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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

クロッキー - 2014.06.30(ポケットの窓から)
はる 4741
 クロッキーは基本的に体の全体のバランスが描ければいいわけで、顔の表情など描いてはいけないと教えられた。実際に人に教えるときは今でもそう指導する。けれど何だろう、顔の表情も時々描くけど、これがけっこう面白い。

 人間の顔は実に面白い要素が詰まっている。この顔はスケッチブックの実物大に近い。これくらいの大きさで目の位置が1mmくるえば相当おかしな顔になる。胸の乳首の位置が少しぐらいくるってもそれほどおかしくはないのにね。

 まぁ時々顔も真剣に描いてみる。


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バッハの謎 - 2014.06.29(you tube)



J.S. Bach - Crab Canon on a Möbius Strip
はる 4740
 音楽の事は好きだけど、全くの素人だから言っていることが的外れなことも多いだろう。調べて書くとめんどうなので、だから間違えていても怒らないでくれ。物語として読んでくれ。

 このバッハのカノンの最初のフレーズは「音楽の捧げもの」とそっくりだ。というのか同じではないかと思う。このテーマ曲は色んなところで聴くことがあるので、ほぼ間違いないとおもうのだ。このテーマ曲は前にも書いたけれど、昔NHKのFM「現代の音楽」のテーマソングで使われていた。

 なぜ現代音楽の番組のテーマの曲にバロック時代の古いバッハの音楽を使っているのか、何気に疑問に思ったことはあったのだけれど、まぁある種の尊敬をこめて大作曲家のバッハ先生の音楽を使っているんだ程度の認識だった。

 音楽にはキー(調子)というものがあって、例えばC調ならそれにあった音の選択があってそれを外れるときれいな響きになってこないという暗黙のルールがある。西欧の音楽はそういった音楽理論でおおよそ成り立っている。まぁ平均律というのだけれど、その大元を作ったのがバッハであろうとされている。彼一人ではもちろんないのだろうけれど、なんせ彼の才能は飛びぬけていたはずだ。

 ところで平均律は、一オクターブを半音づつきれいに分けてしまうと12個の音に分解される。だからバッハの平均律クラビイアート曲集は長短あわせて24曲ある。

 で、その概念を破ったのが現代音楽の巨匠シェーンベルクで彼は無調子の曲(12個の音をすべて同等とし扱う)を作った。まぁ今のJポップやKポップを聞いていると、すでに調子などないような調子はずれの音楽が軒なみで、改まって現代音楽などと大上段に構えることもないかと思うのだけれど、それは置いておいて。

 さて、ここで独立した12音というのが出てきたのだが、ここでやっとバッハの「音楽の捧げもの」が出てくる。なんとこの最初のテーマがこの12音で出来ているのだな。だからシェーンベルクの独創だと思っていた、もうすでにバッハがやっていたという話。

 それで、最初にもどってNHKの現代の音楽のテーマに使われていたというわけさ。




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裸婦クロッキー - 2014.06.29(ポケットの窓から)


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- 2014.06.28(you tube)


Tzvi Erez plays Bach: Prelude 1 in C Major BWV 846


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デイヴィッド・ホックニー 制作風景 - 2014.06.27(you tube)


デイヴィッド・ホックニー 制作風景
はる 4738
 この筆の持ち方が本物ですね。小手先で書かないで体全体で描く感じです。書をやったこともないのですが、コツは同じじゃないでしょうか。まぁホックニーも随分お年寄りになりましたね。我々が学生だった頃は先端をゆく若いアーティストだったのですが、画像でみる晩年のセザンヌのような貫禄を感じます。


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今日のアトリエ - 2014.06.26(ポケットの窓から)

はる 4737
 なんだかねぇ、手内職の職人さんの仕事場のようでしょう。これでまだきれいに片付いている方です。本格的に切れ端のコラージュが始まるともっと混沌としてきます。絵を描くアトリエというより作業場に近いですね。

