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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

金魚 - 2011.07.31(ポケットの窓から)






 

はる 3689

 七月がもう終わってしまう。あっという間のことだ。例年七月のこの時期に神戸で個展をしていたので、何も無いのは何となく寂しい。恒例のギャラリーSのグループ展も今年はパスした。グループ展というのも何だかよくわからない。一人一人がお客さんを呼べる力があるなら別なのだが、私が毎年出品しても単に寄せ集めの展覧会に過ぎない気がしてね。悲しいけれど、それが現実だ。もう少し力をつけてから出品することを考えよう。



 「こころのデッサン」に「猫の後る姿」さんがコメントを書いてくれました。

http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10969568322.html



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新盆 - 2011.07.30(ポケットの窓から)






 

 お袋の新盆があってその後お墓を新しくしたので、入魂というのか名称はよく知らないのだけど、新しいお墓に先祖のお骨をまとめて入れたりそんな儀式を炎天下の中兄弟が集まってやった。お坊さんもたいへんだろうけれど、喪服を着て炎天下に立たされるのはけっこうつらかったな。こちらがミイラになりそうだった。



 自分たちはどうするのか、いまのところ深刻には考えてはいないけれど、後20年もすればひつようになるわけで、お墓を持つのか、永代供養にしてお墓など持たないのか、どこかに散骨して遺影か位牌だけ目印においておくか、全く何も持たないか、そんなことを考えなきゃならない時が来る。



 自分の両親は無事に送った。これで一応の区切りはついた。



 七月も終わる。



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夏風邪をひいた - 2011.07.29(ポケットの窓から)






 

はる 3687

 どうやら本格的な風邪の模様。旅に出て風邪をこじらせるのはつらいので、早速近くの病院へゆく。体がだるい。



 



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(no subject) - 2011.07.28(ポケットの窓から)



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明日から帰省 - 2011.07.27(ポケットの窓から)






 

はる 3685

 どうやら夏風邪をひいたようだ。何となく一日だるい。花粉症でもないのにくしゃみの連発。鼻汁がでる。夜暑いので窓を開けて寝たのが原因だろう。



 お袋の新盆のため、明日から帰省します。少し更新が滞りがちになるでしょう。あしからず。



 



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今日のアトリエ - 2011.07.26(ポケットの窓から)






 

 



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希望はある - 2011.07.25(ポケットの窓から)






 

はる 3683

 中国の高速鉄道の事故はすごい。何が凄いかといえば事故後の対応のすばやさだな。事故を起こした列車を検証もそこそこに現場に穴を掘って埋めてしまうという大胆なことを恥じらいもせずやるおおらかさだ。多分死者の数もいい加減なんだろうと推測する。



 なんせ国家の威信をかけた大プロジェクトだったからね。いたずらに検証してほじくり返して何か異なもの、例えば致命的な欠陥とか、手抜きとか、官僚の賄賂とか、が出てきて責任問題になると簡単に抹殺されてしまうお国柄だから、目の前から消えてもらう、ないものにするのが一番手っ取り早い解決方法だからね。



 こういった事故というのは大事な教訓が隠れているもので、それを全く無視しては進歩と言うものがない。亡くなった方には申し訳ないけれど、身を挺して国の人命軽視、一党独裁の異常なことを内外に知ってもらうきっかけを作ったと思えば浮かばれるやもしれない。この対応をしくじるとけっこうやばいことになるかもしれない。



 他人事のように書いているけれど、この国の原発も似たようなものだ。対応は後手後手で今頃になって牛肉から放射能が出てきたなんて騒いでいる。そんなことはもう既に三月の原発が爆発した時から分っていたことだ。北関東一円の農産物は明らかに汚染されている。これは嘘でも脅かしでもない、事実だ。



 その事を隠して通れるものではない。もうかなり遅いけれど、その上に立ってこれからどうするのか、子供たちを疎開させるとか、具体的な指針を発表すべきだ。この国の政治も全く信頼できないということが露呈された。少なくともかの国よりこうやって事実を少しでも知る事が出来るということが、慰めではある。少しは望みもある。



