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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

トトロの住む家 - 2013.05.31(ポケットの窓から)

はる 4346
 明日から山口画廊の個展が始まる。長丁場なので全面的にオーナーにお任せ、私は何もすることがない。もし時間があれば寄って観て行って下さいな。

 なんだろうなぁ、上の写真のような鬱蒼と茂った木々が好きなんだな。その間から家がちらちら見えるのがいいと思う。(奥に見えているのは私のうちではありません、あしからず)これはどこから来ているのか?よく分らない。今の住宅地に建つあっけらかんとしたツーバイフォーの如何にも密閉性が優れていますよ、耐震性は任せてくださいというようなアメリカンタイプとかヨーロピアンタイプとか北欧風住宅は好きではない。住宅展示場じゃあるまいに。

 今の日本じゃどんな風にでもアレンジできる。選り取りみどりだ。だから反対に何でもありというのが日本風なのかもしれない。まぁそうやって日本は色んな文明文化を自分たちのものにしてきたのだから、今更それを否定するわけにはいかない。しかしなぁ、違うと思うな。

 昔アニメーターの宮崎駿さんが、「トトロの住む家」というコンセプトで彼なりの感性で町中を探索している著作があったけれど、どこかで立ち読みしたのか激しく共感した覚えがある。そうなんだな映画の「トトロが住みそうな家」が好きなんだな。ガキみたいだけど、恥ずかしげもなく言っちまおう。

 


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個展の紹介 - 2013.05.30(ポケットの窓から)

はる 4345
 個展の紹介
*山口画廊
 http://www.yamaguchi-gallery.com/present/

*自分を描く日々
 http://hitoshi1616.blog.fc2.com/blog-entry-176.html

*猫町文庫店
 http://ccnet.easymyweb.jp/member/fukuoka/default.asp?c_id=36189

*猫の後ろ姿
 http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11540550757.html

 http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11535136347.html

**イタリアの真ん中で暮らす」
http://www.italianomannakaumbria.com/novita.htm

*国画展覧会情報
http://exhibition.blog6.fc2.com/blog-entry-1223.html

*なおなお
http://no70ko.exblog.jp/19669467/


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「往古来今」(いったり、きたり) - 2013.05.29(ポケットの窓から)

はる 4344
 「往古来今」(おうこらいこん)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E5%BE%80%E5%8F%A4%E6%9D%A5%E4%BB%8A/m0u/
より 

 綿々と続く時間の流れ。また、昔から今まで。▽「往古」は過ぎ去った昔。「来今」は今から後。『淮南子えなんじ』斉俗訓せいぞくくんでは「往古来今、之これを宙と謂い、四方上下、之を宇と謂う」とあり、時間と空間の限りない広がりをいっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 四文字熟語みたいなものはあまり得意ではない。というのも物を知らないということもあるけれど、よくも知らないことをさも自分の手柄のように話しをする様子が知らないことよりかっこ悪いからだ。知らない、分らないなら正直に知らないと言える愚か者でいい。

 今年の個展のテーマを何しようかと考えている。年間通じて使うテーマで、まぁ本当のことを言えば内容はほとんど変わらない。一昨年は「日々礼賛」だったし今年は「どこか遠く」。なんだろうな、共通することは「さまよえる人」ということかな。還暦を過ぎてもまだ定まった位置が分らないのだから、これは永遠にたどり着かないテーマでもあるのだろう。

 昔ポール・ゴーギャンの自叙伝「ノアノア」を読んだことが、頭のすみっこにひっかっていて彼の大作「『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』がいつもどこかでちらついている。人類の永遠の時間の流れのなかで、今日が無事に過ぎて明日がやって来る、何も変らず淡々と生きてゆくことの幸せ、大切さそんな事を描けたらいいなと思う。

 「往古来今」と書いて(いったり、きたり)と読ませる。どうだろうか?
 


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イコンの話 - 2013.05.28(ポケットの窓から)


ikons.jpg
はる 4343
 私などがやっている描き方を最近はミクストメディアなどという。適当な訳がないので、一番よく使われるのが混合技法というものかな。調べてみると間違ってはいないようだけれど、正確には混合技法といえば佐藤一郎などが命名したテンペラと油彩の併用技法の事をいうらしい。こんな言葉は造語になるかもしれないが混成技法(異なったものを混ぜ合わせる)というのが適当かなと思う。

 そもそも言葉通りならばもっと広い意味が出てくる。(異なる媒体を混ぜ合わせる)だから、例えばビデオと光や音と組み合わせたインスタレーションのようなものもミクストメディアの範疇に入る。時間や空間なども材料の中に入れればもう何が何だか分らなくなってしまう。しかし、今のアートシーンはそこまできているのだが、私には今ひとつ臨場感がない。

 しかし、考えてみると油彩だ水彩だパステルだと単体の画材で表現したのはそんなに古いことではない。そもそも絵を描くといえば画材店に出かけて絵の具を買ってキャンバスを買ってなどという幸せな時代はここ百年ぐらいなものじゃないかな。それまでは人はそこらで手に入るものを絵の具にして、適当な色んなものに描いていた。そう考えると、ミクストメディアは絵を描く技法としては最も古い方法ではないかな。

 上の図はまだ油彩に描き方が確立されていない15世紀ごろの西欧の祭壇画(イコン)の断面図です。ここでいうテンペラ絵の具というのは簡単に言えば、顔料(色の粉)を卵黄で溶いたもので、身近にあって接着剤として優れているばかりでなく、ここが大事なのだが、水と油を上手い具合に結びつける魔法のような力もあったのです。

