶりたい、もっと共感してほしい、もっと切実なメッセージが伝えられないかと思ったんだな。そうなると、タイトルにあらわされる「ことば」も大切な要素になるのじゃないか。短歌や俳句、詩のような短い「言葉」でイメージを伝えることが出来ればもっと表現がダイレクトになるのではないか。そんなふうにも思った。


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風景の中の人物 - 2015.05.26(画集「こたえてください」1)


風景の中の人物
F80
1984
はる 5072
 今頃花粉症なのか、風邪なのか、洟汁がでて咳がでるが熱はない。気持ちが悪い。早く寝よ!

 さて、この絵のこと。バックになっているのは私の子供の頃に過ごした神戸の舞子の海岸沿いに建ってる通称「六角堂」。実際は八角だそうだが、何処から見ても六角に見える。正式には「移情閣」というそうだ。辛亥革命の孫文の記念館でもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8

 今では立派な記念館に改修されているけれど、私が子供だった頃は海沿いに建っていたものだから潮風や台風にやられててボロボロになっていた。誰も住んでいないと思って友達と尋ねると本当に魔法使いのような婆さんが管理人として住んでいて、喜んで中を案内してくれた。そのまま忍び込まなくてよかったと安堵したしたことを思い出した。なかは本当にすさまじく壊れていた。

 この六角堂は私の子供の頃のシンボルとして色んなバージョンで描いている。誰でもそんな場所があるのではないだろうか。

 そういった風景と今現在の自画像を組み合わせて、いまここに居る自分というのを確認しているような気がするなぁ。まぁ自画像しかモチーフがなかったということもあるけれど。


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2015玉川学園シャギードックギャラリー個展動画 - 2015.05.25(動画)

2015玉川学園シャギードッグギャラリー 榎並和春展「大きな樹の下の小さな展覧会」

Posted by 榎並 和春 on 2015年5月25日

はる 5061
 ためしに動画の編集をやってみた。私が持っているのはビデオカメラではなくて普通のデジカメの動画です。言ってみればただのカメラなんだな。カメラの動画というのは要するに連続写真という事ではないかな。何万もの連続した写真をつなげると動いた映像になるという発想か。違うかもしれないけど。。

 それをパソコンの中に入っていた動画編集アプリで音楽を入れて編集してみた。音楽は著作権のオープンなサンプルからいただいた。ただもっと短く編集したかったのだがそれが持っているアプリではできなかったのと、こういう事をするならばもっと効果的な撮影ができたように思う。次回のかだいということで。


>>続きを読む

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ポケットの窓から - 2015.05.24(ポケットの窓から)
はる 5070
 ちょっとお休み。今日は綺麗な夕焼けだった。写真は実際より薄い。


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人物のいる風景 - 2015.05.23(画集「こたえてください」1)


人物のいる風景
F80
1984
はる 5069
 一見昨日の絵と違って見えますが、やっていることはほとんど変わりません。セザンヌから始まったキュビズムは多視点という方法で違った場面を一つの画面にまとめました。見えたまま描く遠近法ではなく記憶にある、過去に見た経験も画面の中に取り込むということをしたわけです。

 ところでこういった方法はカメラや映像の発達で多くの作家が影響されていたようです。印象派の頃から写真が出てきて動くものの描写に利用されていたようです。あのベーコンの人の顔がぐるりと一回転したような絵もそんなところから出てきたのじゃないかな。

 それはさておいてこの絵の話に戻ると、簡単に言えばダブルイメージという事になる。今でもよく使う手なのですが、モンタージュとかコラージュに近いかな。一つの画面に違ったものを組み合わせて新しいイメージを作るという方法。この方法だと下絵を二つ用意すれば実際に物を見なくても何とか絵にすることが出来る。人物の中に風景の一部が入ってきたり、また反対に風景のなかに人物が溶け込む。

 技法で言うならそんなことをやっているのだが、やりたかったことは物を一度バラバラに解体してもう一度自分のルールで組み立てるといったことをやっている。


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丘からの眺め - 2015.05.22(画集「こたえてください」1)