 



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アルボ・ペルト - 2011.07.24(you tube)








 

はる 3682

 来週は早々に実家に帰ります。お袋の新盆というわけだ。身内を含めてまわりの人のことは出来るだけ書かないようにしている。褒める事もけなすことも結局は同じことなので、こういっただれが見ているか、読んでいるか分らないものはどこで、どうやって人に迷惑を掛けるか分らないからね。まぁそれでも自然に分ってしまう事は仕方ないけれどね。



 この間のなでしこの選手のプライベートの写真がネットでもれた事件でも、彼や彼女には全く(彼の方はわからないけれど)悪気はなかったように思う。これだけ大きな事件になるとは思っていなかったんだろうな。普通の二十歳の女性が一躍スターになってしまって、公と私が全くない状態になってしまったのだから、今まで通りしゃべって写真撮ったら大きな事件になってしまった。



 特にマスコミはスキャンダル、あら捜しが仕事だからね、完全に餌食になってしまった。考えて見れば二十歳そこそこの娘だよ。インターハイで優勝ぐらいの簡単なのりで身内で大騒ぎぐらいするよな。お酒も飲むだろうし。まぁ馬鹿がそれをネットに載せて自慢したのは軽はずみだったけれど、それも自慢したい気持ちはよく分かる。私だったら自慢しまくるだろう。



 そういった意味では、こういう匿名の誰でもが見ることが出来るサイトというのは怖いところがあるな。だから出来るだけ他人の事は書かない、載せないようにはしているつもりだ。



 そうなると本当に小さい自分の心の中を吐露するしかない。だからほとんどのブログやネットの日記は続かない。書くことがなくなってしまうからだ。



 ではどうやったら続けられるか、一つ教えよう。例えば目の前にある一つのもの、コーヒーカップとしよう。それがなぜここにあるのか、たまたま偶然なんだけれど、それがここにある経緯を手繰ってみる。そうすると、例えばどこかを旅したときに気にってとか、誰かさんの引き出物だったとか、何らかの関わりが必ずあるはずだ。



 その中で、自分との関わりを見つけてゆけば、それは自分を深く見つめなおすと言う事にもなってゆく。たまたま偶然に生まれてからずっとそこにあったというのであれば、反対にそれは凄い必然でもあるわけだな。



 文章を書くことは絵を描くことと良く似ている。特に私の描き方はそうやって心の中を見つめる事であるからだ。こころのデッサンだと思っている。



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バースディケーキ - 2011.07.23(ポケットの窓から)






 

 知り合いの誕生日でした。おめでとう。いい写真ですね。



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変らないもの - 2011.07.22(ポケットの窓から)






 

はる 3680

 今日は比較的に涼しかった。涼しいというのもおかしい話だ。台風一過なのにね。普通は湿った空気が入り込んで蒸し暑くなるのだが、秋のようなさわやかな風が吹いていた。このまま終わるとも思えないけれどね。



 本屋さんに立ち読みに出かける。美術雑誌が二十日前後で新刊がでるからだ。昔は芸術新潮をはじめとして、結構色々な雑誌を講読していたのだが、雑誌の定期の購読は一切やめてしまった。すぐに溜まっておき場所に困るというのが第一なんだけれど、別に必要な情報は立ち読みで間に合うし、どうしても欲しい情報ならその巻だけ購入すれば済む事だ。もちろん経費も馬鹿にならないということがあるのだけれどね。



 定期に購読していた大きな理由は、今流行っている美術の動向が気になっていた。それは公募展に出品していたこととも関係する。こういったコンクールは時代の風と言うのを如実に受けるもので、今何が受けるのか、受けているのかということを意識しなければならないと思い込んでいた。



