あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

はる 3961 - 2012.04.30(ポケットの窓から)

はる 3961
 このところ展覧会の準備で忙しい。自分の個展ではなく大きなグループ展のような団体展では個人の責任というのはほとんど感じる事はない。ただ会を運営するのは大変な仕事で、全国規模の公募展になると会の構成員だけでは到底不可能で専門の業者にゆだねる部分もあるのだが、大事なところは自分たちでやっている。

 団体展はもう過去の遺物で存在意義も無いという風な事が言われる。新しい潮流とか芸術運動ということからははなれてしまったかもしれないけれど、絵を描く人が全国から一時に集まってワイワイとお祭り騒ぎをやることは全く無意味でもないなぁと最近は思う。

 一つは全く知り合うことも無い地方の作家と出会うことや、年代や出身学校の違いから一緒になる事がない作家と話が出来たりすること、後は同じ世代の同じ志を持った仲間と知り合うことだな。

 そういった意味ではほとんど身内だけを相手にしているような展覧会だけれど、絵を描いているひとは是非見てください。刺激にはなると思います。

 と言うわけで、明日からまた東京です。


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no title - 2012.04.29(ポケットの窓から)



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はる 3959 - 2012.04.28(ポケットの窓から)


はる 3959
 昼間は暑かった。


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no title - 2012.04.27(ポケットの窓から)
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はる 3958
 上の絵は下絵でそれをゴム版画にしたのが下の作品。下に色んな色を塗っておいて白で輪郭を取るという今の作画方法とよく似ている一版多色刷り。簡単だけれど、こんなものもけっこう面白いなぁ。

 今日は午前中歯医者さんにいって午後は目医者さんにかかる。眼は商売道具なので大事にしている。数年前から飛蚊症が出てきてあわてて医者に掛かった。まぁ老人性という結果で、そういわれてしまえばどうしようもない。今でも白いキャンバスなどを見るとけっこう大きな蚊の様なものがいっぱい飛んでいて気にすると気になる。なくなることは無いようだから、付き合ってゆくしかないのだろう。


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「オリジン(源泉)」に触れているかどうか - 2012.04.26(ポケットの窓から)

はる 3957
 帰宅しました。この数年裏方でカタログの撮影などに関わっていて実際の審査には参加していなかった。今年久しぶりに審査の場に立ち会ってやっぱりこのエネルギーはすごいなぁと感じた。

 全国には色々な団体があって、それぞれの会の会風というのが何となくある。それぞれの会にあった作品を出品しなければなかなか受賞はおろか入選する事もままならない。

 この会の会風は私なりに解釈すると「オリジン(源泉)」に触れているかどうかだと思う。色々な絵肌というのか画風があっていいのだな。凄くリアルに細密に描かれている作品もあるし、どちらかといえばほとんど工作のような造形物もある。作家のスタイルも色々だ。色んなやり方があってもいい。色んなやり方で作家は「物の本質(オリジン)」に近づいてゆく。そのことに気がついている人もいるし、無意識にそこに至っている人もいる。

 上手いとか下手くそだとかはほとんど関係がない。かえってそういったことが邪魔にさえなる。そういったうわべの装飾を取り払って、残ったものが(オリジンに触れているか)どうか、そのことを判断の基準にした。

 オリジナルと言えば「個性的」だとか「他には無い独創的」と言う風に解釈されるけれど、そのものとの言葉であるオリジンといえば「源泉」であり元々持っている根源的なものという意味だと思う。

 さて今年の入選した作品たちがそういった作品で有るかどうか会場で確かめて欲しいですね。

第86回国展 5月2日(水)~5月14日(月)
国立新美術館にて開催!



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撮影の手伝い - 2012.04.25(ポケットの窓から)

はる 3956
 今日も一日撮影のお手伝い。隣ではどんどん作品が審査されてゆく。選外、入選、賞候補、とほぼ一年かけて制作された作品がふるいにかけられて入選以上が撮影に回ってくる。その数おおよそ400点。初日の5/2には会場に並ぶわけで、一刻の時間の余裕もない。タイトル、名前、上下左右間違いなくスムースに仕事がすすむのは結構大変なことなんだよ。それもほとんど手弁当でやっている。陽の目が当たらない裏方仕事にもう4年もかかわっている。

 明日は審査も3日目。受賞作が決まってゆく。一年かけてその時を待っている人も多いだろうな。誰が最高賞を受賞するのか楽しみでもある。いったん明日帰宅して、また前日に展示するために出かける。そしてオープン。お祭りが始まります。お時間があれば是非観に来てください。
第86回国展 5月2日(水)~5月14日(月)
国立新美術館にて開催!