 昔の田舎暮らしは普通に日常生活で使うものはほとんど自分で賄っていたと思う。身近にホームセンターもなかったろうし、専門に仕事にしている人もいなかっただろう。なければ本当にそこらにあるものを代用して何とか工夫して暮らしていたように思う。何が何でも完璧にプロのようでなくても、充分に代用できるものごとも多い。そういった工夫が暮らすということの面白さだとおもうんだな。

 たとえばこの家は中古のボロやを買って自分でフローリングから内装、外壁の塗装まで一人で少しずつ楽しみながらやった。いや完璧を目指すなら決してこのことは勧めないのだけれど、自分が住んで困るだけじゃ多少の隙間風や雨漏りは片目をつぶって見過ごして、我慢できなくなったら、そこでまた工夫するという対処法で充分だ。建築法や耐震法を持ち出せば違法だろうけれど、商売しているわけでもないし、自分が住むのは高々30年ほどだ。そんなものに一生縛られたくはない。

 今まで色んなものを修理したり作ったりしてきたものの残り物が取ってあって、何かちょっと必要な時にわざわざ買いに行かなくても済む。この間は靴の裏のゴムがはがれたので、残っていたゴムの接着剤を使って応急処理をした。それでも当分は何とか使えるだろう。

 私の絵は、そんな私の生活の一部分だと思っている。絵だけが日常生活から切り取られたように別のものじゃそれはそれで立派なものだけど、本物じゃないと思うんだな。


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今日のアトリエ - 2014.06.25(ポケットの窓から)



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仕事 - 2014.06.24(ブログ)


はる 4735
 絵描きというのは難しい仕事だわな。どこまでが仕事で、ここからが自分の趣味だというふうに分けられない。年がら年中遊んでいるようでまた、四六時中仕事のような気もする。職人ではないのでアトリエに入るのもきっちり時間が決まっていない。家にいる時間が多いので、宅急便が来たり、電話にでたり、洗濯物を取り込んだり、布団を干したり、庭の雑草をとったり、畑に水をやったり、気になっていた家の修理をしたり、雑木林のような庭木の剪定をしたりで、なにもしないでも一日が暮れる。

 家のど真ん中にアトリエがあるので、交通の要所になっている。トイレに行くにも風呂場に行くにもアトリエを通って行かねばどこにも行けない。必然的にそこにかかっている描きかけの絵が目に入る。何とかしてくれよ!といつも訴えてくる。時々いいアイディアが浮かぶ。ちょこちょことメモして貼り付けておく。すぐに忘れてしまうのでね。

 画家とか作家などは、その仕事のスタイルは神秘的なベールに包まれていた方がそれらしく見えるようだけれど、こと私に関してはまるで作家らしくない。絵の前に座って瞑想しているように見えるかもしれないが、それは眠っている場合が多い。実際に絵を描くよりもの考えている方が多い。眺めていることの方が多い。これで仕事になっているのかな。


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限界 - 2014.06.23(未分類)

無限 F10 2000年

はる 4734
 初心に帰ってとか、原点に戻ってとかよく言われるけれど、今あることを色々ほじくり返しても、今あること以上の変化というのか、進展は望めないと思うんだな。

 パソコンが普及して色々な情報が簡単に手に入るようになって、全くの素人がプロが何年もかかって習得した技術をいとも簡単に真似して、さも自分の技術のように見せることはそんなに難しくない世の中になってきた。けれど見た目は同じでも、例えばそこから全く新しいアイディアというのは出てこないようなきがする。

 パソコンの表現というのは簡単に言えば、今あるもののアレンジでしかない。その組み合わせは膨大な数になるのだけれど、結局は組み合わせの仕方、見せ方、でしかない。センスというのかもしれないけれど、どんどん流れてゆく大量消費型のデザインのようなものはそれでいいのかもしれない。