 毎年上半期・下半期のコンクールの大賞受賞者というのが発表される。その時の出品点数や審査員のメンバー傾向などを食い入るようにながめていた。まぁ何だろう、時代がバブリーな浮ついた雰囲気を煽っていたようなところがある。賞金もどんどんつり上がって、否が応でも射幸心を煽って、ほとんど博打のような浅はかさだ。ほんの少し前のことなのに、百年も前のことのように感じる。



 私が浅はかだったということもあるけれど、あれはやっぱり異常だったんだと思う。長い目で見るとバブリーな雰囲気そのものに呑まれていたんだろうな。それがそのまま時代の雰囲気だったきがする。あのまま時代の波に飲まれていたら、多分今のようなスタンスでは暮らしてはいけなかっただろう。結果論ではあるけれど、無名のままでよかった気がする。



 で、雑誌をぱらぱらと見て、今をときめく作家の作品を何百と見ても、私の心に届く作品は何点もない。たぶんもう今の時代の最前線ははるか遠くに行ってしまって見えなくなってしまっているのだろうな。



 けれど、大切なものというものは変らなくそこにあって、時代がどんなにかわっても変らないもの、そんなものを表現したいと最近は思うのだな。



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お役人仕事 - 2011.07.21(ポケットの窓から)






 

 長く一つの仕事をしているとそれなりに色んな役がまわって来る。まぁその事は順番みたいなものだから、出来る事は手伝うし、やれない事ははっきりと言う事にしている。その方がお互い様だろう。



 公の仕事(といってももちろんボランティア)に関係すると、いつも何かむなしいものを感じる。何でもそうなんだけれど、お役人にとっては単に役割分担の仕事であって、それが大事とか面白いとかやる気になるといったものではない。いちいち一つの与えられた役割に価値を求めていたのでは反対に仕事にはならない。与えられた事を過不足なく遂行すること、ただその事だけに関心がある。



 随分と前に市内の活性化というので、空き店舗を活用した展覧会を公の機関が主催した。そのことはいい。けれど、彼らが一番気にしたのは何かといえば、展覧会そのものがどれだけ市民に受け入れられたかとか、どれだけの動員数があったかなどではなく、オープニングのセレモニーに誰を呼んで、どう報道するか、記録にどう載せるかという本来の活性化などどうでも良くて、自分たちの仕事が実績として残ると言う事だけが重要だという風に動いていることだ。本末転倒という。



 公の機関が主催して展覧会を開く。まぁそれはいいだろう。今街中は建設ラッシュで古いビルを惜しげもなく壊して、新しいビルを建てている最中だ。といったわけで会場がない。会場がないなら普通は取りやめにするだろう、けれど彼らにはそういったことが決められない。自分たちの仕事はまず「展覧会を開催すること」であって、取りやめるということは(仕事をやっていない→できない)と評価されてマイナスになると考える訳だ。



 だから重要であろうがなかろうが、彼らには関係ない。兎に角どんな場所でも確保して展覧会を開催してもらおうと必死になるわけだ。我々にとっては奇妙な誰も来ないようなヒナビタ頓珍漢な場所でやるくらいなら、一年や二年休んでも全然平気なんだが、それが理解できない。



 もう一つは展覧会のネーミングだ。一度聞いただけでは理解できない、よく分からない、ワザと分らなく難しく表現しているのではないかと疑りたくなるようなネーミングだ。例えば本のタイトルは滅茶苦茶重要だ。大体タイトルで売れるか売れないか分る。展覧会のネーミングも同じだと言う事が理解できないようだ。



 例えば「強制避難地区」「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」などと言われても何がどう違うのか理解できない。それと同じようなものか。



 はっきり誰が見ても聞いても分るような展覧会の名前にして欲しいと、何年も前から指摘しているのだけれど、いっこうに変る様子がない。



 まったく、原発と同じだな。一度決まったものは変えられない。変えるのにものすごくエネルギーが要るという事だ。馬鹿馬鹿しいけれど、これが現実だ。



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女性に任せるか - 2011.07.20(ポケットの窓から)






 

