あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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2012松屋銀座・榎並和春個展「日々礼賛」 - 2012.01.31(you tube)


2012松屋銀座・榎並和春個展「日々礼賛」
はる 3872
 戻って参りました。ここは寒いですね。動画アップしました。途中お店の方が映ってしまいました。すみません事後承諾です。もし何か不都合があるなら削除します。お知らせ下さい。

 個展紹介 銀座松屋スタッフのブログ
http://www.matsuya.com/m_ginza/blog/gallery
/2012/01/20120127_120100vol32.html

ちょこっと転載
「・・『榎並和春絵画展』は、2年ぶりの開催。今回のテーマは『日々礼賛』です。
榎並先生のごく私的な出来事と、一方で昨年の東日本大震災。まったく重ならない出来事だけれども、そのどちらもが、いともたやすく ありふれた日常を、昨日まで在ったものを奪い去ることに、作家の心はひどくショックを受けたようです。(それは、私たちにも少なからず共感する想いがあります。)   
だからこそ、日々の何でもない日常を、いとおしく、大切に思える感性を、先生は作品を通して訴えていらっしゃいます。
何気ない、人々の日常の暮らしを切り取って、画面の中に描きこむ、その行為が、先生にとっての「祈り」なのかもしれませんね…

日頃 先生のご自宅の玄関を日々飾っている調度(味のある古椅子やら、錆びたブリキの花瓶、ドライフラワー、庭から切ってきた南天、冬瓜、古材のオブジェ等々)、今回は『日々礼賛』のテーマを象徴するものとして、わざわざご自宅から一式ご持参くださいました・・・」

・・・・・・・・・・・・・・
 確かに都会の日本を代表する繁華街・銀座のど真ん中のデパートだということで、何か特別違う事をしなければならないと勘違いする人がいるかもしれない。あくまでも『売る」という商品であるということを意識するかもしれない。売れなきゃ次が無いよとまことしやかに言うかもしれない。だからありふれたフジヤマ、芸者、きれいなお花を描いた作品を並べるというのは少し観る人を侮っているのではないかな。

 少し前に書いたことだけれど「その事実があったために必然的に変ってしまった我々の日常というのを描く事だと思うのだ。具体的に言うならば「何気ない日常が大切である」と感じた私というのを描くべきなんだな。それ以外のことは空言でしかない」と言う事ではないかと思う。

 多くの人に共通する事柄を自分の「ことば」で表現すること。それは都会のデパートであれ街の画廊であれ田舎の
ギャラリーであれ全く同じ事で、そのことで多くの人の共感を得られるのではと思うのだ。あえて言うならば銀座のど真ん中のデパートだからこそ言える方法と言うのがあるように思う。

 でもしかし、それが成功したかどうかはわかりませんが・・。


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no title - 2012.01.30(ポケットの窓から)



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no title - 2012.01.30(ポケットの窓から)



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no title - 2012.01.30(ポケットの窓から)



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no title - 2012.01.30(ポケットの窓から)



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個展六日目(楽日) - 2012.01.30(ポケットの窓から)

はる 3871
 個展六日目
 いよいよ最終日になりました。疲れもピークですが、少し寂しさも感じますね。今日は五時半までですのでおまがいのないように。お待ちしております。では。


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個展五日目 - 2012.01.29(ポケットの窓から)
 

moblog_8e611dcd.jpg  
はる 3870
 個展五日目
 今日は写真が載りましたね。会場からも一回やってみますが、気まぐれで載ったりだめだったりで困ります。

 さて、今日は日曜日多くの人が来てくれるのでしょうか。楽しみです。お待ちしています。ではでは。


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個展四日目 - 2012.01.28(日記)
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はる 3869
 個展四日目
 少し疲れてきました。お早めにきてください。

シャメは忍者ブログの方で見てください。
http://asobibe.blog.shinobi.jp/

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個展三日目 - 2012.01.27(日記)
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はる 3868
 個展三日目(あさ)
 かなり寒いですね。そのせいかな少し客足が遠いように思います。デパートの中は暖かですので、ぜひおいでください。おましておます。

 これから出かけます。がんばるぞー。ではまた、後ほど。

 シャメは忍者ブログの方で見てください。
http://asobibe.blog.shinobi.jp/

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個展二日目 - 2012.01.26(日記)
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はる 3867
 個展二日目
 やはりシャメの調子が悪いようだ。まだらにアップされる。とりあえずシャメは安定している忍者ブログの方に送ることにする。帰ってからまとめることにする。
 こちら
http://asobibe.blog.shinobi.jp/

