あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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はぐれもの - 2011.11.30(ポケットの窓から)

はる 3811
 今から30年前に学校の正規の先生を辞めた。その事はもう何度も書いた。辞めたきっかけはそうだなぁ何だったのかな。結局今考えると、当たり前だけど経験不足、仕事に対しての認識の甘さ、心構えがなかったということだろう。

 新任の教師はどんなにやる気のある熱血漢でもかなり生徒にやられる。若いというだけで彼らには絶好のターゲットになる。新任の教師などまるで自信がないわけだから、そこのところを見透かされるわけだ。クラス全体で反発すれば一二ヶ月で精神がおかしくなる。そうやって多くの新任の教師がリタイヤして行く、私もその一人というわけだ。

 多くの生徒の前に立って話をするのは未だに上手くはないし、緊張する。けれど「人前で話をするのが上手くないから、話の腰を折るなよ」と言う事ができるようになったのでまぁ慣れたということかな。これも経験なんだろうな。

 今だから言えるけれど、あの時に辞めてよかった。あと一年やれば何となく定年まで続けていたような気がする。辞めるにはそうとうの勇気がいる。自分の人生設計を根本から変えてしまう訳だから当然の事だ。辞めてどうするのだ?と問われて苦肉の策で「絵を描きます」といったけれど、絵で何とかできるとは本当のところ考えていなかった。

 元々教師などになりたかった訳でもない。中学校の絵の先生でもやりながら、二束のわらじで絵でも描いてゆこうなどと半端な考えで教員試験を受けて、心構えも何もなくて通ってしまった。だから最初に強烈な洗礼を受けたわけだ。「お前なんか先生じゃない」とね。今考えても当時の心境を思い出して情けない気持ちになる。辞めるしか選択肢はなかったんだな。

 今もし新任の教師がこれを読んでいたとしたら、辞めないで我慢しろというだろうね。ニ三年我慢してそれからでも遅くはない。辞める奴はいずれ辞める。辞めないで続けられるならそれに越した事はない。なまじ有望な人生を芸事ごときに費やすことはない。真っ当な人生をやれないはぐれもんの最後の職業が作家だというからねぇ。まぁ当たらずも遠からず。
 


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代車 - 2011.11.29(ポケットの窓から)

はる 3810
 昨日の夜に気がついたのだが、車のラジエターのモーターーが回りっぱなしになってブンブン音がする。走っている感じは異常は感じられないのだが、どうも異様な音だ。すぐにはどうにかなる気はしないが、こういう異常音というのは気をつけたほうがいい。いつも乗っているオーナーしか感じられないシグナルが含まれている。

 今朝早く起きてボンネットを開けて驚いた。ラジエターのホースの部分から水が吹いて予備タンクの水が無くなっていた。原因は分らないのだけれど、とりあえず出かけなければならないので大きなやかんに水を入れて予備タンクを満タンにする。このまま遠出をすればどこかでエンジンがお釈迦になっていただろう。

 お昼にいつもお世話になっている車やさんに見てもらう。即代車を用意してもらって、様子見ということになった。修理にいくらかかるのか。そのままポンコツになるのか、良く走ってもらった車だけどね。ちょっと年代物の車だからな。
 


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no title - 2011.11.28(ポケットの窓から)

はる 3809
 絵を描く事をなりわいにしてしまったので、描く事が好きか嫌いかよく分からない。まぁ嫌いではないけれど、怒られるかもしれないがそんなに好きでもない。たしかに昨日のように物を見て描く、ヌードクロッキーのようなものの場合はけっこう面白い。何だろう人は本能的に見えたものを記録したいという欲求があるのだろうかね。ほとんど何も考えないで集中しして描いている。五分十分という短い時間だから集中できるのかもしれない。

 こういった技術的なことは運動能力に近いところがある。やればやっただけのことはある。出来なかったことができるようになることは楽しいし、出来ないものにとっては神業のように見えるかもしれない。サーカス小屋の空中ブランコや一輪車とさしてかわらない。感動的ではあるがそれだけのことだ。

