あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

サブテーマ - 2013.07.31(ポケットの窓から)

はる 4407
 今年の個展のテーマを考える。取材して描いているわけではないので、今回は花の絵で行こうとか、風景で行こうという手が使えない。

 毎年の事だから、そう変ることはない。ならばサブテーマなど無駄じゃないかと思われるかもしれないが、そうでもない。今私が考えている事を「ことば」にすればどうなるか、そうやって自分の考えている事を絞り込む事に役に立つ。そうでもしなければ、だらだらとけじめなく終わってしまう。

 絵もそうだけれど、今年はこんなことを考えて来ましたよ。こんな「ことば」になりましたよ。というのも案外私の個展の場合重要で、手前味噌だけれど待っている方が多いのではなかろうか。

 ちなみにここ五年のサブテーマは
2008 「いつかみたところ」
2009 「こえをきく」
2010 「遠い記憶」
2011 「日々礼賛」
2012 「どこか遠く」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 いったりきたり 覚書4
  世界は「ことば」になるものと、ならないもので出来ている。普段は「ことば 」のある世界に住んいるが、時々「ことば」にならない世界も顔を見せる。「いったりきたり」私たちはあいまいな世界に住んでいる。

 普段何気なく使っている「ことば」も面白い。時々言葉の響きに奇妙な違和感を感じて調べてみると、なぜそれに引っかかりを感じたのか、面白いと思ったのか、たぶんその部分に自分が隠れているのでしょう。

 絵もよく似ている。もうすでによく知っている事を描いてもあまり面白くない。絵の中に絵が隠れている。それを探しに行くのが私の仕事のように思う。

 人生も終盤に入ってくるとそう新しいことにはお目にかかりません。大体が以前どこかでお目にしたか、体験したことだったりする。全く経験した事がない真新しい道だと思ってすすんでいたら、いつの間にかどこか見た事がある風景や出来事に出会ってびっくりすることがある。

 多分あらゆるものがラセンを描いているのでしょう。同じだと思った道も実は少しずつずれていて、二度と重なる事はない。そうやって手探りで生きてゆくしかないように思います。

 そうやって「往ったり来たり」しながら、日々の暮らしの中から気がついた事を作品にしました。楽しんでもらえれば幸いです。御来廊こころよりお待ちしております。




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「いったりきたり」覚書3 - 2013.07.30(ポケットの窓から)

はる 4406
「いったりきたり」覚書3

 「始めに言葉ありき」というのはなかなか意味深い。世界は「ことば」になるものと、ならないもので出来ています。普段は「ことば 」のある世界に住んでいますが、時々「ことば」にならない世界も顔を見せます。

 普段何気なく使っている「ことば」も面白いですね。時々言葉の響きに奇妙な違和感を感じて調べてみます。なぜそれに引っかかりを感じたのか、面白いと思ったのか、たぶんその部分に自分が隠れているのでしょう。

 絵もよく似ています。もうすでによく知っている事を描いてもあまり面白くありません。絵の中に絵が隠れています。それを探しに行くのが私の仕事のように思います。

 人生も終盤に入ってくるとそう新しいことにはお目にかかりません。大体が以前どこかでお目にしたか、体験したことだったりします。全く経験した事がない真新しい道だと思ってすすんでいたら、いつの間にかどこか見た事がある風景や出来事に出会ってびっくりすることがあります。

 多分あらゆるものがラセンを描いているのでしょう。同じだと思った道も実は少しずつずれていて、二度と重なる事はないのです。そうやって往ったり来たりしながら生きてゆくしかないように思います。

 今年もまた「いったりきたり」繰り返しながら、日々の暮らしの中から気がついた事を作品にしました。楽しんでもらえれば幸いです。御来廊こころよりお待ちしております。



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ポケットの窓から - 2013.07.29(ポケットの窓から)



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隠とん生活 - 2013.07.28(ポケットの窓から)

はる 4404
 暑い夏は出来るだけ家にいる。日中は廊下の涼しいところに枕を持っていって麦茶でも飲みながらこれまた厚い本でも読む。知らないうちにうとうとと昼寝している。シャワーでもあびて少し涼しくなってから何となく仕事をする。

 職住一体なのでどこまでが仕事で、どこからが生活なのかその際があいまいだ。あいまいなのが嫌いなのではない、進んであいまいのまま放置している。人によってはそれが嫌で、アトリエに出勤するようにしている人もいるようだが、私には向かない。アトリエが生活の場の真ん中にあるので、いつも見ている。