 その卵の役目(水と油を馴染ませる)のことを乳化剤というのですが、その溶剤を用いると水でも油でも溶く事ができてまことに都合。尚且つ、乾くと耐水性になるというそれこそ盆と正月一緒になったような好都合な溶剤だった。

 ここです。この乳化した状態をエマルジョンというのですが、今現在手に入れることが簡単に手に入れることが出来るエマルジョンといえば、アクリル樹脂エマルジョンなんですね。テンペラとの違いは、アクリル絵の具はアクリル樹脂と水のエマルジョン状態ということでアクリル絵の具は現代のテンペラ画ということが出来るのではないかな。

 話はイコンに戻って、よく見ますと一番下層は無垢の板を額縁状に掘り込んだものだ。その次にジェッソ(下塗り塗料)を塗って麻布を貼り込んでまた石膏を塗りこんで、その上に金箔を貼ったりした後、テンペラ絵の具で絵を描いてゆく。最後はニスを塗ってイコンを保護するのだが、ここまでの手順を見ていると今の私の方法とよく似ている。使う絵の具が卵のエマルジョンかアクリルのエマルジョンかの違いがあるけれど、基本的な絵の作り方は似ている。正確に言えば、似ているのではなくて私がこの方法を真似したのだ。

 もう眠くなったので、結論を先に書くとイコンはミクストメディアだということだ。もっというと日本画は膠テンペラの一種であってこれもミクストメディアに限りなく近い。
 


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真摯に生きる - 2013.05.27(ポケットの窓から)

はる 4342
 既製のパネルを買ってきて、綿布を水張りする。リメイクする作品も含めて7~80点は用意するつもり。そのうち何とか作品になるのは半分で、人様の目に晒すのは更にもう半分ぐらいになる。あまり効率のいい仕事ではないな。

 私のやっていることが芸術なのかどうか、歴史的に価値のあるものか否か、ただの自己満足の暇つぶし、ガラクタに過ぎないのか、だれもわからない。これで何とか天下とって有名になろうという気などないな。出来るはずもないけど・・。

 若い頃はそれでもいっぱしの芸術家になろう、今の一番新しい表現は何か?という意識で世の中を見ていた。美術界というのがあるとするなら、そのいったんを担っているという意識で仕事をしていた。でも段々にそういった身の丈に合わないことに疲れてしまった。

 もっと身近なこと、日々の暮らしの中で気付いた事、小さな出来事を私というフィルターを通して考えたり、しゃべったり、悩んだりした事。そんなことを淡々と記録してゆくように絵に描けたらいいなぁと思うようになってきた。それが私自身であるし、身の丈にあった表現ではないかと思ったのだ。

 人が絵に求めているものは何かということなんだけれど、逆説的なんだけれど「何かを求めて絵を描いてる」その姿、生き方に共感するのではないかな。描かれた絵はどうでもいいというわけではないけれどね。結局絵を通して作家の生き様を見ているわけで、そこのところをいつも問われている気がする。真摯に生きるそのことを求められている気がするな。どうだろう。


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他人と違うのは当たり前 - 2013.05.26(ポケットの窓から)

はる 4341
 上の写真は試しに送ったもので、今現在のアトリエの様子ではありません。こんなに奇麗な色をコラージュしているにも関わらず、仕上がった作品は重苦しい色になることが多い。そこまで汚さなくてもいいと思うのだけれど、どうしてもこの色では満足しないようだ。

 奇麗な色味を残しておくのは案外得意かもしれない。このままでも充分に面白い。本の挿絵とか、プリントとかそのままを作品として展示するのではなく、二次的な媒体を通して表現する場合、分りやすいこういった色味が好まれるように思う。デザイナーやイラストレーターに怒られるかもしれないが、印刷などを通して消費される作品は出来るだけ簡単で奇麗で分りやすいのが好まれるようだ。誤解を恐れずに書くとね。

 東京の銀座には今でもたくさんの画廊がひしめいている。知る人ぞ知る画廊のメッカなんだな。一生に一度でいいから銀座で個展をと考えていいる人も多いかもしれない。老若男女多くの人がほぼ一週間単位で個展やグループ展で作品を発表している。それにあわせてコレクターや評論家といわれるような有象無象の輩もばっこしていて、まぁそれはそれなりに面白い。

 あわよくばどこかのコレクターか評論家に拾われて一躍スターに上り詰めるのではないか、そうでなくてもどこかの雑誌や美術館のキュレーターに見てもらえてシンデレラのようにオオバケする日も近いのではないか、と夢見ている人も多いのではなかろうか。

 夢を壊す気はないのだけれど、絵にそんな力を期待しても無理ですね。百年も前ならビジュアル的には絵画ぐらいしか表現の方法はなかったのだけれど、今はもう映像、動画、ゲームなどの全盛期ではなかろうか。そういった意味では、一つ世の中で天下取ろうと思うならばそちらの方が早いかもしれないな。

 人が絵に求めているのはそんな事ではなくなってしまったように思うな。無論作家である我々の方もそうなんだけれど、これで世の中に認められたいデビューしたいなどとは考えていない。たぶん出来ないだろう。

 ことさら他人との差異を個性だとさも重大事件のようにあげつらってもあまり意味はないように思うな。

 眠くなったので、また明日。


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子羊をだいて - 2013.05.26(ポケットの窓から)



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暑い - 2013.05.25(ポケットの窓から)

