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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

ポケットの窓から - 2014.03.31(ポケットの窓から)
はる 4651
 昨日は久しぶりのクロッキー会だった。このところ面倒になってクロッキーをアップするのをサボっている。これは簡単に携帯の写メで撮って送ったものだ。これならそう負担にならないけれど、作品としては物足りない。でももう毎回クロッキーをアップするのは面倒になった。

 学生のような何の変哲もないクロッキーだけれど、だれが描いても変わらないものなんだけれど、これがなかなか面白い。面白いから毎回描きに行くのだと思う。では何が面白いのか?ただヌードを見ることができるからではないわけで、ものを描く、写すということ、とことん自分の目をカメラのレンズのようにして描写することに没頭する、その忘我の瞬間が気持ちいいから行くような気がする。

 日々描く作品などは没頭して描くというものではない。あまり面白いものではない。面白くて楽しければそれは案外仕事ではないのかもな。村上龍の「無趣味のすすめ」にこんなことような事を書いていた。そのままではないのであしからず。

 「私は小説を書くのが好きではない。嫌いなのかといえばそうでもない。私にとって小説を書くということは好きという枠外にある」またこんなことも言っている、ニューヨークのそうそうたる俳優たちを輩出した俳優養成所の基本は「熱狂的な状態の人間を演じるときに、俳優は熱狂的であってはならず、自覚的でなければならない」

 よく言われることは表現者が酔ってしまっては、見る人を酔わすことはできない。仕事ということになれば案外楽しいばかりではない。そこら辺りを勘違いするとけっこう痛いことになる。私にとって文章を書いたり、クロッキーや音楽の真似事をするのは趣味のようなものだ。


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昔の作品 - 2014.03.31(作品)

木陰 1994 SM 油彩
はる 4650
 


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早春賦 - 2014.03.29(作品)

「早春賦」 1994 F8 油彩
はる 4649
 今から20年ぐらい前の油彩の最後の頃の作品です。これもまた形を変えた自画像です。色んな人の影響が感じられますけれど、まぁそこそこのグレードはあるように思います。盛んにコンクールなどに出品してチャレンジしていたころですね。色んな意味で意識が外に向いて他人と競っている感じがしますね。まぁその分それなりに評価された時でもあります。しかし、これを続けて行くことはたぶんできなかったでしょう。この後イタリアに行くことになります。

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今日のアトリエ - 2014.03.28(ポケットの窓から)
はる 4648
 庭の梅の木が満開になって、嬉しいことに鶯がやってきた。「梅に鶯」というのは本当なんだな。まさか梅の花見でもあるまいに。単に偶然なんだろうか?


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今日のアトリエ - 2014.03.27(ポケットの窓から)
はる 4647
 絵を描いて何とか生きてゆこうと考えたとき、まず問題はどうやって生活の糧をえるか?ということだ。就職しているならそんなことを考える必要はない。正業を持ちながらなんとか絵を描き続けるということも悪い選択ではないけれど、どこか言い訳じみている、それでは絵は趣味ですねということになる。

 絵を描いて生きてゆくと決めたのには、色々な理由があったのだけれど、今から考えるすべて後付だな。一番の動機はすごく単純だけれど絵描きに憧れていたということかな。絵描きという風来坊のような生き方に憧れていたということかな。

 皆どうなんだろう。たとえが凄く子供じみているけれど、ムーミンというアニメの中でスナフキンという風来坊が出てくる。ギターをいつも抱えて風のように街から街をさまよい歩いている。生活はどうしているんだろうとはあまり考えないで、何となく謎めいている。多くの人はどこかにスナフキンに憧れているようなところがあるのじゃないかな。どんな組織にも加わらないで、その枠の外を自由に行き来する技を持っていて、人は自分は出来ないけれど、自由に生きている彼を決して拒みはしない。

 本来芸の人というのは古今東西、そんな自由な旅人なんだな。「あそびべ」は少し違うけれど芸で生きているという意味ではその分類に入るのかもしれないし、「白拍子」「的屋」「香具師」「山師」「サンカ」などもその類かな。

 まず生活というよりあんな生き方がしたい、かっこいい、そんなところから始まったのじゃないかな。みんなもっとかっこいい理由をつけるのだろうけれど、単純に至極簡単に芸術家に憧れていたんだな。それでもそれを続けることは簡単ではない。


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ポケットの窓から - 2014.03.26(ポケットの窓から)
はる 4646
 もうすぐ誕生日を迎えて62歳になる。この私が六十を超えたということがあまり実感としてないのに、すでにそれから二年過ぎようとしている。年ばかり一人前に加えている。

