あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

ポケットの窓から - 2014.07.31(ポケットの窓から)

はる 4773
 今日はこれを書こうと思っていたのだが、まるっきり忘れてしまった。何だったけなぁ、、。まぁいいやまた思い出したら書くことにいする。

http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2011/08/post-3529.html

 このきっこのブログを読んで欲しい。不安を煽りたてる訳じゃないけれど、実際問題としてこれが今現在のキエフの様子だとすれば、25年後の東京の子供たちの様子と重なって見えるのは当然でしょう。しかも当時のソビエトは社会主義政府だったので、かなり強制的に避難とか移住とかをやっているわけで、今の日本政府の対応を見ていると数倍もやることがドンくさい。ほとんど何も具体的にやられていない訳で、反対に我慢させよう、ないことにしようとしているように見える。

 私個人の事だけを考えるなら、25年後はこの世にいない確率がたかいわけだけれど、その時に日本人の子供たちがこういった状態であるというのがとても悲しいことだな。

 たしかにいまからできることをするしかないのだけれど、何が出来て何が出来ないか、しっかり自己防衛するしかない。大事なのは情報だろうな。かなりの確率で操作されて本当の事が隠されている。大衆はある意味善良というのか、操作されやすい。

 これは肝に銘じておきたいのだけれど、上に立つ人の目線は下々には向いていないということだ。

 


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ポケットの窓から - 2014.07.30(ポケットの窓から)


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今日のアトリエ - 2014.07.29(ポケットの窓から)

はる 4771
 今のアトリエの状態はこんな感じ。制作途中の作品がアトリエの床に散乱している。布をコラージュしたり壁土をのせたりアクリルのモデリングペーストを塗りこんだり、これは大理石の粉を練ったものらしい、ここまではプラスするばかりだったのでかなり厚くなってきた。ここからはすこしマイナス思考、絵の具ののりすぎた部分をやすりでそぎ落とす。これがなかなか難しい。絵の具をのせるのは結構作為的な仕事、そぎ落とすのは無作為な行為なんだな。その兼ね合いが私の作品の見せ場、醍醐味なんじゃないかな。

 自由気ままに絵の具をのっけたり、削ったり、布を貼ったり、はがしたり、水をぶっかけて少し柔らかくして絵の具をけずったり、ふき取ったり。やっていることは画面をこれでもかといじめている。それでもかろうじて画面にくっついているカスのようなものが、私にとっては大事なイメージの源泉だ。具体的なものは未だなにもない。何もないけれど、確かに私のものだといえるものが見え隠れしている。それを具体的にするのがこれからの仕事だ。


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般若心経 - 2014.07.28(未分類)

http://corobuzz.com/archives/1083 より
現代語訳
「超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ。安心しろよ。

この世は空しいモンだ。痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る。汚れることもありゃ背負い込む事だってある。だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減かわかったか?苦しみとか病とか。そんなモンにこだわるなよ。見えてるものにこだわるな。聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが『無』ってやつさ。生きてりゃ色々あるさ。辛いモノを見ないようにするのは難しい。でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。無理して照らそうとしなくていいのさ。見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。正しく生きるのは確かに難しいかもな。でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ。苦しんで生きる必要なんてねえよ。愉しんで生きる菩薩になれよ。全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな。適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。夢や空想や慈悲の心を忘れるな。それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ。ただ受け止め方が変わるのさ。心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい。細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる。そういうモンなのさ。今までの前置きは全部忘れても良いぜ。でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。心の中で唱えるだけでもいいんだぜ」

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。
。。。。。。。。。。。。。。
はる 4770
 嘘っぽく思うかもしれないが、大体毎日般若心経を唱える。おふくろが亡くなって、自分ちに簡単な仏壇のようなものを作ってから毎朝の習慣になった。別に信仰心が芽生えたというわけじゃないのだけれど、まぁ何というのかお経の一つぐらい唱えられてもいいかな、そろそろという不純な動機からだ。