はる 4340
 もう夏のような日差しだ。


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正直やってられない! - 2013.05.24(ポケットの窓から)

はる 4339 
 県立美術館の庭ですな。鬱蒼と茂った木々の緑が美しい陰を落としている。ここの庭は管理が行き届いていて、県がタッチして唯一成功している空間ではないだろうか。何時来ても広々として気持ちがいい。ただし、有効に活用されているか?といえば疑問だな。

 昨日かな、今年は県が国民文化祭を主催している関係で、県が毎年開催している県展=県民文化祭が中止となった。そのため、文化祭に代わる何らかのイベントを開催したいということで、急遽専門委員の召集がかかって話し合いがもたれた。私もその末席に加わってはいるのだが、どうにもいつも未消化で不満が残る。
 
 一番気になるのは、彼ら(お役人)には文化祭であろうが、何らかの行事であろうが、意識は単にイベントに過ぎない。当たり前なんだけれど、割り振られた一つの仕事に過ぎない。だから熱意がないというわけではないのだけれど、何かどこかピントがずれている。

 兎に角、どんな形であれ行事としてのイベントを消化する。そのことだけを仕事として考えているのが私にはみえみえなのだな。だからやたらとパンフレットやポスターのようなものだけ立派なものを作る。私は仕事をやりましたという『報告だけ」できれば彼らは満足なんだな。内容は特にどうでもいい。盛り上がりに欠けようが、人が一人も来なくても別にかまわない。

 我々は作家として一応生きているわけで、県の文化事業を手伝うのはあくまでもボランティア、ご奉仕なんだな、そこのところがまるで役人の請負人みたいな、都合のいい使用人のように考えられてはこれはやってられない。会議にしても平日の13;30に集合かけられて、ペットボトルのお茶一つでご苦労さんでしたじゃおかしくないか?

 一生懸命アドバイスしても、ニ三年で担当が替われば元の木阿弥だ。正直馬鹿馬鹿しくてやってられない。

 
 


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真剣勝負 - 2013.05.23(ポケットの窓から)

はる 4338
 久しぶりの画像だな。ブログも何だか不具合が結構ある。なんせ無料だから文句は言えないけれど、あなた任せの感じが多少不安になる。

 来週から千葉の山口画廊で個展が始まります。自分は真ん中の二日ぐらいしか行かないので、申し訳ありませんがあなた任せです。

 明後日には山口さんが車を運転して絵を取りに来てくれます。これもなかなか大変な作業だよな、けれど絵をしっかり梱包して送るというのも面倒なので取りに来てもらうのは大変ありがたい。それにここで一年ぶりにお会いして食事しながら世間話すうるのが結構楽しみだったりする。 

 絵描きは絵を描いて発表する機会を待っている。絵を描くだけではどこのだれも観てはくれないのです。色んな方法がありますが、個展という方法が一番だと私は思いますね。で、画家自身が画商をしてという方法もありますが、やっぱり間に入ってくれる人が必要ですね。それもだれでも良いというわけではありません。理想的にはやっぱり二人三脚でしょう。

 むしのいい話だが、絵を発表し始めた頃から私の絵を理解してくれて二人三脚でやって行ける画商さんが居ないものだろうか探していた。画家などという仕事は一種胡散臭い、まともな仕事ではないことはよくわかっていたけれど、それでも絵を描いてそれを生業に生きてゆくには、画商さんが絶対に必要です。画商さんを納得させる絵を描く、もっといえば画商さんを納得させる生き方をしているかどうか、そのことが大事なような気がする。

 幸いな事にここまでに何人かの画商さんにお世話になっています。ありがたいなぁといつも思います。大事な事はどこでも同じでしょうね。真剣勝負というのか、退路を断つ、というようなことかな。身を捨てれば浮かぶ瀬もあろうというものだ。 
・・・・・・・・・・・
個展紹介してもらいました。
*「猫の後姿」さん
 http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11535136347.html

*イタリアの真ん中で暮らす」さん
http://www.italianomannakaumbria.com/novita.htm


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はる 4337 - 2013.05.22(未分類)
はる 4337
 画像がうまく反映されないので、今日も画像なしということになります。


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DM郵送しました。 - 2013.05.21(未分類)
はる 4336
 個展のDM今日郵送しました。ニ三日して着かなければ、今回は名簿から漏れた可能性があります。必要ならばこちらにメール下さい。
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm

 今日は学校で疲れました。


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山口画廊「画廊通信116・榎並和春個展」 - 2013.05.20(未分類)

山口さんの画廊通信を楽しみにしている方も多いと思います。私もファンの一人としていつも読ませてもらっています。山口さんの創作だと思ってお読み下さい。
http://www.yamaguchi-gallery.com/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
画廊通信 Vol.116    物語の生れる時
 村上春樹の新刊が100万部を突破し、話の中に登場するクラシックのCDも、かつてない売れ行きを見せていると言う。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」、もともと村上春樹は好きなものだから、平積みの一冊を早速買い込んで読んでみたが、これは普通に考えたら、とても大ヒットするような類いの小説ではないと思った。村上春樹の世界を形成する根幹として、今までに幾度も繰り返されて来た主題である、「喪失」と「再生」の物語。かつての大ベストセラーとして著名な「ノルウェーの森」も、正にその主題を扱った作品だったが、この小説を一読した時も、どうしてこの作品があれほどの驚異的な売上を記録したのか、不思議でならなかった。