 たとえば表現ということを考えた場合、そういったすでに表現されたもののアレンジだけでは根本的なところに行き着かないのではないかと思う。

 料理で考えた場合、例えばもうすでに調理されているレトルト料理をどんなに工夫してもそれ以上のものは出てこない。それが料理本のレシピでも参考にしながら材料をそろえるところからやれば、そこから得られる情報というのはレトルトの何倍にもなる。そこから新しいアイディアも湧いてくるだろう。

 さらにその材料を知り合いの農家から吟味して購入するとか、もっと進んで自分で作るというようになってくると、さらに色んなことをしるようになる。そこから得る知識や情報や技術は、単にパソコンから情報として得られたものとは全く違う血や肉になったもので、そこで思考された考えは説得力のあるものになる。

 表現ということを考えた場合、表現されたものが大事なのではなくて、その思考過程が大事なのではないかな。

 あぁまた眠くなったので、今日はここまで。。



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- 2014.06.22(未分類)

1966昭和東京 
西岸良平の「三丁目の夕日」のような懐かしい映像です。

はる 4733
 この間のつづきをぼちぼち、、

 学生の頃によく考えたのは、ここにリンゴがあって、それを描いていて何になるのかということだ。まぁ描写の訓練にはなるけれど、上手いなぁと言われるか もしれないけれど、そんなことのために俺は一生かけるのか、何か違うそんな風にずっと思っていた。駆け出しながらも自分なりの表現というものを考えてい た。

 とここまで書いた。

 ものを考える方法の一つとしてよくやるのは、ひとつ前に戻って考えるという方法がある。たとえばモチーフとしてリンゴを選んだ、なぜ色んな果物の中でリンゴを選んだのか?と考える。そうする私がリンゴを選んだには何か理由があったはずだな。思いつくことを挙げてゆくと、「禁断の木の実」「リンゴの唄」「赤いリンゴ」「身近なおやつ」そして「セザンヌのリンゴ」だ。

 たぶん話の展開でリンゴを選んだのあろうが、私の頭の中にはモチーフとして「セザンヌのリンゴ」があったように思う。物としてはただの果物だったけれど、彼はリンゴを描くということに主眼をおいて絵を描いたわけではない。リンゴという材料を使って何か新しい料理を作ることに一生をかけた作家だった。簡単に言えば、絵の中に新しい秩序を作ること、そのことが大きな目的だった。

 そのことに気付いた時は世界の発見をしたように嬉しかった。セザンヌ以降の美術史が本当の意味でリアルに我がことのように迫ってきて、これで何とか絵を一生描いてゆけるのではないかと小躍りした。まだまだそんなには甘くはないのだけれど、物を描写するという呪縛から何とか抜け出た一瞬ではなかったな。

 そこからどんどんさかのぼって行く。絵を描く場合、何も考えずに画材店に行って、例えばカンバスやオイルを買って筆をとる。まぁ水彩でもいいのだけど、そこのところを疑うわけだ。そもそも絵画というのは支持体(紙、麻布、綿布、色々)に色の粉(岩絵の具、顔料、土、など)をノリ(乾性油、膠、合成ノリ)でで固めたものだ。だったら支持体まで作って、絵の具も自作してしまえと色んな材料を試すことになる。

 物事を追求して行く方法として、複雑に絡み合った事柄をどんどん解体して一番シンプルな状態にまで下りてゆくことで理解できる場合も多い。特に油彩画は何も状態から輸入されたものだからそういった時期が必要だったのかもしれん。学生の最後の頃、油彩画の材料、技術みたいなものにのめりこんだ。

 ここら辺りは、全国的な流行だったようだな。こんな流れから本格的にテンペラから混合技法で油彩画に入ってゆくもの、がちがちの油彩画の伝統のメチエでゆくもの、もっと古いフレスコ画にゆくもの、私のようにミクストメディアにゆくものが現れてきたように思う。

 技術というのは自分の表現と一体に進展して行くもので、どちらか一方だけが独立するということはありえない。むろん最初は誰かの真似をしてその技術を習得してゆくものだが、最終的には自分で作ってゆくものだろう。私の場合も例外ではなく、そういった模索の中から自然に出来てきた方法、表現で誰かにならったわけではない。本来、表現は自己と一体になっているもので、技術だけが独立しているものではない。