個展の紹介

桃組工房さん
http://momogumi52.exblog.jp/

猫の後姿さん
http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11146073857.html

なおなおさん
http://no70ko.exblog.jp/17118033/

すずきゆきおさん
http://blog.goo.ne.jp/ys0322art/d/20120126

大石正巳さん
http://laseine38.exblog.jp/17361992/

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no title - 2012.01.25(未分類)



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シャメの具合が悪い - 2012.01.24(未分類)
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はる 3865
 どうも申し訳ない。携帯のシャメの具合が悪い。写真が転送されない。それゆえに臨場感のある更新ができないでいる。こうなればまさに更新はほとんどできないだろう。まことに申し訳ない。帰ってから写真は更新することにするのでそれまでお待ちください。

 FCブログのシャメの調子が悪いのでとりあえず写真だけ前の忍者ブログの方に送ります。
 こちらを見てください。
http://asobibe.blog.shinobi.jp/

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旅暮らし - 2012.01.23(ポケットの窓から)

はる 3864
 明日からまた、旅暮らしです。しばらくは又更新が緩慢になるかと思いますが、あしからず。出来うる限り臨場感のあるシャメだけでも送信したいと思っています。遠くでこれない方はこのブログで会場の雰囲気だけでも楽しんでください。勿論お近くの方は銀ブラがてら松屋までお運び下さい。私は終日在廊予定です。お待ちしております。
 

 


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日々の暮らしのメッセージ - 2012.01.22(日記)

はる 3863
 明日朝に荷物を取りに来る。明後日は学校の仕事が入っているので、前日に取りに来てもらう予定。雨が降らなきゃいいのだが。

 前回までの松屋の個展は会場がとても立派な大きな会場だったので、そこをどうやって埋めるのかそのことが大きな課題だった。銀座のど真ん中のそれはそれはちょっと信じられないぐらい凄いスペースだった。 なんで私みたいな馬の骨がこんなところで個展が出来たのか全く持って不思議な話なんだが、そのことは今回のテーマではない。これもやっぱり縁だな。

 ところで、それまで街の小さな名も無いような画廊で発表していた私がいきなりそんな会場で個展をやれと言われて、最初はほとんど何も考えずに簡単に引き受けたんだけれど、近づいてくるとだんだんプレッシャーがかかって来た。

 まぁ何というのか、だめなら一回で終わってもかまわないという居直りで、ミクストメディアに変ってからの大きな作品(s100号)を5点ぐらい並べて出品した。デパートの企画会場で無名の新人が売れないような馬鹿でかい作品を堂々と並べたのは、恥知らず、怖いもの知らず以外なにものでもない。前代未聞の出来事じゃなかっただろうか。で、一回目(2008年)は無事終わった。無論、雑誌も新聞も評論家もすべて何にも手ごたえが無かった。悪口でも書いてくれればそれでも良かったんだけれど、全く無視された状態だった。デパートの画廊というのはそういうスペースなんだ。
 

 けれど、嬉しかったのは観た人の評判はすこぶる良かった。結果もそこそこ、そのことでかなり気分をよくした。
 
 その様子
http://asobibe.blog.fc2.com/blog-entry-1342.html

http://asobibe.blog.fc2.com/blog-entry-1341.html

 二回目は二年後(2010年)にやってきた。こんどは前回と同じようには行かない。なぜなら大きな作品の質が確実に落ちるわけだ。前回は約10年の作品の中から選べばよかったのが、今回は2年しかない。作品もそんなに大きく変化しない。観る人が面白いと思ってもらえるかどうか。何か作戦を考えなければならない。

 一年ほど前から日常生活のスナップ写真を知人のデザイナーに撮ってもらって、春夏秋冬、私の生活の一端を壁新聞のようにして会場に貼り出した。普通なら作品(商品)以外の物を飾るのはデパートの展示としてはご法度だと思うのだけれど、あえてそうした自由な遊びの空間を演出した。これも無名の馬の骨としてはけっこう面白い展示になったんじゃないだろうかと自負している。

 作家は作品が全て、他のものは必要ない、邪道だという話もよく聞く。でも私に関して言えば、観てくれた人が楽しんでくれれば、それもこれも有りだなと思っている。
 
 その様子
http://asobibe.blog.fc2.com/blog-entry-2194.html

 今回は三回目。会場が今までの会場と違って少し狭くなる。テーマは『日々礼賛」、何も変らない、何も特別な事がない、そんな日々の暮らしのメッセージを何とか会場に持ち込みたい。楽しみに観てください。
・・・・・・・・・・・・・・・・
 ブログ
「あそびべのはる・ここだけの日々」
              より
  日々の暮らしのなかから浮かんだ、
 言葉、ひとりごと、つぶやき・・・

