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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

ポケットの窓から - 2015.01.31(ポケットの窓から)
はる 4958


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ポケットの窓から - 2015.01.30(ポケットの窓から)
はる 4957
 また雪が降った。昨年の145cmがあるので雪はこりごりだ。雪国の人には申し訳ないけれど雪など迷惑以外なんでもない。普段1mも積もったことがない所に突然気が狂ったように降ると、色んなものが滞ってしまう。人間の生活などという物は本当に微妙なことで破たんするんだな。

 矛盾することを書きます。絵を描いて生きて行くことは絵を描くことを職業にする、仕事として絵を描くことではない。単純な話一枚描いていくらになったというそんな職人ではない。(職人仕事を軽んじているわけではありません)最近美大なんかでもアートマネイジメントなどという洒落たいいかただけど、要するにどうやって絵描きを生業にするかということを、少し真面目に始めたようだけれど、教える先生方が生業にいしていないのに、それを教えることに矛盾はないのかな。

 絵を描いてゆくというのは仕事にはなりにくいのだな。卒業展覧会に自分の名刺やファイルを置いて有力な画商さんやコレクターとコンタクトを取って何とか世の中に出たがる若い人がいるようだけれど、就活のノリで自己アピールしてまぁ、仮に運よくどこかの画商さんに拾ってもらったとしても、すんなりそれで食べて行けるわけではない。

 絵を描いて生きて行くというのは職業として絵描きを選んだというのではないのです。矛盾があることは百も承知で書きます。何とか絵を描いて生きて行くという生き方をする。そんな人生を選んだという事だと思います。それで食べて行けるかどうかはある意味関係ないのです。結果として絵が売れて絵で食ってるかもしれませんが、それはあくまでも目的、目標ではないのです。そこのところを間違うと、売れない絵描きは不幸だ、人生を間違った、棒に振ったということになるのです。

 どんなことをしても絵を描いて生きて行けた、生きて行くということだけで満足なんです。そう思いませんか?同志諸君。


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ここまで来た。 - 2015.01.29(作品)


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祝 5000カウント企画 小さな版画を抽選の上3名にプレゼントいたします。↓のメールホームにお名前とご住所を書いて「5000カウント記念プレゼント欲 しい」と書いて送ってください。募集期限は5000カウントを打つまでとします。どんどんご応募してください。なお、発表は発送をもってかえさせてもらい ます。どのバージョンが当たるかは分かりません。あしからず。
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm

はる 4956
 こういった版画も結構面白い。版画と言っても下地に色んな色を敷いてあるので刷ってみないと仕上がりが分からない面白さがある。一般多色刷でもないし、こういうのを何というのだろうか。凹版に見えるけれど、凹版ではない。凹版はへこんだ部分にインクが入って線が印刷されるものをいう。私の物はもっと簡単なもので、飛び出している部分にインクが付いて印刷される。

 しかし、このやり方は私のいつもの作品の作り方とよく似ている。下地に色んな色がはいってそれだけで抽象画のように見える。↓の写真はその途中の様子。こうやってその上に線彫りした形を乗せる。彫り込んだところは下地の色がそのまま見える。そこを少し計算するわけだ。紙に元々色がついているものを選ぶのでさらに複雑な予想がつかない色味が出る。

 いつの間にか何かあるとこういった版画を作るようになった。どこを切っても同じようなものが出てくる金太郎あめのように、どんなところにも大なり小なりその人間が出てくる。

 作家として、名をあげ身を立てるのは大変な事だけれど、まぁここまで来てしまったから言うわけではないが、端からそんなことはどうでもいいわけで、もしそれを目指すのであれば他の事をした方が世のため人のためだろう。私にとって最も大切なことはこうやって生きてきた、これからもこうやって生きて行くということそれだけなのだな。
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ポケットの窓から - 2015.01.27(ポケットの窓から)
はる 4955
 家の黒電話機。これより一つ新しい黒電話は結構見かけるけれど、これはプラスチックではないエボナイトではないかな。4号A自動式電話機という物で、調べると昭和20年代の物らしい。ベルの音がやたらうるさいので外してある。だからトロトロという動作音しかしない。実際に使っているものですよ。だから家はアナログ回線のままです。ネットはケーブルなのでそんなことが出来るのです。


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はる 4954 - 2015.01.27(ブログ)
はる 4954
 今日は画像が添付できない。どういうわけかよくわからない。というわけで今日はお終い。また明日。

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今日のアトリエ - 2015.01.26(ポケットの窓から)

