no title - 2012.03.31(ポケットの窓から)
はる 3931
今日はかなり強い風が吹いている。昔ここに来て初めて冬を体験して驚いたのは北風が凄いことだ。まるで台風のようにゴーゴー音をたてて吹き荒れる。
世界スケートを観る。
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はる 3930 - 2012.03.30(日記)
はる 3930
また、シャメの画像が上手く貼り付かない。よって今日は画像がありません。
三月も明日でお仕舞いです。いつもの事ながら毎日が飛ぶように過ぎてゆきます。いよいよ誕生日までカウントダウンになって来ましたね。よく新聞広告などで50代に見えない主婦とか、60代に見えないおじさんなんかが恥ずかしげもなくコマーシャルに出ているけれど、若く見えるというのが嬉しいのかね。ふけ顔の私が言っても説得力はないのだけれど、年相応の経験を積んだ顔の方がいいと思うのだけれどね。負け惜しみじゃなくそう思うのだよ。若いということはそりゃ確かにいいことも多いけど、ある意味未熟であるということだからね。実際に若いというのじゃ仕方ないけれど、いい加減歳食って未熟者ぶって嬉しいのかね。アイドルじゃあるまいしね。
とうわけで、またあした。
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はる 3929 - 2012.03.29(原発)

はる 3929
昨年の3・11に大地震があって、素人ながら一番心配したのは津波の事もそうだが原発がどうなるかと言う事だった。私のような素人で普通に暮らしている人間でさえ、まず原発のことを心配した。多分このままコントロールが出来なくなって最悪の場合チェルノブイリのにの前になるのではないかと危惧した。ブログの原発のカテゴリーをクリックすればその当時の様子がよく分かる。
http://asobibe.blog.fc2.com/blog-category-12.html にもかかわらず、専門家と言われるこれでお金を貰って生活している人たちがそれ以前から、その後まで全く仕事をしていない、していなかったと言う事が非常に腹立たしい。まぁ今更何を言っても始まらないし、誰かをつるし上げても意味ないことというのはよく分かるのだが、それにしても官僚とか、一部のエリート企業の幹部とか、マスコミや政治家というのは、罪の意識もない。又全く同じ過ちをおかすだろうな。いまが千歳一隅のチャンスなんだけれど、だめだ。
特に大手のマスコミの責任は大きい。今頃になって政府の発表や起きてしまった間違いを声高に非難しても、倒れてしまった人を調子に乗って蹴り倒すみたいなもので、弱った人をよってたかって蹴り倒すのは簡単な事だな。誰も反対しなかった時に堂々と反対の意見をキャンペーンを打てよ。自分の独自の意見をデーターを書けよ。政府の発表を共同記者会見で聞いて発表するなら小学生の放送部みたいなものじゃないのか。
今回感じたのはあぁこうやって世論はコントロールされるんだ。大政翼賛会のような共同記者会見。みんなあれが正しい発表だと信じていたものナ。政府は嘘つかないと根っこの部分では信じたがっていたもの。みんな大嘘だった。マスコミは責任取れよ。懺悔しろよ。謝れよ。さも自分たちは正義の味方みたいな顔するなよ。
まだまだ我々は人間として一番大切な誇りというのか気概というのか、自尊独立して自分の意見を堂々と言うという大人になっていない。自分の意見を言うとことは人の意見も聞くということであって、何が何でも馬鹿呼ばわりしてけんか腰に自分の意見をごり押しすることではない。議論と言えば人と蹴倒して自分の意見を『押し通す人ばかりだ。これだとまとまる話もまとまらない。会議など開く必要はないのだ。全くの子供みたいなものだ。
一番大事なのは「読み、書き、話す」という基本的なことであって、まずそこらあたりからもう一度やり直す必要があるのじゃないかな。これが出来ないが為に、つまるところ同じ過ちを何度もおかすのだ。あぁなさけない・・。
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はる 3928 - 2012.03.28(ポケットの窓から)
はる 3928
昨日は今年高校を卒業した連中が飯を食いにやってきた。一人は身長が188cm、もう一人も180cm近くもあってどうも同じ人種とは思えない男たちだ。彼らが家に入ってくると我が家はドールハウスのように見える。調子に乗って同じように食ったら、今朝は消化不良で調子悪し。彼らは確実に今成長期で私は老人なんだろう。
彼らを見ていて自分の若い頃を思い出していた。
大阪の大学にいた時は色んなバイトをしていた。学校の近くに何人かで共同の下宿を借りてマージャンをしたり試験の前に泊まり込んでノートを写したりして便利に利用していた。私は管理人として常備そこに住んでいた。だから下宿代は只だったけれど、色々な生活費を稼がなければ下宿生活が維持できなかった。実際無理すれば家から通う事が出来る環境にあったわけだから、強引に家を出た手前、親から援助してもらえる状態ではなかった。
今だから言えるのだけれど、兄弟で一番したという立場は順番で行けばいずれ私が家に残る事になる。小さい時は兄弟が多くてそれも楽しかったのだけれど、一人抜け二人抜けして家の中が段々にもぬけの殻のようにスキスキになって寂しくなってゆく。若いどうしようもない馬鹿者はそれが耐えられなかった。干渉されたくない、合法的に家を出るにはそんな方法しかなかった。
バイトして自力で生きてゆくということだけで面白かった。大して稼いでいたわけではないけれど、食って寝て暮らしてゆくぐらいは稼ぐ事はできた。擬似的な社会人だな。三年ぐらいになるとほとんど学校に行かなかった。昼間は証券会社でバイトしたり、今じゃけっこう有名な女性ブランドの洋服やさんとか、ガソリンスタンドなんかもやった。夜はジャズ喫茶で働いた。将来ジャズ喫茶やりたいなぁと考えていた頃だな。
四年生になった頃少しずつお金を貯めて、大阪の下宿を出た。京都と大阪の間に住みかを見つけた。今の八幡市だけど、当時は石清水八幡宮のある由緒正しいひなびた村だった。駅からバスに乗って20分ぐらいの大きな農家の物置小屋のようなところを貸してもらった。一応風呂とトイレは独立してついていて、小さな台所もあった。周りは全て田んぼと畑の純粋など田舎だった。ここから京都の焼き物屋さんに通う事なる。
続きは気が向いたら書きましょう。
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自動演奏、本物か? - 2012.03.27(you tube)
Animusic - Acoustic Curves
Animusic - Pipe Dream 1080p
Intel Pipe Dream.