3861
 具体的に言うならば「何気ない日常が大切である」と感じた私というのを描くべきなんだ。それ以外のことは空言でしかない。誰かの影響で分ったような空言を言っているに過ぎない。若いロック歌手がいう『ラブ&ピース』みたいなもので何の意味もない。

3834
 そう大体良いだけの人間などいない。善だけの人間など信じない。悪意や不善を行うから、そんなどうしようもない人間だから「聖なるもの」「おおいなるもの」に祈りを捧げるのだ。良いだけの人間なら神などいらない。反対に悪意だけの人間もいないんだな。善も悪も同じだけ持っているのが人間なのだ。

3830
もっと突き詰めれば最終的にその人の「感受性の精度」に行き着く。出来るだけ多くのものを観て、聴いて、読んで、体験して、歓んだり悲しんだり怒ったりして、感受性を磨くことが取りも直さずいい表現者になる方法だ。簡単なハウツーなどない。生きること全てが表現なのだ。

3822
 前にも書いたが、ネタを探しているうちは多分いつかはネタに詰まることになる。ネタは探して書くものではない。書いているうちに出てくるものだ。自分は今こんな事を考えていたのかと書くことで気付くことが多い。書くこと、描く事、出し惜しみせずにどんどん出してゆく。出し続ける限り枯れる事はない。

3814
 すぐに役に立たないことだから、学生のうちに徹底してやるんだ。実生活で役に立つ事など後でいくらもやらされる。お金にならない損得でない無意味な事にこそ意味がある。役に立つ事だけやるのであればすぐに仕事につけばいい。実際の世の中はそんなことで成り立っている。学校生活ぐらい無意味で無駄でいいのだ。その遊びの部分がやがて有益で有意義に変るのだな。

3682
 文章を書くことは絵を描くことと良く似ている。特に私の描き方はそうやって心の中を見つめる事であるからだ。こころのデッサンだと思っている。

3808
 鉛筆をもって一本の線を引くとき、よくその話を思い出す。何も描かれていない画面は大きな宇宙と同じなんだな。何でもあるけれど、なにもない。無数の線があるのと同じだ。私は神になってその中から一本の線を選び出す。不思議な事にそこに山が生まれ海が生まれ人が生まれ、小さな宇宙が生まれる。

3783
 反対に考えれば、「絵は鏡である」とは考えられないかな。その時の自分の裸の姿を見せてくれている。そう考えるとまんざら無駄ではない。理解できない事は全く自分にとって無駄なものか、自分のレベルがまだそこまで達していないということを教えてくれているということになる。

3732
 この「日々礼賛」は私の中からにじみ出て来たもので出来ている。より私自身に近づいているように思うのだな。全ての人が共通に持っているもの(源泉=オリジン)を絵を描いたり文章を書いたりする事で探っているのではなかろうか。

3717
クロッキーに限らないのだけれど、絵というのは見方なんだな。私にはこう見えました、こう解釈しましたという自己報告みたいなものだ。だから見えない人には描けないし、反対に見えた人には口でも足でも描ける。



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Spiegel Im Spiegel - 2012.01.21(you tube)

Arvo Pärt-
Spiegel Im Spiegel
はる 3862
 目に見えないものは存在しない。


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バベルの塔 - 2012.01.20(ポケットの窓から)


 
はる 3861
 ↓の下絵の話の続きでも書きましょう。

 向って右の方はこの間の個展でも展示したS100の「負の遺産」、これは見て描いた訳ではなく授業中にこっそり落書きしたもの。んで、何とかもう一方をどうするか考えていた訳だ。

 今回の震災の事や原発の話をどこまで自分のテーマとして描く事が出来るか、ものすごく難しいと思うな。例えばテレビなののマスコミがよくやっている「がんばれ日本!」「絆」とか「連帯」とか、反対に責任者を糾弾したりアジテーションしたりすることは形として簡単だけれど、それが実際に自分のものとして辻褄のあった表現になっているか?といわれると凄く疑問だな。