 もし絵の良し悪しがそれだけで決まるなら、絵画の世界は随分狭いつまらないものになっていただろう。

 ・・・・・眠くなった。


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裸婦クロッキー11/11/27 - 2011.11.27(裸婦クロッキー)
 

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はる 3808
 今日は久しぶりのクロッキーに出かける。鉛筆一本と練りゴム一つあればほぼ一日中遊ぶ事ができる。こんな単純なことがどうしてこんなに面白いのだろう。

 真っ白な画面に一本の線を引く。この一本の線が内と外を分ける。内側は体の一部に成り、他の一方は広い空間になる。内側は触れれば柔らかい血の通ったからだがあり、外側には奥行きのある間が出現する。今まではただの白い紙だったものがそこに忽然と肉体を含んだ立体的な空間が生まれる。

 日本の神話に「おのころ島」の話がある。神代の時代にイザナギのミコトとイザナミのミコトが日本の国を作った。大きなおたまで海原をぐりぐりとかき混ぜて、持ち上げた時にそのしずくが落ちて「おのころ島」=淡路島が生まれた。私が生まれたのが淡路島だったのでそんな話を寝物語に何度も聞いたことがある。

 鉛筆をもって一本の線を引くとき、よくその話を思い出す。何も描かれていない画面は大きな宇宙と同じなんだな。何でもあるけれど、なにもない混沌とした世界。なにもないとは無数の線があるのと同じだ。私は神になってその中から一本の線を選び出す。その線が天と地を分け、やがて人が生まれて、小さな宇宙となる。おぉ壮大なドラマだなぁ。


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独創的 - 2011.11.26(ポケットの窓から)

はる 3807
徒然草
■第百十七段

友とするに悪(ワロ)き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇(イサ)める兵(ツハモノ)。六つには、虚言(ソラゴト)する人。七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師(クスシ)。三つには、智恵ある友。

************
内科医・池田正行
http://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/dokusou.htmlより

独創性だって?そんなものは要らんよ.だって,独創性のある仕事って,あなた以外は興味を持たないってことだろ.そんなことより,あなたの発案にたくさんの人が興味を持ってくれて,すぐさま模造品がたくさん出回って,誰の発案だかわからなくなってしまう方が,あなたの名誉になるじゃないか.

素晴らしい考えだったら,誰でも共有したくなる.模造品が出回るのは名誉なんだ.そこであなたのオリジナル製品の方が良ければユーザーはそちらを選んでくれるだろう.逆の場合だったら,あなたが,模造品と思うものから学ぶがいい.尤も,模造品と呼ぶのはあなただけで,あなた以外の人はバージョンアップと呼ぶだろうが.

真似は最も基本的な学習である.その基本的な学習のための良質な教材を造るあなたは,何と素晴らしい教育者だろうか.小さな子供があなたの真似をしてくれたら,そこに愛が生まれる.独創性なんて糞喰らえ.共有こそがあなたを幸せにしてくれる.

著作権や,特許の類はガキのおもちゃである.デフォルトは無名化する.ロラン・バルトの言うところの,「作者の死」 それが真の意味での世界征服である.

***************
 多くの子供たちと接していて思うことは、人は我がままだということだ。まぁ我がままであるというのが自分を一番遠くまで運んでくれる秘訣ではあるのだ。

 「わがままな遺伝子」という話をどこかで読んだ。個性だ、独創だとよく言われるけれど、遺伝子レベルで言えば我々一人一人は人類の遺伝子を運ぶ舟でしかない。個々の遺伝子は物凄くわがままで、兎に角自分のコピーを残す事、その事だけを第一に考えている。それ以外に彼らの使命はないとさえ言える。

 その遺伝子の乗った舟である人間は基本的にわがままである。子供であれ、もう余命幾ばくもない年寄りであっても考えていることは「私をのことを見て」それだけだ。自分の事はいいからほかを見てやってと言える人はまずいないな。もしそうであるなら、そうやって他とは違う行動をとって反対に自分のほうに目を向けさせているという高等技術を使っている可能性があるな。