 どうも花粉症のためにものが集中して考えられない。といわけで今日はおしまい。


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ポケットの窓から - 2014.03.25(ポケットの窓から)
はる 4645
 やっとバラの生垣の修理を済ませる。これでこの間の大雪で壊れた部分の修理が終了した。農家のハウスの損害はこんなものじゃないとは思うのだけれど、まぁいずれにしろ自然の猛威にはまったくお手上げ状態だな。

 原因を考えると基本的に地球の温暖化が絡んでいるように思われる。今までは冬にこれだけ大規模な低気圧は日本に来なかった。海水の温度が上がったために夏冬関係なく低気圧が発達して台風のようになって日本にやってくるのじゃないだろうか。湿った低気圧が大陸からの寒気を呼び込んで、太平洋側に大雪を降らせる。そう考えると、こういった気候の変化はこれから当分続くのではなかろうか。来年の冬もひょっとすると大雪が降るかもしれないな。

 それはそうと、今日あたりは花粉が凄いのじゃないかな。くしゃみがでて鼻水が垂れて困る。いよいよ私も人並みなったということか。ありがたくない。

 


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ポケットの窓から - 2014.03.24(ポケットの窓から)
はる 4644
 フェイスブックに登録して一年ほど過ぎた。これに関してのデビューは随分遅い方だと思う。というのは携帯電話がスマートフォンではないガラ系のために更新が面倒だったということもある。今も携帯は変わらないけれど、アイパッドを利用するようになって閲覧に関しては問題がないようになった。

 FBに関してはそんなに新しいことは期待していたわけではない。私の場合基本は毎日更新する日記が主体であって、このブログと連動して更新されるようにツイッターとFBが設定されている。それぞれのメディア別に投稿するわけではないので、それほど面倒な操作ではない。

 ブログと大きく違うところは、ブログは自分が訪問する相手が限定されてしまって、いつの間にか訪れなくなるサイトもある。新しく紹介される同じような興味のあるサイトを自分で探す必要があるということだろうか。FBの場合友達になった人がどんどん興味のある画像なり記事を紹介してくれるので、自分が知らない作家などを知ることができる。この点が大きく違うことだな。

 それと、反応が素早いこと。記事にする早い場合即反応がある。だれが読んだのかわかるようになっている。今までは闇夜に向かって独白していたような記事が少なくとも読んだ人がいるというだけでも慰めになる。

 最近知らない作家の作品で面白い、いいなぁと思うものは自分の記事として再度アップすることにしている。こうやってゆくと自分がいいと思う作品の傾向がどんどん分かって面白い。具象であれ抽象であれいいものはいい、という自分の感性を信じて選ぶわけだけれど、それなりの偏向がでてくるものだ。

 ようするに傾向としていいと思うのはアカデミックな美術教育を受けたことがないような作品ということが言える。でもっと言えばアカデミックな教育を受けたけれど、それを何とか感じさせないようにまで昇華している作品かな。未開の人間ではないのでどうしても多くの情報を教育という形で受けてしまう。どこか病的でない限り、何らかの教育を受けない人などいない。そこから始まってその人本来が持っているものは何かと問いかけることが意味あることになってくる。

 全く無作為な作品など描けない。絵を描く行為そのものが作為的な行為だから、そこに矛盾がある。徹底して写生することでも一瞬そういった忘我の境地に至ることがあるけれど、それは意識されたものではない。私が望むのは意識された無意識に至ることだ。無理だけれどね。


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ポケットの窓から - 2014.03.23(ポケットの窓から)
はる 4643
 


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泣くことはない - 2014.03.22(作品)

「泣くことはない」F6 2014

はる 4642
 表現者はカナリアだという説をどこかで聞いた。昔炭鉱夫はトンネルの中にカナリアを持って入った、もちろん愛玩のためではない有毒ガスが出た時にいち早く死を持って教えてくれる警報としての役目があったという。嘘かまことか知らないけれど、なるほどとうなづけるところもある。

 そんな役割を演じるつもりはさらさらないのだが、どんな形でも多少なりとも人にメッセージを届けることができれば嬉しい。

 多くの人が勘違いしているところがある。物を見て描くことがもちろん基本で、それをマスターすれば自然に次の具象的な半分抽象的な表現作品に自然に移行して行くものだと思っている。それは大きな勘違いだ。スケッチをいくら繰り返してもスケッチが上手くなるだけで、それ以上でも以下でもない絵があるだけだ。どんなにうまくなっても「ただうまい絵」にすぎない。


