はる 4117
性善説、面倒になったので、この件に関しては又の機会にします。だいたい想像できるでしょう。
来週早々には関西の方に個展で出かけます。描き始めた大きい作品はとりあえずここまでかな。つづきは帰宅してから。
お世話になっている千葉の山口画廊が10周年だそうです。その記念展である「斉藤良夫展」の紹介文を無断転載します。(不許可転載ならば削除しますので連絡下さい)企画画廊を経営していく覚悟の程が伺えてしびれます。どうぞお近くの方はご覧になってください。では
http://home1.netpalace.jp/yamaguchi-gallery/top.cgi ************************
画廊通信 Vol 108 十年 (第16回斎藤良夫展)
画廊をオープンして、十年の歳月が流れた。当初は、みっともないから一 年は持たせなければ位に思っていたのだが、あれよあれよという間に一年が 過ぎてしまい、それなら石の上にも三年、何としても五年、這いつくばって も七年、野垂れ死んでも十年、と自らをやみくもに叱咤激励しつつ、日々危 うい綱渡りにせっせと励んでいる内に、遂に十周年を迎える運びになってし まった。とは言え、その内実はとても「経営」なんて言えた代物じゃなく、 その場その場をただ青息吐息でしのいで来たに過ぎず、それが証拠に代償と して積み重ねた借金は、いよいよ年季が入ったか一向に減ってはくれず、正 直言って借りるも返すもいい加減飽き飽きしているのだが、先方は残念なが ら飽きてはくれない模様である。
それはさておき、この十年の記録をざっと申し上げると、開催した展示会 は今期で通算120回、しかもその全てが画廊の企画による「個展」、よっ てグループ展・名品展・セール等の類いは一度もなしというのは、手前味噌 ながら極めて異例の足跡である。その間、計24名の芸術家を取り扱わせて 頂き、そのほとんどをリピートしてご紹介して来た。この際だから、自画自 賛ついでにはっきりと申し上げるが、取扱作家には絶大な自信がある。地元 の先生でお茶を濁した事一度もなし、どの作家も全て、紛れもない「一流」 である。もしたった今、銀座・京橋界隈に出店したとしても、近辺にひしめ くあまたのギャラリーには、決して負けない自信がある。それだけの素晴ら しい画家を、私は分不相応にも扱わせて頂いて来た。こんな無名の力なき画 廊に、個展の開催を了承してくれた画家のご好意に対し、この場を借りて三 拝九拝・平身低頭、心からの感謝を申し上げたい。
中でも斎藤さんには、最も多くの個展をお願いして来た。今回で16回目 という事は、一年に二度お願いした年が何度もあるという事だが、他の予定 も色々と立て込んでいたにも拘らず、その都度斎藤さんは誠実な対応で、質 の高い作品を提供してくれた。
個展の2~3ヶ月前にお伺いすると、斎藤さんはたいがいジーンズにボサ ボサの頭で出て来られて、「いや~、なかなか描けなくてねえ」等と言いな がら、自ら淹れたコーヒーを出してくれる。それから1~2ヶ月ほどを経て、 案内状に載せる新作をいただきに上がると、アトリエの壁にはまだ絵具の乾 いてない新作がいつも数点掛けられていて、その見事な風格と独特の情趣に しばし見とれつつ、私は画家がまた一歩新たな境地へと、歩を進められた事 を知るのである。斎藤さんはその脇で、いつになく晴れやかな笑みを湛えな がら、「この半月ほどで一気にはかどりましてね、今朝も3時から描いてた んですよ」等々、疲れも見せず快活に語っている。
何でも、海外の取材から帰って来ても数ヶ月の間は、見て来た実際の風景 の印象が消えず、そこからなかなか抜け出せないのだと言う。それが心の中 で徐々に熟成されて来て、いつかふっとある一線を超えた時、「斎藤良夫」
