あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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祝祭 - 2013.10.31(未分類)
 
祝祭-13
はる 4499
 この時期に日展に出品した人はかわいそうだな。一生懸命やってきた人も居るだろうにな。まぁ昔から日展は色々あってね、大きな派閥の先生につかなければ入選もままならないとはよく言われた。まぁそんなものは音大の入試なんかでもそうだもの、みんな自分がかわいくて、自分の身内がかわいいのだ。そうやって大体内から腐ってゆく。けど無くならないね。人間てそういう生き物だもの、なくなるわけない。いまここでその団体にメスが入って解体しても、同じような団体がまたできるだけだ。


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一人の作家です。 - 2013.10.30(ポケットの窓から)


はる 4498
今朝の朝日新聞のトップニュース。十一月一日から日展が始まるからなのか、タイムリーな記事。内容はみなさんよくご存知の徒弟制度の談合、入選、受賞の話。我々内側の人間にとって何を今更という感じ。人間は群れる、群れると派閥ができて、争いが起きないように談合がおこなわれて、それなりの均衡が保たれる。これは何も美術団体だけの話ではなく、人間が群れるところすべてに行われているバランス政治だ。ある意味それを民主主義という。

公募という誰にでも開かれた審査をうたい文句にして出品者からそれなりの審査料を取るわけだから、絵の良し悪しだけで入落が決まらないというのはある種の詐欺みたいなものだけれど、まぁ出品者もある程度そのことはわきまえていて、暗黙の了解事項と諦めていた節があるよね。徒弟制度とはそういうものだ。

そういった肩書きと真の実力とは呼応しないということをわきまえていれば、誤魔化されることもないのだが、多くの部外者は号何万とか◯◯会の会員とか審査員だとか◯◯賞受賞などというお題目にころっとだまされるのだ。

芸術というものが投機の対象になったり、何か高尚なブランド品のように思っている人々にとっては痛い話かもしれないが、単に自分の楽しみ、心の中を覗く道具、だと考えている人々にとっては対岸の火事でしかない。どちらもどっちお互い様じゃないのかな。

私もある団体の作家ですが、こう考えています。◯◯会に属してい作家というのではなく、作家の私は◯◯会に属しているということです。あくまで私は一人の作家なのです。属性は色々変わります。その中の一つということでしょう。

この話は色々出てくるでしょうね。




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- 2013.10.29(未分類)
はる 4497
甲府イノセントの個展DMです。これだけだとお面の展覧会のようですが、お面は二階だけです。一階はいつも通り0号から130号までの絵画を展示します。一階と二階が完全に別れていますのでこんな展示でも違和感がないように思います。

このブログをご覧になっている方はもうご存知だと思うのですが、(半年ほど前に制作過程を晒していましたから)材質は紙です。ですから簡単に言えば張り子の虎のようなものですね。

お面に興味があったのは随分前からで、最初はアフリカのドゴン族のプリミティブな仮面でした。たぶん彼らには仮面という意識もなかったのかもしれませんね。仮面をつけることは、限られた日や限られた人だったかもしれませんが、ごく普通の光景であったのでしょう。

先日ブログにアップした顔に色々な装飾を施した彼らの写真と共通するのですが、われわれから見れば非常に個性的にみえるそれらの装飾も、実際のところは個性の誇示よりも自然と一体なる、おおいなるものと一体になる、我を忘れるそんな事のために施すのではなかろうか。

日本のお祭りや能や猿楽、人形の文楽などもそうだが、お面をつけることで自分ではない何かになる、憑依する恍惚というのがあるのではないかな。ちょっと怖いのですがね。そういった仮面の文化というのをおいかけても面白いかもしれません。

 西宮の個展の紹介まとめ(ありがとうございました)
竹内康行さん (竹川になっていました、すみません)
http://noyakki.blog51.fc2.com/blog-entry-4164.html

猫町文庫
http://ccnet.easymyweb.jp/
member/fukuoka/default.asp?c_id=38199

石井宏志陶芸工房
http://tougei1.exblog.jp/18766706/

猫の後ろ姿
http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11638974455.html







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ポケットの窓から - 2013.10.28(ポケットの窓から)

はる 4496
 帰ってきました。まぁ私はほとんどの個展は会場に詰めていますので、結構重労働ですね。でもまぁ多くの作家が会場に居るのが苦痛だというのに私は楽しいですね。自分のお客さんと接する唯一の場ですから、直に反応が見えるし、質問に答えることも出来る。一番はすべてとは言いませんが、私の絵のファンが見に来ているわけで、そういった人たちと話をするのは楽しいですよ。あまり多くないからそんな事がいえるのかもしれませんが、このくらいがちょうどいいのかもしれませんな。