 たぶん実際に美術家が現場に出かけて被災した建物や瓦礫を克明にスケッチして、現場の悲惨な状態を報告するというのも今の段階ではもう違うと思う。そういった作品もこれから出てくるとはおもうけれど、もしそうならば作家は全て現場に行かなければならないということになる。実際にその時にその場所にいた生の映像以上に優れた表現はないだろう。我々のような表現者がなすべきことというのはそんな事ではないだろうな。

 一番身近で臨場感をもって考えられる事は、その事実があったために必然的に変ってしまった我々の日常というのを描く事だと思うのだ。具体的に言うならば「何気ない日常が大切である」と感じた私というのを描くべきなんだな。それ以外のことは空言でしかない。誰かの影響で分ったような空言を言っているに過ぎない。若いロック歌手がいう『ラブ&ピース」みたいなもので何の意味もない。

 で、「何とか今回の災害を自分なりに消化して絵に出来ないか」とい考えている私と言うのがこの絵のテーマな訳だ。すごく持って回ったいいかただけれど、そうすることでしか生々しく臨場感を持って自分の表現にはできないように思うな、少なくとも私は。

 で、組み作品として隣にどういった絵を持ってくればいいのか、このところずーと考えていた。別に全く違う別の作品でもかまわないのだけれど、出来るならば組作品として並べて展示したい。その方が表現として強くなるかなと考えた。

 で考え付いたのが例の『バベルの塔」だな。おごり高ぶった人類が天に届けと築いた塔はいつまでも天に届く事は無く、無残にも崩れてゆくという話。とか核の廃棄物、無害化するのに100万年かかるらしい、そんなわけも分らんものを山と積み上げて未来に残してどうするの?自分で作った毒に自分でおかされる滑稽さ。そんな話ならなんとか絵になるなと思って描いたのが左の下絵。

 さて、どうなるかね。


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下絵 - 2012.01.19(ポケットの窓から)
 
はる 3860
 なんだか寒いなぁと思っていたら、明日は一日朝から雪と言う予報だ。出かける予定があるので、あまり大雪になるのは困るなぁ。

 来週の水曜日から松屋の個展が始まる。今日はそんなことで額入れをした作品をまとめて梱包して、廊下に積み上げた。準備はもうほとんど出来ている。後はどれだけお客さんが来てくれるかだ。私は全日会場に詰めています。是非会場でお会いしましょう。お待ちしております。
・・・・・・・・・・・・・・・
 絵を描く時に、下絵を描く事はほとんどない。大体が下地を作りながら偶然出てくる形や色を発想の基にして物語を作ってゆく事。今回の個展に出すS100号の絵から0号の絵まで、ほとんどがそうやって作ってきたものだ。で、最近ちょっと問題だなぁとおもうのは、そういう描き方だと、ある一定以上の大きさの作品は描けない。

 なぜかというと、例えば最初に下絵があって計画的に描くなら、どんなに大きくても部分を描いている時に、全体のイメージがもう既にあるわけだ。だから、部分を描きながらも全体の一部という意識がはっきりしている。ところが、ぶっつけ本番で、下絵なしで作品を描いてゆく場合、常に全体が見えていなければイメージが決まらない、見えてこないということになる。大きな作品を別々に描いて展示する時につないで出せば、それは別の作品ということになる。

 それから小品のように上下をさかさまにしたり、左右を逆にしたり自由に出来ないとイメージが出てこない。今までも大きい作品130ごうクラスになると、どうも面白くないのはそういった物理的な空間の狭さとか、重くなりすぎて動かしにくいというのがある。

 体育館ぐらいのスペースがあって、自由に床に置いたり立てたり斜めにしたり、絵の具も垂らしたりぶっ掛けたり洗ったりできればもっと面白い作品になるとは思うのだがね。どうもやっぱり今のスペースでそれは難しい。だからといって、アトリエを住居とは別のところに借りて、アトリエに通勤するするように絵を描くというのもしたくない。なぜならそれは生活の場、日常ではなくなってしまうからだ。私の絵はあくまでも日常生活の延長上から生まれる作品であって欲しいと思っているからだ。

 で、このところ団体展に出品する大きな作品は苦肉の策で、一つ一つ見ても完成されている作品で、並べてみても破綻がない、そんな作品を考えているのだが、上手く行ったかどうかはわかりません。物理的には100号ぐらいがちょうど今の私には描きいい大きさだと思っている。


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小出裕章・甲府講演会 - 2012.01.18(you tube)

小出裕章・甲府講演会
at コラニー文化ホール
2012/1/8
はる 3859


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私なりのやり方 - 2012.01.17(ポケットの窓から)