 意味も内容も由来も何もかもぶっとばして、一つの音として音楽としておまじないとか、マントラとかに近いような気もするな。まだこれのお世話になるほど困ったことにはあってはいないけれど、ひょっとすると意外に心の支えになってくれるかもしれないな。
「ぎゃていぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼうぢそわか、はんにゃしんぎょう」  大丈夫だ、心配スンナ。




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ポケットの窓から - 2014.07.28(ポケットの窓から)



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- 2014.07.27(未分類)


Brushy One String - Argentina street Jam (Jah for Me) Epic!
音楽の原点だな。踊りたくなる。




Brushy One String - Chicken in The Corn (Official Video)
弦一本の天才


山梨県土壌汚染ノート
http://dora.moraimon.com/
はる 4769
マスコミは大本営だからほとんど無視しているけれど、「東京の汚染」は結構深刻だと思う。10年後、20年後の子供たちのことを考えれば疎開した方がいいように思うなぁ。けっして不安をあおっているわけじゃないけど、冷静に考えてチェルノブイリの時のロシアのキエフと東京を比べると、10年後20年後何が起きるかわかる。子育てをしている人は何をおいても避難すべきでしょう。

政府の関係者も本当は首都そのものを移転したいと思っているのだが、如何せん巨大になりすぎたので動かしようがない、だから無視することにしたのじゃないかな。それもやっぱり日本人のあいまいさで、放っておけばそのうち忘れるさと高をくくっているのだ。問題の先送り。本質的には何の解決にもなっていない。

表現者は日常の生活者の観点からこれを何とか訴え続ける義務があるように思うな。そうでなければ戦前の戦争協力者とさして変わらない。



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メランコリア - 2014.07.26(作品)

1997 s100 「存在することの不安」

はる 4768
  大体この年以降油彩をやめてしまった。だから油彩としては最後の頃の作品になる。メランコリックなそんな気分を表現できればと思って描いた作品。もう20年ぐらい前になる。ここ二三日前の話からこの絵のことを思い出した。


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ポケットの窓から - 2014.07.25(ポケットの窓から)

はる 4767
 今日は暑かったですね。太陽はぎらぎらで、からだはへらへらでした。


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ポケットの窓から - 2014.07.24(ポケットの窓から)
はる 4766
 何を書くかな。

 今日は午前中は二か月に一度の定期検診の日で、毎度のことながら検尿、採血、診断、ビタミンB12の注射と半日かかる。もう15年も前の事だから、特別にどこも悪くなければ無罪放免でもいいと思うのだけれど、主治医はなかなか疑り深い性格のようで、まだまだ当分続きそうだ。

 それでなくても60過ぎれば色んなところに不具合が生じるわけだから、まぁ安心のために通っていると思えばそれも仕方ないかなと思う。まぁどれだけ気を付けていても病気になる時はなるので仕方ないのだけれどね。定期に健診を受けていてそれで病気になったのであれば諦めもつく。

 閑話休題

 月曜日の朝の憂鬱というのは誰にでもある。「ブルーマンデイ」などという言葉にもなっている。それでも普通は何とかして社会生活を送ることができるならば多少の怠惰な気分は許される範疇ではある。

 しかし、私のそれはもっと厄介だ。子供の頃から宵っ張りに朝寝坊。夜になるとみんな眠ってしまうのが寂しかった。まぁ仕方ないからあわせて寝てはいたけれど、中学生になると公認の夜型になっていった。夜になると俄然元気になって色々なことを考えた。日記をつけ出したのもその頃から。夜起きているものだから、朝は当然起きにくい。でも当時は遅刻など許される環境ではなかったので、まじめに学校生活を送っていた。

 しかし、何だろう、どうしようもない憂鬱、焦燥感、不安感、 このメランコリックな性格というのは当時から変わらない。反対に言えばこれがあるから普通に毎日通学や通勤のないフリーな仕事になってしまったのだと思う。今から考えてみれば、この厄介な気質は私の宝物であるような気もする。これがなかったらたぶん絵も文章も書かなっただろうし、当然今の私は存在しないだろう。

 

 


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今日のアトリエ - 2014.07.23(ポケットの窓から)