 次は表現について考えてみたい。いつになるかわからんけどね。

 


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第24回スクエア展 - 2014.06.21(ブログ)
スクエア

第24回スクエア展

はる 4732
 またあとで。


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今日のアトリエ - 2014.06.20(ポケットの窓から)

はる 4731
 新しいパネルに綿布を張込んでいるところ。。ここから長い仕事が始まる。

 ものを観て描写する、スケッチするというのであれば、見本になるものがそこにあるからね、終着点が見えている。物を見えたとおりに再現する、描写したいという欲求は誰にでもあって、それはそれで楽しいし、絵を描くという原点ではある。まぁほとんどの人がそれ以上のことは望んでいないのかもしれん。

 絵を描くという行為は極度に抽象的な作業で、いくらスーパーリアルに見える絵でもそっくりそのまま描いただけではこれがリアルには見えない。まだほとんど駆け出しの頃に、写真を使ってデッサンした時に感じた作り物のような違和感はずっと残る。何が違うのかといえば、描いた本人の「私はこう見えました。こう解釈しました」という取捨選択した、高度な抽象的な行為が入らなければそこに物がリアルに存在しているという風には見えないということなんだな。簡単に言えば絵になっていない。素人くさい絵だということになる。

 まぁ具象的な絵を一生追及して行く場合。この「私はこう見えました、こう解釈しました」ということが自己の表現となってゆくわけで、例えば日本の油彩の黎明期の作家なんかでも大いに悩んだところだと思われる。デッサンの達人だった藤島武二や安井曽太郎なども、結局は西欧風なリアルな表現にはゆかず、表現的には和風な即興的な筆のあそびのような絵になっている。物を観て解釈する表現の場合そこらへんが限界で、さらに新しい表現の可能性は少ないように思われるな。

 学生の頃によく考えたのは、ここにリンゴがあって、それを描いていて何になるのかということだ。まぁ描写の訓練にはなるけれど、上手いなぁと言われるかもしれないけれど、そんなことのために俺は一生かけるのか、何か違うそんな風にずっと思っていた。駆け出しながらも自分なりの表現というものを考えていた。

 普通絵を描こうと思った場合、油彩ならキャンバスを買って、油絵の具をかって、二三本のふでとオイルを買ってというふうに材料をそろえる。そこのところにあまり疑問を感じることはない。

 けれど、表現ということを考え出すと、そこのところから洗いなおさなければ次が出てこない。たとえば、絵というのは支持体(紙、麻布、綿布、色々)に色の粉(岩絵の具、顔料、土、など)をノリ(乾性油、膠、合成ノリ)である秩序で固めたものだ。

 ・・・・・風呂に入るので、中断。書けたらまた続きを書きます。


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ポケットの窓から - 2014.06.19(ポケットの窓から)


はる 4730
 我が家の梅が久しぶりに実をつけた。初めの頃は毎年収穫できたのだけれど、ある年から実が付かなくなった。日当たりのせいか、肥料のせいか、隣のエアコンの吹き出し口に近いためか、よくわからないのだけれど、とにかく実が付かなくなって何年にもなる。今年は春先にいっぱい花をつけたので期待していた。案の定実をつけた。素直にうれしい。完全無農薬、残念ながら少々放射能があるかもしれんなぁ。自分ちで食べる分にはいいだろう。

 しかし、そんなことを心配しなくてはいけないことが悔しい。大なり小なり日本全体が汚染されているので、どうにも避けられないことだ。この怒りはどこにぶつければいいのだろう。何はなくともきれいな空気と水だけには恵まれていた国だったのに、馬鹿が集まって汚してしまった。

 そのことを気付かれないために、出来るだけそのことには触れないようにしている。ちょっとでもそのことに触れると「風評被害」などといってマスコミも煽って袋叩きにする。復興支援、地産地消などといって汚れたものを子供たちに食べさせている。馬鹿すぎてはなしにならない。