 青年時代にしろ老年であっても心を病んでしまう原因はこの「私を見て」が原因ではないかな。すんなりと自分の居場所が見つかればそこで仮かもしれないけれどとりあえずは安堵する。安定する。

 人は基本的に我がままに出来ている。それが満たされなければどんどんと自分の心の中に埋没して自らの心を蝕んでゆく、ブラックホールのようにね。

 表現と言うのは自分と向かい合う事で可能になって行く行為ではあるが、一つ間違うとどんどんと深みにはまってにっちもさっちも行かない闇の中に入り込んでしまう。まぁそういうブラックボックスのようなところがある。

 個性だとか独創性などというものを後生大事に表現のキーワードにしていると、結局は独りよがりの短命なはやりもので終わってしまう。どこでどう迷い込んでしまったのか、オリジンというのは源泉だ。多くの人に共通する普遍的なものを見つけるべきではないのかな。

 話が独創的すぎる?そうか。


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大風呂敷 - 2011.11.25(ポケットの窓から)

はる 3806
 水滸伝もやっと12巻が終わった。後まだ7巻ある。どこに行く時もたいていこの文庫本をポケットにねじ込んで持ち歩いている。ちょっと時間があればささっとページをくって物語に埋没できるので重宝している。まぁ長編なのでどこを切ってもそんなに変らないということか。

 けっして読書家ではないし、為になるような難しい本は全く読まないけれど、読むことが苦痛ではなくなったことはありがたい。古本屋に出かけて本をあさるのが楽しみでもある。これはこの年にしては新しい発見だな。そのかわりというのかテレビや新聞を全く見なくなった。ますます世間からずれてゆくのかもしれない。まぁいいか。

 昨日の話しの続き
 我々の世代のこの時期を「人生の午後三時」というらしい。著名な心理学者のユングの言葉だそうだ。なるほど、上手い具合の言い表すものだ。青春時代のことは華々しく多くの表現で取り上げられる美しい季節ではあるけれど、老年のこの憂鬱はうっとうしいとさえ感じられて決して美しく語られる事はないな。

 考えてみると日本全体がどうやら絶頂期をすぎた「午後三時過ぎ」に差し掛かっているようにも思える。自身の衰えと会社や国そのものが斜陽してゆくそんなちょうどそんな過渡期なんだな。

 私自身は老いてゆく事は楽しみではないけれど、恐れてはいない。人生で一番の成功者は死ぬ間際に一番いい仕事を残せた者ではないだろうか。まぁ若いうちに成功しなかった者のひがみが多少入っていると思われてもしかたないのだけれど、正直な話人生の色々な経験を積んでそれが表現として厚みを増してゆくわけだから、気力さえしっかりしていれば作家にとって今日より明日、そして最晩年が集大成になるはずだ・・。そうは上手くはゆかないだろうけれどね。

 さてさて、こんな大ほら吹いた私がどういった絵になるか皆さん楽しみにしていてくださいな。


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no title - 2011.11.24(ポケットの窓から)

はる 3805
 若い頃は普通に年をとって大人になれば、何も悩む事などなくて幸せに人生を終える事ができるものと暗黙のうちに了解していた。だれもガキである私に大人の心配事など相談しなかったから当然と言えば当然だ。

 自分が何が出来るか全く分らなくて、霧の中にいる時は苦しいもので、何しろ自分の人生とまともにぶつかった事は初めてだから誰もが真剣に問いかけるわけだけれど、まぁほとんどだれも答えててはくれないし、回答もない。

 私の場合人よりは長くそんな時代があったように思う。普通は二十歳前に卒業していなければならない色んな事が30前後になってもまだ解決していなかった。まぁそれは結局一生掛かる問題だったので、いまだに明確には答えられないでいる。たまたまそれをそっくり絵のテーマ「こたえてください」とすることで何となく棚上げした感じだ。

 最近回りの人たちも同じように年取ってきて、にわかにおろおろと心配事をかかえているひとが多いように思う。私なんかもそうだけれど、考えればかんがえるほど答えのない問いかけであって、その部分にこだわるとけっこう疲れてしまう。