 集中力で物を作り上げるタイプではない。ずるずるだらだら引きずるタイプだ。集中力がない代わりに持続力がある、一度始めるとけっこう長く関わっている。気持ちの切り替えというのが特に上手くない。だから一つの作品にかかりっきりということが出来ない。いつも描きかけの作品が何十点もあってとっかえひっかえ筆を入れている。一つ一つ仕上げるのではなく常に全体で一つ、そんな感じかな。良くも悪くも今更変えようがない。

 特に高い思想や理想を持っているわけでもない。だから高尚な芸術をやっているという意識もない。全体に何かを成し遂げようという希薄に欠ける所がある。ただ何となくこういう生活をしたいなぁという希望というのか、嗜好趣味は若い頃からあった。隠棲というのか、隠とんというのか、何だろうなこういう性癖は。


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今日のアトリエ - 2013.07.27(ポケットの窓から)

はる 4403
今日は夕方に凄い雨だった。ちょうど車に乗って動き出すと同時くらいに降り出した。ポツポツと始まったら、稲妻が空を切り裂いて天の底が破れたような土砂降り。あれだけの水が空に浮かんでいるのだからさぞかし重たかっただろう。

 新聞もテレビも多くのメジャーなマスコミ連中も今頃になってさも昔から反原発だったというような論調で記事を書いているけれど、ほんまかいな。私は騙されんぞ。一応反原発を掲げていれば正義の味方面できるからで、この間の情けない姿の免罪符になると思っている。結局大事な時に大本営発表しかできんマスコミじゃ信じろという方がどだい無理だ。餌を貰ってちょうちん記事書いてんじゃないよ。もっと命がけで取材して独自の生地を責任持って書けよ。まったく官僚かっていうんだ。同じ穴のむじなじゃないか。

 たくということで、またあした。


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街中で映画を見る - 2013.07.26(ポケットの窓から)

はる 4402
 先日宮崎駿の「風たちぬ」を観て来た。映画館で映画を見たのは久しぶりだ。映画の内容は今封切られたばかりなので論評は避けます。皆さん自分の目で観て判断してくださいな。一つだけいうなら子供向けの「ととろ」や「ハウル」とは違うということかな。

 映画館が町中から消えて久しい。この町も少し前までは全国でも有数の映画館保持数だった。それが一つ消え二つ消え、今では唯一小さな映画館が細々と営業しているに過ぎない寂しい町になった。館主と話をしたが、県庁所在地で映画館がないのは奈良と徳島だけだ、ここもいつまで持つかな、、と嘆いていた。

 夏休みだったので、多分はやく場所取りしないと座れないかなと焦って駆けつけたところ、お客は私たちと他三組だけだった。まぁ映画はやっぱりできるだけ大きな画面で観たいという気持ちは分るけれど、ここは是が非でも町中の映画館を応援したい。出来るだけ町中の映画館で映画を観ましょう。

甲府セントラルホール(しかし、このHPもショボイな)
http://www.kofu-central.co.jp/


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ポケットの窓から - 2013.07.25(ポケットの窓から)



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相棒 - 2013.07.24(作品)
 

F6 「相棒」 2013
はる 4400
 カウントが奇麗な数字になった。10000カウントは何時ごろか、ざっと計算して一日一カウントだとすると、あと5600だと約15年。私は喜寿(77)ということになる。生きていればね。まぁ盛大にお祝いしましょう。それまで無事付き合ってくださいな。


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ポケットの窓から - 2013.07.23(ポケットの窓から)

はる 4399
「いったりきたり」覚書 

 「往ったり来たり」往く;目的地に向う、過ぎること。「往来」;行き来すること「いったりきたり」

 言葉というのは面白い。普段何気なく使っているのだが、時々言葉の響きに奇妙な違和感を感じて調べてみたりする。なぜそれに引っかかりを感じたのか、その部分に自分が隠れている。

 何故絵を描くのか?というのは「私は何者か」という問いと呼応している。これは永遠に続く終りのない問いかけだ。そしてふと考えるとこの姿勢はどこかでみたことがあることに気付く。

 人生も還暦を越えて後半に入ってくるとそう新しいことにはお目にかからない。大体が以前どこかでお目にしたか、体験したことだったりする。全く経験した事がない真新しい道だと思ってすすんでいたら、いつの間にかどこか見た事がある風景や出来事に出会ってびっくりすることがある。