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今日のアトリエ - 2014.03.21(ポケットの窓から)
はる 4641
 都会では隣近所にだれが住んでいるのかわからないのが普通だが、田舎に住んでいると町内会という自治組織がしっかりとあって、毎年いろいろな行事や側溝の掃除とか公園の管理とか、有価物の回収などを行っている。今年はそんな中でも組長という世話役を仰せつかって、適当にサボりながらもそこそこお手伝いをした。この四月で解放されると喜んでいたら、今年度は文化祭の委員長をやってくれということでまぁ順番で、仕方ないので嫌々ながら引き受けた。年寄りばかりで誰もやり手がいない。

 文化祭などといってもそんな大それたものじゃなく、子供やお年寄りが手慰みに作った編み物や子供の工作や習字、夏休みの工作なんかもあったな。短歌や絵手紙、傑作なのがひょうたんをてかてかに磨いたあれは何というのだろう工芸品なのかな。盆栽なんかもある、全部で30点ぐらいだろうか。まぁ出品するのを楽しみにしているお年寄りもいるかもしれないので、出品者がいるかぎり続けるのだろう。

 私が絵を描いているということもほとんどの人が知らない。そのまま極普通のただの住人として引き受けた。それでいいと思う。


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隠されたこと - 2014.03.20(作品)


隠されたこと F8
はる 4640
 少し前に仕上がっていた作品なんだけれど、今日少し手を加えて新作とした。タイトルも二転三転したけれどこれに決めた、「隠されたこと」というのはなかなか意味深で面白いタイトルだ。

 今日は定期健診の日で、朝からその準備をしていた。二か月に一度定期検診を受けるのは、大きな理由は胃から吸収するビタミンが不足するのでそれを補うために定期的にビタミン注射をする必要があるというのと、もう一つはどうしても食べたものを直接腸から吸収するために食後の血糖値が急激に上がる傾向がある、そのために長い間に疑似的な糖尿病患者と同じような症状になる可能性を持っているわけで、血液検査でそれを調べておくことが大事だそうだ。特に治療らしい治療もしていないので、ここのところ義務的に定期的に通っていた。

 そんなところに、主治医の先生から電話があって、前回の血液検査で甲状腺に異常値が出たので今日その再検査とエコー検査をするという連絡がはいった。甲状腺と言えば放射能の影響が即思い浮かぶわけで、それだけでなく私などはCTの検査で浴びるほどのX線をうけているわけで、あぁいよいよそちらから来ましたかと少し憂鬱になった。

 考えてみれば例の大病の告知も14年前の春だったなぁと一人がてんして根性を入れて病院に向かったのでした。

 まぁ結果を先に言ってしまえば、異常値は異常値なんだけれど経過観察して値に急激な変化がなければ、特にすぐさま治療を要することではなかったので、まぁまぁよかったということです。

 しかし、私たち60を越えた人間はもうどうでもいいのだけれどこれから子供を産んだり、子育てをしている若い人たちにとってこの環境というのは最悪だな。何が本当のことなのか、だれを信じればいいのか、言われていることの情報に天と地ほどの差がある。お上からの情報を信じるならまるっきり心配いらないということだし、反対に反原発派の情報はそれがすべて真実だとすればただちに日本を脱出しなければとんでもないことになると脅かしている。

ここで確認しておかなくてはいけないことは、この状態をつくったのは東電と政府自民党と電力官僚なんだな。犯罪を犯した者が出した情報にどれだけの真実かあるのか。できるならできるだけ少なく、知られないようにするのが犯罪者の心理だろう。考えてみるとおかしな構図になっている。罪を犯した者が自らを都合のいいように管理している。一党独裁のかの国を批判できないね。

 何を信じているのか、すべての人がお互いに疑心暗鬼になって心の探り合いすることは、心の健康上一番よくない。今の日本の状態はそんな感じだな。2020年の東京オリンピックに意識がシフトしている人間にとっては、原発の放射能のことを声高にいって反対する人は日本から出てゆけという雰囲気になるかもしれない。今もちょっとそんなところあるものな。

 放射能の影響はどう出てくるのか、これは時間がかかるからな、すぐにはわからない。分かった時には遅すぎる。正直みんな本当のこと知るのが怖いのじゃないかな。極論かもしれないが、若い人や子供たちはできるだけ西に疎開した方がいいかもしれないな。

 
 


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うす曇りの日 - 2014.03.19(イタリアスケッチ)