これは実写です。
はる 3927
少し前に一番上のビデオを見た。最初実際にこういう機械があってリアルに演奏しているのかと勘違いしてびっくりした。実際にあるのなら是非一度見てみたいものだと思った。しかし、よく見ると何だか少し出来すぎている。で、さらに観察するとこれはアニメーションであった。アニメならこのくらいは簡単なものだろう。
その次に同じようなアニメを見つけた。これもアニメだろうと半分ぐらい見て興味を失った。
ところが、今日三番目の映像を偶然みた。あれ、前と同じ音楽を実際に機械的に演奏している。よく見ると前の映像のように小さなボールが鍵盤を叩いて音を出しているんだな。これには驚いた。こんなことを真剣にやっている人がいるんだね。
現代音楽の手法にミニマルミュージックという方法がある。あまり詳しくはないのだけれど、簡単に言えば同じパターンを機械的に繰り返す、それで何か陶酔的なのめり込みを感じる音楽に仕立てる方法だ。昔のテクノポップあたりから大衆化して最近では携帯の着信なんかもそういったパターンが多いのじゃないかな。
無機的な音楽というのはどうしてもそういった人を惑わすような気がするな。
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no title - 2012.03.27(ポケットの窓から)
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no title - 2012.03.27(ポケットの窓から)
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no title - 2012.03.26(ポケットの窓から)
はる 3926
何も書くことが浮かばない時、昨日のブログを読むと何を問題にしていたのか意識を戻す事が出来る。ここのあたりが最前線のテーマで一番臨場感がある。しかし、あまり後ろに戻ってもいいネタは浮かんでこない。その当時は最新の一番ホットなネタでも、時間がたては不思議な事に腐ってしまう。話のネタも鮮度が一番大事ということだ。だからいずれ役に立つと大事に仕舞い込んでいたアイディアなどすぐに陳腐なものになってしまうのだ。
そう少し前に自分に何か才能があるとするならこの「あるものでなんとかする」という才能だと言う話をかいた。期せずして
昨日ブログを書いていて同じことフレーズを使った。
書き出したら眠くなったので又明日だな。
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はる 3925 - 2012.03.25(ポケットの窓から)
はる 3925
イノうえ・ナおひさのイバラード日記
http://megezo.ddo.jp/inoue/tackynote.cgi?action=view&year=2012&month=02&day=02&no=1196#1 より勝手引用
***********
絵の描き方で、僕のやり方が大方の人と違っているのは、
完成形を決めずに描き出すことではないかと思う。
描きながら作っていくのである。
だからアイデアが無いから取りかかれないと言うことは、無い。
と言うより常に、描き始める時にはどんな絵になるか分かっていない。
それで描いていって、最後までアイデアが出なかったらどうなの? と、
聞かれるかも知れないけど、僕は野球の試合みたいに思っている。
お芝居には台本、絵で言えば下書き、があるが野球にはない。
でも本気で取り組んだ試合には、たとえ草野球でもかならずドラマがある。
むしろ、決まりの構図――台本通りのお芝居――でと言われると、
僕には面白さが半減する。5割の楽しみになってしまう。
写生の場合は、自由に作る絵の七掛けくらいの楽しみかな。
モチーフによって、こんなの描けるかなぁ・・・・と言う時は面白くなる。
*********
いのうえさんの描き方と絵柄も全く違うけれど、言っている事はよくわかる。たぶんあれを描けこれを描けと注文されると描けなくはないが、面白いと思っては描けない気がする。以前何回か地方の新聞小説の挿絵を描いたけれど、これはこれで不自由さが発想の元になって面白かったのだけれど、どこに向うのかというそういった面白さはない。
物を見て描く面白さは充分に分る、がそればかりやっていると見ないで描くということがいつまでも出来ない。物を見ないで描くというと誰でも漫画家がすいすい何でも見ないで描くのと同じように思うかもしれない。ちょっと違う。小学校の頃クラスに一人や二人こういう空想画が得意な子供がいた。あれはある種特殊な能力だと思うな。まぁそういった連中の中から日本が誇るアニメーターが出てくるのだろう。
私が言う見ないで描く絵といのはそれとも少し違う。多分私はそういったないものを空想によって描き出すといった能力はない。もっと具体的にたくさんの線のなかから必要な線を見つけ出す、いたずらがきのなかから欲しい形を見つけ出す、汚れた画面から何かを見つけて物語を作る。ここでも使っている能力は「あるものでなんとかする」という能力ではないかな。
何かを見て描く、アイディアスケッチから下書きをして本画を描く、まず下絵を作ってというやり方だと多分ネタは尽きてしまうだろう。どんなに充分にアイディアをストックしたとしてもストックしたものはいずれは尽きてしまう。これはいつも言っているブログのネタ探しとよく似ている。
