
はる 3807
徒然草
■第百十七段
友とするに悪(ワロ)き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇(イサ)める兵(ツハモノ)。六つには、虚言(ソラゴト)する人。七つには、欲深き人。
よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師(クスシ)。三つには、智恵ある友。
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内科医・池田正行
http://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/dokusou.htmlより
独創性だって?そんなものは要らんよ.だって,独創性のある仕事って,あなた以外は興味を持たないってことだろ.そんなことより,あなたの発案にたくさんの人が興味を持ってくれて,すぐさま模造品がたくさん出回って,誰の発案だかわからなくなってしまう方が,あなたの名誉になるじゃないか.
素晴らしい考えだったら,誰でも共有したくなる.模造品が出回るのは名誉なんだ.そこであなたのオリジナル製品の方が良ければユーザーはそちらを選んでくれるだろう.逆の場合だったら,あなたが,模造品と思うものから学ぶがいい.尤も,模造品と呼ぶのはあなただけで,あなた以外の人はバージョンアップと呼ぶだろうが.
真似は最も基本的な学習である.その基本的な学習のための良質な教材を造るあなたは,何と素晴らしい教育者だろうか.小さな子供があなたの真似をしてくれたら,そこに愛が生まれる.独創性なんて糞喰らえ.共有こそがあなたを幸せにしてくれる.
著作権や,特許の類はガキのおもちゃである.デフォルトは無名化する.ロラン・バルトの言うところの,「作者の死」 それが真の意味での世界征服である.
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多くの子供たちと接していて思うことは、人は我がままだということだ。まぁ我がままであるというのが自分を一番遠くまで運んでくれる秘訣ではあるのだ。
「わがままな遺伝子」という話をどこかで読んだ。個性だ、独創だとよく言われるけれど、遺伝子レベルで言えば我々一人一人は人類の遺伝子を運ぶ舟でしかない。個々の遺伝子は物凄くわがままで、兎に角自分のコピーを残す事、その事だけを第一に考えている。それ以外に彼らの使命はないとさえ言える。
その遺伝子の乗った舟である人間は基本的にわがままである。子供であれ、もう余命幾ばくもない年寄りであっても考えていることは「私をのことを見て」それだけだ。自分の事はいいからほかを見てやってと言える人はまずいないな。もしそうであるなら、そうやって他とは違う行動をとって反対に自分のほうに目を向けさせているという高等技術を使っている可能性があるな。
青年時代にしろ老年であっても心を病んでしまう原因はこの「私を見て」が原因ではないかな。すんなりと自分の居場所が見つかればそこで仮かもしれないけれどとりあえずは安堵する。安定する。
人は基本的に我がままに出来ている。それが満たされなければどんどんと自分の心の中に埋没して自らの心を蝕んでゆく、ブラックホールのようにね。
表現と言うのは自分と向かい合う事で可能になって行く行為ではあるが、一つ間違うとどんどんと深みにはまってにっちもさっちも行かない闇の中に入り込んでしまう。まぁそういうブラックボックスのようなところがある。
個性だとか独創性などというものを後生大事に表現のキーワードにしていると、結局は独りよがりの短命なはやりもので終わってしまう。どこでどう迷い込んでしまったのか、オリジンというのは源泉だ。多くの人に共通する普遍的なものを見つけるべきではないのかな。
話が独創的すぎる?そうか。