はる 3858
 いま流行のアートシーンは何か?今一番欲せられている表現とは?次に来る表現は?そんな事を私なりに一生懸命考えていた時期もあった。美術手帳というそういった作家をターゲットにしている雑誌を定期に購読していたこともある。分らないなりにもそういったことを考えないと時代に遅れるような妙なあせりみたいなものがあった。コンセプチュアルアートとかインスタレーションなどと言う言葉もなんとなく分ったようなふりをしていた。

 自分の立ち位置が分らない若いときほど、どうにもそういった有りもしない幻想に振り回されるようなきがするな。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というざれ歌があるけれど、出遅れたくない、何とか世の中に出たいという若気の至りがそんなオバケを生むようだな。今から考えるとけっしてそんな理論武装からは時代を代表する作家などでてきやしない。考えて出てくるような表現は所詮看板だけの偽物だ。本物は知らないうちにスット出る。凡夫の隙間を何気に抜けてゆく。

 今の私にはもう遠い昔だな。そういった類の雑誌や本も全く読まなくなった。 物凄く独善的で我がままだけれど、私はわたしに関係する人たちだけを相手にしている。見も知らない人を待っていても誰も来てはくれないだろうし、まして訳の分らない現代のアートシーンなどはっきり言ってどうでもいい。

 いや、けっして欲を放棄したわけじゃないよ。要するに私なりの方法でやるしかないということだ。



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教師の心得 - 2012.01.16(ポケットの窓から)

はる 3857
 勝手引用
  http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110908/1315487472 より
・・・・・・・・・・・・・・・
1 君が教えようとしていることは、「とても大切でとても面白い」ことを決して忘れないようにしなさい。また、それを学生に伝えることも忘れてはいけない。

2 君は、君のクラスにいる学生よりも賢いわけではない。学生よりも「いいひと」なわけでもない。君は、たまたま学生がまだ持ち合わせていない情報をいくらか知っているだけだ。そして学生たちは、君がまだ知らない情報を山ほど知っている。

3 教師として、君は情報を売ろうとしている。あらゆるセールスマンと同じように、君は客の興味を引きつけ、保たなければいけない。さもなくば売れる見込みなんかない。役に立つことなら何であろうと利用しなさい。声、ジェスチャー、黒板、ハンドアウト、パワーポイント、漫画、アナロジー、メタファー、何でも、だ。あらゆる手段を尽くして、何とかして学生と繋がりなさい。

4 学生たちはよい授業を受けるために大金を払っている。よい授業を彼らに与えるのは君の義務だ。授業の日、君は疲れているかもしれない。何かに腹が立っているかもしれない。気がかりなことがあるかもしれない。しかし、君のクラスの誰一人として、それに気付いてはならない。君が頭が痛いからとひどい授業をやったとしても、彼らが授業料の払い戻しを受けることはないのだ。

5 自分に合ったスタイルを築きあげなさい。他の先生に合っているスタイルが君に合うとは限らない。

6 学生にとって近付きやすい存在でありなさい。物理的にも、精神的にも。学生の名前を覚え、名指しなさい。教室には授業開始数分前に着き、授業終了後もしばらくそこに留まりなさい。その数分間に雑談することは、しばしば学生の理解のターニングポイントになる。

7 しかし決して授業を延長してはいけない。特に学部の授業では、チャイムが鳴った後に君が話す内容は、全く存在しないのと同じです--君がどれだけ完璧に話したとしても。
 
8 どんなことであっても、それをまだ知らない者にとっては難しい。これを繰り返し思い出しなさい。君は既に何かを知ってしまっているから、それが簡単に思えるのだ。

9 「無知」と「愚かさ」は決して混同してはいけない。何があっても。

10 教師の基本ルール:もし学生が理解できないのであれば、それは学生のせいではない。これは当たり前に思えるが、驚くほど忘れ去られやすい。

11もし学生が理解できず、それが学生のせいであるのならば、10を見よ。

12 昔、自分の師匠に「悪い学生はいない、いるのは悪い教師だけだ」と聞かされたことがあります。多分これは完全に真実ではないのだろうが、しかし間違いよりは真実にずっと近い。そして、君は自分の授業において、これが真実であると心底信じているかのように行動しなければなりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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日々のこと - 2012.01.15(you tube)