 両者共に、地味な小説である。流行小説の必須条件であるエンターテインメント性も、それほど有るとは思えない。だからこそ再読に値する深い味わいを湛えて、魂の遍歴を誠実に辿る物語となっている。どちらかと言えば、娯楽小説ファンよりは純文学のファンに好まれて然るべきこれらの作品が、事実これほどまでの大衆性を獲得している状況を省みた時、その大きな要因は、やはりマスコミに求めざるを得ないと思う。「ノルウェーの森」に関しては、そのタイトルの醸し出すどこかファッショナブルなロマンチシズムと、上下2巻を赤と緑のクリスマスカラーで装幀した、その戦略がまずは当ったのだろうけれど、そ れが「売れている」というマスメディアの流す情報が更なる売れ行きを招き、やがては空前のヒットにつながったのだろう。そのおかげで私などは、村上春樹を流行小説作家と勘違いしてしまい、数年前まで一冊も読まずに来てしまったのだ。

 往々にして人は、売れる物に群がる。行列を作っている店にわざわざ並びに行く、あの付和雷同の心理だ。売れている本、より正確に言うのなら、マスコミが売れていると喧伝する本が、より売れるのである。そのようにして作られた「村上春樹」という虚像は、本人の思惑など軽々と飛び越えて、最早止める事の出来ない巨大な一人歩きを始める。たぶん、この現象に一番とまどったのは、作家本人ではないだろうか。

 今回の新刊に関しても、その謎めいたタイトルに起因するものもあるにせよ、やはりマスコミの声高に流す「発売前に50万部を突破、更に10万部を増刷か」といったある種の煽動が、更なる購買を促す事になったのだと思う。要するに、かつての「ハリー・ポッター」と同じである。新刊が発売される度に夜中から行列を作り、買ったと同時にその辺の道端に座り込んで読書に没頭する、あるいは読書に専心する自分に酔っている若者の姿が、まるでサブリミナルのように何度も映し出され、それを見て買わずにはいられなくなった多くの人々が、うずたかい平積みの山を瞬く間に低めるという、今や定番となったあのお決まりの構図だ。

 これは舞台を政治に移しても同様、この浅薄を極める同調現象を、より巧みに利用した候補が選挙に勝ち残り、そのような策略家はしばしば世を右傾へと先導するだろうから、いずれ人々はあの哀しきレミングのように、自ら危険な懸崖へと雪崩落ちて行くだろう。歴史上、特にマスコミの影響力が強大となった現代史において、嫌というほど繰り返されて来た、性懲りも無い人間の愚挙である。

 さて、ここ美術界においても、同様の現象が蔓延している。マスメディア、殊にテレビで或る作家が放映されると、翌日からそれは即効的に絶大な効果をもたらす。例えば、「日曜美術館」で特集された展示会は、翌日はオープン前から長蛇の列を作り、「情熱大陸」で取り上げられた作家の個展は、数日で完売を記録するといった具合である。この場合、それが自らの意思による行動である事に、人は疑問を挟まないのだろうが、最早そこに個人の選択肢や審美眼は存在せず、実はマスコミこそが意思決定の主役であり、それに我知らず操作されているに過ぎないという事実を、当人は認識すらしていない。流されている者に、流れは見えないのである。

 特に近年顕著なのは、生前は評価されずに終った画家が、マスコミが取り上げる事によって再評価され、それに便乗した美術館が大規模な回顧展を企画して、大きなブームを呼ぶという現象である。言うなれば、正しい鑑識眼を備えた善意のマスコミが、不遇の画家を救済して復活させるという図式だ。私もそんな画家の展示会を、折を見て幾つか拝見したが、残念ながらその中に、心を震わせる作家はほとんど居なかった。

 結局のところ、マスコミは作家の芸術を評価するのではない、芸術的な物語を作り上げるのである、これはNHKでも民放でも同じだ。例えば、旧態依然とした画壇に与せず、独り清貧の暮しに甘んじながらも、自身の芸術的信念を貫き通し、人知れずその生涯を終えた等々。概して人は、この類いの美談に弱い。作品そのものよりは、美談に酔い痴れて美術館へと足を運ぶ。そのようにして絵に向う時、おそらくその人は絵など一つも見てはいない、マスコミの作り上げた物語を見ているのである。

 これはあくまでも私見だが、生前評価されずに終った画家の多くは、そもそも評価されるべき水準に到っていない。一流と二流を隔てる一線があるとすれば、その手前でとどまったままだ。中にはゴッホのような例外もあったかも知れないが、やはり大方の未評価作家には、一線を超えるべき何かが欠けている。それ故にその作家は、消えるべくして消えて行っただけの話だ、私にはそうとしか思えなかった。

 マスコミはその欠落を様々な美談で埋め、それによって彼は、かつては未踏に終った一線を超える。世はその故意に作られた画家を、遅れて来た大家ともてはやすだろう。しかし、物語という衣装がいつか剥ぎ取られた時、そこには埋めようの無い欠落があらわになるに違いない。

 絵から何かを感じるのに別に修練は要らないが、絵を「見る」のには修練が要る。眼を鍛えなければならないのだ。この頃になってやっと、私はそれに気が付いた。では、眼を鍛えるとはどうすることか。私の場合、それは、眼を頭から切り離す事だと思う。批評家に借りた眼鏡を捨てて、だいぶ乱視が進んでいるとはいえ、思い切って自分の裸の眼を使うこと。考えずに見ることに徹すること。まずそこからはじめるのだ。
  洲之内徹「セザンヌの塗り残し」から

