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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

良いお年を! - 2011.12.31(裸婦クロッキー)

はる 3841
 今年最後のブログです。

 色々ありましたが、また来年も楽しい一年でありますようにお祈りしましょう。ではでは。


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冬枯れ - 2011.12.30(写真)


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アーカイブ - 2011.12.29(ポケットの窓から)

はる 3839
 このFCブログの優れているところは今まで渡り歩いてきたブログを全てまとめる事が出来る機能を持っていることだ。そのおかげで、アメブロ、忍者ブログと今までの記事を全てまとめる事ができた。しかし、このブログのバックナンバーは1500ぐらいから始まっていたのだけれど、実際にウエブに日記を書き始めたのは2000年の九月からで、その頃はまだブログなどと言う名称もない状態だったので、当然ブログのバックナンバーからもれていた。

 このところ考えていたことは、勿論バックアップは取ってあるのだけれど、ブログのアーカイブとしてなんとか一本にまとめる事が出来ないかということだ。グーグルで過去の日記の記事をインポートすると検索しても、素人にはどうにも分らないことで、ブログからブログの引越しは書かれていても、日記からブログへの引越しはなにやら特別な方法が必要らしい。

 というわけで、あきらめていたのだが、今あるものを使って何とかするというのが私の信条なので、少し考えた。でたどり着いた結果は、一か月分の記事をまとめて例えば2000年9月の記事と言う形で書き込めば、書き込みの日時を変更することが出来ればいいわけだ。簡単に言えば過去にさかのぼって一か月分の記事を書くということかな。

 ということで、「はる1」
http://asobibe.blog.fc2.com/blog-date-200009.html
から始まるバックナンバー3839件をほとんど全てアップした。一番下の↓のアーカイブからどうぞ。


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「林住期」 - 2011.12.28(ポケットの窓から)

はる 3838
 おぉ、38のぞろ目になった。こういうのもなかなか面白い。

 今日の夕方の空。寒そうな空だね。今日はこれを書こうと思って考えていたことを、すっかり忘れて思い出せない。まぁこんな事はいつものことなので別に苦にもならないのだけれど、いやちょっと気になるなぁ・・。まぁいいか。

 よく考えることなんだけれど、まったく何の根拠もなくただの思いつきでいいのならどこに住みたい?現実には色々あってとても今住んでいるここを離れるなんてことは出来ないのだけれど、そんなことは考えないでただ単に、どこでも住めるとしたらどこに住みたい?

 昔はねぇ、誰も来ないような山の中で自給自足の生活が夢だったな。隠者のように森に棲むというのがどことなく格好がいい。ちょうどヒッピーたちが町を離れてコミューンをつくって集団で暮らすようになって、どことなくそんな原始的な共産制みたいなものに憧れた時代だったな。子供じみているけれど。

 そんな子供じみた夢をばっさりと覚ましたのが、例の連合赤軍のリンチ事件だな。所詮未熟な人間が徒党を組んで何かやろうとしても、最終的にはどうにもならなくなってお互いのあらを探す惨めな結果になってしまう。あれは凄く我々の世代の大きな挫折を象徴しているな。むろん私などそんな大それた考えもなかったのだけれどね。

 古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。
 「学生期」(がくしょうき)
 「家住期」(かじゅうき)
 「林住期」(りんじゅうき)
 「遊行期」(ゆぎょうき)

 今の年齢で言うなら「学生期」は24,5で「家住期」は結婚して子育てをする40代から50ぐらいまで、「林住期」は子供が手を離れてさてこれからどうするかと、再び考える50から60代。そしてやがてわけも分らなくなって旅に出る「遊行期」というわけか。

 さて、もう少し楽しい話をするつもりだったが、胡散臭い話になってきた。今日はここまでだな。


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今年も後三日 - 2011.12.27(ポケットの窓から)

はる 3837
 クリスマスが過ぎると、毎年の事ながら一気に和風になる。大掃除をしてしめ縄を飾ったり、年賀状を作ったり書いたり、けっこう忙しい。しかし、今年は喪中ということを隠れ蓑にして、一切何もやらないことにした。寝正月もまた正月だ。ありがたい
、ありがたい。

 アトリエの壁はスペースを作り出すためにどんどん物が積み上げられて、さらに厚い壁になってゆく。これで絵を描かなければただのごみ屋敷の爺さんになる。この間の地震ではかなりの物が落下してきた。でもまぁ死にはしなかったので、それでよしとしよう。画材に埋もれて死ねばそれもまた伝説になるだろう。よしよし・・。

 後三日ほどでほんとに激動の2011年が終わりますね。この年はいろんな意味で記憶に残る年になるでしょう。私は来年はいよいよ還暦です。どこまで行けるかなぁ楽しみです。よろしくお願いします。来年が皆様にとって良い年でありますように、お祈りいたしましょう。何だか大晦日のような挨拶になってしまったな。ではまた明日。


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フィギュアスケート雑感 - 2011.12.26(ポケットの窓から)


わが愛車SARF



Pavarotti "nessun dorma"
はる 3836
 アイススケートをテレビで見た。このスポーツのような、ダンスのような競技がけっこう昔から好きだ。伊藤みどりが出てきてようやっと世界で通用するジャンプが飛べる選手が出てくるようになった。それまではほとんど世界では通用しなかった。

 その後色んな選手がでてきたけれど、極めつけは荒川静香だろうな。トリノのオリンピックで冬のオリンピックの華、女子フィギュアで最高の金メダルを取った。その時に使われた音楽を、偶然かオープニングのショータイムで世界的なテナー歌手パバロッチが (トゥーランドット( / プッチーニ)の「誰も寝てはならない」) 唄っていた。 この出だしの音楽を聴いただけで、多分彼女が金メダルを取るだろうなと予測したな。狙ったのではないと思うのだけれど、偶然と言うにはあまりにも出来すぎていたな。前日から風邪で寝込んでいたにもかかわらず、早起きしてみたのだが、大げさじゃなく身震いするほど感動した。

 まぁそれに比べると今回の麻田真央などは少し優しすぎるな、かわいすぎるな、これが彼女の限界かな・・とは思った。やはり勝負で勝にはいいか悪いか知らないけれど、韓国のキムヨナのようなある種の毒をもっている必要があるように思うな。真央ちゃんには持って生まれた品のよさみたいなものがあるけれど、それが彼女の売りだとはおもうけれど、表現と言う事から観ると、物足りない食い足りないものを感じる。まぁないものねだりしても仕方ないので、それを極めるという方法でゆくしかないだろうな。