イタリアスケッチNO124 うす曇りの日
はる 4639

 どうにも心配なのは原発のことだ。ひょっとして取り越し苦労なのかもしれない、そうあってほしいとはみんな考えていることだろう。しかし、本当のところはだれも誰もわからない。見ることはできないし、放射能の汚染は目には見えないし、だれが責任者なのか、だれを信じたらいいのかそれもわからない。政府の言っていることはまったく信じられないということだけは確かなことだけどね。

 あれだけ嘘をついて、絶対安全だといいながら、当然のことながら事故は起きてしまった。事故後のことだってできるなら過少に表現して何も心配することはないのだといいたげだけれど、本当はどうなんだ。目には見えない状態で事態はどんどん悪くなっているのではないか。

 汚染水なども当然、だれが考えてもそのうち一杯になるさ。どれだけ大きなプールがあったとしても無限大ということはない。どうにもならなくなって海に流すことになるだろう。何十年もどんどん世界の海を汚し続けて、それでも止めることができなくて、海の魚や貝やその他のものも食べることができなるのではないか。そんな大きな事故を起こしながら、まだ原発を推進してゆく理由はどこにあるのだろう。

 不思議な国だな。

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イタリアスケッチNO122 - 2014.03.18(イタリアスケッチ)


イタリアスケッチNO122
Caitone村ジュゼッペ爺さんの納屋
はる 4638


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イタリアスケッチNO71 - 2014.03.17(イタリアスケッチ)
71no.jpg
イタリアスケッチNO71 ローマ ポポロ広場
はる 4637
 今はどうなのかよく知らないが、小学校で図画の専門の先生がいるのは東京と神戸だけだという話をきいたことがある。嘘か本当か事実は知らないが、確かに小学校では図画や工作が盛んだった気がする。年一回全校写生大会なるものがあって、普通に遠足の支度をして絵を描きに行った。勉強しないで絵を描けばよかったのだから、私にとっては嬉しい行事だったのだけれど嫌いな生徒もいただろう。

 もともと絵を描くことは嫌いではなかったが、小学校の頃の専科の先生に褒められたというのはけっこう今になって考えると大事に事だったんだな。勉強は平均点ぐらいしか取れなかったけれど、音楽と図画の成績はよかった。あと家庭科とか理科の実験なんかも好きだったな。どうも頭を使うよりも手を使う作業が好きだったようだな。

 風景なんか特にそうだけれど、描く場所を探すところから絵を描く作業が始まっている。絵になる構図というのかモチーフ、心揺さぶられる絵柄が見つかれば絵は自然に出来てくる。その絵になるモチーフ探しに結構時間を食うことになる。半日も探して結局見つからなかったということが何度もある。適当なところで妥協して描きだすとどこかで適当になってしまっていい作品にはならない。

 描く気にさせる場というのは結構似たようなパターンがある。それが自分のたぶん原点なんだろうな。ヨーロッパの街並みはどこをとっても絵になるように作られている。それはやっぱり西欧の美意識の表れかもしれない。ある理想てきな美の基準みたいなものが、普通のそこら辺のおっさんやおばさんににもあって、それは百年たっても変わらないといった自信になっている。

 われわれ八百万の神を普通にいただいている民にとっては、不動のものなどない。どこにもかしこにも真実があって絶対これだというものがない。すべてが不確かでその場しのぎだな。

 眠くなった。また


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イタリアスケッチNO114 Capitone村 - 2014.03.16(イタリアスケッチ)
イタリアスケッチNO114 Capitone村
ブドウ畑からの眺め
はる 4636


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イタリアスケッチ番外21 - 2014.03.15(イタリアスケッチ)
番外21
1995 イタリアスケッチ番外21 ナルニの街角

はる 4635
 風景スケッチは場所を見つけるのに苦労する。描く気にさせる場所が見つかればあとは何とかなるように思う。ヨーロッパの石造りの建物はそれだけで絵になる。西欧にあこがれて油彩画を始めた当時に留学生なども、それを見てたぶん歓喜しただろうと想像する。佐伯祐三なども西欧の風景は絵になるけれど、日本の湿度の高い風景は絵にならないなどと嘆いていた。

 スケッチするといってもこれがなかなか難しい。一人で知らない街に入って堂々と画材を広げて絵をかくというのは結構勇気がいる。慣れてしまえば何でもないことだが、胡散臭い異国人がうろうろすると余計に不審に思われるのではないかと、小心者の私などは思った。