 榎並さんの個展は、今回で5度目となる。初めてお会いしたのが2008年の初夏だったから、あれから早くも5年の歳月が流れようとしている。以前にも書かせて頂いたのだが、榎並さんとの出会いは、展示会でもなければ美術誌でもない、私としては極めてデジタル的に、インターネットで拝見したのが機縁であった。不勉強ゆえ、初めて耳にする名前だったが、その作品に何か惹かれるものがあり、強く印象に残り続けたので、後日こわごわメールをお送りして、作品の資料を是非見せて欲しいと頼み込んだのが、初めてのコンタクトである。

 きっかり一週間後、幾冊もの作品ファイルの詰め込まれた段ボール箱が、画廊にでんと届いた。その日は確か所用が立て込んでいて、梱包を解いただけで終ってしまい、明日ゆっくり見せて頂こうと思いながら、一日を終えたのだったが、翌日、どうした訳か朝から腹が痛い。ええい、また借金で胃が痛くなったか、その内に治るさと放っておいたら、だんだん背筋も伸ばせなくなるようである。仕方なく背中を丸めつつ画廊へ行って、更に背中を丸めつつ接客に臨み、いよいよ背中を丸めつつ前日の段ボール箱を開きかけた辺りで、遂ににっちもさっちも行かなくなった。

 止むなく画廊を閉めて、妻に車を出してもらい、悩み多きアルマジロのように助手席で丸くなって、ほうほうの体で病院にたどり着いてみたら、今すぐ入院しろとのお達しである。「展示会中なので、今すぐという訳には……」と抵抗を試みたら「死にたかったら、どうぞ展示会の続行を……」というご返答、よって死にたくない私は、急遽入院の運びとなってしまった。病名は急性膵炎、約一ヶ月の絶食である。

 幾日かを経て症状が落ち着いた頃、例の開かずの資料を持って来て欲しいと、私は妻に頼んだ。そんな訳で翌日、分厚いファイルをびっしりと詰め込んだ紙袋を両手に下げて、「重かったのよねえ」とブーブー言いながら来院した妻をなだめつつ、私は長らく会えなかった作品資料に、やっと対面する事が出来たのであった。

 思えば長い入院の間、私は榎並さんの作品集と共にあった。しばしば活字を追う事に疲れた時など、ベッド脇の窓際に積み重ねたファイルを、私は何を考えるともなしに眺めた。修道士、旅芸人、楽師、放浪者……、どことなく中世のイコンを思わせるような作中の人物達は、喧噪を極める現代という時空を離れ、どこか名も知らぬ異境の地から、その想いを静かに馳せるかのように見える。それでいてどの時代というのでもない、どこの国というのでもない、それは時と場所という限定を超えて、表層の変動が及ばない内なる領域を、変らない何かを求めて真摯に歩み往く、作家自身の姿なのだろうか。それはまた、きっと誰の心にも居るだろう、精神の果てなき道程を歩む、あの遥かな旅人の姿にも見えた。

 ただ「見る」という事、余計な知識や論評などは全て取り払い、ただ虚心に「見る」という事、ほぼ一ヶ月にわたる間、それしか出来ないという状況に置かれ、私は否応も無くその「見る」という行為に、何の障りも無く没頭する事が出来た。そして私はひたすらに見入る内、見られているこの絵もまた、作者自身のひたすらに「見る」という行為から、自ずと生まれ出たものではないかと思った。そこには、自身をゆったりと何処までも見つめ往く、静かに深い内省の眼があったからである。

 退院して、長らく借りっ放しだった大切な資料を、やっとご返却する事が出来た翌日、こんな温かなメールがパソコンに入っていた。

 お元気になられたようで良かったですね。私の資料が着いて直ぐの入院だったので、何かしら見てはいけない物を見たせいかも知れないと、密かに危惧しておりました。でもまあ良くなったようで、ちょっと安心しました。少しゆっくりしろという暗示かも知れませんね。その内にお会い出来る事を、楽しみにしています。 榎並

 榎並さんの絵は、自らとの長い対話から生れる。壁土を敷いて、黄土を塗り重ね、弁柄を染み込ませ、金泥をかけ流し、布地を貼り込み、更に顔料を塗り込んで……といった、いつ果てるとも知れない作業を繰り返しながら、画家は精神という不可解な領域をひたすらに見つめ、自らの内奥へと終りなき旅路を歩む。やがてそこには見も知らぬ異境が浮び上がり、何処からともなく現れた放浪者達が、密やかなパントマイムを演じる。

 そのようにして生れ落ちた絵を見る時、そこには如何なる知識も言葉も要らない、そんなものは、むしろ邪魔になるだけだ。知識を忘れ、言葉を忘れ、ただ感性の曇りなき眼で作品に対せば、それは限りなく豊かな物語を、沈黙の中に語り始めるだろう。正にそれこそが、誰に作られたものでもない、真実の絵画の物語なのである。

  (13.05.20) 山口雄一郎



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山口画廊DMできました。 - 2013.05.20(未分類)
 
説法 F4 2013
山口画廊DM
はる 4335
DMできました。欲しい方は下記まで、ご住所、お名前を書いて送信してください。
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm
■ 第64回・榎並和春個展


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裸婦クロッキー2013/5/19 - 2013.05.19(裸婦クロッキー)

カテゴリ・裸婦クロッキー
今までのクロッキーをすべて見ることができます。


 