 あれからまた色んな選手が出てきて、アイススケートのフィギュアでは男女とも世界的に今日本が凄い勢いを持っているのじゃないだろうか。全くの素人なので正しいかどうかは分りませんが、特に今回感じたのは男子のフィギュアの層の厚さだな。トップが高橋大輔、小塚崇彦、羽生結弦とだれが一位になってもおかしくない、素晴らしいメンバーだ。特に高校生の羽生結弦は近い将来世界の頂点に立つように思う。天性のダンサーの天分があるように思うな。こう何というのか踊りだすと神がかり的にあちらの世界に入ってしまうところがある。ああいう選手が出てきたことは日本の男子フィギュア界が黄金期に入ったことを意味すると思う。


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合唱YELL - 2011.12.25(you tube)


郡山二中合唱
「YELL」
はる 3835
 なぜか合唱が好きだ。未だにNHKFMの学生コーラスコンクールを聴いたりする。この「いきものがかり」 のYELLは何年か前のコンクールの課題曲だった。これを聴くといつもなぜか泣けてくる。凄くありふれたなんでもない歌なんだけれど特に「・・さよならは悲しい言葉じゃない・・」というフレーズがいい。私たちが失った、この時代の子供たちにしか感じ得ないはかない心の揺らぎが伝わってくる気がする。

 いや、私が子供だった頃にはそんな事は全く感じない、まぁ、ただのガキ大将だったわけで、この年になって後何年生きられるかなぁなどと考え始めてやっと気がつくんだな、この言葉の深さが。だからある意味で、大人が振り返ってみた感傷なんだと思うけれどね。

 で、結局何のために生きているのか?という問いになるのかもしれないな。一生懸命勉強しました、いい学校に入りました、安定した職にも就きました、いい相手にも恵まれて幸せに暮らして、そして死にましたとさ・・。やるべき事をやって、守るべきことをまもって、過不足なく生きたとしてそれで、それだけで本当に生きたといえるのか?ということだな。

 感受性の話。例えばよく聞く質問で、今こんな勉強していて社会に出て何か役に立つのですか?前にも書いたけれど、役に立つ事など学校で出てからいくらでもやらされる、損か得か、儲けるかどうか、そんな事ばかりで社会は成り立っているわけで、テレビを観ても新聞を見ても世の中はそんな定義で動いている。

 だから、学校のうちだけでも全くすぐには役に立たない、儲けにならない、毒にも薬にもならないことに命がけで取り組む、そんな事が必要なんだな。

 で、何でそれが必要かといえば、簡単に言えばそんな無駄や寄り道が、すぐには役に立たないと思われていることが、感受性を磨くわけだ。どれだけ多くの役に立たない事を一生懸命やってきたかが、その人の人生の中味の充実度を決めるわけで、独断で極論すれば、人生の充実度は、どれだけ無駄な事に時間を割いてきたかに比例すると思う。
 
 余談だけれど、表現ということだけを考えれば、言葉が一番大事かもしれない。「よみ、かき、そろばん」というけれど私は「読み、書き、会話」だとおもうな。これを徹底する事で、随分と表現は豊かになるきがする。英語を無理やり勉強する事はない。全ては如何に感動してそれを自分なりにインプットできるかだ。アウトプットは何でも応用できる。

 それから、このところの話でもう一つ気付いたこと、当たり前だけど「感じないものは伝える事も出来ない」ということだ。まず最初に感動ありきなんだな。テクニックでも要領でも方法でもない、一番大切なのは感動する心なんだ。それを育てない事には何も生まれない。生きた事にはならない。このことはまた少し書きたい。


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聖と俗 - 2011.12.25(未分類)
seijyo.jpg 

2011
聖なるもの
はる 3834
 ルオーのような板絵を描きたいと思った。何回も何度も塗り重ねた絵の具やら、壁土を一度水をぶっ掛けて洗い流した。こうする事で私が描いたという形跡がかなり消えてしまう。描いたというより残ったと言った方が正確かもしれない。

 「聖なるもの」などというタイトルをつけたが、果たしてそれがぴったりとあったものかどうか分らない。描き始めはそうだなイコンのような祈りの対象としての板絵のようなものと考えていた。しばらく描いていたのだが、どうも思っていたものと違ってきて一年ぐらい放っぽっていた。で、最近気がついてまた続きを描き始めた。何とか仕上がらないかな・・。

 「聖なる」というタイトルの騙されてはいけない。こういうタイトルをつけること自体が通俗であることを物語っている。聖なる御仁は「聖なるもの」などというタイトルはつけない。「聖なるもの」に憧れるからこんなタイトルをつけるわけで、大体が真反対だと思った方がいい。言葉そのままを鵜呑みにするととんでもないことになる。

 そう大体良いだけの人間などいない。善だけの人間など信じない。悪意や不善を行うから、そんな人間だから「聖なるもの」「おおいなるもの」に祈りを捧げるのだ。良いだけの人間なら宗教などいらない。神などいらない。反対に悪意だけの人間もいないんだな。善も悪も同じだけ持っているのが人間だ。

 これも感受性の問題な。同じ事をやっても悪意に取るか善意に取るか、結局その本人の度量しだいだな。
 


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聖夜 - 2011.12.23(ポケットの窓から)



Arvo Part - Triodion



はる 3834
 このクリスマスはかなりの寒波がやってきそうだ。このところわりと年末から正月にかけて暖かだったから、ちょっと戸惑う。でもまぁ、個人的には暑い夏よりは寒い冬の方が好きだな。あまり極寒というのを知らないせいかもしれませんが。

 子供頃からクリスチャンでもないのに必ずツリーを飾った。何故なんだろうなぁ、日本人全体が戦後貧しい時代を生きてきて、そんな自分たちに辟易して西欧の御伽噺のようなサンタクロースの物語に憧れてしまったのかもしれない。宗教でもなんでもない、お盆や正月と同じような歳時記としてクリスマスの行事をする家庭が多いのじゃないかな。