 このナルニという古い城下町はイタリアのどこにでもある城壁に囲まれた小さな中世の町で、私たちが住んでいた村から一番近い町ということになる。町と言っても今はお城があって市役所や教会や小さな劇場があったり広場があって人々が暮らしているというだけで、何らかの生産的な仕事場があるわけではない。日本の感覚で言うならばお城があってその周りの城下町を含めてお堀で囲ったような感じだろうか。ただその町全体が数百年経た骨董品のような街で、規制も多くたぶん住むのには色々不便だろうけれど、あえてそこに住むということに意気を感じている人も多い。

 イタリアの人々はみんなそんなところに住んでいるというイメージですが、普通の下町に今風の家に住んでいる人の方が当然多いわけで、こういった骨董品の町に住むには相当覚悟が必要だろうと思われる。日本でいえばなん百年ものの古民家に住んでいるようなもので、かなり手を入れないと普通には住めないと思う。

 絵の道具は普通の小さな携帯用のスケッチセットで、紙は現地調達でいいと思っていた。一年間という短い期間なのでそれで充分だと考えていた。 ローマやフレンツェなどの絵になる都会にいたわけではなく、ほとんど誰も知らない田舎町に住んでいたので、そこに住んでて食べて寝て遊んで、時々旅に出て時々スケッチする。それで充分楽しかった。


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イタリアスケッチNO74 - 2014.03.14(イタリアスケッチ)


イタリアスケッチ NO74 1995 ローマポポロ広場
はる 4634
 どう考えてもこれだけは言える。東電と政府と電力官僚は責任を取るべきだ。彼らは犯罪者だ。このままなし崩しになかったことにしてはいけない。そんなことを許してはいけない。そのためには何をすればいいのだろうかね。静かにデモをやっている程度じゃだめだな。


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イタリアのスケッチNO89 - 2014.03.13(イタリアスケッチ)

1995 イタリアスケッチNO89
はる 4633 
 こんなスケッチもたまに見入ると新鮮だな。今ではヌードクロッキーは別にしてほとんど観て描くことはしなくなった。イタリアに滞在するにあたって手間のかかる油彩など描く気は毛頭なかった。ただただ旅をしてできるだけスケッチをするということを自分に課した。せっかく異郷にいるのに閉じこもって絵をかいても仕方ない。この際徹底して旅に出ること、そしてその感動をスケッチなり文章なりにすることを心掛けた。今あらためてこの絵を見て当時のことを思い出す。いい旅をした。

 震災から三年たった。この国は深い傷を負った。実際の話震災だけなら時間とともに風化して行くことは悪いことばかりではない。忘れることで立ち直ってゆくということもあり得るわけだ。にもかかわらずいっこうに気持ちが晴れないのは原発のせいだ。原発のことは決して過去の出来事にはならないし、してはいけないのだ。覆い隠そうと、本当のことを知らせないようにしているのが、ずいぶん露骨に見え隠れする。

 震災直後、世界中から日本の治安の良さや行儀のよさを称賛する声が聞かれた。だれも我先にと人を押しのけて治安を乱す者がいなかったとか、行儀よく並んで待つ姿が震災のダメージが大きければ大きいほど冷静に普段通りに暮らす一般の人々の姿が称賛に値いする行為だと褒めたたえられた。

 しかし、今になって思うことは、だれも本気になって怒らないし、だれも責任を追及しようとしない、なってしまったものは仕方ないじゃないかというあきらめ、よく飼いならされた人々という風に考えられないか。いや、そうなんだ。いっそ暴動でも起きて政府が転覆でもするような大騒ぎになれば、上の方も真剣に考えるのじゃないか。これはまったくコインの裏表だな。

 反対にこれをいいことにどんどん悪い方に、一般の人が決して見えないように、分からないように、いいとこだけ見せて、人々が興奮して我を忘れるような楽しいことだけ見せて、その陰で着々と自分たちだけで通用する法律を成立させて、グローバリズムなどという片言をいかにもそれが当たり前のように適用して戦争に加担できるようにしている。おいおい本気でそんなこと考えているのかい。どこに持って行こうとしているのか。困ったものだ。

 もっと怒っていいんだよな。だれも責任取らないから、また同じようなことやるんだぞ。もう今更遅いのだけど、どう考えても原発は廃止だろう。このままゆけば日本は放射汚染の見本のような、実験室のようで、世界中に避難しなければならないようになるのではなかろうか。