 若い頃は初めての経験でおろおろするのだが、生活に追われてそのうちに忘れてしまう。解決したわけではないので心の奥の部分にしっかりと留まっているのだ。それが少し暇になることで復活してくる。あまり問題にされないけれど、案外このことは青春期のケアーより大切かもしれない。

 帯状疱疹という病気があるけれど、つい最近私も経験したことなんだが、この菌は子供の頃のはしかのようなウイルスが原因でおこる病気だが、自分の免疫力が強く作用している若い頃は押さえ込んでいて感染しても発病しない。ところが年をとったり疲れて体の免疫力が落ちるとにわかに発病する。やっかいな病気だ。これもどことなくこのこころの病と似たところがある。

 いずれにしろ生きてゆくというのはやっかいなものだ。特効薬はない。ゆっくりじっくり付き合ってゆくしか対処法はないな。


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縄文土器展 - 2011.11.23(ポケットの窓から)

はる 3804
 県立考古博物館なる施設があって、縄文土器の展示をやっているというので見てきた。県立の博物館という施設もあってその境界はあいまいだな。でもまぁ時の為政者が自分の権力の象徴としてこういった箱物をどんどん建てた時代もあったんだな。

 周りの森はきれいに色づいて中庭では職員が手製の土器で何かを煮ている。良く見ると焚き火の中に焼き芋があったりして、焚き火の匂いも久しぶりに嗅いだ気がして、のどかな気持ちになった。

 何を隠そう、この甲斐の国は縄文土器の宝庫で、色んな場所から土器が出土している。くわしい事はほとんど知らないけれど、何千年も前からこういった土ものの陶器が焼かれていたということに驚く。われわれにとってはなじみ深い形や装飾であるから、特に珍しく感じないけれど、これを始めてみればかなり独創的なかたちと装飾でインパクトがあるように思う。

 銅鐸などと違って割りと自由な形を作る事が出来るので、古代のこの国の人が根源的に持っている「かたち」みたいなものが出てきているのではないだろうか。あの独特な形や装飾が実用からかけ離れて出てくるわけだから、何を求めてそれを作ったのか、そんなところを知りたいと思った。

 それにしても教科書や他の印刷物で見たものと違って、本物は一抱えほどもある大きな物もあって重量もかなりのものだろうと推測する。単に煮炊きに使ったものではなく、何かしら呪術的なものに使ったのものかな。そんな空想が浮かんでくる。残念なことに今日でお終いです。

***************
2012年度 個展情報更新しました。
http://enami.sakura.ne.jp/koten/koten.html

来年は10,11,12、1月と個展が続くので11月の甲府の個展は未定です。


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伊藤仁個展 - 2011.11.22(you tube)

Joe Hisaishi - Bolero



伊藤 仁個展

2011 11/19~11/27

甲府・三彩洞
055-226-8393


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泣きそうになる - 2011.11.21(you tube)

久石譲「天空之城」

はる 3802
 個展のごたごたのうちにカウンターが3800を越えた。

 今年は喪中のために年賀状は出しません。喪中のはがきというのを初めて作った。まぁそれも少ししか出さないつもりです。もしご無礼があったら、そういうことであしからず。これを期に年賀状も少しずつ減らすつもりだ。郵便はDMを含めると年間いったいいくら出しているのだろう。郵政事業に随分と貢献している。それにもかかわらずいっこうに融通がきかない。親方日の丸の体質が改まらない。一度ひっくり返った方がいいかもしれん。

 動画は面白いなぁ。見るほうもたのしいかもしれないが、作る方が何倍もおもしろい。映像というのは魅力的な媒体だ。そんなことはもう誰も知っているのかもしれないが、いままでけっこう特殊な人々が関わってきた分野で、例えば大手のマスコミ・テレビ会社などのように、大きな企業などと結びついていいように世論を作っているように思える。動画投稿などというアングラ的な映像がどんどん増えてゆく事は大手にとって非常に迷惑かもしれんな。