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真実を直視しよう - 2012.04.24(原発)


フクシマのうそ(吹き替え)
ドイツの福島第一原子力発電所と東京電力の「原発ムラ」のレポート

はる 3955
 ちょっと尋常ではいられないなぁ・・。


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第86回国展 5月2日(水)~5月14日(月)国立新美術館にて開催! - 2012.04.23(ポケットの窓から)

はる 3954
 今年は山吹の花芽が少ないように思う。もう四月も終わると言うのに時々寒い日もあるからなぁ、花も咲き忘れているのかもしれない。

 明日からまた美術館に缶詰状態になります。といえば格好がいいけれど、一日半地下のようなところで地味な仕事のお手伝い。
第86回国展 5月2日(水)~5月14日(月)
国立新美術館にて開催!

 
 ついでに
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STERNE 展
■会期■2012年5月1日(火)~5月13日(日)
入場時間:am11:00~pm7:00 ※最終日pm5:00まで


■会場■美岳画廊
東京都中央区銀座7-11-6 
TEL:03-6280-6639


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はる 3953 - 2012.04.22(ポケットの窓から)

はる 3953
 東京搬入のお手伝い。



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情報を自ら取捨選択する度量が要求される - 2012.04.21(原発)

はる 3952
 日ごろなかなかよく考えられていて面白いテーマで番組を作ったり、他の民放では出来ないような面白いシリーズを放送するNHKも今回の原発事故の件では全くの無能である事をさらけ出してしまった。あれほどチェルノブイリ事故などの危険性をドキュメント放送していた局でありながら、ほとんど無意味に政府の流した嘘の情報の解説に始終してしまった。

 これは何を意味するかと言えば、結局責任の所在の問題だと思う。政府の公式見解の解説をしている分には責任の所在は自分になく政府にあるからだ。これが全ての敗因だな。自分たち独自の見解を発表すれば、たとえば原発の事故が起きた場合、第一段階として住民の避難に関して「風向きは北西方向なので、原発からみて北西方向ににある○○村の住民は直ちに避難してください」などと自分たちの独自の見解で避難を呼びかけるような準備をしていたかということだな。それをしていない限り政府の公式見解を待ってその都合のいい嘘の情報を繰り返すしか手はない。

 報道関係の会社にそれだけの独自性が保障されているのかどうか、そこのところも疑問だな。マスメディアがどうあがいても時の為政者の広報活動に利用されるのは止めようがない。独自の判断ができるだけの権限を持たされていないからな。

 今はこういったブログなどのミニコミの方が本当の情報が含まれているように思うな。勿論嘘も多いし胡散臭い偽の情報もおおいのだけれど、情報を自ら取捨選択する度量が要求されるけれどね。


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はる 3951 - 2012.04.20(ポケットの窓から)

はる 3951
 音楽は聴く方も好きなんだけれど、これもやっぱり自分がやった方が数段面白いように思うな。簡単な笛みたいなものでも自分で演奏すると聴くのとは違う面白さが分る。上手くは無いけれど、楽器は元々好きで鍵盤楽器以外なら大体やったことがある。鍵盤楽器もタンゴのバンドネオンなんか機会があればやってみたい。でもまぁ好きなんだけれど、残念だけれど基本的にセンスがないようだ。

 今日は大きな絵を2点赤帽さんに持っていってもらった。これでアトリエが少し広くなった。
 


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はる 3950 - 2012.04.19(ポケットの窓から)

はる 3950
 いよいよと言うのか、やっとというのか春の展覧会のシーズンが始まった。この日曜日には公募展の搬入がはじまる。私は色んな雑用係をおおせつかって泊り込みでお手伝いに行く事になっている。自分の作品の制作もさることながら、こういった大きな団体になる裏方で運営するのがなかなか大変だ。こういった画壇というのは日本独特のシステムらしいけれど、広くアマチュアを育てて奨励してゆくと言う意味ではけっこう機能しているように思う。お茶とかお花の門下生制度とよく似ていてどうしても派閥を作ってしまうというところはまぁ悪いところだな。