ネタは絵の中にある。
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はる 3924 作品過程 - 2012.03.24(ポケットの窓から)
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「あやつりびと」
F8
はる 3924
作品の制作過程を載せました。まぁ何というのかいい加減を絵に描いたような描きかたで、こんな制作過程はアップしない方が作家のイメージがいいようにも思うのだが、ここはそれ私はみんなばらしてしまうのだ。それもこれも含めて私だから、それで呆れてはてて幻滅したならごめんなさい。
1と2は昨日説明しました。今日は3から、腰掛けている人物を白い衣にする。胡粉を薄く乗せたのだが、上手く行かなかった。いろいろ手を加えたけれど何ともならない。ここを脱出するにはこの人物を潰してしまうしかない。大きな人物はいいのだから。と言うわけで新しく小さな布を貼る、4番です。ここでジッと見ていると新たに大きな人物が「おおいなるもの」に見えてきた。それでその大いなる者が小さな人間を操るようなそんな物語もいいかなと、マリオネットをかきくわえることにする、5,6番7はその操り人形の部分。
これで終わるかどうか、しばらくまた様子をみます。
何に一番気を使うか・・・なんだろうか。パッと見たときに「これはいい、だめだ」が決まる。それはある種のひらめきのようなものだけれど、これがなければ壊す事も作る事もできない。それは永い間に培ったものということもあるけれど、これはまぁ持ってきたもののような気もする。これがなければプロにはなれないのじゃないかな。
色んな作家がそれこそ星の数ほどいます。みんな出来るだけ自分の事を見つけてもらおうとあの手この手で売り込んで行きます。皆さん何か持っているんですね。けれどそれを見つけて『これでいい』と言ってくれる人はたったの一人か二人ですね。その人とめぐり合えば何とか作家としてやってゆけるかもしれないし、まぁそれでもだめかもしれない。確実な事はなにもありません。でも賭けなければ見つけられることもないのです。そこのところが難しい。
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no title - 2012.03.23(ポケットの窓から)
はる 3923
昨日アップした上の絵と今日アップした下の絵はよく見ると似ていますね。そのはず同じものですから。上の方もその昔違う絵だったんです、その名残りが左の方に見え隠れしています。一枚布を貼りました。その上から金泥を塗りこんだんですな。白く光って見えるところは金で光が反射して白っぽく見えるのです。
上の方をじっくり見ていると老夫婦が大きな樹の元でたたずんでいる姿が浮かんできました。だからタイトルも「大樹」にしようかと考えていたんです。ところが一日経ってみるとこれがつまらない、ありきたりな絵に見えてきた。で、いったん薄く「砥粉」をかけて壊してもう一度見直すことにする。
そうすると、樹に見えていたものが左手を大きく広げた人物に見えてきた。老夫婦に見えていたものが座った人物のひざに見える。こうすると少し疲れてほほ杖をつく人物にやさしく手を差し伸べる大きな人という形になる。これもまだかわるかもしれない。まだまだ途中だな。こうやってふらふらと寄り道しながら絵を探してゆく。私が描いたというのか、出てくるのを見つけたというのか、いい加減だな・・。
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はる 3921 - 2012.03.21(ポケットの窓から)

はる 3921
今日は何も浮かんでこないので、まぁ思いつくまま書いてゆこう。いつものことだけれどね。
一般の人が絵を欲しいと思った場合、どこで購入するのだろうか。まぁ普通に生活していて絵が欲しくなる場合と言うのは新しく家を買ったとか、何か祝い事で誰かにプレゼントするとか、自分たちの記念にするとか、そんな場合が多いかな。初めて絵を買うとした場合、けっこう勇気がいる。まして街中の画廊などなかなか入っては行けない。好きでもないとんでもなく高額なものを押し付けられるのじゃないか、どこか胡散臭い雰囲気が画廊には付きまとうよな。よほど通いなれていないとね。
画廊にも大きく分けて二通りがある。一つはよくある貸し画廊で趣味で絵を描いている方などが場所を借りて作品を発表するそのためのレンタルスペースとしての画廊と、既に歴史的な価値が決まっている芸術品から今売り出しの新進作家などのプロの作家の作品を売るための商業用の画廊だ。ふつう前者は知り合いが展覧会をやっていたりしてわりと入りやすいし、それに比べて後者の画廊はかなり敷居が高い。
それで、絵を購入したいと思った場合、どうするかといえばデパートの画廊にでかける場合が多いのじゃないかな。なぜなら見る目がない一般の人が買うのはデパートという信用であって、この有名なデパートがいい加減な作家を扱うわけがないだろう、それに価格がオープンであって見るだけでも全然平気だし、店員が近寄ってきても適当にあしらう事も苦にならない。そんなお手軽さでデパートの画廊を利用する。