 多分あらゆるものがラセンを描いているのだと思う。同じだと思った道は実は少しずつずれていて、二度と重なる事はない。そうやって往ったり来たりしながら生きてゆくしかない。

 眠くなったので又明日。



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おいおい、このままでいいのか? - 2013.07.22(ポケットの窓から)

 はる   4398
 新聞もテレビもほとんど観ないけれど、大事な事は漏れ伝わってくる。漏れて出てくるくらいのニュースの方が真実を含んでいるようにも思う。

 それにしても自民党が圧勝した今回の選挙だった。予測されたようにね。それにしても国民は本当にそれでいいと考えているのだろうか、私の周りにはだれも原発に賛成の人は居ないのに、選挙の結果は原発推進となる。どこでどういうそうさがなされているのか、全く不思議な結果だな。

このままじゃいけないという信号が出たにも関わらず、それを無視して前に進もうとする。民意を正確に今回の結果を表していないように思うな。反対の意思を受け取る受け皿がなかった、だから結果的に賛成派が勝ってしまったというだけのことなのに、この結果はたぶん禍根を残す事になるだろうな。

 大方の人が反対と考えているにもかかわらず、積極的に反対の意思を伝えなかったから、そういう風にあいまいな意思表示をするように仕向けられたから、結果的に積極的に賛成を唱える人たちに押し切られてしまったと言う事だろう。戦前の軍部の台頭もそうやってあいまいな層を増やす事ですすめられて来たのではないかな。

 こういう風な政治を選んだことは結局は自分たちに責任がある。世論と言うのは案外ミーハーな気分ででもって変る。上手く操作すれば思い通りの世論を作ることができるのだろう。多数決の恐ろしさだな。

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イタリアの田舎 - 2013.07.21(未分類)
バールスローライブ

http://ameblo.jp/italianomannakaumbria/entry-
11536495374.html

イタリアの真ん中で暮らす
  http://kikkawaharumi.blog68.fc2.com/blog-entry-2151.html   
   吉川春水、昨日今日明日 より勝手引用 
・・・・・・・・・・・・
・・ 略・・・
 
「勘違いしている人たちは貸画廊で個展をする同世代に対して「パブリック(の場所)でやる」とか「企業のアーティスト支援プログラムで展示(オークション)する」などと誇り高く宣言します。
、、略、、
アーティストが作る作品を見て「良い」とか「好き」と口にすることは簡単ですが、「買いたい」と思い、実際に行動(金を払う)するのは大いに違う、まさに月とすっぽん、天と地ほどの違いがあります。たとえ数万円の小品であったとしても。

「好き」から「買う」に至るまで、作品の鑑賞者は作品を吟味し、作家が画廊に居れば作家と話し、ギャラリストに相談する(かも)知れません。この作品を買うことで、我慢せねばならない事々を計算し、最後に決断します。
その決断を促すのは、作品への愛着、画家への励ましや応援、将来への期待であることでしょう。

こう言う現場を通じて、画家(の卵)は本物の画家になって行く、そんな気がします。

反対にパブリックや企業の「若手アーティスト支援プログラム」では殆どの場合、作品の展示はしますが、作品の販売はしません。そのような場所で、画家と鑑賞者の間に本当に真剣なコミュニケーションが生まれるのは稀なことでありましょう。だからと言って、私はそのような機会を求めるな、と書くのではありません。出来る限り、「若手支援プログラム」には参加してほしい、そして同じ熱意でもってコマーシャルギャラリーで作品を展示し、「売り買いの現場」で学んでほしい、と思うだけです」
・・引用終り
・・・・・・・・・・・・・・・・・
はる  4397
 アイパッドでブログを書いている。色々と上手く行かないところがあるようだ。まずレイアウトが上手く表示されないようだ。まぁ少しずつ慣れてゆけばいいか。
 
 前にも書いたけれど、公の助成とか支援とか助成というのは知らず知らずに目的が変化してくるから要注意だ。貧乏なアーチィストにとって支援や助成金というのは喉から手が出るほどありがたいし、欲しいものだ。だからどうしてもそれを得るために頭を下げる事になる。頭を下げるだけでいいなら話は簡単だけれど、目線が公の方、官のほうに向きかちになってくるんだな。