 閑話休題

 ちょっと前に民主党が政権をとった時に色んな特殊法人の仕分けみたいなことが注目されて、道路とかダムとか大学なんかも仕分けの槍玉に上がっていた。それで割を食ってなくなってしまった団体なんかも何ぼもあったのじゃないかな。

 毎年のことだけれど、年度末になるとやらなくてもいいような道路工事が始まって、渋滞が頻繁に起きるというようなことがよくある。予算がいったんつくとそれを消化しないと次年度の予算が削られてしまうので、そんなことが起きるのだ。

 あれだけの日本がこれから存続できるかどうかというような大きな災害を引き起こしながら、懲りもせずまた原発を再開しようとたくらんでいる輩がいることが信じられないのだが、原発を含めてこの国のエネルギー政策をどうするのか、ひいてはこの国はどういった方向に行こうとしているのかという『生き方』の問題でもあるんだな。

 ただ単にエネルギーが足らなくなるから、原発を再稼動しようというのは一番下の下の発想だ。それでは何も変っていない、学習していない。何でこうなるのか、なんと馬鹿なんだろう。


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テレビは原発事故をどう伝えたか - 2012.04.18(原発)




テレビは原発事故をどう伝えたか


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4号機燃料プールが崩壊すれば日本の終わりを意味する - 2012.04.17(原発)


4号機燃料プールが崩壊すれば日本の終わりを意味する



原発問題のすべてを小出さんに聞く(2)
はる 3948
 絵を描き始めてしばらくすると、ようやくセザンヌの言っていることが少しばかり分るようになり、ピカソやブラックなどのキュービズムがまるで画面から起き上がってくるように身近に感じるようになって、今まさに画期的な美術理論を体得したような気になった。誰彼と無くそれを伝えたくて仕方なかった。百年以上前の美術史的な事実を臨場感を持って感じる事ができたわけだ。

 そのことは自分の中ではっきりとしたターニングポイントだと言う気がしている。表現方法はただ一つではなく色んな方法も有りだということを知ったのは大きな事だった。

 そこから始まってその後色々な表現方法を試みるのだが、現代に近づくほどどうも分らなくなる。確かに美術史は切れ目無く現代まで続いているはずなのだが、今という時代に近づくほどただぼんやりとして何も見えなくなってしまう。現代美術といわれる作品たちが本当に現代の表現として認知されて残ってゆくのかどうかそれは分らんな。

 ここに来て思うことは時代の最先端の美術など私にとってどうでもいいことだということに気がついた。誰も私にそんなものを要求していなし、分りもしないことを一生懸命考えても無駄だなと言うことが分った。

 身の丈にあった表現といえば凄く小さく捉えられるかもしれないけれど、所詮表現などというものは作家の個人の域からでないものだろう。はっきり言えばこの小さな頭の中に大きな宇宙が詰め込まれているわけで、それでいいと思う。それしか出来ないなと思う。それで時代の流れ似合わないならばそれはそれでいいのではないかな。私は私の感じる小さな世界を表現するしかない。



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イチゴパフェ - 2012.04.16(写真)
20120416イチゴパフェ
はる 3947

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バッハの無伴奏組曲 - 2012.04.15(ポケットの窓から)

はる 3946
 今年は桜の開花も遅かった。それでも季節は確実に移ってゆくようだな。散った花びらのじゅうたんの間からタンポポが芽を出して黄色い花をつけている。なんでもない風景がけっこうしんみりと心打つ。

 今日は久しぶりのチェロのレッスンの日、といえば格好がいいけれど一ヶ月に一度しかレッスンに通わないのでまともな生徒ではない。チェロの歴史は意外に長い、もう20年以上のキャリアはあるのだが、独学というのか独習の期間が長かったので今更先生についてレッスンを受けてもなかなか癖が抜けない、何とか見様見真似で弾いてしまう、これが上手くならない理由だな。だからこのまま独習で通せばそれでもいいのだけれど、独学と言うのはこれまた続かないのだな。面白いところしかやらないから、基礎的なまめな練習がクリアできない。