 あのチッソの水俣病とよく似ている。いつまで被害者意識でいるんだ、もう済んでしまったことなのに、蒸し返すんじゃない。国を挙げてオリンピックを盛り上げようといった雰囲気がもう出てきている。

 台風や花粉情報と同じように、今日の放射能とか降灰確率とか、今日は外出を控えましょうとか、今どうなっているのか、これからどうするのか情報を発信するべきだ。それが少なくとも事故を起こした企業と政府の責任じゃないか。それを風化させて忘れさせよう、まして原発を輸出しようなどというのは頭がおかしいのじゃないか。あれだけの事故を起こしておいて、どの面下げてと思うよ。

 最近のネットなどを見ていると「日本を褒めよう」などというわざとらしいことをいうやつがいる。一見文句がつけられない標語なんだけれど、どこか体制翼賛的な一致団結、挙国一致的なものが臭う。もっと不平や不満をぶつけなきゃいけないのじゃないのか。そんなとこで自己満足してちゃいけないのじゃないか。現状に不満を持たせないための、ある種の洗脳じゃないかな。

 今日は眠たいので不平たらたら、ごめんなさい。
 


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デパートの個展 - 2014.06.18(ポケットの窓から)

はる 4729
 来月号の「美術の窓」の国展評。なんだかピントはずれだな。取材した訳ではないから、批評というよりこの人の感想だな。まぁ無料で掲載して一言書いてくれるわけだからありがたいのかもしれないが、頼んでもいないのに嫌だと思う人もいるだろうな。

 閑話休題

 私がデパートで個展を初めて開催したのは2007年でそんなに古いことではない。当時は国展の会員でもなかった。普通デパートで開催される個展は第一に「売り絵」と称する壁の飾り物のような小奇麗な絵が多い。その次は大きな団体の幹部クラスか、会の実力者ということになる。

 私自身がデパートの絵に大いなる偏見を持っていて、それは今でもそんなに変わらないのだけれど、だから何となく言われることはよくわかる。いよいよデパートで個展をやる作家になったのかと、それは羨望でもあるし、蔑みでもあるんだな。

 私がデパートで個展を開催するいきさつはどこかで書いたけれど、まぁ嫌なら飛ばしてくれ。

 一人の画商Hさんとの出会いがなければ私がデパートで個展をすることはなかっただろうね。当時私は神戸の貸画廊で毎年夏に個展を開催していた。ある日、どこかでそのDMをご覧になったHさんが電話をかけて来られて、是非とも会って話がしたいということだった。私はデパートの画商さんと聞いただけで、とても本気で相手する気にもならなかった。今から考えると大変失礼な対応をしたと思う。

 というのも、その少し前に東京のデパート専門に企画する胡散臭い画商とトラブルがあったからだ。その画商も突然電話してきて、今から自宅にお邪魔して絵を拝見したいといってベンツで訪ねてきた。その時の嫌な思い出があったからだ。所詮デパートの画商なんてその程度のものだ、という感覚はあった。

 そんな話があって、しばらく間があり忘れてしまっていたら、ある日突然また電話がかかって来て、今からそちらに伺いますというのだな。大阪からわざわざ話に来る、それだけに感動した。それでもまだデパートで個展をする気にはなれなかった。私の絵では無理だ。売れない。そんな絵を描き気もない。というのが理由だった。

 画商など海千山千のつわものだと考えていたけれど、お会いしたHさんはまぁ見事ないい意味で画商だった。「売れる売れないはこちらの話で、とにかくやってみましょう」「毛嫌いせず、デパートは一つの大きな場だと考えればいい」