 最近自宅の家の周りをやたらとけばけばしく電飾で飾り立てる人がいるけれど、あれはいったいどこから来ているのかな。ラブホテルなみの豪華さでお互いに張り合っているようであきれる。どんな御仁がやっているのかと昼間のぞいてみると、定年退職したようなお年寄りがやっているので、これはもう老後の楽しみとしてやっているので、余計な事はいわない事にした。

 それでも少しだけ。何でもありというのは大漁旗のようで豪華には見えるかもしれないが、反対に貧しくみえる。神戸ルミナリエなどを参考にしてください。
 http://www.google.co.jp/search?q=

%E7%A5%9E%E6%88%B8+%E3%83%AB%E3%83%9F%

E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%A8&hl=ja&prmd=

imvnsl&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=

CYj0TpGXJMWgmQXk2cW4Ag&sqi=2&ved

=0CGoQsAQ&biw=1024&bih=586
 






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Ave Maria - 2011.12.22(you tube)


Daniil Shafran plays Ave Maria

はる 3833 
 先日の話の続き。

 「美は発見である」と誰かが言った。たとえそこに美しい物があったとしても、誰かがそれに気付かなければ見過ごしてしまうということだ。美そのものは元々そこのあったもので、出たり入ったりするものではない。だからある時代には凄く注目されたり、無視されたりする。人間の都合で美の範疇に数えられたり無視されたりする。

 こんな事を書こうと思ったわけじゃない。書きたかったのは感受性の話だ。まぁあらゆる表現の最も核になっているのはこの感受性という奴ではなかろうか。まぁ人によって何を一番感受するのかということなんだろうけれど、例えば微妙な色の違いだったり、形の狂いだったり、音楽ならメロディ、リズム、ハーモニーということになるか。

 料理が上手いと言うのは腕がいい、知識がある、色々なノウハウを知っているということではない、最も根本的には味覚、舌の感受性が優れていて微妙な味の違いがききわけられるということだろう。

 で、思うことはこういった感受性というのは案外先天的に決まっているように思うのだな。努力して洗練される事はあるけれど、根本的には持って生まれた感覚が全てである気がする。

 デッサンが上手い奴は、何の努力もなく先天的にそういった感覚が優れている。色もそうだな持って生まれた感覚ってあると思うな。習って勉強して努力して得られるものではないものが、確かにある。

 ではまったく学ぶというのが無駄なのかといえばそうではなくて、発想の転換で、消去していって自分が一番得意とする感覚を見つける、発見するのが学ぶと言う事かなと思う。

 え~と。まだ違うな、こんな事を書きかたっか訳でもない。今日はうまくヒットしないので、寝る事にする。 


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騙されてはいけない - 2011.12.21(ポケットの窓から)

はる 3832
 今年は公私ともども本当に色々あった。ここにきて北朝鮮の金日正総書記が亡くなった。何かと無視できない隣国だ。戦後元々一つだった国が二つになって未だにその社会主義という名目の全体主義国家を維持している国はここしか残っていないのじゃないかな。

 テレビなどの報道やネットの動画で観るしか情報はないのだけれど、彼が亡くなって、地面にひれ伏して泣き叫んでいる民衆の姿を見てどう思っただろう。たとえそれが極度に演出された為政者のプロパガンダだとしてもそれが正しいいいことのように報道されている国というのが恐ろしいなと思った。それが可笑しい、特別な国の体制だからとさも異常者の集団のように非難することは簡単な事だけれど、ちょっとまてよ、こういった姿はつい60年ほど前の自分たちの姿だったのではないか。

 あの姿を見て、私たちは今はそうではない、もっと自由に考えて行動している。あぁ良かった良かった・・と思うのは少し違うとおもうな。多分、人はそんなに変らないのだと思う。本質的に我々は全く変っていないのじゃないかな。いつの間にか批判的に物事を見ることを忘れてしまったマスコミに慣らされてしまって、「絶対安全だ」という政府のプロパガンダに目をつぶってしまったのは、結局は北の彼らと、戦前の我々と同じことをやっているんだ。

 あらゆる戦争は聖戦という宣伝で始まる。民意というのは正義ではない、簡単に操作されるということを踏まえておかないといつの間にか全体主義と同じ事になってしまう。世論なんてまったくあてにならない。民主主義という社会体制も微妙だな。ブームや一時の流行に過ぎないものに国の将来を任せてしまう危なっかしい体制だ。そういえば北の国の正式な名前は・・民主主義人民共和国っていうんだ。ドイツの悪名高きヒットラーのナチも正式には国家社会主義ドイツ労働者党という。名前だけ見ればとてもあんな恐ろしい野蛮な独裁国家とは思えない。

 騙されてはいけない。常に自分の頭で考える事だ。みんなが言っている、やっていることは決して正しい事ばかりではない。


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眠い - 2011.12.20(ポケットの窓から)

はる 3831
 昨日の話はなかなか面白い。そうなんだ、基本は本人が「感じる心」を持っているか?ということなんだな。いくら技術的な訓練をしたとしても、ノウハウを学んだとしても、最初の段階で「感じる心」がなければどうやっても表現まで行き着く事はできない。感じない、見えない、聞こえない、ことを伝える事は不可能なんだな。こんな単純な事が分っていなかった。


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表現とは - 2011.12.19(ポケットの窓から)
坂本龍一 大貫妙子
Ryuichi Sakamoto, 3びきのくま 



 

誕生日
勝手引用
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 自分がやっていることを、できるだけ単純化して、なるべく言葉にする 他の人のではなく、自分のやっていることを言葉にするのが重要 そうすることによって、自分の持っているものが自分のノウハウになる デザインを学ぶときに、よく、他人のデザインを学びがちだが、 自分のデザインの中で行っていることを分解して言葉にすることによって、多くの学びを得ることができる人間がものを作るときに、どういうことを考えているのか
音楽にしろ絵にしろ文学にしろ数学にしろ、共通のパターンがあるはず