 こういうレッスンを受けて感じる事は、例えばおいしいチェロのメロディーなんかがあるでしょう。「おくりびと」なんかもそうだけれど、そういったおいしいメロディーだけ自分で弾いても面白くないんだな。始めの頃はそういったおいしいメロディーに食欲がそそられるんだけれど、それだけというのは案外面白くない。合奏(アンサンブル)にでもなって他の人と音を合わせるならばそれはそれで楽しいとは思うのだけどね。そうなるとまた集まって練習するというのが大変だ。自分だけで楽しむと言うわけには行かない。

 最近はチェロの楽譜にもCDのカラオケがついていて、自分はメロディだけ弾いて伴奏をカバーしてくれるものが市販されているが、自分ひとりでそんな事をして遊んでもあまり面白くないなぁ。

 意外なんだけれど、基礎的な練習曲ってあるじゃない。例えば半音ずつ上がってゆくスケールに毛が生えたような練習曲とか、#や♭がやたらについている面倒な練習曲とか、指使いがとんでもなく難しいやつとか、そういうのを最初は全く歯が立たなくて、ぽろぽろ一音ずつ拾っていってやがて少しずつつながって弾けるようになる、努力が目に見えるようなものそんなものの方が単純なメロディだけを弾くより面白いのだな。そういった練習を続けるためにだけ先生についてレッスンを受けているように思う。物凄く消極的な理由だけれど、一ヶ月に一度でもレッスンを受けるという刺激が無ければやらないのだ。

 バッハの無伴奏組曲が面白いのは多分そういった練習曲的でありながら美しいメロディもあるからだと思うな。聴いても美しいけれど練習曲として自分で弾いてもおもしろい。チェロのバイブルといわれるゆえんだろう。最終的にはこれにチャレンジしたい。


Bach - Cello Suite No.6 i-Prelude
Mischa Maisky


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はる 3945 - 2012.04.14(ポケットの窓から)

はる 3945
 若い友達の結婚披露宴に招待される。このウエディングドレスは中央アジアの旧ソビエト連邦であったキルギス人たちのものらしい。幸せそうな新郎の顔。おめでとうございました。
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 でその下は海外青年協力隊の仲間が駆けつけてキルギスの民族楽器の演奏をしてくれた。これがなかなかカッコよかった。 


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RCサクセション サマータイムブルース〜LOVE ME TENDER - 2012.04.13(you tube)


RCサクセション サマータイムブルース〜LOVE ME TENDER

RCサクセション サマータイム・ブルース

オリジナル歌詞: E. Cochran & J. Capehart

替え歌詩: 忌野清志郎

暑い夏がそこまで来てる

みんなが海へくり出していく

人気のない所で泳いだら

原子力発電所が建っていた

さっぱりわかんねえ、何のため?

狭い日本のサマータイム・ブルース

熱い炎が先っちょまで出てる

東海地震もそこまで来てる

だけどもまだまだ増えていく

原子力発電所が建っていく

さっぱりわかんねえ、誰のため?

狭い日本のサマータイム・ブルース

あくせく稼いで税金取られ

たまのバカンス田舎へ行けば

37個も建っている

原子力発電所がまだ増える

知らねえ内に漏れていた

あきれたもんだなサマータイム・ブルース


寒い冬がそこまで来てる

あんたもこのごろ抜け毛が多い (悪かったな、何だよ)

それでもテレビは言っている

「日本の原発は安全です」

さっぱりわかんねえ、根拠がねえ

これが最後のサマータイム・ブルース

電力は余ってる、

要らねえ、もう要らねえ

電力は余ってる、

要らねえ、欲しくない

原子力は要らねえ、

危ねえ、欲しくない

要らねえ、要らねえ、欲しくない

要らねえ、要らねえ、

電力は余っているんだってよ

要らねえ、危ねえ、

原発は危ねえ、

癌で死になりたくねえ。危ねえ

おれはがんで死にたくねえ。

危ねえ、危ねえ

君も君も君も君も、子供が欲しいなあ。

ぼく、目もぼくちゃんじゃ無い子がいいなあ、と来た。

危ねえ、危ねえ

※アルバム 「カバーズ」(1988.8.15 オリジナルLP発売予定→中止)収録






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Love Me Tender/(なに言ってんだー)