 今回の震災でも、多くのアマチュアが画像を投稿している。今まで事後報告的な映像ではなく、まことに臨場感?ある映像がその場にいたように見ることができたのは、インターネットなどの新しい媒体のせいだろう。大手の作られた、どこかの意向が入った映像は段々と飽きられてきているように思うな。

 ただ編集などに思いがけず時間がかかる。特別な事がなければ多分これで終了にします。


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楽日 - 2011.11.20(ポケットの窓から)

はる 3801
 個展無事終了いたしました。


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2011榎並和春ハーパーズミル個展 - 2011.11.19(you tube)


2011 榎並和春 甲府・ハーパーズミル個展

はる 3800
 個展7日目
 撮影から初めて自分でやってみて、個展の様子をyoutubeにアップした。だから音楽以外全くのオリジナルということになる。編集を含めて初めてやってみて、これは面白いと思った。こういった映像の制作はおもしろなぁ。映画を撮りたくなる人の気持ちがよく分かる。

 今回映像を三回に分けて撮影する。そのあとそれぞれをつないだ。それから画像を少し古ぼけた感じにアレンジする。いずれにしても荒い画像なので加工した方が雰囲気が出ると思った。

 音楽を探す。限られた種類の中から雰囲気に合ったBGMを探すのは楽しい作業だった。

 まぁ遊びだとしても安いデジカメとパソコン一つでこんなに楽しめるわけだからなかなかなものだ。これでyoutubeにアップすれば世界中から見ることが出来る。今までだれもこんな表現のツールを持っていなかったわけだから、若者が既成の表現に飽きてくるのが分る気がするなぁ。

 個展は明日が楽日、最終日です。5時まで。


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no title - 2011.11.18(ポケットの窓から)

はる 3799
 個展6日目
 かなり疲れてきました。後二日です。


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紹介 - 2011.11.17(ポケットの窓から)
 
Sarah Brightman & Andrea Bocelli - Time to Say Goodbye
はる 3798
 個展5日目
紹介してくれたページ
「猫の後ろ姿」
http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11080661564.html

「桃組工房」
http://momogumi52.exblog.jp/14960105/

***個展紹介***
「田中英生個展」ギャラリー惣
http://blogs.yahoo.co.jp/galleryso2008/29732882.html

「大場冨男個展」銀座松屋
http://www.matsuya.com/m_ginza/exhib_
gal/details/20111116_oba.html


***************


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no title - 2011.11.16(ポケットの窓から)

はる 3797
 どうしてもお江戸に行く用事が出来たために、とんぼ返りで往復。電車の中は爆睡状態。


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個展中日 - 2011.11.15(ポケットの窓から)

はる 3796
 個展中日
 ちょうど真ん中、4日が終わった。今日から少し寒くなってきた。明日は零下になるかもしれないらしい。風が冷たい。

 明日は画廊はお休みです。ご注意下さい。

紹介してくれたページ
「BarSlou」
 http://bar-slow.com/blog/2011/11/post-152.html

「猫の後ろ姿」
http://ameblo.jp/e-no4765/day-20111115.html

「スローフード甲州 ピエス橘町」
http://slowfood-koshu.sblo.jp/article/50310420.html

「日本料理・吉川」
http://kissen.blog.fc2.com/blog-entry-30.html


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個展三日目 - 2011.11.14(ポケットの窓から)

はる 3795
 個展3日目
 紹介してくれたページ
 「福岡哲司の遠い散歩近い旅・猫町文庫店」
http://ccnet.easymyweb.jp/member/fukuoka/default.asp?c_id=28210#

 「キビス」
http://kivis.blog100.fc2.com/blog-entry-426.html

 「hiroa]
http://hiroar.exblog.jp/16723657/

 「風の色」
http://blogs.yahoo.co.jp/typwb210/12277405.html

 「石井宏志陶芸工房」 西宮・ギャラリーSHIMA
http://tougei1.exblog.jp/13824613/


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絵は鏡 - 2011.11.13(ポケットの窓から)

s100
「負の遺産」部分
はる 3794
個展2日目
 午前中に遠いところからご夫婦が二組みえました。一組は千葉から唯一朝一本だけある直通便の乗って。後一組は私の地元関西から車に乗ってやってきた。まぁ私の絵を見るという目的だけで遠路はるばる毎回来てくれるわけだから、誠に得がたい人たちだ。どうもありがとうございました。また来年お会いしましょう。