WebSig1日学校 デザイナークラス 受講メモ - 今夜もAllSoulGig! (via nagas
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絵が上手い人は、手に技術があるのではない。目が精確に形を捉えていて、手が描く線の狂いを感知できる。つまり、「上手い」というのは、ほとんどの場合、「測定精度の高さ」なのである。たとえば、料理の上手い下手は、最終的にはその人の舌の精度に行き着く。
 ラジコン飛行機の操縦が上手いか下手かは、飛行機の姿勢をいかに精確に捉えられるか、という目で決まる。咄嗟に舵が打てるか、適切な舵が打てるか、といった問題は大したことではない。工作が上手いかどうかも、常に材料を精確に測定できるか、にかかっている。狂いのない飛行機を作れる人は、小さな狂いを見ることができる人である。精確な位置に穴があけられる人は、精確な位置に罫書きができる人だ。
 もう少しわかりやすく説明すると、「どんなとき、どうすれば良いか」といった知識は誰でも簡単に学べるが、一番難しいのは「今がどんなときか」を感知することであって、これは知識としては学べない。現在の位置や状態を的確に把握できれば、もう「上手い」も同然なのである。

 絵が上手い人は、手に技術があるのではない。目が精確に形を捉えていて、手が描く線の狂いを感知できる。つまり、「上手い」というのは、ほとんどの場合、「測定精度の高さ」なのである。たとえば、料理の上手い下手は、最終的にはその人の舌の精度に行き着く。
MORI LOG ACADEMY: 「上手い」とは何か (via send) (via marytan) (via umi11026292) (via miyavi, tak


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 はる 3830

 上の二つをつなげると、なんとなくこんなふうになるかな。

 例えば「表現」と言う事を考える。自分の気持ちなり言いたい事、感動を上手く人に伝えたいと思ったとする。表現の上手い人というのは、そういった技術がある人、簡単にそれを才能があるなどというけれど、でカルチャー教室や専門学校などではそんな表面的なノウハウを知りたがるのだけれど、本質はそこにはないと思うな。

 上の文章から言うならば、まず最初に感じる自分というのがある。そして自分は何にどのように感動したか、どの部分に感動したかということを出来るだけ単純な自分の言葉に翻訳することが大事。そうやって植物がよくこなれた堆肥から栄養を吸収するように分りやすくインプットする。そして今度は反対に分りやすく自分なりの表現としてアウトプットするというわけだ。

 正確に分析できる能力があるかどうか、もっと突き詰めれば最終的にその人の「感受性の精度」に行き着く。出来るだけ多くのものを観て、聴いて、読んで、体験して、歓んだり悲しんだり怒ったりして、感受性を磨くことが取りも直さずいい表現者になる方法だと言う事だ。簡単なハウツーなどない。生きること全てが表現なのだ。

絵が上手い人は、手に技術があるのではない。目が精確に形を捉えていて、手が描く線の狂いを感知できる。つまり、「上手い」というのは、ほとんどの場合、「測定精度の高さ」なのである。たとえば、料理の上手い下手は、最終的にはその人の舌の精度に行き着く。
 ラジコン飛行機の操縦が上手いか下手かは、飛行機の姿勢をいかに精確に捉えられるか、という目で決まる。咄嗟に舵が打てるか、適切な舵が打てるか、といった問題は大したことではない。工作が上手いかどうかも、常に材料を精確に測定できるか、にかかっている。狂いのない飛行機を作れる人は、小さな狂いを見ることができる人である。精確な位置に穴があけられる人は、精確な位置に罫書きができる人だ。
 もう少しわかりやすく説明すると、「どんなとき、どうすれば良いか」といった知識は誰でも簡単に学べるが、一番難しいのは「今がどんなときか」を感知することであって、これは知識としては学べない。現在の位置や状態を的確に把握できれば、もう「上手い」も同然なのである。

絵が上手い人は、手に技術があるのではない。目が精確に形を捉えていて、手が描く線の狂いを感知できる。つまり、「上手い」というのは、ほとんどの場合、「測定精度の高さ」なのである。たとえば、料理の上手い下手は、最終的にはその人の舌の精度に行き着く。
 ラジコン飛行機の操縦が上手いか下手かは、飛行機の姿勢をいかに精確に捉えられるか、という目で決まる。咄嗟に舵が打てるか、適切な舵が打てるか、といった問題は大したことではない。工作が上手いかどうかも、常に材料を精確に測定できるか、にかかっている。狂いのない飛行機を作れる人は、小さな狂いを見ることができる人である。精確な位置に穴があけられる人は、精確な位置に罫書きができる人だ。
 もう少しわかりやすく説明すると、「どんなとき、どうすれば良いか」といった知識は誰でも簡単に学べるが、一番難しいのは「今がどんなときか」を感知することであって、これは知識としては学べない。現在の位置や状態を的確に把握できれば、もう「上手い」も同然なのである。



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裸婦クロッキー11/12/18 - 2011.12.18(裸婦クロッキー)
  

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70年代 - 2011.12.17(you tube)


goosehouse
白い雲のように
はる 3828
 アマチュアなのかな、この下手くそでそれで凄く楽しそうなのが凄くいい。何故かな?自分たちの学生時代を思い出す。久しぶりにギターを納戸から取り出して唄いたくなった。  ♪♪・・とうざかる~~・・♪♪

 我々が中学生だった頃、ちょうどグループサウンズと言われるエレキギターをかき鳴らしながら唄うという新しい形の音楽が流行った。ビートルズが来日したのが1966年で私は中二だったけれど、ほとんど当時はそういったポップスにはほとんど興味を持っていなかったな。

 ギターは上の兄貴が大学でギター部だったので古いギターが家にはころがっていた。そこ頃はクラッシクギターもフォークギターも違いはわからなった。中学生の頃見よう見まねで教則本を買ってきて独学でクラッシクギターを始めた。ブラスバンド部だったので譜面はいくらか読めたようだ。今でも覚えているのがロシア民謡の「二つのギター」とか「ともしび」とかそんなものがアルペジオ(バラバラのコード演奏)で弾けた。最後はごたぶんにもれず「禁じられた遊び」だな。これが弾けた時は嬉しかったなぁ。ところがまぁ、そんなクラッシクの世界と全く違う楽しい世界があったんだな。

 それがフォークギターのコード奏法だ。そのころ発売された歌の本にはみんなコードが印刷されていて誰でもコードさえ知っていればどんな曲でもそれなりにバック演奏できると言う事を知って驚いたな。目からうろこで、そういえばグループサウンズの連中はギターを縦に弾いていたよなぁ、クラッシックは五本の指で爪弾くのに格好が違うなとは思っていた。