オリジナル歌詞: E. Presley& V. Matson

替え歌詩: 忌野清志郎

何言ってんだー、ふざけんじゃねー

核などいらねー

何言ってんだー、よせよ

だませやしねぇ

何言ってんだー、やめときな

いくら理屈をこねても

ほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ

放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ

何やってんだー、税金(かね)かえせ

目を覚ましな

たくみな言葉で一般庶民を

だまそうとしても

ほんの少しバレてる、その黒い腹

何やってんだー、偉そうに

世界の真ん中で

Oh my darling, I love you

長生きしてえな

Love me tender, love me true

Never let me go

Oh my darling, I love you

だまされちゃいけねぇ

何やってんだー、偉そうに

世界のど真ん中で

Oh my darling, I love you

長生きしてえな



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はる 3943 - 2012.04.12(ポケットの窓から)

はる 3943
 今日は年金の手続きに近くの社会保険事務所に出かける。それにしても保険などというシステムはある意味ねずみ講みたいなもので、上手く回っている時はいいけれどいずれどこからかひずみが生じて破綻するのじゃないかな。その証拠に保険の説明書はどれを読んでも簡単には理解できないようになっている。どこかで誰かが本当のことを言ってしまえば成り立たないシステムだからなんだかんだと持って回って胡散臭い講釈がされているように勘ぐってしまうのは私だけかな。

 六十前から「年金定期便」だとか「特別便」だとか何回も同じような書類が来てどれを取って置けばいいのやら、どれが大事な書類なのかさえ分らない状態だ。特に私など複数の仕事を転々とした者にとってそれぞれを違う機構で確認しなければならないのでとても煩雑だ。

 多分今日一日では済まないだろうと予測はしていたが、案の定書類の不備を指摘されて関係機関に裏づけ書類を請求してまた何日か待たねばならないことになった。私が就職していた期間は学校の先生であった時期を合わせても高々二三年のことで、これでもらえる年金は本当に微々たる金額だ。そんな半端なお金の為にこんなに面倒な手続きを強いられるなら、えぃいらねーやと啖呵をきっりたいところだけれど、断ってもだれも褒めてはくれんだろうから、ありがたくいただく事にする。

 今でこそ年金年金と日も夜も明けないような大論争のテーマだけれど、我々が子供だったころは年金など公務員だけのものだった。恩給っていったかな。だから公務員は給料が低くても恩給があるから老後は心配ないからいいね、などと言ってたわけだ。普通の会社員じゃ退職金もらってそれでお仕舞いじゃなかったかな。とくに国民全てが年金をもらえるなどという国民年金のシステムはそんなに古いものじゃない。だからまだまだ過渡期だな。こういった計画的に将来を見通すという政策は上手くないからな。どうなるのかわからないぞ。

 もっとも私などの仕事は国から保障されるような仕事をしているわけではないので、最初っからほとんど当てにはしていない。反対に芸人が芸で身を立てないで補助金などで生活が安定してしまうとだめなような気がする。よく文化政策みたいなもので補助金や援助金で何かイベントみたいなもので盛り上げようとすることがあるけれど、ほとんど失敗するね。なぜなら補助金目当てのイベントみたいなものは一過性のもので、何の必然性も無いから根付く事はないんだよな。芸人は芸を売って食ってゆくべきでね。それが嫌じゃ最初っからやめることだ。

 と好き勝手なことを書きました。すみません。眠くなったのでまた明日。


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はる 3942 - 2012.04.11(ポケットの窓から)

はる 3942
 一夜明けて、今日は今学期初の授業。一ヶ月以上授業をしていなかったことになる。


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no title - 2012.04.10(ポケットの窓から)

はる 3941
 いよいよ誕生日を迎えました。晴れて還暦です。何となくほっとしたのは長年の鬼門を封じたというところから来るのかな。縁起担ぎはほとんどしない主義なんだけれど、知らず知らずのうちに気にしていたのかもしれないな。

 ということで、ここからまた一から始まります。よろしくお願いします。


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天職とは何か? - 2012.04.09(ポケットの窓から)
 
還暦スペシャルケーキ
ありがとう。
はる 3940
 いよいよ秒読みになりましたね。還暦に必要以上こだわるのは前にも書いたけれど家の事情による。というのは祖父さんも親父も59歳で亡くなっているからなんですね。五人兄弟の上から四人までは難なくクリアーしたと言う事は、家系的に最後の私がこの呪いを背負っている訳で、私がこれをクリアーしてチャラにしたかった。まぁ多分クリアーできるでしょう。