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はる 4334
 今日はクロッキーに出かけた。前回あたりから少し描き方を変えたのが分るだろうか。長い間鉛筆一本でやってきたけれど何という画材だろうか、芯だけの鉛筆を使ってみた。

 出来るだけ筆の勢いみたいなもので自動筆記のような、無意識の線を引きたかった。形が崩れてもあまり気にしないで、どんどん線を重ねてゆくというような描き方をしてみた。実際はもっと落書きに近く収拾が付かなくなったものも多い。もともと仕上げる事など意識はしていないのだが、やっているうちに段々普通のクロッキーになってしまった。


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バラの剪定 - 2013.05.18(ポケットの窓から)


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はる 4333
 久しぶりにアトリエに新しい小さいパネルがやってきた。国画の大きな絵は地方をまわって夏ごろまで帰ってこない。当分の間また小さな作品を描いてゆく。絵が描けるまでに結構長い道のりを行ったり来たりして下地を作る。最終的に具体的なイメージが現れてくるまで、何回私の前を通り過ぎて行くのだろうか。安易に形を追いかけるのではなく、ゆっくりあちらの方からイメージが降りて来てくれるの待ちたい。

 裏庭の「なにわのいばら」を放っておいたら凄い事になってしまった。普通バラは手入れが大変でなかなか奇麗に花を咲かせるのが難しいらしい。この種類はそうではなくてやたらと旺盛に繁殖する。最初の一二年は可愛いものだったが、そのままにしておいたらあっという間に壁全体が覆い尽くされてしまう。棘がある分アイビーより始末が悪い。上の写真は5年前のまだまだ可愛い頃の様子です。

 バラの養生などあまり考えもせず、適当にそばを通っていたテレビの有線のケーブルに枝を絡ませていたら、重くなって最近ケーブルを止めていた釘がはがれかかっていることに気がついた。これはやばい。このまま放っておけばいずれははがれ落ちてしまうだろう。悪いことにこのバラは常緑なんだな。冬になっても葉が落ちないから刈り込むことも出来ない。

 で、思い切ってケーブルにかかっている左半分をすべて撤去して新たに養生の針金を通す事にした。昨日から作業を始めて二日ほどかかって作業が終わった。しかし、思った以上に大変な作業だったな。というのもこのバラの棘が想像以上に鋭くて厄介なものだったからだ。作業には分厚い皮の手袋をしてやらないととんでもない事になる。

 しかし、長年ぼろ隠しになっていたバラの覆いがなくなると、ボロヤが目だって、ただのぼろいだけの家になるから不思議だ。しばらく我慢するしかない。


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何気ない日常 - 2013.05.17(ポケットの窓から)

はる 4332
 朝の七時頃の、どこにでもある極ありふれた家の前の風景。なにげない日常がはじまる。季節は五月。同じように見えて二度と同じ日はない、一日の始まりです。


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いまここにいる - 2013.05.16(ポケットの窓から)


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はる 4331
 毎朝散歩する川沿いの小道。今は紫の小さな花が咲き乱れている。矢車草や赤つめぐさ、ピーピー笛のカラスノエンドウも花は奇麗な赤むらさき色だ。もう少したてば雑草が背丈ほども生い茂ってくる来るのだけれど、今のうちは可憐な花畑のようだ。本来雑草などと言う植物はないはずで、人の思惑などどこ吹く風で自らの陣地を増やしているだけなんだろう。それにしてもこんな風景は癒される。

 上の写真は携帯で撮ったものだけれど、昔のようにフイルムで現像するわけではないから撮ったそばから状態が確認できて幾らでも撮り直しが出来る。で、そのまま直接ブログに転送できるわけだから凄く手軽である。紙にプリントしない限り実際には存在しない。これも何だか不思議だな。記録性は抜群に優れているけれど、実際に残ってゆくかと言われればどんどん消えてゆく運命にある。なぜかみんな写真にとって残そうとする。

 このあいだアントニオ・ロペスを見たけれど、絵を描くというのは物を写す事ではないんだということにしっかり気付かされた。描写するということだけでは日本人の現代の作家の方がもっと凄い人はたくさんいる。彼がやっていることは、自分の存在を見つめる事で、そして描く事で確認する作業なんだなと思った。だから上滑りでない、確実な存在感を感じる。

 人が「いまここにいる」ということを確認する事は百万遍叫んでも、何万文字で証明してもなしえないことなんだけれど、たった一つのものに触れるだけで、「あぁ確かに私はここに居る」と確認できる。バーチャルでは絶対にできないことだ。

 人が絵を描くのはそんな意味もあるのではなかろうか。


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はる 4330 - 2013.05.15(ポケットの窓から)

 


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ベーコンのアトリエ? - 2013.05.14(ポケットの窓から)

はる 4329
 何だか久しぶりに働いた気がする。今日は学校の授業でした。

 学生の頃今世紀に残る作家として揚げられていたのが、ベーコンとビンダーリッヒだった。ビンダーリッヒは当時センセーショナルに取り上げられていたけれど、今はもう誰もその存在すら知らないだろう。ベーコンは今又近代美術館で大規模な回顧展が開催されているためか、今も尚健在だ。30年ほど前に同じ美術館で開催されていた展覧会を観た覚えがある。

 ドガなんかも当時の写真を使って描いたと言われるけれど、ベーコンも少し趣向は違うけれど写真をモチーフに絵を描いている。実際に物を描写しないとなると、モチーフとして写真を使うというのもありだと思う。まぁ気分的にベーコンの絵を観たいとは今は思わないけれどね。ショッキングであることは間違いない。