 表現者の目線は常に弱者と同じでなければならないと思うのだ。


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今日のアトリエ - 2013.07.20(ポケットの窓から)



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歓喜の歌 - 2013.07.19(you tube)


Som Sabadell

はる 4395
 高校の芸術科目の選択はちゅうちょなく音楽を選んだ。今から考えると不思議な感じがするが、その頃は将来絵を描いてゆくとは考えてはいなかったからだ。

 音楽を選択したクラスは2クラスあって、どちらも当然音楽関係の部活の生徒が多かった。当時の音楽の先生の専門が歌だったということもあってコーラス部の活動が活発だったように思う。

 今はどうか知らないけれど、芸術教科があるのは一年のうちだけで、二年時以降は理系と文系に別れてしまうので、あまり記憶がない。今でもクラス会といえば一年の時のクラスで、結構頻繁に集まっているようだ。

 合唱コンクールで歌ったのが「古時計」で今またリバイバルしているけれど、あれを聴くと当時のことを思い出してすこぶる懐かしい。

 このヴェートーベンの「歓喜の歌」の合唱曲はクラッシックとは言い難いほどポピュラーだ。長い間我慢してがまんしてやがて突然テノールで「さぁ兄弟よ、聴いてくれ…」と言うようにはじまる合唱の部分は感動的だ。

 ヴェートウベンの曲は最後のピアノソナタ以外すべて作為的で押し付けがましくてあまり好きではないけれど、作為もここまで露骨だ気持いい。作為作為=無作為になるという典型かもしれないな。 


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ポケットの窓から - 2013.07.18(ポケットの窓から)
 

はる 4394
今日は定期検診でいつもの病院に行く。二三年前から建て直す話しがあって、前回行った時は真新しい建物なって、今までの少し古ぼけた感じがなくなっていかにも新品ピカピカですという感じであった。

ほとんどが自動化されて受付もカードを入れると今日する検査などが印刷されて出て来る。血液検査の場所に行っても同じで、ここでもカードを入れると自動的に受付されて、自動販売機のような紙コップがガタンと落ちてきて「検尿してください」と初音ミクような声でアナウンスされて番号を印刷されたレシートのようなものがカタカタと音を立てて出てくる。

うながされて待合でまっていると、ここでは番号が呼ばれる。私は機械に誘導されて流れ作業の物になったような気持ちで少しさみしくなった。まぁいいけど。

古いビルは解体が始まっていた。ついこの間まで普通に患者や事務員や看護婦さんが忙しく行き交っていた建物が、いまは戦場のようなガレキの山になってしまった。これもまた、さみしい。 


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ポケットの窓から - 2013.07.17(ポケットの窓から)

 はる 4393 

 「明日は晴れるかな、くるくるしよう。今週はなんですか。」
上の文章は私がしゃべった事を自動的にアイパッドが筆記したものです。なんの意味ももないことばですが、こんなこともできるのですね。ちなみに何としゃべったかお分かりですか。

正解は「明日ははれるかな、これから何しよう。くるくるとは何ですか」自動筆記されたものはシュールで面白い。作為のない詩のようなものだ。絵でゆえばコラージュに近いな。今まである適当な文章をランダムに繋ぎ合わせたものだ。

昨日の話と繋がってくるのだけれど、cpというのはこういったことが得意だ。今までにあったもの、すでにどこかで発表されたもの既成ものそういったものを寄せ集めてそれらしく作ってしまう。グレードはそこそこのものができる。必要なのは無から何かを作り出す、クリエイトする能力ではなく、セレクトして並べてそれらしく見せる能力、観たて、演出家的な能力かな。まぁそれが一概に悪いとは思わないのだけれど、それだけになってしまうと新しいものはなにもうまれなくなってしまう。

結局pcのやっていることは新しいことではなく、あたらしい組み合わせを見せているだけなんだな。

それがどうしたというのは、また明日考えよう。今日はここまで。 


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- 2013.07.16(未分類)



はる 4392
今日は、このところの連日の暑さも比較的に和らいで過ごしやすくはあった。

自分の家の玄関扉を変えたものだからやたらとひとのうちの玄関扉に目が行く。これは面白いと思う扉はカフェだったり美容院がだったりで、個人のうちの扉は少ない。というのか、ほとんどが既成のサッシばかりで、これもやっぱり何とか風といったものばかりだ。