はる 4953
 自分で言うのもおかしいけれど、毎日というのはとにかく凄いことだ。まぁ衣食住や自己の生命活動維持以外の事で毎日とにかく続けるという事があるだろうか。たとえば仕事にしたって一週間に一度は休むわけだ。どんなに好きな趣味でもどうだろう毎日はできないだろう。毎日一言でも書くという事を自分に課して10年ぐらいになるか。

 最初は普通に感じた日常的な雑感をネタをもとにつづっていた。そうすると、変わったことなど日々の生活の中ではほとんどないということに気が付く。変わったこと、気が付いたことをネタとしてストックして書いてゆくという仕事はいずれは飽きてくる。ネタが尽きる。

 最近はとにかく一言書いてしまう。そこから次の言葉が出てくるのを持つ。そうすると日々の生活の中で、ほとんど気が付かない微細な出来事や見過ごしていることや物にやがては気が付く。人はそんな微細な出来事や物事で出来ている。そんなものの積み重ねが私という人間を形作っている。面白いと思う。

 もう少し続けてみようと思う。



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今日のアトリエ - 2015.01.25(ポケットの窓から)
はる 4952
 ↑の彫刻刀はおふくろが使っていたもです。何年か前におふくろが亡くなって実家を整理していた時に色々出てきた物の一つだ。おふくろは素人だったけれど絵を描いたり、木彫りや小さな彫刻なども好きでまぁ一時はかなりの作品を作っていた。

 作品はほとんど処分したようだけれど、こういった道具は私が使うかもしれないというので取っておいてくれたようだ。版画を作ろうと思って彫刻刀を探していたら、そうだそうだ、おふくろの道具があったと思い出した。厚い布に包まれたずらりと並んだ彫刻刀が出てきた。その一つ一つに名前が書いてあった。懐かしいおふくろの字だ。ざっとしているけれど物は大事に使う人だったなと、思い出したしだい。

 全部で15枚の版画を作った。メインは五月の町田のシャギードッグギャラリーで発表するつもり。町田のギャラリーは普段は洋服と雑貨のブティックです。時々ガラスや陶器の展覧会をするみたいだ。昨年の春見に行ったときは大きな樹に包まれた素晴らしい雰囲気だった。というわけで、作品は版画を中心に展示する予定。どんな展示になるか、私も楽しみにしています。

2015年 5/9(土)~5/17(日) 
  5/9,10、16,17作家在廊
第75回・榎並和春個展

個展タイトル「未定」
町田・シャギードッグギャラリー
194-0041
東京都町田市玉川学園5-2-11
Tel.&Fax. 042-720-8408


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あと20年 - 2015.01.24(今日のアトリエ)



The Tango - Scent of a Woman


Ennio Morricone - Cinema Paradiso

はる 4951
もう一月も終わる。あっという間の出来事だ。それで春になれば新しい一年生が入ってくる。私は非常勤講師なので一週間に一度しか学校へは行かないのだが、それでもこうやって新しい生徒に接する機会があるのはありがたい事なのかもしれないな。非常勤には定年がないので、自分が辞めるというまで仕事はあるようだ。面倒だけれど、メリハリがあることは確かだ。

若い時はもっとたくさんの授業も取っていたし、他の学校にも出かけた。それでも年間の収入は正規の先生の四分の一ぐらいかな。春休みや夏休み、冬の休みは給料は出ない。たぶん多くの非常勤の先生はすごく不安定な暮らしをしているだろう。どうやって暮らしてきたのか、今考えると分からんな。今でも絵で充分食えているわけではないけどね。もう少し頑張らねば。長くてもあと20年ぐらいしかないからな。

まぁ今日は若い絵描きさんから電話があって、そんなことを尋ねられたので書きました。


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プレゼント企画 - 2015.01.23(ポケットの窓から)

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気まま暮らし
版画
17x12cm
2015年
はる 4950
 5000カウントまであと50になりました。まだ一か月ちょっとありますが、プレゼントの募集をしましょう。上の多色版画を抽選で3名の方にプレゼントします。大きさはハガキサイズです。額とマットはご自分で付けて下さい。締め切りはカウント5000を打つ日とします。ですから3月中ごろでしょうか。

 ここにお名前とご住所を書いて「5000カウント記念プレゼント欲しい」と書いて送ってください。悪用は極力しないようにします。どんどんご応募してください。なお、発表は発送をもってかえさせてもらいます。
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm

 考えてみますと随分と長い間こうやって日記のようなものを書いて来たものです。一番最初は2000年の9/25日ですので約もう15年になります。最初の頃は飛び飛びに書かれていて、欠番もけっこうあります。世の中に多くのブログがありますが、これほど長く書きつづられているブログは少ないのではないでしょうかね。

 アーカイブはこのブログの一番下にあります。またここでも読めます。
http://enami.sakura.ne.jp/mukasi.htm


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今日のアトリエ - 2015.01.22(ポケットの窓から)

はる 4949
 たぶん少子化というはもう何年も前から分かっていて、抜本的な解決策というのを取ってこなかった。まぁこういうのは政策でどうこうできる問題でもないのだが、結婚して家族を持って子供を育てて行く、そういったことに夢が持てなければ自然に子供たちは減ってゆくだろう。

 経済的な援助や助成金みたいなものも少しは役に立つかもしれないが、最も根本的なことは、これからの世の中が生きて行くに値する素晴らしい世の中だという希望がなければ、何となく自然になえてゆくように思うな。

 世の中がまだ十分に食えなくて、何が何でものし上がって成りあがってみせるというような時代ならば、ある意味価値観は共有されやすい。分かりやすいといっていいかな。たぶん同じ西欧型社会の中でも日本は特異な発展をしてきたのではないかな。敗戦というショックから頑張ってがんばってここまで来た。これからと思ったら、なんだか国全体がなえてしまった。

 大きな借金抱えて、どうでもいいような公共事業をして空元気を演出している。原発も再稼働が近いか。食料の自給率は低いし、どう考えても先行きは暗いな。

 今日は眠いので支離滅裂、勘弁を。


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no title - 2015.01.21(ポケットの窓から)
はる 4948
 今日は疲れましたので寝ます。


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- 2015.01.20(未分類)


クートラス

はる 4947
 http://matome.naver.jp/odai/2137287302606028401

 今頃どうしてこんなことがでてくるのだろう。もっと早く出せばよかったのに。恣意的にコントロールされているのだろうか。反日も親日も反韓も親韓も両方あって当然いいのです。どちらか一方というのがよくない。表現の自由というのはそういうことじゃないだろうか。


 誰もが平和を願いできるなら仲良く暮らしたい思っているはずでしょう?反目させることで得するのはだれだろうか?よく考えてみればわかることですね。

 市場経済は、平和で成長しない完全なリサイクル社会になれば破綻します。基本的には競争させた方が、戦争になった方が儲けるのです。とても悲しいことですね。



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マンボ Dudamel - 2015.01.19(you tube)

Manbo
Dudamel



Gustavo Dudamel "Danzon No.2"

これも好きだな。最後は泣ける。

Fuga Con Pajarillo / Orquesta Simón Bolívar de Venezuela



Hancock ..Dudamel ..Gershwin ..


マンボとは、ハイチの土着宗教ヴードゥーの女司祭の名前で「神との対話」の意味を持っている。ドゥダメル氏はまさに、音楽の神との会話を楽しみながら指揮を振っているように見える。

はる 4946
まぁ本当によくわからないのだけれど、分からないなりに考えて書いてみよう。間違っていても批判は受け付けないのであしからず。

表現の自由についてだな。自由、自由と金科玉条のように言うけれど、まぁ私たちはそんなにたいせつにしてきかたか?また自由というは好き勝手に自分のやりたいこと言いたいことをいうということなのか、そいった子供じみた自己満足のために人は戦ってきた訳じゃないだろう。

いろんな時代があって、例えば宗教が絶対の時がありそれを冒涜することが死罪になる、また絶対君主のような暴君が封建的な力で無理難題を押し付ける、悪口陰口さえ許されない、また日本の戦争中のように軍が圧倒的な力を持って批判も許さない、そんな窮屈な世の中が二度とないように、ありとあらゆる表現に制限を加えることなく表現する権利というのを人々に与えたのではないかな。

ある時代にはそれが正義であっても権力形態がかわったら間違いであったというようなことがあっては、何が正義か悪かわからないじゃないか。だから少なくともどんな場合でもたとえ今の世の中で悪とされるものであっても表現する自由だけは保障しようではないかと決めたのじゃないかな。

そんなことから考えると、たとえ例えばだよ、今の時代ヘイトスピーチとされる事柄であっても一概に規制するべきではないのかもしれん。ましてそれを暴力で黙らせてしまうというのは、まわりまわって結局は自分たちの首を絞めることになる。自由を規制するということになるのではないか。言論には言論で対抗するというのが筋なのかとも思う。