「丘からの眺め」
F80
1983
油彩

はる 5068
 この頃絵が大きく変わった。一つは木村忠太に出会ったこと。そして仕事を辞めてぷー太郎になったこと。そんなことが関係しているのかもしれないな。とにかく人生の大きな節目の時だった。私の人生の中であれほど荒れ狂った時もないのじゃないだろうか。

 ある程度覚悟して教員になった。そのことに後悔はなかったはずだった。「絵描き」なんかなれっこないよな、それなら「でもしか先生」で二足のわらじで行こうと腹をくくったつもりだった。

 ふたを開けてみると、やっぱり腰かけでやれる仕事ではなかった。子供たちは正直だ。無理難題を押し付けてくる。今考える当たり前だけど、趣味じゃないからね仕事は。一年できりを付けた。3年やっていたら辞めることはできなかったように思うな。あれから30年以上経った。続けていたら今頃は定年退職でのんびり老後の人生をおくることになったのだろうか。もしもはない。

 何か仕事のあてがあって辞めたわけではなかった。とにかくもう定職には就かないと決めた。絵で食えるとも考えていなかったし、もちろん個展をやったこともなかったし、どこかで大きな賞を貰ったこともなかった。誰かが褒めてくれたこともなかった。それでも絵を描いてゆこうとそれだけを決めた。食えなくてもいい。「絵を描く」それだけでいいと思ったんだな。今考える我ながら凄い決断だね。

 ボロイ車(スバルサンバー360)を買って、この絵は車に屋根に積んで現場で描いたものだ。アトリエ制作というのが出来なかった。どうやって見ないで作品を描くのか、今まで静物を並べて描いていたので空想で絵を描くなど出来なかった。実際の風景を見ながら何とか自分なりの形を見つける工夫をした。色はセザンヌのままだけどね。なんとかめぼしが着いたようだ。


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コーヒーサイホンのある窓辺 - 2015.05.21(画集「こたえてください」1)


コーヒーサイホンのある窓辺
F100
1980

はる 5068
 随分昔にこれについて書いたエッセイを発見した。いま読み返しても面白いので載せてみましょう。
はる 552
 1980「コーヒーサイホンのある窓辺」F100 
 「コーヒールンバ」というなつかしい歌を井上陽水が唄っ てるのを聴いた。「あかしやの雨が止む時」なんかと一緒にヒットした歌謡曲で、西田佐知子があの鼻に掛かったような声で唄っていた。昨日の話じゃないけれ ど、ボサノバ女王といわれた何とかジルベルト(名前を度忘れした)も最初は素人っぽいなんていわれていたけれど、それが「個性的な声」となって最後には 「ボサノバには無くてはならない歌声」ということになった。素人っぽさもそれを売りにまで昇華させれば本物になるということだな。

 コーヒーをは じめて飲んだのは小学校も高学年になっていたと思う。当時はインスタントコーヒーなどなくて、今から考えるとかなり荒挽きの缶入りの粉だった。専用のポッ トに何杯かそれをいれて茶漉しでこして飲んでいた。手間を食うわりには美味しくないもんだという印象しかのこってない。

 その後学生になって初め てバイトした音楽喫茶は、当時の流行なのかすべてサイホンコーヒーだった。サイホンに入ったお湯がポコポコ音を立てて揺らいでいるのを、きれいだなぁと眺 めていたおぼえがある。実際はサイホンでたてるコーヒーは少し苦くなりすぎるところがあって、それから掃除が面倒だということもあってドリップ式に取って 代わられた。今サイホンでコーヒーを入れている家庭は珍しいのではないかな。

 さてこの絵は始めての100号だ。セザンヌから始った絵画の道はそ ろそろキュピズムの尻尾が見えてきた。構成を大胆に平面化しょうという意図が見え隠れしている。具体的な形や色がまだ色濃く残っているので、そういった意 味では分かりやすいく、美くしく仕上がっているようだ。こういった素人っぽさも突き詰めていけばいいのだけれど・・・。
 


