あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

おおいなるもの07 - 2014.12.31(画集「こたえてください」1)


おおいなるもの 07
F130
2007
ミクストメディア

画集「こたえてください」より
4-5 あるがままに


はる 4927
 Iさんと
自 己表現などという大げさなものではありませんが、何か物を作ったり書いたりすることが好きだった。表現したい、見てもらいたいというのは今も変わらない私 の根源的な性のようです。ブログななかった時代から日記をネットに晒していたのもそんなところからだと思います。各地で個展をするようになって、ぶろぐや fbを見て来てくれる人が多くなって気づいたことは、このツールは宣伝の媒体としてはとても優れているということです。上のcdの話と共通しますが、メ ジャーな画廊や受賞歴がなくてもネットを媒体とした個人的な告知活動で人が来てくれるということです。絵描きは個人事業主たれ、というのはそういうことだ と思います。マイナーなドサ回り、旅芸人のよに生きて行くというのが、周り回って一番新しいのかもしれませんね。もっといい方法があるかもしれませんが、 いまはここまでです。何かあればおしえてください。たわごとで、失礼しました」

 ということで、それではみなさんよいお年をお迎えください。


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だれもしらない - 2014.12.30(「こたえてください」2)


「だれもしらない」
S100
1998
ミクストメディア


はる 4926
 これも古い作品だな、粗削りだけどいいな。

 今年も明日一日だけとなりました。毎年の事だけれど一年経つのがやけに早く感じます。まぁそれだけ年を食ったということでしょうか。単純には言えないのだろうけれど、10歳児の六倍、20歳の頃なら三倍の速さで歳を経ている気がするな。小学時代の六年間は永遠に続くのではないかと思うほど長かった。

 来年も全国六ヶ所で個展の予定です。出来るだけ在廊する予定です。お近くに来ましたら是非とも寄ってみてください。来年の予定をアップしましたので見ておいてください。近づきましたら随時HPやブログ、FBなどでお知らせいたします。来年もまたよろしくお願いいたします。
http://enami.sakura.ne.jp/koten/koten.html


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- 2014.12.29(画集「こたえてください」1)


こたえてください5
S100
2000年
ミクストメディア

画集「こたえてください」より
4-4 あるがままに

はる 4925
 また少し古い作品をアップします。自分の覚書のようなものです。


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個展楽日 - 2014.12.27(ポケットの窓から)

はる 4923
 無事終了、さっき帰宅いたしました。お忙しい中をおいでくださいましてありがとうございました。感想その他は後日書こうと思います。取りあえずのお礼でした。


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個展5日目 - 2014.12.26(ポケットの窓から)

いよいよ明日で終了です。


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個展4日目 - 2014.12.25(ポケットの窓から)

珍しいお客様が訪ねてくれました。


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個展3日目 - 2014.12.24(ポケットの窓から)

3日たちました。後3日


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個展2日目 - 2014.12.23(ポケットの窓から)

今日は祝日、意外に静かな一日でした。


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個展1日目 - 2014.12.22(ポケットの窓から)

開けました。


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個展前夜 - 2014.12.22(ポケットの窓から)

ブログのトラブルのため、出先からログインできなくなりました。これは携帯から打っています。ゆえに、写メだけになります。あしからず。


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ポケットの窓から - 2014.12.21(ポケットの窓から)



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胡蝶の夢 - 2014.12.20(「こたえてください」2)


「胡蝶の夢」
F100
2003
ミクストメディア


はる 4916
 冬になってバリバリに凍った霜柱をザクザクと踏みしめながら、白い息をはいて川沿いを早足で歩くのは嫌いではない。何だか生きているんだなと感じられるからだ。

 そんな時でも完全には晴れなくて、どこか心の片隅にいつも暗いもやがかかっている。どうしても払拭されないものがある。これが一時の夢であったらなぁと・・。

 「国破れて山河あり・・」そんな時にいつも聞こえる、昔の人の雄大な歌だ。どんなことがあっても、たとえ天下国家が転覆しても、故郷の山や川は変わらずに私を慰めてくれるという歌だ解釈している。我々はそれさえも期待できない、そんな大きな過ちを犯してしまった。

 なぜそのことが分からないのだろう。どうして汚してしまったものをあえて全国にばらまくのだろう。飛び散ってしまったものはどうしようもないのに、それを隠してなかったことのように、影響がないかのように宣伝するのだろう。国は国民を捨てた。国土を捨てた。

 今のお金が欲しいがために、権力にすり寄って助成金やら補助金などというその場しのぎのお金にむらがるのだろう。実質的な力強い物づくりで経済をけん引するのでなく、マネーゲームのようなまやかしの経済によって一時の好景気を演出しているだけだというのがどうしてわからないのだろう。音を立てて船が沈み始めているのに、だれも本質的な解決策を講じない。