 汚染されたものはすべて東電の敷地内に巨大な深いゴミ箱を作ってそこに持って行く。そこから一歩も外には出さない、それが責任取るってことじゃないか。なぜか今は反対に日本中にばらまいている。おかしなことをする国だ。だれのことを考えているのかわからない。東電を生かすことを第一に考えているとしか考えられない。のうのうと東電がいまだに存在して偉そうにしていることが信じられない。さっさと犯罪者として責任取れよ。いまでも多くの人が自分たちの人生おしゃかにされたんだから、その責任はどうするんだ。


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今日のアトリエ - 2014.03.13(ポケットの窓から)



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ポケットの窓から - 2014.03.12(ポケットの窓から)
)
大滝詠一と高田渡


はる 4632
 上のラジオ番組は面白い。二人とも亡くなってしまったけれど、言っていることがなかなか深いんだな。オリジナルなどと言っているけれど、独創なんてないんだ。当たり前だけれど、何かどこかで影響されて出てくるものなんだ。絵でも同じだな。そう思う。

 どこに根っこがあるかということなんだろうな。そのことに早く気付いた方が勝ちというのか、はやりすたりに関係なく生きてゆけるということだろう。

 何でもそうだけれど、物事を突き詰めて考えてゆくとどんどん昔に戻ってゆく。このひとつ前はどうなっていたんだろうと考える、でまたそのひとつ前はどうなんだと考える、でどんどん過去をさかのぼってゆくことになる。

 絵を描く人がたどる道を書いてみる。
 たとえば油絵を描きたいと思ったとする。まず道具を手に入れるために画材店に走る。まぁそこでキャンバスと油絵の具など必要なものを買う。油彩はそれなりの技術を必要とするので、それに慣れるだけでけっこう暇がとれる。形をとるためにデッサンも練習しなきゃならない。そうこうしているうちに、まぁそこそこ描写できるようになってそれで満足して終わってしまう人も多い。

 料理などもそうだけれど、最初は普通に材料をスーパーなどで買ってくることだけで満足するわけだ。そのうちに何かこだわりが出てきて産地にこだわったり、天然のものとか、有機栽培ものとか、もっとこだわってゆくと自分で素材から作るということになるだろう。どんどん過去に戻ってゆくわけだ。

 それとよく似ているんだけれど、たとえば絵を描くのにキャンバスってどうして決まっているの?ということに疑問を持つ。それじゃキャンバスがなかった頃はどうしていたんだろう?何に描いていたのかと調べたくなる。元々は大きな木の板に描いていたものだ。あのモナリザなどは板に描かれたものだよ。ところがそんなに大きなまっすぐな木が手に入りにくいので、いろいろ考えた。まぁ帆掛け船などの帆じゃかなり大きなものが作れるし、何よりも軽くて扱いやすい。しかし油を吸って描きにくいので木枠に張って地塗りすることにした。

 絵の具にしても油彩画と簡単にいうけれど、そもそも絵の具って何だ?という疑問がでてくる。油彩画できる前はどういうもので絵をかいていたのか。そもそも絵の具やなどなかったわけだから、自分で作っていたわけだろう。じゃ油絵の具ってどうやって作ったの・とどんどん疑問が膨れてゆく。絵をかくということからどんどん離れてゆくのだけれど、一時日本の美大なども材料学がとても盛んになった。

 私のことを振り返ってみると、イタリアに行ったこと、いやそれは単に大きなきっかけに過ぎないのだけれど、本当はイタリアに行く前から水性に移行するだろうという予感はあったのだな。絵をかく材料のバリエーションの面白さに気付くと、普通に画材を絵の具屋さんから購入するということが、宝を捨てたように思えてくるのだ。

 話が最初に戻るってくるのだけれど、物事の原点まで立ち返ることで人間本来の持っているどこにでも誰にでもみんなに共通するエッセンスみたいなものが見えてくるようにおもうのだな。どうだろうか。




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友川かずきを聴く - 2014.03.11(ポケットの窓から)

友川かずき
「生きていると言ってみろ」
はる 4631
 知る人ぞ知る、友川かずきを聴きに行く。やっぱりもう少し若いときに聴くべきだったな、というのが正直な感想。浄瑠璃とか浪花節とか浪曲に近い気がする。一曲目はさすがと思わされたけれど、一曲終わったら息が切れていた。後はもう飲んだくれてヘロヘロだったな。三上寛などにも言えるけれど、若い時に力技で聞かせていたようなシンガーは枯れた技に移行するのが難しいかもしれないな。