 60歳と言えば客観的には初老だよな、いくら若ぶってもどうあがいても若くはない。最近じゃ60なんてまだまだ元気で隠居なんてとんでもないという御仁も多いけど、それはそれ別にしょぼくれて老人らしく生きろとはおもわないけれど、事実は事実としてしっかり認識しろと思うわけだ。

 私もよく使う言葉だけれど「自分探し」。これってらっきょの皮みたいなもので、むいていったらその中に確実に核になる芯があるわけじゃないんだよなと最近よく思う。それとやや関係するんだけれど、自分のやりたいことを見つけて仕事にするのが一番幸せなんだよという幻想だな。自分のやりたいことなど18や19で見つけられる奴などほとんどいないのじゃないかな。いや本当いうと一生かかっても自分なんて分らない、何が自分に適しているかなど誰もわからない。

 人には誰にも天職というものがあって、それを探すのが幸せになる近道だというような惑わせるような分りやすい話をする人がいるけれど、これもまやかしだな。それを信じて天職を探している人は多分たどり着く事はないだろうな。

 よく言われるように自分というのは五円玉の穴みたいなものだ。確かに有るのだけれど無い。穴が有る事を証明するには五円玉の地の部分がいる。地の部分というのは結果なんだよな。こう働きかけたらこういう反応が出てきたという結果なんだよな。穴の部分だけいくら覗いても何もでてきやしない。何もないからだけど、じゃないかといわれれば確かに有るんだ。

 仕事というのはそうやって自分に負荷をかけてどういう反応が出てくるか、そのことでおぼろげながら自分を推し量ってみる道具みたいなものじゃないかな。五円玉の地の部分が分ればそれでいいのさ。

 この仕事というのを絵に替えればそっくりそのまま何故絵を描くかという質問の答えになる。


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ねがはくは花のもとにて春死なむ - 2012.04.08(ポケットの窓から)

はる 3939
 少し遅れていた桜が満開になった。今日は地域の花見の会があった。酒も飲まないのにお祭りはけっこう好きだな。じいさんばーさんたちがカラオケで楽しんでいた。昔はうんと毛嫌いしていたこういった集まりだが、最近は一緒になって楽しんでいる自分を発見して驚いている。そのうちカラオケの稽古をしてデビューしようかな。そうそう私も後数日で爺さんとなる。めでたしめでたし。写真は近くの公園の形のいい桜。満開の桜を見るとなぜか泣けてくる。日本人のDNAの中に何かあるのかもしれないな。

 ねがはくは花のもとにて春死なむ

    そのきさらぎの望月の頃 (西行)


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no title - 2012.04.07(ポケットの窓から)



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はる 3937 - 2012.04.06(ポケットの窓から)

はる 3937
 新しいパネルが来た。これはほんの一部。こうやって見てる分にはこれからどんな作品が生まれてくるのか分らない。楽しみでもあるし、まぁちょっと苦しみでもある。

 


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no title - 2012.04.05(ポケットの窓から)

はる 3936
 いつもでもないけれど、何か新聞でも読んでいたときにあぁ今日はブログにこれを書こうとおもってメモる習慣がついた。何も思いつかなっかた時にはそこから文章を始める時がある。しかし、大体がその時は面白いと思ったことが、しばらくするとどうでもいいことだなと思えてくるから不思議だ。こうやって何を書こうかと書きながら考えている方が私にとっては面白い。

 いまでも「就職しないで生きる方法」などという検索項目で私のブログに来る人がいる。今ちょっと調べたら「就職しないで生きるには」というタイトルの本が81年に出ています。これなかなかそそるタイトルですよね。ハウツーものと思って読むとがっかりします。考え方の本ですから直接的には何も参考になりません。

 よっぽど働く事が嫌いだったのか、仕事をするとは何なのかということをよく考えた。そういうと凄く不真面目にちゃらんぽらんに仕事するように聞こえるけれど、バイトなどでもいったん雇われると一生懸命やって雇い主の受けはすこぶるいいのだよ。そのことをまた別の話だ。