はる 4765
 連日アトリエの様子を写メしている。他にとるものがない場合アトリエの風景を撮ることにしている。これが私の日常ということで、これがすべてと言ってもいい。何気ないアトリエの風景だけれど、それでも私自身が表れているようにも思えるのだな。末端にも本性がある。

 このアトリエでは大きくても130号が限界だ。立てると天井にほぼ着く。養殖魚はどんなに大きくなる魚であっても、生けすが小さければある程度の大きさまでしか成長しないそうだ。自然にはそれなりの節理がある。キャンバスを置けばぎりぎりいっぱいになるようなアトリエではどうやっても「大きな絵」は描けないような気がする。この「大きな絵」という意味はゆったりした、気持ちの大きな絵という意味だよ。

 反対にこういったちまちまとした、小さい作品はとてもこのアトリエにマッチしている。そしてこういった小さい作品が好きなのだ。

 まぁそれぞれの器ということで、仕方ないかな。


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今日のアトリエ - 2014.07.22(ポケットの窓から)

はる 4764
 「あなたのブログは一か月に一度みればいい」と言う人がいた。そうだよなと思う。全く同じ記事が内容が何回もなんかいも繰り返してでてくるからね。10年も続けていれば、たぶんそうなってくるだろう。まぁそれを怖がっていれば何も書けなくなる。何のために書いているのかと言えば、自分の毎日の確認のためというのが大きい。面白かろうが、なかろうが続けることに意味がある。そんな中でも少しは面白いと思ってくれる人もいいるだろう。

 さて、寝るとするか。


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ポケットの窓から - 2014.07.21(ポケットの窓から)

はる 4763
 夏休みと言えば、子供の頃を思い出す。楽しいのは七月いっぱいあたりまでで、八月に入るとどんどん目減りして行く感じがした。特にお盆が過ぎるともう何だか焦ってくるような気がしたものだ。何だろうな、不安神経症みたいなものは一向になくならなくて今でも同じような感覚に陥る。宿題などないのになぁ・・。

 上の写真はアトリエの窓から鬱蒼とした中庭を見たところ。


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裸婦クロッキー - 2014.07.20(ポケットの窓から)
はる 4762
 今日は裸婦クロッキーでした。疲れた。


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今日のアトリエ - 2014.07.19(ポケットの窓から)

はる 4761
 毎日何か書くとなると、いくら書くことが好きだとしてもなかなか続くものじゃない。最初は意気込んで何事かメッセージ性のあるかっこいい文章をと考えるのだけれど、これもそうだな半年も続ければネタがつきて息切れするだろう。習い事や芸事、勉強などに限らないのだろうけれど、毎日続けるということが、継続できるということが一つの能力である気がする。駄文も続けることで何かが見えてくるのかな。

 昨日の歳の話の続きのようなもの。今年還暦を迎えた「猫の後ろ姿」さんのブログを読んでいると、こんなことが書かれていた。これは須之内徹の「さらば気まぐれ美術館」の一説


 <六十歳になった頃、私はよく青春ということを言ったが、それは私の実感だった。六十歳になって、私はいろいろのものが よく見えるようになり、自分の心の動きが急に自由になったような気がしたのだ。一方、肉体的に衰えはまだ感じない。そして、だからこそかもしれないが、ま だまだ無分別な行動に自分を投げ込み、そこから当然起こる面倒を恐れないだけの気力もある。とすれば、これを青春と呼んで差支えないだろう。>

 わたしもそんな風に思うなぁ。ここ十年頑張ってみよう。


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ポケットの窓から - 2014.07.18(ポケットの窓から)

はる 4760
 普段はあまり年齢を意識することはなく生活している。ところが書類に年齢を書くらんなどがあって、そこに62歳と書くと視覚化された数字が飛び込んできて愕然とする。

 年を取ることがいやだと思ったことはないのだけれど、改めて文字を見るとそうなんだと思う。嘘だと思うかもしれないが、自分の中にある意識としては40代ぐらいでしかない。鏡を見入るとそこに年齢相当の年寄りがいるのだけれど、それと意識の間にはかなりのギャップがある。まぁそれ故に出来ると思ったことが出来なくて怪我や事故が起きるのかもしれないな。