 田舎に住む、年取った世捨て人でさえこんな風に思うのに、頭のいい選ばれた人たちはそうは感じないのだろうか。


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おおいなるもの - 2014.12.19(「こたえてください」2)


「おおいなるもの04」
2004
F130
ミクストメディア

はる 4915
 ここらあたりから段々最近の作品になってきます。上の作品は十年前の作品ですからそんなに古いものじゃありません。油彩の作品からミクストメディアになっていったんは大きく作品の傾向が変わりました。ところが不思議なことにまただんだんと元に戻ってゆくのですね。ここらあたりの作品は油彩の最後の頃の作品とあまり変わりません。人の揺れ幅というのか、持っているものというのはそんなに変わらないということなんでしょうか。

 ここ最近のことで言うなら、もっと形がルーズになってもっと人任せになっているように思います。自分が実際に描いている部分というのが段々に少なくなって、私はほとんどオーケストラのコンダクターのようです。


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いのりのかたち - 2014.12.18(画集「こたえてください」1)


いのりのかたち 2000
S100
ミクストメディア

画集「こたえてください」より
4-3 あるがままに




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- 2014.12.17(画集「こたえてください」1)


まれびと 2001
S100
ミクストメディア

画集「こたえてください」より
4-2 あるがままに


はる 4913
 誰だ、この冬は暖冬だなどと予測したのは。寒いではないか。早く寝よう!


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イメージ操作 - 2014.12.16(画集「こたえてください」1)
IMG_6218s.jpg

「こたえてください」 S100 油彩
1997


画集「こたえてください」より
4-1「あるがままに」

 機会があってイタリアを中心にヨーロッパを一年かけて旅をした。けっして絵だけを勉強に行ったわけではない。たくさんのものを見て、美味しいものを食べて、美しい風景に浸って帰って来た。一番の収穫は油彩画をやめたことだ。自分の中にある「木と土と水」的なものが、いとおしく思えたからだ。

 人は色々なもので出来ている。例えば生まれた時は両親から強い影響を受ける。どこで生まれたか、どこで育ったのか、時代やその土地の風俗や習慣にも影響される。青春時代の憧れや、夢や、学校で学んだ事にも大いに関係するだろう。

 私は何なのか?という問いかけは複雑に絡み合った糸を解きほぐすようなものだ。どんどんと下に降りていって、もうこれ以上行けないというところから眺めてみると分かることもある。絵を描くとはそのための道具だ。

 出来るだけ正直に素直に「あるがまま」の自分を晒す事で私を見つめてみたい。多分それが私にとって絵を描く事であり、多くの人に共感をもって観てもらえる唯一の方法のように思う。

はる 4912
 自民圧勝って言っても実際は議席二つ減らしているし、沖縄は惨敗で山梨も小選挙区では議席が取れなかった。後はよく調べてはいないのだけれど、自公でプラスマイナス2議席増えただけだ。圧勝とマスコミが騒ぐほど勝ちが進んだわけではない。反対に民主と共産は10議席以上増やしているわけだから、躍進と言ってもいいのじゃないか。海江田さんの落選ばかりを注目するけど、マスコミの操作で自公がやたら勝った様なイメージを作っているが、選挙前とほとんど変わらんのだよ。沖縄の敗北のことをもっと言ってもいいと思うがどうでしょう。

 それから今気づいたのだけれど投票前の時点で盛んに「自民は300議席をうかがう勢い」とか「自公合わせて三分の二317を超える勢い」などと言っていた。今見るとすでに解散の時点で324だから三分の二超えてるじゃないの?今回の選挙で初めて三分の二超えたみたいな報道だったけれど、これってなんだ。ファシズムの手法か。体制翼賛的に逆らっても無駄だよ、追い風だよ、という演出かい。なんかおかしいぞ。私の勘違い?