としての内なる風景が立ち現れる、そこから先は早いのだそうだ。画家が現 地で描いて来たという素描と、後日制作された油彩作品とを見比べてみると、 その違いが明瞭に分かる。素描も、勢いのある自在な筆さばきが素晴らしい のだが、やはりそれは実際の風景の写生であるのに対して、それを元に描か れた油彩作品の方は、「斎藤良夫」というフィルターを通した心象風景へと、 見事に変貌しているのが常だった。
私はその新作をいそいそと車に積み込んで、来たるべき展示会へと思いを 馳せながら、うねうねと伸びる東金街道を、ひたすらに千葉へと飛ばす。顧 みればそれは、何度も繰り返して来たおなじみの光景だったが、しかし何度 繰り返しても決して飽きる事のない、スリリングな得難い体験だった。
十年前に画廊を開店した時も、オープニングはもちろん斎藤さんにお願い した。斎藤さんはある展示会を終えた直後だったが、突如慌ただしく入った 企画に嫌な顔一つせず、かえって「全面的に協力しますからね」と温かい言 葉をかけてくれて、おかげで私は先々の不安に青ざめながらも、堂々たる展 示で画廊を開ける事が出来た。
初回展のタイトルは「欧州放浪 ── 斎藤良夫展」、文字通りヨーロッパ ・シリーズだけをセレクトした、全点油彩による展示である。当時斎藤さん は66歳、ちなみに私は42歳、それから今日に到るまで、私は苦しくなる 度に目を閉じて、しばし胸奥の彼方を仰ぎ見る。そこには斎藤さんの描き出 すあの悠久の大空が、遥かな郷愁を湛えてどこまでも広がっている。この十 年、私の心の中には、いつも斎藤さんの絵が共に在った。
斎藤さんと長いお付き合いをさせて頂いて来て、私は画家の「覚悟」とい う事を思う。おそらく「プロ」という言葉は、「覚悟」の異名に他ならない。 一生を絵に懸けるという覚悟、何があっても描き続けるという執念、それを 「生業(なりわい)」にして生きるという信念、それは言葉にすれば簡単な 事かも知れないが、実践して貫き通す人は極めて少ない。
絵を志した人のほとんどは、必ず一つの別れ道に遭遇するだろう。さて、 どちらの道を歩むのか、その人は自ら選択しなければならない。一つは不自 由ながらも安定した穏やかな道、一つは自由だけれど先の分からない危うい 道。ちょうど家庭を持つ年齢となり、養わなければならない家族を背負った 人の大多数は、安定した道の方を選ぶに違いない。それはある意味、社会人 として当然の事だ。具体的にどんな道を行くのかは、人によって様々だろう けれど、いずれの道を行くにせよ、結果的にその人は自ら画家としての道を 閉ざす。むろん当人は、閉ざしたとは考えてないだろうけれど、そこから真 にプロとして生き残る事の出来る人は、おそらく1パーセントにも満たない。 せいぜいどこかの美術団体の役員にでもなって、地元に君臨するぐらいが関 の山である。
ところが一方で、何を思ったか知らないが、わざわざ先の見えない危険な 道を選ぶ、普通とは言えない人も稀に存在する。将来設計など何のその、そ うは言っても家族は養って行かなければならず、故に彼は真に人の心を打つ 絵を、見る人の財布を開けさせるだけの力を持った絵を、切実な想いで描き 上げて個展に臨み、厳しい評価の目に自らをさらす。幾度も幾度も、気の遠 くなるようなその繰り返しである。そこには、絵画教室の先生がたまに個展 を開いて、どんな絵であれ生徒が義理で買ってくれるような、そんな生ぬる い共生関係は存在しない。絵を生業にするという事は、常に開かれた売買の 場で、勝負をし続ける事だ。だからこそいつか彼の絵には、自己満足や自己 主張を通り越えた、人の心にまで届き得る力が備わる。それが、プロの歩み というものだろう。
斎藤さんはまさしくそんなプロの道を、強靭な覚悟のもとに貫いて来た人 だ。声高に信条を語らずとも、その来し方は否応なく絵から滲み出す。斎藤 良夫76歳、独自の画境に到りながらも、未だ安住を良しとせず、更なる境 地を希求するその気概に、私はいつも心打たれる。