 上の絵の上の四角い形を見て札束のようだといった人がいた。「へぇ~」とその発想に驚いたのだが、どう考えても私にはこれが札束であるというイメージは出てこない。そんなものを絵にしたいとは冗談でも思わない。しかし、言われてみて、あぁなるほどそういう風に見えないこともないと思った。その人がいうには下の男の人が新聞を開いて馬券の予想をしていて、頭の中には札束のことで一杯という絵らしい。

 まぁそうやって言われれば、例の原発を取り巻く企業や役人などの金の亡者どもの札束への執着というふうに考えれば、当たらずとも遠からずで、なかなか言いえて妙だ。それも一つの見方だな。

 「絵というのは鏡と同じで、見た人の願望やその姿がそのまま映されるんだよ」というと、その人は最近三億円の宝くじを買って一攫千金を妄想していますと恥ずかしそうに答えた。余計な話をしてしまったのかな。すみません。
 


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個展初日 - 2011.11.12(ポケットの窓から)

はる 3793
 個展初日
 う・・・・・・疲れた。


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飾りつけ - 2011.11.11(ポケットの窓から)


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はる 3792
 個展の飾りつけ。朝から雨模様、何年もやっているけれど搬入に雨だったことは初めてか。まぁなかなかいいじゃないかな。私は15日の火曜日以外は在廊しています。お茶を飲みにでも来て下さい。まっています。


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降誕 - 2011.11.11(you tube)


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明日搬入 - 2011.11.10(ポケットの窓から)

はる 3791
 明日は搬入だ。明後日から地元甲府の個展が始まる。ここからまた新しいシリーズが始まる。ぐるりと一年かけて各地をまわってそれでお終いだ。だから一つ一つが完結した個展でもあるのだがが、一周してそれで初めて終わったという気がする。一箇所で失敗しても他でカバーできればいいわけで、そういった意味で一喜一憂することは少なくなった。

 一つ一つの関係は勿論大切にして行かなくてはならないが、あまりに頼りすぎてもお互いに窮屈になるだけだろう。作家個人は出来るだけ一つ一つにこだわらず、ここでもやはり自尊独立していなきゃならんと思う。

 一つ一つの絵も全て同じ理で描いているように、例えば今年描いた作品、大きい作品も小さい作品も全てひっくるめて一つの作品、一つの理で作っている。個展も同じで一つ一つの個展も完結はしているけれど、全部で一つの個展とも考えられないかな。もっと言えば一生かけて榎並和春という一つの作品を作っているのかもしれんな。

 個展を始めた頃に考えた事はインディーズの音楽家のように一つのアルバムを一年かけて作ってそれを持って地方をまわって一年かけて売るみたいな。そんな旅回りの芸人のような暮らしがいいなぁと思っていた。大ヒットはないけれど、そこそこの町でそこそこの人々が待ってくれていて「やぁ元気だったかい、私は一年こんな風に考えて暮らしてきたよ・・」なんてね。カッコいい。

 人生は思ったほど長くない。でもそれほど悪い事ばかりじゃない。いいことも悪い事もほどほどにある。そうやって生きてゆければ本望だ。


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製作過程 - 2011.11.09(未分類)
 

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はる 3790
 最近はだいたいこんな絵になってきた。昨年の大作「祝人(再生と祭り)」もそうだし、今年の「時分の花」もだいたいこんな感じの絵だな。人物の群像といえば聞こえがいいけれど、ちょっと軽めの人間の模様かな。どうやってもテーマは人間だと思うんだな。まぁ確かに風景描いても自画像だという言い方はあるけれど、ストレートに人物に興味がある。人間が面白いとおもうもの。