Midori(五嶋みどり) -
Tchaikovsky Violin Concerto 1st mov 1of 2
凄いです、鳥肌が立ちます。

はる 3856
 みどりちゃんはやっぱり凄いですね。音楽の事は全く素人ですが、この人が音楽に立ち向かう姿そのものが、もうミューズと言う感じがします。どこか常人ではない神がかり的で、あちらの世界とこちらの世界を入ったり来たりする巫女のような、能の翁みたいなものかな。この後三楽章に入って終わるのですが、終わった後にこちら側にすっと戻ってくる、その普通の彼女とあちらに行ってしまっている彼女との落差がまたいい。

 役者などもそうですが、役を作っていたんじゃ二流だな。その人本人になりきってしまう。人格が変ってしまうくらいになって初めて一流になるのじゃないかな。昔、大竹しのぶが二重人格者を演じていたドラマがあったけれど、あれは凄かったな。普段へらへらしている役者が本番が始まったらすーと役に入り込んでしまう。その役が取り付いてしまうわけだ。芸と言うのはそんなところがあるな。

 さて、そんな一流の人たちの話は脇においておいて、自分の事を書いてみましょう。

 どうも勘違いしていたところがある。いままで絵画史というのは直線的に進歩していて、例えば印象派の次には後期印象派が来て、抽象にも熱い抽象とつめたい抽象があって、キュピズムはどちらかと言えば冷たい抽象の先端部分で、その後にアメリカの抽象表現主義がきてポップアートになって最近の現代美術のインスタレーションになるとという風に、教えられてきたし、色んな本を読んでもそんな事がまことしやかに書かれていたりして、新しい表現をしなければ時代に取り残されて芸術をやっている意味が無いとかなんとか・・。

 作家にとって、古臭い、新しくない、もうすでに分りきった過去の表現と言われるのが一番怖かったんだな。だから作家はいつも前を向いていて時代のすぐ前を歩まなきゃならない、問題作を同時代を生きている人たちに投げかけて考えてもらう使命があると考えているふしがあった。そうなのか?前衛美術とか現代美術とか呼び方は変るけれど、表現者たちはいつも追い立てられるように新しい表現に飛びついていった。新しくなければ芸術じゃない、意味も無い、そうなのか?

 私自身は例えば問題作を発表して世間にその真(信?)を問う、などという大それたことには全く興味が無いな。これまでの多くの作家もそうなのではないかな。たぶん自分の身のまわりの事を単に唄ってきたそれだけじゃなにかな。それがたまたま時代に合って評価された。それだけのことじゃないか。

 時代を表現しようなどとも考えていない。だいたい絵で世の中が変るわけが無い。

 私は今の自分の日々の生活、毎日感じた事、そうこのブログに書いているようなことを絵にしてゆければそれでいいと思っている。それが芸術でなくてもいいし、革新的でも、新しい表現でなくても全然かまわない。そんなのではだめなんだろうか。


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二犬羽織 - 2012.01.14(you tube)

TWO DOGS DINING

はる 3855
 あるブログから
「ツキの正体」(桜井章一著)プロのマージャン打ち「ついている人は見返りを求めない」 

  賭け事は良くないというのは世の中の常識だが、それでもギャンブルはなくならない。どこの街に行ってもパチンコやサンだけは繁盛している。普通に考えてあれだけパチンコ屋さんがあるということは彼らが商売として成り立っているということで、総体的にはお客さんは絶対に勝てない、負けるように出来ているということだろう。まぁそれが分っていながら、たまに勝からなくならないのだろうな。ギャンブルに必勝法などあるわけない。

 子供の頃に俗に言う「メンコ(私の地方では「べったん」といった)」「ビー球」、トランプの賭け事でその面白さに開眼する。みんなそうだと思うのだが、何かものを賭けてやる勝負のスリルと興奮に一時はまるのだ。学生の時は毎日マージャンにはまっていた。学生だったから大した金額を賭けるわけではなかったけれど、それでも勝てば少しのお小遣いになったし、負けると次の日の食い物に影響した。

 そうやってやがて自分には賭け事の才能が無いということをつくずくと知ることになる。まぁ才能が無くてよかったのだが、その時感じたのは運というのは誰にでも平等にやってくるんだなということだ。自分には運がないと嘆く人がいるけれど、おか目八目でそばで見ていると必ずチャンスは訪れているんだな。問題はその感受性があるかどうか、もっと言えばいつ運が訪れても受容できる態勢ににしておくという、受容体側の問題だったわけだ。