 同じ会場で何回か開催すると、最初は義理とか人情で来てくれる人も段々に少なくなって、来る人は私の絵を見たいと思う人の割合が増えてくる。特に今回のように朝から雨が降っていて、嵐が来るなどと報道され、電車が止まるかもしれないなどと脅かされると当然誰も絵など見るどころの騒ぎではない。だからこそ、そんな中でも傘さして会場を探してわざわざ来てくれた人には頭が下がる。もし私が反対の立場なら行くかな??

 美術でも音楽でもまぁ文学でも、学校では鑑賞教育というのがあまり大切にされていないように思うな。どちらかといえば美術なら実技というのかもっぱらアウトプットに重点が置かれている。で何を表現するのかといえば、手っ取り早く見たもの見えたものを適当に組み合わせて描くというようなことをやる。まぁそれ以外にどんな方法があるのかと言われれば私なども困ってしまうのだが、そこからは本当に少人数で好きな人相手でなければ正直難しいな。指導者の力にも左右されるだろう。

 先ほどの話でではインプットとは何なのかね。歴史上の美術や有名な作家や建物や時代を学ぶというのもインプットかもしれない。学校で学ぶのはそんなところだな。例えばここに「月曜日の朝」というタイトルの絵があったとする。この言葉の意味するとことは結構色々だな人によってはこれから一週間「がんばって仕事しよう」という人もいるし、文字通り「ブルーマンデー」の人も居るわけだ。それはその人のそこまで人生というのか過ごしてきた時間がフィードバックして「月曜日の朝」という言葉でよみがえるわけだ。

 作家は何を思ってそれを描いたのか、表現したかったのかは別にして、それを見た人は自分の心の中を一度覗き込むわけだな。絵を媒介にして自分の中を覗き込む。その事の方が大切なんじゃないかな。そういったインプットの仕方はどこでも教えていないのではないかな。他人事じゃなく自分のものとして絵を見るというのか、それを言葉にすることでもっと深くインプットできるのではないかな。表現するということを考えた場合、我々は技術的には優れていてもその内容の掘り下げ方が薄い気がするのだな。

 ・・・疲れたので今日はここまでまこの話はまたいつか。
 


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個展6日目 - 2013.10.27(ポケットの窓から)


はる 4495
西宮の個展無事修了しました。w台風というアクシデントもあった今回の個展でしたが、無事に終了出来てホッとしています。御忙しい中をご高覧有難うございました。

今日は午前中は台風一過の快晴、だったのですが午後は晴れたり曇ったりの不安定な天気でしたね。最後駆け込みのお客さんは何処かで私の個展のdmをみて今日で最後だというので、急いできたという人が多かった。DMの力というのはなかなか大きなもので、一度見たら忘れない、出掛けたくなる、それだけの求心力が必要だということがよくわかる。

神戸は具体美術の伝統があるのでわりと抽象の作家が多い。誤解をおそれずに言うならば、抽象は自己満足に陥るおそれがたぶんにあるように思うな。自分だけ分かって楽しんでいるようなところがある気がする。芸術には高踏的、高飛車、上から目線、が許されるところがあるのだけれど、よく考えてみると誰にでも分かる、メッセージとして伝わらないものは表現として未完成だと思うのだがどうだろう。考え方として私の絵の作り方も抽象です。出て来たものは具象ですけどね。

あと、感じたのは地域閥、地方閥のようなものかな。私は関東圏に住んでいるので、関西出身でありながら関西の作家との交流が少ない。だからあまり知らない、義理を感じることもないということかな、本当は作品さえ良ければ観たいと思う作品なら、作家がどこに住んでいようが関係なくみにくると思うのだが、実際はけっこう義理、義務のようなことで成り立っている。そういった意味では今回の結果は正直なものかもしれないな。

あと、今回の収穫は新しい画廊のオーナーと知り合ったことだ。これからのことなので詳しくは書けないのだけれど、新しい出会いが次のステップになるかもしれない。出会いはいつも突然やってくる。こんかいの個展はそれだけでもやったかいがあったかもしれない。


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個展5日目 - 2013.10.26(ポケットの窓から)