 例えばもう何年も前になるけれど、こういった描き方になった頃の「こたえてください」あたりの絵は荒っぽくて未完成だけれど、求心力があって今観ても感動的ではある。何度もそこら当たりに戻ろうとするのだけれど、決してあれよりもいいものはできない。あれはあの当時の私の気持ちであって、同じように真似して描いたとしても形は似たとしても人を感動させる絵は描けない。

 ある程度の若さと何とかしたいという真摯な希求する心があったと言う事だろうか。

 そういったことはあるんだけれど、客観的に観てどこか私の絵ではないよそよそしさというのがあるんだな。スペインのタピエスにどことなく似ているし、アフリカの仮面なんかの影響もある。カッコつけすぎだよ、もっと気楽にやればという声が聞こえるきがする。そう考えると今の絵のほうが私により近いのかとも思う。
 


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負の遺産 - 2011.11.08(ポケットの窓から)

2011
仮題「負の遺産」
s100
はる 3789
 昨夜けっこう遅くまで夜なべ仕事で大きな作品の仕上げをする。まぁ今のところこんなものでいいか。またしばらくするとだめなところが見えてくるのだろうけれどね。

 この作品も難産だった。ずっと観ていたのだけれど、なかなか面白い形が出てこなかった。頭の片隅にあったのは「バベルの塔」とか「イカルスの翼」人が神の領域まで進化したとそのおごりが神の怒りをかうという話。どことなく今の私たちにとって耳の痛い話だな。

 真ん中の人物が出てきて箱を持たせたら、もう物語りはできたようなものだ。この如何にも単純で真っ白でクリーンな装い、どこにも嘘はないといった顔つきが曲者だ。本当のところはどろどろで利権がらみで、金の亡者どものシンボルなんだな。

 まぁそんなことはさておいても何だかこの絵は面白く仕上がった。


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徒然草より - 2011.11.07(ポケットの窓から)

はる 3788
 意識の問題として存在するというのはどういうことか。私の存在というのは客観的にいうならば、連綿と続いてきた人類の歴史の最先端にいるわけだ。そして私と言う個人はいずれ消えてしまう。個人が存在する意味などほとんどない。人類という一つの種として遺伝子を次の世代に残すと言う意味はあるけれど、個人的な意味や意義などない。 

 徒然草より

第十段 家居

 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。
 よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしく、きららかならねど、木立もの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子・透垣のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
 多くの工の、心を尽してみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。また、時の間の烟ともなりなんとぞ、うち見るより思はるる。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。
・・・・・・・略

<口語訳>

 住居が似つかわしい、あって欲しいこそ、仮の宿とは思えど、興あるものだよ。
 よい人の、のどかに住んでる所は、差し入ってる月の色もひときわ しみじみと見えるのだぞ。今めかしく、きらびやかならないけど、木立もの古びて、わざとなからぬ庭の草も心ある様子に、簀子・透垣の具合 趣きあり、うち置く調度も昔おもえてやすらかなるのこそ、心にくいと見える。
 多くの工の、心を尽してみがきたて、唐の、大和の、珍しく、良くなくない調度ども並べ置き、前栽の草木まで心のままならなく作りだせるは、見る目も苦しく、とてもわびしい。さてもはや長らえ住めるはずか。また、時の間のけむりともなるだろうぞ、うち見るより思われる。大方は、住居にこそ、事様はおしはかられる。



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アイディアは使うほど出てくる - 2011.11.06(ポケットの窓から)


寺田敏行個展
11/6~11/19
甲府・ギャラリーイノセント
055-222-4402

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小池歩個展
11/3~11/13
甲府・三彩洞
055-226-8393
はる 3787
 今週末から甲府の個展が始まる。準備はほとんど完了したけれど、また一番大きいs100の絵が仕上がっていない。なんとか個展までに仕上げたい。仕上がらなければ他の作品もあるのだけれど、新作をだしたいという気持ちはある。大きい作品は気合みたいなものだ。