 その頃はフォークソングがアンダーグラウンドで流行って来ていた。学校の昼休みは中庭で誰かがギターを持って唄っていた。関西だったから岡林信康とか西岡たかしの「五つの赤い風船」がレパートリーだったな。コードも簡単だったから、これはリズムのを刻む打楽器とコードを奏でる伴奏楽器の両方を兼ねている。コードは弾けてもなかなかリズムが格好よく刻めない。音を出さないカッテングの方法を知って必死で訓練した。

 みんなそうだと思うんだが、若い頃は無名のシンガーに憧れるんだな。吟遊詩人なんてね、格好いいもの。ほれムーミンにも出てくるじゃない、スナフキンだっけ。放浪の音楽家、詩人、芸術家。だれもがいっとき憧れて、やがてはそんな生活は無理だ、夢物語だとあきらめてゆく。

 一時でもそんなことを夢想しなかった人間はいないのじゃないかな。どう思う。



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no title - 2011.12.16(ポケットの窓から)



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S. Rachmaninov - "Vocalise" Daniil Shafran(cello) - 2011.12.15(you tube)

S. Rachmaninov - "Vocalise"
Daniil Shafran(cello)

はる 3826
 チェロに限らず、音楽というのはビブラートというのが難しい。極自然に目をつぶると唄っているかのように聞こえるのがいいビブラートだと思う。下手っぴいは凄くわざとらしく聞こえる。

 このビブラートをかけるのがけっこう恥ずかしい。そこそこ様になればいいのだけれど、音程もままならないのに下手なビブラートをかけるとよけいに音がくるう。それにこの動画の主人公のようになりきらなければ様にならない、これがまた恥ずかしい。役者のようなところもある。

 「悪気がない」とはよくいうフレーズだ。極自然に、何も考えず、作為がないということだが、天然であるがゆえに人のテリトリーに無遠慮に入ってくるということがある。人を無遠慮に傷つける。相手はそのことを理解していないから始末が悪い。いくら注意しても馬の耳に念仏。蛙の面に何とかだ。

 それならばまだ「悪意がある」ほうが対処しやすい。「悪意がある」というのはその本人が「悪いなぁ」と思ってあえてやっているから、どうにでも対抗手段がとれる。

 「清濁あわせのむ」とはよく言う。昔は純粋であるという事が凄く尊いと思っていた。清く貧しく美しい」そんなものが理想かなとも思ったけれど、少し年をとると自然に変ってくる。いい年をして清いというだけというのは尊いかもしれないが、浅いという気がする。「清濁」「喜びも悲しみも」「酸いも甘いも」どちらも分って初めて深い表現になる気もするな。
 


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敬称は - 2011.12.14(ポケットの窓から)


2012銀座松屋個展DM
はる 3825
 地方などで長い間活動していると、その界隈ではそこそこ名前が知られてくる。だいたい毎日DMが何通か送られてくるのだけれど、年間にすればその数は半端なものじゃない。宛名の敬称が「・・先生」となっている場合が時々あるのだけれど、ちょっと戸惑うな。極普通に「・・様」でいいのではないかな。私は昔から、どんなビッグネームの作家でも「・・様」で通している。私が「先生」と呼ぶのは3人しかいない。

 私自身何枚のDMを出しているのか、グループ展を勘定に入れなくても5,6枚はあるのじゃないかな。こんかいのDMで59回目の個展だ。年が改まりましたら出すつもりでいます。東京近郊にお住まいでまだ個展に来られた事がない、遠くてとても行けそうなないけれどDMは欲しいという方は
http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm
にどうぞ、ご住所とお名前を書いてお知らせ下さい。


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これから - 2011.12.13(ポケットの窓から)

はる 3824
 水滸伝がいよいよ19巻で最終です。本家本元の水滸伝を読んでいないので何とも比べようがないのですが、私ごとききが色々言っても誰も聴いてはいないでしょうから言いましょう、率直に言ってつまらない物語だったな。所々わくわくしてよんだところもあるけれど、全体としてはだらだらとしてしまりのない話だった。最後まで読みすすめたのは意地みたいなものかな。まぁ嗜好が違うという事で、もう既に評価が定まった作品を、私が色々言うことでもないでしょうからここまでにします。

 明日で今年最後の授業があります。二学期の期末テストが終わった後の授業は私も生徒もやる気がない。テスト前に少しがんばって作品を仕上げてしまったので最後はレクレーションでDVDをみせます。管理職に見つかればお小言をくらうのだろうけれど、がんばったご褒美だもの学習効果のあるものでなくてもいいと私は思う。

 後20年でどこまで行くのかという考察。まぁこうなるだろうと予測して勿論生きているわけでないから、それこそ予測は不可能なんだけれど、少しまた書きながら考えてみよう。

 この20年の前半の10年は大作に力を注いでいた。というのは公募展やコンクールで受賞を狙っていたからだ。世の中に認知してもらうにはある意味そういった方法しか考えられなかったからだ。多分今でも若い人はそういったチャンスにかけるのじゃないかな。

 コンクールの功罪はよく言われるけれど、その射幸性(まぐれ当たりに一発を狙う博打性)とか、まじめにこつこつやることを嫌い浮ついた表現がもてはやされる風潮とか。まぁいずれは卒業しなければならない関門だとは思っていた。

 後半の10年は個展を中心に考えてどちらかといえば小さい作品に力を入れてきた。だから同じぐらいのキャリアの作家では個展の回数も多い方だと思う。特にデパートで個展を開催するようになった2007年からはさらに加速度がついたような感じだな。いい悪は別にして絵描きになって来たのかもしれない。

 多分ここから10年も個展の回数は減らないだろうな。今しか出来ないからね。できるなら色んな地方で場所で個展を開催したい。地方でがんばっている眼力のある画廊のオーナーと一緒にやって行きたい。画家が表現者だとするなら、そうやってできるだけ出かけて行ってじかに話をしたり聴いたり、そんな時間を持つことが大切なような気がする。

 画家として大きく注目される事はもうないだろうな。それに大きな展覧会をやりたいとも思わない。外国で何とかしたいとも思わないな。それぞれの地方で小さな個展を重ねてゆくのでいいのじゃないかな。そんな生き方がしたい。

 


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哀歌 - 2011.12.12(未分類)

Fauré Élégie

 