桑田が紅白の事を謝罪するというはどう考えてもおかしい。そうやってたとえ遊びであったとしても、自由にもの言える、歌える、茶化して面白おかしく笑って、笑わせることが出来るというのが自由の雰囲気で、あれは良いけどこれは悪い、なんか言いにくいという世の中にしてはいけないのだ。今回の件で一気に右翼化が進む気がするな。



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気まま暮らし - 2015.01.18(未分類)

版画「気まま暮らし」
17x12cm
2015

はる 4945
 こんばんは。まぁ不登校は根が深いですね。昨日の文章を載せたのは、この年になってあの「学校に行きたくない、切ない気持ち」を思い出したからです。理由はわからんのですよ。今だから言えるけれどね。今でも学校に行くときは時々腹痛になります・・・。いい爺さんがね。


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今日のアトリエ - 2015.01.17(ポケットの窓から)
はる 4944
 まれびとさんの日記 2015/1/16より転載の無断転載
http://www.geocities.jp/marebit/TOP.html
80年代の半ば。
 3DKの社宅の壁にはまだ抽象画はなかったし、書棚の本も少なかった。「こどもベや」 と呼ばれたわたしの部屋にはブルーナの小さなたんすがあった。そして 「り――――っ」と、身の毛もよだつ音を立てる赤い目覚まし時計があった。
 南向きの部屋は朝日が射し込み、街路樹のポプラの枝先が見える。小学校一年生のわたしは布団にくるまって、涙をがまんしながら新しい朝におびえる。大嫌 いな目覚ましは六時五十分をさしている。母の立てる音が聞こえる。台所で、水道の水を流している。カーテンの隙間から光が漏れている。
 わたしは、死んでしまいたいくらい朝がいやだ。布団を頭からかぶり、目をしっかり閉じる。今にも、短針が、目覚まし用に設定された銀の針に重なろうとし ているのが、目をつぶっているのにはっきりと見える。秒読みが始まっている。この瞬間さえ切り抜けられるものなら、「じごくにおちてもいい」とわたしは思 う。わたしは自分が生まれた日に戻りたい。もう一度同じ日々を暮らし、育ち、七年経って、今この時を迎えたらまた0歳の赤ん坊に戻るのだ。きつく閉じた両 目に涙がにじむ。息を止める。「きゅっ」と水道の栓を止める音がする。一瞬だけ、静寂の間がある。近づいてくる母の足音。わたしの神経をずたずたにする 「り――――っ」という耳元の目覚まし。
 わたしの名を呼びながら、母が「こどもべや」に入ってくる。寝たふりを決め込むつもりだったのにもうたまらなくなったわたしは大声で泣き叫ぶ。髪をかきむしり、着ているパジャマを引き千切ろうとし、布団を蹴って、あらん限りの大声で。
がっこういかない。がっこういかない。がっこういかない。おかあさんのばか。おかあさんのばか。おかあさんのばか。
 母はわたしにしがみつく。母は何か言っているがわたしには聞こえない。わたしには自分の声しか聞こえない。母はわたしを押さえつけるように抱きしめる。 母はもうそうするしかない。わたしは必死に暴れる。母の腕から抜け出したい。学校に引きずっていかれる恐怖の瞬間を一刻でも先延ばししたいばかりに叫び続 ける。おかあさんのばか。おかあさんのばか。おかあさんのばか。なんにもわかってないくせに。なんにもわかってないくせに。
 母の力が強まるとわたしの恐ろしさは最大になる。わたしは全力でもがき、噛み付いて母の手を逃れ、本棚にしがみつく。母が無理に引き離そうとすると子ど も用の低い本棚は倒れ、わたしの大好きな絵本が散らばる。『はるかぜのたいこ』『赤ずきん』『力太郎』『ちいさいモモちゃん』。わたしは急激に高まる悲し みを感じる。だってわたしは絵本たちをこんなに愛しているのに。わたしのせいでみんなを痛めつけてしまってごめん。恐怖の涙は悲しみを帯びて熱を増す。熱 は怒りに転じる。わたしはころがっていた赤い目覚まし時計を母に向かって力いっぱい投げつける。