 



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存在することの不安 - 2014.12.15(画集「こたえてください」1)


存在することの不安  1997 油彩
F100


はる 4911
 絵は鏡である。第一は描いた作者の想いがある。それがどう受け止められたかは鑑賞者の受信能力による。どんな高尚な芸術も受け止める方にその感受性がなければただのガラクタにすぎない。


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がっかりだ。 - 2014.12.14(画集「こたえてください」1)


「牧歌」 f130 油彩
1993
画集「こたえてください」より
3-3「物語絵のように」

はる 4910
 今更だけど、もうどうしようもない。東日本の大震災があって原発が爆発して、これで懲りて少しは変わるのかと思ったら三年たったらよけいにひどくなった。もっとも我々は主義主張などなくて、その場しのぎで生きてきたわけだから、これからもそうやって生きて行くという方法を選んだというだけかもしれない。

 何だかがっかりだな。


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3-2「物語絵のように」 - 2014.12.13(画集「こたえてください」1)


方舟・4 f130 油彩
1992

画集「こたえてください」より
3-2「物語絵のように」


はる 4909
 私の周りには今の政権がのさばっていることにいいと思っている人はほとんど見かけない。実際に聞いてみたことはないから、本当の事はわからないのだけれど、少なく見積もっても六割以上の人が今の政権にNOと言っているように思う。それにもかかわらず選挙の結果は過半数以上、下手すれば三分の二が与党に占められる勢いだという。結果を見ないと何とも言えないのだけれど。これって何かおかしいなぁ、、。選挙にシステムがどこか今の政権に力のあるもの有利になるようになっているのだろうか。

 何が嫌かと言えば、実力がなくても大きな集団のトップになると自然に大きな力を持つことだ。大きな力を持った集団はその権力を最大限に利用して利権を得る、そしてまた大きな力を得るという悪の循環になる。大きな利権の周りにはそのおこぼれにあずかろうと有象無象の輩が集まって醜い集団をさらに太らせる。

 明らかにその集団のトップは世襲制で、少し離れてみれば同じような似た者同士の血縁関係からでている。そんなことが今の世の中で堂々と繰り返されている気持ち悪さ。何を血迷ったのか国民を戦争に巻き込もうと準備し始めている。恐ろしいことだ。弾劾されるべきだ。

 言いたいことが自由に言えない。言動を左右される。集団ヒステリーのような、まるでサッカーの応援のようなノリでヘイトスピーチされるマイノリティー側の気持ちになってみてください。いつ自分がそういった弱い立場になるかと恐れおののいているのもおかしいだろう。それがファシズムだ。そうなってしまってからは遅いのだ。目覚めろ!

 たとえ賛成でもいい。一人でも多くの若い人たちに選挙に行ってもらって、意思表示をしてもらいたい。知らなかった。騙されたでは済まないのだ。


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ポケットの窓から - 2014.12.12(ポケットの窓から)

はる 4908
 十二月は何となく嬉しい。子供の頃に戻ったようなウキウキした気持ちが味わえるからだ。木枯らしが吹いて寒い夜に暖かくした部屋で温かい飲み物を飲む、こんな簡単なことでも幸せは感じられる。人間は不思議な動物だな。

 凍えて眠れないほどの寒さを知らないからなのか、飢えて死んでしまうほどの飢餓を知らないからなのか、どこまでも能天気で困ったものだ。ほどほどのもので充分幸せを感じるような体質が出来ているようだ。それ以上の欲というものがあまりない。あまりにも平和な時代が長く続いたせいかもしれない。けれどこれは悪いことではない気がするな。

 閑話休題

 政治的なメッセージはあまり好まれないらしい。公の席では宗教と政治の話はタブーらしい。確かに色々な思惑が絡んでいる訳だから、あえてお互いに気分の良くない話題を避けるというのはまぁ今時の空気を読むということになるのだろうか。

 しかし、生きてゆくということは主義主張を原理原則的にゴリ押しするのでなければ、自然な感じで話題にするのは間違いではないのではないかと思うよ。この社会で生きている限り何かしら関係してくるわけで、それを避けては通れない。あまりにもタブー視しすぎているのではないかな。もっとフランクに話し合う、意見をお互いに言うというのは大事な事じゃないかとおもうのだ。

 どうしても我々は相手を負かしてやる、自分の意見は絶対に曲げない、そんな態度であるなら最初から話し合う意味などないわけで、どうも我々は人の意見を素直に聞く、認めるというのが上手くないように思う。

 選挙がある。今のままで行けば与党が圧勝しそうだ。一党独裁に近いものになるかもしれん。寄らば大樹ということで弱小政党は体制翼賛的に流れて行きそうで恐ろしい。

 徒党というのがどうにも体質的に嫌いなんだ。無理やり、嫌々従わされるということが嫌なんだ。誰でもそうだと思うのだけれど、意外にみんな徒党が好きだ。何か御利益が、おこぼれにありつくからなのか、そんな根性が見え隠れする。

 どうなるのか、すごく気になる心配事だ。




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物語絵 - 2014.12.11(画集「こたえてください」1)