 気を付けなければ。


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今日のアトリエ - 2014.07.17(ポケットの窓から)
はる 4759
 ある時期盛んにコンクールに出品していた。その当時は「月刊公募」とか「コンクールで受賞するには」みたいなハウツーものも出回っていたころで、何か世の中全体が「一発当ててやる」みたいなバブリーな雰囲気があった。

 安井賞をはじめ、セントラル大賞展、ジャパン大賞展、オギサカ大賞展、林武賞展、今も続いている昭和会展や上野の森展、小磯展すべて出品した。私の周りからも大賞受賞者が出て一躍スターになってゆく様子がうらやましく、尋常な気持ちでは眺めていられなかった。全くの無名である存在から少しでも世の中に認められたいという儚い希望が私の中に渦巻いていたころで、そういった世の中の雰囲気と何となくダブっていたように思える。

 結果的には幸運の女神は鼻っ先をかすめて行っただけで、私には微笑んではくれなかったけれど、ああいった何だかあわただしい、一攫千金を夢見るようなバブリーな時代が終わってみると、当たらなくてよかったように思う。結局跡には何も残らなかったというのが真実のような気もする。

 しかし、まぁそういったある種ギャンブラーのような一か八かの狂想曲に巻き込まれたのが若いうちでよかったのかな、今頃になってばたばたとしたのでは恰好がつかない。コンクールは一度は翻弄されるくらいに挑戦してもいいだろう、しかしいつかは卒業してゆくものだ。

 多くのコンクールに出品して学んだことは、まず受験のようにその傾向を知ることだ。歴代の受賞者や審査員の顔ぶれなど傾向と対策を練ることから始める。それと、自分の作品のコンセプトを明確にしておくこと。それを無視してははっきり言って入選もままならない。などなど・・・。

 長い間に弊害が出てくるのはそのことに尽きる。目線がいやらしくなる。あらゆる賞だとか奨励金とか補助金などもそうだけれど、目線が上に向いている。それを続けているとそれなしでは生きてゆけなくなる。芸の本道はそれを享受する大衆に向いていなければならないはずで、そのもう一方は自分自身に向いていなければ嘘だ。

 ここ20年コンクールは一切止めてしまった。今は色んな所で大道芸人のように個展をして、観てもらった人に喜んでもらうことに生きることに喜びを感じている。それが私なんだろう。


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今日のアトリエ - 2014.07.16(ポケットの窓から)
はる 4758
 一口に80枚と言っても、みんな違うわけだからなかなかの仕事量だ。基本的には仕上がりを考えて、地になる色を赤:黄:青=5:3:2ぐらいの割合で分けるのだが、今回は少し青を増やした。

 一概に言えないのだけれど、赤は気持ちを活性化させる色とされている。人類が最初に装飾として塗った色は弁柄などの茶褐色ではないのかな。古墳や洞窟の壁画などを見入ると鉄色の赤絵が多い。赤は血の色でもあるし、輝く太陽のいろでもあるし、火の色でもある。生命が生き生きと活動するためにはどうしても必要な色なんだな。

 しかし、これを使うとなるとなかなか難しい色なんだな。赤は薄汚れてしまうと急激に魅力を失う。反対に純な赤を使うとどうしても周りから浮いてしまいがちだ。ビビッドな色彩の中で使って初めて赤が生きる。上手く使わないとお祭りの山車や大漁旗のようになってしまう。まぁそれはそれで面白いのだが。

 それに比べて、青は気持ちが沈静化する。夜の闇とか朝の空気とか雨、遠くかすむ山々、水の流れや雨、風、植物の群生。ガラスの色。ブルーはある意味あこがれの色味かもしれない。学生の頃はグリーンからブルーをよく使った。当時絵の具にセピアなどなかった。ヤニ色は極力排除していたな。

 黄色はニュートラルな色味だと思う。ビビッドな黄色は別にして私がよく使うエロオーカは乾いた土の色だ。望遠鏡で月を眺めると水がなければ星は乾いた砂漠のようだ。生きているものがいなくなれば世の中はすべて乾いた砂の色になる。人は死んで土にかえる。そんな色かな。