 さて私はどんな方向へ行くのかね。眠くなった。  


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アントニオ・ロペス・ガルシア展 - 2013.05.13(ポケットの窓から)

はる 4328
 国展の撤去作業のため何回目かの東京出張ボランティアに出かける。大きな団体とはいえ自動的に誰かが運営しているのではなく、当たり前のことだが、小さなグループ展と変わらず一人一人が動かしているということがよく分る。会員になれば誰かが祭り上げてくれて絵だけ出品すればいいのかと自分勝手に誤解していたところがある。とんでもない話で、一般で出品している時は大事なゲストで構成員になったらスタッフで働くということだ。

 営利の団体ではないので各構成員がボランティアで働くと言うのは考えてみれば当然の事だ。そのことはあまり大きな声ではいわれないな。で、会員になれば画家として一人前、作家として生きてゆけるかと言えば、ほんの一握りのスーパースターを除けば、ほとんど無理だろう。ただ免許を持っているというだけでそれで実際に営業できるかどうかはその人の努力しだいと言うわけだ。

 それでは全く意味ないかと言われれば、そうではない。確かに作家活動と言うのはただ一人でこつこつやって行く孤独な作業だ。基本的にはその方が好きなんだけれど、年に一度くらい集まって騒ぎたい欲求が出てくる。同じ志を持った連中と話がしたい、そんな気もするんだな。趣味的な作家が多くはなったとはいえ、やはり優れた人物もいるわけで、そんな連中とお祭り仕事をやるのは楽しいことだ。

 閑話休題
 朝一番に出かけて、渋谷のBunkamura 美術館でアントニオ・ロペス・ガルシア展を観た。この展覧会は是非ほんものを見たかった。最近は博物館的な骨董的な古物ばかりに興味があってなかなか現代の作家の展覧会に行く気になれなかったのだが、この人物はどうにもそそられる作家の一人で是非本物が観たかった。

 最近は多くの団体展でもこういった奇麗な人物を細かく描写する作家が多いけれど、彼の表現はただものを細かく描写すると言うだけのものではない何かがある。スペインの好きな現代作家にタピエスがいいるけれど、彼なんかにも共通する骨太の造形のエスプリなんだな。ピカソなんかにもつながるスペインの風土なんだろうな。けっして日本人がやっているような細かいだけの仕事ではないのだ。


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ピクニック - 2013.05.12(ポケットの窓から)

はる 4327
 昨日は雨だったので今日は空気もさわやかに五月晴れとなった。ちょっと風が強かったけれどね。ということでせがまれてお昼は嫁と二人でサンドイッチなどもって信玄堤にピクニックに出かける。ここのケヤキはちょっと凄いですよ。町中の街路樹ばかり見ている人にとってはケヤキの晴れ晴れするような群生に圧倒されるのではないでしょうか。しかしまぁ、風が強すぎて優雅に食事という感じではありませんでしたが、たまにはこんな一日もいいでしょう。

 今晩は久しぶりのチェロのレッスンで、このところ忙しくてろくに練習していなかったので、若干気が重い。嫌なら辞めればいいのだけれど、やめてしまうとたぶんもう弾かなくなるでしょう。これもまた本末転倒でレッスンがあるから練習する、そんな感じ。やり始めると一時間ぐらい簡単に練習するのだが、長くかかわっているにもかかわらず、あまり上手くはならない。独習の癖が抜けないからかな。


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あぁ~いやんなっちゃった、おどろいた - 2013.05.11(ポケットの窓から)

はる 4326
 今日は地元の団体の委員会があった。今年は会員になって30年とかで表彰されるらしい。なんだかお前も年取ったなぁと言われるようで、大したこともやっていないのに恥ずかしい。絵描きは今からどこまで行けるかが本当の勝負のような気がしているからな。いままでは本の助走のようなものだと思っている。ハッタリではなく、そう思う。

 今日(11日)の朝日新聞の記事にこのあいだ自殺した芸人の牧伸ニさんのことが書かれていた。内容はこんな事だった。

 彼は脳血栓か何かで体が思うように動かなくなったことを芸人としてお仕舞いだ感じ、そのことを苦痛に感じていたようだった。で、その記者が書いていたことは、芸人は最後まで芸人であって欲しかった。自分の恥を晒して笑って「あぁ~いやんなっちゃった、おどろいた」と笑い飛ばして生きて欲しかったとね。

 だれでも年は取るし、いつかは体が不自由にもなるだろう。だからこそそんな自分を晒して唄って欲しかったな。そんな生き様を最後までつらぬいて欲しかったな。私に出来るかな・・。ご冥福をお祈りいたします。


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なるほどなぁ - 2013.05.10(未分類)

はる 4325
 知り合いの「猫の後ろ姿」さんのブログに面白いことが書かれていた。ちょっと無断で抜粋すると。
・・・・・
A つまり大投資家たちは小投資家たちを食い物にしているということなのかね?
B まったくそのとおり。大投資家たちにとって経済がよくなろうが、悪くなろうが実はそんなことには全く関心がない。簡単にいえば、安く買った株を少しでも高く売り抜けばいいのであって、経済の上昇局面でも、下降局面でも、「差額」で儲けることはできるわけだ。
A では、むしろ平和で安定した状況よりは、インフレでもデフレでも、極端な場合は「戦争」であっても、物が動き、通貨が流通し、価格が変動するならば彼らは、そこに勝機を見つける、儲ける機会を見つけるということになるのかね?
B それも全くその通り。彼らは、平和よりもむしろ動乱を望むだろう。
・・・・
 なるほどなぁ、目からうろこだ。投資家なるものは株価が高かろうが低かろうが関係ないのか、要するに「安く買った株を高く売る」それだけなんだ。だから差額があること、株価が動けば儲けがでるという仕組みなんだ。そう考えると今の何の根拠もない急激な株価の値上がりは、何かをたくらんでいる輩には絶好のチャンス到来だな。そこらあたりの自称トレーダーは気をつけないとまたしてもやられれしまうだろう。