 まぁそこまで買いかぶられれば、だめもとで一つやってみるかと始めたのが、2007年の阪急の個展だ。だから最初のスタートから違うのだ。そこそこの実力があって、そこそこ売れていて認められていたわけではない。Hさんにとっても一つの冒険、チャレンジだったのじゃないかな。自分がセレクトした作家がどこまで通用するか試したかったのじゃないだろうか。それでもデパートは続けるのは難しいだろうな。まぁそれも楽しめればいいかなと思っている。

 


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ポケットの窓から - 2014.06.17(ポケットの窓から)

はる 4728
 無事阪急うめだの個展は終了しました。これで今年前半の怒涛の個展の嵐が終了しました。春の公募展のごたごたも重なって久しぶりにめっちゃ忙しい日々でした。まぁそれでもなかなか楽しい日々でした。


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ポケットの窓から - 2014.06.16(ポケットの窓から)

はる 4727
 私は一足先に帰宅しました。展覧会は明日までやっています。是非見てやってください。

 今回も多くの方からブログを読んでいるということを言われた。同じように絵を描いている人が、何かしら私の一言からヒントを得たり考えさせられたりするようだ。それはそれで嬉しいことだ。長く続けているだけで、大したことは書いてはいないのだけれどね。

というわけで、感想をいただきました。ありがとうございました。
石井宏志陶芸工房さん
http://tougei1.exblog.jp/19904477/

阪急ライフスタイルニュース
http://www.hankyu-hanshin-dept.co.jp/lsnews/06
/a02/00170484/?catCode=601006&subCode=602012
  


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ポケットの窓から - 2014.06.15(ポケットの窓から)


はる4726
私の出番は終了しました。しかし、名残惜しいので朝一番ちょことだけ顔をみせて帰ります。11時頃まで在廊します。よろしく。


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個展4日目 - 2014.06.14(ポケットの窓から)

はる 4725
 阪急デパートのオープン前の風景。デパートの始業前になぜ並ぶのか、私にはわからない。並んで買うほどのものがあるとは思えないのだが、といいながら私は並んでいる矛盾。

 明日で私は帰宅します。どんな野郎なのか、その他御用のある方はぜひとも明日中に画廊の方へ来てください。お待ちしております。展覧会のほうは17日(火曜日)まで開催しております。
 

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個展三日目 - 2014.06.13(未分類)
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写真は阪急ライフスタイルニュースより
http://www.hankyu-hanshin-dept.co.jp/lsnews/06/a02/
00170484/?catCode=601006&subCode=602012
はる 4724
 個展三日目
 
デパートで個展をやることをこころよく思わない人たちがいる。たぶん私もデパートで個展をする機会がなかったらそういった偏見をもっていたかもしれない。デパートの絵=商品=体制側に身を売った絵描きということになるのだろうか。今日も何となくそんな、やっかみ半分のありがたい小言をいただいた。
ちょっとむっとしたけれど、まぁ実際絵を売ることを生業にするということはお客さんを相手にするということで、純粋に自分だけの表現を目指して描いているわけではないからね。そう指摘されても仕方がないかなとも思う。私は芸術家ではないからね。生き様をさらしているただの旅芸人みたいなものだ。そうやって生きてゆければ本望だな。


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ポケットの窓から - 2014.06.13(ポケットの窓から)



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ポケットの窓から - 2014.06.12(ポケットの窓から)


はる 4723
 個展二日目
 どうやらこのホテルのパソコンは不具合が続いているようだ。コメントを書く気にならない。ここまでがやっとだ。あしからず。

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ポケットの窓から - 2014.06.11(ポケットの窓から)



はる 4722
 個展1日目
 どうやらホテルのパソコンの具合が悪い。ゆえに画像だけのアップになる可能性があります。あしからず。

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ポケットの窓から - 2014.06.10(ポケットの窓から)



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- 2014.06.09(未分類)
2014060919374246c.jpg  
                       小嶋悠司「母子像」
はる4720
  今日は恒例ののお墓参り。約一年ぶりに神戸の垂水にある舞子墓地にゆく。この小高い丘は我が母校であるところの星稜高校の真裏にあって、時々学校をサボってはタバコを吸ったりした懐かしい場所でもある。ここに行くとなぜかその頃のことを思い出す。墓地というと墓場を連想するけれど、ここは公園になっていて薄気味悪い墓場とは全く違う。海と山は私たちの青い時代と密接につながっている。