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今日のアトリエ - 2014.07.15(ポケットの窓から)
はる 4757
 サラリーマンの平均所得が500万だそうだ。へーそうなんだ。平均ということは当然もっともらっている人がいるわけだ。この間身近な同世代の年収を聞いて驚いた。そんなにみんな稼いでいるんだ。まぁ反対にそれだけもらうんじゃ、もっとしっかり働けよと思う。

 自慢じゃないけれど定職を持ったのは30までで、それ以降就職したことがない。ちなみにそれまでは色んなバイトもしたし、しっかり給料をもらったこともある。ボーナスも何回かもらった。特にボーナスは普通のサラリーと違って何もしないのに、一か月分以上くれるわけだから、得したなぁという実感があった。

 絵描きで生きてゆこうと決めたら、普通の生活を望んだらできない。みんなと同じという価値観を捨てなければとてもとても絵描きなどやっていられない。いやそれが不幸だと思うならば最初っから不安定な、絵描きなどやらずに定職を持てばいいのだ。

 お金はないと生きては行けないけれど、お金だけのためには行きたくない。人と同じものを欲しいと思うならばやめとけばいい。選択の問題な。何を捨てて、どれを選ぶかだな。時間だけはたっぷり自分のために使える。それで、本でも読んで一日何もせずに暮らしてもいいと思えるかどうか、いざとなったら死んでもいいと思えるかどうかだな。それだけの覚悟が必要だ。

 でも実際は、そうと決めたらスコーンと晴れ渡って迷いが消えて生々する。その気の持ちようが多くの幸せ感をもたらすように思う。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」


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ポケットの窓から - 2014.07.14(ポケットの窓から)

完璧な甲州弁「アナと雪の女王」
大雪のわけ


はる 4756
上はフェイスブックの画面。

今日は一日運転手。疲れましたのでもう寝ます。


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チェロの発表会 - 2014.07.13(ポケットの窓から)

Ave Maria "Caccini" (actually Vavilov)



はる 4754 
今日はチェロの発表会であった。「カッチーニのアベマリア」うまく弾ければ感涙ものだったはずが、途中でピンが外れてコメディになってしまった。泣いたのは私の方だった。

 しかし、まぁこれも長く続いてはいる。やっぱり好きなんだろうな。

 明日は松本までドライブです。

「猫の後ろ姿」さんの関連記事
http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11893312919.html


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ポケットの窓から - 2014.07.12(ポケットの窓から)
はる 4753
 台風一過で強い日差しが戻ってきた。日中は暑くてアトリエにこもることは難しい。シャワーでもあびて、本でも読みながら風の通る廊下で昼寝するしかない。自堕落も絵描きならでは日常だと居直る。

 昨日の平凡な目線の話の続き。
 その人の目線がどこを向いているのか、というのがその人の生き方を決める。ここでよく役人の悪口を書くけれど、彼ら自身に悪気はない。すこぶるまじめで仕事に対して実直である。そのことを踏まえて考えてみても、彼らのやっていることはおおいなる誤解だと思える。その与えられた仕事にまじめに向かい合えば向かうほど、本来の意味からずれて行ってしまう。

 結局彼らは与えられた仕事を過不足なくやり遂げるということだけを考えている。新しい事もこうすれば良くなるということもやらない、前例にないことはやらない。いいかもしれないが自分はやらない。自分はそのことに関して考えたくない。任期は二年だから与えられた仕事は無事務めるけれど、それ以外の事は私の任でない。報告だけはしっかりやる。それが自分の仕事のあり方だから、仕事によって利益不利益を被ろうとそんなことは自分には関係がない。私の仕事は与えられた仕事を過不足なく事務的に済ますこと。決めていることは仕事は時間内に、残業はしない。土日は確実に休む。目線は管理職に向いている。失敗は汚点になるので、できれば何事も起きない方がいい。