はる 4494
今日はまだ台風の余波なのか、太陽が顔を見せたり雨がパラついたり、落ち着かない天気だった。にもかかわらずありがたいことに熱心なお客さんが遠くから近くから駆けつけてくれた。ありがたい。

その中でも最近はネットで見た、ブログを見た、という方が多くなってきた。実際に今までに何度も見てファンになってくれたお客さんも大切だけれど、新しくそうやって何らかのきっかけで知ってお客さんになってもらったことがうれしい。

webのお客さんは最初から私のことをよく知っていて、いきなりコアなファンになってくれることが多い気がする。hpを運営して十年になるけれど、やっとそこそこ役に立っているのかな。

まだまだ、予定していた半分にも達していません。明日五時までです。お待ちしています。

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個展4日目 - 2013.10.25(ポケットの窓から)


はる 4493
台風も私の念力で遠く離れてしまったようです。後は雨だけが心配ですが、どうやら峠を越えたように思います。それにしても、今回は台風にたたられました。半ばすんでお客さんは通常の半分でしょう。まぁぼやいても済んだことはしかたありません。明日、明後日にかけることにしましょう。

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個展3目 - 2013.10.24(ポケットの窓から)



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個展2日目 - 2013.10.23(ポケットの窓から)


はる 4491
いよいよ降り出しました。これから明日、明後日と台風の影響が心配です。電車が止まれば、それでアウトです。まぁ地震があったり、台風があったり、それも私の人生です。すべて引受けてひっくるめて前に進むしかありません。お時間があればきて見てください。

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ポケットの窓からお - 2013.10.22(ポケットの窓から)



はる 4490
個展1日目
何と無く静かな幕開けです。明日から雨の予想、最悪です。頑張ります。

個展紹介してもらいました。
石井宏志さん
http://tougei1.exblog.jp/18835331

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ポケットの窓から - 2013.10.21(ポケットの窓から)


はる 4489
いよいよ明日から個展が始まります。週の後半は台風のため天候が予測できません。ひょっとすると、絵を見るどころの騒ぎではないかもしれません。私自身が電車が止まって行くことができないという事態になるかもしれません。というわけで、明日あさっての比較的天気がいい状態のときにご覧になった方がゆっくりできるように思います。

まぁいずれにしろ、私は会場に詰めているつもりです。よろしくおねがいします。

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明後日から個展です。 - 2013.10.20(ポケットの窓から)


はる 4488
神戸に来ています。明日作品の搬入と飾り付け。それにしても、台風が気になます。会期中の半分は雨、ひょっとすると台風のど真ん中で暴風雨かもしれない。よりよって狙い撃ちで台風が来なくてもいいと思うのだ。それも私の運命かな。

明後日からです。雨にも風にも負けずに私は在廊しています。電車さえ動けばね。


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ポケットの窓から - 2013.10.19(ポケットの窓から)

はる 4487
Oh oblong より「公募展」をめぐって
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20131019
、、、、、、
公募展のことが話題になっている。というのか、公募展のことを真剣にでもわざとらしくても話題にされることさえすくない。公募展そのものが現代のアートシーンから置き去りにされていて、一部の関係者以外お互いに存在さえしていない。このままで行くならば、いずれは町の文化祭のごとく何でもありの趣味の発表会の全国版になるだろうな。

まぁ、生き残る方法としては案外それが的を得た作戦かもしれない。最先端の芸術ではないかもしれないが、愛好家の裾野を広げる一翼をになっている気もする。そこに存在意義があると思えばそれも有りかなと思う。どうだろう。



恋するフォーチュンクッキー 神奈川県 Ver. / AKB48[公式]

こういうのも有りかな。


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ポケットの窓から - 2013.10.18(ポケットの窓から)

はる 4486
 少し寒くなった。


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ポケットの窓から - 2013.10.17(ポケットの窓から)


はる 4485
いよいよ怒涛の個展シーズンがはじまる。この日曜日から神戸の実家にお世話になる。実家と言っても、もう親もいないわけだから、兄弟の家にお邪魔するといった感覚かもな。一週間以上我が物顔で居候するわけだから、申し訳ない。お世話になります。

今回の個展が65回目の個展です。年に最低でも三回開催しているので、この十年で大台の百回に到達するでしょう。もうここまで来れば、何とかできるところまでやり続けたいと思っている。生涯現役で絵がかけるというだけのことで、まぁそんなに力説するもんでもないか。