エレジー
F6
2011


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no title - 2011.12.11(ポケットの窓から)

はる 3822
 来年は私の干支で年男です。48歳ではありません。還暦です。信じられませんが事実です。あと何年絵を描いていけるのか、どこまで行けるのか、そんな事を時々考えます。当然20年経てば80になるわけで、そこまで行けばそう大きく絵が変るということもないだろうと思うんだな。分りませんが・・。

 でよくやるのが、20年前はどんな絵を描いていたのかと逆算するわけです。そこからこれからの20年を推し量るわけですな。今から20年前と言いますと、1990ねん初頭。バブルが終焉した頃ですね。世の中は不景気に突入するわけです。

 私はどんな絵を描いていたかというと、ちょうど国画会に初出品したころと重なります。こんな絵ですね。
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平均律 1990 油彩
 これは油彩の私にとってはかなり大きい130号ですから大作といっていいでしょう。県立の美術館に収蔵されている私の唯一の代表作ということになっています。私がこの世からいなくなってもこの作品はたぶん美術館がある限り残ってくれるでしょう。そういう意味ではいままでで対外的に一番評価の高かった時期かもしれませんね。

 ここから出発してまぁ随分と遠いところまで来ました。まず画材が油彩からミクストメディアの混成技法になりました。油彩の最後の頃にも紙などのコラージュはしていましたが、まだまだ遠慮していました。

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2000 こたえてください
 こんなのを経て最近は
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2011 負の遺産
 まぁもう少し考察が必要ですな。今日はお眠の時間です。


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書くことで気付くこと - 2011.12.10(ポケットの窓から)

はる 3821
 インターネットとかHPとかブログとかいいかたは色々あるけれど、PCと関係のない生活をしている人にとっては全く意味のない話だな。私はたまたまPCを触る事が出来るぎりぎりの世代だったのかもしれないな。まぁ仕事で使わなきゃ積極的には使えないだろうな。見るだけなら見ることは出来るけれど使ったということにならない。

 HPも一時は猫も杓子もこぞって立ち上げたけれど、今はどうなんだろう充分に活用されているとは言いがたいのじゃないかな。特に自分で更新されない、人にお任せしたページほど訪れるひとは少ないのじゃないだろうか。まぁ立ち上げたならできるだけ頻繁に更新することが必須条件じゃないかな。

 ブログなどやるとよく分かるのだけれど、こうやって毎日更新するのはかなり難しい。これは義務とか責任などという気持ちでは絶対に続かない。まぁ単純なことだけれど、書く事、表現する事が好きであるということかな。

 ちょっと違うか。書く事というより考え事がすきなんだな。あーでもない、こーでもないと色々と考え事にふけることがすきなんだと思うな。考えるという事は日本語で考えるわけで、私は外でもよくメモしながら考え事をしている。メモはほとんどの場合捨ててしまう。考え事といってもいつも人生について考えているわけでもなくて、つまらない雑多な事をつれづれに考えている。他の人はどうやって考えているのだろう。

 学生の頃からメモを取りながら考える癖があったので自分の中ではまったく違和感がなくこうやってpcに向って綴っているのだが、そういう習慣のない人は続けるのは努力が必要かもしれない。私の場合ほとんど惰性で書いている。ゆえに書かれた文章も筋もなければ意味もない。メモなら捨てられる運命にあるものだな。たまたまこうやってブログになっているから残ってしまったと言うだけだ。

 前にも書いたが、ネタを探しているうちは多分いつかはネタに詰まることになる。ネタは探して書くものではない。書いているうちに出てくるものだ。これは自分の絵の描き方といつも思うけれど似ている。自分は今こんな事を考えていたのかと書くことで気付くことが多い。

 書くこと、描く事、出し惜しみせずにどんどん出してゆく。出し続ける限り枯れる事はない。とまると枯れるような気がする。


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批判精神 - 2011.12.09(未分類)
 
はる 3820
 今日は久しぶりに寒い。さっき外に出ると月が青く輝いて凍えていた。やっと冬になった感じだな。もう随分と昔の話だけれど、この地に始めてきたのは二十歳過ぎの頃で、当てもなく一人旅を楽しんでいるときにたまたま八ヶ岳の風景が気に入って麓の旅館、当時はペンションなどという洒落たものではなくて、国民休暇村といった宿泊施設があった、に何日か滞在したのが最初だ。

 当時は清里もまだ売り出してはいなくてひなびた田舎の駅舎がぽつんと一つあっただけだったな。その後バブルが来てあれよあれよという間にリゾート化してまるで遊園地か漫画のようなちんけな建物が所狭しと建ってしまった。観光客を相手にするという商売はよく考えないとただのブームで終わってしまって、結局は何も残らないということになる。最初は少しはお金になるからどっと押しよせてくるのだけれど、やがて飽きられてだれも見向きもしなくなる。その時はもう何もかも踏み潰されてしまった後だったりする。

 我々というのか一般庶民は基本的に浅はかである。ブームに流されるものである。と思っていたいた方がごまかされないですむ。バーッと一気にブームになったものは同じだけのスピードでそのブームも去ってゆく。だいたい庶民は少し後からついてゆくもので、ババを引くのはその手の後発組みだろうな。先発でアンテナの感度の高い連中はもう手を引き始めている。

 だいたいあのバブルの頃の狂乱はまともな人の感覚さえおかしくしていたんだな。リゾート法なるものが出来てとんでもない山の中や僻地に大々的な行楽施設を作って遊びましょう!と誘っていた。行政そのものがどこかおかしくなって煽っていたところがある。その時代の真ん中にいる人々にとってはそれが不思議に見えないから怖いなぁ。

 お金が余って各地方の自治体に一億円を配ったりしていた。恥ずかしい話、どう扱っていいか分らない地方の自治体は金の延べ棒を作って「住民のに触らせるというサービスをしたなどと新聞に出ていた。あほらしくて腰が抜けた。あれはどこの県だった?昔のことは笑えない。みんな今のことなんだ。あれが今の我々のセンスなんだ。

 原発がどうたらこうたら、今頃になって正義感面して東電や安全委員をせめてもどうにもならん。マスコミなんて結局大同団結の大本営で、大衆の味方しているように装っても、結局マスコミそのものが時の権力者の意向をあらわしているにすぎないことが今回の件でよお~く分った。だれも計画停電を非難しなかったものな。あんな横暴を許してしまった。

