画集「こたえてください」より
4-1「あるがままに」
機会があってイタリアを中心にヨーロッパを一年かけて旅をした。けっして絵だけを勉強に行ったわけではない。たくさんのものを見て、美味しいものを食べて、美しい風景に浸って帰って来た。一番の収穫は油彩画をやめたことだ。自分の中にある「木と土と水」的なものが、いとおしく思えたからだ。
人は色々なもので出来ている。例えば生まれた時は両親から強い影響を受ける。どこで生まれたか、どこで育ったのか、時代やその土地の風俗や習慣にも影響される。青春時代の憧れや、夢や、学校で学んだ事にも大いに関係するだろう。
私は何なのか?という問いかけは複雑に絡み合った糸を解きほぐすようなものだ。どんどんと下に降りていって、もうこれ以上行けないというところから眺めてみると分かることもある。絵を描くとはそのための道具だ。
出来るだけ正直に素直に「あるがまま」の自分を晒す事で私を見つめてみたい。多分それが私にとって絵を描く事であり、多くの人に共感をもって観てもらえる唯一の方法のように思う。
はる 4912
自民圧勝って言っても実際は議席二つ減らしているし、沖縄は惨敗で山梨も小選挙区では議席が取れなかった。後はよく調べてはいないのだけれど、自公でプラスマイナス2議席増えただけだ。圧勝とマスコミが騒ぐほど勝ちが進んだわけではない。反対に民主と共産は10議席以上増やしているわけだから、躍進と言ってもいいのじゃないか。海江田さんの落選ばかりを注目するけど、マスコミの操作で自公がやたら勝った様なイメージを作っているが、選挙前とほとんど変わらんのだよ。沖縄の敗北のことをもっと言ってもいいと思うがどうでしょう。
それから今気づいたのだけれど投票前の時点で盛んに「自民は300議席をうかがう勢い」とか「自公合わせて三分の二317を超える勢い」などと言っていた。今見るとすでに解散の時点で324だから三分の二超えてるじゃないの?今回の選挙で初めて三分の二超えたみたいな報道だったけれど、これってなんだ。ファシズムの手法か。体制翼賛的に逆らっても無駄だよ、追い風だよ、という演出かい。なんかおかしいぞ。私の勘違い?
無機物から何かの偶然で有機物が生まれた。案外、宇宙の成り立ちというのは融通無碍に無機と有機、相互に行き来しているのではないかと思った。
一つの空間を風景と人物、静物というふうに分けるのではなく、一度全てを解体して組み直すということに没頭する。興味の中心が物から人間になって、キュビズムをさらに展開して人物と風景を同じ空間に溶け込むように配置する事に興味があった。
はる 4900
画集「こたえてください」より
1 セザンヌのように
まだ学校に上がる前の話。近所にキリスト教系の日曜学校をボランティアで開校している家族がいた。信仰心からというより、おやつがもらえるのと、綺麗な聖母子像のカードがもらえるので結構真面目に通っていた。ぼんやりと絵画への憧れが芽生えた頃でもあった。
その後、少年時代は遊ぶ事に一生懸命で絵の事など忘れていた。再び絵に興味を持って描き始めたときに真似したのはセザンヌだった。何故セザンヌなのかと 言う話はまたの機会に譲るとして、セザンヌのように一つの空間を何かしらの規則にしたがってまとめ上げるということに興味があった。近代絵画への遅れてい た意識が目覚め、歴史的展開が自分の中に気持ちよく広がって、キュビズムのブラックやピカソの絵画理論が臨場感を持って自分のものになって行くことが嬉し かった。
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館