 なでしこのサッカーを観て感じる事は、一言で言えば「さわやか」であるということか。反対に胡散臭いというものはどこかやっぱり「お金」にかかわるところから匂ってくるもので、例えば男子のサッカーのようにプロが絡んでくると、単に優勝というプライドをかけて戦うというひたむきなところが少し翳ってしまうところがある。



 だからといって彼女たちが一生懸命でなかったかといえば、お金は絡んではいないけれどそのひたむきさというのは、見ていてウルウルするぐらい感動的だ。まぁ今の日本の女性の力強さを良く表しているように思うな。



 閑話休題



 男というのは空理空論、原理原則、机上の話が大好きだ。もちろん個人差もあるのだろうけれど、大体においてそうやって今の社会が作られてきたようなところがある。例えば国を作る時にその国の柱であるところの法を考える。まず全体を統一した秩序みたいなものを考える。そうしないとどことなく心もとなく、不安になる。宗教などもそんなところから男が作ったものじゃないだろうか。



 群れを作る、徒党を組む、社会を作るといった場合、こういった能力というのは多分大切なことなんだろう。



 けれど、ある程度社会が成熟してくると、こんどはそういった規制が決まりが動きの取れない融通のきかない、すごく脆いものに変ってくる。名前だけの組織になったり、既得権を維持するだけの見せ掛けのものになったりする。一度出来たものはなかなか止める事ができない、優柔不断なお荷物になってしまう場合が多い。



 いっそのこと、しばらく女性にこの国を任せてみないか。



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なでしこ世界一 - 2011.07.19(ポケットの窓から)






 

  なでしこジャパンが世界一になって大騒ぎ。サッカーなど何も興味がないが、それでもどこからともなく騒ぎが漏れてきて、やっぱり嬉しいものだ。ここのところいいことがなかったのでねぇ、日本は。



 アメリカやフランス、ドイツ西側の先進国が女子サッカーのメジャーだとすれば経済的に裕福な、女性の地位が認められている国々ということだろうか。女性が堂々とボールを蹴っていてもとがめられない、そんな国だということだろうかねぇ。それにしても日本の女性たちの体は小さくて他の国のパワーの半分ぐらいしかないように見えた。そんなハンディを特徴にかえて、新しいサッカーを目指したところが良かったのではないかな。にわかファンが知ったようなことを書くのを止めましょう。



 夜になって台風のために雨が凄くなってきた。



 



 



 



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野暮用 - 2011.07.18(ポケットの窓から)






 

 午前中、山口画廊さんが作品を届けてくれた。完売でもない限りこの仕事が残っている。作品を取りに来てくれて、飾りつけをして、接客して、整理して、作品を返却する。私はそのうち何日か在廊するだけ。まぁ厳密に言えば作家は作品を描けばいいわけで、それ以上の仕事は作家のあずかり知らぬことなんだけれど、私のようなほぼ無名の作家はそう簡単ではない。



 それに私は作品とコレクターが接する唯一の場である画廊にいることが嫌いではない。コレクターがどんな奴がこんな作品を描いているのか興味があるように、どんな人がこの作品に興味を持つのかとても気になる。本当は作者は顔を見せないで裏方に徹した方が、効果的であるきもするのだが、まぁこれもあれも含めて私と言う作家だから仕方ない。諦めてもらおう。



 午後からは野暮用で東京。帰宅は午前様。



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ありきたリーマン前編 - 2011.07.17(未選択)



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市中の隠 - 2011.07.16(ポケットの窓から)






 

「市中の隠」

http://www002.upp.so-net.ne.jp/viviplan/charo.html



「・・露地とは茶室に付属する庭で、茶室とひと続きの茶の湯の場として組み立てられ、必ず専用の道が用意された。町屋ではそれは隣家との間の細い通路であったりした。それで昔は<路地>と書かれた。利休は「数寄は路地入りにて見ること肝要」と、茶の湯は露地口を入るときから始まることを力説している。