 で、そういう態勢をいつも持っているということはかなりの努力を必要としていて、ただ単に流されて自分の手ばかりを見ていてもチャンスは逃げていってしまう。

 ・・・・何だかまとまりの無い話になった。またあした。


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若い人たち - 2012.01.13(ポケットの窓から)


日本キルギス国際作家交流展
時空を越えて2012

山梨県立美術館
2012 1/11~1/17
はる 3854
 最近知り合いになる人たちというのが同じ世代の人ではなくて、私に子供がいればそのぐらいではないかという若い人たちがわりと多い。これからちょうど30代になるかどうかそんなところかな。上の展覧会の案内も最近知り合った若い人たちで、青年海外協力隊という若い人たちの世界的な文化交流の橋渡しをやっている人たちだ。東アジアの例のアフガニスタンあたりの高原で祖先は遊牧の民なんだろうな、そんな匂いのする展覧会だった。

 彼女や彼らの世代が帰国したり帰郷して、やがて結婚して子供ができて家族が大きくなってゆく訳だ。世界的な視野にたって、これからこの町に住んで何とか楽しく生きてゆこうとした時にどうも何か今ひとつ乗ってこない、冷え冷えとした寂しさというのは感じるのであれば悲しいね。まぁ少しでも協力してできる事をやって楽しく生きてゆければいいなと老婆心ながら思うわけだ。

 もう今までのような価値観で生きては行けない。生きてはいけない。一人一人がしっかり物差しを持って自分の目で見て感じて判断する、みんなが言ってる事は、やっている事は疑った方がいいということだな。


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独占が保身を生む - 2012.01.12(原発)

はる 3853
 二日ほど前にDM発送しました。まだ着かないという人は何かのトラブルで名簿から漏れてしまったようです。是非ほしいという方はまだ若干DMが残っています。こちらに
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm  
お手数ですが、住所と名前を書いて送ってくださいませ。

 この間小出さんの講演で気がついたことなんだけれど、電気というのはほとんど何も考えず、というのか考える余地も無く、選択する余地も無く、あてがいぶちにその地域の電力会社を利用している。他にないのだから仕方ない。半分公共のものというイメージがあるけれど、実はそうではなくて民間の会社だったんだな。

 民間であるなら、当然利潤を追求するというのが会社の根本的なあり方だわな。なんだかんだと言ってエコだ節電などと言ってはいるけれど、基本的に節電すれば利益が減るわけで、そんな事を企業が提唱するわけがない。

 兎に角どんどん湯水のごとく使ってもらう、オール電化にして冬も夏も変らなく電気を使ってもらう、そのためには役人や政治家を抱きこんでそれが当たり前のように、独占を許してもらっていたわけだ。原発が無ければ停電するぞなどと脅されながら、それじゃ仕方がないなぁと諦めかけていた。

 本当はもっと早くに解体して、我々が複数の方法を選択できるようにするべきだったんだな。どういうことかといえば、最近になってやっと少しは太陽光発電で生じた電気を反対に電力会社が買うということを始めたけれど、そういうことを国が自治体が援助金でも出して、もっと積極的に提唱しすれば色んな電気の供給の方法も出てくるのだろうな。

 何でも独占されたところにはその既得権を守ろうとする、保身にはしる人間の浅はかなところが出てきて、やがては今回のように「安全神話」みたいなものを勝手にでっち上げて、疑うと言う事さえ無くしてしまう。そんな恐ろしい風潮というのか世論を作ってしまうのだな。これはまぁ誰にでもある悲しい性だな。


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今日は寒い - 2012.01.11(ポケットの窓から)
 
はる 3852
 どういった訳なのか、このブログが学校のパソコンからは見ることが出来ません。というのも山梨県の教育センターが集中管理しているのか、フィルタリングに引っかかってしまうのです。少し前のブログは見ることが出来たのにFCブログになってからは見ることが出来ないのです。特に悪い目障りな記事は書いていないはずなんですが、裸婦クロッキーというカテゴリーがあるせいでしょうかね。何とも的外れなフィルタリングでしょう。そうと分ればもっと学校の悪口を書いてやれと、へそ曲がりの私は思うのです。


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疎開のすすめ - 2012.01.10(原発)

はる 3851
 原発が爆発した時に早い時期に近辺の人は出来るだけ速やかに避難すべし、若い女性や子供たちは疎開すべきと言って自分のことだけ安全であればいいのか?こ非常時に現場で体を張って作業している人たちがいると言うのに「非国民だ」といって非難された人がいた。