今春斎藤さんは、イタリアはトスカーナ州の山間部を中心に、ソラーノ・ カスティリオーネといった古い町を巡られた。特にソラーノは、印象深い町 だったと言う。丘陵の斜面を覆うように造られた城砦の町で、何百年という 時を経た古い石造りの民家が、びっしりと積み重なるように建ち並ぶ。山の 斜面という地形のせいか、終日強い風が吹いていて、陽春のみぎりだったの にセーターを着込んでも、まだ寒かったと画家は話してくれた。
ここに、斎藤さんからお預かりした一枚の写真がある(ここでは省略)。 町の中腹の路地から、山頂の城壁を仰いで撮られたものと思われるが、左方 の階段は雑草に覆い尽くされているところを見ると、おそらくは誰も足を踏 み入れなくなった廃墟が、その上に在るのだろう。右側には、何度も埋め直 しては塗り直し、そのことごとくが剥げ落ちてしまった石壁、味とか趣とい った段階をとうの昔に通り越したような、ただの薄汚い塀である。ところが、 斎藤さんが目を留めるのは、正にこういった風景なのだ。きっと私達であれ ば、気にも留めずに歩き去るだろう壁の前に、画家はふっと足を止めてたた ずむ。見ていると、その壁の前を通り過ぎた幾多の人々の温もりが、その幾 百年をかけて刻まれた、数え切れない遥かな営みの響きが、しんしんと滲み 出して画家の心へと到る。やがてそれは、あの得も言われぬ情趣をかもし出 す、斎藤さん独自の石壁となって、絵の中に結晶化するのである。今年はト スカーナの空の下で、風の吹き渡るいにしえの町に、画家は何を見て来られ
たのだろうか。
壁に染み込んだ時間、毎年毎年塗り替えられながら、 何百年にもわたって見て来たであろう人間の営み、そ んな事を思いながら描いています。 壁の前を通り過ぎて行った、無数の人々がいるでしょ う。ある時は恋人同士であったり、ある時は友達同士 であったり、子供を連れた家族であったり、年老いた 夫婦であったり、そして喧嘩をしたり笑ったり、酒を 飲んで騒いだり、もの思いにふけったり、辛い別れが あったり、そんな市井の人々の数えきれない営み。心 温まる事も、愚かな事も、全てを黙って見続けて来た 路地裏の壁、そこに刻まれた目に見えない時間の温も りを、少しでも描き出す事が出来たらと思うのです。
十周年という特別の区切りに臨んで、何かのイベントを打つべきかどうか、 これでも少しは考えたのである。当初はその時が来たら、皆様への感謝を価 格に反映させつつ、「画廊コレクション展」を華々しく開催しようと目論ん でいたのだが、昨年の震災後に切羽詰ったあげく、お客様のご好意にすがり 付いて、数少ないコレクションの大半を売ってしまったので、それも叶わぬ 夢と消え、かと言ってパーティーという柄でもないし、そういったものは勘 弁して頂きたい方なので、結局通常通りの個展開催に、落着する成り行きと なってしまった。相も変らず面白みのない人間で、大変に申し訳ないとは思 うのだが、しかし考えてみればこの大きな区切りに、「斎藤良夫展」ほどふ さわしいイベントがあるだろうか。オープニングが斎藤さんなら、十周年も また斎藤さんである。今年もこうして、斎藤さんの新たな気概に満ちた新作 を展示する事こそ、今の私が皆様に表し得る、最大の感謝と言えるのかも知 れない。
つくづく思うのだがこの十年、私は良き画家と良きお客様の、ささやかな 橋渡しをして来たに過ぎない。この画廊をここまで存続させてくれたものは、 画家のご好意と共に、一枚の絵に身銭を切る事をいとわず、私財をなげうっ て評価してくれたお客様の、芸術への一途な愛情である。安全圏から傍観す るだけの物見遊山の徒が多い中で、そんなお客様の純粋な献身に、私は何度 心打たれ勇気付けられた事か。願わくはこれからも、そんな素晴らしき同志 の皆様と、この道を歩んで往けたらと思う。
十周年に臨んで、斎藤さんの新作を前に、遥かトスカーナの空を夢みつつ
── 風立ちぬ、いざ生きめやも。 (12.09.28)