 小学校一年生の二学期。わたしが学校を休み始めたころのことだ。
 こんな子どもに、「どうして学校に行かないの?」なんて聞けるだろうか。
 学校に行かない子どもに、「どうして学校に行かないのか」を聞くのは「暴力」だ。
 その質問には、「はんとうは学校に行かなければならないのに」という非難が含まれているし、しかも「それに答えるのはおまえの仕事」とすることで、不登校の子どもに、誰にも助けを求められなくさせ、その子を追いつめてしまう。
 この質問には、大人になった今でもすごくとまどう。
「どうして学校に行かなかったの?」
「不登校した理由を教えて」
いやーわたし実は小学校ほとんど行ってないんだよね、と言うと、必ず聞かれる質問。聞かれるたびに、「めんどくさいな」 と思う。
 どうして学校に行かなかったのかなんて、あのころもわからなかったけど今もわからない。よくわからないことを答えなきゃならないのだから、ほんとうに困ってしまう。
 だって、不登校の理由を聞かれたとたんに、こちらは、
「うちの親がこういう人たちでね、わたし昔からこういうふうに育てられてさー」
 と、「心理」 の言葉で語るか、
「学校って同じ年齢の人が同じ教室に集められて同じことするでしょ。そういう学校のシステムってやっぱりおかしいと思うんだよ」
 と、「社会」 の言葉で語るか、
「そのときの担任がすごく感情的に叱る人で」 「クラスにいじめがあったの」
 と、「教育」 の言葉で語るか、そのどれかしかなくなってしまうのだ。
 どれかを話せば相手が 「ふーん」 と神妙な顔で納得することはわかっているのだけど、それらの言葉を口にしたとたんに、自分の経験がものすごくウソく さい陳腐なものに思えてきて、イヤになる。言葉ばかりがどんどん遠くに行ってしまって、どんな言葉で説明しても、「わたしの不登校はそんなんじゃない」と 思う。
 わたしは、小学校一年生という、とても早いうちに学校に行かなくなったが、いじめとか体罰とか、そういう直接のきっかけはなかった。ただ「行きたくない!」という気持ちだけが半端じゃなく強くあった。
「不登校」 っていうと、「特別な子がすること」という気がするかもしれないけど、でも、学校に行きたくない気持ちなんて、べつに特別なもんじゃないと思 う。だって、学校に行ってる子どもたちだって、不登校の子を非難するのに「ずる休み」という言葉を使うもんね。そこにあるのは「うらやましさ」と「ねた み」だ。僕だって学校なんか行きたくない、けどがまんして行っているんだ、みんながまんして行っているのにひとりだけ「ずる」 は許さない、という思い。
 不登校の子どもは学校に傷つけられるけど、学校に行っている子は学校と不登校の両方に傷つけられる。不登校は、「学校に行かない」という選択肢を見せつけることで、学校に行っているすべての子どもたちの 「がまん」を侮辱する行いだ。
「行きたくないのにがまんして」学校に行ってる子どもが、どれほどいることだろう。そうではない子どものほうがめずらしいくらいだ。
 けれども、世の中の人びとは「子どもは学校に行くものだ」と心の底から信じているから、「行きたくない」と騒いだくらいでは不登校を許してはくれない。そこですじ金入りの子どもは発熱、おう吐、げり、チックなど身体症状で戦いを挑むことにな
る。
 親はびっくり。なだめすかし、叱咤激励、おどし、追いつめ、泣き落とし、慌てふためいた末に 「学校よりは命が大事」、アホか! とも思うそんなあたりまえのことに大人が気づいてようやく、不登校は認められるのだ。
 学校に「行く」と「行かない」は、正反対の違いではなくて、「程度の差」 に過ぎない。いじめとか体罰とか、説明しやすいきっかけを持っている人もいる けれど、それだって、ある意味では多かれ少なかれみんな学校という制度にいじめられたり暴力をふるわれたりしているのだから、「程度の差」だとあえて言い たい。いじめの加害者だって、大きく見れば被害者なのだ。そして、もっとも力の弱いところに被害が集中していくおぞましい構造がある。
「グレーゾーン」とか「不登校気分」とかいう言葉がある。不登校研究で有名な森田洋司さんという社会学者が、「学校に行くと行かないは紙一重、今は何とか行っているけどいつ行かなくなるかわからないグレーゾーンの子どもがたくさんいる」 という研究を発表している。
 わたしはこれに大共感。だけど問題はその先。だったら、どうなんだ?
 一九九〇年代の文部省の対応は、「そうか、今現在不登校になっている子どもだけ見ていてもだめなんだ。不登校予備軍にも注意を向けなければならない。不登校根絶には、早期発見、早期対応が必要だ」というものだった。
  だけど、重要なのはそんなことじやない。
  「どうして学校に行きたくないの?」
  それはきっと、誰でもみんなが知っている。人に聞く前に自分で考えてみてほしい。
  学校に行ったあなただって、「行きたくない」 と思った経験があるはずで、不登校の問題を「自分の問題」 として考えることが、きっとできると思うから。