「私風景」 1989
F100
油彩

画集「こたえてください」より
3-1「物語絵のように」
 何故絵を描くのか?という疑問がふと湧いてきた。花や風景や人物を一枚の絵に描いたとしても、多くの人にとってただの絵でしかない。他人事でなくもっと 人の心を巻き込みたい。一枚の絵に何ができるのか、観る人にもっとダイレクトにメッセージが伝えられないだろうか。絵の中に物語性のある絵巻物とか壁画に 興味が湧いてきた。
 この頃から絵にあったタイトルを考えるようになった。絵を描くことを含め、表現するということを考えた場合「ことば」の持つ力は大きなものがある。詩の ように短い「ことば」でイメージを伝える事が出来れば、さらに強いメッセージを伝えることができるのではないかと思った。

はる 4907
どこか誰かさんに読んで欲しい。ノーベル平和賞 マララさん17歳の演説
(なぜ「強い」といわれる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすことにかけては弱いのでしょうか。なぜ、銃を与えることはとても簡単 なのに、本を与えることはとても難しいのでしょうか。なぜ戦車をつくることはとても簡単で、学校を建てることはとても難しいのでしょうか。)
恥ずかしくないか?
http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/10/nobel-lecture-by-malala-yousafzai_n_6302682.html


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- 2014.12.10(未分類)


「椅子のある風景」F80 1984 油彩
はる 4906
 少しずつ昔の作品も整理してアップして行きましょう。これは30年も前の油彩画です。自分の家にある椅子と電話もモチーフにして風景と組み合わせたものです。どうやって作品を作って行こうか試行錯誤していた頃です。これと少し前の風景と人物との組み合わせでしばらく絵を描いていました。今見ると荒も見えますが、結構新鮮ですね。

 何とか作品にはなっていますが、そうですね、ただそれだけなんですね。展覧会があるから、個展があるから、何が何でも絵を作る。その努力は素晴らしいものがあるのですが、それだけなんです。色と形と有機的なバランス。絵を描く人には良くわかることかもしれません。ですが、この絵で何を言いたいのか?皆目見えてこないのです。

 絵には絵画特有の言語があります。それを学ばないことには何も言えません。伝えることができません。しかし、その言語は広く一般には理解できないのです。理解できない人にはわからなくていいという人もいますが、それだと表現として片手落ちだと思うんですね。一方通行、不充分だとおもうんです。

 自分が今生きてここにいて、臨場感を持った感情をダイレクトに伝えたい。そんな風に思ってここから始まります。


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選挙行く?戦争行く? - 2014.12.09(未分類)

John Lennon - Happy Xmas (War Is Over)

はる 4905
 昔私が高校生だった頃、学生紛争が盛んで何だかわけもわからず騒然とした感じを楽しんでいた。いわゆるノンポりだった。今もそんなには変わらないと思う。ベトナムに平和を!とか沖縄返還などと言われても何がどこでベトナムと沖縄が自分の日常生活とつながっているのか、皆目理解できなかったし興味もなかった。興味があったのは今日の晩飯に何を食おうか?ということ、それぐらいの事だったな。

 ノンポリであることは今もそんなに変わらないと自分では思っている。どちらかと言えば穏健で中道でリベラルだとおもっているのだけれど、どうなんだろう。

 絵描きは絵だけ描いていればいいのだろうけれど、何のために絵を描いているのかと言えば自分を知るためだ。それでそういった自分というのはもろに社会とコミットしているわけだ。離れ小島に暮らしているわけではない。社会が動いている時に、何か危険を察知した時にいち早く社会に警告を発信するのも表現者の義務だと思うんだな。

 平和な時に戦争反対を叫んでも意味がない。今現在進行形で進んでいる戦争への準備に反対しないで何が表現者だ。特定秘密法案も集団的自衛権も原発の再稼働もみんなつながっている。一つの線上にあるのが見えませんか?権力を持った一部の人たちが好き勝手に権力を行使しようとしているのがまる分かりです。

 我々はあまりにも無関心で大人しすぎます。声を上げなければ。独裁を許したら大変なことになるよ。

 12/14 「選挙行く?戦争行く?」



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選挙行く?、戦争行く? - 2014.12.08(未分類)


政治不信という怠慢に洗脳することで、得するのは組織票を持っている政党です。一人が一人を連れてゆくと世の中が変わります。「選挙行く、戦争行く」戦争に行くのはあなた方若い人たちですぞ!