 また、茶の湯の礼法は封建社会における慣習とは異なり、平等な人間関係を基礎にしたものであったので、茶の湯の世界は住まいの中にありながら、日常性を越えたところになければならなかった。「市中の隠」「山居の躰(てい)」が理想とされたのである。路地は世俗から隔離するための結界であり、「浮き世の外の道」とされた。

 そこで、聖が侘び住まいする山里の草庵を範とし、どのような狭い場所にも山居の趣をかもし出す巧みな作庭がなされたが、あくまで茶室への道を主体としたものであった。だから茶人たちは「ろじ」と呼び、精神的な含みを込めて<露地>の文字を使うようになった」

*******************

 「市中の隠」と言う言葉があると教えてもらった。元々は茶の湯からでて来た考え方らしい。まぁ日本の文化はあまりに直截な自慢や表現を好まない。キンキラのゴテゴテを成金趣味とか田舎染みているとかいって嫌った。



 まぁ高い文化いうのは嫌味な年寄りみたいなもので、知っている人には分るけれど、知らない人には教えないようなところがあって、ひたすら隠して分る人にはわかると納得する、そういう意地悪なところがあるな。そこがまた面白いところだ。骨董とかお茶の世界はそんな話のてんこ盛りだ。



 今日も暑かった。地元の美術団体の展覧会の今日は総会やら授賞式などで忙しかった。  


 






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今の画家のスタイル - 2011.07.15(ポケットの窓から)

何だか、凄くお洒落でかっこよくないか。

 







いらっしゃいませ

あそび亭

 

 例えば、山に入って修行をする人を仙人という。やがて谷に下りてきて俗人となる。もう少しひねると、山に入っているのはまだまだ修行中だ。山中にこだわってはまだまだ本物ではない。本当は街中で市井に埋もれて暮らす事の中に意味があるように思う。田舎の田舎暮らしは当たり前で面白くない。街中の田舎暮らしが面白いとかってに思い込んでいる。所詮ひねくれものの悪あがきみたいなものか。見逃してくれ。



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夏は暑くて、冬は寒い - 2011.07.14(ポケットの窓から)






 

はる 3672

 田舎には田舎の独特な匂いがあった。家畜の下肥の匂いだったり、畑や田んぼから匂ってくる土の匂い、草木が腐って醗酵した堆肥のにおい、そういうものが相まって独特な香りをかもし出していた。今はどこの田舎にいってもそんな匂いがない。まぁどちらかと言えばあの匂いの方が本当なんだろうな。



 少し前に今借りている隣の畑の草むしりをしていたら、そんな昔嗅いだ土の匂いがした。あぁそういえば田舎ってこんな匂いがしたなぁと懐かしくおもった。都会の人からみると随分と田舎に暮らしているようだけれど、ここらあたりは街中とあまり変らない。大きなビルがないだけかな。



 管総理が将来的に原発に頼らないエネルギー政策を目指すというようなことを言ったらしい。まぁ今更とは思うけれど、是非ともそうあって欲しい。どう考えてもそうするしか、人類の生き残る道はないと思うのだな。



 国土の何分の一か知らないけれど、戦争に負けたわけでもないのに失って、そこに住んでいた人々の人生を奪って、台無しにして、国民のほとんどの人間に放射能の被曝の恐怖を、ここ何十年も味あわせて、不安にさせて、子孫に多大な負の遺産を残して、未だに何の解決も出来ないでいる原発になぜ恋恋としなければならにのか、私には全く理解できない。



 夏は暑くて、冬は寒い、そんな生活を選ぶことだ。



 



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夏休み - 2011.07.13(ポケットの窓から)






 

はる 3671

 暑い日が続く。そういえば、夏休みというのはいつもこんなかんかん照りの日々だったなと思い出す。じりじりと焦げ付くような太陽が恨めしく思ったものだ。



 小学校の高学年の頃までは淡路島の母方の田舎に兄弟でよく泊まりに出かけた。今から考えると夏休みに五人もの子供がぎゃーぎゃー騒ぐのが耐え切れなかったので、分散させたのではないかと思う。