貴戸理恵・常野雄次郎「不登校 選んだわけじゃないんだぜ!」(理論社)」

 



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アトリエ風景 - 2015.01.16(今日のアトリエ)
はる 4943
 そろそろカウントが5000に近づいてきた。後二か月ぐらいだね。前回4000カウントの時は版画を3名にプレゼントした。おぼていますか?
 今回も何かプレゼントを考えています。楽しみにしていてください。たぶんまた新作の版画になると思います。


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ポケットの窓から - 2015.01.15(ポケットの窓から)
はる 4942
 はっきり言って宗教がらみいざこざはよくわからない。今回のフランスの新聞社襲撃の件でもそれだけを聞けば明らかにテロでイスラムに対する非難は当たっているように思うけれど、その新聞というのが問題でまぁ日本で言えばゴシップ記事ばかりを扱っているゴロツキ新聞、ヘイト新聞だったらどうだろう。それでも言論の自由を守れということになるのかな。

 よくは分からないね。一つ言えることはそういったことを利用して何か堂々と兵力を集めて対抗することに利用されるのではないかと危惧する。9.11も古くは真珠湾もそうだったけれど、これを上手く利用して大衆を戦争へと導こうとしているのではないか、結局はイスラムとキリスト教との一神教の対立かな。ばかな日本はそんなことにのこのこ出かけて行こうとしているのではないか。

 結局は誰かの思うつぼで、どこかで争うごとが起きれば軍事産業が儲かるわけで、市場原理主義もグローバル化も世界は一部の人の思惑で動いているのではないか。そんなうがった見方をしてしまう。


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ポケットの窓から - 2015.01.14(ポケットの窓から)



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ポケットの窓から - 2015.01.13(ポケットの窓から)
はる 4940
 誰かのブログかFBに書いてあったけれど、作家の絵はその作家のライふスタイルとか生活観が自然と出るものだと思う。洋風の絵を描く作家の生活スタイルはやっぱり洋風な生活をしているものだろう。反対に純和風の生活スタイルから洋風の絵は生まれないだろう。

 よく言うのだが、ゴッホのような絵を描きたいと思う人は多いと思うのだが、ゴッホのように生きたいとは思わないだろう。ゴッホの絵は彼の生き方から出てきたもので、そういう生き方しかできなかった彼の生きざまが滲み出た絵だから人は感動するのだ。形だけ真似しても全く意味がないわけで、人それぞれ自分のスタイルの絵を描くしかないのだと思う。

 


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きみにつたえたい - 2015.01.12(「こたえてください」2)


「君に伝えたい」
S100
1998
ミクストメディア

はる 4939
 パリでは今回の事件で100万に規模の追悼でもがあった。大統領が近隣諸国に声をかけて連帯を呼びかけたそうだ。たとえば日本でこういったテロがあった場合、韓国や中国に声をかけてテロには屈しないデモをするなど夢のまた夢だな。世界大戦ではナチスに責められたフランスも今回の件では連帯した。大体が今は一つの統一通貨でさえある。我々は本当は憎しみ合ってけん制し合って傷つけ合うよりお互いを認め合って連携して協力し合う方がいいのではないか。遠い国の安保などに頼るより、、。


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憲法前文 - 2015.01.11(ブログ)


はる 4938
 日本国憲法前文・・
  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自 由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法 を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこ れを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安 全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地 位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 中学生の頃、授業でこの前文を暗記させられた。難しい言葉や意味があったけれど、何となく気高い理想を感じた。ここには人類普遍の理想が掲げられている。 実際の世の中では争い事や災いが絶えないけれど、我々はこういう世の中を作りたいという理想を掲げていいのだ。それが現実に合わないからといってちょこま かとその時の為政者の思惑で変えるべきでない。 


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今日のアトリエ - 2015.01.10(ポケットの窓から)
はる 4937
 バブルの頃にテレビ番組で印象に残っているシーンがある。たぶん東京の下町の工場だったように思うが確かではない。若い30代ぐらいのオーナーだったけれど、代々の下町の工場経営者だった。工場にはこまごまとした機械があって、ついこの間まで確かに動いていたという雰囲気があった。それでその工場の裏にパソコンが置いてあって、何の疑問もなく今は工場を止めて従業員も解雇してトレーダーをやっている。その方があくせくして日々の稼ぎをするより効率がいいとしゃーしゃーと述べていた。