 色々考えた結果、何が幸福かは置いておいて、就職するか、商売(物を売買)するか、乞食になるしかない。百姓も作物作って最終的にはそれを売って収入を得ると考えると形は違うけれど商売だ。乞食はなるものじゃないのかな。なってしまうものか。世の中の人が捨てたものを拾って食ってゆく。最後のプライドを捨ててしまえば案外簡単になってしまうものかもしれないな。

 眠くなったのでもう寝ます。


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はる 3935 - 2012.04.04(ポケットの窓から)

はる 3935
 朝一番の電話で悲しい知らせがあった。あなたの声はもう聞けない。何かできたかもと思うとよけいに悲しい。思い出してやる事ぐらいしかできないのかな・・。ご冥福をお祈りします。

 


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技術革新と手仕事 - 2012.04.03(ポケットの窓から)

はる 3934
 今日も大風が吹いた。日本海発の低気圧はあまり聞いたことがない。普通の台風は熱帯性低気圧でわりとなじみ深い、今夜のものは寒冷前線の特殊なものらしい。まぁ大げさに言うほどでもなかったようだ。

 内田樹がブログで面白い事を書いていた。仕事の話。この件に関してはまた書きたい。
http://blog.tatsuru.com/2012/04/02_1306.php

 仕事に関しては随分と考えてきたつもりだ。そういえば大阪の大学の卒論のテーマが「技術革新と人間性疎外」などという、とても工学部の経営学科の卒論とは思えないようなテーマの作文だったな。今から考えるととても人様に語って聞かせられるような代物ではなかったけれど、考えていたことは今とあまり違わないように思うな。

 要するに産業革命以後人がやってきたこと、人が手仕事としてやってきた効率の悪い仕事を、如何にして手っ取り早い効率のいい機械的な仕事に移行するかということだったんだな。そうやって突き詰めて考えると効率がよくなればなるほど仕事としての面白みはなくなってゆくわけで、工業の経営という、いずれにしろ利益を追求する立場から考えると、効率アップを考えてゆけば従業員の「やりがい」を削ってゆくということになるし、「やりがい」を重視すれば効率が落ちてゆく。そういったなかで一番お互いにいいベストな方法を考える(適正な科学的経営)ORというのが、この学科の存在の意義だったんんだけれど、私は資本主義社会で利潤を追求する会社である限り無理だという否定的な考察を書いたように思う。なぜなら企業側から見て労働者は機械の一部のようなものでしかないからだ。しかし、あのような作文が卒論として受け付けられたと言う事自体がありがたい時代だったのだろう。

 ということで、私は働くならば職人的な仕事をしたいと思った。当時はリクルート全盛の頃で、まだ就活などという言葉はなかったけれど、夏休み前になると友達は紺のスーツを着て就職活動に会社周りしていた。私が四年の時にオイルショックがあってかなり不景気にはなったのだけれど、私にはどうでも良かった。大企業に就職するつもりがなかったからだな。生意気にも企業の生産管理の戦略にははまりたくないというのが当時の結論だった。

 まるで自信はなかったのだけれど京都の友禅染めの職人か焼き物の絵付けの仕事ならなんとか今からでも修行すれば出来るかなと、兎に角最初は通い週何回かのバイトで始めた。勿論まだ学生だったのでたまには学校に行かねばならなかったからね。どちらが本業か分らんようないい加減さだ。だから卒業したという実感もなにもない。卒業式にもでなかったし、卒業できたかどうかも知らなかった、電話かけて証書だけ随分後でとりに行ったのを覚えている。

 京焼きの絵付けの職人見習いという形で、東福寺近くの窯元で働かせてもらうことになった。陶器の絵肌に泥絵の具で絵を描いてゆくという触覚的な感覚は今とあまり変らない気がするなぁ。焼き物の絵付けというのは下絵付けというまだ本焼きをしていない素焼きの下地に直接泥絵の具で絵を描いてゆく大雑把な方法と、上絵付けといって本焼きが終わった上に赤絵や金や銀などの華麗な装飾を施す形と二通りある。どちらも好きだったが、一度火の中という神の領域を通ると全てがよく見える。

 いずれにしろ、がさがさした地肌の上に金や赤色を筆で直接絵を描いてゆくというのは今のスタイルに間接的に影響している。


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私の画法 - 2012.04.02(ポケットの窓から)