 まぁあの最中に確かに自分たちだけ助かりたいために南に逃げるのは勇気のある行動だったな。消防隊員ではないけれど命張って原発に近づいて放水作業をしていた時だから余計に逃げる行為が卑きょうに思えたのかもしれない。けれども冷静になって考えてみると、一般の人が特に女性や子供たちがそこに居ても何の役にも立たないわけで、さっさと非難、疎開した方がよかったんだと思う。

 そうやってみんなの意見を聞いてしまうと判断を間違う事が多い。民主主義といえば伝家の宝刀、大好きなオマジナイみたいなものだけど、嘘やデマ、根拠の無いうわさ、によって何とでもなるので恐ろしい。

 今は思うな。疎開する事は悪いことではない。我慢しても何の得にもならない。もしそれが可能ならば、今からでも遅くない、特に若い人子供たちは出来るだけ原発から離れる事だ。そうやって東京や東京近郊が少しは人口が減るのは悪いことではないのではないか。

 気がついていない人も多いけれど場所によって東京もかなり汚染されているところがある。どこに居ても多い少ないはあるけれど、世界から見れば日本全体が汚染されているようなものだけれどね、それでも可能ならば若い人は被曝を避けるべきだと思う。


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自動温水洗浄装置 - 2012.01.09(ポケットの窓から)

はる 3850
 今日は満月かな?きれいな月が昇っていた。携帯じゃ大してきれいに撮れないのだけれどね。

 壊れる時にはけっこう多くのものが続いてこわれるものだ。今度はトイレの自動温水洗浄装置、ウォッシュレットの調子が悪い。随分と前から水漏れしていて、小さな瓶をさりげなく置いて受けていたのだが、ここにきて一日でほぼ満杯になるほど漏れるようになってきた。調べてみると平成10年に購入したものでもう既に14年経っている。そうだよな、ほぼ毎日使っている電化製品だもの、寿命がきても仕方がない。

 こういう電化製品はそのものも安くなっているけれど、運転経費も省エネタイプになって、最近のものは10年前のものと比べて電気代も水道代も半分以下になっている。

 で、家電の量販店に探索に出かける。ご存知かと思うのですがウォッシュレットというのはTOTOの商標で一般的には温水洗浄便座という。こういうと確かにその通りなんだが、あまりにもリアルで響きがきれいではないな。色んな家電会社が似たような機種を出しているけれど、もうそれだけで他の会社に差をつけている感じがする。

 ということで適当なものを選ぶ。取り外しと取り付け工事が意外に高額なのにびっくりする。安いものならその半分ぐらいが工事費に取られてしまう。どうしようか迷ったのだが、相談してみると日曜大工程度の知識があれば自分で工事も出来るということだったので、まぁ出来なかったらヘルプを頼むという約束をとって自分でやることにする。在庫がないということで、取り寄せで宅急便で送ってもらう。これもまた便利なものだ。

 今日の午後一番で届いて、早速工事にかかる。まずは止水栓で水を止めるところから始める。この止水するにも専用の道具が要る。簡単なものだけれど無ければどうやっても止まらない。昔、真冬に水道管が破裂して家中が水浸しになって、あわてて近くの金物屋さんにこの道具を買いに走った嫌な思い出がある。それ以来この道具はすぐに分るところに置いてある。

 説明書を読むと限りなく難しく感じる。例えば自社の商品でもバリエーションはいくらでもあるわけで、それも年代によってどんどん変って行くわけだ。それに他社のものも対応しなくてはならないわけだから、簡単に考えても10x10の100通りぐらいのバリエーションに対応できるように書いてあるわけだ。 

 自分にとっては一つだけあればいいことなんだけれど、一般的な取り説というのは自分にあったものを見つけ出すまでにくたびれてしまう。それもそうだけれど、こういった取り説を考える人と言うのも大したものだね。

 まぁなんだかんだあって夕方近くには完了。けっこう面白かったな。


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小出裕章助教 高校生たちへのメッセージ - 2012.01.08(原発)


小出裕章助教 高校生たちへのメッセージ
2011年11月5日[1 /7]
今日の内容はほぼこの講演と同じです。
はる 3849
 小出さんの講演を生で聴いた。2000人以上の人がつめかけた。彼が言っていたけれど、これほど多くの人の前で講演をするのは初めてだということだった。かなり難しい内容の話を全ての人が食い入るように聴いていた。今これほど関心のあるテーマはないのだろうな。

 出来るだけ多くの人に聞いてもらいたいので写真も録音も自由でどんどん流布して欲しいというのも彼らしい発想だな。


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