 特に新聞、テレビは信用できない。いまさら偉そうな事書くな、言うな!警告を発信できなかった責任はとても大きいと思う。

 話が違う方向に来てしまった。まぁ今日はここまで。


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no title - 2011.12.08(ポケットの窓から)

はる 3819
 毎年12月になるとクリスマスのデコレーションで玄関先を飾る。次第に規模は小さくなって来たけれど遣らなかった年はない。子供の頃からこういったデコレーションは好きだった。もうすぐ還暦を迎える子供のいない老夫婦がこういったグッズをちまちまと並べている風景もまぁ悲しくも楽しいのではないか。

 ということで、今日はお終い。また 
 


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独学 - 2011.12.07(ポケットの窓から)

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安藤彩子卵殻モザイク展
12/1~12/28
甲府・バールスロー
055-226-8625
はる 3818
 インターネットの面白いところは、全く聞いた事がない作家とめぐり会うことだ。普通なら絶対に会うことがないであろう作品と出会うことだ。無論本物ではないのだけれど、魅力ある作品はぜひともこの目で見たくなる。

 まぁ良く知られた団体展会員やコンクールの常連であるなら、その作品はどこかで見る機会はあるのだが、全く無所属で個展以外に発表しない作家はその存在を知りようがなかった。それにある意味そんな作家の方が面白い作品を描いている場合もある。

 私が面白いと思う作家は、独学でアカデミックな美術教育など受けていない作家の方が多い。アカデミックな教育というのはどこでもそうだと思うのだが、なぜか全て同じような手法になってしまう。元々アカデミックというのはそういう危険性があるということだろうな。才能あるものもないものも全て同じように更地にしてしまう、だれがやっても皆同じという風になってしまうのだな。

 元々教育というのはそういったところがあるよな。みんな更地にして同じ種をまいて一定以上の水準を確保する。一番要領よく効率的に育てるのはそれが一番いいわけだ。

 それと、例えばどこかのコンクールに出品するということになると、そこそこの大きさの作品を描く必要があるし、第一に多くの作品たちと競い合って勝とうという意欲もなければならない。一発当ててやろうと言う山っ気も多少必要だ。

 しかし、私が面白いと思う作家は、そんなところとは関係がないところで生きている人が多い。作品の大きさも小さいし、まして人と競争して勝とうなどとは考えてもいない。どこか名も知らない小さな地方の画廊でささやかな展覧会をやっていたりする。

 ネットはそんな作家とめぐり会う可能性を秘めている。ただブログなどと同じように玉石混合で99.9%はただの石ですらない。まぁそれはお互い様で聴く耳を持たない人間に何を言っても始まらない。


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ちょんまげ - 2011.12.06(ポケットの窓から)

はる 3817
 髪の毛が随分と伸びたので、最近は普通に後ろで縛っている。髪が薄くなってきたので、この方がなんとなく締まって見える。そうやって周りを見るとけっこう長い髪を縛っている人が多い。昔は若いヒッピーくずれが多かったが、このところ割と年取った人が増えてきたように思う。まぁ我々と同じ世代が年取ったというだけか。それでも、そういったスタイルがあまり特別と言う感じがしないのは世の中がけっこうそういうことに寛容になった証拠かもしれない。

 今日は眠い。
 


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私そのもの - 2011.12.05(ポケットの窓から)

はる 3816
 安井賞を受賞する前の独立美術の木津文哉さんとか中嶋明さん、国画会なら肥沼守さんや浅野アキラさんなども盛んに銀座で個展をやっていた。まだほとんど無名であった、わたなべゆうさんが顔を見せてくれた事もあったな。私も勿論若かったけれど、彼らもまだ世の中に認知される以前の何者でもない若者だったわけで、私などは勝手に親近感をもってみている。

 銀座で個展をやって意味があるのか?と聞かれることがあるけれど、そうだなぁ、確かに大変な苦労をして手間と暇をかけて個展にこぎつけるわけで、それに見合った効果があるのかと言われると、疑問だな。どこかの評論家が拾ってくれるとか、有名な画商が目をつけてくれるとか、コレクターがつくとか、まぁあるかも知れないが私に限ってはそんな上手い話はなかった。

 けれど、地方の誰も知らないような展示場でやるよりも何倍も手間も暇もかかるけれど、自己満足かもしれないが達成感はあった。同じ時代に同じような志を持って集まってきた連中と少しだけでも共有できた時間や雰囲気、時代を共有しているという盛り上がった気持ちはあそこでしか味わえなかったように思う。時代はバブル真っ最中の90年前後の話だ。

 95-96とイタリアに旅行、帰国後銀座での発表はギャラリー惣にお世話になる。最初は勿論貸し画廊で始めた。その後少しずつ作品も売れるようになってきたこともあって企画になる。とはいっても、飛ぶように売れたわけでもなく画廊代を払うのと同じくらいの収益しかなかったと思う。銀座には数多くの画廊があるけれど、世の中で初めて認めてくれた画廊がここだった。絵描きとしての一歩をやっと出せた気がした。最初に企画にしてくれたギャラリーというのは頭が上がらない。

 2007年に転機が訪れる。全国の大手のデパートの画廊に個展を企画しているHさんと知り合ったことだ。Hさんとの邂逅の件はもう何度もここで紹介したので書かない。兎に角Hさんの眼に私が留まったということが普通なら絶対にありえないことのように思う。「私のことを見つけて欲しい」というベクトルと「だれかいい作家を見つけたい」というベクトルがどこかで重なることが時々あるんだな。だから人生は面白い。

 しかし、デパートで企画されるということが一概にチャンスだとは言い切れないところがあることは確かだ。それがどういう意味か分らなければ各地のにあるデパートを覗いてみればいい。デパートに並んだ絵画はどうやってもそれは値段のついた「商品」になる。反対に言えば商品でないものはデパートの画廊には並ばないということだ。だから並んでいる作品はすべて商品の顔つきをしている。「小きれい、細かく、分りやすい」これがデパートの絵の必須条件である。私の作品は言ってみれば真反対の顔つきをしているわけで、どうも居心地が悪い。それでもいいとデパート側と交渉してくれたHさんには頭が上がらない。