まぁ実際にデパートで個展を開催している作家が言うべきではないのかもしれないが、はっきり言って絵は個人の画廊で買うべきだろうな。敷居が高ければ買わなくてもいいから何回も通って馴らしてしまうことだろうな、絵みたいな本当に個人的な趣味というのか価値感の左右するものはそうやって買うものだろう。洋服をかったり靴を買ったりするのとは訳が違う。
だからデパートの画廊もこれからは大きく分かれるだろうな。一つはインテリアとしての軽いカルチャーを売る画廊と、それこそ街の画廊のように企画者の好みや主張がはっきり分るような展示画廊というふうにね。でなければ生き残っては行けないだろう。
さて私はどうするのか?ということだな。まぁここでもどっちつかずの優柔不断路線なんだが、心情的には街中の画廊派なんだけれど、都会のど真ん中のお洒落なデパートの画廊に、インテリア絵画ばかりのその中にぐっと気持ちをつかんで離さないような作品を持ち込んで、あぁこんな絵がいいなぁと思わせたい、意識を変えたい。そんな風にも思うんだな。
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はる 3920 - 2012.03.20(ポケットの窓から)
はる 3920
子孫がないからいずれは無縁仏になってしまうのでお墓などいらないのだが、まぁ人様の記憶の中にいなくなればそれできれいさっぱりお仕舞いです。そんな事を書いたら賛同する御仁が現れた。で、戯れにHPはバーチャルな仏壇だなど書いたら、我ながらこれは名案だなぁ。
墓地を買ったら管理や維持が大変だ。草も生えるしね。兎に角その場所まで行かねばならない。それにそのお墓にはほとんど何の思い入れもないわけだ。生前の思い出などそこには何もない。ただの目印の石みたいなものだ。宗教的なこだわりがなければね。生きている間に親しんでいるわけでもない。
それに比べるのは違うのかもしれないが、こうやって本人自らが毎日更新している日記があったり、何より今までのほぼ全ての作品があって、その人となりがある程度わかるようにまとめられているHPというのは、本人に一番近いものじゃないかな。
ブログはいずれなくなってしまうかもしれないが、HPというのはレンタルしているサーバーを適宜移せばほぼ永遠に存在できる。年間の管理維持費が¥1500円だからこの上なくお安くできる。永代供養などいらないから永代レンタルサーバーというのを誰かやってくれないだろうか。そうすれば私はHPのサーバーをそこに移します。
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はる 3919 - 2012.03.19(ポケットの窓から)
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裸婦クロッキー12/03/18 - 2012.03.18(裸婦クロッキー)

はる 3918
久しぶりにクロッキーに出かける。個展があったり会場が取れなかったりで、三ヶ月ぶりということになる。前半はまったく腕が動かない。何枚目かに少し兆しが見えたけれど、またどこか遠くのところに行ってしまった。今回は全くいいクロッキーはありません。しかし、まぁ言い訳しても始まらないので晒しておきましょう。
クロッキー仲間に毎回熱心に通ってくる爺さんがいる。この方は小学校の校長先生を最後に勤め上げて、それから趣味の絵を本格的に開始、最近は絵三昧の日々でとても幸せな人生コースを歩んでおられるように思う。なんと年齢を聞いて驚いた。83歳だという。
もう一方同じように熱心に通っておられる80歳の方と昼休みに鼎談。「ぼけた人にはぼけているという実感はあるのか」どうか。ピンピンコロリの方法などなどうかがう。還暦などまだまだひよっこみたいなもので、人生はこれからだという有意義なお話をうかがった。がんばりたいと思う。
まぁ色々な宗教が死後の世界などをさも見てきたように説いてはいるけれど、私ははっきり言って死後の世界などしんじてはいない。反対に死んでからも色々と惑わされるのは真っ平だね。死んでしまえばそれでお終い。THE ENDです。それでいいのです。命ある限り精一杯生きて、生涯現役で絵を描いて発表して行くつもりですが、それも健康である限りですね。
死後の世界はないけれど、私と関係するする人の記憶のなかに生きているわけで、それがまぁ死後の世界だと言えばいえるかもしれませんね。それでいいのです。恨みっこなしで奇麗にさっぱりと消えてしまいましょう。
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はる 3917 - 2012.03.17(ポケットの窓から)
はる 3917
絵を描き始めた頃に仲間と将来展望の話しになった。けれど、誰もまともには答えられなかった。絵描きなどというのは職業ではなく、特に若いうちは、みんなアルバイトか適当な不定期の仕事をしながら絵を描いていたわけで、将来の為に蓄えて置くとか、それこそ年金をまともに払ってゆくなどと言う事はほとんど不可能だった。
それでは将来どうやって暮らして行こうとと考えていたのか?と真剣に問われると凄く困ってしまうのだが、考えていた事は兎に角絵を描いてゆくのだということだけだったのだ。これをやったから将来明るい展望があると言うわけではない。もし将来がどうしようもなく不安で仕方ないというのであれば、こういった生き方は選べないわけだ。