この後、十一月は十六日から甲府の駅前にある画廊イノセントで開催、十二月はクリスマスに恒例の銀座ギャラリー惣で今年はお終いです。明けて二月には同じく銀座松屋で個展が予定されています。町中の画廊は自分で決めたものです。デパートはちょっとオーバーワクークぎみですが、声がかかった時にはできるだけ応じるようにしています。

どこか近いところでご覧になれるようでしたら、お出かけくださいな。私は会場にはほとんど毎日詰めているつもりです。よろしくおねがいします。

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ポケットの窓から - 2013.10.16(ポケットの窓から)



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無垢なもの - 2013.10.15(未分類)
 

20131015195832269.jpg 

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アフリカ オモ族
http://japan.digitaldj-network.com/articles/11853.html より無断借用
はる 4483
 アフリカにはもちろん行ったことがない。今の私の体力では多分もう行けないだろうな。もし行けるなら全くどこの文明の影響も受けていないそんな無垢の人たちに会ってみたい。彼らが何こころの支えにして生きているのか、人生観、世界観、自分たちの宇宙観、そんなことを聞いてみたい。いやこの問いかけそのものが何らかの文明的なのかもしれないな。樹や草やそこらを歩いている動物たちも、自分たちが何故生きているのかなどと問いかける事などないのだから。

 それにしても、上の写真は強烈なインパクトがあるな。自分たちを飾るという意識ではないだろうな、他人との差異を主張ための飾りではないな、もっとこう根本的なこと、例えばそこらにある樹や岩や草や動物たちと一体になる、そのために自己というものを消し去ったそんな恍惚を感じる。

 人類の歴史は個の独立というものを何よりも大切にしてきた。他とは違う自己の確立、アイデンティティの確立というのが何よりも大切だと教えられてきた。けれど、よく考えてみるとそれが何だと思うんだな。自己を確立して他とは違う自分というものを知ったところであまり意味はない。その延長上には現代人の代表的な悩みであるところの精神疾患、うつ病のようなものがどうしても出てくるのは必然のように思うな。

 昨日の話しではないけれど、知ってしまったことを忘れる事はたぶん難しい。一度文明に晒されたものは未開の無垢な人間にはなれないのだ。無心、無我、無意識、無作為。やはり唯一の方法は何かに夢中になる、一心不乱に打ち込むことで「あちらのせかい」にホンの一時でも出掛けるしかないか。


・・・・・・・
個展を紹介してもらった。

猫町文庫
http://ccnet.easymyweb.jp/member/fukuoka/default.asp?c_id=38199

石井宏志陶芸工房
http://tougei1.exblog.jp/18766706/

猫の後ろ姿
http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11638974455.html






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いったりきたり - 2013.10.14(ポケットの窓から)

はる 4482
第66回榎並和春個展
「いったりきたり」       

 この世は「ことば」になるものと、ならないもので出来ています。いつもは意識された「ことば」世界に住んでいますが、時々無意識の世界も顔を見せる。「いったりきたり」私たちは実にあいまいな世界に住んでいます。

 普段何気なく使っている「ことば」も面白い。ふと言葉の響きが気になって調べてみると、引っかかりを感じたその部分に、自分が隠れていることに気付くことがよくあります。

 絵を描くこともよく似ています。もうすでによく知っている事を描いてもあまり面白くない。絵の中に自分が隠れている。それを探しに行くのが私の仕事のように思います。

 表現とは表面的には全く個人的な出来事を吐露しているだけのように見えますが、それだけだがすべてではありません。多くの人の共感を得たいと思うならば、誰にでもある共通の記憶、源泉(オリジン)に触れるような仕事にしたい。
分っていることと出来る事は違います。知ってしまったことを忘れる事は尚難しい。

 さて、いつものようにあっちこっち「いったりきたり」しながら、心に浮かんだ色やかたちを作品にしました。今回は絵から抜け出たようなお面も展示します。愉しんでもらえれば幸いです。御来廊こころよりお待ちしております。

第66回榎並和春個展
~いったりきたり~
 2013 11/16(土)~11/24(日)11/20水曜日定休
ギャラリー・イノセント 
〒400-0031 山梨県甲府市丸の内2-12-3 
 電話 055-222-4402


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ポケットの窓から - 2013.10.13(ポケットの窓から)

はる 4481
 白い壁と青空と濃い木々の緑が額縁のように縁取られてアメリカの抽象作家の絵のように美しい。言われなければ気付かない、どこにでもある店の窓の外の風景だ。美はどこにでもある、それに気付くかどうかそこのところがとても大切なポイントだな。「美は発見である」青山二郎の言葉だけれど、名言だな。