 閑話休題

 人の集まるところには必ずグループができる。でグループにはかならずリーダーができて徒党を組む。徒党同士の力関係ができて大きな組織のピラミッドができる。組織はその力をよりいっそう確実にするために自分の気に入った人間を引き込む。最初はそんなことを嫌って組織を抜けたはずなのに抜けたもの同士がまた同じような小さな組織を作ることになる。どこまで行っても人のやることはなさけない。人間は一人では生きては行けない。

 でもやっぱり私は一人でいた方が好きだな。


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はる 4324 - 2013.05.09(未分類)
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はる 4324
 昨晩から少し体調をこわす。今日は定期健診の日なのでちょうどドクターに診てもらった。すこし炎症を起こしているということで、抗生剤をもらう。これで少し楽になるといいのだが・・。



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営業トーク - 2013.05.09(未分類)
はる 4323
 オイル交換に出かけた。いつもは下町のオヤジさんのところに出かけるのだが、残念な事に引退してしまった。もう三十年らいの付き合いだから仕方ないと言えばしかたない。

 大きなディーラに電話をかけた。ゴールデンウィークで一週間も休業だった。親父さんのところなら日曜日以外ならたいてい営業していて二つ返事でいつでもOKだった。

 電話で予約する。すこぶるつきの営業トークで愛想がいい。何となく偉くなった気がする。オイル交換とウオッシャー液と冷却水の点検をお願いした。待っているあいだに珈琲まで出てくる。

 けれど、すこぶる愛想は良いけれどそれは受付さんの仕事、点検してくれる修理工は全く私と会話することもないし、顔もみせない。はっきりと分業されている。そんなのでいいのかなぁとちょっと危惧する。

 交換が終わって、点検表が出てくる。*オイル交換しました*ウオッシャー液、冷却液共に異常ありませんでした。

 異常の有無を見てくれといったわけではない。ウオッシャー液は確実に減っているわけだから追加しといてくれということを暗ににおわせているわけだ。

 オヤジさんのところなら言わなくてもそこまでは必ず見てくれていた。これは違うだろう。



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何故絵を描くのか - 2013.05.07(未分類)
はる 4322
 何故絵を描くのか?長く公募展などに出品していると、展覧会が迫ってくると自動的に臨戦態勢になってゆく。一番の弊害は展覧会のために絵を描くという本末転倒がいつの間にか当たり前になってゆく事だ。本当はやむにやまれぬ内なる欲求があって、どうしても何かを表現したくて絵筆をとるというのがまともな構図だと思うのだ。

 そんな内なる欲求を待っているととても年一度の展覧会に間に合わない。だからそんな事とは関係なく絵らしきものをこしらえて期日に間に合うように出品するのだけれど、作家本人にさえ何が言いたいのか、何を表現したいのか理解していない状態だから、まして第三者が観て理解できるものではなくなってしまう。

 まだ会の下っ端で何とかキャリアを積んであわよくば受賞して会の構成員になりたいという出世意欲があるなら大きな作品を描いて発表しようという動機は不純だけれど、モチベーションにはなる。けれど、それは絵を他人と競う合う道具として使っているわけで、本来の姿ではない。それを続けてゆくとどこかでおかしくなる気がする。そのことに気付いていない人も多い。

 人は何故絵を描いてきたのか?自己表現というけれど「自分を他人に理解してもらいたい」そんな事のために長い時間絵に関わってきたわけではない気がする。「私が・・」「僕が・・」などというものは、子供のお話のようで、観たくも聴きたくもない。あえて他人の愚痴を聞く物好きもいないだろう。

 原始的なアルタミラの壁画とか古墳の壁画、敦煌などの洞窟の壁画、祈りのためのイコンなどに惹かれるのはそこに人間本来のやむにやまれぬ、個人の好き嫌いなどを越えた、普遍的な理が感じられるからだ。出来うるならば生きているうちにそこらあたりまで行きたいと思う。

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大地の聖母 - 2013.05.06(未分類)
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大地の聖母2
はる 4321
 今年の国展の作品です。大きな作品はあまり得意ではないのですが、この作品はけっこう上手くいった方ではないだろうか。これもあと少し時間がたたないとわかりませんがね。描いたばかりの時は本当に「あばたもえくぼ」状態でみんな傑作に見えるのです。それが時間のフィルターをかけるとアラ不思議、あばたはあばたにしか見えなくなるのです。

 上手い絵を描く作家はたくさん居ます。細かくそれこそ虫眼鏡で描いたのではないかと思うような繊細な作品を描く作家も多い。写真を見たかのような生々しい絵肌を描く事を得意とする作家も最近は多くなりました。無論そんな作家がいてもいいのです。

 しかし、私は出来るだけ手わざが見えない方が好きです。


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no title - 2013.05.05(ポケットの窓から)



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手打ちうどん - 2013.05.04(ポケットの窓から)


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自家製手打ち
うどん


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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