また関西の芸人の話しになるけれど、上岡龍太郎がこんな事を言っていた「芸人もやくざも根は同じで、結局はまともに働きたくない、楽したい、それでもカッコつけてハッタリをかましたい、という社会的にはクズみたいなもので、いい時にはみんなちやほやされるけれど、将来は野垂れ死には覚悟するんだな」
私などはそんなに覚悟して始めたわけでもないけれど、兎に角就職するかどうか、定職を持つかどうか、が分かれ目だな。就職する事で多くの場合社会的に義務と責任がでてくるけれど、反対に成員として守られる。定職を持っていないとある種の信用がない。銀行で借金もできない。だから、えかきなどやめておいた方がいいだろう。
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はる 3916 - 2012.03.16(ポケットの窓から)
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はる 3915 - 2012.03.15(ポケットの窓から)
はる 3915
F20号の画面ですが、何か見えますかね。何時もだいたいこんな調子。ゴロゴロやっているうちに何かが立ち上がってくればそれもよし、だめならだめで又一から出直しということになる。
漫才師の上岡龍太郎が言っていたけれど、「低俗番組ていうけれど、それを観るあんたが低俗なわけで、全て観る側の身の丈にあった判断しかできひん」今頃になってよく分かる。私がHPの重要なメッセージとして掲げている青山二郎の『美は発見である」と同じ事だ。
時々伺うブログのなかでこんなことが引用されていた。
http://kikkawaharumi.blog68.fc2.com/blog-entry-1484.html
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「作品の量は問題ではない。売れる売れないも問題ではない。彼や彼女は書くから作家である。作家は書きながら生きている」
出典:雑誌「madame FIGARO japon」2012年4月号掲載
著者:木部与巴仁氏がジョン・アーヴィング著『あの革のほとりで』について書いた書評の冒頭の文章
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昔、画家・野見山暁治に「画家というのはどういうのを言うのですか?」と尋ねた人がいたが、「それを描きながら考えるのが画家だ」と答えた。その時はそんな鸚鵡返しの答え方でこたえになってないなぁと思ったんだけれど、今考えてみるとその通りだなと納得する。
絵だけで食べている人を画家だというなら、イラストレーターも漫画家も映画のアニメのセルガを描いているひとも似顔絵描きも画家です。デパートや街の画廊でよく見かけるまるで写真のような奇麗な風景や人物を描く人も画家だな。絵を描く事手を動かす事が好きで、人物に限らず何でもすいすい描けるだけの描写力があって,それを続けられる持続力があれば絵を描く職人として画家にはなれるだろう。けれど一般にこういう人たちのことをアーティストとは言わない。
大学の先生を始めとしてカルチャーや個人教室で教える事を生業にして、その合間に出来るだけ貸し画廊などで個展を開催する。あわよくばどこかの画廊で企画してくれるのを待っている。多くは全国規模の団体展の成員か準成員である。一年に一度その会に出品するために大きな絵を描いて気をはいている。彼らは自称画家ではあるが、限りなくアマチュアに近い、なぜなら絵は一点も売れなくても意向にかまわないわけで、自分のやりたいように描きたい様にやって行くというのが彼らの流儀で、そこのところにこだわりを持っている人が多い。多くのアマチュア画家はこのあたりを目標にしているようだ。自称「売れない画家」はある種の憧れでもあるわけだ。
私などはどうなんだろう。上の二つの両方の条件を満たしているけれど、元々は絵を売って食べてゆきたいと言う考えから始めたわけではない。何が何でも絵で食べて行くのだ!ということを目標にしてきたわけではない。食べる行くということだけ考えればもっと楽な方法があっただろう。サラリーマンになっても良かっただろうし、小さな商売をしても良かった。ただ働いて食べてゆくというだけじゃどんな意味も意義も感じないわけだ。
同じ生きるなら、どう生きてもいいのなら、自分がこれだと思うような生き方をして、それでだめじゃ野垂れ死にしても悔いはないよな。できたらそんな風に生きてみたい、それでえいやっと飛び降りたわけだ。売るとか売れないとか、これが芸術だ、あれがアートだと考えて始めたわけじゃない。始めた頃に言われたこと『絵なんかやってると人生棒に振るよ・・」棒に振ってもかまわないと思った。自分の人生と真っ向に向かい合って、リアルに生きてみたかった。そんなところからこぼれ落ちてきたものが、詩になって絵になって文章になる のだろう。
何故絵などやっているんだ。その答えは描く事のなかにある。最近はそんな風に思う。
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はる 3914 - 2012.03.14(ポケットの窓から)
はる 3914