はる 3933
 私の絵はミクストメディア(混成技法)などと言われる。何回も書いたけれど、これこれと決まったやり方があるわけではない。便宜上油絵の具で描けば油彩画というし、水彩絵の具で描けば水彩画という、岩絵の具で描けば日本画という。で、疑り深い私は何々画というのは絵を描く人間が言い始めたのではなく、例えば絵の具やさんが画材を売りやすくするために便宜上区別するためにつけたのではないかと思うのだな。

 もともとこれこれを日本画だと決めたのは多分美術学校が出来て、西欧風の絵を洋画=油彩画といったので従来の絵を便宜上日本画としたのではないだろうかね。間違っているかもしれませんが・・。でこれもまた絵を描く側から言った事ではなくてまわりの人たちが便宜上区別するために洋画、日本画と分けたように思うな。

 一度これが洋画だ、これが日本画という風に決まってしまうと、あたかも有史以来伝統的に日本人は日本画を描いていたように勘違いする。それ以外は認めないと言うようなかたくなな人たちも現れる。でもなぁ、考えてみると有史以来人間は絵を描いて来たんだけれど、これは日本画とか洋画だとか意識して描いてきたわけではない。ただ単に身近にある材料で、描きたいように描いてきただけじゃないだろうか。

 今は画材があふれている。画材やに行けばほとんどなんでも手に入れることができる。パソコンによるバーチャルな表現方法も可能なわけで、そんな事を考える反対にたくさんあるがゆえに選択に迷ってしまうということになる。

 私は思うんだな、今ここに鉛筆が一本あったならばそれで何とか表現しようとするだろう。ここに水彩絵の具があればそれを使うかもしれない、パステルがればそれを使う事はちゅうちょしない。ペンキがあれば大量に使うときは便利だ。奇麗なプリント模様の布地があればそれを貼りこむ事はウキウキする作業だ。土は身近にある絵の具みたいなものだ、それも使ってしまえ。墨汁は一番手ごろな絵の具だ、うんと薄めて描いても使えるし、にじんでもぼかしても自由自在。ボンドを混ぜればどこまでも便利な画材だ。高級な絵の具で描けば高級な絵が描けるのかな。私は「あるもので何とかする」これが私のミクストメディアだと理解している。


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はる 3932 - 2012.04.01(ポケットの窓から)

はる 3932
 昨日若い友達と話しをしていて気がついたことがあった。しゃべりながら段々とそうだそうだそうなんだと確信していった。

 その友達は今職場に不満を持っている。どんな不満かと言えば上司に対する不満をぶつぶつつぶやいていた。大体あまりそういったことを言わない奴だったので、まぁそうとうまいっているんだなとは感じた。私はサラリーマンをしたことがないのでそういった職場の不満みたいな事はよく分からないし、私に何かしらのアドバイスを求めてきたわけではないので、まぁ気楽に無責任な話をした。

 蟻の社会というのは面白くてしっかりその役目の分担が出来ていて、例えば働き蟻は全体の何%で兵隊蟻は何%という具合に秩序が出来ているそうだ。ところまじめにこつこつ働くモデルのように言われる働き蟻の社会も、実際に調べて見入ると実は何%かの(なまけ蟻)がいると言うのだな。これは実に興味深い。

 そしてもっと興味深いことは、その(なまけ蟻)を排除すればもっと効率よく仕事できるかと言えばそうではなくて、残った働き蟻の何%かは(なまけ蟻)に変ってしまうと言うんだな。

 このことは何を言っているのかというと、社会の構成パターンというのは大体決まっていて、例えば自分の属している組織において(好きな人70%、嫌いな人30%)ならば、その比率は多分変わらないだろうということだ。例えば(嫌いな人)を排除したとしたら(好きな人)ばかりになるかといえば、そうはならなくて(好きだった人)のなかから嫌いな人が同じ確立で出てくるということだな。面白い。

 それを少し進めると、こんな事にならないか。人は全てが善人などと言う人はいない訳で、どこかしら不善を抱えている。例えば私は(善70%、悪30%)だとする。この比率は多分物心ついた頃から変らないのじゃないかな。今の私も多分同じ構成で出来ているし、これからもそう変らないだろうということだ。

 何だか奇妙な話しになってきたので、又明日。


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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