 同じような老いた酔いどれシンガーでも亡くなった高田渡と違うところだ。高田渡は何と言ってもおしゃれだと思う。本人はそうは思っていないかもしれないが、根の部分がおしゃれだ。センスが都会的なんだな。

 まぁそれなりに味はあったけれど、途中のおしゃべりは漫談のようで面白かったけれど、そういう場馴れした芸能人風も少し違和感があった。人の勝手だけれどね。自分でも言ってたけど彼は音楽家とは思っていないところがあるな。生き様が風来坊、詩人、芸人、いかさま師、ペテン師そのものか。それはそれで生きてきた貫禄を感じさせるものだったけれどね。あそこまで行けば何でも許されるのだ。あともう少し頑張って歌い続けて欲しいね。


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今日のアトリエ - 2014.03.10(ポケットの窓から)

はる 4630
 いい天気でとても寒い。明日は震災から三年目だな。当時のことを時々思い出さす。計画停電などということがあった。原発は今も存在している。貿易収支がこのところのエネルギー事情から何か月も赤字だとマスコミは大々的に報道している。だから原発が必要なんだと言いたげだ。マスコミのいうことは疑ってかからねばならない。知らず知らずに世論を誘導して行く。平然と公平な公器のような顔をして。

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微妙なバランス - 2014.03.09(ポケットの窓から)
はる 4629
 我が家には大人が乗る黒い武骨な自転車はあったけれど、子供用の自転車はなかった。自転車に乗りたかったので、この大きな自転車を納屋から引きずり出して三角乗りして練習した。もちろん腕やひじは擦り傷だらけになったけれど、自転車に乗れることが嬉しかったな。

 (三角乗りとはサドルの下の三角のスペースに足を入れて乗る方法。子供が大人の自転車に乗る時にサドルからだと足がつかないので、この方法をよく使った。正面から見ると微妙な三角形のバランスだったので三角乗りと言われた)

 


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ポケットの窓から - 2014.03.08(ポケットの窓から)
はる 4628
 六十年も生きてくると大きな病気や怪我など一つぐらい患ったことがある人も多いだろう。幸運にも未だ大病したことがない人も、これからの十年はわからない。脅すわけではないけれどね。

 今から14年前、ちょうど2000年だから区切りがよく忘れない。いつもは人間ドックなど受けないのだが、たまたま誘われて市の人間ドックを受けたら、見事に当たって胃の悪性リンパ腫という宣告を受けた。そのことは何回か書いたね。
 
 今ではそうでもないけれど、何も知らない人間に「悪性」の「リンパ腫」という言葉の響きは恐ろしい、とても生きては帰れないそんな響きがあった。癌の中でも特に「悪性」なのではないか、「リンパ」まで侵されている、取り返しのつかない病気になってしまった。というのが第一の印象だ。

 それから当時やり始めたネットで調べまくった。こういう時にネットは威力を発揮する。「敵を知れば百戦危うからず」という言葉があるけれど、知らないことほど恐ろしいものはない。知ることによって戦ってゆこうという気にもなるのだ。同じ病気を患っている人の手記や闘病記はかなり参考になったし、何よりも私だけではないという心強さが得られた。

 当時の治療法は胃の全摘しかなく、完全治癒の可能性も高く予後も悪くないということだった。まぁ今では平然とこんなことを書いているけれど、実際は顔面蒼白で二三日はかなり落ち込んだ。相方の存在のありがたさを強く感じたな。一人ではなかなか戦ってゆく気力が湧かなかっただろう。

 時々「悪性リンパ腫」で検索されて訪ねて来られる方がいます。このブログは闘病記ではないのでそのことに触れることはほとんどありませんが、がっかりしないで他を当たってみてください。まぁその後のことはいずれまた書きましょう。


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ポケットの窓から - 2014.03.07(ポケットの窓から)


加島 査 展
3/1~3/9
山梨市・パーシモン
055-276-2201
はる 4627
 毎日よく書くことがありますね、と時々言われる。まぁ書いている私もそう思うのだから、たぶん読むほうも飽きてくるだろうな。そう毎日何か変わったことがあるわけでもなく、日々の暮らしはごくごく平凡に過ぎてゆくものだからね。

 しかし、これもまたよく思うのだが、こういったものは毎日書かないと書けなくなるものなんだな。書かないと書きたくなるものがたまってゆくように思うかもしれないが、書かないとどんどん枯れてゆく。アイディアとかネタというものは実に不思議なものだ。使えば減るものではなく、使えば使うほど総体的には増える。