今日は最後の今年度の最終授業。課題はもう全て終了しているし、成績もつけ終わったということで、生徒も先生もやる気はない。いつもこういった時には映画の一本でもみせてお終いにする。これは上のほうには内緒だな。
四月からまた新しい年度が始まる。還暦を迎えたという事でもないが、少しずつ授業も減らしてゆくつもりだ。手始めに来年度は一日減らして、昼間が一日と夜が一日。65ぐらいまでは来なくてもいいよと言われないかぎり行くつもりではいる。あんなに嫌いだった学校なんだけれどなぁ、全く辞めるとなると少し寂しい気がするのは不思議なものだ。非常勤などといういい加減な仕事だけど、30年もやったからな、そこそこ要領はつかめたのだろうか。生徒から見れば爺さん先生かな。上手くはないが、できる限り色んな話をしてやりたいと思う。
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はる 3913 - 2012.03.13(ポケットの窓から)
はる 3913
今の我々の置かれている環境というのは少し異常なくらい物があふれているんだろうな。子供の頃から考えても例えば自動販売機などというものは全くなかったわけだし、電化製品そのものも極端に少なかった。・・・又後で書けたら
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はる 3912 - 2012.03.12(ポケットの窓から)
はる 3912
絵を描くのに色んな技術が必要で、たまたまそんなことに興味を持ったものだから少し専門的なことも勉強してきた。といっても美大とか芸術大学に行ったわけではなく、ほとんど独学で習得したものだ。だから専門の教育を受けてこなかったというのがけっこう潜在的にコンプレックスになっていた。今更そんなことを言っても始まらないのだが、ここのところは正直なところだ。
反対に言えば絵画的に造形的に弱くて凄くアマチュア的なところがある。だからよく言うのだが、アカデミックな絵画も分るし、素人臭いアマチュア絵画のよさも分るニュートラルな感覚を持っているニューハーフみたいなものだ。どちらかと言えば文人画に近いのかもしれないな。最近はまったく造形的な絵画手法から離れつつあるきがしている。ほとんど絵日記に近いかもしれないな。もっともっと自然にそのままに描ければいいのになぁと思っている。
知ってしまったことを意識的に忘れる、意識しないでいるということは非常に高度な意志が必要だ。禅問答のような話だけれど、無意識の潜在意識のところまで降りてゆくことが自由にできればどんなものでも絵に出来るだろうし、絵でなくてもかまわないとさえ思っている。まぁ結局そうなりたいがための一種の修行のようなものだと思っている。
普通の人間は、なかなかアールブリットのように潜在意識のところまで行く事は出来ない。随分遠回りだけれど、始めのうちはアカデミックなデッサンから始めてやがて普通に描写できるようになる。ところがそんなところでは飽き足らなくなって、本当はそんな技術など必要ない世界を描きたいと思うのだが、持ってしまった技術は取り去る事は出来ない。描いて描いて描きまくっているうちにやがて年取って、自然に少々ぼけてきてやっと昔の子供の頃に戻れるのかもしれないな。
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はる 3911 - 2012.03.11(ポケットの窓から)

加島 査 個展
3/10~3/18
山梨市・ギャラリーパーシモン
05553-88-2039
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はる 3910 - 2012.03.10(ポケットの窓から)
はる 3910
地方の商店街はシャッター通りになって歩いている人もまばら、夜には得体の知れない外国人が闊歩する物騒な通りとなる。人通りが絶えて久しかった『銀座通り商店街」で、今までとは少し違った参加者が勝手に持ち込んだ色々なものを売る、限りなくフリーマーケットに近い大学際の模擬店に近いそんなイベントがあった。
カミサンが誘われて少し関係したとこもあって出かけてみて驚いたな。どこから湧いたのか、待っていたような大変な雑踏で久々の活気のある銀座通りを堪能した。こんなに寒くて雨も降っていたにもかかわらず、多くの人がわいわいと楽しんでいるようだった。やっぱり街には雑踏が必要だな。
考えてみると、昔から人々はお祭りを心待ちにしていた。何か目的があるわけでもない、ただ単に人が集まってワイワイと食べたり飲んだりしゃべったり、そんなことの為に遠くから集まってきたんだ。人が一番楽しいのは人と人のなんでもないおしゃべりなんだな。そんな広場がここにはなくなってしまっていた。
どこの町にも昔はは市場があった。今は何とか『道の駅」などと言っているけれど、きっちり屋根がついてそれらしい人を雇った『何とかの駅』などは面白くない。青空天井でいいから、もっと自由にいろんな人が色んなものを持ち寄って売り買いで切るバザールとかマルシェがいいな。そうならないかな。
ちなみにマルシェについて
http://ameblo.jp/akihiko/entry-10008334590.html********************