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張り子の馬 - 2015.05.20(画集「こたえてください」1)


張り子の馬
1978
F50

はる 5067
 そうか何回も出てきたけれどこれについてのコメントは書いてなかったようだ。というわけでこれからしばらく今度の個展に出す作品について暇に任せて書いてゆこうかと思う。途中で嫌になれば止めます。あしからず。

 この絵からは、 明らかにセザンヌのお影響が感じられますね。この頃はわりとブルーが好きでコバルトブルーからウルトラマリンの絵の具を使うことが多かった。最近は意識して赤い絵の具を使うことが多くなったけれど、あれはいつ頃からなのかね。赤い絵は難しいとその頃は思っていた。特に血のような赤は当時は描けなかったな。グロテスクにならないように、品よく使うのはある程度年を食わなきゃ難しいのかもしれない。

 青い絵というのはサービス精神が旺盛であるように思う。青さえ塗っておけばほとんどの場合何とかなる。まちがっても嫌われることがない。誰からも好かれる節操がない。八方美人。

 今日はちょっと疲れたのでまた。


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午後の光 - 2015.05.19(画集「こたえてください」1)


窓辺の静物
油彩
F80
1983

はる 5066
 もう何回も出てきた作品なので目新しくもない作品ですが、今回の個展で久しぶりに公共の場にさらします。こんな絵も描いていたんだなぁというのが今の感想だな。見たまま描いた具象と自分の中にあるぽやぽやしたあやふやな抽象的な形と色との組み合わせで出来ています。窓辺に置かれたガラスなどは具体的に見て描かれていますが、周りの空間はほとんど抽象的な雰囲気で出来ていますね。最後に全体を引き締める黒の使い方が今の絵の作り方と似ています。ここらで勉強したのかもしれません。モチーフの組み立てや、作り方に大学のT先生の影響が色濃く出ています。


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ポケットの窓から - 2015.05.18(ポケットの窓から)

はる 5065
 午前中に倉庫に出かけて、今度の美術館での個展の作品のセレクトと額入れをする。大きくて重たい作品の額入れ替えは年ごとに段々大変になってきた。だからこういった昔の作品を一同に並べるといった個展はひょっとするとこれが最後かもしれない。美術館に収蔵してもらっている「平均律」という130号の作品も今回は借り出して展示する。

 展覧会が終わったらこれ以外の多くの作品の写真を撮って、処分するものと残すものとに分けるつもりだ。今借りているこの倉庫もいつまでもというわけにもいかない。どこかで切を付ける必要がある。まだ体力が残っているうちにやろうと思う。

 しかし、こうやってほぼ私の一生の半分の作品ダイジェストをこういった形で見ることが出来るのは表現活動にかかわった者のご褒美のように思う。大げさに言えばこれを描くためにこの人生を選択してきたと言ってもいいわけで、描いていた当時は遮二無二没頭していて何も考えていなかったわけだけれど、結果としてこんな作品が残った。描いていた当時の事を鮮明に思い出す。大作家にはほど遠いけれど、満足だな。

 ここから十年どこまで行けるかだ。がんばろう。


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個展楽日 - 2015.05.17(ポケットの窓から)

はる 5064
 昨夜打ち上げでした。個展が終わって急いで帰って来ました。町田個展無事終了!お疲れ様でした。詳しい報告はまたの機会に。とりあえず、ありがとうございました。


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- 2015.05.15(未分類)
はる 5062
 明日からまた二日ほど東京に居ます。町田の個展の最終日の片づけも兼ねます。都合がつけばいらしてください。

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今日のアトリエ - 2015.05.14(ポケットの窓から)
http://blog-imgs-1.fc2.com/image/icon_main/wysiwyg.gif""
はる 5061
 ちょっと熱がある。お休みなさい。


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国展 - 2015.05.13(ポケットの窓から)

はる 5060
 こんな彫刻が好きなのは自分には子供がいないせいかもしれない。電車などに乗っていて小さい子供が目の前に居たりするとほほを触りたくなる。これは危ないお爺さんだと思われるから手は出さないけれどね。何だろう、昔は子供が好きではなかったはずなのに、いつの間にか私の許容範囲に入ってきた。年を取ったということだろう。