 さて、昨日来年お世話になる予定のギャラリー洛の下見を兼ねて訪問した。このギャラリーは御所の真下にあって御所のお庭が借景になるような素晴らしい場所にある。このスチエーションに負けないような作品展にしなければと決意を新にした。

 さて、帰り道に三軒どなりに面白そうな創作ジュエリーのお店があった。普通はジュエリーなど触手が動かないのだが、たまたま、店先に展示してあったのが、上の小嶋悠司さんの作品だった。上の絵をみればお分かりになると思いますが、華々しい宝飾店には似つかわしく無い渋い絵柄で、大体小嶋悠司さんその人をご存知の方も少ないとおもわれる。

ところで、私は小嶋悠司さんの大ファンで十年ほど前にわざわざ京都まで京都美術館の大個展を拝見にでかけたぐらいだ。そんな訳で。店先に彼の絵が掛けてあったのが、気になって店なかまでふらふあと吸い込まれてしまった。

お店のオーナーは三十前後のお若い方で、少しお話をする。「小嶋悠司さんがおすきなんですか?」と聞けば「はい、親父なもので!」えーーーー。びっくりです。きょうとはやぱりおもしろいなぁー。

頼まれた訳ではありあせんが、お店の名前を書いておこう「Facile」丸太町通高倉東入ル坂本町686





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ポケットの窓から - 2014.06.08(ポケットの窓から)






















はる   4719
 今日から神戸の実家に二日ほど滞在。明日は恒例の墓参りツアーです。

 上の写真は来年やる京都の画廊の写真。今日はもう眠いのでまた明日。


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ポケットの窓から - 2014.06.07(ポケットの窓から)

はる 4718
 明日から関西に帰ります。どさ回りの旅芸人の始まりですな。


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今日のアトリエ - 2014.06.06(ポケットの窓から)

Van Halenより13年も前に既にライトハンド奏法






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共鳴する森 - 2014.06.05(you tube)


共鳴する森Vol.1 演奏 原口香英 はらぐちよしふさ

はる 4716
 いよいよというのか、やっとというのか今年最大のイベントである大きな会場での個展が始まる。実はここでの個展の話は昨年の11月はどうかというお誘いがあったのですが、もうすでに予定が入っていたものだから残念ながら、丁重にお断りした経緯がある。

 わりときっちり一年前くらいに期日が決まっている町中の画廊と違って、デパートの企画は期日があいまいだ。その理由はよくわからないのだが、少し斜に構えて考えてみると、我々のような大して利幅のない作家の展覧会は、大家の展覧会の期日が先に決まってその空いた隙間に埋め込むように決まってゆくのではないだろうか。まぁ仕方のないことだろう。

 この日曜日から私はまた旅芸人になります。結構楽しみだなぁ・・。


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ポケットの窓から - 2014.06.04(ポケットの窓から)

はる 4715
 午前中に荷物を取りに来りに来てくれた。まぁこれでもう基本的には私の手を離れたことになる。

 大阪のデパートでの個展は三年ぶりだ。阪急デパートはずっと改装していた。それ故に画廊はほぼ毎回場所が変わって、いつも間借り的な雰囲気の会場が多かった。それが今回は改装が完全に終了して一昨年の11月ごろグランドオープンした。

 それで今回が初めての個展ということになる。大きくてきれいな会場になって私の作品たちはどう観えるのだろうか?落ち着いて堂々としていてくれるだろうか?まぁもうまな板の鯉どうとでも料理して頂戴ませ!お時間があれば是非とも観てやってくださいな。


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ポケットの窓から - 2014.06.03(ポケットの窓から)

  はる 4714
 明日いよいよ荷物を取りに来ます。廊下はこんな状態です。    


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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