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はる 3909 - 2012.03.09(ポケットの窓から)
はる 3909
「出来るだけのことをする」という言い方はよくする。うがった見方をすれば「何もしなかった」という言い訳にも使われるな。この言葉はかなりいい加減なアバウトな要素を含んでいる。0~100%まで可能性を全て含んでいる。今回の震災でも「出来るだけのことをしました、します」という言葉を何度聞いたことだろうか。
よく話しに出るのだが「ラブ&ピース」は標語として随分と気楽な言葉だ。誰も反対しないし、体裁もいい。けれどその実何の主張も意味もない重みもない無責任な言葉だ。もし本当に真実「愛と平和」を訴えるならば、もっと具体的に何処の誰の為にこれこれをする言わないと説得力はない。嘘とは言わないが、何もやらないこととほとんど何もかわらない。
震災の件で私は具体的に何もしていない。現場に出かけて直接ボランティアをしている人も多い。神戸の震災の時もそうだったがすぐさま寝袋や非常食と水でも担いででかけて行く人もかなりの数いたようだ。そういった意味では何も出来なかった、しなかったということで心のどこかに負い目のようなものがある。色々言っても結局何もやらないのだと自責の念に駆られる。
本当は毛布一枚でもカンパン一缶でも現地に持っていったほうが、こうやって何もしないでうだうだ考えているより何千倍も役に立つということは分っている。でも多分これからも具体的に現場に出かけてということはしないだろうなぁと思う。
「あるもので何とかする」・・私が今回の件で初めて具体的に動いたのは、小さい子供たちがいる家族が住めるアパートを探したぐらいだ、本人たちはすごく感謝していたけれど、それも自分の中で罪滅ぼしのような気持ちがあったからだろう。他人の為に非常にすばやく動いたのでまわりの人は凄く誤解していたけれど、自己満足の一つに過ぎない。
私が出来る事は何かといえば、何の役にもたたないけれど、こうやってうじうじと考えて自己を正当化しようとして傷ついている「わたし」を描く事なんだろうな。これも「あるものでなんとかする」の一つのあらわれじゃないだろうか。
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あるものでなんとかする - 2012.03.08(ポケットの窓から)

はる 3908
「あるものでなんとかする」というのは、大げさに言えば私のポリシーでもある。私の生き方でもあるきがするな。あらゆる場面で出てくるし、困った時に「あるもので何とかできる」と思うことでしのいできたように思う。反対に言えば『ないものねだりはしない」ということか。
家というのは今現在その場所で一番手に入れやすい材料で建てるというのが原則になっている。昔のように遠い外国から建材を輸入できなかった頃は地産地消でその地方の山で伐採した材木を用いて、その地方の壁土を使って家を建てるしか方法がなかった。
しかし、今現在ではそうやって地産地消で地元の材料を使って家を建てるとかえって手間と暇とお金が掛かる。その割りに効率のいい物は出来ないということになる。今は反対に遠い外国産の輸入建材で、合成建材をつかって何処の国の家か分からないスタイルの家を建てたほうが効率がいい家が建つ。
「今手に入るものでなんとかする」というのであれば、かえって古民家にこだわって古材を使って家を建てるという方がいいものは出来るかもしれないが、反対に今現在では不自然かもしれない。
混ざり物、まがいものは一切使用していません、というのはいかにも本物志向のように見えるかもしれないが、今我々が現在を生きてゆくというのであればちょっと違うようにも思う。好むと好まざるに関わらず、我々は現在を生きている。昔の何の情報も道具も材料も入らなかった時代に生きているわけではない。
画材である。油彩画をやめた。これはまぁ物理的に時間的に乾燥が遅いから、多量に使った場合かなり高価になってしまうということ、それから一番にはもっと簡単に色んな材料を画面に持ち込みたかったということが大きな理由。
でもそれだけではないなぁ。油彩である必然性がなくなったということだろうか。物を具体的に描写してゆくと言うのであれば油彩画は伝統的にそれに適した材料だ。けれど私のように即興的に探り描き、描き直し、してものを直接描写しない描き方には適していないということ。
それから、その方法として色んな不特定な状態が画面にあったほうがイメージが出て気易い。例えば布目でもドンゴロスのような麻の粗いものや絹のすべすべした肌触りのものから、蚊帳のようなもの、金泥とか土性絵の具のざらざらしたもの、染料の色、布のプリント、壁土などなど。
できるだけバリエーションがあるほうが面白い。こんな状態では困るという状態にあえてする場合がよくある。それは「与えられた画面で何とか工夫する」という意欲になるからだ。そこのところが私のある種の芸かなとも思っている。
それの考えは色んなところに波及する。それは又今度ということにしましょう。
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ムンクの叫び? - 2012.03.07(you tube)
The Scream from Sebastian Cosor on Vimeo.