 取材する側の人間も多少懐疑的だったけれど、今はそんな時代だから仕方ないのかなぁという雰囲気であった。今日より明日の方が確実に株価が上がる、右肩上がりの成長している日本経済のある種の信仰はだれも疑問に思っていなかった。マネーゲームで利益を生むのであれば誰も額に汗して働きはしない。明らかに分かっていることなのに誰もおかしいとは言わなかった。その時代にいる人間には見えないんだなな。今見ると確実におかしいと思うことが、当時ではほとんどの疑いを持っていなかったように思う。

 土地は値下がりしないそんな神話もあった。みんながこぞって都会の小さな土地を買いあさった。誰かがそこに住んでいるのにそんなことお構いなしで、追い立てて金を貸し付けてそこにビルをぶっ建てた。土地を担保にして何億もの借金をして、終わってみれば大暴落で買った時の半額、それ以下にしかならず、膨大な借金だけが残った人も多い。誰が見てもおかしいのに誰もそのことを指摘できなかった。集団催眠のかかっていたようなものだ。

 騙された、知らなかったというのは簡単だ。いつも誰も被害者になりたがる。被害者であれば何でも許されるような風潮があるが、結局誰も責任を取らない。

 いま日本はとんでもない少子高齢化社会に突入している。根本はそこだろうな。明らかにこのまま進めば倒れてしまうことはわかっているのに大きな手を打たないでいる。これもまたみんなが気が付かなきゃいい集団催眠にかかっているようなものじゃないだろうかね。

 どんな社会を目指いしているのか、理想的なビジョンを提示して見せるべきだろうな。今こそ世界に先駆けて、成長を前提にしないコンパクトで効率のいい小さい社会を目指すというべきだ。そうすることで多くの人々の賛同を得るだろう。


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ポケットの窓から - 2015.01.09(ポケットの窓から)
はる 4936
 まだまだ寒い日が続きます。もうそろそろ飽きてきた。


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no title - 2015.01.08(ポケットの窓から)
はる 4935
 私が団体展に出品し始めたのはそんなに古いことではない。前にも書いた覚えがあるけれど書い内容などとおにわすれているので、思い出しながら書いてゆこう。

 まず、ふつう曲りなりにでも絵を描いて生きて行こうと思ったら、仕事は何でもいいから9-5時に終わる公務員になって夜はせっせと筆を動かすか、まぁその延長でいうなら学校の先生になるという方法しかない。学校卒業していきなり絵描きで食って行けるはずもない。

 学校卒業して教育学部であったから当然学校の先生を選ぶわな。いや私の場合反対で教員の免許が欲しいから教育学部を選んだわけで、美大に行かなかったのはいずれにしても仕事の選択で困ると思ったからだ。25過ぎていたので、経済的な理由が大きいのだけれどね。

 教員という仕事を今から考えるすごく甘く考えていた訳で、一昔前の美術教師、絵の先生的なとらえ方でしかなかった。いまでも教員をやりながら絵を描いている人が多いわけで、そのことには頭が下がります。義務教育なら当然なのだと思うのですが、美術の教員は絵の先生ではない、美術という教科をつかった人間教育が仕事であって、とても片手間にちゃっちゃっと済ませて自分の事だけすればいいという絵描きが片手間にする仕事ではないのだな。

 さて話は変な方向に行ってしまった。元に戻して、団体展の話だな。教員をやりながら絵を描いてゆこうと思ったら、毎年定期的に嫌でも大作を描いて発表できる場があるというのはとてもありがたいことなんだな。最初に選んだ団体は先生の属している団体になることが多い。というわけで最初は何も考えず、光風会という日展系の団体に出品し始めた。続きはまた書けたら、、。


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ポケットの窓から - 2015.01.07(ポケットの窓から)
はる 4934
 ここは南アルプスが真正面に見える綺麗なところ。信号待ちしている間にパチリ。思ったほどきれいには撮れなかった。もうちょっと行くと右手には凍った八ヶ岳が見える。県内在住者にはありふれた風景でも、初めて見る人もいるかもしれませんな。しかし昼間は暖かかったが、夜はガンガン冷えてきた。明日の朝はバリバリに凍りついているだろう。


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椅子とテーブル - 2015.01.06(画集「こたえてください」1)


椅子とテーブル
F80
1981

画集「こたえてください」より
1-2 セザンヌのように

はる 4933
 これは私の卒業制作です。まぁ実際ここにさらすのが恥ずかしくて今まで出しませんでした。でもまぁこれもそれも私ということで、勘弁してもらいましょう。確かに今の私の原点ではありますね。