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今日のアトリエ - 2013.10.12(ポケットの窓から)

はる 4480
 先日西宮の個展のDMを郵送しましたが着いたでしょうか。まだ着かない場合何らかのトラブルで住所録からもれた可能性があります。残り少なくなりましたが、どうしてもという方はメール下さい。
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm  

 住所録は毎回個展が終わるたびに新しく来てくれた人を追加して更新します。ところが何回も同じ場所で個展を繰り返しているうちに当然数は増えてゆきます。どこかで調整してゆかなくては切りがありません。単純に一箇所だいたい500枚以内としています。地元の個展などの場合住所録は二千人を越えているのでね。そんな出だしても来てくれる人はそんなに変らないように思います。

 地方で個展を開催した場合、大切なのは地元紙の新聞の広報です。気にしている人はそれに載った記事で足を運んでくれます。何にも引っかかりを感じなかった通りすがりのお客さんよりはるかに関心度は高いように思います。

 後は美術雑誌の編集長宛にDMと今回の個展のテーマや点数、作家の経歴などを簡単に書いて出しておくと、時々無料で記事にしてくれる。これはあまり期待は出来ない作戦だけれど、やらないと絶対に取り上げてはくれないので、やった方がいいと思うな。ただ少なくとも一ヶ月前には情報を制作しておかなくてはならないので、無理なところもある。銀座などで個展をする場合は記事になる可能性は高い。

 注意しなければならないのは、必ず雑誌社から広告掲載の打診がある。余裕があるなら個展と連動させるのは効果的だと思うが、先ほどの無料記事とは違いかなりの料金を請求されるので、よく考えたほうがいいでしょう。

 作家として生きてゆくと希望するなら、個展は単発で開催するより、二年に一度、三年に一度というふうに定期的に行うべきで、出来るなら毎年何らかの形で発表して行くべきだ。コンスタントに展覧会を開催していれば必ずお客さんは観てくれている。そうおもって気長にやることだ。大事なのは覚悟を決めることだ。


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ポケットの窓から - 2013.10.11(ポケットの窓から)


はる 4479
秋というのも名ばかりで、連日の夏日が続いている。このまま冬が来なくてそのまま春になったら、さすがに皆
驚くだろう。サンタはトナカイがソリをひくのではなく、ラッセンの絵のようにイルカが海の上を引っ張って行くかもしれん。

一部のところでラッセンはアートかという議論で盛り上がっているけれど、芸術かどうかは別の機会に譲るとして、いっときヒロヤマガタとかスズキ⚪⚪などの印刷物を版画、リトグラフなどという巧妙な手口でお客を勧誘して高額な値段で売りさばくキャッチセールスが大流行りだったな。今でも銀座などでは若いネーチャンが客引きしているの時々見かける。

作家本人は作品を作るだけで、その後どういう扱いをされるのか関わってはいないだろうから、直接の責任はないだろうけれど、自分の作品がそういった商売に使われるのは心外だろうな。似たようなケースでもうすでに亡くなっている作家の作品を何らかの方法で入手して何百何千枚も印刷してリトグラフだとかジグレー版画だなどといって素人を騙して販売している業者も時々見かけるな。

これらはまだいい方で、明らかにパソコンの出力であるジェットプリントがまるわかりする悪質なものまである。こうなってくると、購入したお客さんの良識を疑う。本人が納得したのだからいいじゃないかとはよく言われるこよだけれど、明らかに常識を逸脱した値段で売り買いされるから問題になるのだ。画家や画商が胡散臭い商売だと品格を疑われる結果となる。

絵を買うのは自分の審美眼を買うのだ。それ値段に相当する美を発見したということだろう。そうでなく、投資とか投機などというすけべ根性で絵を買うからおかしくなる。しっかりした自分のスタンスがあれば騙されることもない。もし騙されたと思うなら、それは自分の審美眼のなさを教えてもらった授業料だと感謝するべきことだろう。

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今日のアトリエ - 2013.10.10(ポケットの窓から)


はる 4478
一種達人の域に達する極意というのはなんだろうか?凡人の私が考えることだからたぶん見当違いだと言われるかもしれない。でもまぁここだけの話だから、勘弁してもらおう。

私がよく「あちらの世界」などという、言葉では表現できない潜在意識の世界でもある。無意識、無作為、無我の境地ともいう。普通我々は自分の意思で考えて行動しているように思っている、しかしそれはまさに氷山の一角でその下には意識されない膨大な「あちらの世界」が埋もれている。それは私という個人が経験しただけのものではなくて、もっと下の有史いらい人類がDNAのなかに溜め込んできた記憶かもしれない。