確かに玄関扉にはデザインがいいというだけではなく、防犯や気密性なども選択の大きな要素になるだろうから、一概には言えないのだろうけれど、見てもつまらないものが多い。

この間もかいたけれど、物を選ぶ場合にいつの間にかデジタル的に多くのものから選ぶという習慣が普通になってきた。選択の幅が拡がったように見えるけれど、実はそこには実に良くできた誤魔化しが隠れているように思う。

うまく言葉で言い表すことが難しいのだけれど、やってみる。

合理的である、効率的である、というのがまぁすべてに優先してきたわけだ。パソコンというのは過去のあらゆる情報がある条件に従って並んでいる。で、何か必要な項目を入れて検索すると過去の全ての情報が引っかかってくる。

、、、、やっぱり上手く表現できなかった。また考えてみる。今日はここまで。 

更新時間 : 22:51:25


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バッハの「無伴奏一番サラバンド」 - 2013.07.15(ポケットの窓から)




Sarabande from J.S. Bach's First Suite for Unaccompanied Cello

はる 4391
 実は昨日チェロの教室の発表会があった。発表会といっても先生の自宅で、習っている小学校の低学年くらいのお子チャマから、あれは喜寿のオジーチャマまでが順番に演奏したり、合奏したりして愉しむ、まぁ内々の家庭コンサートのようなもので、特に緊張するはずのものでもないのだが、楽器を習った事がある人は分ると思うのだが、これがまぁバリバリに緊張するものなんだな。普段の実力が10だとすると、半分以下の3とか4ぐらいしか発揮できない。

 何回か発表会を経験してそれが分っているものだから、今回は結構練習したにもかかわらず結果は散々なものだった。出来るだけ短い曲で、譜面を見なくても演奏できる常態まで仕上げたにもかかわらず途中で止まってしまった。プロの演奏家と比べるのはおこがましいけれど、何かが違わなければ普通に練習しているだけではあそこまでというのか、入り口が見えるところにさえ行けないだろう。まぁそれは楽しみだから、いいのですけどね。

 私に関して言えばキャリアは長いのです。独学というのか手前勝手に弾いていた期間が長いので、単にキャリアの長さは関係ないですね。で、今は身にしみてレッスンを受けているかと言われれば、一ヶ月に一度課題を練習してみてもらうといった独学とあまり代わらない弟子なので、もう五年ぐらいになりますが、これまた言い訳ですが上手くはないですね。

 やったのはバッハの「無伴奏一番のサラバンド」バッハの無伴奏の付き合いも長い。よく知られているのは一番のプレリュード。テレビのCMなどでもよく取り上げられる。譜面を見るとただ単に音符が規則正しく並んでいるギターで言えばアルペジオですが、これがなかなか難しいし、けっこう長い。で、ごく短いこのサラバンドを選んだ。凄く静かな曲で重なった音が奇麗なんだな。上手い人が弾けばね。

 ということで、ヨーヨーマさんの演奏をどうぞ。


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ポケットの窓から - 2013.07.14(ポケットの窓から)



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作品 守護 - 2013.07.13(ポケットの窓から)

はる 4389
 作品は同時進行でいくつも並べてながめている。縦にしたり横にしたり、少しナイフでかきとったり、薄い絵の具をかけたり、絵を描くという行為はほとんどしていない。こうしようという判断の目安は何かな?あらためて考えてみるとよく分らない。

 物を観て「いいな」と思うその判断の基準はどこから来ているのか?言葉で言い表すのはこれまた非常に難しいのだが、考えてみよう。

 自然にあるもの、天然のものというのは大体において無条件に美しい。人間の意識が入らないものは常に美しい。人が何らか関与してくるとたちまち醜くなる。

 人が意識的に作ったもので美しいなと思うのは、例えば古代の人たちが作ったものとか、宗教的な意味合いの濃い個人的な作為を超えたものとか、精神的にあちら側の住人であるアールビリュットの人たちの作品など。共通しているのは無作為ということだ。

 絵を描くという行為は極度に作為的な仕事だ。デッサンを勉強したり、構図を考えたり、表現のテーマを考えて言葉にしたりする。プロの絵描きになるにはそこらあたりから始める。でも反対にどんどん「いいもの」から離れてゆく。すごく暴言だけれど専門の教育を受けた物ほどつまらないものはない。

 技術の奴隷にならない程度の技は必要だ。徹底的に技術をマスターして最終的にはそれを捨ててしまう勇気が必要だ。

 眠くなった。又明日。


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夏が来れば思い出す・・ - 2013.07.12(ポケットの窓から)