はる 3907
私には大した芸もないのだけれど、一つだけ考えられる芸を上げろと言われると「あるもので何とかする」という能力だろうか、これは少し説明が必要かな。
私には兄弟が多くて、おまけに昔の町中の地方公務員の家などというのはそうとう貧乏で、その日の食事には不自由しないだけで、それ以外のおやつとかどこかで自由に買い食いが出来るといった環境ではなかった。当然親に何かおもちゃを買ってもらったなどという思い出はない。かわいそうに思ったのか、叔母が一度か二度クリスマスの日にブリキのトラックを買ってくれた事を鮮明に覚えている。
何を思ったのかそんな状態でありながら絵を描く道具だけは用意してくれた。これは今もって不思議な話だ。特に絵が好きだったという記憶は全くないのだが、学校に上がる前に一番最初に買ってくれたのが、クレパスとスケッチブックだった。まぁこれはよくあるエピソードだろうかね。
そういったわけで、欲しいと思ったものは何でも自分で作るしかなかった。友達が新しいピストルを買ってもらえば、よく観て木と紙や粘土で同じようなものを工夫して何とか作りだす、そんな事が得意だったな。
こんな事は極々ありきたりな話だ。もっと進んでくると、例えば・・
眠くなったのでまた。
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メールのデータが消えた・いかないで - 2012.03.06(ポケットの窓から)
Ne me quitte pas - Edith Piaf
いかないで 金子由香利 あぁショックだな。パソコンに不具合と私のミスが重なって過去のメールが全て削除されてしまった。パソコンは一瞬の操作ミスで全てのものが消えてしまう。恐ろしい道具だな。昨年の11月までの分はたまたまバックアップを取っていたので、復活出来たのがせめてもの慰めだ。
同じ事があった場合の覚書としてここに書いて置く。興味がない人は無視してください。
①メールのデータは全て外付けHD(E)に無傷で存在した。ので本当はそのままバックアップデータとして使える。
②新しいメールのデータファイルはCにあった。ゆえにそのままEのデータをCにインポートすればよかった。
ここで間違ってファイルの保存場所としてEを選択したために新しい何も入っていないCのデータがEに上書きされてしまった。
③その後Eを空の状態にして、新しいメールのデータ保存場所としてEのメールファイルを指定すればCのデータがそっくりコピーされて保存される。
保存場所を変えるというのは上書きコピーされるのだということを忘れない事だ。
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はる 3905 - 2012.03.05(ポケットの窓から)
はる 3905
こうやって仕事を始めてしまうと、水性の絵の具は床に置いて描く事が多いので、アトリエの床一杯に描きかけの絵が散乱してしまう。どれもこれも少しずつ全てに手が入る。そうやって一日の仕事が終わる。二順、三順する場合もある。冬場はストーブがついているので、その前に広げられるのでますます散乱することになる。
ミクストメディア(混成技法)という描き方は、どこそこにそんな描き方がありますよという技法ではなく、どのようにでもアレンジできる、よく言えば融通無碍な、悪くいえばいい加減な技法だ。よくミクストメディアの技法を教えて欲しいといわれるのだけれど、私の方法は私が手探りで試行錯誤して作ってきたもので、技法だけ真似をしてもあまり意味がない。それこそ、自分なりの方法を探すというのが、技法だといってもいいように思うな。
最初にパネルに布を貼る。これは昔紙の箱や厚紙を見た目をよくするためや、頑丈にするために布を貼るということとよく似ている。その上にマチエールを意識して壁土や布をコラージュすると言うのは、紙粘土で指人形などを作るというのと似ている。色んな色をたらし込んだり、にじませるのは子供の頃の水彩絵の具や墨で字を書いたり絵を描いたりした感覚と同じだ。
その後そういった絵の具のしみや、汚れから何かの物語やお話を見つけるのは、雲の形や天井の木目から連想する子供頃のお得意の領域だろう。
絵を描く事はまず形が取れなければならない、色の混ぜ方をしらなければならない、そう考えてハウツーから入る人が多い。それがまず普通だろうな。きっちりした「正しい絵」を描くならばそういった技法を知ることは必要かもしれない。けれど人類がきっちり正しい絵を描いてきた歴史などホンの少しでしかない。多くの民族はほとんどの場合好き勝手にどのようにでも描いてきたのだ。特にきっちりきれいに描く必要など素人にはないのだな。
絵を描く事は自分を見つめる、振り返る、顧みる、見えなかったものを見えるようにする、気がつかなかったことを気がつくようにする、自分をオリジンまで戻って開放する、そういったことの道具だと思えば実に楽しい作業であるきがするのだが、どうだろう。
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はる 3904 - 2012.03.04(ポケットの窓から)
はる 3904
若い友達が遊びに来た。今年大学を卒業して就職が決まってここを去る人、結婚して新しい家族が出来た人、これからできる人、還暦を迎える私などなど、みんなそれぞれに新しい門出となる。また遊んでくださいな。
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はる 3903 - 2012.03.03(ポケットの窓から)
はる 3903
我が家の神棚です。一番上に乗っかっているヒトガタは、もう何年も前に散歩の途中で拾ってきた石ころです。川沿いの土手を歩いていたら向こうの方から声をかけて来て、まぁこれも他生の縁だと思い我が家のご神体になってもらいました。毎朝お水を替えて手をあわせます。それで気が済む(澄む)のですから、祈る相手はなんだっていいのでしょうな。○○教でなくてもいっこうに構わない。私にとってはね。
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