表現とは表面的には凄く個人的な出来事を吐露しているように見えるかもしれないが、その段階はまだまだ浅いもので言葉で理解できる範囲のものであるならその程度のものだろう。

表現者という言葉しか思い浮かばないのでそれを使うことにしますが、如何にしてその領域まで降りてゆくのかに腐心します。まず一番簡単な方法は一心不乱に没頭することです。夢中になることで一瞬でも「あちらの世界」を垣間見ることができます。話は少し飛びますが「遊ぶ」という意味はそういった没我、一種神がかった状態をいうそうで、昔はそういった状態意識的に意識的に入って「おおいなるもの」との交歓を仕事にしている人々がいた。

そういった努力をしなくても最初から「あちらの世界」にいる人たちがいる。それは10歳までの子供で、すべての人は潜在的にその事を知っている。知ってはいるが大人になってゆく過程でいつの間にかその入口を見失ってしまって、容易には見つけられなくなってしまう。

もうひとつはアールブリュットの人達の表現だ。この人たちの表現はすべからく魅力的だ。ダイレクトに「おおいなるもの」と繋がっていて分けることができない。常人の我々には及びもつかない不思議な世界を持っている。いや、彼らは元々そちらの住人なんだろう。

しかし、子供にしろアールブリュットの人達のにしろ彼らのことを表現者とは言わない。表現者であるためには「あちらのせかい」と「こちらのせかい」をいったりきたり意識的にできなければならないと私は思う。




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ポケットの窓から - 2013.10.09(ポケットの窓から)

ルイユ展
10/9~14
山梨県立美術館
はる 4477
 県内のグループ展では他の追従を許さない高いレベルを維持して、毎年大作を美術館いっぱいを使って展示するルイユ展を観てきた。私たちの先輩や師匠筋にあたるのでコメントは出来ませんが、毎年頭が下がりっぱなしです。今年でなんと37回ということで、メンバーに会ってきましたがやはり老けた感はぬぐえませんね。しかし、芸は生き様ですから年取った方がより面白いわけですから、こうなれば50回目指して頑張ってもらいたいです。

 

http://m.youtube.com/watch?v=kbJcQYVtZMo

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おおいなるもの - 2013.10.08(ポケットの窓から)

はる 4476
 左からラジオペンチ、ケーキ作りに使うパテ、障子を貼る刷毛を半分にしてガムテープでとめたもの、その障子刷毛、工作用の刷毛、下は洗面器二つ・・。こんなもので絵を描いている。特に障子を貼るときに使うのり刷毛は広い大きな面積をむる場合に非常に役に立つ。使い捨てなのか、すこぶる安価である。どの道筆類はすぐさまだめになる、高級な筆を使ってもいい絵が描けるわけではないだろう。

 私のアトリエには絵をかけて置くイーゼルもない。小さい絵は手に持って描くし、少し大きな絵は何かに立てかけるか、床に置いて描く場合が多い。昔はH型の大きなイーゼルも持っていたが、いつの間にか邪魔になるので片付けてしまった。130号クラスの大きな絵になってくると床に置いた場合絵の上に板を敷いてその上に乗って描く。日本画家がよくやっているすたいるだが、もっといい加減だな。パネルだから一人ぐらい乗っても暴れないかぎりどうって事ない。

 今、来年の団体展のために少し大きな絵を描いている。しかし、どうにも大きな絵は上手く行かない。構えてしまうのか、小品のような自由さがない。理由の一つには絶対的な空間の狭さ、具体的に言うならばアトリエが狭いということだけれど、だからといってどこかに別のアトリエを借りてという気にもなれない。出来るだけ日常生活から離れることなく絵に接していたい。そんな中から出て来た物に意味があると思うからだ。狭いならせまいなりの工夫をして何とかするのがやり方だろう。

 もう一つの大きな理由は、絵の作り方そのものにある。ふつう大体どんな絵を描くのか下絵を作って構想を練るわけだ。そこから下地を作ってと積み上げてゆくのが正攻法だろう。しかし、私の描き方は何を描くか何も決まっていない。下地を作っては壊して、そんなことの繰り返しで出て来た物から発想するというでたらめだから、どうしても構えてしまうと自由度がなくなってつまらなくなってしまう。小品にある自由さが大きな作品にはないのはそのためだ。