 田舎の母の実家から見れば、ろくでもないガキが転がり込んで迷惑そのものだったろう。今でも兄弟が集まるとその時の話がよくでる。期間的には4,5年の話なんだけれど、子供の時間と言うのは長く、印象深く、強烈に残っている。



 当時はまだ自動車など庶民の暮らしの中にはなくて、田畑はもっぱら牛や馬を使って耕していた。街中の生活しか知らない私にとって日常生活の中に牛や山羊鶏と一緒に生きている暮らしというのが、とても不思議だった。



 こうやって言葉にすると、凄く簡単に理解したようにみえるけれど、そういった暮らしは今の生活と比べると実にエコでシンプルで理想的なくらしのように見えるけれど、反対に不衛生で不便で不自由なものだったように思う。



 何を選択するかということかな。昔は良かったという後ろ向きな発想は何も生み出さない。そうではないのだな。新たな選択だと思うんだ。



 どうだろう。



 



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アインシュタインの言葉 - 2011.07.12(ポケットの窓から)






 

(最も美しくかつ最も深淵な経験とは不可思議の感覚です。それがすべての真の科学の源泉なのです。この感性を奇妙に思う人、不思議におもったり、驚きに心奪われない人というのは、もはや死んだも同然です。我々の鈍感な仲間がそれらを簡単な形で理解できる、最高の知恵や最もまばゆいほどの美しさ--この知識--としてそれ自体を明確にし、我々にとって計り知れないことが本当に存在するのかどうかを知るためには、この感覚が本当の宗教心の中心にあるのです。

−−アルバート・アインシュタイン−精神と科学の合体)



 



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山口画廊の個展は無事終了しました。 - 2011.07.11(ポケットの窓から)






 

 夏本番でいよいよ暑くなってきた。アトリエにはもともとクーラーがないので、午後からは仕事にならない。裸に近い格好で、本を読みながら昼寝することにしている。それでもじっとりと汗ばんでくる。もっともこういった暮らし方は嫌いじゃない。日本の夏はじりじりと暑いものだ。打ち水したり、すだれを立てかけたり、風鈴をつってみたり、そんな工夫で夏を乗り切ってきたものだ。窓を小さく作って風通しを悪くして、閉め切ってクーラーをまわすというのはどう考えても、日本の風土には合っていない。



 オール電化でどんどん電気を使って原発をどんどん増やして行けばいいというのは、どこかで上手く騙されていたんだな。今回の災害は一つのきっかけに過ぎなくて、いずれは破綻していたように思うなぁ。



 それにしても年金問題もそうだけれど、いずれ大きな問題になるだろう赤字国債などにしても日本の官僚たちはこの国をどうしようとしているのだろうか、政治が全く求心力がなく、でたらめをやっているにもかかわらず、何とか騙し騙しやってきた官僚の力は認めるけれど、結局はその場しのぎの仕事しかやってはいない。これもいずれは破綻する。



 今日で千葉の山口画廊の個展は終了した。しかし、今しばらく(二三日)は作品は展示してあるようだ。見逃した方は連絡してから見に行ってください。



 次の個展は秋の夙川(兵庫)です。しばらくは暑いアトリエにこもって制作ですな。ではでは。



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裸婦クロッキー7/10 - 2011.07.11(裸婦クロッキー)




















































 



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個展の紹介 - 2011.07.09(ポケットの窓から)






 

 「猫の後ろ姿」さんに千葉の山口画廊の個展を紹介してもらいました。ありがとうございました。

 http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10948323627.html



  審査にでていつも思う事は、まぁそれが当たり前といえばその通りなんだけれど、微妙にずれている。特に多数決で物事が決まってゆく過程で、どこかが微妙にずれてゆく。



 例えば優れた作品を一点だけ選ぶといった場合、多くの場合最高でも5票とか6票とかそんな程度で、後はそれほど差のない得票差が延々と続く。もちろんダントツに素晴らしいものがあれば別だけれど、押しなべてどんぐりの背比べだった場合、それが顕著に表れる。その年の代表作と言うものが審査員の5、6名の支持を得た程度のものであれば、それは代表作とはいえない。