 学校の管理職も視線は教育委員会とか指導主事など管理職を管理する県の役人あたりに向いている。未だかつて目線が生徒に向いている、職員に向いている尊敬できる管理職などみたことない、すべて凡庸だな。授業やらせると自分は偉いと思っているから、全くうまくない。管理職という官僚だな。頭はいいけれど。

 たぶん軍隊もそうだとおもうな。上になればなるほど、官僚的になって目線は上の方を見ているに違いない。人民のためになどということは絶対にありえない。下っ端は糞でなければ統制がとれないわけで、そんな序列で成り立っているのが軍国主義だものね。騙されちゃいけない。


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ポケットの窓から - 2014.07.11(ポケットの窓から)
はる 4752
 私は政治的な人間ではない。どちらかと言えばノンポリだと思っている。どんな政党にも個人的に偏向しないし、まして特定の宗教さえもっていない。けれど普通に生活していて、おかしいと思ったことは言いたい。それは今日は暑いね、とか雨でうっとしいね、というのとさして違いはないと思っている。

 だからまぁ、ブログやFBなども、そんな軽い気持ちで読んでくれればいい。意見も変わるかもしれないし、けっこういい加減なものだ。

 閑話休題

 ブログは個人的にブックマークしているサイトしかなかなか行かない。というのか個人を知らない限り検索しようがない。これはhPも同じようだけれど、この世の中にはいったいどれだけのHPがあるのかわからない。たまたま偶然か、何かの縁でつながって私のページに来ることはあったとしても、まぁそれはほとんど興味を持って二度三度訪ねてくれるかどうか、心許無い。

 何かの検索項目引っかかることはあっても、それでわたしの何かに共感を持ってくれることも期待できないだろう。あれほどあったHPも最近ではほとんど無用の看板状態になっていいるのではなかろうか。

 ブログはその点比較的に簡単に文章や写真を載せることができるので、まぁHPよりはましかもしれん。私のように考えながら日記のように書く習慣のある人間にとってはブログは便利なツールだ。

 その点FBはどんどん新しい情報が入ってくるので、知らなかった作家を知ったり、今の状態をそのまま発信できるので、面白い。


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ポケットの窓から - 2014.07.10(ポケットの窓から)

はる 4751
 今日は一日美術館に缶詰でした。

 紹介してもらいました。
 猫の後姿
http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11892127699.html


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ポケットの窓から - 2014.07.09(ポケットの窓から)
はる 4750
 本当に小さい小さい畑だけれど、二人だけの食卓ではちょうどの夏の野菜ができる。まぁ本格的なお百姓にはとてもとても及びませんが、それでも朝一番に畑に行って新鮮な野菜をもいで朝食の食卓に乗せることが出来るのは最高の贅沢ではないかと思っている。あまり何事も長続きしない私だけれど、夏野菜の準備だけはこのところ毎年欠かさずやっている。隣の一人暮らしの爺さんが亡くなって、誰も手入れしない空き家になった庭を少し開墾して畑にした。私にとっては面倒でない、ちょうどいい広さだったから続いているのかもしれない。

 あと250で五千カウントになる。一年もないということだな。来年の二月ころか。一日一コラムで五千日というのもなかなか凄い。この一日一日刻み込まれてゆく数字というのが、何気ない日々を切り取っているようで怖いような気もする。メメントモリではないけれど、あぁ今日も無為に終わってしまったという自戒になっていい。残された日々を楽しもう。

 


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ポケットの窓から - 2014.07.08(ポケットの窓から)
はる 4749
 そうか、軍隊は国を守るかもしれないが、国民を守るためには動かないのか。そうだよな。如何にも日本国民を守りますなどともっともらしいこと言っているっけど、その実は大企業なり闇の権力者なりの権利を守るために動かされてに過ぎないのかもな。考えてみると戦前、戦中と国民は犠牲になっただけだ。たとえ戦争に勝ったとしても喜ぶのは国を動かしている人間であったり、死の商人だったりする。国民に多少のおこぼれはあるかもしれないが、その何倍も不幸な犠牲を強いられる。国体などという見えないものモノのために、多くの人々が犠牲になる。名もない一人の国民はただただ小さくなって恐ろしくてじっと我慢を強いられるだけだ。戦争なんてまっぴらだ。誰だ偉そうにこの国を守りますなどと言っているのは。ええ加減にしてほしい。