はる 4388
 甲府は連日の猛暑で凄い事になっています。何でこんな山の中が全国で一二を争う町になるわけ?不名誉な記録だな。あまりニュースで連呼しないで欲しい。これで益々人が減ってしまうではないか。んなことないけど、まぁ暑いのは沖縄より暑く、寒いのは札幌より寒い、力は機関車よりも強く、高いビルも一飛び。・・このフレーズを知っている人は私と同じ歳くらいでしょう。

 さて、夏休みになって出来るだけ早く起きて、涼しい内に一仕事しないと午後からは全く仕事にならないからな。ラジオ体操を近所の公園でやっているので今年もそれに参加しよう。で、そのまま朝飯食ってアトリエにこもる。別に夏休みでなくても同じようなものなのに、なぜか休みの雰囲気になる。

 子供の頃の夏休みという響きは特別なものがあった。計画だけ一生懸命立ててね、その通りにいったためしがないのだけれど、それでもわくわくしたものだ。

 大体嬉しいのは七月中ぐらいで、八月に入るとだんだん日が短くなってきて、残された日をカウントし始める。お盆を過ぎたあたりから少し朝夕が涼しくなってきて、ますます寂しくなってくる。夏の終りは一段と寂しくなる。学校が始めるというイヤーな感じが憂鬱な気分に拍車をかける。六十を越えた今でも時々夢を見る、学校は嫌いだったな。好きな奴いる?

 何が嫌だったのか、嫌なのか。今でもそうだけれど、毎日同じことを繰り返すということが段々に苦痛になる。日々の生活というのはそういった何気ない日々の繰り返しの中にあるということは重々承知しているのだけれど、何だろうすべてをほっぽり投げて逃避したくなるのだな。実際にはそんな勇気がなくて、そのままずるずると憂鬱な顔して日常の中に埋没していってしまうのだがね。

 絵描きだとか偉そうに言っているけど、本質的には何にもなりきれない駄目人間なんだろうな。たまたま絵だけなんとか続いているというだけだ。夏が来るとそんなことをいつも思い出す。


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ポケットの窓から - 2013.07.11(ポケットの窓から)
はる   4387
 どうにもやっぱり難しいところがあるなぁ。文章を打つ前に色んな決まりごとなどに慣れないといけないようなところがあって、面倒だ。長い間、ウィンドウズばかりを使ってきたので、ブックマーク一つとってもできなかったりする。色々ためしてやっとできた!初心者にもどった感じかな。

  ここからはパソで書きましょう。やっぱり文章を書いたり、データーをストックしたり、アレンジしたりして「使う道具」としてはパソコンの方が何倍も使い勝手がいい。何よりもマウスがあるということは随分と色々助かっているんだということがよく分る。指の操作で出来なくはないけれど、操作性という点ではかなり落ちるように思う。

 アイパッドは観るという点に特化した道具かな。いまのところそんな感想だ。

 それにしてもあれだけの未曾有の大災害を体験して、戦争もしていないのに、国土の何分の一かを失って、国が滅ぶかもしれない致命的なダメージを受けたにもかかわらず、そこに住んでいた多くの人々が何の過ちも犯さないのに住むところや仕事を奪われているにもかかわらず、懲りずに原発を動かそうという発想はどこから出てくるのだろう。全く持って不思議な国だよな。

 どうしようもない、人の力では無毒化できない燃料ということは、いずれは破綻する機械だということが分っているのに、どうして平気でごまかして平然としていられるのだろう。お金の力というけれど、それだけなのかなぁ、何か悪魔に魅入られているとしか考えられない。

 今の生活の質、世界の中の日本の位置を確保したいからだとか、兎に角経済を活発化させて力を蓄えたいなどとこれまでの日本を引っ張ってきたようなお偉方はいうけれど、それとこれとは似ているけれど違う問題だぞ。そうやって戦前日本は戦争への道を歩んでいったわけだ。

 生き方の問題でしょう。まずエネルギーありきと考えると原発は仕方ないかなという発想になる。それに替わるエネルギーは今のところまだ見つかっていないからね。コペルニクス的な発想の転換をしなければならない。エネルギーは今あるものしか使えない。原発は使わないというところから出発する。そうすると、それではどう省エネにするのかとか、ソーラーのような自家発電装置に国から最大限の援助をだすとか、研究費にお金を出すとか、これからの世界は必ずその方に行くはずで、後から来る国の模範になるような、かっこいい理想的なクリーンなエネルギー国家をつくればいい。塞翁が馬で、それこそさすが日本だと言われるチャンスだろう。長い目で観て欲しいな。