 反対に連名で複数の作品を選んだ場合、特に後の方には無難などうでもいいような作品が選ぶ。そうすると結果として多くの得票を得るのが、その多くの人が最後にぎりぎりで入れたような無難な、悪くすると最悪な作品が選ばれてしまう。



 それでも、多くの人に支持された事には違いないということで、そのままそれが最高賞だったりする。なんであれが選ばれるの?と審査員の多くは不思議に思うわけだ。だれも積極的に一番に推したわけでもない作品が、結果的に選ばれてしまうというマジックが行われてしまうのだ。



 審査員制度をつくって何人かが選んだとしても、やっぱり最終的にはどこか微妙にずれる。審査員が作家だった場合、かなり偏向した眼で選ばれてしまうし、評論家などの場合、実際に作品を作るわけではないので、それもまた頭でっかちで、素直に聞けないところがある。明らかに時代の風みたいなものも影響する。



 まぁ結論めいたことになるのだけれど、結局はどう決めても決定的なものはない。人が選ぶ限り絶対というものはない。反対に言えば、そんなものは決められないといった方がいいかな。どう決めても結局は確かなものではない。一時の慰め、気の迷いにはなるけれど、全人生を賭けるほどのものじゃない。それのために方向を見失ってはならないということか。



 不特定多数の支持を得るよりも、もっと大切なのは結局は個々人の圧倒的な支持をえることで、絵を描いてなんとか暮らして行こうと考えたなら、その事の方がどれだけ大切かということだ。コンクールで受賞してもそれはその一時に過ぎない。時代の風を受けて何となく一世を風靡したように惑わされるのだけれど、案外すぐに忘れられてしまう。本当に根強いのは個人の支持をたくさん持つことだと思う。そこで得た支持というものは決して古くはならない。



 絵描きの場合、それは個展という形で、じっくりゆっくり休まず繰り返して観てもらうしかない。そういった地味な活動をしてゆく事の方が、コンクールで一発世の中に認められるという方法を取るより確かではないかと思ったんだな。で、97年以降はコンクール出品は一切やめて、年3,4回の怒涛の個展開催に切り替えた。今もそれを続けている。

 

 



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(no subject) - 2011.07.08(ポケットの窓から)



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Keith Jarrett Koln Concert ~ first ten minutes - 2011.07.07(you tube)





Keith Jarrett Koln Concert ~ first ten minutes



 審査というものはいつもどこか胡散臭いものを含んでいる。私自身多くの審査を受けてきたし、その結果に涙を呑んできた。何であの作品が選ばれて、私の作品じゃだめだったのか。そんな事を問うてみてもせん無い事なんだけれど、時の運、何かのちょっとしたさじ加減で大きく人生が変ってしまうこともあるわけだ。



出した以上結果を出すことを期待する。欲をかいているわけではないが、人である限り仕方ないだろう。どうでもいいなら最初っから他人の審査など受けない。



 絵で何とかしたいと切に願っていた若い頃は、世の中に受け入れられるためにはコンクールで賞を取るしかないと真剣に信じていた。だから出品できる公募には手当たり次第に出していた。今はじめて明かすのだけれど、安井賞の候補として推薦を受けた時が私にとって最後の山場だったかもしれない。結果は落選で終わってしまった。それ以降コンクールで何とかするという意欲が急速になえてしまった。



 イタリアのフィレンツェの花の大聖堂の大きなドームにしても当時の公募によって選ばれた作家が施工したというから、まぁいずれにしてもそういった選択肢しかないのかもしれない。 





 風呂に入ってきます。後書けたらまた。

 


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公募展 - 2011.07.06(ポケットの窓から)






 