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第24回スクエア展 - 2014.07.07(ポケットの窓から)


はる 4748
 あいにくの梅雨空ですが、七夕ですね。それもそうですが、馬鹿でかい台風が日本を狙っていますな。七月にしてはデカすぎる台風でどうも気候がこのところ狂っています。50年ぶりの・・などという表現が多いよな。確実に温暖化の影響が表れているな。

 嵐の前の静けさか、今は比較的に静かな夜だ。寝ながら本でも読んで寝るか。これも幸せの図だな。またあした。
 


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ポケットの窓から - 2014.07.06(ポケットの窓から)

はる 4747
 「末端にも本性がある」というのは筒井康隆の言葉。これはなかなか含蓄のある言葉です。

 たとえば日本語の表記を見てみると、ここまでの日本の文化のありようがわかる。まだ日本に文字がなかった頃、大陸の文明の影響を多大に受けて、その表記に漢字を使った。漢字だけの表記では日本語の微妙な言い回しが不自由だったと思う。その後漢字の一部を取ってひらがなが発明され、日本語が飛躍的に表現しやすくなった。まぁこんなことは小学生でも知っているわな。

 日本語の表記は漢字まじりのひらがな・カタカナ文というのが今の形ですね。その後西欧文明と接することでローマ字が開発されて、欧米の文化も自らの言葉の中に吸収していったわけだ。今普通に義務教育を受けた人間では当たり前にこの文章を読んだり書いたりできるはずだ。しかし、考えてみるとこのことは凄いことで、ありとあらゆる文化や文明が日本語として消化吸収できるということなんだな。

 これはたぶん日本独特の特色ではないかと思う。こんなことはこれだけではない。

 たとえば料理を見てみるとよくわかる。日本では世界中の食べ物が極普通に、一般の家庭で食べることができる。中華はもちろんフレンチにしてもイタリアンにしてもインド料理やベトナム料理やアジアの料理、バリエーションには事欠かない。それらを日本風にアレンジしてごく日常で食べているわけだ。これってたぶん日本独特の文化だと思う。多くの国の人々は食に関して意外に保守的なんだな。

 宗教にしても一神教を信じる人たちは割とかたくなだ。「是か非か」「○か×か」そういった二者択一的な選択をする。科学はそういった論理で出来ているから、たぶん一神教を信じる人びとの間で発達してきたのであろう。我々のようにモンスーンの湿潤な風土に住む人間はどこにでも神を感じるあいまいな思考を選んだ。そうでなければ生きづらいからだろうけれどね。
 
 風土=環境が人を作る。これはもちろん人類だけの話ではない。すべての生物にいえることだ・・・・・。

 だからなんだ。結論が見えない。眠いまたあした。


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ポケットの窓から - 2014.07.05(ポケットの窓から)

はる 4746
 山藤章二が新聞にこんなことを書いていた。感想なので間違えているかもしれません。あしからず。

 平穏な時代の「エンターテインメントのツボは非日常を描くことである」確かに平平凡凡の退屈極まりない日常生活のなかで、例えば文芸にしろ演芸にしろありとあらゆるツクリモノの分野に共通する定理である。

 確かにそうかもしれない。アメリカ映画の面白いところはわざとらしいまでの非日常が、これでもかと押し寄せてくるところにある。そう思って眺めてみると、最近のエンターテインメント系の映画はSFXのてんこ盛りで多少の場違いなどものともせず、ツクリモノで悪いか!と言いたげな物語が多い。そればかりといっても過言じゃないな。

 ところがだな、悲しいことに震災以降だれもあまり言わないけれど、実は知っているんだな。かけがえのない空気や水や環境が汚染されているということ。この平平凡凡にみえる日常は見えないけれどじわりじわりと狂い始めているということをね。誰かが大ウソをついて始めてしまったことが、もう取り返しのつかないことになっていて、本当のことは誰も言わないようにしている。

 日常がただ事ではない状態に陥ってしまった。こんな時代に人々が求めるエンターテイメントは反対に平穏、思索、瞑想といった言葉でくくれる哲学的気分、「エンターテイメントの最高のものは自問自答」であるそうだ。

 どうだろうか?