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新しい環境 - 2013.07.10(未分類)
 はる 4386
  あたらしいツールで文章を書いています。ネットの環境がずいぶんと変わった。まだぜんぜんなれませんが、これも少しずつ慣れてゆくのでしょう。いままではおおよそマイクロソフトのツールを使っていたわけだけれど、あまり意識はしなかったけれど、アイパットはあっぷるなんだな。

  こうやってパソコンを使わないでブログを書いてゆくというのも、あたらしい刺激で面白い。どちらかといえば、携帯に近いのかもしれないな。限りなくパソコンにちかい携帯か、限りなく携帯に近いパソコンという感じかな。

  ネットの環境も変わった。ノートパソコンでもラン接続ではなくけーぶるで繋がっていた。それがアイパッドを使う
ということで無線LANになった。これだとどこでもねっとに繋がるわけで、机の前に座る必要がない。今はアトリエの座椅子に座ってこれを書いている。

  さて、これからどうなってゆくのやら、なかなか面白い。


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ポケットの窓から - 2013.07.09(ポケットの窓から)

はる 4385
 暑そうな空です。昨日はここは日本で一番暑かったそうです。今日もたぶん同じくらい暑かったのではないでしょうか。

 大英断でIPADを買った。パソコンを買うか、アイパッドを買うか悩んだ。私のpCはリサイクルパソのXPバージョン。来年の夏にはフォローがなくなると脅かされている。すごく操作がとろくていらいらする。いずれはパソコンも買わねばならないだろう。問題は新しいパソコンに今使っているソフトが対応していないらしいということだ。使い慣れている今のパソコンを捨てて慣れない新しいパソに変えかえるのが億劫だということもある。企業の勝手な理由に振り回されたくない。

 だからこう考えた。いまあるパソはネットにつなぐことを主な仕事と考えないで、いろんなデーター管理やHPの管理、印刷専用として使う。いずれは使えなくなるかもしれないが、今のところまだまだ充分使える。

 で、IPADの方はほとんどネット専用に使う。調べ物をしたり、youtubeを観たり、ブログやフェイスブックもこれで閲覧しやすくなった。とにかく今までと比べると格段にスピードが違う、サクサク観る事が出来るから、ストレスもない。持ち運びができる。


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ポケットの窓から - 2013.07.08(ポケットの窓から)

はる 4384
 今日は野暮用で松本まで運転手。上の写真は八ヶ岳近くの風景。空の色が町中とは違います。しかし、今日は松本も暑かった。ということで又明日。


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いいものはいい - 2013.07.07(未分類)

Departure (Okuribito)


Howl's Moving Castle The Promise of the World 世界の約束
 はる 4383
 日中はかなり暑くなってきましたね。これからは夏本番となるのでしょう。

 絵描きを生業にしている作家では最近は珍しくなったかもしれませんが、私は全国規模の団体にも属していますが、地元の小さな団体にも属しています。肩書き大事にする人はそれをハガキや名刺に書いたりする。 有名な大学や会社などに属している人はそれを自分の看板にします。それとよく似ていますね。絵を描く人では自分の学歴や受賞歴、何々会の会員というのを誇らしげに書く人も多い。

 かくいう私も若い頃はそういった肩書きが欲しくて仕方ありませんでした。今はまったく気にならなくなりましたね。私は請われれば町内の文化祭にも小学生の夏休みの工作やお年寄りの絵手紙と一緒に出品します。もう何年も前から毎年出品してお礼にティッシュペーパーを貰って大事に使っています。

 反対にいうとそういう肩書きを気にしている内は作家として本物ではないということじゃないかなな。どうだろう。作家は肩書きより作品そのものが勝負なわけで、肩書きは反対に作品を観る場合邪魔になるように思うな。変な色眼鏡で見てしまう。

 反対に言えば、小学生の作品と並べてもひけをとらないいい作品だと自信を持っているということだ。 



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ポケットの窓から - 2013.07.06(ポケットの窓から)



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今日のアトリエ - 2013.07.05(ポケットの窓から)