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- 2015.05.12(未分類)


004.jpg

玉川大学イコンコレクションから

はる 5059
 玉川大学にはイコンのコレクションがあるとSさんに教えてもらった。それは是非見なけれと先日個展の会場に行くよりもそれを見ることを優先した。広い贅沢な会場には私と家内しかいなくゆったりと時間を過ごした。ルーブルやマグリットなど見る気もしないが、こんなにいいものが身近に見ることが出来る会場には誰もいない。まぁそれで私どもがゆったり見ることができるのだからありがたいことだけれどね。

 ちょっと脱線する。

 付和雷同というのか、流行ものに弱い、熱しやすくて冷めやすい、長い物には巻かれろ、従順である、我慢強いなどなど、長所でもあるし、最大の欠点でもある。何だろうな、土地の縛られてその場所で生きるしかなかった農民根性というのが身に染みているのだろうかね。

 まじめだから従順だからいったん戦争になったら何でもやっちゃうんだ。逆らえないから場を読んでしまうから、反対意見を言えなくなってしまうんだ。村八分が、仲間はずれが怖くてね。いけないことだと思っても言い出せなくてずるずると上からの命令は絶対になってしまう。真面目だから小心者だから人を殺せないのでは断じてない。真面目だから人を殺してしまうのだ。

 大学の構内があまりにも平和で幸せでありすぎたから、人から与えられた平和というのは脆いものだ、是が非でも守るという強い意志が必要だという気がしたのだ。

 またこんな話になってしまった。

 


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国画会展 - 2015.05.11(ポケットの窓から)

はる 5058
 国展の最終日でした。個展会場がある玉川学園に午前中でかけて玉川大学のコレクションのイコンをどうしても見たくて出かけました。イコンの話はまた今度にします。

 初めて玉川大学の構内に入りましたが、広大な敷地のほぼ七割以上が鬱蒼とした森で点在する校舎は同一の色調で統一されて本当に美しい理想郷のようでした。途中学食によって昼ご飯をごちそうになったのですが、若い学生たちが楽しそうに談笑している姿を見て幸せな気持ちになりましたね。たぶん若い学生たちは何も感じてはいないのでしょうが、何も警戒する恐れがない幸せというのを感じたな。

 たとえば上からの命令で何か強制的にやらされるとか、隣近所に気を使って恐れるとか、誰かの噂話に耳をそばだてるとか、大きな力が支配している社会というのは、どんなに取り繕ってもこうではない。どこか不安や心配事がこころを憂鬱にさせる。何が言いたいのかというと。

 戦後70年大きな戦争に巻き込まれることがなくて、もちろん色々な地域の犠牲によって今の平和が保たれていることは確かなことなんだけれど、それでもやはりどこの国よりも平和で安全な国だったんだな。それはあの戦争によって「あぁもう絶対戦争は嫌だ」と思った体験が作ったものだ。それはとても大事にことだよな。いろんなもの失ったけれど、戦争だけは、直接武力の行使だけは使ってこなかった。そのことはもっと誇ってもいいと思うんだな。結局先の戦争で得たものはこの憲法だけなんじゃないかな。理想はとても大事なもののように思うのだな。

 なんだか変な文書だけど眠いので我慢してくれ。


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no title - 2015.05.10(ポケットの窓から)










個展2日目
展示の様子


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ポケットの窓から - 2015.05.09(ポケットの窓から)

個展1日目
始まりました。


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ポケットの窓から - 2015.05.08(ポケットの窓から)



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サーカスのまえぶれ - 2015.05.07(ポケットの窓から)

はる 5054
 明日から二日ほどまた個展のために出かけます。今度は東京町田です。月曜日は六本木の国展の搬出の手伝いです。毎年の事ですが、春は展覧会のために上京することが多いですね。