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no title - 2014.12.08(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2014.12.07(ポケットの窓から)

はる 4903
 個展が近いのにかかわらず、年賀状をつくった。毎年の事だけれど、追々やめたいと思っている。きた人に出していると年々増えてゆく、というわけで不義理をすることにした。それでなくても郵政省?にはDMで貢献している。もういいだろう。

 昨日あたりから画集に載せた画像をブログにアップしている。本当はHPのギャラリーあたりにアップするべき仕事だけれど、面倒なのでここで済ませている。昔はHPの容量は100MBぐらいしかなかったとおもう。だから極力画像の質を落としてアップしていた。ところが今じゃ無料のこのブログでさえほぼ無制限にきれいな画像を載せられる。

 それに手続きがHPより簡単に出来る。フェイスブックもやっているけれど、これはもっと簡単にできる。ほとんど何の知識もいらない。まぁ段々便利にはなる。いいか悪いかは別にして。

 来年の地元のグループ展の併設個展には画集で晒した油彩画をまとめて出すつもりだ。ちょっと楽しみでもある。


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2 人物を風景のように - 2014.12.06(画集「こたえてください」1)
IMG_6167s.jpg

丘からの眺め
F80
1983

IMG_6162s.jpg

人物のいる風景
F80
1984

IMG_6178ss.jpg

風景の中の人物
F80
1984

はる 4902
 画集「こたえてください」より
 人物を風景のように

  ある時に漫画を読んでいたら、奇妙なことが書かれていた。それは近未来の話で、不老長寿を目指す人間社会は頭脳はもちろん、取り替えられる部品は全て機械と交換し、やがて人間は機械と融合して永遠の生命を得るというような話だった。

 無機物から何かの偶然で有機物が生まれた。案外、宇宙の成り立ちというのは融通無碍に無機と有機、相互に行き来しているのではないかと思った。

 一つの空間を風景と人物、静物というふうに分けるのではなく、一度全てを解体して組み直すということに没頭する。興味の中心が物から人間になって、キュビズムをさらに展開して人物と風景を同じ空間に溶け込むように配置する事に興味があった。




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ポケットの窓から - 2014.12.05(ポケットの窓から)

竹田鎭三郎在メキシコ50年記念展

2013年10月25日(土)~12月7日(日)
はる 4901
 5000カウントまで100を切った。あと三か月少々だな。

 南アルプス市立春仙美術館で、竹田鎭三郎在メキシコ50年記念展を見た。20台でメキシコに渡ってそのまま現地の人になって認められているらしい。ちょっと見ればゴーギャンとか、日本人だと北川民次とかアメリカに渡って有名になった国吉康雄なんかと共通するものがあるけれど、こんな人がいたんだな。日本に居ると時代の風があまりにも早く行きすぎてしまうのだろうけれど、大陸の風は悠々と吹いていて、当時の雰囲気を今に伝えているという気がした。

 こういった人たちにスポットを当てるのも美術館の大きな仕事だろうな。



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1・セザンヌのように - 2014.12.04(画集「こたえてください」1)


1 習作・張り子の馬など
 F50 油彩 1978

IMG_6193s.jpg

コーヒーサイホンのある窓辺
F100
1980

IMG_6172s.jpg

窓辺の静物
F80
1983


IMG_6166s.jpg

椅子とテーブル
F80
1981


IMG_6153s.jpg

笛を吹く少女
F50
1980

はる 4900
画集「こたえてください」より
1 セザンヌのように
 まだ学校に上がる前の話。近所にキリスト教系の日曜学校をボランティアで開校している家族がいた。信仰心からというより、おやつがもらえるのと、綺麗な聖母子像のカードがもらえるので結構真面目に通っていた。ぼんやりと絵画への憧れが芽生えた頃でもあった。
 その後、少年時代は遊ぶ事に一生懸命で絵の事など忘れていた。再び絵に興味を持って描き始めたときに真似したのはセザンヌだった。何故セザンヌなのかと 言う話はまたの機会に譲るとして、セザンヌのように一つの空間を何かしらの規則にしたがってまとめ上げるということに興味があった。近代絵画への遅れてい た意識が目覚め、歴史的展開が自分の中に気持ちよく広がって、キュビズムのブラックやピカソの絵画理論が臨場感を持って自分のものになって行くことが嬉し かった。



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今年最後の個展 - 2014.12.03(未分類)


はる 4899
 今日は臨時で授業を取った。このところ何だか授業がつぶれて思うように進まなかったというのがその理由。基本的には自分の都合で出来るだけ授業は潰さないことにはしているのだけれど、都合がつかずにつぶれてしまうことが時々ある。私が気に病んでいるほど生徒は気にしていないようだけれどね。そんなもんか。一週間に一度の美術の授業は楽しいのだろうか?結構真剣にやっているようにはおもう。

 今年も一か月を切った。何とめまぐるしいのだろう。特に一年に六回も個展が入っているので、忙しく感じるのかも。いよいよ年末の最後の個展だ。楽しみではある。


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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