山口さんの画廊通信を楽しみにしている方も多いと思います。私もファンの一人としていつも読ませてもらっています。山口さんの創作だと思ってお読み下さい。
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画廊通信 Vol.116 物語の生れる時
村上春樹の新刊が100万部を突破し、話の中に登場するクラシックのCDも、かつてない売れ行きを見せていると言う。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」、もともと村上春樹は好きなものだから、平積みの一冊を早速買い込んで読んでみたが、これは普通に考えたら、とても大ヒットするような類いの小説ではないと思った。村上春樹の世界を形成する根幹として、今までに幾度も繰り返されて来た主題である、「喪失」と「再生」の物語。かつての大ベストセラーとして著名な「ノルウェーの森」も、正にその主題を扱った作品だったが、この小説を一読した時も、どうしてこの作品があれほどの驚異的な売上を記録したのか、不思議でならなかった。
両者共に、地味な小説である。流行小説の必須条件であるエンターテインメント性も、それほど有るとは思えない。だからこそ再読に値する深い味わいを湛えて、魂の遍歴を誠実に辿る物語となっている。どちらかと言えば、娯楽小説ファンよりは純文学のファンに好まれて然るべきこれらの作品が、事実これほどまでの大衆性を獲得している状況を省みた時、その大きな要因は、やはりマスコミに求めざるを得ないと思う。「ノルウェーの森」に関しては、そのタイトルの醸し出すどこかファッショナブルなロマンチシズムと、上下2巻を赤と緑のクリスマスカラーで装幀した、その戦略がまずは当ったのだろうけれど、そ れが「売れている」というマスメディアの流す情報が更なる売れ行きを招き、やがては空前のヒットにつながったのだろう。そのおかげで私などは、村上春樹を流行小説作家と勘違いしてしまい、数年前まで一冊も読まずに来てしまったのだ。
往々にして人は、売れる物に群がる。行列を作っている店にわざわざ並びに行く、あの付和雷同の心理だ。売れている本、より正確に言うのなら、マスコミが売れていると喧伝する本が、より売れるのである。そのようにして作られた「村上春樹」という虚像は、本人の思惑など軽々と飛び越えて、最早止める事の出来ない巨大な一人歩きを始める。たぶん、この現象に一番とまどったのは、作家本人ではないだろうか。
今回の新刊に関しても、その謎めいたタイトルに起因するものもあるにせよ、やはりマスコミの声高に流す「発売前に50万部を突破、更に10万部を増刷か」といったある種の煽動が、更なる購買を促す事になったのだと思う。要するに、かつての「ハリー・ポッター」と同じである。新刊が発売される度に夜中から行列を作り、買ったと同時にその辺の道端に座り込んで読書に没頭する、あるいは読書に専心する自分に酔っている若者の姿が、まるでサブリミナルのように何度も映し出され、それを見て買わずにはいられなくなった多くの人々が、うずたかい平積みの山を瞬く間に低めるという、今や定番となったあのお決まりの構図だ。
これは舞台を政治に移しても同様、この浅薄を極める同調現象を、より巧みに利用した候補が選挙に勝ち残り、そのような策略家はしばしば世を右傾へと先導するだろうから、いずれ人々はあの哀しきレミングのように、自ら危険な懸崖へと雪崩落ちて行くだろう。歴史上、特にマスコミの影響力が強大となった現代史において、嫌というほど繰り返されて来た、性懲りも無い人間の愚挙である。
さて、ここ美術界においても、同様の現象が蔓延している。マスメディア、殊にテレビで或る作家が放映されると、翌日からそれは即効的に絶大な効果をもたらす。例えば、「日曜美術館」で特集された展示会は、翌日はオープン前から長蛇の列を作り、「情熱大陸」で取り上げられた作家の個展は、数日で完売を記録するといった具合である。この場合、それが自らの意思による行動である事に、人は疑問を挟まないのだろうが、最早そこに個人の選択肢や審美眼は存在せず、実はマスコミこそが意思決定の主役であり、それに我知らず操作されているに過ぎないという事実を、当人は認識すらしていない。流されている者に、流れは見えないのである。
特に近年顕著なのは、生前は評価されずに終った画家が、マスコミが取り上げる事によって再評価され、それに便乗した美術館が大規模な回顧展を企画して、大きなブームを呼ぶという現象である。言うなれば、正しい鑑識眼を備えた善意のマスコミが、不遇の画家を救済して復活させるという図式だ。私もそんな画家の展示会を、折を見て幾つか拝見したが、残念ながらその中に、心を震わせる作家はほとんど居なかった。
結局のところ、マスコミは作家の芸術を評価するのではない、芸術的な物語を作り上げるのである、これはNHKでも民放でも同じだ。例えば、旧態依然とした画壇に与せず、独り清貧の暮しに甘んじながらも、自身の芸術的信念を貫き通し、人知れずその生涯を終えた等々。概して人は、この類いの美談に弱い。作品そのものよりは、美談に酔い痴れて美術館へと足を運ぶ。そのようにして絵に向う時、おそらくその人は絵など一つも見てはいない、マスコミの作り上げた物語を見ているのである。
これはあくまでも私見だが、生前評価されずに終った画家の多くは、そもそも評価されるべき水準に到っていない。一流と二流を隔てる一線があるとすれば、その手前でとどまったままだ。中にはゴッホのような例外もあったかも知れないが、やはり大方の未評価作家には、一線を超えるべき何かが欠けている。それ故にその作家は、消えるべくして消えて行っただけの話だ、私にはそうとしか思えなかった。