 どの街にもある公募展の審査や陳列のお手伝いをする。全国公募の中央の団体展からこういった地方の公募展まで、規模の大小はあるけれど、大体が同じようなシステムで成り立っている。日本の絵画人口を支えているのはこういった団体の構成員とその予備軍だろう。まぁそういった意味ではここが最前線ではある。今年は全体的に出品者が減少した。震災の影響かもしれないな。



 私の学生の頃は、絵を描くということはこういった公募展に出品するということでもあった。目標でもあったんだな。だからまわりまわって、今は多少なりともお手伝いできればと考えている。



 疲れたので、寝ます。



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上意下達 - 2011.07.05(ポケットの窓から)






 

はる 3663

 何とか復興大臣が暴言で10日ほどで辞めた。何とも情けない話だ。ちょっとだけテレビのニュースでみたけれど、確かにあの傲慢な偉そうな態度はどこで見た、どこにでもいる、嫌な野郎そのものだった。あんたはそんなに偉いのか?何様のつもりと言いたくなる。



 しかし、考えてみるとあれほど露骨ではないけれど、多かれ少なかれ上に立つ人の典型的なタイプではないだろうか。ある意味でいえばリーダーシップというものはそういったものだという風に捕らえられてはいないかな。



 まぁそれは百年前の日本がまだ開国して間もない頃で貧しく、これから西欧に負けないくらいの豊かで強い国を目指して、一致団結している時なら、それも分るしそんなリーダーが必要だったかもしれない。



 けれど今は違う。意識が違う。だれも飢えてはいないし、恵んで欲しいとも思っていない。「やってもらいたい」「してもらいたい」という意識は彼らには今ないのだな。どちらかと言えば、総意として「やらせる」という意識のほうが強いきがする。



 お上に「してもらう」ことを期待していたばかりに、今回の事故はおきた。お上は信用できない。少なくとも3.11以前より少しばかり賢くなった、自ら考えなければと思うようになってきたのではないかな。



 そうでなければ、日本は変らない。新しい人になります。

 



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千葉より帰宅 - 2011.07.04(ポケットの窓から)




 

はる 3661



 千葉の山口画廊より帰宅。楽しい二日間でした。暑い中御来廊ありがとうございました。また来年おあいしましょう。



http://resonance-1111.tumblr.com/day/2011/07/04

より勝手引用

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都築 響一 Kyoichi Tsuzuki



人は、君の日常生活なんかに興味はないのだ。君の自分探しの旅や、かわいい彼女や、バアさんの臨終や、まして君の結婚式なんて誰も見たくないのだ。そういう人たちをムリヤリにでも自分の写真世界へと引きずり込むには、なにが必要なのか。それをもう少し考えてほしい。たとえば、それは卓越した技術であったり、飛びぬけた対象物であったり、思いの純度の深さであったりする。プロであるとは、そういうことだ。今日はたくさんの写真を見たが、正直言ってなんだか椅子に縛り付けられたまま、耳元でミツル(326)の詩を延々聞かされているような、イヤな気分になる時間が多かった。とにかく突き詰めていくこと。これ以上ないという地点まで。説得力はそこからしか生まれない。



キヤノン:写真新世紀|写真新世紀展2001 開催報告

(Reblogged from bryan2new



 



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(no subject) - 2011.07.03(ポケットの窓から)



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ROGER W . SPERRY - 2011.07.02(ポケットの窓から)



Arvo Part - Magnificat








大脳生理学者・ノーベル医学賞受賞

 

 このポートレイトの写真が好きでアトリエの壁にもう何年も貼ってある。この人がどんな研究をしてどんな業績を残したのかは全く知らないし、全く理解もできないだろうし、ほとんど興味もない。



 顔は作られるものだと言う気がする。長年一つの事をやり通した人間にはどこから見てもゆるぎない自信と信念のようなものがにじみ出てきて、多くの人を納得させるような顔になるようだ。



  明日、明後日と千葉の山口画廊に在廊しています。もしお時間があればお立ち寄りくださいな。



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あそびべのはる

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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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