 大きな作品は、小さな作品と違ってアイディアや発想の面白さを求めるのは違うだろう。

 今回は昨年の「大地の女神」をもう少し発展させて、大きな女神像を描こうと決めていた。どうなるか分らないけれど、大きな顔をどんと一つ描くと決めていた。多分それは一昨年の「負の遺産」の小山のようなバベルの塔を描いた時に感じていたものだ。

 日本人の我々にはどこか共通の認識があって、例えば大きな樹とか岩だとか山だとかそんなものを畏怖するというのか、ただならぬものを感じて信仰の対象にしてしまうようなところがある。まぁそれは日本人だけではないのかもしれないが、人智が及ばないものに対してある種の尊敬というのかな、信仰に近いものを感じてしまう。「おおいなるもの」とでも言うのかな。

 結局私はそんなものを描きたいのかなぁと思っている。


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ポケットの窓から - 2013.10.08(ポケットの窓から)



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こうふのまちの芸術祭2013 - 2013.10.07(未分類)
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はる 4475
 一昨日になるか、甲府の町外れにある不思議な掘っ立て小屋のような雑貨屋&カフェ「わじあじあ」に出かけた。このカフェの外観はまさにバラックそのもので、入るのに少しばかり勇気がいるような不思議な建物だ。ここで火を使うカフェの営業許可が下りたのが不思議な気がする。

 少し前の八月の真夏の夕方に出かけた時はまさに地獄のような暑さの中クーラーもなく、工業用の扇風機がブンブン音を立てて回っていた。

 今回出かけたのは「こうふの町の芸術祭」の坂本泉さんの展示がここで行われていると聞いたので出かけてみた。展示場所はカフェの内部ではなく、その地下にある酒蔵のような小さなスペースで、前に見たときは水がたまっていたようだけれど、今回は日照りが続いたおかげか、少しじめついてはいたけれど水が出るということはなかったようだ。

 なんだろうね、適度な湿度のある赤い布にぐるっと周りを取り込まれていると、なんだか退行現象で母親の胎内に戻ったような不思議な安心感があった。そんなものを意識したわけではないだろうけれどね。

 町中といいながらあそこは町外れで私以外にはお客さんもいない、こういった現代美術系の展示は美術館や画廊などの公の施設で見るよりも、町に出てその場にあるものを利用して取り込んでゆくそんな発表の方が臨場感が共有されて面白い気がした。

 こうふのまちの芸術祭は

http://kofuart.net/

◎とき

2013年9月21日(土)~10月14日(月)

◎ところ
甲府市中心街の空店舗、空き家、営業店舗、協力カフェ

◎参加予定作家
安岐理加、朝賀よる、市川真也、石原一官、Ekaterina Smirnova(エカテリー・スミルノワ)、石田泰道、岡本直造、貝瀬恵実、風卵(浅川洋+黒沢忍)、上條暁隆、Kate Hill(ケイト・ヒル)、小池歩、幸田千依、53235、齊藤翔、坂本泉、佐々木哲、Serena Lumley(セレナ・ラムリー)、高村佐和、とらぶろす(高橋辰雄+高橋裕)、長澤哲夫、萩原真輝、針生卓治、平川渚、松岡美帆、水川千春、八雄、山中カメラ



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- 2013.10.06(未分類)
「一角獣と魔笛」F10 2013
はる 4474
 小柄なバァサンが家の近くをうろうろしていて「○○は何処ですか?」と聞く。○○はここから5キロも離れた場所で方向がまるで違うと一応丁寧に教えたのだが、今ひとつ納得していない。ここから歩いてかえるというのだが、そのまま帰していいものか、思案に暮れる。自宅に電話して誰かに迎えに来てもらうという案を出したのだが、自宅には耳の遠いジイサンが居るだけで、たぶん電話には出ないだろうという。仕方がないので、車で近くまで送っていった。

 小奇麗な格好はしているのだが、持ち物はなく身元を示すものも持ち合わせていなかった。ただ手にはしおれたつつじの枝と葡萄に似た実をつける草を大事そうに持っていた。つつじはこれから花をつけるから奇麗ですよと、かみさんに言ってその葡萄に似た実としおれた枝をプレゼントしてくれたそうだ。

 ここらあたりでは毎日のように所在不明の老人の行方をたずねる町内放送がはいる。もう慣れっこになっていて、あぁまた年寄りが行くへ不明になってらぁと思うだけで、特別な感慨もない。それだけ迷子になる老人が多いということだ。

 今回のバァサンも今日は天気がいいので昼ごはんを食べて、散歩に出かけた。病院の先生には家にばかりこもっていないでどんどん歩けと言われたということで、最初は気持ちよく歩いていた。どんどん歩いた。河川敷のつつじが咲きそうだったので小さな枝もちょっと拝借。ちいさな葡萄の実ももいでジイサンのお土産にしよう。そのうちにだんだん日暮れてきて、さて帰ろうと思うとどこに居るのか分らない。さて困った。困った。どうしよう?