 個展を年四回以上開催するというとけっこう驚かれる。普通は何年かに一度作品がたまったらそろそろという感じで開催する。私も最初のころは三年に一度でいいかななんて考えていた。でも画家・作家というのであれば、一年に一度は個展を開催して人様に見てもらう必要があるのではないかと思った。今年一年何を考えて、どう暮らしてきたか、そんなことを報告する必要があるのではないかと思った。それが作品を買ってくれた人への義務じゃないかと思ったんだな。

 それで兎に角売れようが売れまいが、毎年一回は個展を開催することにした。私が絵描きとして生きてゆく間はどんな形であれ毎年個展を開催する。その代わりグレードは問わないことにする。大きい作品も小さい作品も全てひっくるめて見てもらう、そんな個展にすることにした。それが88年で、それから一度も休んだ事がない。

 作品が溜まったら、ある程度の質を揃えたいと考えれば、なかなか個展を開催する踏ん切りはつかない。私からみればそれでは遅すぎる。もちろんグレードは大切なことだが、それ以上に沢山描けることというのは絵描きとして生きてゆく大事な要素ではないかな。


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no title - 2011.11.05(ポケットの窓から)



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1995年 イタリア・ナルニでの個展の様子 - 2011.11.04(you tube)


1995年 イタリア・ナルニでの個展の様子
撮影 菊池孝志

音楽 Franco Eco Paolo e Francesca
編集 あそびべのはる
はる 3785
 古い昔のビデオを動画にアップした。もう15年以上前のイタリアでの個展の様子。画像が悪いのは仕方ない、当時のビデオはこれくらいの画質だったということと、磁気テープのビデオをデジタルな情報に変換する方法が分らないので、一度テレビで再生してそれをデジカメで録画するという方法をとっているからだと思う。この方法だと素人でも簡単にアナログからデジタルに変換できる。ちょっと手が疲れるけれど。

 ちらっと私が映っていますが、若いですな。このビデオはイタリアでお世話になった孝志さんに撮ってもらったものです。写真もそうですが、こういった記録は撮った時は観ますが、あまり見直すということがありませんね。今回久しぶりに観ましたが、やっぱりすごく懐かしい気持ちにさせられます。町の景色がニューシネマパラダイスと同じようなにおいがしますね。

 映像になると写真とはまた全く違うものになりますね。音楽が入る事で物語が出てきます。

 個展の準備もしないでこんな事ばかりやっている。これも逃避かな。


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愉しむこと - 2011.11.03(ポケットの窓から)

はる 3784
 水滸伝も10巻目になった。ここまで来るとややマンネリになってくる。最初の感動が少し薄れてくる。まぁ仕方ないか。一巻読みきりぐらいのほうが小説としては面白いのかもしれんな。私にとっては。

 この10巻目で、いいなとおもったところ「死ぬまで思ったことをやり、死ねばそれで終わり。それでも日々は気楽に愉しく過ごし、命をかけたことさえ愉しんでいきたい。何でもないことに心を動かす自分でいたい」

 これのどこが気に入ったのか?よくは分からないのだけれどね。この台詞をはいた人物は凄い怪物のような男でね。捕らえられて片腕に手錠をはめられている。で仲間が助けに来た時になんと手首を切り落として逃げる。やがて腕が腐ってきて肩から切り落とすのだけれど、切り落とした自分の腕を仲間と食ってしまう。物語だとしても凄まじい。そいつが言うんだ。「死ぬ時は死ぬし、死なないのは生きていろということなんだろう」ってね。カッコいい。

 命をかけて何かやったことはないけれど、そんな度胸は微塵もなにけれど、生き方としてやるだけやってそれでだめじゃ仕方ないじゃん。退路を捨てて前見て生きてゆけば、なんとかなる。そんな生き様を愉しんで行きたいなぁとは思うんだな。


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DMを郵送した - 2011.11.02(ポケットの窓から)

クートラスのオブジェ
はる 3783
 昨日DMを郵送しました。それでニ三日して着かなければ、今回は何かの手違いでもれてしまったということなので、こちらに住所氏名をお書きになって請求してください。
ここだけのメール   http://enami.sakura.ne.jp/mailform.htm



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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