はる 4381
 今日は疲れました。ということでまた明日。


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庭木の剪定 - 2013.07.04(未分類)


Glenn Gould - 16. Beethoven, Piano Sonata No.17, Op.31 "Tempest"
はる 4380
 久しぶりに写真がありません。何もしなかったわけではありませんが、まぁたまにはいいかということで。

 午後から大きくなりすぎた庭木の剪定をする。剪定と言う洒落たものではなく、伸びすぎた枝をやたらぶった切ったという方が正しい。放っておくと庭木はいい気になってやたらと上へ上へ、葉っぱはどんどん密集してゆく。落葉樹ならまだ冬場に何とかなる可愛げがあるのだが、常緑樹は人のことなどなんら顧みることなどなく、我が勢力をどんどん着実に広げてゆく。

 私は自由平等の博愛主義者なので、比較的に木々には手を加えない、自由にさせている方なのだが、それをいいことに我が家の庭は昼なお暗いジャングルのようになってしまった。いずれこうなるであろうとは予想していたのだが、どこかでブレーキを踏む必要があるようだ。

 二階の屋根を越えて大きく枝を伸ばしたものはもう容赦はしない。いずれ屋根に葉っぱを蒔き散らかして樋を詰まらせて、最悪雨漏りを誘発することになる。そうなると主従が逆転して私はおろおろと家捜しをしなくてはならなくなる。軒を貸して母屋を取られないうちに何とか我が手の内に納めておく必要がある。

 と言うわけで、町内会から大きな消防車の梯子のようなものを借りてくる。こいつはなかなか優れものだ。この間二階の樋を直した時に経験済み。付属の紐を引けばスルスルと梯子が伸びてゆく。ずれて倒れないようにしっかりと大きな枝にロープをまわして、後はお猿さんのようにきゃっきゃ、きゃっきゃと仕事をする。馬鹿と煙は高いところに登るなどといわれたが、木登りは昔から好きだったので、子供の頃を思い出す。

 大事な事は無理しないことだな。そうやって梯子から落ちたなどという話をよく聞くからね。なんとか無事終了。

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ポケットの窓から - 2013.07.03(ポケットの窓から)

はる 4379
 今日で一学期の公の授業がお仕舞い。後はテストになって、私などの非常勤講師の仕事は長い長い二ヶ月近くの夏休みとなる。うらやましがる事もないただ単に無職になるだけのことだ。


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何故これが好きなのか - 2013.07.02(ポケットの窓から)

はる 4378
 やっと玄関に戸が入った。今日は仕事で出ていたために夜の様子しか写真に撮れません。又明日にでも昼間の様子を報告しましょう。誰も待ってはいないと思いますが・・。全面ガラスの格子戸にしました。見本にしたのはお蔵の升格子 http://e-nobiru.com/detail_3012.asp 古材バンクに行った時に見つけたお蔵の戸がカッコよかったのですが、なにぶん大きすぎたのと重すぎて今の玄関には無理。何とか自分で加工できるのも高さが低すぎて却下。というわけでこんな感じになりました。どうでしょうか。

 自分の家の玄関扉を何とか改修したいと思っていると、自然に色んな家の玄関に目が行く。今まではほとんど見向きもしなかった場所に俄然注目度がアップする。どんな玄関にしたいのか、どんな扉を欲しているのか、見本にするのは何なのか、そんなことを考える。

 サッシ屋さんのカタログを見ればそれこそ幾つもの見本が並んでいる。施主は否が応でもその中から探す事になる。多くは値段と見場と業者さんのお勧めできめる事になる。自分の好みというのは案外あやふやで、専門家が勧めるならが間違いないなどと思ってしまう。これは選択の誤魔化しで自分で決めた様に見えるけれど、実際は何も決めていない。

 二つあってどちらを選ぶか?とき聞かれると普通一方を選ぶ。選んだ方は明らかに自分が選んだと思う。しかし、本質的に積極的に自分の好みを選択したということではない。二者択一的に選んだだけなのだな。多くの場合ここで誤魔化される。貴方が選んだのだから、後でクレームつけるなよと言うわけだ。

 実際よほどの偏屈か何かのこだわりがない限り、多くの場合こうやって物事が決められてゆくことが多い。自分が好みだと考えている事も実は誰かの選択肢にまんまと引っかかっただけなのかもしれないな。

 自分は何故それに引っかかりを感じたのか、好きなのか、一つ前まで戻る必要がある。


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