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花束を持つ人 - 2015.01.05(「こたえてください」2)


「花束を持つ人」
F80
1986
油彩

はる 4932
 これはまた今から30年も前の作品です。色んな作家の影響がもろに感じられますが、当時としては精いっぱいでした。ベースになるのは源氏絵巻などの日本の意匠ですね。それとホックニーなどの現代的なな肖像画にも興味がありました。モデルは結婚したてのカミサンですね。後にも先にもこれしかありませんが、県に寄贈してしまいましたので作品は手元にはありません。たぶんどこかにあると思うのですが、いつか探してみたい気がします。


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いのりのかたち - 2015.01.04(「こたえてください」2)


「祈り」F100 1996 油彩

はる 4931
 かなり前の古い油彩画ですが、良い悪いは別にしてインパクトがありますね。

 1995年の神戸の震災の後に描いたもので、自分の故郷が瓦礫の山になっている衝撃は言葉にできないものだった。その後私は傷ついた故郷をあとにして念願の長い旅に出ます。そこで見たものは人々の変わらない風俗や習慣や生活などなど、あぁ我々と同じだというのと、もう一つは我々とは全く違うという相反するものだった。

 旅を終えて、まずやったことは総括として油彩画の最後の後始末と新しい画材の試作。これじゃないと思った画材をアトリエからすべて追い出した。そして新しい水になじむ親水性の布や紙、土など色んな画材をアトリエに準備した。

 たぶん油彩画として最後のあたりの作品だ。その後ここら辺の作品をまとめて故郷で1997年「いのりのかたち」として個展をした。自分にとっての鎮魂の意味があった。そうしないと前に進めない気がしたからだ。


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- 2015.01.03(未分類)


「再生」
S100
2010年
ミクストメディア


はる 4930
 わが町も過疎化して、昔の商店街(大体薄暗いアーケードになっている)など昼間はまだしも夜など寂しくて、いっそ怖くて歩けない。今回の選挙の公約なんかでも地方の再生みたいなものが結構話題になっていた。どうやれば地方が活性化するか?その有効な手は何が考えられるのか、その傾向と対策をまぁ色んな人が無責任に論じているけれど、これはまたどこにも成功例がない。

 すこしニュアンスが違うけれど、我が国の少子化も凄いもので、このままでは年金はもちろんの事色んな社会制度が破たんして行くことは明らかだ、だからそれを止める特効薬はないのか、その傾向と対策は?と問われる。

 うぅうう、眠くなった。続きは今度。

 復活
この過疎化というのと少子化というは何となく似ている。過疎になるには過疎になるだけの理由がある。そのことを差し置いてとにかく人が集まりそうなビルをおったてる、補助金や助成金を出して若い奴らに何かやらせれば人は自然にあつまるだろう。とにかく金だ、金をばらまけ、というんでやたらと景気のいいことをおっしゃる。お上というのか役人の考えることはそんな様なものだ。自分たちのせいでもないし、仕事として何かやっている格好をしているだけ。町が面白ければ、魅力があれば自然に人は帰ってくる。どんな街をつくるのかそんなビジョンを見せて欲しい。理想だな、将来に対する夢だな。金じゃないだろう。

 少子化対策などとほざいているが、牛や馬じゃあるまいし、将来の年金や国の勢いが何たらかんたらで、産めよ増やせよ的な号令をお上は賭けているが、本末転倒だな。子供を産まないのは産まないだけの理由があるわけで、産んで育てることに夢が持てて安心して子育て出来るのであれば、放って置いても子供は増えるだろう。国の将来のために子供を産むわけじゃないだろう。そだてるわけじゃないだろう。

誰かが書いていたけれど、出生率というのはまぁ国の総合評価みたいなもので、色んなものを鑑みてこの国は生きるに値すると判断されれば自然に人口は増えるだろうというようなことを言っていた。

 昨日かな久しぶりにテレビを見ていたら、タモリがいいことを言ってたな。みんなが合点できる共通認識としてやっぱり自然環境を大事にするということがあるのじゃないか。戦後がむしゃらに働いて色んな弊害やマイナスがでてきたけれど、やっぱ金だけじゃ人間幸せにゃなれん。繊細というのかそういったことを丁寧にやってきた日本人だから、色んな宗教対立なんかを観ていても、日本人なら丸く収めて多くの先進国の中でも優位に立てるビジョンが示せるのじゃないか。かなり私なりに修正したけど、そんなふうなこと言ってた。私も賛成だな。



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ポケットの窓から - 2015.01.02(ポケットの窓から)



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