 個展を毎年してそれで何とかしのいでいるわけだから、まぁ出来る限り観た人にまた見たい、面白かったと思ってもらえることがとにかく大事なことだ。自分の主張と一致していれば一番いいのだけれど、まぁなかなかそこの兼ね合いが難しいところだ。観る人にこびてしまえば作品の質はどんどん落ちて行ってしまうだろう。

 いまの絵画の置かれている環境というのは実に難しい。日本の住宅事情や生活環境を考えてみても、普通の日常生活のなかで美術とか絵画、彫刻などが必要とされているとは全く考えられない。これからも状況が好転するとも思えないなぁ。需要が極々少ないわけだから、供給側が自然淘汰されるのはいたし方がないのかもしれん。

 でもこれも、枯れない泉のようなもので諦めるとそこで終わってしまう。細々でも汲みつづけてゆけば総体では増えてゆくのではないかと思っている。

 


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ポケットの窓から - 2014.03.06(ポケットの窓から)

はる 4626
 やっと雪がとけた、我が家の玄関先。しかし、明日の朝は真冬並みの零下7度という予想、残っている雪がアイスバーンになって滑ってころばないようにしなければ。

 絵を教えるのは難しい。最初は技術的なことなのでそんなには苦労しない。自分がいままで通ってきたことを伝えればいいわけだからね。でもまぁ、それぞれ勘でやっていたことや、わざわざ考えなくてもやってきたことを人に伝えるためには言葉にしなければならないわけで、そこのところで客観的に見る訓練にはなる。教えることは教わることだと言われる所以だろう。

 こういった芸事みたいなものは最終的にはそれぞれが自分なりの方法を見つけてゆくというのが理想なわけだから、そこまで来ると人それぞれで教えることなどない。如何に自分を見つめたかというのが問われるわけだからね。

 学校など教えていてもよく思うことだが、小学校や中学校では教師が手取り足取りで懇切丁寧に子供たちに教えてゆくというのがいい先生だと思われている。まぁ義務教育というのはそんなものかもしれないけれど、教育の最終的な目標というのか目的とするところは、学校を出てからも学ぼうとする意欲を持ち続けられるように指導するというのがいい先生じゃないかね。そうすると、懇切r丁寧に教えすぎると生徒の意欲は反対に落ちてゆくのではないか。と、自分の手抜きの指導方法を弁護する。

 

 
 

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ポケットの窓から - 2014.03.05(ポケットの窓から)


はる4625
教室の発表展「TAO」が無事終了しました。最終日は又しても雪でした。東京の個展もそうでしたが、今年は雪に縁があるようです。見ている分にはきれいな雪も、あるところを境に凶器に変わります。甲州の冬は空っ風で有名だったはずなのに、今年はべたべたとじめついて気持ちが悪い。なんとかこのまま春を迎えたいなぁ。


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NPRナショナル・パブリック・ラジオ - 2014.03.04(未分類)

Pedro Soler and Gaspar Claus: NPR Music Tiny Desk Concert
NPR Music Tiny Desk Concert: Ballake Sissoko And Vincent Segal



Edmar Castaneda: NPR Music Tiny Desk Concert  


はる 4624
「猫の後ろ姿」さんからの情報でこのサイトを知った。ジャンルはクロスオーバーで民族音楽もあり即興音楽でもありジャズッポクモある、素晴らしい音楽だ。

 音楽というものは音を楽しむわけで、基本的に即興が前提だと思うな。即興にかなうものはないのじゃないだろうか。互いに相手の目を見て息を感じて合わせてゆく。そんなことができれば本当にたのしいだろうな。

 午後はこの間の雪で痛んだ樋を修繕する。大雪が降ればかなりの確率で樋は壊れる。雪止めがあればそこそこ壊れずに済むのかもしれないが、その分長く屋根に雪が残ることになる。どちらがいいのだろうか。

 元々あった樋は金属製のもので、かなり腐食がすすんでいる。そのために少しの雪でもかなりダメージを受ける。ホームセンターに行ってももう金属製の樋など置いてはいない。昔のこういったブリキの加工というものは一級の職人仕事で、ドラム缶のようなものに火を起こして鏝をつっこんでその場で半田付けをやっていた。私などはあこがれのまなざしで眺めていたものだ。

 まぁこれもブリコロールの本領発揮で、壊れた部品を寄せ集めて何とか工夫して修理する。出来るだけ新しいものは買わない。あるものを工夫して何とかするというところに面白みを感じる。

 後はバラの生垣の修復だけになった。


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今日のアトリエ - 2014.03.03(ポケットの窓から)
はる 4623
 


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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