 人は切ない生き物だ。明日はわが身。 

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今日のアトリエ - 2013.10.04(ポケットの窓から)


はる 4472
子供の頃に住んだ街はどこか?という個人を認定するパスワードの設定があった。子供頃といっても住んだ場所は一つではない。かすかに記憶に残っている街もあれば、大部分過ごした街もある。多くの人がそうなんだろとおもったけれど、意外に生まれてからずっと同じ町で過ごした人もいるようだな。

私のように生まれ育った町から遠く離れて暮している人間にとって、子供の頃に住んだ町の名前はすこぶる懐かしい。懐かしいのだけれどいつかは卒業しなければならない大きな課題でもあった。

神戸といっても私が住んでいた町はごく普通のどこにでもある田舎町だった。とくに外国の人が隣近所に住んでいるハイカラな町ではない。こともの頃はすぐ近くに畑もあったし、ときどき牛や馬もみかけた。道はまだほとんどほそうもされていなくて、雨が振ればぬかるみになって、はねをあげずに歩くのに苦労した。

ただ海が近くにあったので、海岸までゆけば広々とした空間があり、鬱屈した気分も多少解消されるところもあったな。お金もなかったから、学生の頃は何かといえば海岸までよくいったものだ。

ずいぶん昔のはなし。バブル経済が全盛のころに神戸市が絵画コンクールを企画した。幸か不幸か例の震災があったので、後にも先にもあれ一回限りのまぼろしのコンクールになってしまったのだけれど、当時のコンクールでは最高の賞金を掲げていた。当時は色んな自治体や企業が冠のコンクールをしゅさいしはじめたころで、バブルがはじけて一気にしぼんでしまったけれど、それはそれで面白かった。

神戸の印象ーというテーマだったので、何も考えなくても描くことができる。故郷を離れていたので思い入れも大きかった。そこで描いたのは自画像と海と近くにあった建物という組み合わせにした。一番考えたのはタイトルかもしれない。その絵にピッタリとあったタイトルを付ければ最高賞も夢じゃない自信があった。

タイトルは「海と私と六角堂」というものでした。このタイトルを見ればあそこ住んだことがある人間にはすべてが分かる。海が自分たちにとってどういうものか、六角堂が何を意味するのか、そうした諸々のことがすべて含まれている気がした。結果はどちらでもいい。そうやって育った町を形にして卒業できたことが嬉しかった。


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今日のアトリエ - 2013.10.03(ポケットの窓から)

はる 4471
 ひとり言
 一生懸命意識して作為を消そうとするのだが、そう意識すれば意識するほど作為がでてきてしまう。筆の勢いで描けばかけるのだが、それでもないのだな。水墨画などの運筆じゃないからな。上手く筆が運びすぎて一筆書きの蛇のようになったらつまらない、職人芸のようで味気ない。その人間の度量だからうんとちゅうちょしたためらい傷があってもいいのだ、見る人はそんなためらい傷が見たいのだ。上手い、一発できめる極意など知りたくもない。何度も飽きるほどやるしかない。その中でたまたま一ついいものが出来ればいい。


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ポケットの窓から - 2013.10.02(ポケットの窓から)
はる 4470
 今日は午前中は定期健診で病院へ。最初から同じドクターにかかっているので、色々説明する手間が省けて楽でいい。定期健診とは言いながらほとんど何の治療もしない。検尿と血液検査だけの本当の定期健診だな。それでも昔は半年に一回CTを受けていたりしたのだから、あれから13年経った。悪性リンパ腫で胃の全摘出と聞けば凄い病気に聞こえるでしょう。命があっただけ儲けものか。

 午後は自転車で野暮用を片付ける。途中に面白い古屋を発見する。本当に小さい小屋だが、人が住んでいるような気配がする。自転車で街中を散歩すると自動車では見過ごしてしまいそうな意外なものを発見して面白い。

 それにしても午後は暑かった。


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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