 
 


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ポケットの窓から - 2014.07.04(ポケットの窓から)
はる4745
 朝夕結構涼しい。日が差せば30度超えるから、蒸し暑いけれど。今日は一時集中的に雨が降った。確実に世界中の気候が変わっている。元をただせば二酸化炭素が増えすぎたせいで地球が温暖化していることが原因らしい。もっと言えば人類の生産活動そのものが地球にとってはがん細胞のようなもので、何万年もかかって化石化した炭素を掘り出して燃やして二酸化炭素にいして放出しているのだから、いずれはそうなることは見えていた。

 政治の事はよくわからないから偉そうなことはかけないのだけれど、古今東西の国の栄枯盛衰をざっと眺めてみれば、力を持った者はその力を振り回したくて他国の領土を侵して帝国主義的になってゆく。ローマ帝国や大英帝国を持ち出さなくてもすごくわかりやすい。戦前の日本も例外ではなく、はっきりいって世界征服とまでは行かないけれど、一度はそんな浅はかな夢を持ったこともあったのではないだろうか。回りの国々にとっては迷惑以外のなにものでもない。

 隣の国は、昔はもちろん絶大な力と文明を誇っていて多くの国が服従していた。ところがご多分に漏れず国が大きいために統一しきれずに、やがては世界中の餌食となって衰えてしまった。それがここ何年かで再び力を持ってきたから夢よ再びでその力を見せつけたくてうずうずしているのがよくわかる。よくわかるのだけれど、それを今さら持ち出して昔のような世界帝国のような概念でうちたてようとするのは時代遅れというのか、それをやってしまうと地球そのものが持たないだろうと危惧するのだ。人類はすぐにでも滅んでしまうだろう。まぁやめてよというのは虫のいい話かもしれないが、今あんたたち全員が車に乗ったら地球の環境は一気に破壊されてしまうだろう。

 すごく理想主義的なんだけれど、あらゆるものをシェアーするというかたちで生きてゆけないだろうか。力を持った者がすべて自分たちのものにしてしまうというのではなくてシェアーする。なぜならこのままだと遅かれ早かれ人類は滅亡するから。滅亡してしまえば服従も征服もないだろう。

 そのための最低限のルールは「戦争の放棄」じゃないかな。昔悪さした反省を踏まえて、日本がまず率先して約束を守る。人類が少しでも長く生き残るにはそれしかないと思う。日本みたいに小さな国が世界中からある意味尊敬されて、一目置かれる立場になるにはそれしかない。突っ張って変に力こぶだしたら、潰されるのがおちだ。


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今日のアトリエ - 2014.07.03(ポケットの窓から)

はる 4744
 コラージュ始まりました。まったく抽象的なというのかでたらめにというのか、こういう作業は結構楽しい。

 しかし、何も考えないといいながら無意識にバランスを考えているんだな。そこがダメなところでもあるし、常人の限界なんだろうと思う。全くにでたらめにできる人は「こちらの世界」ではとても生きづらいでしょう。もちろん一つや二つの話ではなくて、一生でたらめにできるという意味ですよ。

 学校の先生はやっぱりガッコの先生で、どんなに頑張ってもそれ以上にはなれない。反対にそれ以上になったとしたらガッコの先生としては失格です。先生くさいというけれど、そうでなければ仕事としてやってはいけないのです。多少の違いはもちろんあるのだけれど。仕事が人間を作るのです。

 いくらゴッホのように描けても、彼のように生きなければゴッホにはなれないのです。作品は彼本来のもので生き方と呼応しています。形だけはだれでも少し練習すればだれでも描けますが、だれもゴッホのようには生きられない。というのか生きても意味がない。自分自身を生きるしかない。

 何を言っているのか、訳がわからんよ。今日はもう寝ます。


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