マスコミはその欠落を様々な美談で埋め、それによって彼は、かつては未踏に終った一線を超える。世はその故意に作られた画家を、遅れて来た大家ともてはやすだろう。しかし、物語という衣装がいつか剥ぎ取られた時、そこには埋めようの無い欠落があらわになるに違いない。
絵から何かを感じるのに別に修練は要らないが、絵を「見る」のには修練が要る。眼を鍛えなければならないのだ。この頃になってやっと、私はそれに気が付いた。では、眼を鍛えるとはどうすることか。私の場合、それは、眼を頭から切り離す事だと思う。批評家に借りた眼鏡を捨てて、だいぶ乱視が進んでいるとはいえ、思い切って自分の裸の眼を使うこと。考えずに見ることに徹すること。まずそこからはじめるのだ。
洲之内徹「セザンヌの塗り残し」から
榎並さんの個展は、今回で5度目となる。初めてお会いしたのが2008年の初夏だったから、あれから早くも5年の歳月が流れようとしている。以前にも書かせて頂いたのだが、榎並さんとの出会いは、展示会でもなければ美術誌でもない、私としては極めてデジタル的に、インターネットで拝見したのが機縁であった。不勉強ゆえ、初めて耳にする名前だったが、その作品に何か惹かれるものがあり、強く印象に残り続けたので、後日こわごわメールをお送りして、作品の資料を是非見せて欲しいと頼み込んだのが、初めてのコンタクトである。
きっかり一週間後、幾冊もの作品ファイルの詰め込まれた段ボール箱が、画廊にでんと届いた。その日は確か所用が立て込んでいて、梱包を解いただけで終ってしまい、明日ゆっくり見せて頂こうと思いながら、一日を終えたのだったが、翌日、どうした訳か朝から腹が痛い。ええい、また借金で胃が痛くなったか、その内に治るさと放っておいたら、だんだん背筋も伸ばせなくなるようである。仕方なく背中を丸めつつ画廊へ行って、更に背中を丸めつつ接客に臨み、いよいよ背中を丸めつつ前日の段ボール箱を開きかけた辺りで、遂ににっちもさっちも行かなくなった。
止むなく画廊を閉めて、妻に車を出してもらい、悩み多きアルマジロのように助手席で丸くなって、ほうほうの体で病院にたどり着いてみたら、今すぐ入院しろとのお達しである。「展示会中なので、今すぐという訳には……」と抵抗を試みたら「死にたかったら、どうぞ展示会の続行を……」というご返答、よって死にたくない私は、急遽入院の運びとなってしまった。病名は急性膵炎、約一ヶ月の絶食である。
幾日かを経て症状が落ち着いた頃、例の開かずの資料を持って来て欲しいと、私は妻に頼んだ。そんな訳で翌日、分厚いファイルをびっしりと詰め込んだ紙袋を両手に下げて、「重かったのよねえ」とブーブー言いながら来院した妻をなだめつつ、私は長らく会えなかった作品資料に、やっと対面する事が出来たのであった。
思えば長い入院の間、私は榎並さんの作品集と共にあった。しばしば活字を追う事に疲れた時など、ベッド脇の窓際に積み重ねたファイルを、私は何を考えるともなしに眺めた。修道士、旅芸人、楽師、放浪者……、どことなく中世のイコンを思わせるような作中の人物達は、喧噪を極める現代という時空を離れ、どこか名も知らぬ異境の地から、その想いを静かに馳せるかのように見える。それでいてどの時代というのでもない、どこの国というのでもない、それは時と場所という限定を超えて、表層の変動が及ばない内なる領域を、変らない何かを求めて真摯に歩み往く、作家自身の姿なのだろうか。それはまた、きっと誰の心にも居るだろう、精神の果てなき道程を歩む、あの遥かな旅人の姿にも見えた。
ただ「見る」という事、余計な知識や論評などは全て取り払い、ただ虚心に「見る」という事、ほぼ一ヶ月にわたる間、それしか出来ないという状況に置かれ、私は否応も無くその「見る」という行為に、何の障りも無く没頭する事が出来た。そして私はひたすらに見入る内、見られているこの絵もまた、作者自身のひたすらに「見る」という行為から、自ずと生まれ出たものではないかと思った。そこには、自身をゆったりと何処までも見つめ往く、静かに深い内省の眼があったからである。
退院して、長らく借りっ放しだった大切な資料を、やっとご返却する事が出来た翌日、こんな温かなメールがパソコンに入っていた。
お元気になられたようで良かったですね。私の資料が着いて直ぐの入院だったので、何かしら見てはいけない物を見たせいかも知れないと、密かに危惧しておりました。でもまあ良くなったようで、ちょっと安心しました。少しゆっくりしろという暗示かも知れませんね。その内にお会い出来る事を、楽しみにしています。 榎並
榎並さんの絵は、自らとの長い対話から生れる。壁土を敷いて、黄土を塗り重ね、弁柄を染み込ませ、金泥をかけ流し、布地を貼り込み、更に顔料を塗り込んで……といった、いつ果てるとも知れない作業を繰り返しながら、画家は精神という不可解な領域をひたすらに見つめ、自らの内奥へと終りなき旅路を歩む。やがてそこには見も知らぬ異境が浮び上がり、何処からともなく現れた放浪者達が、密やかなパントマイムを演じる。
そのようにして生れ落ちた絵を見る時、そこには如何なる知識も言葉も要らない、そんなものは、むしろ邪魔になるだけだ。知識を忘れ、言葉を忘れ、ただ感性の曇りなき眼で作品に対せば、それは限りなく豊かな物語を、沈黙の中に語り始めるだろう。正にそれこそが、誰に作られたものでもない、真実の絵画の物語なのである。
(13.05.20) 山口雄一郎
Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館