 たぶんまたケイタイによる写メとコメントしか更新できないと思いますので、あしからず。

2015年 5/9(土)~5/17(日) 
  5/9,10、16,17作家在廊
第75回・榎並和春個展

「大きな樹の下の小さな展覧会」
町田・シャギードッグギャラリー
194-0041
東京都町田市玉川学園5-2-11
Tel.&Fax. 042-720-8408


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ポケットの窓から - 2015.05.06(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2015.05.05(ポケットの窓から)

はる 5052
 私などは絵を描いて展覧会に参加して個展してといった生活が普通の日常生活になっているので、客観的に今の時代の「絵画の位置」みたいなものが全く見えない。それ以外の生活をほとんど知らないので、普通に生活している人たちにとって、絵画などというものは全く縁遠い物なんだろうな。どうだろう。その人たちにとって絵画というのはやっぱりダビンチのモナリザだったりラファエロの聖母像だったりするのだろか?

 この間東京に久しぶりに出かけて、電車に乗った。東京は公の交通網が発達していて、大体都内ならどこでも電車でゆくことができる。地方に住んでいる我々からみると非常に特殊な発達をした、奇妙な場所だ。便利は便利だけれどね。

 電車に乗るとほとんどの人がケイタイを見ているか、操作している。大体90%のひとがスマホだな。少し前にはありえなかった光景で、あのお小さな機械を大事に眺めている姿は知らない人から見れば何か特殊な信仰のように見えるのではないだろうか。

 昔、そう中世の頃、人が長い旅に出る時に心の拠り所として小さなイコンや仏さんの偶像を懐に忍ばせて持ち歩いていたらしい。衣食住のほかに人は心の拠り所として「信仰」を欲していた。それがあることが人間の証明でもあったわけだ。

 現代の旅人は懐にスマホだけ忍ばせていれば安心できる。スマホは現代のイコンかもしれないな。


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今日のアトリエ - 2015.05.04(ポケットの窓から)

はる 5051
 今日は松本まで運転手。帰ってきたのが10:00でした。疲れました。


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浪速の茨 - 2015.05.03(ポケットの窓から)

はる 5050
 これは毎年この時期に花をつける我が家の裏庭の生垣です。「なにわのいばら」だそうです。このバラの名前「浪速の」茨なのか、「浪速」野茨なのかどちらでしょう。いずれにしろ物凄い繁殖力です。さすが関西系はしぶといと感動したしだい。

 


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ポケットの窓から - 2015.05.02(ポケットの窓から)

はる 5049
 国展のカタログが送られてきた。年々厚くなってくるようで置き場に困る。初出品から今年で25年経った。


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89国展 - 2015.05.01(作品)


A029s.jpg

A029a.jpg

A029b.jpg

A029c.jpg
子守唄と旅芸人
162x324cm

89国展
はる 5048
 大きな作品はどうにも苦手だなと思う。そうだなぁ、コンクールや公募展に盛んに出品していた頃は、あわよくばこれで何とか一発当ててやろうなどという山っ気があったものだから、それなりに作戦を考えて挑戦したものだ。戦うべき相手というのが他にたくさん存在していて、どうしたらそれらを差し置いて目立つことが出来るかということが、大きな絵を描く動機になったわけだ。

 ところが、ここ最近は戦うべき相手というのがいない。しいて言うならば自分自身の中にある。まぁこれが本来の表現のあり方なんだろうけれど、どうにも動機が弱いのだな。確かに何の下心なく大きな作品を描くという楽しみはあるのだけれどね。だからといって何が何でもこれだけは言いたい、といった切羽詰まったものはないのだな。本当に言わなければならないことはそんなに大声で言うべきことではない。だから間に合わせの展覧会のための作品作りになってしまっているというきがする。

 個展用に小さな作品をいっぱい並べて描くというのに慣れてしまったからかもしれないが、元々小さく手に持って描くぐらいの作品に100号ぐらいの質量をもった作品が好きだ。そうやって小さい作品をインスタレーションのように画廊という空間に展示する個展という表現スタイルの方が私には合っているようにも思う。

 今の私には、小さな声で充分な気がする。


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