 芸術作品は現世では受け入れられないものだという前提で話が進む。だから今受け入れられるものは芸術的には価値が低くて、反対に売れないほうが価値があるんだということになる。確かに歴史的にみて多くの芸術作品は生前は売れなかったものも多く、没後何年もたって評価されて売買されるケースが多い。だからといって売れないということが芸術的に優れているという証明にはならない。ほとんどの場合ただ単に価値がないだけだろう。

 私の作品が芸術作品かどうかそんなものは知らない。芸術をやっているという意識もない。芸術家だとも思っていない。私の絵で世の中に問題提起するとも思っていないし、分らないから分るから意識が低いとも高いとも思っていない。ようするに絵で世の中が変るとも思っていないし、大したものであるはずがないと思っている。

 私の描いたものは作品でもない。出来るだけ個人的な匂いを消したい。路傍の石のように極普通にそこにあるものになれたらいいと思っている。 ある種の「お守り」とか「護符」とか「シンボル」とか「御神体」とかもっと分りやすく言えば、誰もが持っている自分そのもの、変らないもの、人間そのものを描いているつもりだ。だから何年経っても変らないし、誰にでも受け入れられるもののように思うんだけどなぁ。どうだろう。

 続く・・かな。


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個展を始めた頃 - 2011.12.04(ポケットの窓から)

はる 3815
 個展そのものは随分と昔からやっている。第一回が83年だから仕事を辞めて帰ってきた年の秋に、まだ美術館がなかったので県民会館の地下で大きな作品ばかりを並べて凱旋の展覧会をやっている。その間に街中の小さな喫茶店で展示会もやっているけれど、本格的な個展はこれが初めてだった。その3年後86年に「四季の丘」というタイトルで、これもまた大作の風景ばかりの個展を同じ会場でやった。自分では随分がんばったつもりだった。けれど反響はほとんどなかった。

 個展と言うのは作品の発表で公募展用にこしらえた大きな作品を並べて自分の主義主張を見てもらうのものだという考え方はここまでだ。こういうやりかただと、三年に一回個展をするのが精一杯で、やったとしても「よくがんばりましたね!」で終わってしまう。学生や学者、趣味でやっている個展ならそれでもいい。けれどこんなことをいくら繰り返していても、誰かが見つけれくれて世の中に出るなどということはほとんど不可能だ。ましてこんな田舎で誰も見もしないような地下の展示場でいくらがんばっても空しいと思った。

 スタイルとして大作だけ並べる個展というのをやめにした。一年間なら一年の間に描いた作品を大小織り交ぜて展示する。自分の一年間の活動報告的なスタイルにしょうと思った。絵描きである前に一人の人間として何を考えてどう生活したかということを展覧会を通じてみてもらう、そういったスタイルならやっていても意味があるし、面白そうだと思った。(芸術家)アーティストなどとはおこがましい、単に芸人でいいとおもった。

 88年、会場も東京の銀座でやる事にした。当時、こちらで知り合った絵を描く仲間も東京で個展を開催する機会が多くなってきた。そうは言ってもやはり地元と違って経費がかなりかかるわけで、苦しい生活の中からその経費を捻出するのは並大抵の事ではなかった。出来るだけ色んな掛かりを切り詰めて、滞在にはウィークリーマンションを一週間借りて、自分の車で生活道具も出来るだけ詰め込んで移動する。まぁそれもこれも楽しかった。

 その銀座のT画廊も今はもうない。一週間で15万ぐらいではなかったかな。同じような画廊が銀座には星の数ほどあるけれど、これは破格だったのではないだろうか。売れるなどということはほとんど期待できないわけだから、一年間かけて個展の経費を何とか捻出する、それが当時の私のライフスタイルを決めた。ここでは5回ぐらいやったのではないだろうか。

 当時、今では有名になった色んな作家が盛んに銀座で発表している最中で、毎年やっているとそういった同じ世代の優れた仲間と知り合いになった。そのことも随分と財産になったと思っている。

つづく


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植松茂美個展 - 2011.12.03(ポケットの窓から)


植松茂美個展
12/3~12/11
甲府・ハーパーズ・ミル
055-277-6477
はる 3814
 昨日は二学期に授業がつぶれて作品が間に合わなかったクラスの追加の授業を一時間だけ取った。本来は出来るだけ他の時間を当てる事はしないのだけれど、まぁ今年は特別に授業がつぶれたということもあって、仕方なしに追加をとった。その後まだ作品が仕上がらない生徒たちだけを残して6時まで補習授業をする。クラスの半分以上の生徒が残って美術の課題をやっていた。(私はもちろん付き合うのだが、時間給講師の手当てにはならない)

 作品を提出しなければ赤点ということはもちろん知っていいいるし、途中で提出ということも認められないので彼らは必死で居残りで課題をやる。いい作品はいい点がもらえるということも勿論だけれど、何点かは美術室の廊下の掲示板に半年くらい張り出される。それがけっこう嬉しいらしい。

 全国区で有名な野球部らサッカー部の小憎らしい荒くれ生徒たちが、一片2cmほどの正方形のなかを面相筆をつかって真剣にちまちま塗っている様はなかなかいいものだ。彼らにとって筆を使って色を作ったり塗ったりといった経験は今しかない。その事の大切さを後になって知ることになる。今はただ一生懸命やるだけでいいのだ。

 時々こんな面倒な作業は何の意味があるのですか?と問いかける奴がいる。何の意味もないと答える。学校の勉強とはそういったものだ。すぐに役に立つ、身になるというものは何もない。反対に言えばすぐに役に立つノウハウなどすぐに役に立たなくなるものなんだな。すぐに役に立たないことだから、学生のうちに徹底してやるんだ。実生活で役に立つ事など後でいくらもやらされる。お金にならない損得でない無意味な事にこそ意味がある。役に立つ事だけやるのであればすぐに仕事につけばいい。実際の世の中はそんなことで成り立っている。学校生活ぐらい無意味で無駄でいいのだ。その遊びの部分がやがて有益で有意義に変るのだな。


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アルヴォ・ペルト - 2011.12.02(you tube)


Arvo Pärt - Spiegel Im Spiegel (Violin And Piano)




Arvo Part - Magnificat

はる 3813
 このアルヴォペルトという現代音楽家の作品はどれも人間の深いところに触れる祈りの声が聞こえる。


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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